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2009年03月21日

2009年03月21日 仰げば尊し この部屋の恩…?

今日、わたしは旅立ちます。


というワケで、引越すコトになりましたので、今は待機中です。何を待っているのかと申しますと、引越し業者の方々です。午前十時くらいに、すなわち今コレを書いている時間からすると後1時間ほどで業者サンがお迎えに来るらしく、ソコから引越しスタートです。荷造りはほぼ完了致しました。たかが一人暮らしの分際で段ボール20箱を消費してしまいました。別段コレといって収集しているアイテムなどございませんのに、アレやコレやという間に段ボールの山になりました。次に越してゆく先は遺憾ながらも現在のトコロよりも若干狭くなるはずなのですが、本当にコレらの荷物を収納できるのでしょうか。
荷物の運搬、搬入といった作業は、おそらく業者のヒトたちがおやりになるのでしょうから何の問題も無いと思います。が、向こうに行ってからの荷解きが面倒で仕方ない。急ぎましても落ち着くのは来週の水曜くらいになりそうです。──別の業者のヒトが何やらを設置に参ったりする予定ですから。


しかし、向こうはインターネットの環境が整っていないため、次にコノB級ブログを更新できるのはいつになるやら皆目検討が付きません。そう思うと、死んでしまえば良いのにとの感慨を抱かざるを得ないでしょう。ネットなど有料にしなくとも、ラジオ電波みたいにどこでも無線LAN的に、PCさえあれば使えるようになれば良いのです。電話回線周辺の工事など最早不要、トンネルや地下以外の場所では解放! 次の世紀にはそういう具合になっているかもしれません。


嗚呼、コレからが大変です。なんたってお相撲だって集中して見れやしないのですから!!!!!! 「!」の多さが現在のわたしの苦境を表しているでしょう。
チクショウ! 家具や電化製品もデータ化して転送できないかしらん。こーゆーの、ドラえもんの世界なら可能なのかもしれません。淡い夢、いや途方もない夢想か。俺一人総白痴化!

2009年03月19日

2009年03月19日 暑ぅ〜い

暑ぅ〜い。気持ちは何も熱くないのに、気温だけは暑ぅ〜いのです。イヤ、気温が暑ぅ〜い、というのもオカシなハナシで、気温は「高ぁ〜い」と申すのが妥当でしょうか。まぁ、そんなコトは構いません。とりあえず暑ぅ〜いのです。三月にも関わらず最高気温が二〇℃越えとは狂気の沙汰以外にないじゃないですか。今日はホンキで汗をかきました。最早コレは五月上旬のテンションです。というコトは、扇風機が必要です。今日は真剣に扇風機を欲しました。もうコタツは片付けた方が良いのでしょうか。ソレならば最短記録です。三月の中旬にコタツを撤去するなどというのは、わたしの記憶にございません。とりあえずこの暑さは死ねば良いのです。──ココで重要なのは「暖かさ」ではない点です。このように一気に気温が上昇すれば、「暖かぁ〜い」などと言っている余裕はありません。「暖かぁ〜い」をひとっ飛びして「暑ぅ〜い」になります。汗をじんわりとかけば「暑ぅ〜い」で、ほのかに体が火照ってくるようであれば「暖かぁ〜い」なのです。今日はじんわりと汗をかきましたので「暑ぅ〜い」です。
まったくこんな不愉快なハナシを春分の日以前にしなければならないというのが不憫でなりません。この調子でいけば今夏はどれだけの猛暑になるのか、考えただけでも汗をかきそうです。冷や汗ではありません。暑ぅ〜い時のマジ汗です。


オレは晩秋と冬を好む。オレは晩春と夏を徹底的に嫌悪する。その板挟みにある今頃の時期は眼中に無かったのですが、こんな高気温の仕打ちを受けた以上はもう嫌わずにはいられません。ファッキン三月中旬〜下旬! オマエが今のようであるならば、オレは認めるコトができないぜ!

2009年03月15日

2009年03月15日 サイケデリックスーパー

かなりローカルなおハナシをしようと思います。
四国及び岡山・広島方面に在住経験のあるモノでしたら、ソレなりに知っているかもしれないのが、「フジ」もしくは「フジグラン」という大型スーパーの存在です。このお店に入って買い物をしていると、何となく耳に入ってくる音楽があります。甲高い声の女が「青空 ウキウキ〜 南風〜 地球の上で 思い切り ジャンプしよ〜ぅ 生きようToday 夢見よぉ〜ぅ Tomorrow〜 フージッ フージッ」と歌っているモノで、一筋縄ではいきそうもない曲です。
先日、一週間ばかり四国の方へと里帰りしましたわたしは、数年ぶりにフジへと行きました。そして、ソコで案の定聴こえてきたコノ歌。思えば子供の時分から何度も聴いてきたコノ歌声、今になって気付いたのですが、相当にサイケデリックなモノです。特にアノ声、なんだアリャ。耳から離れなくなってしまいました。ネット上でコノ特異な歌声を拝聴できないものかと色々検索してみましたが、どうやら音源は上がっていない模様です。メロディーをギターで耳コピしているヒトはいましたが、やはりアノ歌声を聴かない限りソノ奇怪さは看取できないでしょう。(参考までに以下に「フジの曲 (ショッピングセンター) 耳コピ」を貼っておきます。)



