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2009年05月30日

2009年05月30日 爺ちゃん ありがとう!

先日祖父が亡くなりました。
暫く前から覚悟はしていたのですが、いざ亡くなったとなると、何とも適切な言葉が浮かんできません。わたしのなかでの祖父との思い出は断片的なものが大半を占めていて、しかしその断片を数え上げてゆけばキリがないくらいに多いのです。わたしが3歳くらいの頃から、最後に会った今月の上旬まで、本当に色んな光景が刻まれています。わたしのなかにある祖父──いつもは「爺ちゃん」と呼んでいました──の姿、それは、あまり笑わなかった爺ちゃん、細身ながらも畑仕事で鍛え上げた腕力が自慢だった爺ちゃん、高校野球をよく見ていた爺ちゃん、大相撲をよく見ていた爺ちゃん、NHKのニュースをよく見ていた爺ちゃん、そのくせ受信料をずっと払っていなかった爺ちゃん(あんなモノは払わなくても良い)、薪で風呂を沸かしていた爺ちゃん、同じ話を何回もしてくれた爺ちゃん、朝起きると真っ先にヒゲを剃っていた爺ちゃん、曲がった腰で急坂を登り降りしていた爺ちゃん、お酒が好きで酔っぱらって胡座を組んだ体勢で鼻水を垂らしながら寝ていた爺ちゃん、一年くらい賞味期限の切れたお菓子を平気な顔して「食べろ食べろ」と薦めてくれた爺ちゃん、唯一の海外旅行は戦争による出兵であった爺ちゃん、70歳くらいにして初めてジェット・コースターに乗り「クラクラする」と笑いながら言っていた爺ちゃん、ポカリスエットが好きだった爺ちゃん、ローリング・ストーンズが好きだった爺ちゃん、イノシシを背負い投げした爺ちゃん、タバスコを一気飲みした爺ちゃん、鬼魔人に右腕をもぎ取られた爺ちゃん、「Your inside is out and your outside is in Your outside is in and your inside is out」が口癖だった爺ちゃん、虎の子を飼うと言い出し、家族の猛反対を受けて一時期放浪の旅に出た爺ちゃん、ストーカー市川を見て「コレならワシでもまだいけるかもしれん」と言っていた爺ちゃん・・・・ 思い出は無数に存在します。(上記にあげたもののなかには、もしかするとわたしの記憶違いによるモノが含まれているかもしれません。)


最後に会ったのは今月の上旬。もう長くはないとの報を受け、帰省しました。病気によりかなり衰弱していた祖父は、それでも意識は明瞭で、どうにか会話を交わすことができました。コチラへ再度舞い戻る前日の夜、最後のお見舞いに行った時が今生の別となりました。もちろん、それはわたしの一方的な考えで、祖父がどのように考えていたのかは分かりません。けれども、少なくともその時のわたしには「これで爺ちゃんともお別れだ」という思いが去来していたのです。「痛い所は無い?」と聞いたら「痛い所は、無い」と返答してくれたのが、最後の会話になりました。不器用な会話でゴメンよ。その後眠りについた祖父の寝顔が今でも焼き付いています。


「SOGI」納棺の時、葬儀の時、涙は見せないようにと思い頑張りました。祖父もきっとわたしの涙なんか求めていないだろうと思ったから。その点では、喪主である父が一番気丈でした。納棺の時に祖父に優しい言葉を沢山かけてあげていました。あの時は本当に泣きそうになったので、わたしは咄嗟に鉄拳ばりに「こんな納棺はイヤだ」を考えて気を紛らわしたのです。──棺の横側に「http://www.sogi.com」とプリントされている。(ちなみに葬儀場には葬式専門雑誌であるという「SOGI」なる珍しいモノが置かれてあったので思わず読んでしまいました。巻頭カラーで最先端の葬儀が特集されていました。 参考リンク:表現文化社 雑誌SOGI、右上の画像をクリックすれば大きな画像が見えるよ。安物のケータイのカメラで撮ったモノだから画質は悪いけど気にしないでね。)


