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2007年06月30日

2007年06月30日 終わりの六月

暇だ。
というが、私の人生で暇じゃない時の方が少ない。


今日で漸く六月が終わる。
そして、これから夏本番を迎える。でも、それで良いんだ。七月だと心置きなく「暑い〜!!」と言える。六月だと「暑い・・まだ六月なのに・・・」と、ちょっと弱気になる。六月は中途半端だから嫌いだ。順番では真ん中の月だけど、気候的にはイヤラシイ。


そういえば、以前にのび太がドラえもんに泣きながらこういうコトを言っていた。
のび太「ウエ〜ン、六月だよ〜ドラえもーん(泣)」
ドラえもん「それがどうかしたのかい?」
のび太「六月は一年間で唯一祝日の無い月なんだよ。ずっと学校に行かなきゃいけないじゃないか!(怒)」
ドラえもん「それなら七月だって無いじゃないか(当時はまだ「海の日」が無かった)」
のび太「七月は夏休みがあるじゃないか!(激怒)」
ドラえもん「・・・そういえば、そうだね」


そうして、ドラえもんは仕方なく、自分の好きな日に祝日を設定出来る道具を出してあげるのだった。この回を見たとき、私もこの道具が欲しいと思った。22世紀にはあるらしい。
じゃあ、22世紀は毎日が祝日だな。ヒトがこの道具を手に入れてしまえば、絶対に毎日が祝日になってしまう。ただ、この道具のリスクとして、休んだ日の分だけその後に働かなければいけないという設定があった。案の定、のび太は休みを作りまくったから、ラストに大変なコトになっていたような気がする。うろ覚え。22世紀もきっと大変な世の中だ。


のび太は、ドラえもんの道具を応用するコトに関しては“天才的”などと称されるが、私はそうは思わない。のび太と同じ小学五年生でも、カツオの方が遥かにスマートだ。カツオならのび太以上の応用力を見せつけるだろう。現時点では、残念ながらのび太とカツオの頭の回転力には雲泥の差がある。
もし、ドラえもんとカツオがペアを組めば、とんでも無いことになるだろう。カツオは勉強こそ出来ないが、学問的な部分以外での頭の良さでは、他に類を見ない程のモノを持っているように思う。磯野家における唯一の才人だろう。


…と、こんなコトを言いながら、六月の終わりを迎えるのです。今月は更新回数24回を数えました。過去最多です。冬支度ならぬ夏支度なのです。
ああ、それにしても暇だ。

2007年06月29日

2007年06月29日 勝負の月

真正包茎。
・・・なんでもありません。ちょっと言ってみただけ。私?違うよ!そんなんじゃない!


しかし暑い。今日は曇りって言ってたじゃないか。気象庁はいい加減にしとけよ。風説の流布で全国民から訴えられろ!
日に日に最高気温を更新していくなぁ。今日は今年最も暑かった。


午前中、学校に行って、クーラーに馴染んだら帰る気がしなくなった。
午前、中学校に行って、クーラーに馴染んだら帰る気がしなくなった。
さて、どちらが正しいでしょう?


で、仕方ないから学校内の図書館で読書。
本多秋五『増補・転向文学論』の「小林秀雄論」などを読む。
さっぱり分からん。なんじゃこれ、と思いながら80ページほど読んで夕方に帰宅。
帰り道に、なぜ分からなかったのかを考えていた。
世の中には意味の分からない文章が沢山あるけれど、大別すると次の二つに分けられる。


1)著者自身もカッコをつけて書いただけで、誰も意味を解せない文章
2)読み手の知識が欠ける為に、理解できない文章


本多さんのは、間違いなく後者だ。私の知識が無さ過ぎる。そもそも小林秀雄を読んでいない。
私は「転向」というテーマに興味を持って、この本を手にしたのだけど、全体の中で転向に触れている部分は一部で、半分以上が文学者評論だ。まー、良い。これから転向の部分を読んでいく。


この夏休みは『共同研究 転向』を読破する予定。あの上・中・下三冊によって構成される膨大な論文集。暑さと闘いながら死ぬ気で読む。
鶴見俊輔さんや藤田省三さんなんかが面白そうな論文を寄せていたのを、チラリと見た。


転向というのは極めて注目に値する現象だと思うが、その研究はリベラルな立場のヒトたちによってしかなされていない。こういう思想的な現象は、右・左問わず十分な研究対象になると思うのだけども。
右側の場合、共産主義思想など放擲して当然、という暗黙裡の了解事項のようなものがあるから、未だ介入されないままなのかもしれない。
その辺の事情がどうかはさておき、戦前、戦時中、戦後と様々なところで見られた転向という現象。そこにメスを入れた『共同研究 転向』において扱われている有名人物、それは林房雄、佐野学・鍋山貞親、近衛文麿、有馬頼寧、石原莞爾、今村均・吉田満、柳田国男、吉本隆明など。これらの人物についての論文が集められたというだけで、私などは非常な興味を抱かずにはおれない。


ま、何がともあれ死ぬ気で読む。日本思想史上に残る一大研究書から、何かを吸収したいと願う。個人的に8月は勝負の月だと位置付けている。だから、このブログも放置するかもしれん。スマン!

2007年06月27日

2007年06月27日 馬鹿が馬鹿を語る

このブログの六月の更新度は異常である。なぜこの馬鹿は斯くも更新するのか?そう思われても致し方ない。理由が無いわけではない。
私は夏が苦手だ。暑くなるとイライラしてやる気もなくなる。7月8月が最大の山場だ。その時期にはブログを更新する気力など無くなるかもしれないじゃないか。だから今のうちに書き溜めておこうというわけなのだ。
馬鹿みたいな理由だと嗤うな。私にとっては死活問題なのである。


それにしても、最近の私は自分のことを棚に上げて「馬鹿」という単語を使い過ぎる。
そもそも「馬鹿」とは何であるか。
今のトコロ、私はそれを次のように定義したい。


「馬鹿とは、外からの視点を持とうとしない者のことである」


単純明快。自分の姿、言動、思想等に関して、外から問い直そうとするか否か。すなわち客観的な視点というものを意識できるかどうかである。
例えば暴走族、例えばコンビニの前にたむろする若者、例えば数年前に話題になったヤマンバギャル、例えば狭い道で身勝手な運転をするドライバー、例えば社会保険庁、例えば日本の安全保障対策、例えば北朝鮮という国家・・・
どれも外からの視点が欠落している、自分(たち)しか見えていない、自らの世界だけで物事を完結させようとしている、合理的思考というものを持とうとしない、己だけが良ければそれで良い、という閉塞された空間に佇んでいる。コレを馬鹿といっても良いだろう。
外からの視点がなければ、物事に対して酷く偏った見方をしてしまう。自然に自らの価値観を絶対視してしまう。そしてそのことに気付かない。視野も狭い。自らが許容できないと思うモノや相容れないと思うモノは、すぐさま己の対象外に置いてしまう。他を認識することにより、自らを相対化しようとすることをしないのである。コミュニケーション・ギャップや価値観の相違に出会ったとき、己の立ち位置を再確認しようとはせずに、ほぼ反射的にネガティブな姿勢を形成する。それは言うまでもなく、現在、自らの抱いている意識を再構築する機会を失しているということだ。己の内的意識を無反省に維持しようとし、あたかもそれが既に完成されたものであるかのように振る舞う。これ以上に厄介なものはない。


とは言いつつ、外からの視点を安定して恒常的に持ち続けることなどは、神でもない限り不可能だ。だから私は「持とうとしない者」といった。持とうとする者と持とうとしない者ーすなわち持つことを知らない者とでは大きな壁が形成されるということだ。無知の知。
外からの視点による、自己の再考、再構築。それを通してのみヒトは成長出来る。馬鹿は体格以外には何も成長しない。大人になってしまえば、本当に何も成長しなくなる。
馬鹿は止まっているままなのである。しかも他を見ようとしないから、自分が止まっていることにも気付かない。もう絶望である。死に至る病である。


外からの視点の起源は、内への視点である。つまり内への視点にて己に疑問を抱く所から、外への視点が生まれる。
馬鹿の場合、内へ向けられる光は、途中で腫瘍にぶち当たって屈折してしまい、深奥まで到達することがない。反射して返ってくるモノが無いから、畢竟外に対して働きかけようとするエネルギーはどこからも生じてこないことになる。
暗闇の中にいると、明かりを発する者は浮いてしまう。そうして必然的に、外に出て来ようとする光を抑え込んでしまうのである。暗闇に安心して、むしろ光の無い状態、光を抑え込んだ状態を常態だと錯覚してしまうのである。要は思考停止。だからヤマンバギャルみたいな馬鹿が蔓延る。


馬鹿は感染する。
防ぐ方法、それは内から光が出てきたのなら出す。それだけだ。
そこに外からの視点を持とうとする意識が発生し、成長のきっかけも生ずる。
光を無理に抑え込んでいると、無意識のうちに己の内部に腫瘍が形成されるようになる。それを放っておくと、光はどうやっても外に出てくることが無くなるだろう。末期の馬鹿。…私のコトか!?


馬鹿が馬鹿を語る。それは貴方の光源なのです!