スーパーの店内という、穏やかな空気が保たれていなければならない場所で、あのようにサイケな歌声が十年以上も流れ続けているなんて! とてもじゃないけど信じられません。ナゼ今までこんな特殊な曲の存在に思い至らなかったのか、非常に不思議でなりません。また、地元のヒトたちも、このユニークな曲に違和感を抱いているのかどうか、なかなか興味ある問題です。わたしも今の今まで気付かなかったのですから、もしかすると意外に気付かれていないのではないでしょうか。意識して聴いてみると宜しい、アブノーマルなアノ歌声、目眩のするアノ歌声、脳内を浸食するアノ歌声、購買意欲に敵対しそうなアノ歌声、「思い切りジャンプ」するどころか、もう本人が真っ先にぶっ飛んでしまっているアノ歌声…ああ、コレはとてつもない。
コノ歌はわたしが幼い頃から店内にて流れ続けていますので、きっと歌っているヒトはもうかなりの高齢ではないかと思われます。当然名前も顔も存じませんが、でもわたしは言いたい。アナタの歌声は偉大だ、と。
クラクラするような気取った爽やかさ──わたしはそう思います。そのクラクラする部分こそ、まさに極上のサイケデリックなのです。こんな歌がスーパーの店内で!!!(他地域の方は、四国方面へお越しの際には是非ともコノ曲を聴きましょう!)

2009年03月12日

2009年03月12日 言葉が出ない

定額給付金、WBC、小沢代表(の秘書)。コレらの言葉をこの一週間弱の間にどれほど聞いたコトでしょうか。もうイイよ。ああ、もうイイ。もう結構だ。テレビや新聞は毎度毎度同じ内容ばかり取り上げやがって。不愉快を絵に描いたような、とはまさに斯くの如しです。
そして、ソレ以上に言うコトもありません。呆れて言葉が出ない、とはまさに斯くの如しです。

2009年03月09日

2009年03月09日 方向音痴の世界

わたしは方向音痴ですから、ほとんど東西南北を判別できません。方向に音もクソも無ぇんだから“音”痴は違うでしょう、なんて思うコトもありますが、その点はまぁ置いときましょう。
さて、方向音痴のわたしからすれば、オッサンなどが会話のなかで「北はアッチだから〜」などとサラリと言ってのける様を稀に目撃するに当り、少なからず当惑致します。磁石も地図もないのに、ナゼ当たり前の如くに方角を指示できるのでしょうか。──イヤ、しかし、今回に限ってはその点も百歩譲って別の場所に投げ捨てて置きましょう。一番厄介な問題はこうなのです。すなわち、方向音痴からすれば、方角が分かったところで目的地には辿り着けねーぜ、ベイベー!というコト。
「この道を真っ直ぐ行って、突き当たりの交差点を西側に行けば○○ビルがあるから、その横の路地を左に曲がって二百メートルもすれば着きますよ。」などと飄々とした顔で説明されましても、まったく意味をなさないのです。まず、最初の西側云々でどちらへ行くべきか知らないし、仮に西側が分かったところで、「その横の路地」がどの道を差しているのか、確実に判別できるとは限らない。コレが我々の属する“方向音痴の世界”なのです。
所謂フツウのヒトたちは、自分の感覚を「通常」のモノとして捉えていますので、目的地への行き方も“ソッチの世界”に共通のコトバで伝えてきます。コレに対処できないのが方向音痴の世界の住人なのです。つまり、言語感覚が根本的に異なる。フツウのヒトたちであれば、多少の土地勘がある場所で迷ったとしても、「駅はアッチだよ」と言われて、適当に「アッチ」へと歩みを進めれば何とかなるのかもしれません。が、方向音痴の世界の住人は断然そうではない。当人は言われた通りに「アッチ」へと向かっているつもりなのに、いつの間にか「アッチ」への道から逸れて「コッチ」へと舞い戻って来ているなんてコトもしばしば。