火葬場へと向かうため、わたしは祖父の遺影を持って、位牌を持った父と共に霊柩車に乗り込みました。初めて乗った霊柩車。なんと中ではカワイイ声の読経テープがループ再生されていたのです。そして出棺時のあの独特の「プァァァアアア〜〜ン」という悲し過ぎる音のクラクションが、実はトランクを開けるようなレバーを引くことで出されているのだと知りました。なるほど、どうりで通常のクラクションとは音が違うワケだ。こんなことは霊柩車に乗らない限り分かりませんからねぇ。
祖父の遺骨はとても綺麗に焼け残り、頭部から脚部に至るまで、標本で見たような形の骨が次々に確認できました。畑仕事で鍛えたおかげでしょうか、骨格はしっかりしていたようです。骨壺に全てを納め切ることはできませんでした。


慌ただしく葬儀を終えて、翌日には実家を離れ、昨日コチラに舞い戻ってきました。まだ祖父の死が実感できていないような気もします。「孝行したい時に親は無し」と言いますが、それならば当然の如く、孝行したい時に祖父母もありません。祖父への感謝の念は、無数の思い出とともに募るばかりですが、唯一残念だったのが、わたしの方からは何の恩返しもできなかったこと。ゴメンよ、爺ちゃん。
そしてもう一度言っておこう。爺ちゃん ありがとう! どうか安らかに!

2009年05月24日

2009年05月24日 大相撲夏場所感想'09

祝・日馬富士


ありきたりな感想だけを並べます。
今場所一番良い相撲をとった力士が優勝しました。昨日の朝青龍戦、今日の本割での琴欧洲戦、いずれも立ち合いにそれほど上手くいかず相手の流れになりましたが、そこから見事な逆転。(優勝決定戦では裏腹に素晴らしい立ち合いで、一気に良い展開を作りましたね。これも天晴!)瞬発力というか、運動神経がずば抜けているなと思います。わたしは初日が終わった頃、日馬富士は終盤に優勝争いから脱落しそうだ、と言いましたが、何とも申し訳ありません。立派な立派な大関でした。来場所は綱取りですね。今場所のような相撲が取れれば、横綱昇進も現実味を帯びてきます。なんせ現時点では最も横綱に近い力士でしょうから。
惜しくも優勝はならなかった白鵬ですが、強さは存分に見せつけました。あの下半身! なんという強靭さ。来場所も(怪我さえなければ)間違いなく中心となる存在でしょう。もう一方の横綱朝青龍。彼らしい豪快な相撲も何番か見られましたが、昨日の日馬富士戦での怪我が響いたのか、今日は良い所なく、力もあまり入っていない負け方でした。できる限り怪我を治して、モンゴル三強時代を見せて欲しいと思います。
大関。ギリギリに勝ち越した琴光喜、満身創痍でなんとか凌いだ千代大海、怪我をしながらもどうにか勝ち越した魁皇。彼らがこの後、どんな風になるかは誰も知りません。あと、琴欧洲は良い日と悪い日の差がハッキリし過ぎて困惑します。


平幕では期待の豊響がよく動いて、本当に良い相撲を沢山とりました。来場所も期待しましょう。そして、翔天狼。彼も良かった。よく動ける力士はやはり充実しますね。出足も良いし、自分の得意な体勢を無理なく作れる。見ていて本当に面白い。


十両では猛虎浪ですかね。漸く入幕です。十両で苦労した分、幕内では大いに力を発揮して欲しいと思います。能力はかなり高いはずですから。
返り十両で優勝を決めた玉飛鳥。幕内経験もある力士です。このヒトもハマれば面白い押し相撲を見せてくれます。来場所以降も注目していきたい力士の一人です。体格も立派で、まだ年齢的にもこれから! 幕内でも上位を狙えるだけの素質はあると思っています。


そして最後になりますが、東関親方、長い間お疲れさまでした!
後継はやはり潮丸ですか(参考リンク:幕内潮丸が引退=東関部屋継承へ−大相撲)。偉大な親方の後を受けてプレッシャーもあるでしょうけど、立派な力士を沢山育てる素晴らしい親方になってくれることを期待しております。潮丸関もお疲れさまでした。これからは東関親方としての活躍を、精一杯応援していきたいと思います。


さぁ、次は名古屋です。例年の如く客足がやや懸念されますが、日馬富士の活躍により良い結果になるかもしれません。暑くなりそうな今夏、名古屋場所はもっともっと熱くなって欲しいものです。


お相撲は素晴らしぃー!