2007年06月26日

2007年06月26日 かようび

午前中のバイト。午前のスーパーは主婦らしき女性ばっかり。
バイト先のスーパーは、毎日目玉商品として、1000円以上お買い上げの場合につき、特定の商品が激安(1円〜100円くらい、品による)になるという特典がある。
本日の目玉商品の中に5パック入りかつおぶし(かつおパック)があった。1000円以上買えば、そのかつおパックが“1円”で買えてしまう(通常は60円くらいで売っている)というちょっとアホなことをやっていたのだけど、まー、当然のように売れる。かつおぶしなんて需要ありまくりだからねー。1円でモトが取れるのかどうかは分からんが、とにかく売れることだけは自明である。

で、開店時間である9時から私が仕事を終えた12時までの3時間の間に、何度「かつおパックはどこですか?」と聞かれたことやら。アホか。自分で探せよ。分かり易いトコロに置いてあるんだからさー。なんでアレを見つけられないかねー。広い店内でもないし、奥の方に置いているワケでもないのに見つけられないなんて。多分、自分で見つける気がないんだろうな。
或るオバサンがかつおパックを目の前にして「兄ちゃん、かつおッパックはどこ?」と聞いてきた時は、もう呆れ返って逆にモノ凄く冷静に「ココです」と教えてあげた。
人は呆れると冷静に物事に対処できるのである。(←これが今日の収穫)


次。もしかすると誤解されているかもしれない。
私はココでタバコに関する悪口を何回か書いたけれど、それは凄く個人的な目線でのことだ。何も社会的に喫煙者は差別されれば良いなどという気狂いじみたコトを言っているワケではない。喫煙は違法行為じゃないんだから、吸いたければ大いに吸えば良い、と思っている。ただ、禁煙場所で「ちょっとくらい良いだろう」という考えで吸うヤツは死んでしまえ!と言いたいだけである。何においてもマナーというものがある。10年くらい前まではタバコに関するマナーは一般的なモノではなかった。どこででも吸えていた。それはさすがに良く無いということで、吸える場所が制限されるようになった。コレは大いに結構なことである。タバコは他人にも害を及ぼすものなんだから、喫煙コーナーのような特定の場所を設置して、そこで吸うようになれば良い。喫煙者からすれば隔離されているような気になるかもしれないが、これからの時代は隔離しなきゃならない方向で世界は進んでいる。そしてソレは妥当である。隔離されるようなのが嫌なら、喫煙者が世界の認識を変えていけば良いだけの話だ。変えられないのなら、隔離されるしかない。
リスクを覚悟して吸っている者にも、何も考えずに吸っている者にも、止めたいけれど止められない哀れな者にも、皆平等に隔離された空間を用意すれば良い。さすがに公の場所から喫煙可能空間を全面的に撤去しろなどというのは非現実的なコトであり、そんなアホなことは許されない。もう一度言うが、喫煙は合法なのだから、吸いたい者はどんどん吸うべきだ。ただ私が言いたいことは、これからは他人に配慮してタバコを吸わねばならない時代になっていくのだから、その時代感覚を持てない喫煙者は消え去れば良い、ということ。それだけなんです。
喫煙者の体調とか、喫煙者の肺がんがどうとか、そんなことは今の私からすればどーでもいーコトなのだ。それらのものがタバコが原因だとしても、吸いたいヤツがマナーを守って吸ったのなら、私が口を差し挟む余地などないではないか。何も考えずに吸い続けて病気になり、後悔するようなヤツはただの馬鹿なのだから、無視するしかない。全ては自己責任。他人が介入する方がおかしいというもんだ。


海外旅行経験のない私であるが、海外に行くのならば浴衣を着て行きたい。
それこそ夏にアメリカに行くというのであれば、浴衣を着ていかずして何を着ていこうか。
アメリカに行くのに、ジーンズ、Tシャツで行っても仕方がないではないか。アメリカに行くのに、アメリカ人と同じ格好でどうする。そこで日本を代表するような錯覚を抱きつつ、日本文化を見せつける意味で浴衣を着ていくのである。そうすると連中は何も知らずに「SAMURAI、SAMURAI」などと言って注目するだろう。何かサービスしてくれるかもしれん。最近の日本人は何でも欧米文化と融合しようとするから良く無い。日本人がどれだけ着飾っても日本人からは脱却できないということに気付いているのかいないのか。まさに日本人というものにコンプレックスでも抱いていて、そこから脱却したいのであれば、マイケル・ジャクソンくらいのことをやらねばならないだろう。常人には到底無理なことである。じゃあ、もう全てを受け入れて、日本人として見せられるモノは見せていけば良いではないか。
外国人になろうとする必要は無い。外から見れば、外国人になろうとするヤツらなんて、本当に珍しく奇妙だと思われるだろう。


…いや、でもね、アメリカ人になりたいという気持ちは分からなくも無いよ。私の場合は、スタイルや容姿や文化的な意味でアメリカ人になりたいと思ったことは無いが、超大国の国民としてのアメリカ人にならなってみたいと思ったことがある。
アメリカと日本。経済的な面では、まだ一番目と二番目の関係と言っても良いだろう。でも、国家の総合力となれば、日本などアメリカの子分レベルだ。一応外見的には友達ということになっているけど、目に見えない所で支配されまくっているから、見かけは友達、実質はジャイアンとスネ夫の関係。
スネ夫は安心できるだろうか。ジャイアンはいつでも安心できる、安心している。安心できる立場の国民。
たまにのび太がジャイアンに反撃してくるけど、結局はやられる。ジャイアン強しである。イラクや北朝鮮はアメリカからすれば所詮のび太。ドラえもんという核さえなければ、どうにでもなる。厄介な道具をいっぱい持っているドラえもんはロシアや中国だ。(のび太は将来立派な大人になるが、現在のび太である国が将来立派な国になれる保証はゼロだというのが現実世界の皮肉)


私が、なぜこんなコトを言っているのかは、自分でも分からない。
しかし、ただひとつ私が言いたかったこと。それは、日本文化を大切にしましょう!ということ。それだけなんです。スネ夫あってのジャイアンじゃないか。本物のスネ夫がダメなのは、ジャイアンばかり見て、自分のちゃんとした立場を確定できていないトコロ。スネ夫がカツオ的なズル賢さを兼ね備えていれば、今頃ジャイアンと肩を並べる存在になっていただろうに、と思うのですよ。己の持つモノ凄い可能性を見失っている、ということ。
あー、はいはい説教臭くなってはいけないのです。斯く言う私も普段着はジーンズとTシャツなんですねー。外見的にもアメリカン、ジャイアン。大いなる矛盾!自己喪失!自己を範囲外に置いた発言!もう引き下がらねばなりません。喋り過ぎは往々にして誤解を招くモノです。

2007年06月25日

2007年06月25日 ディケイ

ここのトコロ、月日の流れが早く感じるようになってしまっている。理由は分かんねぇ。なぜ?
今年で22歳。2年前の二十歳の誕生日からまだ2年しか経っていない。この2年間は長かった。本当に長かった。二十歳を過ぎれば年を取るのが早く感じる、というが、私は例外であると思い続けていた。しかし、ここにきて私も早く年を取りだしているのかも分からん。恐ろしい。恐ろしい。
分かんねぇ理由を、無理矢理に絞り出してみる。
最近は、毎日何かに対して自覚的に生きていれば時間の流れも早く感じないのではないか(=充実した時間を形成することにより、それぞれの瞬間を記録し続けていけるのではないか)、と思っていたのだけれども、どうやら逆のようである。ずっと無自覚に、要はバカみたいに何も考えずに生きている方が、月日の流れはゆったりとしているらしい。それはただボーっとして、月日の経過さえも気にしないような生活。「ああ、まだ6月か」といったような能天気な生活。そういう方が意外と月日の経過の早さを悟り難いものなのかもしれん。ただ、20年後30年後に大きな反動に教われるだろうけど。
主体が己にあるのではなくて己を取り巻く空間にある。時間に支配されている、時間に誤摩化されているんだ。自分は自分として生きていくというアホでも分かることに気付けば、主体は己に還る。そうすると月日の流れに抗しようする。しかし、究極のトコロ時間に対しては妥協せねばならぬ。すると抗していた時間は虚無化してしまう。主体が己にあると、徒に闘争の日々になり、流れた血はすぐに固まってしまうということか!?己を取り巻く空間とケンカする。アホはケンカなどせずに、飲み込まれるからゆったりとできる(ような気になっている)。それではこの2年間、私はアホだったということだろうか。


なんだかんだで、あと二週間。何がって?
大相撲名古屋場所。
三年半ぶりに東西に横綱が揃うんだぜぇ。楽しみだな。
豊響が新入幕。期待しても良いかい?
琴光喜がまた例の大関取りだって。誰か期待しているかい?
朝青龍・白鵬ともに14勝で臨む千秋楽が見てみたいじゃないか。毎年客入りが悪い名古屋だけど、そうなればちょっとは客が入るかもね。モンゴル人の争いじゃないか、なんて言わずに見に行けよ。琴光喜の相撲よりは盛り上がれるからさ。って、名古屋は琴光喜の地元じゃないか。それなら尚更見に行け。最後の大関への挑戦かもしれないんだから。これを逃せば、きっともう・・・・ねー

2007年06月24日

2007年06月24日 可哀相な子供たち

DQNネーム(子供の名前@あー勘違い・子供がカワイソ)

サイト名を見れば2ちゃんねる系のモノだということが分かるが、その内容はある意味で非常にショッキング。
何かというと、最近多い変な名前をいっぱい掲載しているというもの。
以下に私が気になったモノを列挙する。一言感想を付けてみました。
親の顔が見たい!
※こうした名前を持つヒトたちが、全員実在するかは判断しかねるトコロでございます。


