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2008年11月17日

2008年11月17日 出産はSMである

分娩室の写真を見るだけで怖くなるのです。
ただし、ソレは現在の私にとってまったく関係のないコトですが。いえ、正確に申しますと、我が身としては生涯直接の関係を持たない出産という行為が、間接的にではあれ、ソレはソレはとても怖いのです。以下のサイトを御覧になると良い。


分娩室をのぞいてみよう


「病院の一般的分娩室」という欄の「3」と「6」に注目されたい。こんな説明があります。


3.足ひも(足がバタつかないように縛る皮ひも)
6.無影灯(手術室で使うような、照らしたときに影が出ないように工夫された、めちゃめちゃ明るくてまぶしい照明)


コレは完全にSMの世界ではありませんか!? こんなモノ、多少なりともSっ気であるとかMっ気であるとか、そうした趣向のあるモノにとっては間違いなく「プレイ」の次元です。しかも、ソコには陣痛で苦しんでいるヤツがいる。ヒーヒー言っとるんです。ロウも垂らされてないのに、です。彼女はご主人様とその助手(医者と看護士)から「ラマーズ法」などというイヤらしい呼吸法を命令されてスースーハー、スースーハー...... 縛られて、無影灯なる強烈に卑猥なライトで陰部を照らされて、スースーハー、スースーハー...... オラオラ、もっと頑張れよ、と命令するご主人様とその助手。スースーハー、スースーハー......
聞くトコロによると、赤ん坊と一緒に妙なモノが出てはいけないからなどと理由付けして、事前に浣腸もするらしいではありませんか・・・ おまけに剃毛といった処置すら施されるという驚愕すべき実態!──コレをSMといわずして何というのでしょう!


嗚呼、ソコは尋常ならぬほどに怖い場所。
最近は立ち会うダンナが多いそうです。いうまでもなく、男は彼女の苦痛を直に我が身へと引き受けるコトができません。となると、彼女を心配しているにしても、ココロのなかには多少の余裕がある場合だって否定するワケにはいきますまい。すなわち、私が言いたいのはこういうコトなのです。眼前にて契りを交わした女性が浣腸をされてみたり毛を剃られてみたり、はたまた縛られてみたり陰部を強烈なライトで曝されてみたり、あるいは呼吸法を命令されてみたり…… そうした光景を目にしたとき、もしもMっ気のある夫ならば、何らかの興奮の感情が心中を去来し、またはSっ気のある夫ならば、何かイタズラをしてみたいと思うサディストの本能が顔を覗かせてみたり……
コレは恐ろしいコトなのです。おそらく当ブログ始まって以来、最も恐ろしいコトを記しています。私はもはやどうして良いのか分かりません。考えたくもない。この記憶、キレイサッパリ消されておくれ。神様……


そこで男を二分すれば、私はどうなるか? どちらに属すか?──分かり辛いので単刀直入に言いましょう。SかMかという問題。私は間違いなく後者だ。こんなコト、明日世界が終わるとしても考えたくないのですが、もしも出産に立ち会わねばならなくなったとすれば、私は、背中に「M」の十字架を背負って生まれてきた私は、果たしていかなる風体でソコにいれば良いというのでしょうか? 興奮するのか、俺は? それとも自分もこんな風にされてみたいと・・・
ココまで想像して、私はふと背筋が凍る思いに支配された。も、もしかして、私の母親もそんなコトを・・・・


ぐわぁあああああああぁぁぁあああああああ!!!!
世界の終わりですぅぅぅううぅ!!! thee michelle gun elephantはこのコトを歌っていたのかもしれない。World's End Girlfriendというのは、多分出産する女のコトだ。
くそぅ!松嶋菜々子くらいで想像を止めておくべきだった。無駄な想像はヒトを死の淵へと追いやる。

2008年11月13日

2008年11月13日 ラブレター講座

理想的なラブレターの書き方を教えます。以下に示すのは例文です。コレを参考にすれば、きっとアノヒトのハートを射止められます。ただし例外はありますので、個人的な苦情には応じかねます。「自己責任」という言葉は便利なものです。


例文
「※これはラブレターです。悪フザケではありません。
僕(私)は○○さんのことが一番好きです。クラスメートを消去法で選んでいった結果、○○さんが一番素敵な人だと思う様になりました。僕(私)は○○さんの恋人です。僕(私)はそう思っています。だから○○さんもそう思った方が無難だと思います。
毎日○○さんの机を雑巾で拭いているのは僕(私)です。いつもキレイでしょ?
先日○○さんが風邪で学校を休んだとき、○○さんの家のポストにその日の給食で出た麻婆豆腐がナイロン袋に入れて置かれてあったと思います。美味しく食べましたか?
○○さんが先生に怒られて泣いた後、先生の車のサイドミラーを壊しておいたのは僕(私)です。
○○さんのお父さんが勤める会社が倒産したとき、クラスメートに「○○の父さんの会社倒産って言うなよ! 絶対言うなよ!」と注意して回ったのも僕です。
僕(私)は○○さんのためなら闘います。○○さんを傷付けるヤツは絶対に許しません。先月、○○さんの家にいるペットの猫が、○○さんを指に噛み付いたのも僕(私)は知っています。その猫は僕(私)が始末しておきました。
改めて○○さんを見ると、毛の無いワニのような顔をしていますが、その点は我慢します。


ということで、なんだかんだありまして、○○さんが好きです。
返事待ってます。返事は以下の口座に3万円を振り込むだけで十分です。


△△銀行
・□□支店
・ 店番号: 988
・普通預金: 0009911
・口座名: ×××× ××××

2008年11月10日

2008年11月10日 秋の一日

寒い寒い、と思う様になったので不思議に感じていました。寒さとは相性が良いタチですが。原因はどうやら部屋の中で依然としてTシャツ姿の我が不逞の身なりにある様です。今日になって漸く扇風機を片付けました。本日の最高気温は15℃です。風は吹きません。風邪はひくかもしれません。今こそ日本男児たる我ら青少年一同は、乾坤一擲、人心を帰一し、以て寒冷前線を追い払おうではありませんか!
秋晴れのなか、浪曲を口ずさみながらの部屋掃除とは、なかなかに哀愁ある午後ではありませんか。誰がそんなコトをするのかは知りません。外からは相変わらずの音が響いて参ります。子供たちの遊ぶ声、トラックのエンジン音、重機の騒音、鳥の鳴き声、馬の蹄の音、戦闘機の爆撃音、審判のホイッスル、百姓一揆に向かう農民たちの世間話、大声でFIELD OF VIEWを歌う中学生たち、チマチョゴリを着てサンマを焼く怪しげな女とその娘の囁き声・・・
誠に日本の秋は情緒豊かで、官能に満ちています。ティッシュが何枚あっても足りそうにないとはこのようなコトを言うのでしょう。さて、友人の五兵衛が鍬を持って我が家を訪れたので、私もちょこっと鋤でも担いで代官所へ突入して来よう思います。

2008年11月08日

2008年11月08日 好きな声(後悔先立たず)

さて、前回の終わりに「私の好きな声」について書くなどと予告してしまったばっかりに、私は何かを書かなければいけなくなりました。元々はただの思いつきだったのです。正に寝耳に水です。言うなれば、或る映画監督が「次回作はラブ・ロマンスを撮るよ。それもとびきり濃厚なベッドシーンがあるヤツをね。」と予告、翌年キャストもスタッフも決定し、さぁコレからクランクインだというタイミングで、監督が「やぁスマンスマン。実は脚本がまだ出来ていないんだ。っていうか、一字一句として書けてないんだ。そもそも書く気なんてないんだ。だから仕方無いんで、キミら、今からベッドの上でソレっぽいコトをやってくれ。じゃないと、ギャラは出さんよ。」と言う様なモノです。
……監督怖いんで何かやります。何か書きます。ソレっぽいコトを。


「好きな声」とはそも何モノか。私にとってソレは中学時の同級生であるヒノ君の声であって、彼の様な声が理想だ、と宣言しても、残念ながら誰も分からないので困ります。すると、ココで飛び出し気味に「声といえば声優じゃないか」という天の声。おお、ナルホド! さもありなん。…が、私は声優に詳しくない。じゃあ、声を語る資格なんてないや。ハイ、終わり。


と、この時点で終わるコトができればどれだけ幸せなコトか。だが、ソレは先の映画の件でいうと、主演の女優が「私、処女なんです。だからムリです。そんな卑猥なコト…」と拒否するに等しい。そんなコトは許されません。暴挙です。処女膜破れてしまえ! どういう映画かは分かっていたはずでしょう。大まかな予告だけはされていたのですから。──不幸にも、私とて大まかな予告をしてしまった以上、具体的な何かを書かなければなりません。困ります。朝、自宅を出る直前にお腹が痛くなってきたときと同じくらい困ります。


それではハッキリと──どういう声が好きか。二つあります。一つ目は「スクールウォーズ」に出てきた“イソップ”君の様な捉えどころのない、ちょっとだけ高い音でフワフワとした中性的な声。上述のヒノ君はこの部類に属します。二つ目は抑揚の効いた程よい低音が響き渡る誠に紳士的な声。コッチは専ら男性に限定されます。具体的な例でいうと、アメリカの野球選手、ニューヨーク・ヤンキースのキャプテン、デレク・ジーター(が坦々と喋っているときの声)に象徴される様な、渋みのあるムーディーな声です。私の知っている限りのスポーツ選手のなかでは、彼が最もダンディな声の持ち主であるといえます。こういったタイプの声を探そうと思えば、ソウルミュージックの界隈を探索すれば良いんです。わんさかと見つかるでしょう。にも関わらず、ココであえてジーターを持ち出したのは、彼が声で勝負する仕事をしていないという事実、それでいてズバ抜けて渋い声を持っているが故です。(その分、髪型に関しては、遠くから杉苔を眺めたときのようなスタイルですけれど…)


ああ! あと、全然関係無いけど、歌手のYUKIサンの声も好きです。元JUDY AND MARYの。(友達で彼女みたいなのがいると、コッチが神経衰弱になりそうですけれど、)歌手としては素晴らしい声に恵まれた結構なお方だと思います。ソロになってからの歌い方の方が、私好みの声に響いているような気がするのですが。(声だけで選んだ場合、)オススメは「ハミングバード」って曲で、シングルでも出てたと思います。ああ、そういえば「ティンカーベル」って曲のサビ部分の声も良かった様な覚えがあります。加えて「JOY」とかいう曲も多分良かった。イヤイヤ、曲単発ではなく「JOY」ってアルバム全体で良い声だった。ビューティフルじゃなくてキュート。プリティじゃなくてキュート。そんな声。


というワケで、次は「dl-マレイン酸クロルフェニラミン」と「d-マレイン酸クロルフェニラミン」の関係について書きます。「狼少年」ってタイトルで。

2008年11月06日

2008年11月06日 続かない物語

昨日は実に曖昧な内容の文章を記したものだと思います。自分のコトながらほとほと困惑致します。力はヒトを解放し、挙げ句彼を傲慢にする。ソレを抑止するための美──様式美、美徳、美意識…ソコに何かしらの期待を寄せてみたいと思ったまでです。エドマンド・バークの言葉が遠方から響いてくる思いです。


