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2009年04月29日

2009年04月29日 書くコトなし

今日は特にコレと言って書くべきコトがないので、「書くコトがない」という、その報告だけして終わろうと思います。ナゼ書くコトがないかと申しますと、わたしの生活は流れ作業の如く、終始決められたルートの上を、アレよアレよという具合に進だけのモノに違いないのですから、そりゃ書くべきコトなぞございません。例えば、いきなり家にショベルカーが突っ込んできたとか、冷蔵庫が爆発しただとか、幽体離脱をしただとか、催眠術をかけられて気が付いたら小樽に来ていただとか、豚インフルエンザに感染しただとか、そうした珍しい事件が我が身に降り掛かりますと、コレはもう、いの一番にココに記させてもらいます。ですが、今のトコロそうした事態とは無縁な感じですので、結局中身のない文章になってしまうのです。
とは言いましても、ウソを書くコトなら幾らでもできます。ソッチは得意です。ありもしないコトをさも存在したかの如くに綴り上げる。ソレが許されるのなら、わたしは書きましょう。今朝、電車内にて枝切りばさみを使って吊り革をバッサバッサと切断しているヒトも見ましたし、駅員がそのヒトに対して「切るのは10個以内でお願いします。それ以上は別途にサービス料金が発生します」と発言しているのも聞きましたし、消防署の前に「誤報・イタズラ通報大歓迎」と書かれた横断幕が垂れ下がっているのも見ましたし、ユニクロに入りますと店員が全員全裸だったので事情を聞きますと、その店員曰く「アラッ!? お知りにならないの? 事件当夜草なぎ君はユニクロの服を着ていたのですよ。彼は『こんな安物の服着てられるかー バーカバーカ』と仰って全裸になりましたの。だから、私どももそれを聞いてハッとしましたわ。『そうだ!こんな安い服着てられるか!』と。だから私たち皆全裸ですの」とも言われました。


今日は書くべきコトがコレといってありません。

2009年04月26日

2009年04月26日 給付金の使い道

定額給付金を受け取るとして、その一万二千円をいったい何に遣うかが問題です。幾つか候補を考えてみました。わたしと同じように使い道を悩んでいる方は是非とも参考にして下さい。


使い道1:「母の日」「父の日」を一緒くたにして、両親に何かプレゼント。
使い道2:フツウに生活費に充てる。もしくは地道に貯金。
使い道3:大好きな紅茶、新しいティーポットと茶葉を買う
使い道4:「定額給付金で購入可能」と宣伝されているデジタル家電を買う。
使い道5:本を買う。
使い道6:思いきって募金する。
使い道7:自分では出来そうにないコトを一万二千円で知人にやってもらう。
使い道8:自己開拓の一環として全く興味のない歌舞伎を観に行ってみる。
使い道9:格安ソープにでも行ってみる。
使い道10:銀行へ行き、全額一円玉に両替。その模様をネット上で公開。
使い道11:自分だけが貰ったと思い込んで、これ見よがしに見せびらかす。
使い道12:どーでもいー90年代の中古シングルCD(8cm)を買い占める。
使い道13:一万二千円だけを手にヒッチハイクでどこまで行けるかを検証。
使い道14:超大穴三連単一点買い。
使い道15:どこか目立つ所にできるだけ派手なタトゥーを入れる。
使い道16:燃やす。
使い道17:油で揚げてみる。
使い道18:一万二千円で呼べる有名人を自宅に招き、二人きりで映画鑑賞。
使い道19:“一万三千円”で買い手を探す。
使い道20:友達の一万二千円と自分の一万二千円を交換し合う。

2009年04月25日

2009年04月25日 個人情報の扱い

定額給付金の案内が届きました。本人確認書類であるとか口座確認書類であるとか、そういったモノをコピーして貼付けやがれ!とは、これまた随分と高圧的に出てきましたね、近年稀に見る愚劣政府の野郎ども!
それにしましても、ココにもお決まりのように以下の一文がありました。


