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2009年08月17日

2009年08月17日 一歩引く重要性

・・・・というワケで実家に帰省していました。寄生ではなく帰省です。寄生かもしれませんが、建前としては帰省です。


田舎の風景は不思議なモノで、その時の気分によって見え方が異なってきます。ある時は寂寞として、ある時は長閑にして、ある時は雄大にして・・・ 生まれ育った街を離れてもう数年が経ちますが、離れてみなければ分からないモノがあるコトを痛感します。一歩引くコトの重要性。おそらく地元の高校を出てすぐに就職していたのでは、こういう気持ちは分からなかっただろうなぁ。一度別の街を知らないと自分の故郷の本当の姿というのは見えてこないのかもしれません。そして国についてもやはり同然で、「我が国」の良さを実感するにはどうしても外国での経験が必要なのかもしれません。
あるいは旅行から帰ってきて「あ〜やっぱり我が家が一番ねぇ」というアレも、もしかするとそういうコトなのかもしれません。離れなければ分からない良さがある。離れてみて分かる悪さもある。


よし! そういうワケでもっともっと色んなものを離してしまおうか! まずはこの現実から離れて俺は妄想の世界へと・・・・・

2009年05月30日

2009年05月30日 爺ちゃん ありがとう!

先日祖父が亡くなりました。
暫く前から覚悟はしていたのですが、いざ亡くなったとなると、何とも適切な言葉が浮かんできません。わたしのなかでの祖父との思い出は断片的なものが大半を占めていて、しかしその断片を数え上げてゆけばキリがないくらいに多いのです。わたしが3歳くらいの頃から、最後に会った今月の上旬まで、本当に色んな光景が刻まれています。わたしのなかにある祖父──いつもは「爺ちゃん」と呼んでいました──の姿、それは、あまり笑わなかった爺ちゃん、細身ながらも畑仕事で鍛え上げた腕力が自慢だった爺ちゃん、高校野球をよく見ていた爺ちゃん、大相撲をよく見ていた爺ちゃん、NHKのニュースをよく見ていた爺ちゃん、そのくせ受信料をずっと払っていなかった爺ちゃん(あんなモノは払わなくても良い)、薪で風呂を沸かしていた爺ちゃん、同じ話を何回もしてくれた爺ちゃん、朝起きると真っ先にヒゲを剃っていた爺ちゃん、曲がった腰で急坂を登り降りしていた爺ちゃん、お酒が好きで酔っぱらって胡座を組んだ体勢で鼻水を垂らしながら寝ていた爺ちゃん、一年くらい賞味期限の切れたお菓子を平気な顔して「食べろ食べろ」と薦めてくれた爺ちゃん、唯一の海外旅行は戦争による出兵であった爺ちゃん、70歳くらいにして初めてジェット・コースターに乗り「クラクラする」と笑いながら言っていた爺ちゃん、ポカリスエットが好きだった爺ちゃん、ローリング・ストーンズが好きだった爺ちゃん、イノシシを背負い投げした爺ちゃん、タバスコを一気飲みした爺ちゃん、鬼魔人に右腕をもぎ取られた爺ちゃん、「Your inside is out and your outside is in Your outside is in and your inside is out」が口癖だった爺ちゃん、虎の子を飼うと言い出し、家族の猛反対を受けて一時期放浪の旅に出た爺ちゃん、ストーカー市川を見て「コレならワシでもまだいけるかもしれん」と言っていた爺ちゃん・・・・ 思い出は無数に存在します。(上記にあげたもののなかには、もしかするとわたしの記憶違いによるモノが含まれているかもしれません。)


最後に会ったのは今月の上旬。もう長くはないとの報を受け、帰省しました。病気によりかなり衰弱していた祖父は、それでも意識は明瞭で、どうにか会話を交わすことができました。コチラへ再度舞い戻る前日の夜、最後のお見舞いに行った時が今生の別となりました。もちろん、それはわたしの一方的な考えで、祖父がどのように考えていたのかは分かりません。けれども、少なくともその時のわたしには「これで爺ちゃんともお別れだ」という思いが去来していたのです。「痛い所は無い?」と聞いたら「痛い所は、無い」と返答してくれたのが、最後の会話になりました。不器用な会話でゴメンよ。その後眠りについた祖父の寝顔が今でも焼き付いています。


「SOGI」納棺の時、葬儀の時、涙は見せないようにと思い頑張りました。祖父もきっとわたしの涙なんか求めていないだろうと思ったから。その点では、喪主である父が一番気丈でした。納棺の時に祖父に優しい言葉を沢山かけてあげていました。あの時は本当に泣きそうになったので、わたしは咄嗟に鉄拳ばりに「こんな納棺はイヤだ」を考えて気を紛らわしたのです。──棺の横側に「http://www.sogi.com」とプリントされている。(ちなみに葬儀場には葬式専門雑誌であるという「SOGI」なる珍しいモノが置かれてあったので思わず読んでしまいました。巻頭カラーで最先端の葬儀が特集されていました。 参考リンク:表現文化社 雑誌SOGI、右上の画像をクリックすれば大きな画像が見えるよ。安物のケータイのカメラで撮ったモノだから画質は悪いけど気にしないでね。)


火葬場へと向かうため、わたしは祖父の遺影を持って、位牌を持った父と共に霊柩車に乗り込みました。初めて乗った霊柩車。なんと中ではカワイイ声の読経テープがループ再生されていたのです。そして出棺時のあの独特の「プァァァアアア〜〜ン」という悲し過ぎる音のクラクションが、実はトランクを開けるようなレバーを引くことで出されているのだと知りました。なるほど、どうりで通常のクラクションとは音が違うワケだ。こんなことは霊柩車に乗らない限り分かりませんからねぇ。
祖父の遺骨はとても綺麗に焼け残り、頭部から脚部に至るまで、標本で見たような形の骨が次々に確認できました。畑仕事で鍛えたおかげでしょうか、骨格はしっかりしていたようです。骨壺に全てを納め切ることはできませんでした。


慌ただしく葬儀を終えて、翌日には実家を離れ、昨日コチラに舞い戻ってきました。まだ祖父の死が実感できていないような気もします。「孝行したい時に親は無し」と言いますが、それならば当然の如く、孝行したい時に祖父母もありません。祖父への感謝の念は、無数の思い出とともに募るばかりですが、唯一残念だったのが、わたしの方からは何の恩返しもできなかったこと。ゴメンよ、爺ちゃん。
そしてもう一度言っておこう。爺ちゃん ありがとう! どうか安らかに!

2009年01月27日

2009年01月27日 『ラブホテル進化論』

『ラブホテル進化論』
『ラブホテル進化論』──金益見という現役女子大学院生によるラブホテル研究です。この本は出版されてからすぐに各種の雑誌、ネット上においても結構な話題を呼びましたから、ある程度人口に膾炙しているのではないでしょうか。ラブホテルという概して公の場では語られ難いイメージをもつモノを題材としたという点で、また今日においては至る場所に存在しているにも関わらず、これまでほとんど研究されてこなかったモノを扱ったという点で、本書は一定の意義があるものではないかと思います。


著者は「はじめに」の最後に次のように記しています。


ラブホテルは、決して日陰の存在ではなく、堂々たる日本の文化である。
私は本書でそれを実証したいと思っている。


確かに今やラブホテルは「決して日陰の存在ではなく」なっているともいえます。“ラブホ”へ行くコトに後ろめたさや何らかの罪悪感に似たモノを抱くヒトは、年々減少してきているのではないでしょうか。本書ではそうしたわれわれの「日常」としてのラブホテルについて、ソレが成立した過程から現在に至るまでの変遷を、主としてホテルの経営に携わってきた人物、あるいはデザインしたりアイデアを出してきた人物の発言を基に組み立てていくという作業がなされています。ラブホテルにあるアイテムがナゼあのようであるのか、ラブホテルを作るときにはどのような配慮がされているのか、経営者はどのような狙いをもっているのか、利用者はどのようなヒトたちで、彼らは何を目的としているのか。あるいは利用者のニーズに対するラブホテル経営者の在り方、ビジネスホテルやシティホテルとラブホテルの相関関係及び前者に影響を受ける後者といった事柄について、入念な取材を基にラブホテルというモノの実態へと迫っていこうとしたのが本書です。
前述しましたように、このテーマに関するまともな先行研究はおそらく皆無に等しい状況であろうと思われます。それ故に本書が明らかにするラブホテルの内実及びソレに関与する人物の見解は、読み手にとって新鮮なモノとして受け取られるのではないでしょうか。一種の新境地開拓、とまで言ってしまうと大仰な印象を与えかねませんが、ラブホテルというモノが学問的な素材としては近くて遠いモノであるコトを考慮すれば、そしてその特殊性故に取材するコトへの戸惑いもフツウならば生じてくるコトを考えれば、本書に含まれる価値は決して少なくないはずです。著者の如く「堂々たる日本の文化」とまで言い切るコトのできるヒトでない限り、ココまでの情報収集はできないでしょう。私は、著者が今後如何なるコトをするのかについては存じ上げませんけれども、もしも研究者としてこのテーマをより深化(進化)させるコトができるようであれば、“日本人”というものを考える上での新たな視点の提示へと結びつくのではないか、とも感じているのです。ただし──ソレはとてつもなく大変な事業であるという点については、今更申し上げる必要もないでしょうが。


本書についての難点を敢えてあげるとすれば、その豊富な取材の後は十二分に窺えるものの、記述に当たって関係者の発言の引用が長過ぎるコト。ソコを頼りにして著者自身の分析、検討があればもっと広がりをみせるコトができたのではないかと思います。またラブホテルを経営したり作ったりするヒトの意見にやや偏り過ぎているきらいもあり、エンドユーザーの側からの視点が不足しているという点もあげられます。だから著者がどれほど「堂々たる日本の文化である」とまで言い切っても、その点に関する説得力が出てこない可能性もあるのです。ソコを利用する人々の生の声が検討対象に加わってこそ、ラブホテルが「堂々たる日本の文化」のなかに位置を占めているコトがより明瞭になるのではないだろうか──そう思うのです。尤もソレは多分にナイーブなモノであって、例えばホテルから出てきたカップルに「どうでしたか?」と聞くワケにもいかず、なかなか難しいトコロなのかもしれませんけれども… そして最後に、ラブホテルを「日本の文化」として定位させようとするのであれば、日本人の性愛というものの独自性に関して、より突っ込んだ研究が求められるコトになるでしょう。それは諸外国の性の文化や性に対する人々の思想と日本(人)のソレを比較研究する作業を通じて浮かび上がってくるように思われます。(ただし、本書が<新書>という形式であるコトを思えば、そこまで立ち入った内容を求めるのは的外れなのかもしれませんが)。そしてこのように考えていけば、依然としてソコには追求されるべき問題の多いコトが推察され、俄然として活気を呈してゆくような気配があるではないか!
著者によって今後もこの分野に関するよりいっそう深く、味わいのある研究がなされるコトを期待して、この文章の結びとさせて頂きたいと思います。どうやらラブホテル研究にはまだまだ可能性が残されているようです。

2008年06月29日

2008年06月29日 「大衆の反逆」(テレビ編)

テレビが数十万する時代、録画を試みようとすればDVDレコーダーが求められ、ソレが十万〜三十万くらいであろうか。だが、果たしてソコまでして見たいと願う番組の数、たいそう少ないのです。ってなワケで、今日はテレビのバラエティ番組について、愚見を披瀝させて頂きたいと企図す。