それにしても、知恵も美徳も欠いた自由とはそも何ものでしょう。それはおよそあり得るすべての害悪中でも最大のものです。


自由と抑制というこの対立する要素を調合して一つの首尾一貫した作品にするためには、多くの思考と、深い省察と、賢明で力に溢れ総合力ある精神とを必要とします。


『蟹工船』今日は午前中に小林多喜二の『蟹工船』を読んでいました。130〜40ページの小説なので意外とすんなり読めます。最近、この本がよく売れて、共産党シンパも増大しているようです。……が、私からは何も申し上げるコトがございません。
『蟹工船』を読んで、思わず笑ってしまいました。純粋なんですねぇ。非常に純粋。換言しますと、彼らは甘っちょろい。所謂「ブルジョワジー」に対してあと一歩、あと一手がない。ソレは彼らの置かれる立場上やむを得ないモノなのかもしれませんが、はからずもソコに戦前の共産主義運動が全くもって大した成果を上げられなかった要因が顔を覗かせているようにも思えます。(ソレを象徴しているのが新潮文庫などでは一緒に所収されている「党生活者」です。コッチはもっと傑作のお笑い話。)然るに作者の小林多喜二は、ご都合主義的にこの物語を一応の成功でもって終わらせているのですから、コレがなおさら厄介なのです。俺たちは狡猾なブルジョワの搾取に対して、一致団結して闘争するぞ! その心意気は誠に結構です。でも、こうした“立派な”彼らの意志も所詮創作物語の次元に止まっていて、現実との乖離を露呈しています。この小説に描かれているような人々の言動(及びソレを裏で支える背景をも加味して)が、強力なブルジョワ勢力を前にして果たしてどこまでの結果を与えてくれるか。楽観論ではなく現実主義的に考察してみた方が良い。(しかもコレを思い切って現状と重ね合わせてみるならばなおのこと…) あくまでも小説ですので、こういうコトをいうのはオカシイのかもしれませんが、コレ(『蟹工船』)はもはやただの砂上楼閣に過ぎないといえる。外見はソコソコ取り繕った風な体裁ですが、中に入ろうと扉に手をかけてみると忽ちにして瓦解してしまう。ソ連を楽園のように描いているシーンがあるのも、今となっては砂上楼閣の一端を形成するものであるといえましょうか。
共産主義運動の先には何があるか。──小林多喜二はこの点に関して何かしらの明確なイメージを持てていたのでしょうか。彼の想像力に対しては些か疑問符が付きます。もしかすると彼がこの物語の最終的結末を「附記」としてしか記さなかったのは、その「先」についてのイメージを形成するコトができなかったからではないのか? コレは私の素朴な疑いです。確かにココでは彼らの「サボ」が成功し、監督に対する抵抗は一応の成果を上げます。しかしながら、ソレをもって「プロレタリアート」の勝利だなどというには、あまりにも楽観的過ぎというものです。極小的な事象を極大的なモノへと拡大していく、そうした共産主義運動(殊に日本におけるソレ)がもたらす具体的かつ善良なる未来というモノを、小林は実体化できなかった。それ故、彼はご都合主義的に「附記」という形式でポジティブな未来を示唆するコトでしか幕を閉じられなかったのではないか。尤も小林が如何なる具象を提示しようとも、今となっては共産主義という制度がもたらした事実によって、ソレらは全て反証される可能性がありますが…
『蟹工船』は、──いや、作者の小林多喜二からして、ソレは八方塞がりの賜物であるといえるかもしれません。ココには如何なる光も射し込みません。共産主義運動の限界を披瀝したという点では、この物語、殊にその結末の書き方ほど微笑ましいモノはないでしょう。ただしソレ以上でもソレ以下でもない貧相な小説。
この本が売れるのは、或いは現在の人々の間に立ち籠める八方塞がりの状況を暗示しているのかもしれません。そしてソコに何らかの意義、論点があるとしても、ココで一つだけ明確にしておきたいコト、ソレはコノ物語が何ら具体的かつ光栄ある未来に対する一助とはならない、という点に尽きると思います。

2008年11月01日

2008年11月01日 (無題)

結納したいよぉ

2008年10月27日

2008年10月27日 イメージを

前回アホなコトを記し上げてしまったばかりに風邪気味に陥る。
日経平均とともに体調も下降気味なのでした。
日々精進します。精進、精進、消尽・・・

2008年10月23日

2008年10月23日 「人権イデオロギスト」への勘繰り

愈々「相棒」が始まった。昨日の二時間は、二時間では物足りぬくらいの内容であった。──「特命が引っ張ってきたから確度は高いかと」ってセリフにはやられた──
このドラマが開始されると、最早秋であったり冬であったり春であったり、斯かる多様な季節感の包含。それにしても、改めていうまでもなく、何時の間にか、登場人物の多様なコト豊富なコト。映画のヒットもありまして、「大人気ドラマ」の感も否応無く発揮しているのですが、何年か前までは結構地味な雰囲気で放送されていたはず… それが今や一大刑事ドラマ!
ま、そーゆーコトもあろー


ところで、
本日の産經新聞「断」のコーナーに呉智英氏が立派なコラムを執筆されておられる。


職業に「貴賤」あり


職業には好まれる職業と嫌悪される職業がある。とすれば究極的には「職業に貴賤あり」を認めなければならない。この厳然たる事実から目をそむけて良識というイデオロギーが成立している(左右ともに同じ)。「紙の爆弾」(という雑誌があるんです)十一月号で、ルポライターの深笛義也がエロを蔑むエロ業界人を批判している。エロを蔑むエロ業界人のどこがいかんのか、私には理解できない。深笛やその御眷属は、職業に貴賤はなく、むしろ最下層の職業ほど本当は高貴だとする最悪の人権イデオロギストである。


慰安婦が、強制によるにしろ自由意思によるにしろ、救済・支援の対象になるのは、それが最下層の職業だからだ。軍医が、強制による(ないだろうが)にしろ自由意思によるにしろ、救済・支援の対象にならないのは、医者という憧れの最上層の職業だからだ。


後段の一文に対しては、或いは反発があるかもしれぬが、前段については全く以て同意せざるを得ないのでして、むしろこのような当たり前のコトが書かれねばならぬってその事情が奇怪ではないか。ねじ曲がっているのか、“自称”善意のヒューマニストが。果たして呉氏の述べる「人権イデオロギスト」なるモノの跳梁跋扈が如何ほどであるかは存じ上げませんが、仮に(“窮極的”なトコロの)「職業の貴賤」を否定するような連中が存しておるのでしたら、ソレはソレは誠に偽善者という他なく、斯かる見識を保持する輩こそ正に「賤」の立場にある。


コレをバークのいう「(理性折り込み済みの)偏見」と合わせて考えるコトも無理ではない。極端なハナシ、全ての職業が同一地平に置かれるべきだ、平等に扱われるべきだというのならば、待遇の芳しくない肉体労働者は絶対的に改善されねばならぬでしょう。いや、他方で、例えば能書きを垂れて下らぬ論文しか執筆できぬ其処等の大学教授こそ、殊に給料泥棒というべきでして、彼らなぞは月収が二〇万前後に抑えられて当然である。ソレがなされぬのはなぜか。明らかに愚劣な教授でも(イメージの世界で)「貴」の身分に祀り上げられるのはどうしてか。ココに「偏見」が備わる。「偏見」があるからこそ愚劣な教授がのさばる一方で、有能な若い人々が常にその座を追撃す。畢竟こうした事情が職業選択の自由へと結びつき、ソコに競争が発生し、私や彼や貴方や「人権イデオロギスト」の中から何モノかが淘汰される事態へと向かい、而してソレが自由主義経済を根底で維持しておるコトの明証。今日の社会にあっては「偏見」に由来する(“窮極的”もしくは“根源的”な部分における)「職業の貴賤」の意識が存在しているがために、各自に自由な活動が保障される、そしてソレがどこかで発展へと至り、または一定の秩序・性質を保つ。「偏見」なき平等社会(斯様なモノは元来存在し得ないが)では、すべて停滞致しますのです。仮令「職業の貴賤」などはあり得なく、全てが対等なのだと放言致せば、ソレは(極言すると)社会主義への急接近を明らかにしていらっしゃる。「人権イデオロギスト」なるモノがおられるのでしたなら、彼はもしかすると実体不明の「格差」に対する怨嗟の故に、全てを均一にし、各職業が有する機能を相対化し、挙げ句無に帰し、各人の生活が計画的に誘導されるが如き<強制の下におけるユートピア(=社会主義)>を理想として奉戴されているのではないか、などと勘繰らざるを得ないんでした。ソコではもうモラルもマナーも関係ねぇ。全員高貴なんです。ってコトは全員粗野だってコトでもある。皆が金持ちだってのは、その世界では皆がビンボーなんですから。そういう社会は、嗚呼、実に素晴らしいんだと思いたいのでした。

2008年10月21日

2008年10月21日 御伽の背景を楽しむ

「雪男の足跡発見」 ネパールで日本捜索隊


 21日付のインド紙タイムズ・オブ・インディアは、日本人登山家らで構成する捜索隊が、ヒマラヤにいるとされる雪男(イエティ)の足跡をネパール・ダウラギリ山群で発見、写真撮影に成功したと報じた。(中略)足跡はクマやサル、シカなどの動物の形状と異なる上、標高4000メートルまで登ってくることはないことなどを根拠に、「足跡はイエティのものと確信を持っている」(高橋氏)という。


な、なんだってぇぇぇえええええ!!!!