「本申請書に記載された個人情報を、定額給付金、子育て応援特別手当の給付に係る事務以外に利用することはありません。」


所謂個人を取り扱う書類には必ずと言って良いほど記されているコノ文句ですけれど、まったく説得力がありません。「利用することはありません。」というその根拠が分からない。書くだけなら詐欺師や窃盗団にだって出来ます。コレを見て、「ああ〜良かった。これで私の個人情報が悪用される心配をしなくて済むわぁ〜」などと思うヒトが果たして存在するでしょうか。むしろこんなコトを書かれてしまうと「むむむむ!? もしかすると何かに利用されたり、データを売買されたりするんじゃないか?」と疑ってみる方がよほど健全というモノです。──定額給付金、その裏の目的は日本人の個人情報を一括して収集し、政府機関が悪意を持って管理するコトかもしれませんよ。
…まぁ、各人に一万二千円を払ってそのようなコトをする必要性があるのかどうかは皆目分かりませんが。というか、そんな面倒な手段を取らなくても、このご時世です。個人情報など意外な場所から意外な手口で流出しまくっているのではないでしょうか。(あと、一方では「個人情報」と言っておけば良いみたいな雰囲気があるのも気持ち悪いもんだと思います。個人情報、個人情報・・・・ハイハイ、とても結構なモノですね。)

2009年04月23日

2009年04月23日 一瞬の出来事

なんてこった! iPodが突然リセットされちまった!
約9500曲が一瞬にしてパーなのです。原因は不明。幸いにも外付けHDDにCDから読み込んだデータを保存しておいたから良かったものの、しかし、元通りにするにはやはり時間がかかってしまうのです。
今までそうであったモノが、ある日いきなりそうでは無くなる。コレほど虚しくて不愉快で心地悪いコトはありません。
チクショウ! こういう時にドラえもんの「タイムふろしき」があればどんなに役立つとお思いですか!?


・・・・あっ!! それだともしかすると組み立てる前のパーツに分解されて「元通り」ってコトになるかも。

2009年04月20日

2009年04月20日 「天恵」を信ず

自分が運やタイミングに恵まれている方かどうかは分かりませんけれども、ささやかながら「天恵」のようななものは信じていたいと思っている方なのです。例えば、ある瞬間にはついていないと痛烈に思うコトがあったとして、しかしながらソレは次に訪れる喜びの前の静けさかもしれないし、自分が良かれと思っていたコトが裏切られても、もしかするとソレは天が「実はソッチに行っちゃうとダメなんだよ」とこっそり手を加えてくれた結果かもしれない、とそう思うようにしていたいのです。
短期的には満たされそうなモノであっても、長期的に見れば苦痛を伴うモノだってあります。誰だって苦痛は極力避けたいでしょう。長期的に物事を見ることはとても難しい。だから、そういう場合に「天恵」といったものを心の隅にでも置いて、イヤな現状はそれほど疎まず、未来のステップアップのために天が与えてくれた猶予期間だとでも思って過ごしておく方がきっと良いに決っている、わたしはそう考えたいのです。(モチロン、突き詰めて考えますと、こうした思考には矛盾が含まれるかもしれません。でも、そもそも何事かを行っている最中にどうしようもないほど思い詰める時点で危険な兆候ではないでしょうか。“あっけらかん”が素敵に思えるように暮らしたいものです。)
わたしは「冬来たりなば春遠からじ」という言葉が大好きでずっと胸の中に据え置いているのですが、これはそういう猶予期間にこそ力を発揮する良い言葉であるように思えてなりません。