亜菜瑠(あなる) 女 ー大声で呼べない名前…
メロディ愛 女 ー意味が分からん
愛子エンジェル 女 ー同上
主人公(ひーろー) 男 ーヒーロー君ですか。はぁ…
たかしくん 男 ー馬鹿か!たかしくん君
初夜(はつよ) 女 ーエロい!
究極美子(くみこ) 女 ー名前でハードル上げ過ぎ
爆走蛇亜(ばくそうじゃあ) 男 ー可哀相に
賢一郎 女 ーええっ!女の子で賢一郎!!
小次郎 女 ーコレも女の子なのに
恥子(さとこ) 女 ー字を間違えたのかね?
桃も(もも) 女 ー「も」はいらないだろう!
動画(てれび) 男 ーテレビ君
たまてば子 女 ー何が出てくるんだろう?
枕鈴(ぴろりん) 女 ーピロリンちゃん ちょっとカワイイ
吹奏楽(すいそうがく) 女 ーこの親は何を伝えたいんだろう
翁(おきな) 女 ー女なのに爺さん
嘉齊漣(かさいれん) 男 ー意味分からんし読めん
いちご姫 女 ーかわいいお名前で
聖麗武(せれぶ) 男 ー名前負けしそう
礼(ぺこ) 女 ーぺこりとお辞儀をしましょうね
叫(しゃうと) 男 ー静かにして欲しい名前ですね
楽々(るんるん) 女 ー楽しそうで結構ですね
温温(ぬくぬく) 女 ー温かそうで結構ですね
右大臣・左大臣 男 ー双子の兄弟だそうです 可哀相に
女神(びーなす)・天使 女/男 ーコチラはビーナスちゃんとてんし君の兄妹
舞(ふわり) 女 ーどこかに飛んで行きそうな名前
粋(ぴゅあ) 女 ー粋なのにピュアという錯覚
嵐(ひいろ) 男 ー嵐を呼ぶひいろ(ヒーロー)ってことかな?
卑弥呼(ひみこ) 女 ーなんでまた卑弥呼?
不動神(ふとし) 男 ー凄い当て字だな 神様なんだ
賢哉二世(けんやにせい) 男 ーハイハイ、お父さんの名前は賢哉なのね
凛愛夢(りあむ) 女 ーoasisファンの親?
月姫(かぐや) 女 ー上記のに比べると、この名前が普通に思えてくる奇怪さ


変な名前を集めているHPだから当然なんだけど、まだまだ山ほどおかしな名前が掲載されている。キリがないのでもう止めますね。興味があれば、上記のサイトを見て下さい。全部おかしな名前です。その膨大な量に感服します。


しかし、よくもまぁこんな名前を付けるよなぁと思わざるを得ない。世の中には変な親がいるもんだ。こうはなりたくないですね。

2007年06月23日

2007年06月23日 有名人になったK

昨日、珍しく母親から連絡があった。


ワタシ(以下「ワ」)「もしもし」
母「あー、もしもし、重大ニュースがあるけど!」


なんか分からんがテンション高めである。

ワ「何よ」
母「K君が逮捕された!地元の新聞にも顔写真入りで大きくK容疑者って出てるってお父さんが言ってたし、テレビのニュースでもやってたよ!」
ワ「!・・・ヘヘッ、またか」
母「そう またよ」
ワ「で、何やったの?」
母「それがね〜、小学生の女の子に声をかけて車に連れ込もうとしたんだって」
ワ「何だそれ 最悪じゃないか」
母「本当にねぇ〜どうしたんだろうねぇ」
ワ「・・・・」
母「前は下着泥棒で捕まったって言ってる」
ワ「ええ!下着泥棒だったのか」
母「そうらしいけど」
ワ「もうダメだなぁ 今度はちょっと長い間刑務所暮らしだろう」


と、まぁ、こんな会話をしたワケです。


ここで話題になっているKとは、私の実家の近所にいた私より一つ年上の男である。コイツは昔から悪い奴で、ヒトの財布から金は盗るわ、万引きの常習であるわ、ヒトの家に勝手に上がり込むわ、幼稚なイタズラを繰り返すわで、近所の父兄からの評判も散々だったヤツだ。その彼が、今回女児に欲情し、通報されてモノの見事にスピード逮捕されたという。女児に車のナンバーもしっかり覚えられていたとか。ハハーン、ざまあみろ。もう人生が完結したようなもんだ。しかも、二回目の逮捕である。以前にも逮捕されたことは聞いていたが、その時は何でお縄になったのかは知らなかった。それが今回の逮捕で、前回の分まで明るみになったのだろう。田舎だから噂はすぐに広まる。おそらくは、私の父が職場で事情を聞いてきたのだろう。まさか一回目は下着泥棒だったなんてねぇ。しかも二回目が女児にムラムラして、誘い込もうとしたなんて・・・もう、どうしようもないヤツだ。Kの場合、盗みの常習だったから、窃盗で逮捕というのならまだ納得できたのだが(ちなみにKは野球部員で、代走要員=補欠だった。私などは、アイツは盗みが上手いから最高の"盗"塁が出来るだろう、などと冷やかしたものだ)。まさか性犯罪絡みばっかりで逮捕されるとは。
彼の両親の顔が浮かんだ。今でも忘れていない。死ぬ程ショックだろうなー。被害に遭った女児の家にどんな風に謝罪に行ったのだろうか。


Kと最後に会ったのは、私が中学三年くらいの時だ。彼は高校も中退して、何をやっているのか分からない生活だったけれど、相変わらず幼稚なコトを言っていたのを覚えている。おそらくKは、ずっと精神的に成長できずに今に至ったのだろう。だから女児に興味を持ったのかもしれん。まだ自分は子供の意識のままであったから、自分と同年代の女性との間には壁を感じていたのではないだろうか。年齢と適合した意識を持っていなかったのだと思う。だから、女児に対する発情は、彼の中で当然のように湧いてきたのではないだろうか。もしくは、同年代の女性に相手にされなかったから、仕方なくロリコンに走ったとか。いずれにせよ、成人男性が女児に興味を持つというのは、明らかにオカシイ。それだけは間違いない。
可哀相に、とは思わん。同情なんてしない。もう呆れるだけだ。


試しにKの名前をGoogleで検索してみたら、さっそく新聞の記事になっていた(記事によると、Kは容疑を認めているという。暴行容疑で逮捕とのこと)。そして2ちゃんねるにもスレッドがたっていた。よかったじゃないか!K 有名人になって。もう未成年じゃないからちゃんと名前も出ているぞ。
それにしても知り合いが逮捕されるというのは、何かニヤついてしまいますね。今のトコロ、Kを含めると私の知り合い二人が逮捕されている。どちらも問題児だった。やはり知り合いの一人や二人くらい逮捕された方が面白くて良い。こんなコトを言うのはムチャムチャかねぇ。イヤハヤ、調子に乗ってスイマセン。

2007年06月22日

2007年06月22日 ほぶらきん『ほぶらきん』

ほぶらきんああ、意味が分からない。というか、そもそも意味などあるのだろうかと考えてしまう、が、そうすることすら無意味であると教えられるような気がする。となると、始めからここは常人が介入不可能な領域であり、我々にとっての明確な意味などは用意されていないということになろう。


髪の毛にマヨネーズを付けてセット、助さん格さんに欲情する水戸黄門とそれに嫉妬するお銀、犬に派手な服を着せて自らは全裸の婦人、チンチン痒い痒いー、コムスンの折口社長の髪型、初キッスはセロハンテープの味、歌うぜ歌うぜ俺のイヌイットへの想い、増々上機嫌、チンピラ同士の紛争解決はあみだくじ、間違って普通の眼鏡をかけて来たタモリさん、俺の乳首からも母乳噴射
こんな感じ?


ピーピーパピパピー!
ピーピーパピパピー!
ピーピーパピパピー!
ピーピーパピパピー!


頭が欲しい、頭が欲しい、頭が欲しい、頭が欲しい


ゴースンゴー!ゴースンゴー!ゴースンゴー!ゴースンゴー!