と、まぁ、驚いたフリを致したワケなのでございました。然るに当方は斯様な話題を大いに好む傾向にあり。而して通常はこうしたモノを「バカげていらぁ」と一蹴するコトは誠に容易でありますが、しかしながら、コレを受容するコトは甚だしく困難を極める。「未確認生物」と申すモノは、よくよく思慮してみるに、あくまでも「確認」されておらぬだけですから、万が一として、確かに存在しておりますかもしれぬ。が、他方で全くのデマ、ウソ、狂気の沙汰のでっちあげの可能性も濃厚。──ソレなら後者に賭けちまえってなのが現代の風潮であるのなら、私は・・・韮澤サンの方を見ても良い気がする。言ってみれば、斯かるモノの当否を巡りて闘わされる議論なんてのも、コレは一種の「遊び」でありまして、昔はそのような習わしが無数に存したのです。この点に関してはヨハン・ホイジンガが周知の如く、かの名著『ホモ・ルーデンス』において展開しているコトでもある。一九世紀以降、科学、工業、経済的因子の重要視、合理主義等への偏重によって、我々の生活から「遊び」が駆逐されてしまっておる、まったく以てくだらねー世界だな、チクショー!とホイジンガは内心思っていた(はず)のでして、私からすれば、実際にこうした「イエティ」なる存在は明確に確認されなくても宜しい、と思うのでした。重要なのは、人々が未知の存在に如何にロマンや希望、夢、大志を感じられるかではございますまいか。自己を超越したモノ、人知の及ばぬモノへの敬意……科学が嘲笑するそのようなモノへの眼差しがあれば、多少は心持ちも異なってくるであろうに… なんて思わずにはおれん。


例えば、桃太郎にしても「ガキが桃から生まれるなんてバカバカしいにも程があるぜぇ」なんて斥けてはいけない、と私は思っているのだけれども…
むしろそのような物語が世に蔓延った背景にこそ興味深い点が存するのです。現に、手っ取り早くamazonにおいて和書の「人文・思想」ジャンルで「桃太郎」を検索してみれば、その存在をテーマとした研究書が数多散見されるではないか! 私も軽く触れてみたことがあるのですが、どうやら「桃太郎」というお伽噺を創作した連中からすれば、彼を桃から生まれる設定にしたのも、鬼退治へ向かわしめたのも、全て必然的な理由がある。一見「バカバカしい」と想定されるコトにも、何らかの意図が仮託されております。ソコを探るのが楽しいちゃあ楽しいワケであろう。
一例をあげれば、「桃太郎」とは権力者の象徴であって、鬼とは無垢な民衆の象徴だったんだ!とする研究が幾つか披瀝されている(こうしたテーマに関する小論が屢々學燈社の雑誌『國文學』に掲載されております)。要するにコレは、正義面した桃太郎たる権力者が、(鬼とされた)哀れな民衆を制圧するために侵入してきたってコトを、(権力者側が正当化する為に)鬼退治になぞらえて語りあげたのが桃太郎の母体でありまっせ、という一見解なのでした。ココには民衆の側に立った権力者敵視の思想が展開されていますが、戦時中に桃太郎と権力者及びメディアの間に密接な関係が取り結ばれたコトなども考察致せば、この解釈も一概にはバカにできない。桃太郎はそのヒーロー像が結構都合良く利用されていらっしゃる。
私としては桃太郎に奇妙さを感ずるのは、村人を虐める鬼をやっつけるために鬼退治へと出たは良いものの、なぜ「金銀財宝」を持参して帰還するのかって点。鬼どもが村人から「金銀財宝」を奪取するハズがない。というより、村人は斯様なお宝を所持しておらん。となれば、桃太郎が持ち帰った「金銀財宝」は誰のモノであるか!? 鬼共から取り返したなんて説明は成立不可能である。 いやはや、まったく解せませぬ。 たった一つだけハッキリしておりますコト、ソレすなわち、桃太郎は火事場泥棒的性格の持ち主であって、必ずしも正義の味方などではないという事実。むしろ敗者に対する情け容赦のない、日本男児の理想を全面的に裏切る残念なヤツだ。あと、ソコに加えるならば、鬼と格闘する際にあっても、実際、犬・猿・雉に負う所大なる故に、この男、実は愚人である、ヘタレである。決してヒーローではございません。むしろお笑い的要素の方がふんだんに盛られているのですから、今日に伝わっておるが如きストーリー展開の桃太郎は色々と破綻している、と指摘するコトができます。おそらく初期の桃太郎はもう少しマトモなハナシだったのであろうが、時間を経る毎に、噂話によくありますのと同様、尾ひれがつき、翼が生え、牙が出てきて、異様な姿形──原型とは異なったモノへと化したのでしょう。その変遷過程にロマンや希望、夢、大志を感じられれば、(今日の)桃太郎みたいなダメ人間を相手にするハナシも大いに愉快になり得る。
また、現代の権力者もしくはメディアにあっては、もう今更桃太郎の威を借るコト能わず、そのストーリーを再構築せねばならぬ。今度は赤ちゃんポストから生まれた男が、スイーツを持参して、ミニチュアダックスフンド・コモンマーモセット・サンショクキムネオオハシを率いて六本木ヒルズに攻め込むって設定にでもしますか?

2008年10月11日

2008年10月11日 間断期

内外に多忙を極める時期になって参りましたので、引きこもりの努力で以て力戦奮闘致さねばならぬ由、何人たりともに期待されぬ当ブログも十一月上旬くらいまでは滞りがちになるであろう…というよりも、滞らせるくらいの気概で放置。


福田恆存「傳統にたいする心構」は非常に良い評論だと思う。
ソレは是非とも書いて置きたかった。

2008年10月08日

2008年10月08日 仁王立ちする悪魔

中高生に1箱千円が効果的=禁煙分岐点、「大人より高い」−9万人調査・厚労省


たばこを吸う中学生、高校生を禁煙させるには、1箱1000円以上にすることが効果的との研究結果を、厚生労働省研究班(主任研究者・大井田隆日大医学部教授)が8日公表した。同教授は「分岐点の価格が大人より高い可能性がある。未成年者の喫煙率をゼロにするため、思い切った値上げが必要」としている。


タバコに関わるモノは、一切が悉く気狂いと化してしまうようであります。彼らは値段の問題として、愚かなる経済的視点から効用を明らかにするといった精神的荒廃を見せるに至った。世の中資本次第で如何様にでもなるといわんばかりの、ある種の極限にまで達した合理主義的思考!
私はタバコを心底嫌悪するモノですが、極端に急激な値上げには反対をしておるのでした。ソレは低劣な喫煙者を庇ってのものでは毛頭無く、そうした人為的な価格統制が及ぼす諸種の悪影響を思ってのコトであり、タバコに関わらず如何なる商品であっても、原材料の不足とかといった事態とは無関係の事実に由来して、突発的に価格を操作するのは芳しくないって心理的背景。上げるなら漸進的に。


それで…… 空虚な糞餓鬼の喫煙問題について、お金の次元で解決を図ろうとするが如き事態に至っては、もはや一つの末期的症状を呈しているとしか言いようがなく、おそらく彼らは裕福な中高校生の喫煙に対しては、経済学的な視点から容認するかもしれん。──何でも価格及び市場の操作によって解決ですか! そもそも「未成年者の喫煙率をゼロにするため」、「1箱1000円以上にすることが効果的」との見解は意味不明でございましょう。一箱千円にするコトで中高生の喫煙率が「ゼロ」になると想定する御目出度い発想には脱帽せざるを得ないんだが、コレは我が国が憲法9条を護持してきたが故に、戦後六〇年の間、実に見事な平和が維持されて来ったと本気で捉える論者と表裏一体をなす脳天気な見識であります。9条が存しなければ、平和ももたらされぬのか。千円にしなければ、喫煙率はゼロにならぬのか。彼らは一様にその背後にある力や意志…斯かるモノへの配慮が欠けている。ソレは徹頭徹尾他人任せな視点でして、言うなれば、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」との中学生の作文レベルの代物と一歩も変わるトコロのない決意表明だ。この場合、主体は己にあらず。
而して話を再度振り戻せば、連中は中高生の喫煙問題にしても、「もはや昨今のガキ共は言っても聞き入れるだけの能力がないから、経済的制裁でコントロールしてやれ!」との無機質な見解を放り投げるのみではないか。(これを逆転させた発想が現行憲法の前文であるコトは、猿でも解せる。「オレたちは強く信じてるから、アイツらも信じてくれるだろう」ってな根拠不在の良心に基づき、他国をまぁコントロール可能なものであろうと本気で思慮する無鉄砲さ!!) 畢竟するに、自らの意志でどうにかしてやろう!という次元に視点は置かれず、間接的なモノに依存しているだけなんだ。ソレが金銭的に独立しておらぬ中高生に対する「1000円」なる価格として現出するにしろ、他国の「公正と信義」として表明されるにしろ、いっさいは楽観的に決断されてゆく。


タバコに関していえば、安いから彼らは吸うのか。アンタら、立場的に「未成年であっても購入できるだけの金銭的余裕があれば、別に吸っても良いよ」とは言えないでしょ? にも関わらず価格の問題として処理しようという馬鹿げた見解を披瀝する厚労省の研究班。──民間の研究グループではないのだ! 平和が9条のおかげではなく、事実上米軍という一種の「強制機構」の存在に負うトコロが大きいのを覆い隠します9条神格化論者と、喫煙の問題を経済的な「強制措置」で解決可能なモノと看做す哀れなる研究者。恐るべきほどに崩れ去った一面生しか見ようとはせぬ人々よ、前者にあっては現実感が、後者にあっては公徳心もしくは遵法精神がまったく欠落しておる。まるでどこぞの論者が好き好んで主張致すように、「戦後民主主義的特徴」を兼ね備えたが如き雰囲気、彼らは二つで一つ。この両者を逆立ちさせて握手させれば、きっと素晴らしい景観が拝めるのだろうけど・・・

2008年10月07日

2008年10月07日 “元”日本人

ノーベル賞授賞理由 日本人3氏


南部陽一郎、小林誠、益川敏英3氏の授賞理由の要旨は次の通り。


南部氏は1960年という早い時期に「自発的対称性の破れ」という極めて有用な理論を提唱、素粒子物理学の基盤を形成した。この理論に基づき、これまでに、自然界に存在する4つの基本的な力のうち3つが1つの理論に統一された。


やはり気になるコトですので、わざわざココに記すのですが、南部氏はアメリカに帰化してまっせ。ってコトは「元日本人」で「現アメリカ人」と認識しなければならぬ。ラモスや曙や旭天鵬や三都主や闘莉王といったヒトたちを思い返せば宜しい。彼らは皆日本人だ! 国家間におけるルール上はそうでありましょう。


いやはや、南部氏を貶めようなどという大それて無礼な野心はございません。ただ、現在の国籍によって何人であるかを区別しないのであれば、コチャゴチャになってしまうではないか!と述べたき心境。日本に帰化しておらぬ凶悪な在日韓国人や在日中国人は、国籍が他国にある以上<日本人>ではない。その点については易々と受容するヒトが存したとして、然るに他国に帰化したモノまでをも「(現)日本人」であるかの如く扱うのでありましたならば、ソレは何たる捻れか。「日本人」なる響きのなかには、暗黙裡に「日本国籍所有者」との意味合いが伴っておる。斯様なコトは自明であるが故に、普段は誰も言いません。従って日本国籍を所持せぬモノを「日本人」と称するのは一種の誤解でありますから、これはいけない。どうしてもいけない。私は斯様な点については、結構厳格でありたい。だから、初め日本人であって他国へ帰化したヒトに対しては、言うなれば「日本出身者」とでもお呼びすべきで、「日本人」と呼ぶのには違和感がある。──「〜人」ってのは、あくまでも現時点の国籍の所在によって決まるモノだと思うんです。故に次のようなコトだって言える。すなわち、仮に祖父母が共に「元日本人」でありながら、双方イギリスに帰化しておったとする。そうすると彼らのお子様は必然的にイギリス籍を持つ「イギリス人」として扱われる。けれども外見は日本人っぽい。そしてそのお子様が後に結婚する運びとなり、お相手も自らと同様の境遇にある日系イギリス人。さすれば彼らのお子様も必然的に外見は日本人の如き様相を呈す。さて、そうしたとき、祖父母が「元日本人」のイギリス人であり、両親が「日系イギリス人」でありましたなら、三代目の彼に対して誰が「日本人」だといえるか。人種としては日本人のソレであるが、ルール上はイギリス人。…コレは凄まじい例なんですが、とにもかくにも「〜人」ってのは徹底して国籍に基づくってコト。レゲエをやってそうなヤバイ雰囲気のドレッドヘアの黒人がございまして、彼の国籍が日本であれば、そのモノを「ジャマイカ人」であるとは絶対的に言えないのでして、やはり「日本人」とせねばならない。ロシア生まれの世界的に有名な殺人鬼がおり、そのモノが日本国籍を所有していたのでしたら、コレを「日本人」の殺人鬼と看做さなければならない。この例を逆に申し上げれば、親子三代に渡って天才的な頭脳を持つ家系に生まれた在日の日系ドイツ人「シュミット・三郎」氏、彼は見事にノーベル賞を獲得した。が、氏には何と日本国籍が付与されていない!…となると、なかなかどうしてそのモノを「日本人」受賞者だと認定するワケにゃあいかねーぜ。そりゃドイツ人受賞者だ。参考記録だ。残念ながら。もしくは両親の外見が典型的なアングロ・サクソンでありながら国籍は日本、彼らの子が優秀な研究者となりアメリカの大学で活躍、ノーベル賞を受賞。彼がアメリカに帰国しておらねば、当然容姿など関係なく、日本人受賞者としてすんなり受け入れるべき。