「最近のテレビは・・・」と大人を気取ったヒトは申し上げる。曰く「低俗化」「幼稚化」「馬鹿騒ぎ」云々。或る意味で正鵠を射ており、或る意味で的外れだと思うのです。およそ十五年ほど前を思い起こしただけでも、テレビにおいて放送される内容はよほど大人しくなってきており、規制は厳しくなり、相当な配慮がなされてある。約十五年前、ソレは私が小学校に入ったばかりくらいの時期ですが、あの頃は例えば「志村けんのバカ殿様」にしろ「ダウンタウンのごっつええ感じ」にしろ、おそらく今では放送できぬほどの過激な悪ノリがあった。暴力、オッパイ、暴言、斯かるモノを私も平気で見ておりました。今は如何・・・ 大層上品になってきておる。その意味では、最近の番組を「低俗化」「幼稚化」「馬鹿騒ぎ」と形容するのは少しおかしい。以前の方がよほど(今の感覚でいう)問題は多かったはずなのだから。一面ではずっと「高貴さ」「大人っぽさ」「落ち着き」を獲得してきておるのが、今のテレビ番組であるのではないか。──単純に比較をしてみた場合。
けれども「低俗化」「幼稚化」「馬鹿騒ぎ」と言いたくなるのも分からなくはない。どこもが同じようなコトばかりをやって、締め付けられた規制の中で少しでも盛り上げようと演者は必死になり果てていらっしゃる。足掻き。挙げ句に、志茂田景樹など今では容姿そのものが放送コードに引っ掛かるのではいかと危惧致す。
社会全体が多大なる勘違いをしているのか否かは知らんけれども、精神や文化は十年や二十年では何も発達せぬが、しかしながら、マナーや倫理の声に圧倒され、自由度が狭められた電波の中にあって、テレビ局は視聴者との共生に必死ってコト。すなわち、観客の顔色を窺うのに気を取られるあまり、苦情の声に身を震え上がらせるあまり、制作者が超然とした態度ではいられなくなるってコト。テレビが「低俗化」「幼稚化」されるのは、見るモノの平均レベルに合致させんと試みるあまり、そうならざるを得ないってコト。
何所もが一様に同じ方向を向き始めて、全体が足並みを揃えて愚劣になり果ててゆく。上に比較を出した十五年ほど前はそうではございませんでした。確かにソコには思いっきり低俗で幼稚なコトと受け取られるモノが存した。しかし一方では、バランスを維持するが如く、キッチリとした大人の番組があった(バラエティ番組でも)。ソレが今では、どこにあってもギャップが消え失せ、画一化されつつある。おそらくあと十年後にはより一層差異が解消されておるでありましょう。
結局こういうコト。つまり、愈々「大衆の反逆」(テレビ編)が押し寄せて来ったのです。
私が子供の頃に見た「志村けんのバカ殿様」や「ダウンタウンのごっつええ感じ」にあったような、或る意味では非常に思い切った内容のコント・お笑いといったモノは、もはやテレビから亡失してしまうのでしょうか。ソレは舞台上や制限を設けたDVD及びネット配信のようなカタチでしか表現され得なくなるのかもしれぬ。マナーや倫理を叫ぶ行為は、それ自体では決して悪くないのですけれど、今ではそうしたモノが叫ばれ過ぎるあまり、表現の幅を限定し過ぎるコトになり、従いまして表に出て来るものが実質一度検閲を受けたような体でしか存在し得なくなる。…昨今の世間様が下品だという事柄にも色んな種類のモノがあって、一概にすべてを抹消せんとするが如きは、あまりに過激、あまりに暴挙だと思うのでございます。而してソレを文化、精神、道徳の向上といったモノと混同してしまう「大衆の反逆」よ!
この先、妥協せずに、満足に、面白いモノを追求していくヒトたち──演者、制作者、作家等々──は、もしかするとバッファロー吾郎のようなスタイルでなければ生き残れなくなるのかもしれないなぁ。または立川談志師匠のようなやり方を選ぶか(ただし、ソレには天才的才能が要る)。もしくは鳥肌実の如く、徹底してアングラに隠るか… 少なくともテレビの世界は相当な妥協が加わるでしょう。斯かる選択によって「低俗化」「幼稚化」「馬鹿騒ぎ」が回避され得るとしても、その時、もはやソコに娯楽的要素は如何程存するか。ドリフ、ひょうきん族、ごっつええ感じ…斯様なモノはもうテレビからは発祥しないかもしれん。そうして「国民的お笑い番組」というモノも、現状が進む限り無くなりゆくかもしれん。「大衆の反逆」(テレビ編)が招来し来った今、面白いモノを追求していくヒトたちは、自らのフィールドだけではなく、対象とする客をも予め選択しておかねばならないのではありますまいか。“お笑い”なるモノの質もこれから変化を遂げてゆくはずで、例えばドリフやダウンタウンと同等の手法をテレビで用いるコトの限界はもう目前まで迫ってきているような気が致す。面白きコトの追求、その点に関してはいつの世も<深く狭く>に淵源するのかもしれぬが、今後いっそうそのような傾向が増進されゆくであろう。そうして畢竟、テレビは「触らぬ神に祟りなし」の精神上、安全地帯を求め過ぎて、やがては砂漠地帯へと辿り着くハメになるであろう。ソレ、すなわち形骸化に他ならんのです…

2008年06月11日

2008年06月11日 「罪」と「責任」

「罪」と「責任」の差異、その混同、消滅。
「罪」とは本来何事かを遂行したモノにのみ帰せられるのであります。然るに「責任」の場合はより包括的、複合的な視野から検討されていかねばならぬ。
全てのモノに「罪」が存する、などというのは白痴の戯言でして、何等の価値をも有するコトはないのです。「罪」とはあくまでも行為の結果生じた事態に対して問われるのであるから、すなわち、あらゆるモノに罪があると申すのならば、ソレを裏返してやれば宜しい、つまり、経緯はこうです──それならば何人たりとも罪は持たぬ、と。必然的に斯かる論理が是認されるであろう。然るに他方の「責任」に関しては、全く事情が異なってきます。其れは「罪」あるモノ自身に、「罪」とは異なる領分で抱かれます、またはその親類、友人、諸共同体、諸組織、果ては社会の構成要素、文化、風習、世論等々にまで拡大され、検討されるべき事柄に他ならぬ。畢竟するに、ソレは容易に確定できるが如く夢想されるような事態に陥ってはならんのであります。
「罪」は行為の結果を最大の証拠として抱くのであって、それはあくまでも個人的追求で完遂されねばいけない。けれども「責任」というとき、ソレは時として個人をすら超越するコトがなければダメ。ココで個人を超越するというのは、その場合、言い訳程度に「罪」を犯した当人の上に、彼を取り巻く限定的な周囲を安易に一括りにして、ソレで許容されるような類のモノであってはならないってコト、ソレこそ当たり前の要素であるはずなのに…


モチロン私は、ヒトは全てに対して「責任」を負うべきだなどと述べておりはせぬ。社会の動態で、各個人の活動と(明確に意識され得るほど)直接的な関わり合いを持つモノなどは、ほんの僅かな程度しかありますまい。社会の運動は、いかなる人々も明瞭に意識することができないほどの諸要因が複雑多岐に堆積しておる。(従って、過剰に「社会・文化に責任あり!」と騒ぎ立てます論調は、却って責任の所在を曖昧にするだけで、実際には何の解決にも結び付かぬであろう。)。それ故、己の力量を過大視して、至るトコロに的外れな能動性で以て「責任」の意識を見出さんとするのは、徒にペシミスティックな輩か、自称マリアのつもりでいるかする妄想家くらいなモノでございましょう。然るに、何の権限の故にか、広く社会に対して働きかける“有能気取り”の機関にあって、己の浸透力を全く認識するトコロなく、常に自らを異次元に位置する存在であるかの如く振る舞い、而して積極的に「責任」の在処を或る一定の箇所に留め置こうとする連中の活動、コレは果たして如何なる事態であろうか。「責任」というモノに対してあまりにもオプチミスティック過ぎるのではなかろうか。
窮極彼らのなしておるコトはと申し上げれば、「責任」を強引に一定の場所に収斂せしめるのみでありまして、仮にそうするコトによって何等かの安堵なり正義の意識なりを生産しておるというならば、ソレは途方もない偽善でしかないのです。
何等かの「責任」を追い求めてゆく行為は、決して子供の宝探しゲームの如く遊び心で展開できるモノでもなければ、或る力の行使によって強制的に定めるコトが可能なモノでもない。公に登場し来たって「責任」云々を声高に提唱するのであれば、まずは現在大事に抱えて離さぬアナタ方のその観察道具に関する検討から始めるが宜しいでしょう。斯かる低俗、安価、偏向的な<「責任」虫眼鏡>で以て、何事かを広く確定してみたつもりでいましても、本質的な部分は何も見えておらん。ソレは自家撞着する運命でしかあらぬ。そうしてまた同じ観察日記の繰り返し…
根本原因は、アナタ方の独自の嫌悪感からか、またはお遊び心しか持たぬ幼児の手には対処でき兼ねるという理由からか、決して近付こうとはしてこなかったその地点に芽生えているのでした。「責任」云々が場当たり的なお遊びでしか用いられぬ限り、結局は堂々巡り。ソレすなわち「責任」追求の資格なき、イヤ、するコトの出来ないってな事実の露呈でしかないのに… 究極の悪はその点の認識力欠如にあるのだけれども… 「精神的に向上心のないやつは馬鹿だ」

2008年03月01日

2008年03月01日 <すべてを投げ放つ>映画

大日本人一周遅れて「大日本人」を鑑賞した。DVDで。
映画に関しての見聞なぞ全くゼロな私であるから、従って何も専門的なコトは申せぬワケでありまして、よって「映画の質として云々」といった評論家まがいの発言はこの際断じて斥けねばならぬし、また他の映画との比較を以て、その表現技法についてアレやコレやと言い立てるコトなどハナから不可能。そうして、感じたコトをほんの少しばかり書いてみただけなのさ。


まず、一通り見た感想として、無気味なほど爽快な映画だと思った。「革新的な」との文句を付け加えるべきか否かは知らん。ただ、単純にコレは面白い映像表現。
前半の、淡々として独特の間で展開されるインタビュー。ここに物語の核心を担う伏線が存するのかと思っておったのだけれども、完全にそうであるとは言い切れないような感覚。何だソレ、的なやり取りの応酬。その合間に挿入される小ネタ的描写に「VISUALBUM」に適用されてあったものを想起致すのだが、かと言って完全に笑いをとりにきているとは思えないようなところもあり、些か訝しくもなる。―これは後になって明らかになるように(私には)思えたのですが、この部分全体が終わりに向けての壮大な仕掛け(“前フリ”)なのではないだろうか。未だハッキリとしたことは分からないのでしたが。
序盤に或る緊張感をまず持って来ておいて、つまり物語に荘重なる空気を漂わせておく。これが後になって効いてくる。…依然として一度見ただけでしたが、何となくそんな気がしておるのであった。


中盤。この辺に関しては、海原はるかと竹内力があのような状態で登場してくるコトが異常に面白かった、と申すに留めておいて、終盤とラストの急展開。
ここでは(特にクライマックス)世界における日本及び日本人の政治的な態度、情勢を皮肉るような意図を十二分に読み取ることができるのでありまして、その意味では相当ストレートな表現(アメリカの背後にいる日本、凶暴なるアメリカ)もあるのですが、まー、ココは賛否が大きく別れそうな点なのでこの場では放置するが、兎に角愉快なのは、この部分で一気に前半の緊張感を忘却させるほどの緩みを描いておるというコトなのだ。これが誠に爽快! (これまで結構厳格にやってきた)前半部分のフリに或る種の風刺を交えて一気に解消。いやいや、この場合はむしろ<すべてを投げ放つ>と称した方が適切かもしらん。一気に状況が転換す。突如として“大日本人”(“大佐藤”)の世界が放擲され、現るのは文字通り果てしのない“スーパージャスティス”の世界(=アメリカの世界)。そこにおいて“大日本人”(“大佐藤”)は全くなす術がない。あれほど巨大であった存在が矮小化され、従来の戦慄は単なる不甲斐なさへと化ければ、而して嗤われる“大日本人”、嗤う日本人、自虐。
あの転換がなければ、この種の“嗤い”は成立し難いのかもしれません。


━━━孤独、強がり、楽観、強情、諦観、卑屈、猜疑心、無責任…それらの陰にある尊慕、思いやり、慈しみ。
一方を嫌悪して一方を希求する感情はありきたりなモノだが、果たしてソレで何が解決されようか。そうしたモノの複合体としての一個の生命を如何に処遇していくかが、我々には問われているのではありますまいか。この点を見落として、いわば理想郷としての己‘のみ’を途方も無い不確実性の中で模索していくコト、ソレって滑稽じゃないかい? 結局その先にあるのは、身勝手な誤解やそれに基づく自己認識能力の不具合、二律背反、挙げ句、責任転嫁や他力本願じゃないでしょうか。━━━
そこを思い切って突けば出てくる嗤い、笑いがある。


松本人志という芸人は、その世界の中で「建築・破壊」という行為をシュールに用いて笑いを創造するヒトというイメージがあるのだが(「壊す」作業は笑いを生むのではなかろうか)、「大日本人」ではそれがかなり明瞭になっておったと感ずる。本作は「松本人志の作品」ということを念頭に置いてみますと、相当見易いように作られてあると実感しましたが、果たして…


あと、猫のウロウロと「スーパージャスティスの父」の(パンツとの)奮闘は、率直に面白いのです。

2008年02月08日

2008年02月08日 感情の付随物

ホントに世知辛い世の中でござんしょ。
泣けば良いってモンでもあるまいに。沢尻にしろ倖田にしろ。涙は所詮<感情の付随物>に過ぎぬ。もしくは<感情の過剰演出効果>の機能を有する魔性の液体でありましょうか。
ココで、数年前のコトを持ち出してきて誠に恐縮ではありますが、何気なくテレビを見ておった折、ダウンタウンの松ちゃんが「女は泣けば許してもらえると思ってる」的なコトを申しておったのを思い出す。ソレは正しい。全面的かつ絶対的な正論ではありませんか。
そして、しかしながら、如何なる事態か、“世間”様は恐ろしく優柔不断の体であって、女の涙、殊に若き女の涙を前に致しますれば、まるでヘビに睨まれたカエル、トラと10メートルの距離で対峙してしまったシマウマ、定食屋で同僚と上司を罵っておったら、なんとその上司も同じ店におり、モノ凄い形相でコチラを見ていたコトに気付き、もはや万事休すの若手社員、放課後に教室内でスリルを楽しみながらオナニーをしていたら、その一部始終を映像に撮られていた哀れな男子生徒のその後、といった如く、一様に無力になってしまうのでした。コレではいけない。彼らは涙に涙以上の価値を―おそらく無意識の裡に―付与してしまっておるが故に、斯様な詐術に欺かれ続けるのであった。
涙に意味は無い。再度申す必要があるかもしれぬ。涙は所詮<感情の付随物>に過ぎないのです。而してヒトは意図してソレを付属させ得るコトも可能なのであります。