フレーズが素晴らし過ぎるのである。

2007年06月20日

2007年06月20日 いつもとは違う水曜日

よし!今回は何か真面目なコトを書いてやろう!と思ったのですが、そろそろお昼ご飯を食べて外出しなければならない時間になったので、今日はやめにします。

2007年06月19日

2007年06月19日 全日本嫌煙家協会代表挨拶

まったく恐ろしいページを見つけてしまった。


タバコの有害物質:禁煙サポートサイト
という、何の捻りもないタイトルのサイトだが、ココに記されているデータは驚愕すべきモノである。
なんとタバコに含まれる発がん物質・有害物質の量は、ことごとく主流煙より副流煙の方が多いというではないか!しかも、圧倒的に。
これじゃあ、仮に、今、非喫煙者であったとして、しかし周囲には喫煙者ばかりであって、頻繁に副流煙を吸い込んでいるというのであれば、果たして喫煙した方がまだ良いということにもなりかねない。副流煙は猛毒である。
私などは喫煙しているヤツを見かければ、息を止めてソイツから10メートルは離れるようにして、副流煙を極力吸い込まないようにしているが、やはりそれは素晴らしい行為であったということが確認されたのである。

このブログを定期的に見てくれているヒトはもう承知かもしれないが、私は自分でも不思議なほど極端にタバコを嫌悪している。それは不定期にこのブログに書いてきたことであり、このサイトを始める前に持っていたブログやサイトでも書き続けてきたことである(最初に書いたのは高校生の時だったと記憶している)。そして、おそらくは今後も機会を見つけて書き続けていくモノだろう。
ところで私の本籍は四国にあるが、何なら嫌煙家の四国代表になっても良い。もし嫌煙家の代表を各地区から数名選ぶことになれば、四国からは私を選ばずして誰を選ぼう。
この際、思い切ってこのブログに「嫌煙」というカテゴリーを設けてやろうかしらん。嫌煙川柳とか、嫌煙コラムとか、喫煙者に物申す!というコーナーでも作って、ちょっとした活動家になっても良い。出来れば年に一度くらい同士を集めて会合でも開こうか。


上記のサイトで、他にもこういうページがある。
女性のための喫煙:禁煙サポートサイト
女性が喫煙すると

妊娠しにくくなります。
子宮外妊娠しやすくなります。
早産や自然流産が非喫煙者の1.5ほど増えます。


とか


胎児死亡や死産、出産後すぐに胎児が死亡する確率が高くなります。
喫煙は未熟児誕生の原因にもつながります。これは喫煙によって胎盤や胎児への血管が細くなってしまうので、胎児に十分な栄養や酸素が届かなくなるために起こります。


などと書いてやがる。要は子供を産むから喫煙すべきじゃないと言っている。
アホか。
女は出産するから、喫煙は良く無いという。確かにそれは尤もなことであろう。が、私からすれば出産しようがしまいが、喫煙そのものが悪である。女だからとか、産まれてくる子供のためにとか、そんな次元で語りかけても吸う奴は吸うのである。中には子供を産む気が無いなどと開き直る輩も出てくるだろう。喫煙に男女は関係ない。男の喫煙者が減少して、女の喫煙者が増加しているという昨今の事情など、ほとんどどーでもいー。数の上で喫煙者が減るかどうかが問題であり、男女の問題などは白痴の戯言みたいなものでしかない。


ついでにもういっちょいこう。
喫煙者におこる肺の変化:禁煙サポートサイト
お馴染みの肺の画像である。
非喫煙者の肺や喫煙者の近くにいる非喫煙者の肺や55年間喫煙しているヤツの肺の画像が並べてある。
55年間喫煙し続けたヤツの肺は、もはや肺ではなくなっている。(ざまあみろ) ウチのオヤジもおそらく30年くらいは喫煙しているだろうから、相当汚い肺になっていることであろう。
よくオヤジの枕の臭い、がどうとか言われるが、私の父の枕はタバコの臭いがした。というか、私の父はタバコの臭いしかしない。仮に私が父とかくれんぼをすれば、警察犬よろしく私は臭いだけで父の所在を突き止められることだろう。
所謂物心が付いた頃からタバコ嫌いだった私は、ほぼヘビースモーカーのお父さんが触ったモノは一切食べられませんでした。ゴメンね、お父さん、汚いモノ扱いして。でも本当に無理なの。今でもそう。しかし、思えばウチの母はよくぞ非喫煙者でいてくれた!もし母までもタバコを吸っていれば、私は誰の作るご飯を食べれば良かったのだろうか。おそらくは毎日自分で料理をしなければならない所だった。まさに子供想いの母親の鏡のようなヒトである。


ああ、イカンイカン。ついつい熱が入り過ぎた。まったく不思議なもんである。タバコに関することなら、どんどん書けてしまう。大した内容はないものの、それこそ文庫本で50ページくらいの分量は楽々書けるんじゃないかと思う。だから、アレだ。もし嫌煙家の代表を各地区から選ぶ時になれば、私を選んでね。
たった今、私は全日本嫌煙家協会の代表に就任致しました! 只今会員募集中です。会員の仕事は一切ありません。ただ「全日本嫌煙家協会副理事」とか「全日本嫌煙家協会書記長」とか「全日本嫌煙家協会東海支部長」という肩書きが得られるだけです。それでは宜しくお願い致します。


以上をもちまして、全日本嫌煙家協会代表挨拶とさせて頂きます。ご清聴、誠に有り難うございました。

2007年06月17日

2007年06月17日 さらばビデオ!

先日ヤフオクで福Tを落札した。笑点のテーマ曲の楽譜が描かれているオレンジのヤツ。
今日ソレを着てコンビニに行くと、頭の悪そうな中学生5人くらいのグループが、私を見て「笑点のテーマだ」「チャンチャカチャカチャカ、チャッチャ」などと冷やかす。私も自分がおかしなTシャツを着ていることは自覚済みであったから、冷やかし大いに結構、それでこそこんな変なTシャツを落札した意味がある、知人から見て見ぬフリをされるよりは他人からのリアクションがあった方が良い、具体的には私のそのTシャツを見て笑ってくれたら良い、と思っていたので、私自身も半笑いで中学生たちが騒ぐのを聞いていた。しかし、連中一向に大人しくならない。挙げ句の果てには、「さぁ、笑点何を取る」などと言い、私の買い物を実況し出す始末。
これはイカンと思い、「ちょっとうるさいですよ」と、大人の対応。ガキ共は「うるさいですよ、って意外と普通のヤツだ」などと適当なコトをぬかして、やがて静かになった。「意外と普通のヤツ」ってどういうコトだ!Tシャツが変だからって、中身まで変なヤツだと勝手に決めつけるなと思っていたら、今度はレジの中年男性が私のTシャツを見て、少し変なご様子。おいおいオッサン、お前まで俺を変人扱いか、と思いながら私は大人を気取って店を後にした。バカ中学生共もその頃には静かになっていた。
という、どうでも良い休日の出来事。オチの無い話。


さて二、三週間前に、ビデオデッキが壊れた。今更ビデオかよ、と思われるかもしれないが、そう今までビデオを使っていた古風な私なのである。
元来ビデオに番組を録画して見るとか、保存しておくというコトをしないのが私の正体だけれども、壊れたままに放置しておくのもなんだかイヤな気がしたので、先週某ネットショップで安いDVDレコーダーを発見し、注文した。鈍感にDVDの録画・再生にしか使えない安物のレコーダー。デジタル放送なんかというものとは無縁のしょうもないレコーダー。
ビデオデッキを壊れたまま放置しておくのがイヤだとかいいながら、もうビデオは見れない環境になってしまった。単純にビデオからDVDに乗り換えた格好になってしまった。幾つか持っているビデオテープはもうゴミ同然になってしまった。フフフ、時代の流れを感じるではないか。フフフフ、さらばビデオよ!


ということで、今日はそのDVDレコーダーが届いたのです。なんと20分で設置できました。今時の電化製品はまことに要領が良い。ビデオデッキの後ろに差し込まれている入力とか出力とか赤白黄のプラグを、DVDレコダーの同等の場所に差し替えるだけでセットができるとは。
その後、テスト録画などもしてみたけど、ま、どうってことない。普通のDVDだ。当たり前か。
この先、何も録画する予定は無いけど、今までPCで見ていたDVDをテレビで見られるようになったのは、ちょっとだけ良いことだ。さっき試しにFISHMANSの「男達の別れ 98.12.28@赤坂BLITZ」を見た。ま、どうってことない。従来見てきたのと同じライヴDVDだ。当たり前か。


ビデオデッキが壊れた時、さすがに修理に出そうとは思わなかった。何か照れのようなものがあって・・。修理に出すために電気屋へ持って行くと、店員に「まだビデオデッキに執着するのか!?」と思われたりするとイヤだから、今更こんなもの修理に出せねーよ、というビデオデッキなんか糞喰らえだ、って結論にしたいと思う。相済みません。

2007年06月16日

2007年06月16日 スイートチープ

その男は「Modern Speaks」という名のタブロイド紙を脇に抱え、朝焼け眩しい荒野を歩き続けている。
声をかけてくる浮浪者や老人の数は知れない。男はただ、約束の場所を目指して歩き続けるのであった。


一台のトラックが背後から男に近付いて来た。
ブラウンの口髭を生やした中年の運転手が、窓を開けて男に言う。
「荒野の朝は冷め切っているじゃないか。ハハーン、兄さん旅人だな。了解した。歩み続けるが良い。道が果てるまでな。」
運転手は二度パッパッとクラクションを鳴らしながら、遥か先の道へと消えた。
男は「朝は来るが、俺はまだ・・・」と呟いた。


丘が目前に迫って来たとき、木立の間から一人の浮浪者らしき初老の男が現れた。
その男は右手をヒドく色落ちしたジーンズのポケットに突っ込み、左手には鎌を携えていた。
「兄さん、そこにトカゲがいるぜ。ヘッヘ、毒を持っているトカゲだ。噛まれると死ぬぜ。ホラ、この鎌をやる。これでぶっち切れば良いさ」
男は浮浪者らしき男から鎌を受け取った。初老の男はそうしてニヤリと笑った後、男が今来た道へ向かってトボトボと歩みを進めた。
やがて男はその鎌を道端に投げ捨てた。


朝日が男の額に眩しく覆い被さってくるようになった。男は「スイートチープ」と呟いた。その時、ふとある夢を思い出した。
可愛らしい小さな赤いワンピースを身に纏った少女が男に抱きつく。身長5フィートにも満たないその少女は、男の左ポケットに湖とカモメが描かれた切手をそっと忍ばせて、姿を消した。それが男が唯一見た夢であった。
男は左ポケットに手を入れた。そこには古びた切手があった。男はそれをまた道端に投げ捨てた。