・・・というハナシで、南部陽一郎、小林誠、益川敏英の三氏は誠に御目出度う御座居ます。二人の日本人と、日本出身のアメリカ人の方が「ノーベル物理学賞」を受賞されたという立派なニュースについて書かせて頂きました。


参考リンク1:2 Japanese, 1 American share Nobel physics prize
参考リンク2:US, Japanese researchers win Nobel Prize for Physics
参考リンク3:2 Japanese, American Share Nobel Physics Prize
参考リンク4:1 American, 2 Japanese Share Nobel Physics Prize

2008年10月06日

2008年10月06日 「社会的」の謎

ひるドラ「キッパリ!!」が打ち切られるらしい


10月5日まで放送してまいりました「キッパリ!!」の
出演者の一人が覚せい剤と大麻所持で逮捕されたことが判りました。
このため、社会的影響を考慮し「キッパリ!!」は、10月3日(金)放送分第25話で打ち切りいたします。


ココで気になるのは「社会的影響」とは何を指していらっしゃるのかが甚だ曖昧である点。この場合の「社会的」なる言葉の裏には果たして如何なる心理的、思想的、情緒的イメージが想定されておるのか。たった一人の出演者が逮捕されたコトと、このドラマの熱心なファンの意に反して突然打ち切りを決定致すことに、どのような「社会的」結びつきがあるのか…
すなわち、「社会的影響」などという意味不明な言葉を用いるからいけないのであって、「キッパリ!!」と「主要人物が逮捕されました。この人物を映さずに放送することはストーリー上無理がありますので、ココにやむを得なく放送中止とさせて頂きます。」とでも正直に書けば宜しい。冗長であっても、斯かる書き方の方がよほど素直です。「社会的影響」などという一語で以て誤魔化そうとするのは、酷い隠蔽体質の現れではあらぬか。「社会的影響」──ハイエクが『法と立法と自由』の第二巻において「社会的正義」なる言葉の曖昧さと卑猥さについて怒りを込めて言及していたのを思い出す。


しかしながら、考えようによってはこの五文字は使える!! 何かが生じれば「社会的影響」の名の下に幾らでも批難できるし、逆に弁護するコトも可能であろう。実体不明の抽象的な「社会」を盾にとるコトによって、<正義>はコチラ側に味方する。こんなに利便性のある言葉も珍しいってモンだ。

2008年10月05日

2008年10月05日 一分間勝負

今から一分で書けるトコロまで書く。1minutesでブログを更新し申し上げる。
ヨーイ、スタート!
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先日から肩や腕が痛かったので薬局へ行き「タイガーバーム」を購入致したのですが、コレはやはり凄まじく効力がある。臭いけど、臭過ぎるけど、もうほぼ完治。二日くらいで。


先日の木曜洋画劇場で放映された「セルラー」は何度見てもおか


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終わり。
コレだけしか綴れなかった。何という無内容な・・・

2008年09月27日

2008年09月27日 「ニコチン脳」

顔認証たばこ自販機:少年、顔しかめ購入−−喜多方


喜多方市内で今月中旬、たばこを持っていたとして喜多方署に補導された同市の無職の少年(17)が、顔認識機能付き自販機でたばこを購入したと話していることが26日、分かった。
県警少年課などによると、少年は顔をしかめるようにして機械に顔を認識させ、購入したとみられる。(中略)雑誌の顔写真などで購入できる場合もあり、同連合会も今月、問題点を指摘する意見書を財務省に提出したという。一重靖夫会長は「60歳の男性が丸刈りのため、子供と判断されて買えなかったという話を聞いた。顔認証機能の精度に疑問がある」と話した。


些かお粗末過ぎるではないか。「60歳の男性が丸刈りのため、子供と判断されて買えなかった」とは、何たる時代錯誤! 磯野カツオじゃあるまいし。タバコに関わるモノはロクなコトがない。もしや、この機械を開発致したモノもニコチン脳ではあらぬか!? (ニコチンに侵された輩の<愚>を表明したいと思い、適当に記した「ニコチン脳」ってなワード。ふと思い立ち検索してみれば──「 "ニコチン脳" の検索結果 約 21,600 件中 1 - 10 件目 (0.19 秒)」 同じような発想が溢れ返るインターネットに戦慄…)
然し乍ら、私は見てみたいのであった。ニコチン脳の餓鬼がタバコを購入するために気狂いの如くしかめっ面をしておる様態(醜態)を。いっそのコト、中に小柄なオッサン入りて、人為的に判別すれば芳しき哉。これで「ニコチン脳」の糞餓鬼・糞娘一発撃退だぜ!



「日教組は解体すべき」中山国交相、自らの進退「推移見守りたい」


怖いなー。不必要なモノを不必要だと発言致すと、クビが飛びかねない世の中なのである。ファシズムじゃないかしらん。言論統制ではないかしらん。
日教組は不必要。ついでに公明党も創価学会も不必要だし、当然社民党も共産党も不必要、「改革」しか言えぬ自民党の議員も不必要で、民主党の議員は大半が不必要、憲法九条も有名無実化した非核三原則も不必要であって、今となってはマルクスもルソーも丸山眞男も不必要、西部邁や中西輝政の如き中途半端な似非「保守系知識人」も不必要で、フェミニズムも、戦争か平和かの二元論も権力者と被治者の二元論も不必要、そうして「ニコチン脳」も不必要、愈々以てこのブログも俺も不必要。──世界はゴミ箱か!

2008年09月25日

2008年09月25日 警告

サンスクリット語しか分からないヒトには不親切なブログでどうも申し訳ございません。当ブログは日本語のみに対応致しております。その意味では排他的である。差別的である。恣意的である。それがどうした。日本だからな! 日本語を理解しろよ。それが最低条件だろ! 理解して下さい。

2008年09月22日

2008年09月22日 ごぉ〜るぅー

月〜金までBS2にて朝の八時から放送されておる「街道てくてく旅」が面白い。毎日見ている。今は四国方面に行っておられるのです。
画面を見ても何の懐かしさも沸き起こって来ぬが、四元サンの天然が見られる故、目覚めには宜しい。


「ごぉ〜るぅー」


四元サン、卓球のトレーニングの方は良いのだろうか。
…ま、いーや。DVDも出てるけど、正直ソコまでして見たい番組ではない。
朝の十五分ってのが抜群でございます。昼でも夜でも見ぬ。朝だからこそ見るのです。


オレの ごぉ〜るぅー は何処であろうか?


参考リンク:街道てくてく旅〜四国八十八か所を行く〜

2008年09月18日

2008年09月18日 階段、それは雨奇晴好

私は古き階段が好きなんです。殊に山頂に存するお寺、其所に向かうために設けられた古き階段を好ましく感ずる。其れを下から見上げる瞬間の何と趣きあることよ。けれども、階段なら何でも来いってなワケではない。良き階段には条件が備わる。ソレは以下の如し…


《良き階段の条件》
其の壱──横幅が確保されておるコト
其の弐──石で固められておるコト
其の参──段差が低くないコト
其の四──両脇に風情ある木々が茂っておるコト
其の五──最低でも五〇段以上あるコト
(其の六──石階段の場合、凹凸を極力抑えておるコト)


上記の五(または六)条件を全て満たさぬモノは概して悪しき階段と思って大過ない。ただし、京都の三年坂の如く景観で圧倒する緩やかな階段もございます。
理想の階段の具体例を一つ提示しますと、「円教寺 石階段」ってワードでGoogleイメージ検索を試みました場合、真っ先に出てくる画像(平成二〇年九月十八日現在)に見られるモノは、言わずもがなの<秀才階段>に他ならぬ。やや段差が低いのが残念であるけれども、これはこれで実に立派なものだ。
東大寺二月堂の階段も段差さえあれば見事なのだが、 あの階段はまずもって低過ぎる。従って地味。私が段差に拘るのは、段差の低き階段の存在意義を疑うからなのです。老人に配慮して低くしてあるのかもしれぬが、段差が無ければ階段的ではあらぬ。写真に収めました場合でも、「なんじゃこりゃ、これなら坂道にした方が良いのでは?」と思う。絶対的に思う。コレはもはや不可避なり。
私の知見の範囲にあって最も秀逸な階段は、室生寺のそれである。通称「鎧坂」の石階段。(「鎧坂 階段」で検索すれば感動できます、私の場合は。)
思い出ある良き階段は、香川は金比羅宮(通称「こんぴらさん」)のなかにある石階段で、此処は元来階段で有名な寺院ではございますが、老人向けに籠屋もいまして、全部で1368段あることが知られている。さて、ここは階段の良し悪しに著しい差異があって、つまらぬ階段も多いのだけれども、奥の院へと通ずる石階段のなかに、確か一箇所だけ風情ある見事な部分があったはずです。四国で育った縁もあり、三度か四度登っているのでしたが、最後に行ったのは中一くらいの頃であったろうか。十年ちょっとの月日が経過しておるから、記憶が薄れかけて来ている。しかしながら、確実に上記の条件全てを満たす場所があった。私の“階段メモリー”を遡っていった場合、最後には其所へと戻るんです。裏を返せば、其所から全てが始まっている。


階段の魅力は何かと問われれば、行人の意志を煽り立てる点にある。ムムム、この上に、この上に〜 といった或る気概を摘出する。幅が広ければ広いだけ志は大きくなり、長ければ長いほど根気を必要とす。ソコに何とも言えぬ面白味を覚えます。周りにある木々は、時に和やかさを、時に冷徹さを感じさせ、行人に行雲流水、栄枯転変を教授す。
階段は良い。シンデレラも階段が無ければどうなっていたことか。『東京の階段―都市の「異空間」階段の楽しみ方』なる本も出版されていらっしゃいますが、題名から察せられる通り、それは都市のなかの階段に「違和」を見て楽しむが如きモノであって、私の好みとは残念ながら逸れている。『お寺の石階段―いにしえよりの「虚静恬淡」の楽しみ方』ってな本が出版されるコトを切に願っているのです。

2008年09月17日

2008年09月17日 やっちまったなぁ!!