2009年05月22日

2009年05月22日 LOVE紅茶

美味しい紅茶が飲みたい。美味しい紅茶で満たされたお風呂に入りたい。美味しい紅茶を水鉄砲に詰め込んで撃ち合いしたい。美味しい紅茶を氷にして、インフルエンザで苦しんでいるヒトたちに氷枕としてプレゼントしたい。
美味しい紅茶に美味しいミルクを入れた美味しいミルクティーを飲みたい。美味しい紅茶に美味しいミルクを入れた美味しいミルクティーで乾杯の音頭をとりたい。美味しい紅茶に美味しいミルクを入れた美味しいミルクティーを誘い水にしたい。美味しい紅茶に美味しいミルクを入れた美味しいミルクティーを全国の水道から出したい。美味しい紅茶に美味しいミルクを入れた美味しいミルクティーをダム一杯に貯水してソコを「キングダム」と呼びたい。
紅茶に無闇に砂糖を入れて甘くするヤツの庭に野犬を放してやりたい。紅茶に無闇に砂糖を入れて甘くするヤツの家の網戸に蚊が丁度通り抜けられるくらいの小穴を開けてやりたい。紅茶に無闇に砂糖を入れて甘くするヤツの車のフロントガラスの二つのワイパーとワイパーの間の(ワイパーが届かない)死角部分に頑固な汚れを付着させてやりたい。

2009年05月19日

2009年05月19日 マスク讃歌の下で

マスクを付けて外出しました。もうマスクが一世を風靡しております。マスクを付けていないといけないのかというくらいアッチでもコッチでもマスク三昧です。ズボン、シャツ、マスクの三つがないと「あ、あのヒト裸だ」と思われそうなくらいマスクが流行っています(コレはあくまでもわたしの住んでいる地域のコトで、北海道や東北など北の事情は分からない)。マスク工場は例年にないくらい大忙しかもしれません。わたしは幸いマスクを持っていましたので、マスク不足の影響は受けずに済みました。しかし、アレだけ多くのヒトがマスクを付けているのを見ると、マスクって実は相当多数の人々がフツウに所持しているモノなんだなぁとしみじみ実感致します。
今日などは些細な用事で、体調は万全でありながら、検診以外の目的で病院へと赴いたのですが、マスクを付けていないと入れないのかというくらい誰も彼もがマスクを付けていたので、思わず驚いたフリをしました。そしてソレはかなり珍しい光景でもあります。こんなに皆マスク着用だなんて!
昨日などはマスク無しで外出したものですから、街中のあまりの高マスク率に圧倒され、さも自分が罪人であるかのような気分になり、しかも何かとてつもなく環境の悪い場所に踏み入ったような感覚を覚え、帰宅した時には少しだけ頭痛がしていました。もしやインフルエンザに感染したのでは!?と思ったのですが、よく考えればそんなに短時間で発症するモノでもないので、コレは気分の問題だと思われます。病は気から。
若者の中には「マスク? ダッセー」と言わんばかりにマスクをせずに闊歩している輩がおりますが、アノように斜に構えたモノはまさにインフルエンザの餌食になるが宜しい。そんな彼らのためにこそ用意された言葉があります。自業自得。
しかし、この時期にマスクをしていると蒸れて困ります。蒸れるので少しの間マスクを外しますと、その瞬間にもウイルスが襲ってくるかもしれない! というか、そもそもマスクにウイルスが付着しているかもしれません。ソレをそのまま家へと持ち帰り、わたしのようにその辺に置いていますと、なんということか! ウイルスが部屋中に! これではマスクの意味がありません。ウイルス付着可能性のあるマスクの下にもう一つ別のマスクを付けなくてはなりません。そして家へ入る時にはウイルス付着可能性のあるマスクを捨ててから入らないと、結局ウイルスを持ち帰ってしまうことにもなりかねません。とても厄介です。これは決して神経質などではありません。昔からこういう表現があるでしょう。石橋を叩いて渡る。
テレビでお相撲を見ていると、国技館に来ているお客はあまりマスクを着けていないようです。関東の人々は阿呆なのでしょうか。外国から平気で運ばれてくるようなウイルスが、西日本から東日本には運ばれないとでも仰いますか? そもそもお相撲さんもマスクを着けて土俵に上がった方が良いように思います。備えあれば憂い無し。
マスクにどこまでの効果があるのかと問われれば、ソレは知りません。でも、多分それなりに効果があるのでしょう。だからあれだけ着けられている(コレはあくまでもわたしの住んでいる地域のコトで、北海道や東北など北の事情は分からない)。というワケで、マスクをバカにするヤツはマスクに泣け! ※くれぐれもマスクの万引き、窃盗、強盗は止めましょう。