やがて前方に小さなバーが見えたとき、男は偏頭痛に襲われた。
バーからは野太い声が聞こえて来る。男はどこかで経験した痛みとどこかで聞いた声に対して、多少の親近感を覚えたが、それ以上は何も思わなかった。一瞬、子供の頃の初恋の記憶が蘇ったが、男はそれすらも道端に投げ捨てた。
男は再び「スイートチープ」と呟き、約束の場所へと向かい始めた。


太陽は雲に隠れ、男を照らすものは僅かばかりの希望のみであった。男は何も考えずに、自分の目的以外を道端に投げ捨てて、歩み続けていきたいと願った。

2007年06月15日

2007年06月15日 Safari3ベータ版を導入してみた

Safari3Safari3のベータ版。
英語版しかないけど、一昨日から使っている。


微妙・・・


速くなってる?
そんなに変わってないように思う。


そして日本語入力がおかしい。
フォームに入力する時に、特におかしい。手間取るような感じになるのは、私のPCが古くて糞だということかねぇ。


良い所。
検索がカッコいい。「インライン検索」だってさ。


今のトコロそれくらい。


Win版も出たみたいだけど、なかなかダウンロードされているみたいで、ハイ結構ですね。


ちなみに、このサイトはSafari3でもモチロン問題なく閲覧できました。(右上画像参照、クリックで拡大できます。)日本語サイトの中には正常に閲覧できないモノもあるらしいので、少し注意が必要かもしれません。


あと、どーでもいーけど、米AppleのHPがカッコ良くなってる。

2007年06月14日

2007年06月14日 今年の「LEE30倍」について

LEE30倍昨日の予告通り「LEE30倍」の感想を。


※以下は私個人の感想です。普遍性はありませんので注意が必要です。


まず、肝心の辛さ。
昨年のものよりは辛くなっている。昨年のは「30倍」というほど辛くなかったけれども、今年のは一口目からピリリとした辛さが感じられる。これなら「30倍」でも良い。


次に味。
とは言っても、こればかりはどうしようもない。辛さを重視するあまり、味のレベルが落ちるのは仕方の無い事だと思っている。そういうことで、コッチは例年通り。肉もやはり美味くは無い。無難なトコロだ。
まー、でも辛さを考慮すれば、これだけの味を出せることの方が凄いのかもしれん。
ちなみに、私がLEEシリーズの中で一番美味しいと思うのは10倍。これは普通に美味しいビーフカレーになっている。大して辛くないのが残念だけど。


青い唐辛子。
コレが今年の目玉らしい。昨年は赤い唐辛子だった。
あのねー、「今年は青だ!!」なんて自信ありげに書いているけど、こうやって唐辛子を一個丸々入れるのは止めようよ。唐辛子なのに毎度全然辛くないし、大してインパクトも無いし、何よりも不味い。
もしかして昨年と唐辛子を入れ替えただけで、他の部分は何も変わっていないのだろうか?いや、しかし、今年の方が辛く感じたぞ・・・本当のところは!?


最近の「LEE30倍」では05年の「赤いLEE」が一番だなぁ。アレは見た目もインパクトがあったし。次いで今年のヤツ。昨年のはダメだ。
つーことで、何だかんだ言いながら今年もこの「LEE30倍」のお世話になるでしょう。このカレーは辛ければ良いんです。その点でいえば、今年のは十分「LEE30倍」を表現している。これで良し!ということにしようか。

2007年06月13日

2007年06月13日 甘いのと辛いのと

今日、バイト先のスーパーにロシアのプーチン大統領ソックリのオッサンが来たので驚いた!
まさかの白いポロシャツ姿でプーチンさんご登場。1分半〜2分くらい水ようかんを手に取って凝視していた。甘党ですかプーチンさん。支配体制は増々辛くなっていくのに、甘いものがお好きなんですね。
って、結局あのオッサンは水ようかんを買わなかったからな!安売りしてたヤツなんだから買えよ。ずーと見てたんだからさ。
糖尿病で甘いものを控えるように医者から注意されているオッサン、つい目に入ったようかんを無視できなかった。買っちゃいけない、買っちゃいけない、見るだけ見るだけ、という葛藤をしていたのだろう、とかそういうくだらんコトを考えながら時間を潰している毎日。妄想癖!嗚呼、我が妄想癖!既に長澤まさみとの間に二児を設けた妄想の世界!


帰りにコンビニでLEEの30倍(+10倍=40倍)カレーを買って来ました。コレが出ているということはもう夏ですね。大好きな商品です。まぁ、スーパーの棚には前々から山積みされていて、とっくに発売されていることは知っていたんですけどね。全然売れてませんが。私も今まで買わなかったくらいだから、ちょっと発売する時期が早かったのかもしれません。
明日感想をココに書いてみます。30倍カレーだけに辛口の評価をしてみたいと思います。ダジャレ癖!嗚呼、我がダジャレ癖!

2007年06月12日

2007年06月12日 自分への怒り

火曜日はいつも朝からお昼までバイト。
それにしても暑い。この暑さは必然か?
バイトの途中、急にムシャクシャしてきてどうしようもなくなった。暑いからじゃない。ふと思ったのだ。NHKの受信料どうにかならないか、と。自分への怒り。あんな偏向報道しかしないようなテレビ局になんでお金を払わなきゃならん。そもそもテレビ局なんかにお金を払う事自体がおかしい。それに私のように下宿している学生で、御丁寧にキッチリと払っているようなヤツなんてどれくらいいるのだろうか、と思うとちょっと情けないような気分にもなってきた。さっさとスポンサーつけろ!政治家の手下野郎どもが!と思うと、いてもたってもいられなくなった。
で、今、解約方法をネットで調べてみたのだけど・・・いくつか方法はありますね。このうちのどれかを選択すれば良いのですか。ハイハイちょっと検討してみますね。穏やかに計画を立てながら検討していきます。私は穏やかなんです。凄く優しい。高校生時代のあだ名が「仏様」でしたから。イヤ、本当に。
ということでね、くたばれ!NHK


私は四国出身で、地元を離れてもう5年目になる。
5年間別の地で暮らして、ようやく最近になって、今住んでいる街の良い所と悪い所が分かってきた、ような気がする。2年や3年じゃ、見えたようでも見えていないものが多くあるんだということを知れた。
最近は老後に田舎暮らしをしたい、という都会住まいのヒトが多いと聞く。中には週末だけ田舎に行って生活をしているヒトもいるんだとか。それで田舎の生活を体験したつもりであるというのなら、ソイツ等は救いようの無い馬鹿であると言っておきますね。そんなのは田舎への冷やかしのようなモノでしかない。月に7日や8日だけ田舎に住んで、後は今まで通りの都市生活。そんな生活をしていて、田舎暮らしの何が分かる。
或る土地での生活を理解するためには、数年間そこで暮らして、近所にはどういうヒトがいて、どういう環境で、どういう施設や問題点があるのかということを知らねばならぬ。月に7日や8日で、どれだけのことが知れますか。そんなものは知った気になっているだけで、肝心な部分は何一つとして見れていない事に気付いていないだけの阿呆である。“田舎生活もどき”を満喫した気になっているだけの盲目的自己満足者に過ぎない。
やはり一つの土地に3〜4年以上は住み続けないと、その地のことは理解できないだろう。1年や2年の間に理解できるのは、まず表面的なことだけ。


・・・ハナシが大幅に脱線したが、そう、私は地元を離れてもう5年目になるのだ。にも関わらず、近辺にある名所や観光地的な場所にほとんど行っていない事に気付いた。
幸いなことに、私がいる街から電車で1時間も行けば、遺跡や重要建築物が多く存在している歴史を感じさせてくれる土地がある。中には世界遺産もある。
そんな恵まれた地にいるのに、俺はなぜ引きこもりのようなコトをしてきたんだ!俺は馬鹿か!?自分への怒り。


そのようなコトを思ったので、今年の夏休みは名所観光に繰り出そうと思います。遺跡、お寺、意味不明な建築物。色々と見て来きます。名所観光をするのに絶好の位置に住んでいたということを忘却していた。非常に情けない。
出来れば写真なんかを撮って、このブログに掲載したいと思っています。まだ「思っている」だけで、実際に掲載するかどうかは分かりませんが、今のトコロはそういう予定です。ハイ、今日はこの辺でサヨウナラ。

2007年06月10日

2007年06月10日 女は画れり(孔子)

最近はどうも気が立っていかん。もっと穏やかに生きねばならぬ。常に感謝の心を忘れずに。
宅配業者のおじさん、今日も荷物を運んでくれてありがとう。NHKの集金のおじさん、今日も僕からお金を盗り上げてくれてありがとう。偶然か必然か知らねども、今このサイトを訪れたアナタ、ありがとう。お母さん、僕を産んでくれてありがとう。お父さん、僕を産む為にお母さんなんかと我慢してSEXしてくれたんだよね、ありがとう。僕よ、僕であってくれてありがとう。おやや、変な宗教みたいになってきたぞ。もうダメだ。明日死にます。
今、「早く死ねよ」と思ってくれたアナタ、ありがとう。万が一にも「死なないで」と思ってくれたアナタ、ありがとう。自分の気持ちに正直であって下さい。自分を信じられないヒトは、他人も信じることができないでしょう。軽卒に「死ぬ」なんて言ってゴメンナサイ。これでも私は今までに一度も「死にたい」と思ったことがありません。また、「絶対に生きなければ」と思ったこともありません。あるがまま、なすがままに、自然に任せて生きていくのです。そうありたいのです。明日死のうとも、それが自然の力というものです。明日超絶にブサイクな女と結婚せねばならなくとも、自然の力を受け入れるしかないんです。


