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2007年06月25日 ディケイ

ここのトコロ、月日の流れが早く感じるようになってしまっている。理由は分かんねぇ。なぜ?
今年で22歳。2年前の二十歳の誕生日からまだ2年しか経っていない。この2年間は長かった。本当に長かった。二十歳を過ぎれば年を取るのが早く感じる、というが、私は例外であると思い続けていた。しかし、ここにきて私も早く年を取りだしているのかも分からん。恐ろしい。恐ろしい。
分かんねぇ理由を、無理矢理に絞り出してみる。
最近は、毎日何かに対して自覚的に生きていれば時間の流れも早く感じないのではないか(=充実した時間を形成することにより、それぞれの瞬間を記録し続けていけるのではないか)、と思っていたのだけれども、どうやら逆のようである。ずっと無自覚に、要はバカみたいに何も考えずに生きている方が、月日の流れはゆったりとしているらしい。それはただボーっとして、月日の経過さえも気にしないような生活。「ああ、まだ6月か」といったような能天気な生活。そういう方が意外と月日の経過の早さを悟り難いものなのかもしれん。ただ、20年後30年後に大きな反動に教われるだろうけど。
主体が己にあるのではなくて己を取り巻く空間にある。時間に支配されている、時間に誤摩化されているんだ。自分は自分として生きていくというアホでも分かることに気付けば、主体は己に還る。そうすると月日の流れに抗しようする。しかし、究極のトコロ時間に対しては妥協せねばならぬ。すると抗していた時間は虚無化してしまう。主体が己にあると、徒に闘争の日々になり、流れた血はすぐに固まってしまうということか!?己を取り巻く空間とケンカする。アホはケンカなどせずに、飲み込まれるからゆったりとできる(ような気になっている)。それではこの2年間、私はアホだったということだろうか。


なんだかんだで、あと二週間。何がって?
大相撲名古屋場所。
三年半ぶりに東西に横綱が揃うんだぜぇ。楽しみだな。
豊響が新入幕。期待しても良いかい?
琴光喜がまた例の大関取りだって。誰か期待しているかい?
朝青龍・白鵬ともに14勝で臨む千秋楽が見てみたいじゃないか。毎年客入りが悪い名古屋だけど、そうなればちょっとは客が入るかもね。モンゴル人の争いじゃないか、なんて言わずに見に行けよ。琴光喜の相撲よりは盛り上がれるからさ。って、名古屋は琴光喜の地元じゃないか。それなら尚更見に行け。最後の大関への挑戦かもしれないんだから。これを逃せば、きっともう・・・・ねー

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