男が泣きながら釈明するのも、女が泣きながら釈明するのも、行為自体においては全き同一のモノであるはずなのに、何故にか、人々はソコに差異を生ぜしめる。笑止千万! 愚鈍にもホドがあるってモンですぜ。
例えば。仮にこういう想像を巡らしてみようではないですか。或る中年男性芸能人が問題発言をし、謝罪会見を開いた。彼は発言する。「わ、私の ふ、ふて、不適切な、は、は、はぁ発言問題につき、つきましてぇ、こ、此の度は、と、と当事者の、み、皆様方に た、た多大な、ご、ご、ご迷惑をお掛け致しましたことを、ふ、深く、お お詫び、・・申し上げます」斯かる具合に泣きながら会見をしてみなさい。コレを見ましたモノで、寛大なお心を有しまして、「よしよし。誰にでも過ちはあるもんです。そんなに泣く必要なんてありませんよ!」などと心中で思う輩が、果たして幾人ほどいるコトでございましょうか。この会見をご覧になりたるモノは、皆一様に、あらゆる逡巡を拒み、こう思うであろう。「バッカじゃないの? イイ歳したオッサンが何泣いてんの?」


問題発言に際して泣きながら謝罪したという一点におきましては、彼も、上述のお下品な女性芸能人共も、同様であるコトは疑い得ない。ココには何らの相違も存せぬ。(極言してみようか━━アレもコレも「バッカじゃないの?」で片付けるコトは可能だ。)テレビでしばしば見られる「涙の謝罪会見」なる大仰なモノには一文の価値もあらぬし、あってはならぬし、与えてもならぬ。ソコに涙があるか否かなどを気に致しますコトは、これ以上に無いってホドに徒労であります。仮に私共がそうした類の会見中に何かを求める必要があるとしますれば―そんな必要は十中八九無いのでしたが―、ソレはくだんの如く涙ではあらずして、<誠心誠意の心情>の有無ではないか。涙がソコに付属してくるか否かなどは二の次の問題に過ぎぬのであって、間違っても涙をバロメーターにしてはいけない。涙を流さないから反省しておらぬ、などとほざき立てる馬鹿野郎は、心の眼が潰れておって、表面的なコトでしか当人の心情を察せられないコトを暴露しちゃう劣等生物、コレに他ならぬのでありました。


次回予告:【iPodが壊れちゃった(実話)】の巻

2007年12月13日

2007年12月13日 「絶対」に近似する<仮説>

この世において確かなるコトは一つしか無い、と私は思い続けているのでありました。その一つというのは、「生まれ落ちたモノはやがて肉体的な死を迎える」。唯一コレのみが、この世における言わば<絶対的>な事実であり、それ以外のコトはいずれも「絶対」ではない。
作家の半藤一利さんは、戦時中の体験(米軍の攻撃から俺が助かったのは“偶然”でしかないという思いを獲得した経験)から出発し、この世に「絶対」というモノなどはありゃしないぜベイベー、って信念を以後一貫して持ち続けていると様々な場所で語っておられますが、如何なる出来事にしても、また如何なる思想にしても、「絶対」が適用できるようなコトは、結局<死の到来>以外にはないのではありますまいか。
それ故に私は「平和」も「平等」も「自由」も「友情」も「愛」も、いずれも<絶対的>なモノであるとは思わない。それは人々の“気分”の問題が作り出した<仮説>でしかあらぬ。しかし、この“気分”ってのがなかなかのクセモノで、人々は漠然とではあるが共通した想いを抱くものである。この漠然とした点については、ヴィトゲンシュタインの名言「語りえぬものについては、沈黙せねばならぬ」を持ち出してくる他ないが、人々は「戦争」よりも「平和」を、「束縛」よりも「自由」を欲します。それは「絶対」ではなかろうが、だが“高度に信頼の持てる気分”であるとはいえよう。そうして、その“高度に信頼の持てる気分”が集積致しました結果生誕し来ったモノが、あの「法の支配」における「法」の概念である。斯様な解釈は稚拙で下らんと思われるかもしれんが、私はココで手っ取り早くそう申し上げたいのであります。
話は戻る。この世における如何なる物事も所詮は一つの<仮説>でしかあらぬ、というその考えは何も特異なモノではない。今日まで斯様な考えを抱いた輩は多くいた。「脱構築」に象徴されるポストモダンという学問分野なぞも、少なからず斯かる状態と関係があるってモンだ。吉本隆明がアノ世紀の奇術書、難解書、魔書『共同幻想論』にて出発しようとした地点も―より複雑ではあるが―ココでいう<仮説>と関連する部分もあるのではなかろうか。が、やはりそれではイカンのだよ。この世の全てを<仮説>であると致しますと、やがて勘違いした哲学者や学者や作家などが登場し来たりて、己の手で新たな<仮説>を創作せんとする野望を抱きまして、自らに都合の良いような秩序構築を企図し、世の中を混乱させうるコトも不可能ではない。ソレは確かに極めて行き過ぎた想像でしかないのかもしれませんが、それでも、敢えて問いたい。一代で多くの<仮説>を覆し、それに代わる新たな<仮説>を提示できるとでもお思いで?
けれども、<仮説>は<仮説>かもしれぬが、そうかと言ってソコには見逃せぬ事柄があるのでした。それは「絶対」への距離(<絶対的>らしいモノへの距離)である。<仮説>が「絶対」に転換するコトは、まず無い。が、「絶対」に近似する<仮説>(=人類史の中で脈々と形成されて来った覆し難い<仮説>)は存在するのではなかろうか。


まとめる。
この世に<絶対的>なモノは<死の到来>を除いて見出し難いが、人々の間には<絶対的>と思われるような“気分”(それもやはり<仮説>に過ぎぬのだが)=限りなく「絶対」に近似する<仮説>、というモノがあるはずで、それが「法の支配」の「法」であるコトは信頼に足る<仮説>であると私は考えるのでして、そうして私たちの身近な場所にも「絶対」に近い存在の<仮説>というモノはなかなか多様な具合で置かれてあって、日々の生活の中で人々が申す「絶対に〜」だとか「疑いなく」なんて文句も、その根っこを追い求めてみれば、結局「絶対」に近似する<仮説>に辿り着くはずなんだけども、ソレを私たちは見逃しておらぬか。彼や彼女や、あのゲイやあのレズが、仮に「絶対」という言葉を用いるならば、その裏には堆積された途方も無い数の人々に共通する“気分”が存在しておるのです。ヒトは「絶対」に近似する<仮説>を信頼するコトで、普遍的な概念であるとか制度であるとか思想であるとか、斯様なモノを築きあげてきた。ソレは長い長い期間を経て積み上げられてきた人類の“気分”の代名詞的存在であるというべきなのです。
問う。
誰がその“気分”に反逆できるか、誰がその“気分”を「再構築」できるか、誰にそれだけの力があるか。
信じる。
あらゆるコトは<仮説>かもしれぬが、だから何だと申す。それであるなら、今も、そしてこれからもずっと、私たちに課せられておる役割は、自分たちを支えておる<仮説>を、「絶対」に近似する<仮説>へと押し上げていくという、そのコトに尽きるのではありませんか。そうするコトでしか人間なんてモノは自らの“気分”を健全なモノとしていくコトはできぬのかもしれぬが、だからと言ってそれの何が悪い。無数の重ね上げられた“気分”に思いを馳せる時に、私たちがなすべきコトは、それらの“気分”を裏切らないって一点だけを以て、それ以外に何が必要であろうか、いいえ、もう結構なのです。

2007年10月19日

2007年10月19日 観客意識と役者意識

恋をしたブログが三つほどあるワケでして、要は三又をかけているのだけど、一つ二つは俗にいう「ミュージシャン」のモノで、三つ目は簡明に申し上げますれば「世間一般のヒト」のモノなのでした。この三者のブログを日々、起床後に決まった順番で巡回するコトによって私のココロは安らぎ得るのですけれども、果たして何故にかヒトのブログを見るコトに些かの興味や喜びといった感情を覚えるのであろうか。此処において私は演劇に数十年携わっているヒトから聞いた次のようなハナシへ帰着するのが常なのであります。すなわちそのお方はこのようにお喋りになられた。


「演劇でもとりわけ近代演劇の面白味の一つとして、他人の生活を覗き見しているような感覚を味わえるという点がある。近代の演劇では舞台の上で何気ない日常を淡々と演じるような類のものが少なからずあって、それはまさに観客にとって、隣の家をコッソリと覗いているかのような錯覚を生じさせ得るものだ。古代の演劇は野外で行われるのが主だったが、近代は屋内で、しかも客席の照明を落としているから、観客は心理的に隠れた場所から他人の生活(舞台の上)を覗いているような感覚を持つ。つまり見る側は徹底的に姿を隠すことができて、演じる側は常に光を浴びて見られているという構図、この落差が、見るモノにとって妙な興奮や関心を呼び起こす。」


この発言の中におかれます重要箇所は、近代演劇と古代演劇とを対比しました場合にあって、古代の観客は野外に座しておった以上、演劇を鑑賞しながら常に己自身も他の観客によって見られる可能性があったのに比して、近代の観客はほとんどが屋内の劇場でしかも照明が落とされた闇の中に座しているワケですから、彼らは畢竟舞台を見るコトに専念できる状態、つまりヒトの目を全く意識しないで純粋に“見る行為”に専従するコトが可能だとする点にある。


それでは何故斯様なるエピソードを引用して来ったのかと申せば、ヒトのブログを見る行為とはまさしく上記のような近代演劇の観客と同等の心理的状況下でなされるモノではないでしょうか、と私が実感致しておるからに他ならぬ。すなわち閲覧者は、何時何処であろうと、また鼻クソをほじりながらであろうと自慰行為をしながらであろうと、それは各々好き勝手な状況でブログに接するコトが可能になってある。彼ら(私)はただ“見る行為”にのみ専念するコトが許容されており、「ああ、コイツの頭はおかしいや姉さん」と思おうが、「このヒトは私と同じくらい陰湿だ」と嫌悪しようが、「このブログの書き手は実は男じゃないか?」と懐疑的な目を向けようが、当然のコトながらソレは自由行為でありまして、斯かる状態は非常にくだらない演劇を見せられた場合に堂々と眠ることが可能な近代の観客の如しではあるまいか。翻って書き手はとなると、「こんなコトは書けない、良心に反する」、「コレを書くと警察沙汰になるかもしれぬ」、「こんなコトを記す必然性はあらへん」等々と苦慮しながら、何かにつけて気を遣わねばなりません。コレこそ他ならぬ舞台上の役者の如き有様ではないか。これら両者の対極こそ実に(近代の)演劇を鑑賞する観客⇔舞台上の役者のソレであるってコト、そしてブログを巡る環境とは、画面越しにおける観客意識と役者意識の創建であるってコト、私は是を言いたかった。(とは言っても、私は此処で古代の演劇の面白味を否定しているワケでは無い。)


そう致しますれば、ヒトのブログを見るコトに些かの興味や喜びといった感情を覚える理由も説明がつくってモンじゃないか。曰く「“見る行為”への専従」である。ヒトのブログを見る行為、それは何のリスクを背負い込むコトもなく、自由に裁定可能でございまして、おまけに「隣の家をコッソリと覗いているかのような錯覚」を抱けるとなれば、これほどお得なモノもありますまいに。けだし、この場合において見る対象はあくまでもバーチャルな存在に転じておる人々の姿に過ぎぬのだが、しかし恐ろしき哉、それが却って見る側のリスクをより葬り去るのです。それでは想像してみるが宜しい。今、アナタの眼前で女装した男が「ホモだ!くたばれ!」と怒られて、怪しげな中年男性に射殺されたのです。さて、アナタはその一連の光景を目撃致しましたから、もう「目撃者」としての社会的なリスクを背負い込むコトになった。幾らかの責任感に苦悩するはずではないか。何故俺はあんなモノを見てしまったのか、何で俺はあの場に居合わせたのか、其れ恐らく一生付きまとう影でありましょう。一方のブログ。ブログに如何なるコトが記述されていようとも、所詮はネット上の婆ちゃんな、いや失礼、バーチャルなモノでしかあらぬ。それ故に場合によっては全く現実性が伴わぬコトだってあろうに。コレに何の責任感が秘められてあるか?
斯様にしてブログを見るという行為は、閲覧者と記述者が別々の空間にて夫々好き勝手な状態で画面越しに対峙しているのでありまして、しかも一方はノーリスク、一方は曇り時々ハイリスクにて、その関係は「深入り」する必要などを全く生起させ得ないモノでもあって、単に“見て終わり”という或る意味では非常に淡白な関係で過ごすことが十二分に可能な状態なのであります。その気楽な性格、何ら圧迫感の無い有り様であるからして、ブログを見る行為は大いに愉快なのです。(斯くなる結論を「我田引水」だと感じましたアナタ、それはおそらく気のせい。もしかして眠いのでは?)