およそ一年ぶりくらいに『文藝春秋』を購入したのであった。
今月の分は実に芳しい、また微笑ましい。
中心は毎度お馴染みのメンバーで、結論ありきの「東京裁判」検証。…が、斯様なモノはどーでもいー。ありきたりにどこぞの宰相を攻撃したモノも掲載されてある。斯かるモノもどーでもいー。石油と食料危機に関する威勢の良い論者の見識も披瀝されておる。まぁ…… 白洲次郎を扱いました文章は少しだけ興味深かった。タモさんが赤塚不二夫との思い出を綴り上げたモノも載せられてあって、コレは読み易くて好印象。文章にも「タモリ」が出ておった。それで、最も惹き付けられましたのは、会田弘継というヒトの記した「漱石・ハイエク・江藤淳「こころ」の絆」って文章。内容は以下の如し。
日本文学研究者のエドウィン・マクレランは、ハイエクの下で博士論文を執筆したのですが、彼はその題材として夏目漱石を選択致したというのです(『漱石、ある日本の小説家──序説』ってなテーマであるとのコト)。しかしながら、当時(一九五七年)の欧米圏における漱石の認知度はほぼゼロに等しく、また、まともに英訳されたモノも存せぬという状態でありましたので、マクレランは感銘を受けた『こゝろ』を自ら単独で英訳し、其れをハイエクに見せたのである、との由。──そうして英訳された『こゝろ』に目を通したハイエクは、「激しく感動した」と述べたのだった。
筆者の会田氏は、ハイエクが『こゝろ』の如何なる点に感動を覚えたかを、彼の私生活の検討を通じて解説してゆく…
あと、マクレランと江藤淳の関係についても記されてある。が、私はハイエクの部分に多大な関心を寄せてしまった。なるほど、ふむふむ。かなりハードな私生活を送られていらっしゃったのですね。


他には、アノ「品格」の藤原正彦氏の“新連載”と銘打たれた「名著講義」なるモノまであって、コレは氏が普段授業でやっておることを文字に起こしたモノらしい。学生との対話形式になっていて、指定された名著を読んで来た学生と藤原氏との間にて、種々の意見交換がなされてある。些か実際の講義をそのまま文字にしたとは思えぬのであるが、多分斯様なコトをお話されているのであろう、ってのは解せる。初回は新渡戸稲造の『武士道』 正直なトコロ、何箇所か笑ってしまった。以下にその一例を。
──最近の親は子供に甘い、時には子供を叩くようなコトも必要だというコトを知らぬ、また叩こうにも、近頃の親は叩き方を知らぬ、それは教師とて同様、そのような連中が闇雲に子供を叩くと、ケガをさせてしまうおそれがある …実は子供を安全に張り倒すコツがあるんです、ソレは指の第二関節より先の部分でバシッと云々……
こういうコトを真剣に喋っている。コレは色んな意味で楽しい。いずれコノ連載をまとめて本にしてくれないかしらん。


今月の『文藝春秋』は総合的に宜しい。総合力では相当なレベルにある。微笑ましい。
あと、世界の美女特集もあるよぅ!

2008年09月14日

2008年09月14日 本当は単に「うん」と答えたかった

峠はもう超えた。


今年は比較的冷夏であった。少なくとも過去二年と比べれば……
まだ残暑があるのが邪魔なり。


親父から以下の如きメールが送信されて来った。
「両横綱白星発進だな」


…如何様に返答すれば宜しい?
無視したのは悪かったと思っておる。


時間がございません(って言い訳です)から箇条書きで。

2008年09月12日

2008年09月12日 十分の八

今、くだらん(と思いたくはないのでしたが、思われそうだから敢えて自分でもそう発言する)論文を書いておる。一応“勝手に”期限を来週金曜の朝までと設定しているのだけども、かなり厳しい状態でして、もうイヤになるのだ。 8/10は綴れた。──4/5ではイメージが上手く合致せぬので、わざと十分の八と申した。が、残りの二が凄まじい。マラソンで喩えれば、三十五キロ地点までは余裕綽々であったのに、ラスト七キロ地点に達すや、突然雹が降り注ぎ、道中は見たコトもない急斜面であって、辺りには獰猛な野犬が放し飼いにされていらっしゃいます…斯かるイメージ。
ぐへぇ〜 もうダメかもしらん。弱音ではなく実感。「北島選手じゃないけど、『何も言えねぇ』」
偽善者や詐欺師であれば、飄々として乗り切るだろうに。

2008年08月31日

2008年08月31日 未受洗者の独言…

実在物としての神様、というか姿かたちが鮮明なものとして現れる神様を思い描こうと致すから、安易に「神様なんていない」と申し上げられちゃうのではございませんか。元来宗教思想とは斯様にして簡便に抽出できるが如きものではないはず。それに、私は神というとき、まず以てキリスト教のそれを連想するのであるから、余計に斯かることを思うのかもしれん。いえ、イスラムのアッラーにしても日本の八百万の神にしても、夫々その背景に連なる思想は異なっておりますけれど、神をいずれも実体的に(換言すれば、絶対的に確定された一つのものとして)捉えんとする試みは峻拒されていたのではありますまいか。なぜといって、それは人間崇拝、唯物論へと緩やかに至る。
聖書を精読すればそうした意見は通じないぜよ、と仰られるかもしれないのであることは承知の上です。しかしながら、神を具体的に思い描くことは、その時点で神を限定し、その全能性を否定することへと帰着す、と申し上げれば宜しいのかもしれません。その点に関するキリスト教徒の方たちの意見を見聞致した経験はある。神がこの世で実際に天の上に座しておられるはずはない、従って神の存在なんてインチキだ、すなわち宗教そのものが只の夢想に過ぎないやい!と放言するのは実に簡単でありましょう。けれども、それは非常に想像力に乏しく、精神的にも小学生レベルの戯言と思われる。また神の存在を科学的に証明してみろ、というのも同じようなようなもので、科学が絶対であることの証明が可能でなければ、その弁は崩壊せざるを得んのです。神の絶対性は科学の絶対性と同じくらいに明証不可能であれば、最も極限的なハナシを致しますと、畢竟神というの名の精神的享受物を獲得するか、または科学という名の物質的享受物を獲得するか、の二者択一でありまして、すなわち、宗教を精神的な面から重要視したエドマンド・バークに接近するか、宗教を嫌悪し「宗教は阿片である」と断言したマルクスに接近するか、の二つに一つ。然れば、私はバークに寄り添いたい。

2008年08月30日

2008年08月30日 おかしい!おかしい!

東海、関東豪雨 2人死傷3人不明 ゲリラ雨 連日夜襲


日本各地に豪雨が襲来しておる。被害多数。台風シーズン目前において…
然るにコチラは例年の如し。


厚労省が渇水対策本部設置=四国の水不足深刻化


四国で育った私ですが、よく解せぬ。私の実家周辺にあっては、かつて深刻な水不足に陥ったのは一度しかあらぬ。しかもその年は全国的に不足が懸念されたのでありますから、コレは致し方ない。だが、果たして早明浦ダムは毎年の如く枯れ果てておる。阿呆か。毎年「ああ、水が無くなるぅーーー」と嘆いているだけで、一向にまともな解決策の提示されないコトされないコト、甚だしい。ソレでいて節水、断水。嗚呼嗚呼嗚呼。笑止。実におかしな地域であります。──さりげなく新しきダムが建造されておるようですが… 香川は地政的に芳しくないのであろうか。他の地域は水ありまっせ。う〜ん、おかしい!


まげ結わない朝青写真集に“物言い”
朝青龍、写真集でポニーテール姿…再発防止検討委員会で問題視


発売前に朝青龍の写真集を入手したやく委員が問題にしたのは、朝青龍がモンゴルで民族衣装に身を包み、ポニーテールのような髪形で撮影された一枚だ。写真家の野村誠一氏が撮影した。「髪の毛をおろしてまさに、蒼き狼という姿で写っていますがいかがなものか」と物言いをつけた。…(中略)…「そのドアタマに来るのが服装。それなのに写真集で横綱が力士たる姿で写っていない」とやく委員。 【スポーツ報知より】


やくは己に髪の毛が不足しておる故に、長髪たる力士への嫉妬心が凄まじい。ソレが歪み果てて、「服装」などと誤魔化す。ハッキリと「こんな風に男が長髪をなびかせるのは不愉快だ」と申せば宜しいものを… 斯様な“いちゃもん”を付けるので精一杯なのであります。コレ、すなわち只の「ルサンチマン」である。そもそもやくみつるは、自身が齢五〇を目前にしながら、金髪であるコトを如何に説明する。そのような身なりであって他人の「服装」を云々するとは! こうした点からも洞察され得る如く、やくみつるなる生物は精神的に粗野で野蛮なトコロが存す。その存在自体が曖昧でしかないんです。そうでなければ「やく(約)みつる」などというハッキリせぬ名前を名乗るはずがなかろう。
朝青龍とて横暴なトコロがあるが、ソレを批難する内館の婆さんに致しましても、自称漫画家で代表作不明のやくにしても、果たして彼らに批判をする“資格”が備わっておるのか否かと疑いたくなるってモンだ。類は友を呼ぶ……か。う〜ん、おかしい!

