2008年11月16日 面従腹背
朝っぱらから久々にマイルス・デイヴィスなどを聞いていますと、そのトランペットの音律に誘われて妙な哀愁感を身に纏ってしまうのですから、まったくもって不思議なものだと思います。
──マイルスの遺作となった「Doo-Bop」に、復帰後第一作「The Man With The Horn」
前者はヒッポホップという当時の先端ミュージックとの融合を大胆にも企てた一作。後者はマイルスが最も刺激的だった「Bitches Brew」以降、一段落した時期に発表された一作。前者は何度聴いても曖昧な印象だけしか抱けないのに対し、後者に関してはとても音が分かりやすい分、すんなりと入ってゆけるような感を覚えるのです。受容しやすい。それはマイルスのトランペットがとても明快で音色に富んでいて、また一種「大衆向け」といった趣きさえあると表現しても良い気がします。ただし、一曲目「Fat Time」のヒリヒリとするような緊張感あるマイルスのトランペットとギター/ベースの混合や、最終曲「Ursula」の妙にタイトな旋律などは「On the Corner」からの異物的な派生状態の如き面白みがあるように思われて、これらの曲に関しては「哀愁感」というよりは「(秘めたる)勇壮感」とでも形容した方が相応しい様な、──まぁ何とも言い辛いのですけど、確かに聴くものを高揚させるナニモノかがあります。コレは確かです。他方で表題曲に関しては、ああ、なんだこのヴォーカルは。これぞ中年の哀愁感か!? 「Fat Time」、「Ursula」というスラムダンクの流川楓的な雰囲気の曲にサンドイッチされるカタチで、中にこうした曲が混入している点が、このアルバムの奇妙な点であり、また捉えようもなく神秘的でありつつ同時にどこかしら世俗的な態様を示す要因になっているのでしょう。
傑作とか名盤とかそういう枠組みでのみ一枚のアルバムを聴くというコトの無意味さ、空虚さ、儚さ、ロクでもなさ、視野の狭窄、単一の価値観に基づく姿勢の愚劣さ、弱い犬ほどよく吠える的な威勢の空回り…… そういった気持ちを抱かないではありませんが、所詮私などは素人、具体的な作品云々についての総体的評価なぞはソノ筋の専門家が発言すれば良いコトで、素人は素人なりに良いと思うモノを、それだけを選択して、また更に吟味して、自らのなかで己が特有の感慨を発酵させれば良いはずです。
一編の連続した物語よりも、単一の事象の方が何かを変えるコトだってあると思います。単体の、ある一点の極めて突出した素晴らしさが、全体としてのトータル性において平均レベル以上には優れているが、しかし決定的なインパクトに欠けるモノをアッサリと追い落とすコトだって珍しくはありません。私はそう思っています。モチロン、総合力として革新的な魅力を備えているモノが最上なのは申すまでもありませんが、かようなモノはそうそう現れはしない。そうであれば、日常的なハナシ、単一の秀逸的なる存在が、凡百の一貫した完結性ある平均物を打ち破るといった事態は何も珍しくはないのです。イヤ、むしろ、世の中の変化とは、往々にして単体の異常な飛躍が漸進的に拡大してゆくトコロから生じるとすらいえるかもしれません。
私にとって「Fat Time」、「Ursula」は、そのような優れた飛翔する単一の実在として数えられるモノなのです。
※意味ありげなタイトルほど実は意味がない。そして・・・意味ありげな文章ほど実は意味がない。
夏の最も暑い盛りになると、このTravisの「The Man Who」というアルバムを聴くようにしている。本作を購入致しましたのが高二の八月十四日若しくは十五日であったろうか。おそらくそうに違いないのです。その時の記憶がダイレクトに継続されたままであって、このアルバムは依然としてかつての<夏の記憶>と親近感を保ち続けております。“アンチ夏”である当方としては、一見不可解なコトであるのだけれども、コレに触れぬまでは夏を実感できないのである。夏への反目に対して夏の受容──その両者の架け橋的存在でありますのが、この「The Man Who」
何時かの梅雨、湿度に制圧された環境を恨み、蒸し暑さに耐えつつ、ふとジャズなるモノを聴いてみたくなったのでした。昼過ぎに。ソコでインターネットという文明の利器を駆使し、「ジャズ 入門」であるとか「ジャズ 最初の一枚」とか、斯かるキーワードで検索しておったトコロ、アチラコチラでお見受け致しましたのが、この「Kind Of Blue」であった。
暑さが漫ろに自己主張を開始した初夏。その虚をついてNine Inch Nailsが、と申し上げるよりもトレント・レズナーが、オフィシャルサイト上でニューアルバム(「The Slip」)をタダで解放致した。
Lou Leedの「Metal Machine Music」
物心ついた時分から暗いモノが好きであった。
吉村潤についてもう一度書こうと思うのです。
逃げ場を持つというコトは弱さの証なるか。