とはいえ、肝心のブログ本体がどのようなモノによって如何なるコトが記載されておるか、この点に関して己の興味関心と合致せるモノが存せねば、根本的な面白味は味わえぬ。
当方の此のブログに関して申し上げれば、日々斯かる事柄を記述致しておるにも関わらず、僅かながらのしかし一定のアクセス数がある。果たして如何なるモノが如何なる態度で見ていますのか。客席の照明が落ちておる以上、私からソチラ側の顔は見えぬが、連日(私のバーチャルな存在に転じた)姿は見られておる以上、ウッカリしておっては観客の失笑を買うコトになりかねません。精一杯の演技をせねばならぬ!

2007年09月22日

2007年09月22日 雑記「生存のための秘密と適合」

ノノノノーバディ ノゥズマイシークレッt イッt サァム パ・パ・ッパ♪
誰もオレの秘密を知らないぜー パ・パ・パ!


サイコーのはじまりじゃないか。
いや、バンドアパートの新曲「Moonlight Stepper」ですけど。素晴らしい曲ですね。
そうである、誰も知らない秘密があるのだ。


知らないで良いコトと知られたくないコト。国家からすれば、国民に知られたくないコトがそのまま知らないで良いコトになる。つまりメディアに対して報道規制をしたり、ひた隠しにする。当たり前のコトですけど。
何も国家に限ったコトではない。もっと小さな共同体にだってそういうモノはある。例えば深沢七郎の『楢山節考』に描かれているような村が過去に実在したということは、民間に伝わる説話や幾つかの古典文学から確認できることである。その村に生きる人々は自らの生存手段として、年老いた親を捨てる。子が親を捨てるということは、結局その子もまた親になり年老いたときには己の子に捨てられることを意味する。日常的な問題でいえば、親が子を捨てる方がより一般的な事柄であり、それは一代限りで終わるのが常である。例えば「赤ちゃんポスト」なるものが昨年辺りから我が国でも或る問題として取り上げられているが、古今東西「捨て子」というものは至るところに存在してきた。また近年では「介護疲れ」との理由で親を殺すといった事件も増加しつつあるが、それもやはり伝統として繰り返される類のものではなく、むしろ突発的な部類として扱った方が適切かもしれない。
『楢山節考』で描かれるような村は、そうしたものとは立場を異にする。前述のように、村全体で延々と子が親を捨て続けるのである。そこは当然閉鎖的な空気が支配する空間であり、自分たちの村に伝わる掟を外部に対しては秘匿する。彼らは、村に貧困という問題が蔓延する以上、伝統的生存行為に拘束されざるを得ない人々だ。
勿論通常の感覚からいえば、人間が人間を捨てる行為は、いかなる理由があれ禁忌とされていることである。では彼らは、生存のための伝統に規定される彼らは、そうした禁忌への意識が欠落しているのか、否か。


人間の中に本能的に備わる自己防衛意識が最高度まで“刺激”されたとき、彼らは、いや我々はそれでも一定のモラルを持ち得るのだろうか。こういう問題を絡めずして、彼らの深層を解することはできないのでないか。
そしていま一つの問題は、なぜ彼らは自らの共同体内における伝統を外部に対して明らかにしないのか、という点である。これは何を意味するのか。ヒトは罪悪感なくして他者を蹴落とすことなどできようはずがないことの証明と見るのか、それとも単に自らを“綺麗”に装うための繕いと見るのか。
私はそこにヒトの持つ複雑な生存本能が見られるような気がしてならないのである。つまり、自らの自己防衛意識として親を捨てる行為も、それを外部に対してひた隠しにする態度も、全ては上手く生きていくための“歪んだ”生存手段の一つなのだ。合理的であるとか非合理的であるとか、そういう次元では語ることのできない、より切羽詰まった状態でのヒトの生存本能が、彼らのなかには蠢いているように、私には思えるのである。
子が親を捨てる行為は当然禁忌とされるべきものであるが、それでもそうした手段を常態化せざるを得ない状況に置かれた人々は、そこに相応しい形式で、自らのモラルを適合させてゆく。この場合において、彼らの中の罪悪感の有無を探る行為にどれほどの価値があるだろうか。ヒトは、自らの自己防衛意識を意識的に“健全な形式”でコントロールできぬ限りにおいて、禁忌や罪悪感をも巧みに消化してしまう呪うべき能力を所持していることを、彼らの伝統行為は証明しているのであるから。


そうしてこれが非常に危険な状態であることは言うまでもなかろう。すなわちヒトは自らの自己防衛意識が極度に追いつめられたとき、いかなる行為をも正当化してしまう可能性を生むのだ。そうした心理(行動)を想定する限り、『楢山節考』で描かれるような村を“健常な形式”ではないとして、頭ごなしに批判することはできないのである。


自らを防衛する手段を持たない共同体は必ず滅びるが、過剰な防衛手段しか持たない共同体もまた滅びゆくだろう。なぜならば、そうした共同体は、外部との避けることのできない摩擦と、内部の改善されることのない悪環境が混ざり合い、必然的に閉鎖的にならざるを得ず、いつか内部崩壊してゆく運命にあるからだ。
『楢山節考』の村がいかなる運命を辿ったかは、もはや想像に頼るしかないが、あの村もまた過剰な防衛手段しか持たないが故に閉鎖的であり、人々は平穏と隔離されていた。となると、その運命を察することは、さほど困難なことではあるまい。
現在の世界においても、自己防衛のために過剰な防衛手段しか持ちえない国々があるではないか(※それは決して我々と別次元の存在ではない)。そうした国家の姿を『楢山節考』の村と重ね合わせて見るコトは、やや行き過ぎた行為であろうか。

2007年09月14日

2007年09月14日 何から「脱却」したかったのか?

前回、「『安倍晋三という男は何がしたかったのか?』この問題もまた人間の知能を超越したところのモノでしか明確な判断を下せないのではなかろうか。」などとアホみたいなコトを書いたのがいけなかった。早合点というヤツでっせ。まぁ半ば分かっていて書いたのだけど。
あのオッサン、いや安倍さんが結構お仕事をしたのは知っているよ。少なくとも橋本や森などよりは数倍頑張ったと思う。


【安倍政権の歩み】


大雑把に抽出してみても


平成18年10月9日の「北朝鮮が核実験」をした後の、北への経済制裁。
同年12月15日の「改正教育基本法が成立」
平成19年1月9日の「防衛省発足」
同年4月6日の「日本版国家安全保障会議(NSC)創設関連法案を提出」
同年5月14日の「憲法改正のための国民投票法成立」
同18日の「集団的自衛権行使の憲法解釈見直しを検討する有識者会議が初会合」
同年6月20日の「教育改革関連三法が成立」


なかなか良い仕事をしている。
特に北朝鮮への経済制裁や防衛省への昇格や「国民投票法」やロクでもない怠慢教育(ゆとり教育)現場の見直しをはかる「改正教育基本法」や「教育改革関連三法」。これらはどれも当然ともいえるものだけど、気狂い売国マスコミの宣伝によって現在ではことごとく無視されるか、まるで失策のような印象すら与えられている。コレはやや不幸なことである。
また以上の他にも少年法を改正したり、(まったく不十分ではあるが)公務員改革に向かうポーズを見せたり、それなりの頑張りがあったのは確か。
一年でこれだけのことをやったのだから、バカにはできない。


しかし、私がどうしても嗤いたくなるのは、安倍さんが述べていた「戦後レジーム」の正体がついに解からず終いに終わってしまったから。
教育基本法を改正し、そして憲法を、それも特に9条を改正(破棄)すれば済む「レジーム(体制)」なのか。いやいやそんなもんじゃなかろう。おそらく安倍さんが思い描いていた「戦後レジーム」なるものは、一つや二つの法を改正したり、憲法を改正(破棄)して安全保障体制を再構築すれば達成されるような生温いものではなかったはずだ。
ド素人の意見で恐縮だが、総理大臣としての安倍さんに欠いていたものは、志向されるべき「レジーム」の姿とそこに向かう「必然性」のようなものを解り易く国民に対して説明する姿勢であったのではないか。結局、振り返ってみて感ずるコトは、安倍晋三という人物は自己完結的かつ抽象的で曖昧な観念を自らの政治目標としてしまい、まるで一介の「思想家」のような状態を脱し切れずに終わった残念な総理であったというコト。


繰り返しになるが、国民の多くが的確に説明できないような「戦後レジーム」というキーワード、そして気狂い売国マスコミの宣伝に対応できなかった点。これがカナシイ。
しかし、だからといって、何でも彼でも国民に伝えよう、分かってもらおうとする姿勢は逆に危険だ。為政者が過度に国民の側にすり寄るコトで究極的に辿り着く場所は、政治家の権限の喪失・無能力化であり、それはハイエクが「無制限の民主主義」と表現した世の中の混乱を意味する。
そういう点を考慮しながらも、政治家は最低限の理解を国民に求めねばならぬのだが、果たして安倍さんにそれが出来ていたか。


より明確な志向されるべき21世紀の「レジーム」を打ち立て、気狂い売国マスコミを逆に手玉に取れるような有能な総理大臣を!
・・・・無理か、無理だよな。こんなコトを言っていると、コッチの方が「思想家」みたいに思えてくる。トホホ…

2007年08月22日

2007年08月22日 佐賀北高校に思う

普段高校野球には興味が無いけれど、今日の決勝戦は見ちゃったなぁ。
応援していた佐賀北高校が奇跡のような劇的展開で優勝。まさかの逆転満塁HR! 正直、唖然とした。「がばい」ねぇ。がばいがばい! まるで自分のことのように喜ばしかった。審判!審判!そして久保君、副島君、久保君!副島君!久保君のポーカーフェースに惚れた!


田舎の公立高校が甲子園で勝ち上がる、そういうのって何か良いじゃないか。
先日書いたが、私の母校も田舎の公立校なのに甲子園に出場し、そこでも勝ち進んだ。私は応援に行かなかったんだけどね。
そういう記憶もあるせいか、田舎の学校の活躍を知ると、無性に親近感を覚える。


例えば世の中には、高校バスケや高校駅伝のために、身体能力の高い黒人選手を呼んで来てまで勝とうとする学校が存在する。それも一つの現代学生スポーツのあり方なのかもしれないが、一方で今回の佐賀北高校のように全員が地元出身者で、しかも一日の練習時間が2、3時間の学校(参考リンク:高校野球・練習1日2、3時間―佐賀北)が勝つことだってある。そこに勝負の面白さを見出せるってモンだぜ。
数ヶ月前には高校野球における「特待生問題」が新聞紙上やニュース番組を賑わせたが、今年に限っては「特待生」のいた学校―全国から優秀な選手をかき集め、一日に5、6時間以上の練習を積んでいるような学校―のどこも最後までは勝ち残れなかった。ウン、それで良いんだ。たまには。
まー、しかし、私の母校などは田舎の公立校のくせに練習量は私立校並みで、平日でも一日に6時間くらいはやっていた(いる?)が。


失礼かもしれんが、佐賀県という比較的地味な県の公立校だから尚更好感が持てる。例えば、東京や神奈川や愛知や大阪などの公立校が活躍しても、私はそれほど興味を持たない。


はなわが佐賀の地味さをネタにして、一世を風靡したのはもはや過去の事。彼のネタに「佐賀の学校が高校野球で優勝した時に、地元のテレビ局はゴールデンタイムに決勝戦を延々と放送し続けた」というのがあった気がする。本当かどうかは知らんが、もしかしたら明日から佐賀県のヒトたちは毎晩今日の決勝戦を見ることになるのだろうか。・・・なワケない、よね?


佐賀北高校からはポジティブなエネルギーを貰った。
エリートじゃなくても、一日に何時間も死ぬような練習を積み重ねなくても、最低限+αの努力と明確な強い気持ちがあれば、「何か」が噛み合って上手くいく場合もあるということ―時として今日のように一発大逆転も!?―。その「何か」とは?それを掴むためにはどうすれば良いのか? ココが一番の問題なんだな。だが、それがハッキリとしてしまえば、エリートしか勝てない世の中になる。だってエリートがその「何か」を知ってしまえば無敵だろうから。
おそらく佐賀北高校の選手たちも、その「何か」をハッキリと認識できていないだろう。世の中には万人の目に見えず、頭でも理解できないモノが存在するが、それは或る時に勢いとなり自分たちの背中を押してくれるコトもある。そのような不可思議な「何か」があるから、勝負は面白い。「勝負に絶対はない」と云われる所以はこの辺りにあるのだろう。
天晴!