2008年08月28日

2008年08月28日 地球に優しき夏の涼しさ

地球に優しき夏の涼しさ。


とまで記せば、もう嬉しくなってきたので、ここで擱筆す。

2008年08月25日

2008年08月25日 不可解なり!野球

北京五輪も幕を閉じたワケでして、さぁ、これから再び<残酷と非道の中国>へと世界の目は復帰致し、愈々危機を迎えるのであろうか──日中関係、中台関係、日台関係。そこに交わり来るインド及びASEAN諸国…


結局オリンピックの種目はソフトの決勝とバスケの決勝、そして愉快な星野JAPANの試合を見るとはなしに見た。これ程複数の種目をハッキリとテレビ観戦したのは最初の出来事なのですから、アレだ、暇潰し以上のモノではあり得た。特にバスケの決勝戦、アメリカ対スペインは誠に白熱した模様でございまして、「SLAM DUNK」以上の世界だったに違いない。やはり最後は“王国”アメリカが力で押し切るのだけども、スペインの食らい付きも相当なモノで、「おやおや、コレは最後には勝つんじゃないか!?」と思わせる場面が幾度も存したのです。特に後半の両チームによる3Pの応酬は愉快千万な内容。しかし、それでもスペインに逆転を許さなかったアメリカは見事なモノで、聞くトコロによると、何年も前から本気で金メダルを狙ったチーム編成を致しておったとのコト。そうでなけりゃあねぇ。星野JAPANにもこの辺の事情を聞かせてやった方が宜しいのではありますまいか。
ソレに星野氏は往生際が悪い。「責任はオレに有り」とか何とか宣告しておきながら、

−−力の差は感じたか
 星野「差はないと思っている」

などと強がりを申し上げる。【参照リンク:それでも「日本は弱くない」…星野ジャパン会見、一問一答
ケンカをしでかした後の子供の如き弁であって、真摯に実感したトコロのチーム力の差について言及するのが、指揮官として、また長年野球に携わってきたモノの役目だと思うのですが…(仮に技術に差がなくとも、野球はチームプレイでしょうに。此の度のチームは、集団としての力が不足しておったと認めてみれば良い。)
そもそも野球とは何であるのか。私にはよく解せぬ点がある。いったい何処の国と何処の国では人気があり、何故にヨーロッパでは顧みられないのか(ロンドンには野球場が存在せぬから、五輪種目から外されたのではないかしらん、とすら思えてきます。五輪のためにスタジアムを建造しましても、ありゃ、その後の汎用性が低い、ゼロと申し上げても良い)、如何なる理由で国際試合における使用球と国内におけるソレが異なるのか、またストライクゾーンの違いとやらも不可解の極みでございまして、規準が統一されぬ段階にありながら、ソレへの対応も未熟なまま悠々と北京へと赴き、よくもまぁのうのうと「金メダル獲得」を放言できたモノであるよと思わずにはおられません。
元来、米国から運び込まれて来ったモノであったれば、規準はやはり日本にはないのであって、勝手に変な範疇を設けて、井の中の蛙状態にありながら、国際試合へと参上してみたコトの無理が五輪において露呈したと考えるのが筋というモノではないでしょうか。WBCなるモノも結局は国際試合での規準で開催されるのでしたら、日本もそちらに合流すれば良い。魂を売るワケではないのだから。そうであってこそ、プレイする側も見る側も共に違和感を解消できるのでして、外国を相手にする以上、最低限の共通事項が整っておらなくてはいけない。ボールや審判の規準などはその最低限の部類に属するモノで、ソレを了解した上で日本独自の戦術を駆使しまして、世界と戦えば良いのであります。
柔道の如く勝手に他国にルールを改変(改悪)させられるといった事態ではない故に、その辺の規準に関しては日本がもう少し柔軟な対応を心掛けた方が良い、斯様に思慮するのです。
最後に。星野氏に一言申し上げてみたいのは、確かに勝負の世界は強いものが必ず勝つのではありませぬ。強者であっても敗退する時がある。しかしながら、たった一つ明確であろうコト、すなわち弱者は絶対的に敗北を喫す。弱者が最後まで生きながらえるが如き現象はあり得ぬ。──4勝5敗の負け越し。この成績を前に尚も強者であると見栄を張るか。「孤立した傲慢な思考は白痴に終わる。」(G.K.チェスタトン『正統とは何か』より)

2008年08月22日

2008年08月22日 夏のこと

今夏は昨夏と比すれば、暑さの強烈具合においては劣る。即ち涼しいとすら思えるのであった。季節の悪戯、ココに極まれり…云々。駄弁。
フレーミング・リップスを今まで勝手なイメージで以て避けておったのですけれども、思い切って聴いてみるに、存分に聴き易く、想像の外の展開に成り果てている。もっとサイケデリックで陰鬱なヒトたちかとイメージを逞しゅうしていたにも関わらず、かなり捻くれてはいますが、愉快・爽快なミュージックでございます…云々。駄弁。
五輪を見る機会を持たぬと申しました私でも、昨日のソフトボールは幸い見るコトができたのですから宜しい。初めてしっかりとソフトボールの試合を見たのでしたが、相当に面白いではありませんか! 「ジャンクスポーツ」でのみお目にかかっていた前監督宇津木さんの解説も熱情の籠ったモノで、解説者としてあの様な雰囲気であったというのは、監督としてグラウンドに出ておった時は、さぞかし評判通りの“熱血漢”であったろうと想像致します。御目出度う御座居ます。
そして其の翌日に完敗した星野JAPANとやらは…云々。駄弁。

2008年08月15日

2008年08月15日 −3でも生存可能

率直に申し上げると私はあまり泳げぬ。北島康介の水泳力を100であると致せば、私は−3に相当する。そもそも私は小学生の頃からプールなるモノに多大なる嫌悪感を示しておりました。アレは汚らわしい。実に実に実に汚らわしい。不浄! 誰が小便・大便を排泄していますかも分からぬままに、何人が唾液を吐きまくっていますかも分からぬままに、飛び込む。強制的に飛び込みを要求される。腹打ち!! 体育教師の低能!今に始まらず。学校の厄介者。日教組的悪魔の群れ…
ビート板、嗚呼、雑菌の隠れ家よ。プール底の滑り、嗚呼、雑菌の溜り場よ。プール周辺のトイレ、嗚呼、何たる臭い。
市民プールともなれば、ソレはもはや地雷地帯であると断言しても宜しくて、如何なる病原菌が水中に徘徊していますかは最早顕微鏡の世界でのみ判明可能であった。
海はより嫌いでございました。海水浴、ソレは終末処理場に飛び込むも同然。而して砂の付着、落しても落しても払いのけても払いのけても尚付着してくる砂の無限連鎖。加うるに海の家の衛生状態は基本的に信用ならぬのでした。そうしてソコに存するシャワールームの実に醜きコト、言語を絶し、常軌を逸しているであろう。壮絶な、壮絶な自暴自棄にでも陥らぬ限り、または生か死かの選択を迫られる機会が訪れない限り、海水に接するなどというのは、狂気の沙汰としか受け取れぬではございませんか。


水泳力が−3である私でも、生きながらえるコトはできる。ソコには簡明な事実が横たわるのみ。すなわち用もありませんのに川、池、海に近付かぬコトです。貨幣を消費してまでプールに赴かぬのは言わずもがな。畢竟、水泳などは大して要らん。水泳やむなしとなり果てるが如き危急の秋は、もはや覚悟して死を選ぶってのも、一つの生き方ではありますまいか。斯様な時は大抵のモノが溺死する。毎日報道される水の事故の例を引出して来るまでもないコトよ。危険地帯には近寄らぬが賢明でした。触らぬ神に祟りなし、の最も身近な例。

2008年08月11日

2008年08月11日 いつの間にか五輪

オリンピックだと云う。ワールド・ワイドな盛り上がりでありましょうか。
思うに、私は未だかつてオリンピックをまともに見たコトがないのであった。同様にしてプロ野球の試合もJリーグの試合もまともに見たコトがないんです。サッカーのワールド・カップの試合は幾つか始まりから終わりまでまともに見ておりますけれども、ソレも二、三に留まる。而してオリンピックともなると、柔道にしろ水泳にしろ陸上にしろ諸々の球技にしろ、果ては開会式から閉会式に至るまで、どれも結果をニュースで見るくらいに他ならず、生中継でハッキリと見た記憶がございませぬ。今回のオリンピックとて、ニュースで何とかという男女の柔道選手が夫々金メダルと銅メダルを獲得致しましたコトと、水泳の北島選手が連覇したってな情報、またはサッカーの敗退についてのコトなどを知った程度ですから、やはり生でまともに目撃はしていない。
わざと見ていないのではない。気付けば各選手がメダルを獲っているのであって、私の感知せぬうちに世の中が流れていっているかの如き有り様。
一方、しかし、冬季五輪は結構見ている。ソレは普段あまり目にすることなき、“奇妙な”競技が数多御覧になれるからなのです。この時ばかりは自分で放送時間を調べて見るくらいであるのだけれども、他方の夏期五輪は馴染み深い競技の多いため、あまり意識するコトはない。どうやら私はよく知っている競技にはあまり喰い付かぬようであった。そうして、いつの間にか閉会式になっておるのです。


斯かる具合であるから、およそ此の度の北京五輪にしても、何時何所で如何なる種目が開催されておるのか皆目検討が付かぬ。こうした事態にあって小倉サンならばウィッグもぶっ飛ぶ大惨事であるのかもしれませんけれども、私はウィッグを付けていないので、とりあえずぶっ飛びそうにはないのです。

2008年08月10日

2008年08月10日 セミからの教訓

セミの共鳴。喧噪。
今更申し上げるまでもないが、セミは凄まじい。約七年ほどの期間、地下に潜伏致しておきながら、突如としてタイミングを窺って地上へと這い上がり、脱皮した後は木から木へと飛び回っては鳴き、鳴き回っては飛びの生活を送った後、数週間で死すのです。よくよく思考してみたならば、この昆虫は阿呆だ。地上にさえ出てこなければ良いものを、わざわざ這い上がり、木によじ登り、ソコに抜け殻を遺棄して旅立つ。──死への飛行。12泊13日程度の自殺旅行でしかございません。彼は大層な野心家なるか。俺がセミならずっと地中で安息の生活を送るぜ。セミの地上への登場はハイリスク・ノーリタンでしかあるまい。己の寿命を削ってまで何故現れるのです。出たがりか? 通常一ヶ月ほどで命を失う昆虫の中におかれまして、彼奴は数年もの寿命を付与されるにもかかわらず、土の奥深くにおればより長期間生きながらえるコトができたものを、突如としてその安逸を放擲しまして、変身致したかと思えば、すぐ死ぬ。もう死ぬ。喧噪だけを残して。阿呆だ。これほど己の命をムダに使う阿呆も滅多におらぬ。ロクでもない親不孝モノでございました。親の英才教育を受けまして東大を主席で卒業するという運命を手にしたにも関わらず、大学卒業後はジンバブエの奥地で自給自足の生活を営むと言い出すくらいの戯けです。
結論と致しまして、セミから学べるコトと言いますと、人生、ムリしてもロクなコトはないぜってな教訓。要するに我々はセミを引き蘢りの味方として見るべきであって、野心的な起業家へのアンチテーゼを彼の無謀な生涯の終わりを通じて感受せねばいけない。往々にして冒険は裏目に出るのです。 そうだ!そうだ! 家にいるのが一番! お盆休み? 海外旅行? オリンピック? ノーノー 家で寝ていなさい。──セミは我々に斯かる教訓をご教授するために、今夏も只管喧噪だけを残し、死に行くのでした。

2008年08月08日

2008年08月08日 妙技見参!