2009年05月18日

2009年05月18日 繋がった一本の道

熊木杏里 - 雨が空から離れたら


以前にも書きましたが、熊木杏里サンの「雨が空から離れたら」という曲はスゴい。映像を埋め込めないのでYoutubeへの直リンを貼っておきますが、どう聴いてもこの曲は良いんです。不失者の後に聴いても、DJ光光光の後に聴いても、White NoiseとBrigitte Fontaineの間に聴いても素晴らしい。
そして「モウイチド」という曲も。アルバム「ひとヒナタ」の冒頭を飾る曲でして、コチラの方は動画を埋め込んでおきます。
(今、日本の女性歌手には本当に素敵な歌い手が多いように思います。森田童子から熊木杏里への道筋は繋がっている、そんなコトすら思うのです。もう余計な言葉は要らないんですよねぇ。)


2009年05月16日

2009年05月16日 大相撲前半戦雑記

横綱、大関陣は2日続けて安泰/夏場所


スゴいですねぇ。こんなコトもあるんですねぇ。アノ大関陣が二日連続で安泰だなんて。二日間安泰なだけで、こうして見出しになってしまうんですからねぇ。コレは終盤に大波乱があるかもしれません。その予兆、嵐の前の静けさではないでしょうか。ヒヤシンスの花も枯れてしまうかもしれません。
ところで、翔天狼が結構いい相撲を取っているように思います。まだまだ地味な存在かもしれませんが、鶴竜に続く新たなモンゴル勢力の登場となるでしょうか。大阪では負け越しているだけに、幕内二場所目となる今場所では是非とも勝ち越して、今後に繋がる15日間にして欲しいものです。ちなみに彼の本名も「(ダグダン)ドルジ」です。
高見盛が結構良い。親方の定年と合わせてよく取り上げられていますが、果たしてどこまで勝ち星を重ねられるでしょうか。通常よりもガムシャラでムチャクチャなように見えても、立ち合いから当たってすぐに得意の形にしてしまうんですから、こりゃ何かが違っているのでしょう。
豊真将、前頭筆頭で七連敗ですか。う〜ん、どうしたのでしょう。ヒヤシンスの花も心配そうに見ています。それに対して日馬富士、大関になって始めて無敗で中日を迎えています。ヒヤシンスの花も喜んでいます。立ち合い厳しく低く当たれている印象を受けます。相手の中へ中へ入ってゆく相撲、彼の持ち味が発揮されています。
最後に朝青龍。最近のこのヒトは本当に読めない。このまま終盤戦までいくのか、どこかで一気に崩れてしまうのか。対する白鵬が好調なだけに、さすがに二敗以上すると厳しくなるでしょう。今日の旭天鵬戦などはかなり良い内容だっただけに、こういう相撲を連日取れれば申し分ないと思うのですが。さぁ、果たしてどうでしょう。どうなるかな。ヒヤシンスの花も見守っています。

2009年05月14日

2009年05月14日 アホな質問者

女性の健康Q&A 「喫煙・禁煙」<1>


30代女性です。20代からずっと煙草を吸っています。結婚してそろそろ子供がほしいと思い、煙草をやめたほうがいいのかなとも思いますが、長年の習慣はなかなかやめられず、「子供ができたらやめよう。」とついつい自分を甘やかしてしまいます。煙草を吸っていると、妊娠しにくいとか、子どもに影響が出るとかあるのでしょうか? もちろん漠然とは、煙草は妊娠・出産に悪いと思っていますが、具体的な影響などを教えていただけますか?