2007年07月24日

2007年07月24日 「ジギール」と「ハイド」

竹山道雄に『ハイド氏の裁き』というエッセイがある。
これは「東京裁判」を素材にして書かれた短い文章であり、当初はGHQの検閲により発禁になったものである。
ここではその内容と核心に迫ってみることにする。


竹山が東京裁判の傍聴に行ったときのことである。

この日に論告されてゐたのは、まだ新聞にも報道されたことのない人であつた。その顔もつひぞ寫眞(写真)でも見たことがなかつた。…(中略)…その様子はすさまじかつた。全被告席を壓倒(圧倒)してゐた。他の被告たちもみな落ちついて、考への狭い人間のもつ威嚴といつたやうなものをもつて、一種の凄味を發散してゐる人たちではあつたがこの未知の被告に比べては影がうすかつた。その獰猛兇惡な風貌はかつて映畫(映画)で見たハイド氏にそつくりであつた。
 法廷で私語は禁ぜられてゐたが、私はそつと隣の人にきいた。
「あのあたらしい被告の名は何といひますか?」
 隣の人は教へてくれた。
「近代文明といひます」


【※ 原文に忠実にあらんと思い、旧字体をそのまま記しました。(一発変換できなかったから、出すのにすっごい大変だったの。読み辛いと思われる部分にだけ、括弧中に新字体を記しておきました。親切!)】

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2007年07月21日

2007年07月21日 「共通語」と「方言」

「共通語」というモノは人工的に作られたものである、という説はそれなりに有力なようである。
日本でいう「共通語」は東京地方の言葉だが、東京に中心を置き、そこから国家を統制していこうとするためには、まずは言葉を一定のモノにしなければいけない。同じ日本語でも地域によって言葉がバラバラだと、国家が大切なことを伝達できなくなるかもしれぬ。そういう危惧から、東京の言葉=「共通語」として全国に普及するようになった、という。
あながち間違いではなかろう。


ところで東京近辺にいる者は「方言」を話さない、という認識は間違いじゃないかしらん。前述の「共通語」化された東京地方の言葉、しかしながら「共通語」化される前は主に東京地方だけで流通していたモノなんだから、それは「方言」だろう。今日的な意味での「方言」は、東京を中心に見て、それ意外の地域の言葉を指しているようだが、字面の上では「(地)方(の)言(葉)」、「(地)方(の)言(語)」という風にも見えるワケだから、東京地方独特の言葉を「方言」であると捉えることも可能だろう。


例えば、関西弁でいう「何やねん」の「やねん」の部分が東京地方だと「何だよ」の「だよ」に相当し、四国地方で使われる「何しよん?」という「しよん?」が東京地方だと「何してるの?」の「してるの」に当たり、それは関西弁だと「何してんねん」の「してんねん」に当たる。「だよ」も「してる」も東京地方の「方言」ではないか。それが「共通語」になり、全国に普及している今日では、「だよ」も「してる」も普通の日本語のように思われているが、元々は「方言」であったのではないかしらん。いや、その辺の変遷具合については、専門家ではないから知らんけれども。


とりあえず字面の上でいう「方言」というものは、全国各地にあるものであり、東京地方だけはそんなモノが無い、というのはおかしいじゃないかと思った、というだけの話。
今回書いたコトも、大したコト「ないんだよ」(←コノ部分も「方言」?)

2007年07月12日

2007年07月12日 未知の存在

コンビニで大量の買い物をしているヒトを見た時に感じる気分は何だろう。上手く言葉にできないが、ちょっと残念な気分になる。う〜ん・・・
ヴィトゲンシュタインが「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」と言ったが、まさに沈黙しなければいけないのだろう。適当な言葉が見つかるまでは。


そもそも、言葉に出来ない、というのはまだハッキリと認識できていないということだろう。
本当に認識できているものについては、すぐに言葉が出てくるはずである。空腹を実感すれば「お腹がすいた」と言える。殴られているヒトを見れば「痛いだろうな」と思うコトがある。いずれもその感覚を理解できているから、言葉が出てくる。しかし、コンビニで大量の買い物をしているヒトを見た時の妙な気分を上手く表現できないのは、すなわちその気分をハッキリと認識できていないからに他ならない。「何となく分かっているんだけど、上手く言葉に出来ないんだよなぁ」というのは、本当はまだハッキリと認識できていないということである。それは感覚として分かっているだけで、頭ではまだ理解できていないということ。頭で理解できてこそ(言葉で説明ができてこそ)、一つの完全なカタチの認識が成立する。


元来人間というのは言葉を使わずに物事を考えることができない。
頭の中から言葉を消して、生きていく事はできない。
言葉を忘れろ、言葉を使うなと思っても、「言葉を忘れろ、言葉を使うな」という言葉を使っている時点でアウト。
言葉がなければ文明も生じない。


誰か忘れたけれどもー多分どこぞの哲学者だったと思うー、言葉とは妥協の産物である、というようなことを言った人物がいた。
私たちが今、物事を認識するのは言葉を介してのみである。リンゴを見れば瞬時に「リンゴ」という言葉が出てくる。「リンゴ」という言葉が出てきた時点で、認識が成立する。仮に現在「リンゴ」と呼ばれているモノに対応する言葉が無ければ、私たちはそれを「赤くて丸くて手のひらに乗るくらいの大きさで木になっているモノだよ、ホラ 分かるだろう?」と言わなければいけない。そんなコトをやっていては、情報交換や意志の共有などできたものじゃない。だから、手っ取り早く情報交換や意志の共有をするために、ヒトは言葉を生み出したのだ、とか。
「赤くて丸くて手のひらに乗るくらいの大きさで木になっているモノ」などというのでは、認識活動において限界があるから、それは放棄せねばならない。そこで共通のモノを指示する言葉を作り出した。それが「リンゴ」というモノに他ならない。
結局、言葉は妥協の結果なのである。面倒なことはやってられないと投げ出して、便利な方へと向かったのが、人間の認識能力を高める事になった、というおハナシ。


誰でも物を見て、それを認識する時には言葉が出てくる。言葉が出て来ない物は、自分が知らない物であり、もしくはまだ世間に知られていない物であるかもしれない。
私からすれば、コンビニで大量の買い物をしているヒトに対する適切な言葉が出てこないのは、そのヒトが私にとって未知の存在であるということだ。ワケの分からない存在なのだ。スーパーで買った方がお得だろうよ!

2007年06月27日

2007年06月27日 馬鹿が馬鹿を語る

このブログの六月の更新度は異常である。なぜこの馬鹿は斯くも更新するのか?そう思われても致し方ない。理由が無いわけではない。
私は夏が苦手だ。暑くなるとイライラしてやる気もなくなる。7月8月が最大の山場だ。その時期にはブログを更新する気力など無くなるかもしれないじゃないか。だから今のうちに書き溜めておこうというわけなのだ。
馬鹿みたいな理由だと嗤うな。私にとっては死活問題なのである。


それにしても、最近の私は自分のことを棚に上げて「馬鹿」という単語を使い過ぎる。
そもそも「馬鹿」とは何であるか。
今のトコロ、私はそれを次のように定義したい。


「馬鹿とは、外からの視点を持とうとしない者のことである」


単純明快。自分の姿、言動、思想等に関して、外から問い直そうとするか否か。すなわち客観的な視点というものを意識できるかどうかである。
例えば暴走族、例えばコンビニの前にたむろする若者、例えば数年前に話題になったヤマンバギャル、例えば狭い道で身勝手な運転をするドライバー、例えば社会保険庁、例えば日本の安全保障対策、例えば北朝鮮という国家・・・
どれも外からの視点が欠落している、自分(たち)しか見えていない、自らの世界だけで物事を完結させようとしている、合理的思考というものを持とうとしない、己だけが良ければそれで良い、という閉塞された空間に佇んでいる。コレを馬鹿といっても良いだろう。
外からの視点がなければ、物事に対して酷く偏った見方をしてしまう。自然に自らの価値観を絶対視してしまう。そしてそのことに気付かない。視野も狭い。自らが許容できないと思うモノや相容れないと思うモノは、すぐさま己の対象外に置いてしまう。他を認識することにより、自らを相対化しようとすることをしないのである。コミュニケーション・ギャップや価値観の相違に出会ったとき、己の立ち位置を再確認しようとはせずに、ほぼ反射的にネガティブな姿勢を形成する。それは言うまでもなく、現在、自らの抱いている意識を再構築する機会を失しているということだ。己の内的意識を無反省に維持しようとし、あたかもそれが既に完成されたものであるかのように振る舞う。これ以上に厄介なものはない。


とは言いつつ、外からの視点を安定して恒常的に持ち続けることなどは、神でもない限り不可能だ。だから私は「持とうとしない者」といった。持とうとする者と持とうとしない者ーすなわち持つことを知らない者とでは大きな壁が形成されるということだ。無知の知。
外からの視点による、自己の再考、再構築。それを通してのみヒトは成長出来る。馬鹿は体格以外には何も成長しない。大人になってしまえば、本当に何も成長しなくなる。
馬鹿は止まっているままなのである。しかも他を見ようとしないから、自分が止まっていることにも気付かない。もう絶望である。死に至る病である。


外からの視点の起源は、内への視点である。つまり内への視点にて己に疑問を抱く所から、外への視点が生まれる。
馬鹿の場合、内へ向けられる光は、途中で腫瘍にぶち当たって屈折してしまい、深奥まで到達することがない。反射して返ってくるモノが無いから、畢竟外に対して働きかけようとするエネルギーはどこからも生じてこないことになる。
暗闇の中にいると、明かりを発する者は浮いてしまう。そうして必然的に、外に出て来ようとする光を抑え込んでしまうのである。暗闇に安心して、むしろ光の無い状態、光を抑え込んだ状態を常態だと錯覚してしまうのである。要は思考停止。だからヤマンバギャルみたいな馬鹿が蔓延る。


馬鹿は感染する。
防ぐ方法、それは内から光が出てきたのなら出す。それだけだ。
そこに外からの視点を持とうとする意識が発生し、成長のきっかけも生ずる。
光を無理に抑え込んでいると、無意識のうちに己の内部に腫瘍が形成されるようになる。それを放っておくと、光はどうやっても外に出てくることが無くなるだろう。末期の馬鹿。…私のコトか!?


馬鹿が馬鹿を語る。それは貴方の光源なのです!

2007年05月21日

2007年05月21日 「I'm a Buddhist」で通す

三社祭で神輿に乗った馬鹿者が逮捕されたという。
当然である。
神輿は神様を担ぐものであるから、その上に乗るということは神様の上に乗る事になる。そんなことも考えずに、神輿の上に乗ったのだろうか。救いようのない馬鹿だ。禁固刑にしてしまえ。(って、罪名は迷惑防止条例違反なんだよなぁ。神輿に乗った“だけ”では法律で罰せられない…)


どうも最近の祭りは騒げば良いという感じになってきている。祭り=騒ぐもの、という認識しか持たずに参加する者も見学する者も、私は大嫌いだ。
騒ぐだけの祭りなど廃止した方が良い。
私もそうだけど日本人は宗教という観念を持ち辛い民族だ。だから、祭りの意味とか意義とか起源とかを深く考えずにただただ騒いでしまうのだろうか。お祭りは飲んで騒ぐだけのものじゃないことくらいは、ちょっと考えれば分かると思うけどなぁ。考えられないから、平気な顔して神輿に乗ってしまうのだろうか。


日本人と宗教で思い出した。
外国に行った時、国によっては入国時に自らの宗教を書いたり、述べたりしなければならない場合があるという。どこの国かは忘れたけど、そういうことをハッキリさせておかないと入国できない国があるのだという。
そうした国で、たまに「No」とか「None」とか「No religious」などと答える日本人がいるらしい。つまり「信仰心はありません」とか「宗教なんて信じねぇー」と。これは日本人からすれば当たり前、フツウのことかもしれないけれど、世界的にみればとんでもない非常識であり、馬鹿者かという感じを与える。現に「No」とか「None」とか「No religious」などと言えば、ほぼ間違いなく「ああっ!コイツは何をほざいてるんだ?」という目で見られるらしい。場合によっては別室で調査されたり。不審者と思われて。
日本人の信仰心の薄さが良いのか悪いのかは別として、外国人から「あなたはどの宗教を信仰していますか?」などと聞かれることがあったら、とりあえず「I'm a Buddhist(仏教徒だ)」と返答すればイイだろう。
「俺はどの宗教も信仰してねぇよ」というのは、外国人、とりわけキリスト教圏、イスラム教圏の人々にはまず通じないし、頭のおかしいヤツだと思われる。
ほとんどの日本人が死ねば仏教式のお葬式をして、戒名も付くんだから「仏教徒だ」というのがベター。現に私はキリスト教の勧誘に遭えば、ハッキリと「仏教徒ですから」と言うようにしている。そうすると連中、あっさりと立ち去る。そりゃそうだ。


外国では「I'm a Buddhist」と言うつもり(まぁー、でも別に神道でも良いんですけど。日本はその変もゴチャゴチャになってるからちょっと面倒ですね)。明確な信仰心の有無に関わらず、普段からそういう意識があれば、祭りで馬鹿騒ぎする事もない? ちょっと無理のある結びかねぇ?