2009年04月17日

2009年04月17日 幻のある場所

幻野 幻の野は現出したか 〜'71日本幻野祭 三里塚で祭れとてもインパクトのあるジャケット、外がコレで中が悪いワケないでしょう。「幻野 幻の野は現出したか 〜'71日本幻野祭 三里塚で祭れ」と題されたこのアルバム、概要はおおよそ以下の如しです。
1971年当時、千葉県成田市三里塚では成田空港の建設を巡って地元民による反対運動が展開されていました。その反対運動の一環として8月14日の夜にあるお祭りが執り行われました。ソレこそが他ならぬココに収録されている「日本幻野祭」です。と、コレだけ書けば、どうしてそのようなモノがCD化されているか、皆目分からないでしょう。摩訶不思議とは斯様なコトを言うのでしょうか、ナゼかそのお祭りには一風変わった音楽を得意としているヒトたちが続々と集められたのです。彼らの名を列挙していきますと、高柳昌行ニューディレクション、布谷文夫がいたグループDEW、阿部薫と高木元輝トリオ、竹田和夫のブルース・クリエイション、頭脳警察、そして灰野敬二のロストアラーフ……
まるで奇跡のようで悪夢のようでもある連中が、正に「幻野」の中に颯爽と登場し、壮絶なライブを展開します。まず、冒頭の高柳昌行ニューディレクションのぶっ飛びさ加減が(中でも高柳のギターが凄まじい)いきなり半端ではありません。阿部薫との共演「解体的交感」や「集団投射」で発生したのと同質の爆発を生みます。で、観客の方も何かよく分かりませんが、コレでヒートアップしてしまったのでしょう、会場は罵詈雑言の嵐へと向かうのです。このディスクの中には演奏と同時に客の言い争う音声が「論争」と題されて沢山詰め込まれていて、その辺、Hanatarashのアノ88年のライブアルバムを思い起こさせる部分があります。
その後、“お祭り”は布谷文夫、竹田和夫の怪演で好調に進んで行きます。が、そのすぐ後にこれまたどういうワケでしょう、「盆踊りをやるゼ」という話になり、地元のオバちゃん達もここぞとばかりに登場、陽気な盆踊りの場へと空気が移り変わるのです。コレではもうなんのこっちゃ分かりません。一方では相変わらず客の暴動が続いているのでして… と、皆の気が変になり出した頃に追い打ちをかけるかのように頭脳警察の登場です。「世界革命戦争宣言」「銃をとれ」 世界はとっくに変わっているんですが。そして最後の最後、トドメの一撃、灰野敬二のロストアラーフが参上。いや、惨状。ピアノを交えた即興演奏でもう降参。言葉が出てきません。


──コレほどエグいライブ音源があるでしょうか。正直、コイツにはもうかける(書ける)言葉もありません。高柳昌行や竹田和夫と頭脳警察、灰野敬二らの間に日常的で陽気な盆踊り!? なんなんだコレは。オレはどこを彷徨っている? 今、眼前にあるモノは何だ? 現実なのか幻なのか? …きっとコレは幻に違いない。幻野は確かにソコに存在していたのだ。最高最狂にして最強最悪のライブ音源、こんな時間と場所があったなんて!(追記:ジム・オルークがこのアルバムの推薦文を書いています。ソレだけでもうこの音源の正体が推察されるようではありませんか。)

2009年04月15日

2009年04月15日 朝に子供が泣けば…

引越してからそろそろ一ヶ月が経とうとしているのですが、ココに移ってきてから気付いたコトがあります。ソレは毎日近所の子供が午前中に号泣しているというコトです。「泣く子は育つ」などと申しますが、彼/彼女は些か極端に泣き続けています。アノ子は何に対して涙を流しているのでしょう? もしかしたら午前中にBSで放送しているメジャーリーグの中継でも見て、好きなチームが勝てないから泣いているのかもしれません。
ところで「風が吹けば桶屋が儲かる」と言いますが、「朝に子供が泣けばが清水ミチコが儲かる」とは言えないでしょうか。すなわち、こういう具合です。
朝、子供が泣く→近所の夜勤明けのヒトは皆寝られなくなる→安眠のためにホットミルクを飲むようになる→牛乳の売り上げアップ→牧場経営者=田中義剛の収入が増え、生活に余裕が出てくる→新事業開拓で話題になる→時のヒトである田中義剛が出演している「世界まる見え!テレビ特捜部」の視聴率が急上昇→司会の楠田枝里子の注目度も一気に上昇→楠田枝里子のモノマネをする清水ミチコが引っ張りだこになる
朝に子供がいっぱい泣くとこんな風になってしまうのです。
ああ、ちなみに「風が吹けば桶屋が儲かる」の流れを改めて記しておきますと、およそ次のような展開になっています。風が吹くと砂ぼこりが目に入る→砂ぼこりで失明するヒトが続出→盲目のヒトは三味線を弾いて生活するので三味線の売れ行きがアップ→三味線には猫の皮が必要だから次々に猫が捕獲される→猫が減少すると自ずとネズミが増える→ネズミはすぐに桶を齧って使い物にならなくしてしまう→桶屋の仕事が劇的に増えて桶屋ウハウハ!
どうでしょう、コレを見る限りわたしが申した「朝に子供が泣けばが清水ミチコが儲かる」も「風が吹けば桶屋が儲かる」に負けず劣らず説得力のある理屈だと思うのですがねぇ。