ネタが無いとタバコの方に向かってしまうのがもはやお約束のようになっています。申し訳ない。ですが、あまりにもバカバカしいモノを見つけてしまいましたので、軽く記していこうと思います。
ココでの問題は上記の本当に寄せられたかどうか疑わしい質問文です。回答を先に用意して、上の質問を書き手が拵えた可能性が大いにあると思うのですが、ココではあえて実際に投稿されたモノであるとしておきましょう。なぜなら、そうしないと今回は何も書けませんので。


まず、この自称「30代女性」、コイツは実際のトコロ、そんなにタバコを止める気がない。現に「『子供ができたらやめよう。』とついつい自分を甘やかしてしまいます。」などと書いていますので。禁煙を前にして甘えが出ているのです。「長年の習慣」がどうとかほざきますその背景には、「だって今まで続けてきたんだから仕方ないじゃん!」という、「自業自得」であるコトをまったくもって忘却した卑屈なエゴイズムが滲み出ています。そして、付け加えるに「煙草を吸っていると、妊娠しにくいとか、子どもに影響が出るとかあるのでしょうか? もちろん漠然とは、煙草は妊娠・出産に悪いと思っていますが、具体的な影響などを教えていただけますか?」とくる。要は、踏ん切りを付けられないだけの情けない女だというワケです。仮にこの質問者、「タバコを吸っていても、妊娠・出産にはそれほど大きな問題はありませんよ。」との回答を受ければ、間違いなく安心してタバコを吸い続けるでしょう。
彼女は何らかのきっかけが欲しいワケですが、ソレを今まで見つけられず、というか見つけようともせずに今日に至り、結婚したし、そろそろ子供でも〜となった時点で喫煙者である己に不安を抱き、それでも依然として止めることもできず、今更止める意味などを求めようとしている一種の怠け者に違いありません。こんなトコロに質問文を送付してこなければ禁煙の契機を見つけ出せないなどというのは、一種の白痴でして、ある意味で自意識が喪失するか腐敗しています。タバコは理屈さえあれば止められるモノなのでしょうか。「漠然と」何かを思っているのであれば、ソレだけで止められるヒトは止められます。止められない意志薄弱者に限って、その先の「具体」を欲したがる。あぁ、情けねぃ! こんなどうしようもないモノを記事として扱うなんて!


そして回答は毎度お馴染みの内容です。返ってくる返答も決まりきっています。ソレが分かれば、早く止める努力をするコトです。無理ならば諦めて、犠牲を伴いながら吸い続けるべきです。こーゆーコトに深い意味を求め続けるモノは、自己の決意がペラッペラなのを何らかの理屈で揉み消したいとする動機を抱く倦怠者と言わざるを得ないでしょう。

2009年05月10日

2009年05月10日 盛り上がれ夏場所!

夏場所始まりました。始まっていきなり危なげな朝青龍と万全な白鵬という最近何となくよく見る光景ですけど、まぁ、ソレはいつも通りだと思って心配しないことにします。大関陣もいつも通りのようで、敢えて申しますと千代大海の角番が気になりますが、コレは気にしても仕方ないのであまり触れません。
今場所、わたしは返り入幕の豊響に勝手な期待をしていますが、初日は結構良かったように思います。良かったといえば、逆の意味で素晴らしかったのが北勝力と垣添の一番。コレはしょうもなさ過ぎて大いに楽しませて頂きました。ありがとう北勝力、ありがとう垣添。今場所も立ち合いでとっても楽しませて下さい。