2007年04月29日

2007年04月29日 「昭和の日」に思う

今日は「昭和の日」である。
昨年までは「みどりの日」などというよく分からない名称だったが、今年からはいよいよ「昭和の日」になった。言うまでもなく本日四月二十九日は昭和天皇の誕生日である。
昭和天皇は、昭和という紆余曲折の時代を、常に日本国のことを思われながら、国民と共に歩まれた名君である。歴代天皇を見ても、昭和天皇ほどユニークであり、また魅せられる天皇はいないのではないか。


「昭和」という時代、その六十四年間に日本は天国と地獄を見た。
憲法が今と同様機能せず(「統帥権」の干犯とか、総理大臣の無力さとか)軍部が独走した昭和二十年までの時代、敗戦に伴う占領期を経て、本来無効であるはずの占領統治法的なモノを憲法として掲げながらも再出発を果たした時代、高度経済成長による「戦後」からの脱却、と大雑把に見ても、それは一国の興亡史に相応しい側面を持っている。
戦時中の昭和天皇に関しては『昭和天皇独白録』や『杉山メモ』などを始めとした資料によって、容易に、どのような事を思われていたのかを垣間見ることができる。戦後に関しては、全国巡幸や外遊、日常生活の記録がかなり残されており、また侍従の日記なども公開されるなどしているから、そういったものを見れば、その時のご様子を窺うことができる。
そこに見られる昭和天皇のお人柄、これがなんとも言えない魅力を有しているということは、昭和史を見ていれば、誰しもが気付くことかもしれない。私は、昭和天皇のちょっとした言動の中に何度も魅せられた。国家を想い、国民を想った慈悲深い天皇であらせられたと思う。

「昭和の日」である今日は、そういった昭和天皇の存在を改めて見つめ直すと同時に、昭和という時代を問い直す日となれば良い。今生きている人の多くが昭和生まれなのだから、せめて自分が生まれた時代について考える日が年に一度くらいはあっても悪くはないだろう。


昭和という“波乱の”時代、その時に国民と共に歩まれた昭和天皇。
一大転機を迎えようとしている今日の国際情勢の中で、改めて考えずにはいられない「国を想う」ということ。その原風景的なものの一端を、私は昭和天皇の中に見られるような気がしてならないのである。

2007年03月23日

2007年03月23日 宮沢賢治と「社稷」

宮沢賢治は童話作家としての顔に加え、村中にあっては農業指導者として慕われていました。宮沢賢治の農本主義的な側面、そして自然との関わりによって見出したであろう社稷の観念について想いを馳せる時にこそ、彼が見たであろう“原始的な”日本人のアイデンティティーの存在に気付くのです。
以前、農業指導家としての宮沢賢治に焦点を当てた論文を読んだ時に思ったのは、まさにこの点についてでありまして、要は彼に内在する原始的な思想・価値観に関することです。つまり、自然との共生を意識する一方で、無意識のうちに近代文明と同化した自分、それを超克せんとしてやはり文明の壁にぶち当たってしまう自分、「自然な」自分とは何であるのかという葛藤。


「農本主義」という言葉を先に持ち出しましたが、宮沢賢治にはやはりそういう考えがあったように思います。彼は徹底して「社稷」というものに拘り、そこに自らの基礎を確立しようとしたのではないでしょうか。それは彼が東北という地に身を置いたこととも少なからず関連しているように思えてならないのです。
そうして、宮沢賢治の作品に出てくる人物で、純粋過ぎたり、邪心というものを抱いていない人物が少なくないのは、それが彼の理想とした「社稷」に生きる人間を反映させたものであったからだとは考えられないでしょうか。自然との共存を意識し、あくまで純化した“原始”の人間の姿を追い求める宮沢賢治の姿がそこにはあるのです。


宮沢賢治が、夢に見た見た日本人像とは。
宮沢賢治が、指向した人間の生き方とは。
それは従来の「ヒューマニズム」という定義とはまた別物の、より人心の深層にある、普遍的な生の在り方だと、私は思うのです。

2007年02月27日

2007年02月27日 川の流れ着く先には

旧日本軍将校ら、吉田首相暗殺を計画…CIA文書


旧日本軍の参謀本部作戦課長を務め、戦後は連合国軍総司令部(GHQ)の秘密工作に関与した服部卓四郎氏らが1952年7月、当時の吉田茂首相の暗殺を企てていたとする報告が解禁された米中央情報局(CIA)の文書から見つかった。


 同年10月31日付のCIA文書によると、服部氏ら旧日本軍将校を中心とする6人のグループは、吉田首相が公職から追放された者や国家主義者に敵対的だとして不満を募らせ、暗殺によって首相を鳩山一郎氏にすげ替える計画を立てた。


 しかし、戦時中からの盟友で、グループの表向きの代表になっていた元陸軍参謀の辻政信氏が「クーデターを起こす時ではない」「敵は保守の吉田ではなく、社会党だ」と説得し、思いとどまらせたという。


服部さん、辻さんがこんなトコロにも出てきたねー。ノモンハン、マレー作戦、ガダルカナルときて、今度は戦後ですか。彼らならまだあと2つ3つはネタを提供してくれるかもしれません。
でも、辻が窘めるとは・・・立ち位置が逆転してるがな。


記事中の「服部氏ら旧日本軍将校を中心とする6人のグループ」というのは、所謂“服部機関”で『大東亜戦争全史』の執筆に関与した連中のことだろうか? それならば杉田一次や原四郎、井本熊男などの名前が浮かんでくるが、如何せん服部機関そのものの内実が明瞭ではないので、今名前を挙げた人々がこの件に関係しているという確証はない(というか、この計画そのものが怪しいけど)。
また当時の服部自体が、実はGHQ参謀第二部(G2)のウイロビー少将の“手下”のような状態にあって動き回っていた。そのウイロビーはGHQにあって日本の再軍備化を強く主張していた勢力の中心的人物(反共←重要なポイント)。
ウイロビーは日本の再軍備の第一段として、服部を長官とする“警察予備隊”の組織を計画し、これに服部機関にいたと思われる人物が呼応して動こうとしたが、ウイロビーと敵対関係にあったGHQ民政局局長(GS)のホイットニーを中心とする勢力(日本の再軍備化に消極的・容共←重要なポイント)が猛反発したといわれている。そして当時首相だった吉田茂も、旧日本軍の上層部にいた連中を徹底的に嫌っており、服部を長官とする再軍備化には反対の立場をとった。そこでGSと吉田は共に、G2のウイロビーや服部と同調する者たちの行動をマッカーサーに訴えたのであるが、これを受けてGHQはウイロビーの示した警察予備隊の構想を認めず、服部たちが警察予備隊と関わることを許さなかったのである。つまりGHQは、大東亜戦争において参謀本部などで力を振るった旧陸軍将校たちの軍組織への再介入をはっきりと斥けたといえる。


吉田茂暗殺計画なるものが出てきた背景として、このような流れを思い浮かべることが、一応はできる。が、それならばこの事件の黒幕として、自身の描いた日本再軍備化計画をGSと吉田側に挫かれたG2のウイロビーという無視することのできない存在が浮かび上がってくるようにも思われる。
まー、しかし、このCIA文章自体の信憑度に相当大きな疑問符が付きますけれども。
ただ、歴史を振り返ってみても、服部・辻という二人ほどお騒がせなヒト達はそうそういるものではない。だからといってこれからの時代がこのお笑いコンビみたいな連中に振り回されてはダメですよ。彼らの無能・無謀ぶりについてはもう歴史家の手に託すべき時が訪れており、今更熱を上げてあれやこれや言い立てても、イタズラに焦点を暈すだけで詮無いことです。


時間は冷酷に流れ去る。其処に身を置いた者はいずれ押し流される運命ならば、何をか言わん。
小さな源泉が下流へと向かって流れ出して行く過程で、幾多の支流を生み、それらが大きな川へと成長を遂げ、最終的には様々な場所の海に通ずるように、時間の川も、流れ行く中で膨大な支流を持ち、それぞれの川がそれぞれの海へと向かっている。
服部卓四郎・辻政信という二つの川も、今では各々の先にある大海へとなだれ込もうとしているではないか。
もし河口を前にして流れが止まるようなことがあれば、整備することの出来る者が海へと繋げてやれば良いし、川を巡る環境が悪化すれば人々が力を合わせて改善してやれば良い。そうしてそれぞれの川は、“歴史”という大きな海と一つになっていくのだ。それは様々な面で私たちにとっての一大基盤となるものである。

2007年02月08日

2007年02月08日 現代の中の歴史

インターネットで古書を買うというのは、今日では当たり前のようになされていることである。しかし20〜30年前に出版された後、現在では絶版となっている本を、ネット上の古書店で容易に購入できることには、やはり違和感を感じる。


そういうわけで先日、種村佐孝著『大本営機密日誌』と宇垣纏著『戦藻録』を購入したのである。これら大東亜戦争を知るための第一級資料が、実にあっさりとネットで買えることに、時代の流れを感じるではないか。ということを言いたかったワケだ。


さて宇垣さんの『戦藻録』であるが、これは「超」が付くほど重要な資料(史料)だということを、今、まさに読みながら実感している。相当な分量である故、まだ3分の1くらいまでしか目を通せていないが、連合艦隊司令部の様子や、各司令官・参謀の間で交わされたやり取り、戦時中特有の情報の交錯ぶり等が鮮明に描かれていて、興味をそそる部分が多い。
当然、彼の日記で全てが明らかになるわけではないが、当時の様子を思い描く時に大いなる参考となることは確かである。
若干、他者の言動に対しては辛辣に自らの言動に対しては寛容に、という部分が見受けられるが、まぁ、それはやむを得まい。重要なのは、そこからどれだけ知ることができるかだ。宇垣さんの性格如何よりも、大東亜戦争時における(海軍を中心とした)指揮官連中の言動を窺うことができる点で、『戦藻録』は実に重要な資料である。よくもこれだけ膨大な量の日記を書き残してくれたと言う他ない。これで黒島龜人にイタズラをされていなければ、より良かったんだけどなぁ。


黒島さんの名前を出してしまったから、ついでに言うが、彼はなかなか厄介な人物であったようだ。その活躍ぶりは良くも悪くも、歴史的に実に大きな意味を持っている。
例えば、森本忠夫著『特攻』(光人社 平成十七年)には


黒島は、四四年八月六日に開かれた戦備考査部会議の席上、黒島一流の「突飛意表ノ方策」を提案していた。しかし、この時の黒島の「意表の方策」と言われるものは、必死必殺の戦法としての「戦闘機による衝突撃」、つまり、後日の航空特攻に他ならなかった。黒島こそが、特攻提唱の張本人であり、イニシエイターだったと言うことだ。(一一七頁)


などと書かれているが、この辺りの事情はどれだけ知られているのだろう。


どうだろう、彼の参謀としての能力は。
例えば作案者という観点から見てみると、石原莞爾のような巨視的な視野を持った天才策略家のような人物とは比べ物にならないくらい劣るかもしれない。しかし彼が戦術家として注目すべき点のあったことは疑い得ないだろう。陸軍には天才戦略家の石原莞爾がいて、海軍には秀才戦術家の黒島龜人がいた、ともいえる。黒島さんは戦略家ではなく戦術家だと思うが、陸軍に彼のようなユニークな戦術家はいなかったのではないか。にも関わらず、戦後において彼の存在はいささか軽視されてきた感がある。
黒島さんはその実績に比して、不幸にも歴史の中にハッキリと位置付けられていないのではなかろうか。
黒島龜人という時代の落とし物を、その功罪を、現代人は拾うことが出来ないでいる。それは言い過ぎだろうか。その答えが出るまでには、もう少し時間が必要なのかもしれない。

2007年01月18日

2007年01月18日 ある断面

一下級将校の見た帝国陸軍山本七平著『一下級将校の見た帝国陸軍』


書名の通り下級将校という立場から帝国陸軍の実相を伝えた本。
本書中の中で幾度となく指摘されているのは、いかに帝国陸軍という組織が制度的に矛盾に満ち、虚構に支配されていたかということ。
そこは気魄に溢れ、攻撃精神旺盛な者が支配する世界で、真っ当な「言葉」による秩序は実質的に存在しなかったのだという。当然、合理的な判断や指導ができる体制ではなかった。更には制度上の最高責任者が、実は骨抜きにされた状態にあり、それに代わって支配権を握ったのは、例えば辻政信のような「言って言って言いまくるという形の“気魄誇示”の演技屋」であったとする。
“気魄誇示”を忘れない参謀クラスは、ついに最後まで精神主義というものから脱却することのできなかった帝国陸軍においては、いつしか上官の信頼を無条件で勝ち得ていた。そして彼らの気魄が上からの統制を超える域にまで達した時、「実力者参謀が本当の『発令者』で司令官はその命令文の『代読者』にすぎぬ」という事態に陥ったのである。それは「指揮官が参謀の方に心理的に依存し切ってしまう『上依存下』」という状態、つまり「帝国陸軍とは『下克上の世界』だったとよく言われるが、われわれ内部のものが見ていると、『下が上を克する』というより、『上が下に依存』する世界」であったと一下級将校であった著者をして語らしめるまでに至っていたのである。


