2008年11月17日

2008年11月17日 出産はSMである

分娩室の写真を見るだけで怖くなるのです。
ただし、ソレは現在の私にとってまったく関係のないコトですが。いえ、正確に申しますと、我が身としては生涯直接の関係を持たない出産という行為が、間接的にではあれ、ソレはソレはとても怖いのです。以下のサイトを御覧になると良い。


分娩室をのぞいてみよう


「病院の一般的分娩室」という欄の「3」と「6」に注目されたい。こんな説明があります。


3.足ひも(足がバタつかないように縛る皮ひも)
6.無影灯(手術室で使うような、照らしたときに影が出ないように工夫された、めちゃめちゃ明るくてまぶしい照明)


コレは完全にSMの世界ではありませんか!? こんなモノ、多少なりともSっ気であるとかMっ気であるとか、そうした趣向のあるモノにとっては間違いなく「プレイ」の次元です。しかも、ソコには陣痛で苦しんでいるヤツがいる。ヒーヒー言っとるんです。ロウも垂らされてないのに、です。彼女はご主人様とその助手(医者と看護士)から「ラマーズ法」などというイヤらしい呼吸法を命令されてスースーハー、スースーハー...... 縛られて、無影灯なる強烈に卑猥なライトで陰部を照らされて、スースーハー、スースーハー...... オラオラ、もっと頑張れよ、と命令するご主人様とその助手。スースーハー、スースーハー......
聞くトコロによると、赤ん坊と一緒に妙なモノが出てはいけないからなどと理由付けして、事前に浣腸もするらしいではありませんか・・・ おまけに剃毛といった処置すら施されるという驚愕すべき実態!──コレをSMといわずして何というのでしょう!


嗚呼、ソコは尋常ならぬほどに怖い場所。
最近は立ち会うダンナが多いそうです。いうまでもなく、男は彼女の苦痛を直に我が身へと引き受けるコトができません。となると、彼女を心配しているにしても、ココロのなかには多少の余裕がある場合だって否定するワケにはいきますまい。すなわち、私が言いたいのはこういうコトなのです。眼前にて契りを交わした女性が浣腸をされてみたり毛を剃られてみたり、はたまた縛られてみたり陰部を強烈なライトで曝されてみたり、あるいは呼吸法を命令されてみたり…… そうした光景を目にしたとき、もしもMっ気のある夫ならば、何らかの興奮の感情が心中を去来し、またはSっ気のある夫ならば、何かイタズラをしてみたいと思うサディストの本能が顔を覗かせてみたり……
コレは恐ろしいコトなのです。おそらく当ブログ始まって以来、最も恐ろしいコトを記しています。私はもはやどうして良いのか分かりません。考えたくもない。この記憶、キレイサッパリ消されておくれ。神様……


そこで男を二分すれば、私はどうなるか? どちらに属すか?──分かり辛いので単刀直入に言いましょう。SかMかという問題。私は間違いなく後者だ。こんなコト、明日世界が終わるとしても考えたくないのですが、もしも出産に立ち会わねばならなくなったとすれば、私は、背中に「M」の十字架を背負って生まれてきた私は、果たしていかなる風体でソコにいれば良いというのでしょうか? 興奮するのか、俺は? それとも自分もこんな風にされてみたいと・・・
ココまで想像して、私はふと背筋が凍る思いに支配された。も、もしかして、私の母親もそんなコトを・・・・


ぐわぁあああああああぁぁぁあああああああ!!!!
世界の終わりですぅぅぅううぅ!!! thee michelle gun elephantはこのコトを歌っていたのかもしれない。World's End Girlfriendというのは、多分出産する女のコトだ。
くそぅ!松嶋菜々子くらいで想像を止めておくべきだった。無駄な想像はヒトを死の淵へと追いやる。