2009年04月11日

2009年04月11日 しなやかな花

URBAN ROMANTICRie fu、4枚目のアルバム「URBAN ROMANTIC」。
前作の「Tobira Album」がそれまでの集大成的な一枚だとすれば、今作はその“扉”を開けた後の姿、つまり新たなチャレンジを示してみせた一枚ではないでしょうか。これまでとはうって変わり、全体に渡って打ち込みを基底にし、その上で各楽器が楽しく跳ね回っています。モチロン、それで何かが大きく変色したというのではなく、根本はずっと同じ場所にあります。彼女特有の流れるような自然なメロディーは相変わらずなのですから。加えて、前作から今作の期間にかけての大きな変化はもう一つあるように思えます。つまり歌詞なのですが、ココでは随分と冷静な“大人の女性”が顔を覗かせているような印象を持たせます。20代の半ばで「ビジネス」や「Money Will Love You」のような歌詞を綴れるのは、彼女が持ち併せる強みの一つではないでしょうか。このヒト、お金のコトや生き方のコトへの眼差しにしても、一歩引いてクリアな視線で捉えられるんです。もしかして、そういうコトも“URBAN ROMANTIC”の一つなのかしらん?


大雑把に申しますが、メロディーとそのアレンジの拡がりは、これまでのアルバムのなかでアタマ一つ抜けて豊かなものに仕上がっています。一曲一曲に細かな配慮が見えて、全12曲全12色のアルバム。とは言っても、その12色も最下部にはRie fuという色を明瞭に見せているという一点で共通しているのですが。
ところで、今現在の彼女のなかには、無理して何かを手に入れようとするのではなく、自分の周囲にあるモノを新たな視点で活用するコトで、次のステップに踏み出そうという、そんな素朴な気遣いもあるようです。それを示す「PRESENT」の歌詞は力強い。その力強さ、このアルバムにおいて見事に一つの大輪となり、輝きを放っているんじゃないでしょうか。「URBAN ROMANTIC」というのはとてもしなやかな花で、まるでアスファルトから顔を出す花のように力強く、Rie fuがこれまでに咲かせたモノのなかでも一番立派に咲き誇りました。


いつかより今を見て どこかよりもここにいて
誰かより君に届けたい そんなこと何度も自分に 言い聞かせていたい
〜PRESENT〜

2009年04月07日

2009年04月07日 100円の凄さ

ローソンストア100は最高だな!!
やれば出来んじゃん!
世の中には100円で売ってもモトが取れるモノばっかりだな。
結構多くのモノが、本来はもっともっと安価で購入できるんだよな!!!
何百円もするボールペンなんて詐欺! 大々詐欺!!!
250円、300円、あるいはそれ以上のカップ麺もぼったくり!
100円の時代到来!!!