本書のおいて端的に指摘される帝国陸軍という組織の欠陥、これらは著者の思想として語られたものというより、むしろ現場に身を置いた当事者としての視点、ありのままの描写である。氏が指摘する数々の帝国陸軍の虚構は、現実にあった事柄を汲み取って書かれている分、明確だ。
昨今、やたらと目にする「ウヨク」や「サヨク」という視点を超えた所にある、歴史の正直な一面。


山本氏の数々の証言は、次代の者が克服せねばならぬものは依然として眼前に横たわっていることを告げる警鐘としての役目も負っているであろう。
歴史を歴史として終わらせるのではなく、次代の者がそれを更に次の世代へと、最も相応しい形に変換して受け継いでいくことが重要なのである。氏が遺した記録は、その一助となるべきものに他ならない。学ばなければならないことが、明確な形で記されている一冊である。

2007年01月06日

2007年01月06日 阿呆の愚痴

私は阿呆である。阿呆であるから言う。


加藤ローサは天使だ。何処からどう見ても天使にしか見えないのだ。あの豊穣な笑顔、アレを━━━アレなどと言ってしまっては天使に対して失敬千万であるゆえ、彼女の笑顔は「夕焼け輝く波間に映ずる麗朗たる一等星の清輝」と形容しよう。その「夕焼け輝く波間に映ずる麗朗たる一等星の清輝」を見るだけで、私の心は悶々と、いや轟々と鳴り渡るのである。


夕焼け輝く波間に映ずる麗朗たる一等星の清輝を奉戴する女性がウンコなどをするわけはなく、彼女の体内からは事あるごとに真珠が現出されるそうだ。ただし屁はこくというから、さすがの天使であっても体内で何らかのガスが醸成される模様である。そのガスはたまに超クセーらしいが、彼女の端粛かつ繊麗な容姿と気品溢れる艶麗な性格は、その超クセーのを帳消しにしてしまうと云われている。まさに自然の循環、二酸化炭素を吸い込み酸素に変相させてしまう光合成のようなものではないか。

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2006年12月09日

2006年12月09日 マクロ⇔ミクロ

今、俄に栗林忠道ブームが起きている。
クリント・イーストウッドが硫黄島の戦いの映画を撮ったことを考えると、これはある意味必然なのかもしれない。


陸軍中将栗林忠道。


彼は硫黄島の戦いにおいて徹底した守備隊の司令官として抗戦したことが相当高く評価されている。現に硫黄島の戦いは最も戦果を挙げたと言って良い。
だが、そこでの戦いは水がない上に食料も不足し、更には下痢、日射病などにも襲われ、兵士たちの置かれた環境面は最悪だったといわれているが。
彼はまたアメリカ滞在経験もあり、アメリカ及び米軍に関する知識は相当なものであったという。
物資的に明らかに劣る日本が、アメリカを敵にするということ。彼もまた山本五十六らと並んで、その無謀さを痛感していたようである。
そして子供に宛てた手紙などが、彼の人柄をいっそう高めているのかもしれない。


確かに栗林忠道という人物の生涯は悲劇的な面が強い。
それは戦艦大和が沖縄に特攻をかけた時、司令長官を努めていた海軍中将伊藤整一(死後海軍大将に昇進)と米軍の第五艦隊司令長官スプルーアンスの残酷な宿命に似ているかもしれない。
少なくともインドでのいい加減な作戦指導の末、多くの兵士を犠牲にした牟田口廉也中将よりは共感を呼び易いであろう。


軍人だからこそ、国家を守るという大義があるからこそ、そしてもっと身近な存在のために、犠牲にしなければならないものもある。
彼らの想いはやはり後世に遺していかなければならない。


そして出来ることなら、司令官だけではなく末端の無名の兵士たちにも想いを馳せたいものである。
一部の無能な参謀や軍部首脳陣によって人生を決定付けられた人々を思うことなく、平和も糞もあったものではない。
今、注目されている栗林忠道という人物を通じて、その後ろにいた多くの者の姿を今一度思い起こしたい。私は、彼らの「生」と「死」の意味を確認する作業を通して、将来の教訓へと繋げたいと思うのである。

2006年11月22日

2006年11月22日 バランス感覚

保阪正康著『昭和陸軍の研究』(上・下)保阪正康氏の『昭和陸軍の研究』(上・下)
今のところ上巻だけ読んだ。これから下巻に行く予定。


保阪さんの本を読むたびに思う事だけど、この人の緻密な取材には感服せざるを得ない。
今までどれだけの時間を聞き込みに費やして来られたのだろうか。
いやはや恐れ入る。


一方で、この人の歴史観や戦争認識への評価は分かれるところだろう。
物事をやや安易に断定・断罪したりする傾向にあるのは気にかかるし、たまに間違いを書くこともあったり・・・
とはいえ、過去と向き合い、そこから反省点を探り出し、現在さらには将来への教訓に昇華させようとするその一貫した姿勢は、やはり認められるべきだろう、と思う。


歴史は、現在から将来に及ぶ教訓の発見の場である、と私は考えている。
過去に起きた事柄を色んな角度から捉え直すことで見えて来る事象、現象、思想、政策、行動などを、今後の私たちの広い意味での生活の上に照らし合わせることで、漸く歴史は生かされるのだと思う。単に、昔はこういうことがあって、こういう風になって、こういうものが出来ましたよ、という客観的な出来事を知るだけでは、歴史を見つめる意味は無い。肝心なことは、過去におけるある出来事が、現在を生きる私たちに何をもたらそうとしているのかを考察することだ。


そういう意味では、保阪さんの歴史に対する態度は悪いと思わない。
ただし、時々、その態度が強烈なまでに指導者層への批判に向けられることがあるのは気になりますが…
そりゃちょっと厳しすぎないか、と思う見方をする時がある。それがこの人の評価を分けている第一の原因だろう。


過去への反省の念を持ち、その善悪を質そうとする姿勢は、やはり大切なことだ。しかし、それだけでは見えて来ないものもある。そこんところのバランスの取り方によって、歴史観というものは異なってくるのだろう。
保阪さんや半藤一利さんなんかは比較的厳しい目で過去を捉えようとしているけど、それは別の言い方をすれば、過去の日本の悪い部分と徹底的に向き合っているということ。そういう視点は忘れられるべきではない。


問題なのは、そのバランスなんですよ、バランス。
保阪さんはたまにバランスを崩すような時があるので、気をつけてもらいたいと思います。
繰り返して言いますけど、私は基本的にこの人のスタンスは嫌いではありません。この『昭和陸軍の研究』(上・下)も良い本ですよ。
この本の中のバランスは・・・たまに「むむっ!?」と思うときが無きにしもあらずという感じですが、当時の陸軍を徹底的に見つめ直しているという意味では、素晴らしい本だと実感しております。ハイ。

2006年11月16日

2006年11月16日 クラクションと童謡

先日、祖母が亡くなった。90歳を過ぎてたから、大往生といっても良いだろう。90年分の人生ってどんなんだろうなぁ。ちょっと想像し辛いわ。なんたって大正生まれだからね。第一次世界大戦をやってた辺りに生まれているんだからスゴい。激動の時代を生き抜いてきたわけだ。
今の私と同じくらいの年齢で結婚して、間もなく戦争が始まって、でも子供も沢山いて、孫も10人以上いる。


色々思い出すことはあるけど、兎に角優しいお婆ちゃんだったという印象ばかり。怒っているところを見たことがない。私なんかにもかなりお小遣いをくれたりした。


昨日の葬儀で印象的だったのは、安らかな死に顔と出棺の時の「プワァ〜〜〜〜ン」というクラクションの音。
テレビで有名人の葬儀、出棺の模様を放送しているけど、所詮テレビはテレビだ。あの音をリアルに伝えることはできていないと思った。


今まで、あんなに物悲しく響くクラクションの音は、聞いたことがない。


例えば、ロクでもないタクシーの運転手が鳴らす「ビッ!」というクラクションの音などは、人を馬鹿にしたような下衆の音だ。なんの感情もない。avexのミュージシャンかよ!と。


そもそも霊柩車のクラクションは、他のクラクションとは別のモノを使ってるでしょ?一般車にあの音は出せない。本当に良い音を出すよなー。


出棺の後、私を含む数名が用意されていたバスとは異なる別の車で火葬場まで行くことに。
ちょっと離れたところに車があったので、そこに向かう途中、祖母と馴染み深い近所のお爺さん(私も何度か見たことがある)が家の前で杖をついて出棺を見送っていた。その光景を思い出すと、今でもちょっと泣きそうになる。なんか寂しい光景だった。


もう一つ印象的だったのは、葬儀の前に「故郷」や「赤とんぼ」や「七つの子」といった童謡のメロディーが流れていたこと。
これも恐ろしく寂しい雰囲気だった。童謡ってあんなに切ない音だったのか。日本人の情緒を刺激するのかなぁ。


うさぎおいしかのやま
こぶなつりしかのかわ
ゆめはいまも めぐりて
わすれがたきふるさと


でも「七つの子」が流れてきたときに
烏なぜ啼くの
烏の勝手でしょ
と別の歌詞がまず出てきた時は、志村けんの偉大さ、影響力の大きさを改めて実感した。


亡くなる前日までは元気だったけど、明くる日急に息を引き取ったという。誰も死に目には会えず。
たまにあるパターンだね。
親族を心配させたくないから、急に死んだのよ。ずっと危篤状態なんかで、大勢をハラハラさせるより、パッと死んだ方が良いだろうと思ったの。ちょっと驚かせることになるだろうけど、それは仕方ないわ。あまりワタシのことを気にかけて、生活に支障をきたしたりしてもアレだからね、と故人の胸中を推測してみたり。


思い返せば、私は祖母に何も出来なかった。
恩返しという意味でも、しっかりやっていかねばならんなと自分を戒めております。
ご冥福を祈りつつ。

2006年11月03日

2006年11月03日 ヘノミチ

中村粲著『大東亜戦争への道』某メディア批判でお馴染み、中村粲センセイの名著『大東亜戦争への道』
ほうほう、ナルホド、これは確かに面白い本だ。
約四千円もする高価な本だけど、それだけの価値はある、はず。
書名通り大東亜戦争までの過程を丁寧に追った一級の通史といえるだろう。超完璧とまでは言わないが、完璧と言って良い本。


流れを淡々とした筆致で書いている所もあれば、若干熱がこもっているな、と行間から窺える所もある。この辺りはさすが近現代史の大家だと思わせる。そういう所が見受けられない歴史本は、読んでいて面白くないからね。
その著者の意見・見解が曖昧な本なんて面白いワケがない。歴史の本だって、事実の上に著者の考えが述べられていなければならない。どっち付かずの意見が記された歴史書なんて教科書だけで十分。いや、教科書は出来る限り公平な視点から史実を書かなければいけないが、そもそもそんなコトは不可能だともいえる。どれだけ公平に書いたつもりでも、必ずどこかから批判が出るから。それならば、教科書のようなスタイルは無視して、自分のスタイルで、自分の歴史観を述べる以外にないのではないか。
へっ、そういう批判は覚悟の上さ、という気概を持ってね。
批判が怖くて、どうとも受け取れるような感じの無難で中途半端な文章を書く著者は卑怯だ。その点、この本は一貫して書き手の見解が述べられているから心地良い。


中村センセイからいわせれば、大東亜戦争とは…
1.門戸開放主義をめぐる日米抗争 2.共産主義との戦ひ(六百五十六頁)
となるが、まぁ、そうでしょうねぇ。


あとは、日本国内での共産分子の動きとかが記述されていても良かったように思うけど、それは別に良いか。
そういえば、大東亜戦争はコミンテルンの陰謀によって引き起こされた戦争で、その最終目的は全世界の共産化政策だった、などという論を聞いたことがあるなー。日本の首脳部にも、実は赤い連中が多くいたとか。アハハハ。陰謀説ってのは面白いから、常に一人歩きしますからねぇ。デイビッド・バーガミニの「天皇の陰謀」だって少なからず注目されたし…


えーと、そういうことで、興味があれば右上の画像をクリックして下さい。amazonにジャーンプしますから。

2006年07月22日

2006年07月22日 「桜」と「自死」

最近読んだ本
「ねじ曲げられた桜」大貫恵美子著 岩波書店
「自死の日本史」モーリス・パンゲ 筑摩書房


ともに所謂"大作"という部類に入るだろう。頁数はかなりのものだった。だが内容はそれよりも充実。


「ねじ曲げられた桜」の方は、桜という日本人の美意識の象徴に焦点を当て、それが内包する意味を説き、「軍国主義政策」と桜の関係を論じていく。関係といっても、軍国主義を推し進めようとした軍部が、いかなる形で桜の美的価値を利用したのかという点に集約される。
軍部が桜を用いて巧みに日本人の美意識に訴えかけようとしたそのプロセス、そして美意識を操られることで無意識に思想形成されていく私たちの危うさ、それはたとえ意識していようとも、微妙な点からズレていくのだということを明らかにする。