あまりに暑い故に、思い切ってどーでもいーTシャツをびしょ濡れの刑に処して、それを身に纏う。而して扇風機の前に座せば、いと涼しき哉。コレは宜しい。誠に芳しい。一気に体温が低下して行きますような感覚であって、なかなかどうして手放せない夏への対抗策でありました。斯かる技を以てすれば、一日中風呂上がり直後に当たる扇風機の風を受けるが如し。ウヒョー!と言っちゃっても知らねーぜ!! もっと早くに気付いておくべきであった。1999年の七月にこの裏技を発見しておれば、私は間もなく「オイオイ!アンゴルモアの大王見つけたぞ!」と絶叫したかもしれぬ。実家の隣のHサン宅に押し入り、「オジサン、アンゴルモアの大王が来たゼー」と歓喜にむせぶ中三の男がいたかもしれぬ。…が、当時は何も到来しなかった。
それにしてもホントーにコレは素晴らしい策でありまして、五輪サッカー代表の反町監督の思いつく如何なる戦法にも匹敵する、而して五輪野球代表のダルビッシュ有が見せる秀麗なる変化球にも劣らぬ妙技ではございませんか! あまりにも嬉々としたので、もう一度冒頭の歓呼を引っ張ってきてやる。


あまりに暑い故に、思い切ってどーでもいーTシャツをびしょ濡れの刑に処して、それを身に纏う。而して扇風機の前に座せば、いと涼しき哉。コレは宜しい。誠に芳しい。一気に体温が低下して行きますような感覚であって、なかなかどうして手放せない夏への対抗策でありました。斯かる技を以てすれば、一日中風呂上がり直後に当たる扇風機の風を受けるが如し。ウヒョー!と言っちゃっても知らねーぜ!!


我ながら・・・

2008年08月07日

2008年08月07日 思考停止に酔いしれて

「愛している」なるセリフほど気持ちわるいモノもございませんで、そもそも「愛している」とは何であるのか──コレがまず以て疑念の種でありますから、とりあえず考えるのであったが、「愛している」すなわち「愛」を「する」のだと考察してみれば、ますます意味が解らなくなって参りますので、日に日に困惑が募り、「愛をする」のイメージ=SEXくらいなモンであって、ソレも十分イカサマなのでございますけれども、しかしながら単純なる連想が斯かるモノでしかないのは、いやはや三文恋愛ドラマの影響大なるか否か存じ上げぬが、ディープキスからのベッドインが「愛をする」であったれば、もはやAVですら「愛している」の表象か! イヤイヤ「愛をする」のは命がけの覚悟であると思慮致しましたら、これまたイメージが変転を遂げまして、成る程勇敢な連想が生ずるのですが、そうなってくると最早性別の問題を超越したトコロにまで持って行かされてしまうのあるから、もーどーでもいー。畢竟「101回目のプロポーズ」に於ける武田鉄矢の路上にての迷惑行為を「愛している」の限りなく過剰な表現であるなどとは当然考えたくないのでして、然ればハナから斯様なセリフに意味を求めてはならぬのではないか、ソレはあくまでも感覚的に、己のロマンティシズムに負うトコロ大であって、具体性を伴わせてはいけません、とでも考えてしまえば楽になりて良いのでした。思考停止に酔いしれて。夏の暑さに身を任せれば、出てくる一節も斯かる低俗なモンでっせ。ハイ、おしまい。

2008年08月06日

2008年08月06日 夏が悪い

夏は悪い。マジで悪いヤツだ。夏場になりますと、夜な夜な街中をヘンなヤツらがウロチョロ致す。闊歩。アイツらはウロチョロしたいからウロチョロするのではなく、暑い故にいてもたってもおられませんで仕方なくウロチョロします。全部夏が悪い。考えれば考えるほど夏は悪い。名前に「夏」が付く夏川純も年齢詐称をしておりましたので実に悪い。しかしソレも彼女が悪いのではなく、「夏」の付く名字が悪い。悪うござんした。「冬川純」なら良かった。秋川雅史は多分良いヒトだ。でないとあんな美声であるワケがない。「夏川雅史」でありましたならば、きっと長渕剛みたいなしゃがれ声で「私のお腹の上で 出さないでください」レベルの品のない卑猥な歌詞を絶叫しておったことだろう。夏川りみは「夏」のくせに美声だが、別のトコロに問題が生じている。とことん「夏」が悪い。三波春夫は「春」だから国民的な歌手として活躍できたのです。「三波夏夫」なら覚醒剤に窃盗、強姦、放火殺人を犯しておった可能性すら存する。夏は呪う。夏に怪談話が溢れ返るのが何よりもの詐称ではありますまいか。夏目漱石も「冬目漱石」であったれば『明暗』を書き上げることが出来たであろうし、胃の病にも冒されずに済んだ。夏は蝕む。夏目漱石は「夏目」でありましたばかりに精神の病にも冒された。同様の例は夏目雅子の白血病に見て取るコトができるのでした。「秋目雅子」ならば…と思えば思うほど、夏が呪わしくなってきて、いてもたってもおられませんから、コレからちょっとばかり街中をウロチョロして参りましょう。なんせ 夏 でございましてねぇ…

2008年08月02日

2008年08月02日 フーフフ フーフ♪

今週の月〜木曜日までBSで放送されておりました「とことん!ルパン三世」なる番組は誠に素晴らしい出来映えでありました。毎日でも放送して頂きたく存じ上げる。毎日でも鑑賞するつもりである。ルパンは最高だ。広辞苑も「最高」の欄に「(例) ルパン三世」と記し上げちゃいなよ。ウンウン、ルパン三世専門チャンネルとか作っちゃいなよ。
私に時間と金銭の余裕があったれば、2年くらいは引き蘢ってルパン三世のアニメ・劇場版・テレビSPの映像を眺めておれる自信がございます。「ルパぁ〜ン、三世ぇ」ってな山田サンの声が離れなくなっている。本を読んでおりますと、いつの間やらアタマの中でルパンの声が響き渡り、ルパン風に読み上げるのであった。声こそ出さぬが。脳内音読。


高校野球が開幕したんだなぁ。
テーマ曲が好き。フーフフ フーフ フッフッフッフッフッフ フーフッフッフーフ フッフッフッフ フウフフーフ♪ 多分斯様な具合であった。歌詞は知らん。──高校野球に良い思い出はない。


暑いなぁ。そろそろ終戦記念日でございまして、この季節になると比較的読み易いノンフィクション系の戦争を扱った本を読みたくなるのでした。保阪さん辺りの書き方が一番芳しき哉。専門書、研究書とまではいかない程度のモノを黙読す。夏の暑さに難解な本は堪えまして、而してノンフィクションの面白いコト面白いコト。フーフフ フーフ フッフッフッフッフッフ フーフッフッフーフ フッフッフッフ フウフフーフ♪ 多分、斯様な感じだ♪

2008年07月31日

2008年07月31日 社会のオモテ面を知らねば!

溢れ返る空論。
俺は知らぬ。そうだ、知らぬのだ!
「社会のオモテ面」を。
社会に入りてこそ知れるモノがありましょう。
「働くおっさん劇場」に出演しておった野見サンの言葉が重く響く。
「社会のオモテ面」を知らぬモノは、所詮何を申し上げても、ソレ即ち虚妄なり。


ぬぬぬぬ〜
社会のオモテ面、社会のオモテ面、社会のオモテ面、社会のオモテ面・・・
…そもそも「社会」って何やねん。定義付けが超難解やがな。

2008年07月22日

2008年07月22日 周囲、微熱

暑い。暑い。暑い。何遍言い立てても平穏にはならず。不快度が、不快指数が、上昇致すだけなのです。おっ、今年の7月は涼しいな、と思っておりました。上旬には。ソレが何じゃ、中旬から例年の如き活気を呈して参りまして、気温33℃、34℃、35℃挙げ句には36℃、37℃、あああああー、チクショー 微熱かよ!


どうも近頃は惰性でこのブログを継続しておるような具合であって、ゲスな文字列ばかりを入力致していますコトには、やや罪悪感を抱かぬでもない。バンドだとコレはもう末期だよ。あと一枚アルバム出して解散、そのアルバムも統一感を欠くってな有様。嗚呼、面目ねぇ。曰く音楽性の違い、新たな一歩、それぞれの道・・・なんじゃそりゃ。
このブログも末期かしらん。そろそろ環境を変えた方が賢明でございましょうか。自問自答ならぬ独り言。…思えば、ブログなんてのは孤独なネット上での癒しを欲するモノの壮大な独り言だ。Twitterの如きモノが普及して来ました今、わざわざブログなどで長々と文章を綴り上げておるよりは、一文、一言、一行ずつ思い立つや否や吐き出して行くようなやり方の方が好都合なのかもしれぬ。
ちょっと、このサイトの処遇も含めて、再考せねばならないのかもしれない。
糞だ


中村一義の「ショートホープ」、素晴らしい歌詞だ。
「weezerごっこ」をしていたら出来た曲だと説明していたのを覚えている。


中村一義 「ショートホープ」


「つまらねぇ」。そんな気分に呑まれちゃって、
つまんねぇヤローになんないで。


「変わらねぇ」。そればっか、まだ言うだけで、
君も変わらないんだねぇ。まぁ、こっち向いて、


あれがダメだ、これがダメだ、ばっかだったら、もうホント、
オレの全て、今の全て、カラッポさ。

2008年07月18日

2008年07月18日 良き涙悪しき涙

涙は美しいのか。
そういえば確かにそうかもしれぬ。ナベツネに涙は不適合でしかありません。その時、涙の尊さを見る。ソレは純粋の実体化。端的なる感情の標識。
例えば、高校野球や高校バレーや高校サッカーにあっては、負ければ終わりの強迫観念的なモノが背後に取り憑いていますので、彼らは死に物狂いと化す。そうして敗退の暁には涙が落ちる。一種の美学としての敗北。斯かるモノをプロに求めんとするのは不可能でございましょう。ソレもソノはず。そもそもプロは一年を通してやり抜かねばならないワケでありまして、一試合毎に泣いてはおられん。そのようなプロはイヤなんです。
プロ野球選手・プロサッカー選手、彼らが毎試合、敗北を喫した方のモノが落涙しているのを想像するのは無気味に過ぎる。最初の方は試合が終わる度に泣く大人を見るのは愉快かもしれません。が、すぐに飽きる、コレは必定。「また泣いてんのか」と否応無く思う。その時、涙は邪魔者です。涙は時と場合を弁えろ! テレビ中継の解説者もイヤになりましょう。最初の方は「おっ! ○○選手、今日はイイ泣きっぷりです!」とでも述べられますけど、ソレが連日連夜続けば、申し上げる言葉も失い、萎える。
普段泣かぬモノが泣くから、その涙に価値が出てくるのです。泣いてばかりでは嫌気がさす。当たり前のコトを言った。世の中、美しいモノでも連日眺めていましたら飽きが到来致す。「美人は三日で飽きる」 納得。しかし相も変わらず私は付け加えたいのです。「美人は三日で飽きる? そうか。でもな、ブサイクは見た瞬間にイヤになるんだぜ!」 別の意味での涙、頬を伝う。

2008年07月17日

2008年07月17日 夏、お前、負けたな!