優勝争いは無難に両横綱の争いと予想しますが、もしかすると大関が一人くらい絡んでくるかもしれません。でも、どうせ終盤でアッサリ脱落する。だから結局最後は二人の争いなんです。できれば豪栄道や栃煌山などに頑張って欲しいのですが、きっとそんなにはウマくいかない。望むとあとでガッカリするから、平穏に、無心に、見たいものです。どんなに立ち合いで失敗しまくっても土俵上のお相撲さんたちは一生懸命なんだから。多分。多分、みんな一生懸命。ふざけてなどはいない。そう思うようにして、わたしもお相撲さん以上に頑張らなければいけません。北勝力ー垣添の一番を念頭に置いておけば、まぁ大丈夫。
というワケで夏場所、盛り上がれば良いですね。

2009年05月06日

2009年05月06日 第二の「Abbey Road」?

ゴールデンウィークだからとて気分はずっとシルバーで、コレでは老人です。高揚感など微塵もありません。フラットと言えばフラットで、ロウと言えばロウなのですから、逆にどうすればハイになるのかをお聞きしたいくらいです。──ココまで意味がよく分かりませんが、お気になさらずに。


先日、何気なくテレビをつけてみましたら桑田佳祐サンが面白いコトをやっていて、その具合が、と申しますか、完成度がかなり高かったので嬉しかった・楽しかった・微笑ましかったというハナシを今回はしたいのです。だから、します。
まず、わたしは彼の番組「音楽寅さん」が復活していたコトすら知りませんでした。まぁ、熱心な桑田ファンというワケでもありませんから、復活したしないは良いでしょう。先日は多くのヒトが見られたかもしれませんが、桑田サン、ビートルズの「Abbey Road」の歌詞を空耳風に日本語に置き換えて熱唱しておりました。今の日本を風刺するような詞が次々にメロディーに乗って(一部無理があったなどとは言いませんよ!)、第二の「Abbey Road」が完成したようです(「空耳アベーロード」というらしい…)。当夜、見ながら「ああ、コレは凄いわ」と思ったので、放送の翌々日くらいにYouTubeで探してみました。わたしなぞが凄いと思うモノは大抵先回りされてアップされているのが常でして、従って今回も案の定上がっていました。その動画を以下に貼付けておきます。(三つのうち一つだけ。あとは各自で検索! なお、この動画がいつまで生きているかは分かりません。その点については何も保障できません。)





わたしはこの動画を保存しました。記念品として残しておこうと思います。
先日逝去された忌野清志郎サンは「ビートルズがもしも日本語で歌ってたら、あそこまで偉大にはならなかったんじゃ?」的な発言をされていましたが、上の桑田さんの映像を見る限り、こういう具合に日本語で歌えば「ビートルズ、何かよぅ分からんけどメッチャオモロいやんけ!」となって、偉大な存在に祀り上げられていたかもしれません。ナゼ関西弁なのかは分かりませんけれど。
桑田サンはいつも色んな曲をカバーをしておられますが、出来ればこういった趣向のコトをバンバン展開して欲しいと願います。わたしが桑田サンに熱狂するとすれば、間違いなくそういった点をおいて他に無いような気もしているのです。が、実際のトコロ果たしてソレが真実なのか否かは断言できません。だってサザン、あんまり聴いてないもん。だから迂闊なコトは言えないんです。今日は(今日も?)ほとんど適当に書いています。気分しだいで責めないで。

2009年05月04日

2009年05月04日 なぜすぐに実写化したがるのか?

『デスノート』実写化、ファンの期待と不安


最近、漫画作品を映画にしてしまおう!という「実写化」の勢いがとても喧しいようです。どうせ暇ですので(思いつく限りで)近年に実写化された漫画作品を以下に列挙してみたいと思います(映画・ドラマの区別を問わず)。