この本のテーマの一つとして特攻隊員の思想考察という一面も有している。それはつまり隊員たちの内面を探ることで見えてくる彼らの真実の姿と美意識という問題に帰結する。軍国主義イデオロギーの中で育ち、二十歳前後にして自らの運命に決着をつけなければならなかった特攻隊員たちが抱いた思想(とりわけ美意識)を探求することで、ありのままの軍国主義、若者の本音を捉えようとする。


著者は「ナショナリズム」と「愛国心」というそれぞれ異なる概念を提示する。政治的力の加わったものを「ナショナリズム」、純粋なる祖国への愛情を「愛国心」と定義し、美意識の問題と関連付けて、それが終戦に至るまでの間にいかなる変遷を遂げ、日本人はどのような影響、被害を受けてきたのかを暴くのである。


以下の一文に記されていることを、私たちは忘れてはならないであろう。
「美的価値は、国民がもっとも大事にしている価値(自分たちの国土・歴史・理想・純潔や犠牲という道徳律)を表現する象徴に付与される。人々は『美しさ』に反応し、自分たち自身の理想主義と美的価値に応じてそれを解釈するが、その一方で、国家は人々を『動員』するために同じ美的価値と象徴を利用することが可能である」


さてもう一方の「自死の日本史」は、日本人の「自死」、つまり自ら命を絶つ行為(自殺的行為)について述べたものである(日本人論)。
「自死」といってもそれは、無目的なものと、はっきりと目的を持っているものがある。
ここでは、後者について述べられている。
武士に見られる切腹から、近松門左衛門が主要なテーマとした心中、さらには北村透谷をはじめとして芥川や太宰や三島由紀夫らに代表される近代作家の自殺問題等々。
至る所で繰り返されてきた日本人の「自死」は、西欧諸国におけるそれとは全く異なった意義を持つものであるとして、著者は常に西欧の哲学者や小説家、そしてキリスト教の思想といったものと日本人の思想(ここでは主に仏教、儒教、禅等をベースとして形成された武士道的思想や社会に定着していた民衆の価値観や伝統など)を対置させた考察を試みる。
そこに見られてくるのは、「死」することによって「生」を見出すことを常としてきた日本人の姿である。
別の言い方をすれば、日本人は正しい「死」を追い求めてきた民族である。「死に場所を得る」という言葉に象徴されるように、日本人は自らにふさわしい「死」(「自死」)でもって「生」の価値を、その正当性を、その真実味を、自分自身に与えようとする一方で、他者に教え込もうともしてきたのである。例えば、武士にとって切腹をすることは一つの名誉であったが、彼らは切腹によって自らの「生」の正当性を証明し、一方で他者は切腹したものを誉め讃えたのであった。


日本人が真の「生」を得るために、「自死」という行為を臆することなく公使してきたその歴史が明らかにされる。
著者はこのような「自死」を「意志的な死」と呼ぶ。日本人は明確な「意志」を持ち「自死」したのなら、それがいかなる「意志」であれ、死した者に対しては重い意味を与えようとしてきた。それらのことが具体的事例によって例証されていく。


「自死」、特に「意志的な死」に集約される日本人の価値観、歴史観、生命観、アイデンティティー。それが一人のフランス人によって、実に鮮やかに示されているのだ。


・・・こんな糞みたいな内容説明で興味を持った方は是非一読を。
ただ、「自死の日本史」の方はもはや古本でしか入手できないかもしれませんが。

2006年06月23日

2006年06月23日 プロフェッショナル精神醸成の為に

日本惨敗! 川淵辞めろ…神様にすべてを丸投げ


これは、なかなか面白いことを書いている。
この記事に書かれていることが、正しいか正しくないかという前に、メディアはこうした冷静な視線、冷静な意見を世間に出すことが大切なのではないか。ねぇ。
今まで日本のメディアは、すぐに「健闘を讃える」という甘美なセリフを用いて、あからさまな批判は避けてきた(一部のスポーツ新聞や週刊誌では、批判はなされてきたが、それらは往々にして面白半分のものであった)。でも、


今回のWCはプロの選手が出ている。プロは常に結果を出すことが求められる。結果を出せなければ、批判をされるのは当然のことだ。
それを受け入れることができない、納得できないというなら、ソイツはプロ失格だ。


日本人が今まで、あからさまな批判をしてこなかったのは、古来から日本人の精神に宿る「情け」という概念に関係しているのかもしれない。
確かに今でも、「情け」という考え方に触れることは、容易い。
しかし、私は、プロ…プロフェッショナルな人々を前にしたとき、「情け」という情でもって讃えるばかりであるなら、それはマイナスの効果しかもたらさないように思う。
結果を求められる職業をしている人物に「情け」は無用なのだ。


批判するのだって、メディアだけではない。むしろ日本メディアは、今後もほとんど期待できない。そこで一ファンが真摯な姿勢で積極的にプロに対して批判していくことが必要になる。
というか、プレーするものに対して何らかのアクションを示すことが大切であると、私は思う。


今までの日本では、外野からのアクションがほとんど見られなかった。そのため「プロ意識」というものが醸成され難い環境であった。
それは…現在においても、ほとんど改善されていない。
頻繁に指摘される日本選手の「メンタル面の弱さ」における原因の一つは、こうした所に見られる。(モチロン、それよりも選手個人の意志、心がけの方が何倍も大きな原因であろう。しかし、ファンからの意見が選手を動かすことがある、という点を忘れてはならない。)


様々な人が、プロに対して意見を出す。また、他人の意見を参考にし、自分の意見を再考してみる。
そのような過程が、成長に導いてくれる。
批判するものの見識・知識が上がれば、それは批判される対象にとっては、より現実的価値を有するものになり、プロを精神的に、技術的に向上させるひとつの要因になり得ると思う。


しかし、ここでひとつ問題となることがあるのだが、それは批判と誹謗・中傷を混同してしまう輩がいることだ。
簡単に言うと、批判とはマジメな態度で、改善すべき点や良くない点を発言することであり、誹謗・中傷とは単に相手をバカにした発言をするだけの、いわば悪質なイタズラ的下劣行為のことだ。
批判と誹謗・中傷を区別し、健全な批判をすることが大切だ。


今回の記事は選手に対するものではなく、それを統括する立場…つまり大元に対する批判である。
これは、選手へ向ける批判よりもさらに複雑だ。結果を出す現場にいる人々ではなく、裏で操っている者たちに対して向けられる意見の場合、往々にして選手が抱えるしがらみよりも見え難い、醜い背景が幾多も存在しており、それらをひとつひとつ整理しておかねばならない。
この川淵に対する意見だって、ここに書かれている以上に厄介な問題が、間違いなく存在しているだろう。
意見を出すものは、冷静にそれらの事柄をひとつひとつ捉えて、自分なりのモノを提示していく必要がある。
それは個人のブログでも掲示板でも良いように思う、とりあえず冷静な意見を出すことが求められる。


今の日本には、よく知られているようにメディアの意見を制限させる力を持った諸団体が存在しており、そのような屑団体がメディアの発展、そしてプロの発展の足枷となっている。
だからこそ、ひとりでも多くの者が、発言できる場で発言して、「プロ意識」を醸成させるように導いていくことが必要になる。メディアをアテにするより、個人が発言できる場を見つけてアクションを起こす必要があるのだ。


ファンがアクションを起こさず、「情け」という概念に縛られている限り、日本のプロ…プロフェッショナル精神は、これ以上伸びないのではないか、という危惧を、私は抱いている。ノデス。

2006年05月31日

2006年05月31日 ふと思ったこと。

大東亜戦争時の陸軍に富永恭次中将という最強のヘタレ司令官がいた。この男は陸軍の特攻隊編成の中心人物であったとされている。数えきれない程の若者たちが自らの生命を犠牲にして、守るべきものを守るために散華していったが、富永は時が来ると前線から逃げるように退避したのであった。
単に待避するだけなら、"普通の"ヘタレだが、富永の場合はそれよりもタチが悪い"最強の"ヘタレなのだ。というのも彼は、隊員が出撃する前に「私も後で貴様たちを追っていく」と言いながら、状況がヤバくなると逃げたのだ。当時の軍司令官にはあり得ないような事である。それなら最初からカッコつけたようなことを言うな、ということだ。その点海軍の特攻隊編成の中心人物とされる大西瀧治郎などは見事なものである。しかし、一番見事というか、忘れてはならないのは、その意志がどうであれ、自らを犠牲にしてまで戦った無数の兵士たちだ。
彼等の心境いかなるものであったのか。こういうことを考える時、まず「七生報国」や「八紘一宇」、「悠久の大儀」という言葉が出てくるが、おそらくはそれよりももっと身近で、自分にとって大切なものが、彼らの念頭にはあったのだろう。


自分の生命を投げ出してまで、守るべき、大切なもの。


そういうものがパッと頭に浮かんだアナタはきっと幸せ者。私は・・・・

2006年05月28日

2006年05月28日 郷土愛→愛国心の謎

そもそも愛国心なんぞは学校で教えるようなものなのか。どうやって教えるのだ。日本は素晴らしい国ですから、皆さん好きになりませうね。なんていうのか。バカらしい。学校で無理矢理に教わるものでもなかろうに。こんなことを教えなければいけなくなったのは何故だ!日教組がいけないのか! 一体どうなっているんだ!!正しい歴史認識とか出来る限り客観的な思想を学校で教えれば、それがすなわち愛国心形成に至ると思うんだけどなぁ。


愛国心は、まあ、良いとして、政府はそれと一緒に郷土への愛着も教えたいみたいだけど、このやり方がちょっと気になる。元来郷土への愛着である郷土愛(パトリオティズム)と愛国心とを同じ繋がりで教えることはおかしくないか。郷土愛と愛国心は実は別もんじゃないか? なんか無理矢理に混同させてグチャグチャにしようとしている気がするでごわす。


郷土愛というのは、自分が生まれ育った地、そこにある自然や町並み、使い慣れた方言、その地域だけの伝統や風習など、そういうものに基づき、ヒトにとって凄く根源的なものであり、無意識に形成される。そして非常に限定された狭いものでもある。また一切の政治的思想や政府組織・権力体制とは無縁のものである。
だから、仮に母国の政治や政府組織が崩壊しても、郷土愛は消えるものではないだろう。自分にとっての故郷が存在し続ける限り、郷土愛というものは残り続ける。
一方の愛国心というのは常に外国との意識の上に成り立つ。国という概念が無ければ、愛国なんていう感情は生まれない。
無意識に形成されていくのを常とする郷土愛と、実は母国・外国という意識があって初めて湧き出てくる愛国心。
郷土愛の延長線上に愛国心があるというが、実際はこれら二つのものは、元来異なるものではないか。


もの凄く飛躍した話かもしれないが、こういう考え方もできる。
もし今自分の母国が植民地化されたら、それまで自分が属していた国への愛着を捨てて一気に領主国となった国への愛着心(愛国心)が持てるかどうかという問題。普通は持てないだろう。そうすると植民地化されたら、愛国心というものは無くなってしまうのだろうか。形式上は自分が今まで属していた国が吸収されたような形になるわけだから。愛国心を持とうにも甚だ面倒なことになる。クリリンは18号が好きだったけどセルに吸収されて18号は消えてしまった。それじゃあクリリンはセルを好きになったかということである。むしろ憎んだじゃないか。手も足も出なかったけど。


このような場合、自分が育ってきた郷土への愛着は変わらず持ち続けられるだろう。郷土自体は何も変わって無いのだから。ただ愛国心となると、寸断されてしまうのが普通の感情の帰着する所だ。
必ずしも郷土愛と愛国心が繋がっているとはいえないことの例になりはしないだろうか。まぁ、こんなことは現代の日本ではまずあり得ない極端な例ではあるが。


しかし、いずれにせよ、無意識の内に普遍的に存在するヒトの根源的な感情である郷土愛と、外国との意識の上に成り立ち、国というものの規定のされ方により変化してしまう恐れがある愛国心との繋がりは実に複雑で、それを同一線上に捉えて良いのかどうか、正直まだよく分からん。
けれども、郷土愛を無理矢理に愛国心に結び付けようとする思想は、若干無理のあるもので、そこに民主主義政府の苦しさというか周到さというか、なんか目に見えない外圧的なものの存在が見え隠れしているように思うのは、考え過ぎだろうか。
それに郷土愛と愛国心の間には、何かしらの障害があって、普遍的・根源的な感情である郷土愛が意外とモロい愛国心のことを邪魔だと感じることもあるかもしれない。滅多にないことだろうけど。


とにかくこれはもう厄介な事柄だ!こんな厄介なものをあんなにあっさりと法律に盛り込んで良いものか。


・・・でもアレだ。こんなことを夜中の3時過ぎに考えてても仕方がないので、もう諦めて寝ようと思う。雑文放棄。私の人生諦めばっかり。諦めが肝心という言葉に甘え過ぎているな。

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