“texas pandaa”というらしいバンドの「Days」というらしいアルバムがイイらしい。「pandaa」となっておるのは、私の入力ミスではなくて、彼らがワザとこういう風に命名したらしい。このアルバム中にて最も素晴らしき哉ってのは、他でもないがジャケットらしい気も致すのでしたが(現に私はジャケットに惹かれて聴いてみた次第であった)、中身も負けず劣らず上質らしい。彼らについては何も存じ上げないらしい私、ヴォーカル(+ギター)とベースが女で、ギターとドラムのモノが男らしい。「男らしい」と申しても、筋骨隆々、肉体美を誇り、いかなる危機にも率先して立ち向かうような類の「男らしい」ではなく、この場合の「男らしい」とは“どうやら性別は男のようだ”という意味での「男らしい」であるのです。
丸山眞男や吉本隆明に騙されるのはイヤですが、エドマンド・バークやRie fuになら騙されてもイイ。屈託がなく「ありのままの強さを教えてくれ」るからである。
WINO[ワイノ]。いつか彼らについては此の場に記録しておきたいと願いながら、無精にも一年と10ヶ月の歳月を見過ごしてきたのであった。
ああ、意味が分からない。というか、そもそも意味などあるのだろうかと考えてしまう、が、そうすることすら無意味であると教えられるような気がする。となると、始めからここは常人が介入不可能な領域であり、我々にとっての明確な意味などは用意されていないということになろう。
rie fuの「ツキアカリ」という曲。
ペリー・ファレルというヒトは不可解だ。おそらく本人はそれなりにマジメにやっているつもりなんだろうけど、私にはこのヒトの“音楽観”のようなモノがまるで見えない。
フランク・ザッパの公式アルバム全部、っていったいどれくらいあるか知らんけれども、とにかく全ての公式アルバムをボックスセットにして出してくれ。勿論一組。小出しはダメよ。値段は十五万でも二十万でも良い、購入するから。借金してでも購入する。そして、それがおそらく私の一生分の音楽になる。
普段「ロック」というものが何であるのかなどとは考えもしないが、もしそういう問いかけがなされるのであれば、それはZeni Gevaのこのアルバム、すなわち「Freedom Bondage」において顕著に表現されているようなものであるといえよう。
最近「UKロック」という言葉が何となく陳腐に思えてならないのであるが、それならば「ブリットポップ」などという言葉はもう腐った魚みたいに悪臭を放つ迷惑千万な存在であっても不思議ではなく、現に腐った魚のような認識がやっとなのである。
春の訪れも差し迫った如月半ば、私は既に春と対面したかのように穏やかな気分で、定期的に迎えるFishmansブームの真っ只中にあります。
fra-foaの1st「宙の淵」
Xiu Xiuは意味の分からんバンドだ。
YouTubeで偶然見つけたSLAM DUNKの映像。そこに流れていたWANDSの「世界が終るまでは…」
17年ぶりの再結成らしいサディスティック・ミカ・バンド(Sadistic Mikaela Band)。
Beckは、それほど聴き込んでいるというわけではないが、とりあえずこのヒトほど「自由人」という言葉が適合するミュージシャンも滅多にいるものではないであろう。まったく不思議なモノである。
the band apartは、前作あたりからCDを通して、楽しんで音楽をやっているのがハッキリと分かるようになってきた。それはこのサードアルバム「alfred and cavity」でも明瞭に伝わってくる。
「狂気」といえば、やはりピンク・フロイドを思い浮かべるヒトが多いのだろうか。私は、ピンク・フロイドの「狂気」はいささか抽象的な意味での「狂気」じゃないか、と思う。もっと分かり易い、直の「狂気」というのであれば、例えば、Suicideや初期のボアダムスなんかが相応しいだろう。
マジカル・パワー・マコは日本におけるCaptain Beefheartである、とは言えないだろうか。
Captain Beefheartというヒトは天才過ぎたのだと思う。
どういうわけか、70年代の「ジャーマンロック」などという部類に分けられるミュージシャンには、ヘンテコな連中が多い。
先日亡くなったシド・バレットの2nd「Barrett」。
江戸アケミはどう見ても変態だと思う。
多くの者が"切なさ"という感情を求めているのかもしれない、と思うときがある。
SWANSの初期のアルバム2枚を収めた2枚組の「Cop/Young God/Greed/Holy Money」。
このアルバムの1曲目にある"Four Enclosed Walls"を聴いた時、私はニヤニヤしながら「なんじゃこりゃ」と思った。
素朴なもの程その奥に潜んでいる潜在的なモノは凄まじい。
テレビでよく見る映像に、重病患者の生への強い意志を捉えたものがある。
FISHMANSのラスト・ライヴを収録したアルバム、「98.12.28 男達の別れ」。
ピーター・アイヴァースの「Terminal Love」。
Rie fuの2ndアルバム「ROSE ALBUM」(先日発売された新曲も良いぞー)。発売されてもう5ヶ月くらいが経過してます。