閑話休題。
私は京都が好きだ。今までに4回くらいしか行っていないけど、大好きな街である。アジアで最も素晴らしい街だと思っている。
今までに東京や横浜や大阪や神戸や広島の街などを断片的に生で見て来たけど、どこも京都の足下にも及ばん。そりゃ東京や横浜や大阪は、世界的に見ても立派な街だが、如何せん風情がない。京都のように歴史と同居している感じがまったくない。ただ、欧米の都市を真似るように、それに合わせて開発されたような空間で、日本っぽさがほとんどない。
その点、京都はー京都駅周辺はそうでもないがー金閣寺の周辺や清水寺の周辺、嵐山の辺りに行くと、古いお寺やら舞妓さんやらがいて、まさに日本の伝統が息づいていると思わせる。日本で唯一、胸を張って外国に示すことのできる都市ではないだろうか。
来年、私は就職活動をせねばならぬような状況に否応無く置かれるが、できれば京都の会社に行きたいという微細な希望を抱いている。


たまに「首都機能移転」なんて言われるが、それならば京都に移転させなさいと思う。まぁー、でも京都は地形的な問題から、首都には向いていないような気がするなぁ。それに首都になっちゃえば、大量に人口が流入することになる。そうなれば、あの素敵な外観を壊されるような気がするので、やっぱり首都にしてはダメだ。日本で一番首都にしてはいけない街、京都。
東京をご覧なさい。人口増加に歯止めがかからない。それが首都の宿命か!? この先、首都直下型地震が起きれば、どれだけの犠牲者が出ることやら。まー、犠牲者数は良い。私などは東京に住んでいないから、ヒドく他人事のように考えてしまうが、もし大地震で首都機能が麻痺すればどうなるのだろうか?という不安はある。日本という国の機能そのものがパワーダウンすることになるのではないか?と思わずにはいられない。何でも彼でも東京に集め過ぎた害が出て来るようなことにならければ良いが。
こういうコトを考えると、アメリカという国の凄さを思わずにはいられない。首都はワシントンD.C.だが、実質的な中心都市はいうまでもなくニューヨークである。ニューヨークというのは地震の心配もないような街だから、テロの危機を除けば安泰な都市であるといえよう。仮に東京を中二の少年とするなら、ニューヨークは高三くらいなモノであろう。そしてアメリカには、ロサンゼルスやサンフランシスコやシカゴといった中二クラスの、東京級(もしくはそれに限りなく近いレベル)の街が二つ三つある。
ニューヨークが壊滅すれば、世界的な混乱を巻き起こすことは必然だろうが、それでもアメリカは死なない。他にいる中二たちが力を合わせれば危機を乗り切れる。じゃあ日本はどうだろう。札幌、仙台、横浜、名古屋、大阪、神戸、広島、福岡・・・おやおや中には小学生も混じっているぞ。これではちょっと心細いなぁ。
東京様々じゃあいかんよ。現時点では、私自身も他人事のようにしていられるが、もし東京が壊滅的な状況になれば、日本人全般の生活に被害を及ぼす。そうなれば、もはや他人事ではない。先輩(東京)を手助け出来る後輩(他の都市)を作らねばならん。そして日本の場合、先輩だけが奮闘しても上級生(ニューヨーク)には勝てんだろうし。


そうやって見れば、日本というのは実にあっさりしている国だ。敵国からすれば、東京さえ潰せば良いのだから。中国やロシアのミサイル及び核は徹底して東京に照準を合わせていることだろう。しかも、その東京の一極集中が更に進みつつあるというのだから、周辺敵国からすれば、こんなに狙いやすい国は無い。


東京に出て行く人々よ、注意せよ。
「東京に行けば何かある」と思って出て行ったヤツの99%には何も起こらない。起こるとすれば犯罪に巻き込まれるか悲劇との遭遇くらいのもんだ。
「東京で何かしてやろう!」という気概を持って行かねばならぬ。東京に行けば夢が手に入るのではない。自分の夢を叶える手段を東京で手に入れるのだ。夢の無い奴が東京に言っても、結局何も得られんよ。得られるとすれば、地震による被害かテロによる犠牲くらいなもんさ。


私は悲観論者である。

2007年06月09日

2007年06月09日 「運命」のヒント

『デミアン』このブログにひっそりと佇む「必読書」のカテゴリー。ずっと放置し続けるのも可哀相だから、一つ追加しよう。


ヘルマン・ヘッセの『デミアン』
これは私にとって最愛の書である。地獄に持っていく一冊を選べと言われれば、おそらくこの本にする。天国となれば・・・もうちょっとハッピーな本にするかな?(おそらくヘッセは、地獄で『デミアン』を抱きながら苦しむ私を尻目に、天国で笑いながら優雅に過ごしていることだろう)


最初にこの本を読んだのは、高一の時。
高校入学直後。
私が入った高校では“朝の読書時間”みたいなものがあって、毎朝10~15分間読書をする時間が設けられていた(ちなみにこの読書時間はいつの間にか消滅した)。そこで私は、その時間用に何か適当な本を買って来てくれ、と母親に頼んだところ、買ってきたのが本書である。本を買いに行くのが面倒だったから、母親に頼んだ。そうしたらこんな驚異的な本を買ってきやがった!母はヘルマン・ヘッセなどは知らない。おそらくは安価だったから買って来たのであろう。いやいや、而してこれはとんでもない本である。まさか母親によって知らされた本が、自分の中でこれほどまでに重要な位置を占めるものになろうとは!


とは言っても、最初にこの本を読んだ時は、難解でイマイチ理解ができなかった、多分、半分くらいしか読んでいなかったように思う。
それから月日は流れて、私は高校を卒業し、大学へと進んだ。大学生になってからのある日、ふとこの本の存在を思い出し、今度は自分で買った。今度は全部読んだ。目から鱗が落ちる、とはこういうことを言うのじゃないかしらんと思った。
何というのか、人生の格言的な言葉が随所に散りばめられているのだ。今でも、私は定期的にこの本を開き、好きな箇所を黙読する。時に音読する。(ところで、私が小説で文中に線を引いてあるのは、本書だけである。)
未だにどう理解すべきか悩む箇所も多いが、それでも自分にとっての重要な言葉が溢れ返っていることだけは確かである。以下にいくつか書き出してみよう。


私たちの内で働いているのと自然の内で働いているのとは、同一不可分な神性である。外界の世界が滅ぶようなことがあったら、私たちのうちのひとりが世界を再建することができるだろう。なぜなら、山や川、木の葉、根や花など、自然界のいっさいの形成物は、私たちの内部に原型を持っており、永遠を本質とするところの魂から発しているからである。私たちはその魂の本質を知らないが、それはおおむね愛の力や創造者の力として感じられるのである。(139頁)


多分に哲学的な文章である。なんだろうか、これは。「外界の世界が滅ぶようなことがあったら・・・」という部分はプラトンのイデア論なんかに影響されているようにも思えるし、「愛の力や創造者の力」という部分だけを見れば、キリスト教の思想に忠実であるようにも思える。
様々な角度から捉えることのできる箇所だが、決して忘れる事のできないものである。


他にもこういったものがある。やや長くなるけれど、それぞれ引用することにする。

ほんとうに自分の運命以外のものはなにも欲しない人には、もはや同類というものはなく、まったく孤立していて、周囲に冷たい宇宙を持つだけだ。ゲッセマネの園におけるイエスはそうだったのだよ。喜んで十字架にかけられた殉教者はいた。しかし、彼らも英雄ではなく、解放されていなかった。彼らも愛しなじみ親しんでいるものを欲し、手本や理想を持っていた。運命をのみ欲するものは、手本も理想もいとしいものも慰めとなるものも持たない。人々はほんとうはこういう道を歩まねばならないだろう。ぼくやきみのような人間はまったく孤独ではあるが、それでもまだおたがいというものを持っているし、ほかの人とは変わっているとか、反抗するとか、並みはずれたものを欲するとか、そういうひそかな満足を持っている。あの道を完全に進もうと思ったら、そんなものは没却されねばならない。革命家、模範、殉教者などであろうと欲してもならない。一々考えることはできないくらいだ━━(170頁)


人類の歩みに貢献した人々はみな等しく、運命に対する用意ができていたからこそ、有能有為だったのだ。それはモーゼにも仏陀にも、ナポレオンにもビスマークにもあてはまる。人間がどんな波に仕え、どんな極から支配されるかは、自分がかってに選びうることではない。もしビスマークが社会民主党員を理解し、そこにピントを合わせたとしたら、彼は賢明な人であったかもしれないが、運命の人ではなかっただろう。ナポレオン、シーザー、ロヲラ、みんな同様だった。それを常に生物学的に進化論的に考えなければならない。地球の表面における変革が水棲動物を陸地にほうり上げ、陸棲動物を水中にほうりこんだとき、新たな前例のないことを遂行し、新しい順応によって自分の種を救うことができたのは、運命に対する用意のできていたものだった。それが以前その種の中で保守的なもの持続的なものとしてひいでたものであったか、あるいはむしろ変わり種であり変革的なものであったかどうかは、わからない。彼らは用意をしていた。だからこそ自分の種を救って、新しい発展に進むことができたのだ。それをぼくたちは知っている。だから、用意をしていよう。(193頁)