──ココに三角形ABCがあります。わたしのように極端な方向音痴になりますと、底辺BCの中点Mから辺ABの中点Oへと向かいたい時であっても、どういうわけか終局的には辺ACの中点P付近へと行き着いてしまうのです。真逆! 確かに最初はOへと向かって移動し始めるのですが、どこでどう間違えたか、ACの方へと方向転換してしまうというコトになりまして、甚だ間抜けで面倒な事態に陥ってしまいます。コレが方向音痴の世界の住人。
従いまして、わたしはこのような具合ですので、他人に道を訪ねられようものなら非常に丁寧に説明し申し上げます。というのも、わたしは己が属する極端な世界の基準で物事を考えてしまいますので、「ココを真っ直ぐ行って、左折してちょっと行けば着きますよ」なんて簡便な説明は怖くてとてもじゃないけど出来ないのです。もしかするとこのヒトもわたしと同じく方向音痴の世界の住人かもしれないじゃないですか! ですから、丁寧に説明しておかないと目的地へとスムーズには行き着けないのではないかと、アノ恐怖感にわたし自身も苛まれてしまうのです。いい加減なコトは決して言えない。道に迷う情けなさ、歯痒さを心得ていますから。少しでも自信の無いときは、率直に「この辺りには不慣れですから……スイマセン」というより他に方法はありません。というか、方向音痴の俺に道を聞くな。
──ところで、“自分自身の進むべき方向が覚束ないヤツが、他人に何を教えられるというんだ?” 教師風情の輩が吐きそうなこのセリフ、実は人生の教訓めいたものなどではなく、広く道案内一般に対しても適用できるモノのように思われますが、如何でしょう。

2009年03月07日

2009年03月07日 熟女の基準

「熟女」というのは、どのくらいの年齢からそう言うのでしょうか。例えば、二十歳の男が四十の女を好むのは「熟女好き」と称して構わないのでしょうか。それでは、四十歳の男が五十の女と交際するのはどうでしょう? こういう風に無理矢理に考えを進めてゆきますと、熟女好みの場合の熟女の基準は男の年齢によって相対的に変わってくるのかもしれない、という(ある意味では当たり前の)結果に行き着きます。中学生が六十の女ばかりを好めば、中学生にとっては十分な熟女好みの根拠になるでしょう。しかし、五十八の男が六十の女を熱烈に愛したからといって、「アイツはホントに熟女好きだなぁ」などとは決して言われません。
尤も一般的には男の年齢に関わらずとも、四十か五十か六十か、あるいはそれ以上の年齢に達した女を悉く「熟女」と呼んでしまうのかもしれませんが。それでも、わたしなどは中学生が三十路の女に熱烈な愛情を注いでいるのを見れば、「ああ、あの子は熟女好きの気があるのだなぁ」と思ってしまいますので、やはりコレは男の事情に依存するものと言わざるを得ないような感じがします。だから、五歳の男の子が二十五歳の女に惚れるというのも、この文脈に則って言うならば、確実に熟女好きに認定されてしまうのです。「クレヨンしんちゃん」の野原しんのすけクンも十分に熟女好きなのです。ただし、こんなコトはまったくもってどーでもいー内容ですので、熟女の基準などというモノは個人が勝手に定めれば良いとも思うのです。すなわち、オレが熟女好き? ソレは何かの間違いだろ。お前にとっては熟女かもしれないが、オレにとって彼女はまだまだ熟女じゃないぜ、と。(なお、最後の一文はわたし個人とはまったく縁も所縁もありません。)

2009年03月05日

2009年03月05日 涙腺アタッカー

熊木杏里ウインズ(競馬の方です)の周辺などに行くと、結構頻繁に聴くコトができる熊木杏里サンの曲、「雨が空から離れたら」が凄まじく素晴らしいので、この曲を聴くと、街中で一人いつも泣きそうな気分になってしまうのでした。元来はJRAのCM用に選ばれた曲のようですが、どういうワケか、熊木杏里というヒトと競馬というモノが完全には合致しないような気もする一方で、小田和正氏の“ウォーゥウォーゥ”って曲よりもマッチしているではありませんか、とも思うのです。