2009年04月05日

2009年04月05日 ある絶頂の記録

Orgasm意味の分からないモノを、ヒトは拒絶してしまいます。己の脳において、ソレを適切に処理するコトができないからです。例えばこのCromagnonという名のバンドの「Orgasm」と題されたアルバムなどもそうした例に入るコトでしょう。誰しもが全身全霊を懸けるコトの不可能な地雷原。このアルバム、およそ全編に渡ってオッサンたちの意味の分からない叫びと意味の分からない呪文と意味の分からな悪魔的讃歌が延々と垂れ流され、ソコにノイズやらコラージュやらが同化してゆくという代物。喜び、怒り、哀しみ、楽しみといったマトモな感情は全的に放擲され、トチ狂った連中の悪意なき絶滅的な魂の浪費による快楽衝動にひたすら支配されている一枚なのです。誤解を恐れずに言いますと、これは最悪にして最上の悪ノリを封印した並外れた音楽的ヤクザです。


冒頭にも申しましたように、ヒトは意味の分からないモノを避けます。が、過ってソレに取り憑かれてしまったが最後、言いようのない絶頂に支配され、心身の制御は取れなくなるでしょう。 そうか!Orgasmはソコにあったんだ!──演っている連中にしか感ずるコトのできない悦びを目一杯詰め込んだ狂人たちの宴にして、真っ当に聴こうとすればあらゆるものが台無しになってしまう音によるテロ。異世界への誘い。現実逃避、狂気に関心のあるモノならば必聴のアルバムかもしれません。

2009年04月04日

2009年04月04日 サバイバル人

政府が
「ミサイルへの対応は各自で行ってください。」
と言えばどうなるのでしょう。とりあえずミリタリーグッズがバカ売れでしょうか。あとヘルメットも。防空壕を掘るためのシャベルや鍬も売れてゆきますか。ホームセンターにヒト殺到。かつて話題を呼んだ「無人島で生き抜く」系のサバイバル本も一緒に売れてしまう。ソレは地震の時に取っておいても良さそうですけど。
地域によっては団扇も売れてしまうかもしれません。ミサイルが落ちてきそうになれば、町民・村民が一団となって団扇で風を巻き起こす。ミサイルを空に跳ね返しましょう、とな。


さぁ、明日は何をしよう。何を考えよう。

2009年04月01日

2009年04月01日 糞ブログ再開

To say goodbye is to die a little.


どうやらもう少しだけ生きながらえるコトが可能みたいです。ネットの出来る環境に舞い戻って参りました。サヨナラは今しばらくお預けです。残念ながら。
しかしながら、悲しいかな、こうやって再びイカサマブログを更新できるようになったとはいえ、まったくもって綴り上げる話題がございません。──世の中では幾つかの出来事があったというのに、です。例えば、ここ数日の間には白鵬が全勝優勝するわ、日本と韓国だけが盛り上がったWBCが幕を閉じるわ、「vs」の意味がよく分からない「ルパン三世vs名探偵コナン」が放送されるわ、北朝鮮が面倒なコトを起こしそうな気配があるわ、オアシスがせっかくMステに出て、せっかくアンコールに「Whatever」をやっていたのにソッチは放送されないわ、で、まぁ何かと騒がしくなっているのです。


それにしましても、オアシスはキライではありません。昨年出たアルバムは良かった。ファーストやセカンドの如きパワーはありませんが、時間の経過に連れて素晴らしく熟れてきていると思います。何だかんだ申してもライヴでは大合唱の巻き起こる数少ないバンドです。 そ〜 さりーきゃんうぇ〜ぃ♪ から へ〜いライラァ〜 まで、めぇい〜びぃ〜 あいどんりぃりわなのぉ〜ぅ から あ〜いむぅおらたーぃむ まで歌えるロックンロールバンド。思えば名曲がとても多い。


他愛も無いコトを書き連ねるのです。今も、そしてこれからも。有益度ゼロの糞みたいなブログです。でも、しかし、元々そういったコンセプトのサイトだろうに。今更なんだ!糞には糞のプライドがあるじゃないか! プライドは腐ってもプライドなのです。ソコを嗤うヤツはどうぞ嗤って下さい。コッチはコッチで笑みを浮かべているコトでしょう。──糞はいつだって笑っているのです、だって糞だから。

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