壮大でありながらどこか漠然とし、覚醒的な部分をも併せ持つ文章(思想)であるが、なぜか妙に惹かれてしまうのである。おっと、あまり個人の感想は言わないでおこう。私の言葉などはどーでも良いのだ。
最後に、次の一文を記して、今回の幕を閉じようではないか。


なぜ彼らは不安を持っているのか。人は自分自身の腹がきまっていない場合にかぎって不安を持つ。彼らは自分自身の立場を守る決意を表明したことがないから、不安を持つのだ。自分自身の内部の未知なものに対して不安を持つ人間たちばかりの団体だ!(178頁)


※ここで記しているページ数は新潮文庫版(高橋健二訳、右上画像参照)のものです。

2007年06月08日

2007年06月08日 嗤う気狂い

このサイトを定期的に見ているヒトがどの位いるのかは分からんが、たまにアクセス解析を見ると、毎日同程度のアクセス数があるから、おそらくはリピーター的なヒトが何人かはいるのであろう。ブラウザやOSもそれぞれ異なっているようだから、複数のヒトがいると思われる。


しかし自分で言うのも何だけど、このサイトから、このブログから、得られるものなんてあるのかしらん?
「コイツ、本当に馬鹿だなー」と思う何人かのヒトが、シニカルな態度で定期的に見ているのかもね。
それならそれでも良いけど。
じゃあ、今日は思い切って、誰もが「コイツ馬鹿だな 気が狂ったのか 死ねよ」と思うようなコトを書いてみよう!

私は暑くなるとムシャクシャして、ストレスも溜まりまくる体質なのだが、今年はなぜか、今の時期にして相当ストレスが溜まってきている。色んなことに立腹して困る。もう少し進めば精神不安定と言われるかもしれないけど、私の精神は思った以上に丈夫なので、その点はいやはや残念でしたね。


まず歩きタバコをしているヤツがどうしようもなくイヤ。「肺ガンになれば良いのに。いや、オレが思わなくても、アイツ等の中の何人かはなるな。自業自得だ」と、一日に三回は思う。
以前に、ヘビースモーカーであったヤツが肺ガンと宣告されたとか何とかで、闘病生活をしている様子をドキュメンタリー風に作り上げた番組を見た。ハッキリ言うと、その模様は滑稽以外の何ものでも無かった。同情の余地無しであると思いながら、ニヤニヤしながら見ていた。今まで好き放題に喫煙してきて、医者から「ハイ、あなた肺ガンね」と言われて、ドーーン・・・絶望、ってアホじゃないか!自分がそうなることを覚悟してからタバコを吸え。その覚悟もないくせに、医者から宣告されてショックを受けるようなのは気狂いでしかない。
私の父親などもヘビースモーカーだが、おそらく医者から宣告されるとショックを受けるタイプじゃないだろうかと思う。後先考えずに吸っている単純者のような気がする。仮に、今日の夜、母親から私のトコロに電話があって、「お父さんが肺ガンになって手術しなければならなくなった」と言われても、私は「ああ、そう」と受け流してしまう気がする。予期出来たことじゃないか。今更驚くかよ、と思うはず。私は喫煙に関することでは、身内だろうが誰だろうが、冷淡に対処する。それが幼い頃からの性質。二十年分の蓄積。


私の場合は、お酒に弱いくせに無理して飲むコトがあるし、辛いモノも好きだから、喉頭ガンになる可能性が高いような気がする。だから、今から心の準備をしている。
医者「残念ながら喉頭ガンです」
私「あっ、そうですか。分かりました」
こういう具合に堂々と受け止められるようになりたいものである。覚悟してお酒も飲むし、辛いモノも食べる。リスクを自覚して生活していきたいと思っているのであるが、さてさて・・・


次に、これはどういうワケか知らんが、自転車で右側通行をするヤツに異常な程の殺意、的なモノを覚える。私も基本的に自転車利用者なのだが、何度も自転車同士で正面衝突しそうになった経験がある。しかも、なにゆえにか、相手は全て女、30代前半以上の女、特に中年女なのである。
コレは私のいる地域だけのコトなのだろうか。それとも、全国的に女は自転車が左側通行ということを知らない生物なのだろうか。
右側通行を当たり前だと思っている女、特に中年女は一度大きな事故に遭って、自らの交通ルールに対する意識の低さを思い知るべきだ。じゃないと、アイツらはいつまで経っても右側通行だ。左側通行をしている普通のヒトたちが危なくてやりきれん。


もしタバコを吸いながら右側通行をしていた女と接触事故を起こせば、万人は無条件で相手を罵倒して良い、という条例を作れ。近所でそうした事故が起これば、時間帯・気候・天気に関わらず私は一目散に現場に駆けつけて相手を罵倒したい。


最後に。
やたらとうるさい音が出るバイクに対しては規制をかけろ。一定以上の音が出るバイクは政府が没収するという法律を定めろ。
うるさいエンジン音やマフラーがカッコイイと思っているような浅はかなセンスのヤツは、大好きなバイクと一緒に北朝鮮か中国の農村部にでも投げ捨てられれば良い。あんなモノをカッコイイと思っているヤツに対しては、精神年齢が小学三年生未満のガキと見なして、免許も十年間停止してしまえ。それか死刑か。
飲酒運転で死亡事故を起こしたヤツは問答無用で死刑にすべきだと思うが、うるさいバイクを夜中に乗り回す、他人の迷惑を考えられないようなヤツも死刑で良い。
死を持ってモラルを守る。ロシアのプーチン大統領が先日、サミットにさきがけて言ったじゃないか。「私は世界で唯一の民主主義者だ」と。
笑っちゃいけないけど、笑わずにはいられない世の中。どうぞ嗤って。

2007年06月07日

2007年06月07日 アーケードとネットショップの時代

しかし、まぁ、毎度毎度この時期から暑くならなきゃいけないもんかねぇ。季節というのは何のヒネリもない。
「おいおい!7月なのに最高気温が15度かよ!」みたいな意外性を持ってこい。毎年決まり切ったように「今日の最高気温は32度です。紫外線がかなり強くなります。熱中症対策を万全にして外出しましょう」だとか「今日は各地で34度を上回ります。暑さ対策を心掛けて下さい」だとか、実にくだらん。私ならこう言う。「今日もまた33度まで上がります。毎日毎日、本当にもう呆れますね」これで十分である。紫外線予防や熱中症対策はヒトに言われる前にやるのが当然で、それを怠って倒れたなどというのは、ただのアホである。そして暑さ対策はできん。気温には逆らえん。ずっと冷房が効いた部屋に引き籠るくらいか?

そこで私の提案。全国全ての公道にくまなくアーケードを作れ。電線より上に作れ。そうすれば雨も直射日光も防げる。
鳥の巣が大量に作られて、各地で頭上から糞が落ちて来るという問題が深刻化するかもしれんが…
モチロン、こんな計画は到底実現不可能であると分かっている。が、どうしてもイメージしてしまう。小学生の頃に思いついた、非常に愚かなイメージ。未だに捨てきれない。だって全国の公道にアーケードができれば、傘がいらなくなるんだよ。それってスゲーと思った。全国の傘業者には申し訳ないが。
いや、鳥の糞を防止する為に、アーケードの下で傘を差す必要が出て来るか。じゃあ、意味ないじゃん。濡れなくなるだけでも良いと思うべきか。


それにしても、最近はamazonだとか楽天でほとんどのモノが買える。本屋で本を買うことなんか滅多にない。本屋などは暇つぶしに立ち読みをしに行くくらいで、本当に欲しい本は全てと言って良いくらいネットで買う。CDや一部の電化製品もネットで買う事が多い。
CDなぞは、私の場合、電車代を使って大きなレコードショップに行くより、ネットで買った方が明らかに得。電車代が節約できるし、ほぼ間違いなく入手できる。タワーレコード等の店頭に無い商品でも、amazomだと容易に見つけられる。
そうなるともう、お金を出してガタゴトガトガト電車に揺られてどこかに出掛けていくのが、非常に愚かに思えてくるようになる。
これからの時代、本屋やレコードショップっていったい何よ、と思う。古本屋もどんどんHPを作り出してきている。絶版になっている貴重な本でも、ほとんどがネットで買えるようになりつつある。もう外に行く必要が無くなってきているなぁ。出不精な私には、非常に好ましい時代だ。何かを買い求める為に時間を費やさないで済む。家にいながらにして、沖縄のお店の商品と札幌のお店の商品を同時に買えてしまうこの便利さ!
時間を大切にしろ、とよく言うが、それならばネットショッピングをどんどんすべきだ。時間を大切にしろ、と説教しているヤツが、一日を費やして買い物をするようなのは、大いなる矛盾である。
それにネットを使った方が、実際に色んなお店を回るより多くの商品を見れると思うよ。次から次に色んな店舗のHPに移動ができるワケだから。まー、実物と画像の違いはあるけれど。
でも、世の中に、購入にあたりどうしても実物を見なければいけないモノなんて、実はそんなに無いように思う。
ネットショッピングの場合、実物を見ないからこそのワクワク感があって良いじゃないか。ワクワクとガッカリは表裏一体だけども。ワクワクさんの反対はガッカリさんなのね。期待は失望の母である、とは大瀧詠一御大の名文句であるが。