わたしの場合、真っ先に知ったのが「釣りバカ日誌」です。とは言っても、映画の存在を先に知ってから後に原作が漫画であったコトを知ったのですが。コレと同様の例はまだあります。「白鳥麗子でございます!」「金田一少年の事件簿」「サラリーマン金太郎」「きらきらひかる」「カバチタレ! 」「ガラスの仮面」「ザ・シェフ」「ピンポン」「ハチミツとクローバー」 … 金田一少年も金太郎もあまり漫画を読んでいなかった時分にドラマ化されましたので、後になって原作が漫画であった事実を知りました。その時は別段驚きませんでした。驚くようなことでもありません。というより、驚いても仕方ありません。あと、上記の中では堂本剛主演の「金田一少年の事件簿」と「きらきらひかる」が好きでした。でも、一番好きだったのは「ガラスの仮面」です。が、コレはまったくの余談に他なりません。どうもスイマセン。
続いては、原作の存在を先行して知っていた場合。「ろくでなしBLUES」「カメレオン」「ピューと吹く!ジャガー」「キューティーハニー」「海猿」「20世紀少年」「花より男子」「ブラック・ジャック」「ゲゲゲの鬼太郎」「忍者ハットリくん」「デビルマン」「DEATH NOTE」「NANA」「ROOKIES」「ドラゴンボール」…
挙げていけばキリがありませんのでこの辺で終わりにしてやろうか!!??
しかし、ココまでチンタラと作品を列挙してきたのには、次のような素朴な疑問があるからなのです。すなわち、「なぜすぐに実写化したがるのか?」
今回はこの疑問について少しだけ考えてみたいのです。


その理由として、まずはオーソドックスにこーゆーコトをすれば当たり易いというのがあるかもしれません。原作の人気によってその物語を支持するヒトたちの存在は既に目に見えているワケですから、あとはソレを映像にしちゃえば必然的に結果はついてくるだろう、と。ですが、コレは暴挙です。無茶苦茶で瀕死の頭脳が生み出す恐るべき混同があります。紙面の上だけで、絵によってのみ完成され得る世界と、実際に人々が動き回ってソレを再現した世界とではどう考えても大きな乖離が生じているのでして、その辺の埋め合わせというか、言い訳というか、齟齬というか、とどのつまり原作を台無しにしちゃったコトをどう始末するお積もりかと申しますと、どうやら何も出来ないみたいです。ねぇ「DRAGONBALL EVOLUTION」の関係者サン。お噂は予々聞いております。漫画の世界と映画の世界を同一視しちゃうバカはどうしようもございません。漫画で映画を表現するには限界がありますし、逆に映画で漫画を表現するにも限界があると思います。総じて実写化を好む連中は漫画における表現というものを軽く見ているのではないでしょうか。ねぇ「DRAGONBALL EVOLUTION」の関係者サン。
もう一つくらい実写化をめぐる動きの、ソノ背景に関して邪推を致しますと、おそらく彼らはモノ好きなんです。「ウヒョヒョーイ、コレを実写化すれば快挙だぞ!」とか「この(漫画に描かれている)世界を実写でやれば、新しいモノが生まれそうだぞ!」とか考えちゃってる。コレは疑いなく一〇九個目の煩悩です。ソレが場合によっては「800枚の下着を盗んだ下着泥棒がいたらしいけど、じゃあオレが801枚盗めば新記録達成で世界王者だぞ」的な発想へと入り込んでしまっているコトを理解し得ていないのです。その野心は立派なモノかもしれませんが、状況をよく考えないで猪突猛進してしまった先にあるのは、歓喜の快挙ではなく、冷笑のみを浴びる、ヒトも寄り付かない終末の極北地点であるコトがシミュレートできていなかったりするのでしょう。多分。要はコレをこうするとどうなるかを見誤ってしまうワケです。何十億という大金を重ねるコトになるにも関わらず・・・
モチロン実写化して大当たりしたモノもありますが、そういた作品は総じて原作が現実世界と非常に近い距離にあったモノでして、本当に“漫画的な”、ソコだけで成立してしまうモノを紙の外へ、スクリーンにまで持ってきてしまうと大抵ロクなコトにはなりません。ねぇ「DRAGONBALL EVOLUTION」の関係者サン。


なぜすぐに実写化したがるのか?──コレは常に一つの大きな謎であり続けるでしょう。そして、とても“漫画的な”作品を勇んで実写化しようとする意志、どうせ空回りするだろうその意志だけは頂けません。少し自分たちのいる地点を見渡すコトができれば、スクリーンの中で何がどうなるかは大方想像できそうなものですがねぇ。

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