2008年11月16日

2008年11月16日 面従腹背

The Man With The Horn朝っぱらから久々にマイルス・デイヴィスなどを聞いていますと、そのトランペットの音律に誘われて妙な哀愁感を身に纏ってしまうのですから、まったくもって不思議なものだと思います。
──マイルスの遺作となった「Doo-Bop」に、復帰後第一作「The Man With The Horn」
前者はヒッポホップという当時の先端ミュージックとの融合を大胆にも企てた一作。後者はマイルスが最も刺激的だった「Bitches Brew」以降、一段落した時期に発表された一作。前者は何度聴いても曖昧な印象だけしか抱けないのに対し、後者に関してはとても音が分かりやすい分、すんなりと入ってゆけるような感を覚えるのです。受容しやすい。それはマイルスのトランペットがとても明快で音色に富んでいて、また一種「大衆向け」といった趣きさえあると表現しても良い気がします。ただし、一曲目「Fat Time」のヒリヒリとするような緊張感あるマイルスのトランペットとギター/ベースの混合や、最終曲「Ursula」の妙にタイトな旋律などは「On the Corner」からの異物的な派生状態の如き面白みがあるように思われて、これらの曲に関しては「哀愁感」というよりは「(秘めたる)勇壮感」とでも形容した方が相応しい様な、──まぁ何とも言い辛いのですけど、確かに聴くものを高揚させるナニモノかがあります。コレは確かです。他方で表題曲に関しては、ああ、なんだこのヴォーカルは。これぞ中年の哀愁感か!? 「Fat Time」、「Ursula」というスラムダンクの流川楓的な雰囲気の曲にサンドイッチされるカタチで、中にこうした曲が混入している点が、このアルバムの奇妙な点であり、また捉えようもなく神秘的でありつつ同時にどこかしら世俗的な態様を示す要因になっているのでしょう。
傑作とか名盤とかそういう枠組みでのみ一枚のアルバムを聴くというコトの無意味さ、空虚さ、儚さ、ロクでもなさ、視野の狭窄、単一の価値観に基づく姿勢の愚劣さ、弱い犬ほどよく吠える的な威勢の空回り…… そういった気持ちを抱かないではありませんが、所詮私などは素人、具体的な作品云々についての総体的評価なぞはソノ筋の専門家が発言すれば良いコトで、素人は素人なりに良いと思うモノを、それだけを選択して、また更に吟味して、自らのなかで己が特有の感慨を発酵させれば良いはずです。


一編の連続した物語よりも、単一の事象の方が何かを変えるコトだってあると思います。単体の、ある一点の極めて突出した素晴らしさが、全体としてのトータル性において平均レベル以上には優れているが、しかし決定的なインパクトに欠けるモノをアッサリと追い落とすコトだって珍しくはありません。私はそう思っています。モチロン、総合力として革新的な魅力を備えているモノが最上なのは申すまでもありませんが、かようなモノはそうそう現れはしない。そうであれば、日常的なハナシ、単一の秀逸的なる存在が、凡百の一貫した完結性ある平均物を打ち破るといった事態は何も珍しくはないのです。イヤ、むしろ、世の中の変化とは、往々にして単体の異常な飛躍が漸進的に拡大してゆくトコロから生じるとすらいえるかもしれません。
私にとって「Fat Time」、「Ursula」は、そのような優れた飛翔する単一の実在として数えられるモノなのです。


※意味ありげなタイトルほど実は意味がない。そして・・・意味ありげな文章ほど実は意味がない。

2008年11月15日

2008年11月15日 お相撲徒然草

琴光喜は誰かを笑わそうと企んで土俵に上がっているのかもしれません。5日目、6日目の相撲は無様の一言でした。他方、今場所は高見盛が比較的良い相撲を取っています。立ち合いからサッと差せているのが印象的。また、雅山も勝ちっ放しですけど、彼は今場所、なぜか落ちません。最近はすぐにゴテーンと転がっていたのですが。大関昇進のかかる安馬は、相当慎重な取り組みが続いているけど、コレが果たして今後にどのような影響を及ぼすか。一横綱一大関が休場して「狙い目」の場所なだけに、この後は負けられない。把瑠都…小柄な力士を相手にしたときに見せる例の反則的な上手を引きながら、強引に前へ出て行くパターンはどうなんだろう。最近は「おおっ!」じゃなくて「ええっ!?」
十両では玉鷲が良いんです。幕内で負け越したのが良かった、とは6日目の向正面に解説として登場した同部屋の年寄楯山親方(元玉春日)の弁。──玉春日は私と同郷の四国出身力士でした。四国出身の有力力士というのは非常に少ないものだから、彼はある意味で「希望の星」的な感じだった。7〜8年くらい前は土佐ノ海と共に土俵を湧かせたものです。親方としても頑張って頂きたい。
ところで、今場所の東幕下上位には関取経験者がかなり揃っています。彼らはどうなってしまうのだろう。西の幕下では蒼国来や風斧山、隆の山といった外国人力士がそれなりに上位へ付けていて、中でも(稀勢の里の付き人でよく映る)隆の山がイイ感じです。レスリングの選手みたいな体格がやや気がかりですが、十両で見てみたいと思います。山本山とのアンバランス対決・・・・ おっと! お相撲さんを相手にする妄想は時に危険で、時に卑猥です。道は過りたくないものです。

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