朝青龍いけないなー、と思うのです。なんだ もうピーク過ぎたのかってのは早合点であって頂きたい。相撲がダサイ。二年くらい前にあっては、より猛々しくもあり、渋みもあり、溌溂とし、健康優良児。


精神的に寛容でない時期であるというのは了承済みなのでしたが、やはり文句を差しのべようと大胆な振る舞いに出る対象は“夏”の名を冠する小悪魔へと向けられます。来週はお馴染みルパン3世テレビSPの新作だぜぃ。最初で最後のテレビ放映。一年に一度の機会に賭ける製作集団。夏の到来を意味しておる。TBS「愛の劇場」に於いては、コチラも恒例の「大好き!五つ子」が始まっているようだ。結構見ているけどさ、全然「大好き!」ではないんだぜぃ。はっけよ〜い のこった! の「はっけよ」くらいで立ち上がろうとするくらい憎たらしいドラマであると存じ上げます。しかしながら、だが、とりあえず“のんちゃん”だけは頂戴な。


髪の毛が伸びてくる、伸びてきた。伸びてこなくても良いのに。嫌がらせだぜぃ。髪を切りに行くのが、ボロボロと崩れ落ちるアップルパイの皮と同じくらいにイヤ、髪を切りに行くのが、パラパラと滴り落ちるドーナツに付着されておる粉砂糖みたいなヤツと同じくらいにイヤ、髪を切りに行くのが、夏の高気温と同じくらいにイヤ!! グッバイ、梅雨!
何年ぶりかに床屋に行ってみようかしらん。気分的に床屋の方がバッサリ切って頂けるのではないか、との期待。美容師サンは、ちょっと全体のバランスを考え過ぎて守りに入りがちのような感触がございます。対する床屋のオッサンは、「短く頼む!」と申せば、「ハイよ!」ってなノリでガッツリ切り刻んでくれるのではないか。…とはいえ、近所には如何なる謂か、美容室ばかりが立ち並ぶ。理容室も存するにはありますが、古ぼけた小屋の如き建物で、爺さんが単独行動で営んでいらっしゃいます雰囲気、やや危険、「いちげんさん、おことわり」の相を呈している。気のせいだろうか…
“1000円床屋”的なモノ、目と鼻の先にでもあれば良い、が、あらぬ。嗚呼、10分1000円でそれなりにサックリと対処してくれるサービス精神旺盛(考えようによっては、最大級の客冒涜!?)なトコロに、今、執筆者は逃げ込みたいのです。
いずれ切ってやる。7月の終わりから8月にかけて。ざまぁみやがれぃ、髪、伸びてきた髪。

2008年07月13日

2008年07月13日 アンチテーゼ猛暑

小学生の時だったかなぁ。世界地図などと睨めっこをしていましたら自ずと外国の地名も覚えてくるようになるので、そうした知識の微々たる蓄積によって、私は「万国共通」を「バンコク共通」のコトだと勘違いしておりまして、「ん〜? なんでタイ基準でモノを語るんだ?」と思っておった。「バンコク」知りて「万国」知らず。あの時分の自分の方がよほどボーダレスであった、よほどコスモポリタニズムを信奉致してあった、或いは潜在的にアナルコ・キャピタリズム的性質であった、のかもしれん。ウフフフ、フランクフルト学派が悪くてオーストリア学派は良かった。そんな戯言を言いながら、・・・アラッ、お相撲が始まった。だからワーイワーイ。

2008年07月08日

2008年07月08日 ショッキングイメージ

秋葉原の事件以来、ダガーナイフが規制の方向へと進んでおりますってな報道を受けて、「ナイフを完全に規制するなんてコトはムリだっぺ。今はネットで色んな種類のナイフが購入致せるのですぅ〜」と思って、ちょっくら探索してみておりましたところ、このような画像を発見して、なんじゃコリャと思うのであった。何を意図しとるんでごわしょう。こんな格好でナイフを持っているヤツを初めて鑑賞したのですが、またナイフの規模が途方も無くワールドワイドなのも不気味。こんな風でございまいして、果たしてナイフの絶妙なる宣伝になると誰が考えるでございましょう。微熱があったにしては冒険し過ぎな魅せ方でありますし、他方で平熱にしては地平が逆転致しておるではないか。斯様なモノを“シュール”と定義するのでしたら、野菜サラダの天ぷらや短いハイソックスをもシュールで。
如何様に熟慮してみても、まずは自明の事柄として、こうした巨大なナイフを持参して街中を闊歩する度胸、ソレは決して認可され得ない。条例に触れる。警官の気も狂れる。しかしながら、よりマズイのは上掲の写真にあるが如き女の衣裳だけでも十分に警官の気に狂れそうだってコトです。
何はともあれ快・不快を壮大に齎すほど踏み込んだ第一印象の提供は避けるに越したコトがない。忖度、コレ重要あるね。


※何故にか当ブログの過去ログが一部消えておりまして、閲覧できなかったようでございますが、一応復旧させました。しばらくの間消えていましたようですから、Googleのような検索エンジンからも当ブログの情報が抹殺されたみたい。ソレはソレで或る意味良かったのかもしれないのだが。だが…

2008年07月05日

2008年07月05日 夏の風物詩’08

LEE 30倍さあ、今年もやってきました! この季節です。
LEE30倍(+15倍=45倍)です。今年は例年よりも5倍増しの<45倍>! 私の中では、コレこそが「夏の風物詩」といえるものです。


たまに冬になっても売れ残ってる時がありますが、基本的には、夏季限定商品。


普通のインスタントカレーは「辛口」でも「中辛」くらいの辛さしかないからイヤだ。
そんな中、このLEE30倍こそ真の辛口カレー。オンリーワン。


昨年までは唐辛子を丸ごと一つ投入してたりしたものですが、豈図らんや、ソレはさほど意味をなしておらず…、どうも曖昧路線だった故にか、今夏は原点回帰?
マッシュルームを排し純粋なるビーフカレーへ。味は昨年よりも良くなった気が致す。ビーフカレーの旨味を生かし切れているのではないかい。


で、辛さの方は増強ソースが15倍になるなどしてアップ・・・と思ってたんだけど、アレ? 昨年と同じレベルじゃ!?・・
気のせいか?
いーや、絶対同じくらいじゃ!
5倍くらいの差じゃ大した差異を実感致しかねます。思い切って“25倍”くらいの増強を試みて55倍にしては如何かしら、グリコさん。


・・・まぁ、それでも、他のインスタントカレーよりは、何倍も辛さを楽しめるから良いです。
今年の夏もこのカレーにお世話になりそう。
夏は大嫌いだけど、辛いものは好き。
だからLEEも大好き。
でもやっぱり夏は大嫌い。ぴゅーんって飛んでいけば良いのに。


【二年前の初夏に記し上げたLEE30倍の感想文章(06LEE30倍の感想)があまりにアホ、稚拙、愚の骨頂、大根足ガールでしたので、今回のモノは敢えてソレの自己パロディーへと踏み切らせて頂いたのです! 参考リンク:夏の風物詩

2008年07月04日

2008年07月04日 93.2度だからねぇ…

スポーツをしているヒトが、ミスをした後に無表情で冷めた具合であって、何事も無かったかの如く振る舞い、気持ちを切り替えようとしている時の表情が好きなのであるから致し方ない。この際いっそのコト映像化して頂きたく存じ上げます。「ミスを何事もなかったかのような表情で取り繕おうとする人々」ってな邦題で。DVD、定価1800円なら一つだけ購入する…そのうち。9.1chで鑑賞しましょうぜ。スピーカーこそ所持しておらぬが。無きモノが設置されてある気になって、四方八方から音が雷鳴するが如く…


それにしても暑いのです。昨日などは最高気温が華氏93.2度までも上昇しまして、本年度に突入して以後初めて本格的にエアコンを稼働させるなどという大胆で破廉恥な始末。嗚呼。而して今日も同等の気温の上り方。なんと下品な! 登山家の片隅にもおけぬヤツめ! 馬鹿の一つ覚えのように。あまりの暑さに初めて「Oh,My God!」と呟いてしまいました。アメリカ英語ではあらず、イギリス英語寄りの発音で「Oh,My God!」──わざと“My”の部分を強調して、自己主張を肯定。なぜなら、民主主義の世の中だから。個性個性と力説される世の中にありつつ、然るに社会は強烈な個性の登場に驚異を覚え、ソレらを暗殺するか徹底的に否認するという嫉妬心を抑制した偽善的正義心に満ち溢れておる。強烈な英雄不在の時代、ソレは社会のせい。個性と裏面で敵対する平等謳歌の時代。平等は魔の思想。Oh,My God! 平等こそ真っ先に差別されんことを。Oh,My God! ユートピアはもう目前だな。


…今日は気狂いじみたイイ文章を綴り上げるコトができました。これ以後もずっと斯様なモノが描ければ良いのであるけれども、ソレは不幸な間が継続するか否かによる。ああ、当分の間は不幸そうだから良いかもしらん。思えば高校生以降今日に至るまでの七、八年は相も変わらず不幸の連鎖でございまして、問題はソレの微妙な波動。そうして畢竟不幸が幸福に転換していますので、幸福は窮極的に不幸でしかない、逆説的に申せば。・・・「逆説的」の意味が解せんが。

2008年07月02日

2008年07月02日 冬来たりなば春遠からじ!?

人生、賭けてみようと思うのです。
ハナからオレは<安定>という天使から相手にされてないみたいだから。

2008年06月20日

2008年06月20日 湿度のせいで…


2008年06月19日

2008年06月19日 決定!

× 「2回目のランニングホームランは誤審」
× 「イカの薫製ダンス」
× 「愛憎と昼間のコロッセウム」
× 「常にチェック柄の男」
× 「姉さん、止めてよ姉さん! それはスズメノカタビラだよ」
○ 「野菜不足の少女は可憐なのに虫歯だらけ」
× 「暁のマスク女、ペットは九官鳥」
△ 「下総の美人妻の大義名分」
× 「Times New Roman」
× 「帰化した気せぇへんなぁ の巻き」
× 「キリシタン大名の合コン密着」
× 「流し髪の回想録〜銚子マドレーヌ編〜」

2008年06月16日

2008年06月16日 食材は食べるコト以外にも使われる

バラエティ番組において、例えば牛乳を頭からぶっかけたりするようなコトをしておるのに対して、「食べ物を粗末にするな!」って絶叫する輩の胸中が解せぬ。彼らは言います。「世の中には食糧難で云々」
パッ! 出た! 恐るべき偏屈な論理、途方もない相対主義の嵐。ソレを言い出せばあらゆるコトに決着がつかなくなるコトを想像できないバカがおる。──食糧難の問題を持ち出してくるのであれば、徹底的にやらねばならない。世界情勢でっせ。コノ追求は果てしない迷宮と混沌、政治・宗教・文化等々に内包される狭間に落ち込むコトになりまして、やってみれば分かるが、ソレは究極的にバラエティ番組と食材の関連性を遥かに超えた問答へと至ってしまうのです。而してアノ国では食べ物が無いから…などというのは、どこかに解消されてしまう。加えるに、そもそもアンタ等、普段は貧しい国に対して何かしているのかい? そういう時だけ万能薬の如く貧国を例に持ち出す偽善的な正義!? そうして、また、彼らの言い分に従えば、この点こそ最も愚劣なのですが、万が一