熊木杏里サンに関しては、この曲が入っているアルバム「ひとヒナタ」と「私は私をあとにして」を拝聴させて頂いたくらいで、詳しい事情は決して存じ上げませんけれども、非常に感情を揺さぶる歌声と歌詞で、とてつもない涙腺アタッカーだと思いました。高校生の頃によく聴いていた曲を今になって聴いてみれば、何かしら言いようの無い切なさや儚さをソコに感じたり重ねてしまったりして、クラクラしてしまう場合もあるのですが、彼女の曲は、それに似たものをさせてしまいます。しかし彼女のメロディーとは初対面なのに。
この恐るべき涙腺テロリスト、限りなく信頼のおける歌い手であることに違いないと思うのですが、如何せん聴き手からすればエモーショナル過ぎるきらいがあります(でも、こういう場合、本人は意外に飄々としていたりするからビックリなのです)。わたしの如く能天気に暮らしているモノからすれば、世知辛い世情を渾身の力で内面に叩き付けられるようで、ソレはソレは半端じゃない怯えを伴って熊木サンの声は受け入れなければいけない。婉曲に生きてきたモノにとって、メタファーな性分のモノにとって、彼女のように実直に想いを紡ぎ出すタイプは脅威なんです。変化球主体でやってきた自分の前で、その軟球を嘲笑うのかとでも言うように、ヒョイと155キロの真っ直ぐを見せつけられる気分。大変なコトです、コレは! ──つまり、それだけ彼女が発散する音に力があるのでして、今のわたしに出来るのは、この力が万が一にも鋭利にならないように願うことくらいです。モチロン、それは聴き手のなかでのハナシに限っているワケですけれども。

2009年03月04日

2009年03月04日 船頭多くして船山に登る

「こんなのEXILEじゃない」 大所帯化にファン戸惑う


コノ記事に書かれているコトの詳細は省きます。というか、読んでいません。タイトルだけでもう何か十分な気がしているからです。モーニング娘。のメンバーを巡る件でよく分からなくなった経験をもつ人々ならば、こういった事態が如何なる展開を見せるか、朧げながら分かってしまうのかもしれません。しかし14人体制とは…… このコトをちょっと視点を変えて考えてみましょうか。
仮にB'zを例として、彼らが14人組になってしまえばどうでしょう。そりゃもう半端じゃないウルトラソウルだよ。
また、明日から「めざましテレビ」の司会が大塚サンみたいな感じのオッサンの14人体制になればどうでしょう。確かにモノ凄い「めざまし」にはなるかもしれませんが、最悪の朝に違いありません。
あるいは探偵ドラマで犯人が14人いればどうなるでしょう。「犯人はアナタとアナタとアナタとアナタとアナタとアナタとアナタとアナタとアナタとアナタとアナタとアナタとアナタとアナタです!!!」とこうなっちゃいます。──でも、現実はそう上手くいかないでしょうから、きっと次のようになるはずです。「犯人はアナタとアナタとアナタとアナタ…あっ!イヤ、アナタは違う。アナタを除いて他の犯人は、アナタとアナタとアナタとアナタとアナタと…ああ、イヤイヤ、アナタも違うなぁ、ええと、アナタとアナタとアナタとアナタと、…アナタと、アナタと、アナタ?ですね…多分」 その上、更に犯行状況を説明しようものなら、誰がどうした、その間に誰はこうして、誰はどうしていただとか、もう何が何だかサッパリ分からなくなってしまいます。だから、そうなんです、14人というのはとても面倒なのです。EXILEはその点をあまり理解していないのかもしれません。東京スカパラダイスオーケストラでさえ14人にまでは達していない事実を彼らは知っていたのでしょうか。スカパラの連中は「船頭多くして船山に登る」という諺の意味をよく考えていると思われます。ですから、わたしとしては是非ともEXILEに「船頭多くして船山に登る」、コノ言葉を送りたいと思う次第なのです、ハイ。

2009年03月01日

2009年03月01日 バラにはトゲがあって欲しいよね

先のシーズンくらいからそうなのですが、「相棒」の右京サン、このトコロ随分と丸くなっているように思えるのです。特に今シーズンはソレが著しい。『密愛』におけるあの柔らかな表情は何でしょうか。シーズン1、シーズン2では想像も出来なかったような柔和な一面を見せ続けています。亀山クンがいなくなってからではなく、時間の経過が影響しているのではないでしょうか。当初の右京サンは見ている側が「ウッ」となるようなキツ〜イ言動を示すコトがおありでしたのに、今では単なる温厚な男性に過ぎなくなっているように見えます。かつての冷静でありながらも、奥には皮肉的な表情を忍ばせていたあの右京サンは何処へ・・・
そうした所以からか、大河内サンこと“ラムネ”の如く屈指のヘンテコキャラも、最近ではより一層浮いてしまい、ますます特異になっていきます。そうなれば、小野田サンも益々手がつけられなくなってしまうかもしれません。
思えば『バベルの塔』の「船です!」発言くらいからおかしくなったのかもしれない。どこかのバネが外れましたか。もうちょっと事件以外の面でも切れ込んで行って良いと思うのですけど。
と、まぁ、今回“も”下世話な雑記ですよ。さぁ、今日はもう寝ようと思うのです。右京サンよろしくクラシックを聴きつつ眠りにつきます。


今夜のお休みメロディー
モーツァルト『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』の第四楽章

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