これからのご時世、店頭販売だけじゃ生き残れない分野がどんどん出て来るんじゃないかしら。ほとんどの分野で店頭販売と同時にネットショップを持っていないとキツくなるかもしれん。不動産や高級品や自動車や食品やペットなぞは、店頭販売第一だろうけど、それ以外のほとんどのモノは、店頭じゃなくても良い気がするな。特にこれからは、よりネットショップの使い勝手が上がってきて、ほぼそちらだけで用が足りるようになるはず、と私は思っているのだけれども。

2007年06月05日

2007年06月05日 ズボラへの道

「流行色(流行カラー)」の意味が分からん。誰が決めるんだ。誰が気にするんだ。
「今年の流行色は緑ですよ」と言われて、あっ、じゃあ緑のシャツを一枚、とはならんだろう。
そんな感じなら街中緑だらけになるぞ。全国緑化運動か。環境保護か。


私はオシャレという言葉の対義語である(と思っている)“ズボラ”を地で行くような、ホントにどうしようもないヤツだと自己認識する時もあるのだけど、意外と私のようなタイプが、いや私のようにズボラなヤツこそが、流行色という誘い文句に騙されるのかもしれん。
なぜオシャレをするのか、というと、自分をよく見せたいから、自分を輝かせたいから、などそんな感じの意識が少なからずあることだろう。他人があっての自分。他ありきの自。自分だけならオシャレをする必要などは無い。その時点で自分が唯一の“オシャレさん”だ。比較対象があってこそ、オシャレか否かの判別が可能になる。
結局、他人を意識するから、色んなコトに気を遣う。それがオシャレへの道。
それゆえ、それなら流行色なんて気にしてたら意味が無いじゃないか!となる。
流行色に身を包んでいる時点で、自分と他人の区別が曖昧になる。あのヒトも黄色、このヒトも黄色、俺も黄色、じゃダメだろう。あのヒトも黄色、このヒトも黄色、俺は青。これがオシャレってもんだろ。


「オシャレ」という言葉を「個性」という言葉に置き換え可能かは一概に判断し辛いが、自分を巧みに表現するという意味では、それへの置き換えも可能であると思う。
そして私のようにズボラなヤツは、ファッション的な面での自己表現がヘタクソだから、ついつい流行色という甘言に釣られる。「そうか!今年はオレンジを着ていれば良いのか!」などと考えて、オレンジのTシャツを着るだけで、ちょっとオシャレの仲間入りをしたような気になる。
もう落とし穴にハマってまっせー。そうなればもうファッション的なトコロでの個性などは何も無い。


流行色を巧く着こなす、なんてコトを言うのは、半オシャレ(半分オシャレ=中途半端にオシャレの意 自称オシャレの大半が、実は依然として自身が半オシャレに過ぎないというコトに無自覚である)の戯言。“本物のオシャレ”ではない。そもそも本物のオシャレは流行色など眼中に無し、さ。
街に出てみろ。気が狂ったように妙な服装をしているヤツがここぞとばかりに闊歩しているだろう!彼らは、アイツになってはいけない、アイツと同じじゃいけない、アイツの真似ではいけない、アイツを理想にしてはいけない、俺のスタイル、俺の着こなし、俺の雰囲気、を意識しまくっている。盲目的な程に。あれぞ本物のオシャレよ。(って、何も奇抜なファッションを奨励しているワケではない。大事なのは、アレになってはいけない、アレと同じじゃいけない、アレの真似ではいけない、アレを理想にしてはいけない、という意志の所持)


・・・じゃあ、私はやっぱり“ファッションに関しては”(←ココ重要)ズボラで良いや。そっちに向かいたい。本物のオシャレには行けそうもない。
ズボラも貫き通せば立派な個性になると思い続けて。

2007年06月04日

2007年06月04日 愛と勇気だけじゃダメなのさ

「愛と勇気だけがともだちさ ああ アンパンマン やさしい 君はー」
この歌を聞き或るヒトは言う。アンパンマンって孤独だねぇ。友達が愛と勇気だけって(笑)


とんでもない!
私は22年間生きてきたが、未だに愛と勇気と仲良くなる術を知らない。偶然、同級生には愛さんと勇気くんがいて、勇気くんとは小学校の頃から親しかったが、愛さんとは何の面識も無いという状態だった。
というように、実在した愛と勇気でも、その片一方としか仲良くなれなかった私からすれば、非実在的な、観念的な、不可視的な、理性的存在の、愛と勇気の両方と、ホントに仲良くなってしまうアンパンマンは超人としか思えないってもんよ。


しかし、忘れてはならないことは、愛と勇気と超親しいアンパンマンがどんなに奮闘しても、悪者のばいきんまんが一向に悪さを止めないという現実である。これは愛と勇気だけじゃ世界はいつまで経っても平和にならないってことを暗示している。つまりアンチ"Love & Peace"みたいなモンだ。
まー、こういう具合で、実はアンパンマンってモノ凄く悲観的な視点を我々に提供しているんだってことを、是非とも記憶の隅に留めておいて欲しいなー。


じゃあ、おやすみなさい。

2007年06月03日

2007年06月03日 キレイ

ツキアカリrie fuの「ツキアカリ」という曲。
私はこのヒトの曲が好きなんだけど、なんだ、やたらとアニメのタイアップが多いぞ。まー、商業的な面で必要なのだろう。
決してアニソン歌手ではありませんので。多分。


この曲もそうなんだけど、彼女の曲は綺麗なんだよなぁ。澄み渡っているような、晴れ渡っているような。決して澱んではいない。人間性というヤツが出ているのかもしれん。rie fuは清浄なイメージ。作っているのかもしれんが。
そんでこのヒトの魅力のヒトツが声。ボクもこんな声欲しいよ。いや、男としては遠慮するけど、自分が女だと思えば欲しくなる声。


「ツキアカリ」は思いっきりのラブソング。あまりラブソングは好きじゃないけど、こういう曲なら良いかと思う。綺麗だから。
あと、これは変な主観で申し訳ないけど、「いつまでも未来をさがしてた」の「いつまでも」の部分と、「たしかに逢いにゆくよ」の「たしかに」の「に」の部分と、「君との未来を」の「君と」の部分などは憎たらしいくらいに味のあるrie fu特有の節回しだと思った。これを聴いて嬉しくなった。
カップリングの「dreams be」は全英語詞の曲。なんだろうなぁ、これは。歌詞をそのまま読めば失恋の曲。「dreams be」というのを無理して捉えれば、挫折しても明日に向かって生きていくぞ! dreams beってことに・・・ならねーか…
コッチも良い曲です。ファーストアルバムの雰囲気に幾分近い曲、といえば、誰かは分かってくれる、と思う。


キーワードは「綺麗」
ジャケットがちょっと怖いのがアレだけど、中はスッとしています。スッーーと。
アルバムが楽しみ。いつ出るか知らんけど。

2007年06月01日

2007年06月01日 心は腐ったタケノコ色

最近肌荒れがヒドくて困る。敏感肌。冬場は乾燥肌。
なんだコレ、思春期の中学生みたいに吹き出物ができてイヤになる。ニキビじゃない分、良いと思うべきか。そういえば現在50代くらいのヒトは、中学〜高校生時代にはニキビがモノ凄くできたとかできなかったとか。ヒトにもよるのだろうけど。最近はニキビ面の中学生なんてほとんど見ないなぁ。私もほとんどできなかった。なぜだろうか。栄養不足かねぇ?
それにしても肌よ、ヒゲを剃ってもカミソリ負けが多い。肌よ、お前は負けっ放しで良いのか。肌よ、いったい何になら勝てるんだ。「肌死ね!」とよく言ってしまう。髪の毛が伸びて来ると「髪の毛死ね!」とも言う。「○○死ねよ」という最低な口癖がある。「暑い!気温死ね!」とか「ホコリ死ね!」とか意味の分からないコトを言う。ただ、やはり髪の毛だけは死んで欲しく無い。咄嗟に「髪の毛死ね!」というのは軽率だ。髪の毛が死ねば、今度は「禿げ死ね!」と自己否定に走る。


世の中には「正義の味方」を扱った作品に比して、なぜか「悪の味方」を扱った作品が少ない。映画、小説、ドラマ、マンガ・・・やっぱり「正義の味方」なのか。
もし、仮に、万が一、百歩譲って、奇跡的に、私が映画を作製できるのならば、徹底的に「悪の味方」を描いた作品を作ってやる。どうしようもなく行動力抜群の父親と頭脳明晰の次男、引きこもりの長男、キッチンドランカーの母親、寝たきりの祖父。世間の「正義」をこれでもかという程に懲らしめる家族の物語。しかし、同時に起こる家族内紛争。次第に亀裂が生じて来る家族間における「悪の味方」観。真の「悪の味方」を目指して、夫々の人物が己に忠実に“反社会的行為”(=正義=「悪の味方」)を目指す。
警察も自衛隊も軍隊もブッシュも金正日もプーチンも胡錦濤も安倍も政治家もボランティア団体も市民団体も人権派弁護士も殺人犯も誘拐犯も神父もアイドルもスターもみんな死ぬ。「悪」とは。「正義」とは。何に味方するのか。「悪」と「正義」を問い直し、そのどっちも拒絶させるような映画。根底は「悪の味方」なのだが。


嗚呼、今日もアホな事を書いてしまった。ゴメンよ、お母さん。

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