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    <title>Whose Is The World? : BLOG</title>
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    <updated>2008-11-18T02:38:26Z</updated>
    <subtitle>ザ・ワールド・イズ・マイン？　ザ・ワールド・イズ・ユアーズ？　知らん。そんなもんは自分で確認してくれ。のブログ。</subtitle>
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    <title>出産はＳＭである</title>
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    <published>2008-11-17T14:25:53Z</published>
    <updated>2008-11-18T02:38:26Z</updated>
    
    <summary>分娩室の写真を見るだけで怖くなるのです。 ただし、ソレは現在の私にとってまったく...</summary>
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        <name>キチリン</name>
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            <category term="06ほんのささいなこと" />
    
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        <![CDATA[分娩室の写真を見るだけで怖くなるのです。
ただし、ソレは現在の私にとってまったく関係のないコトですが。いえ、正確に申しますと、我が身としては生涯直接の関係を持たない出産という行為が、間接的にではあれ、ソレはソレはとても怖いのです。以下のサイトを御覧になると良い。


<a href="http://www.babycom.gr.jp/birth/osan/bunben.html">分娩室をのぞいてみよう</a>


「病院の一般的分娩室」という欄の「３」と「６」に注目されたい。こんな説明があります。


<blockquote>3.足ひも（足がバタつかないように縛る皮ひも）
6.無影灯（手術室で使うような、照らしたときに影が出ないように工夫された、めちゃめちゃ明るくてまぶしい照明）</blockquote>


コレは完全にＳＭの世界ではありませんか！？　こんなモノ、多少なりともＳっ気であるとかＭっ気であるとか、そうした趣向のあるモノにとっては間違いなく「プレイ」の次元です。しかも、ソコには陣痛で苦しんでいるヤツがいる。ヒーヒー言っとるんです。ロウも垂らされてないのに、です。彼女はご主人様とその助手（医者と看護士）から「ラマーズ法」などというイヤらしい呼吸法を命令されてスースーハー、スースーハー......　縛られて、無影灯なる強烈に卑猥なライトで陰部を照らされて、スースーハー、スースーハー......　オラオラ、もっと頑張れよ、と命令するご主人様とその助手。スースーハー、スースーハー......
聞くトコロによると、赤ん坊と一緒に妙なモノが出てはいけないからなどと理由付けして、事前に浣腸もするらしいではありませんか・・・　おまけに剃毛といった処置すら施されるという驚愕すべき実態！──コレをＳＭといわずして何というのでしょう！


嗚呼、ソコは尋常ならぬほどに怖い場所。
最近は立ち会うダンナが多いそうです。いうまでもなく、男は彼女の苦痛を直に我が身へと引き受けるコトができません。となると、彼女を心配しているにしても、ココロのなかには多少の余裕がある場合だって否定するワケにはいきますまい。すなわち、私が言いたいのはこういうコトなのです。眼前にて契りを交わした女性が浣腸をされてみたり毛を剃られてみたり、はたまた縛られてみたり陰部を強烈なライトで曝されてみたり、あるいは呼吸法を命令されてみたり……　そうした光景を目にしたとき、もしもＭっ気のある夫ならば、何らかの興奮の感情が心中を去来し、またはＳっ気のある夫ならば、何かイタズラをしてみたいと思うサディストの本能が顔を覗かせてみたり……
コレは恐ろしいコトなのです。おそらく当ブログ始まって以来、最も恐ろしいコトを記しています。私はもはやどうして良いのか分かりません。考えたくもない。この記憶、キレイサッパリ消されておくれ。神様……


そこで男を二分すれば、私はどうなるか？　どちらに属すか？──分かり辛いので単刀直入に言いましょう。ＳかＭかという問題。私は間違いなく後者だ。こんなコト、明日世界が終わるとしても考えたくないのですが、もしも出産に立ち会わねばならなくなったとすれば、私は、背中に「Ｍ」の十字架を背負って生まれてきた私は、果たしていかなる風体でソコにいれば良いというのでしょうか？　興奮するのか、俺は？　それとも自分もこんな風にされてみたいと・・・
ココまで想像して、私はふと背筋が凍る思いに支配された。も、もしかして、私の母親もそんなコトを・・・・


ぐわぁあああああああぁぁぁあああああああ！！！！
世界の終わりですぅぅぅううぅ！！！　thee michelle gun elephantはこのコトを歌っていたのかもしれない。World's End Girlfriendというのは、多分出産する女のコトだ。
くそぅ！松嶋菜々子くらいで想像を止めておくべきだった。無駄な想像はヒトを死の淵へと追いやる。]]>
        
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    <title>面従腹背</title>
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    <published>2008-11-16T03:39:53Z</published>
    <updated>2008-11-16T03:51:43Z</updated>
    
    <summary>朝っぱらから久々にマイルス・デイヴィスなどを聞いていますと、そのトランペットの音...</summary>
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        <![CDATA[<img alt="The Man With The Horn" src="http://www.jucky29.com/blog/image/The_man_with_the_horn.png" width="140" height="140" />朝っぱらから久々にマイルス・デイヴィスなどを聞いていますと、そのトランペットの音律に誘われて妙な哀愁感を身に纏ってしまうのですから、まったくもって不思議なものだと思います。
──マイルスの遺作となった「Doo-Bop」に、復帰後第一作「The Man With The Horn」
前者はヒッポホップという当時の先端ミュージックとの融合を大胆にも企てた一作。後者はマイルスが最も刺激的だった「Bitches Brew」以降、一段落した時期に発表された一作。前者は何度聴いても曖昧な印象だけしか抱けないのに対し、後者に関してはとても音が分かりやすい分、すんなりと入ってゆけるような感を覚えるのです。受容しやすい。それはマイルスのトランペットがとても明快で音色に富んでいて、また一種「大衆向け」といった趣きさえあると表現しても良い気がします。ただし、一曲目「Fat Time」のヒリヒリとするような緊張感あるマイルスのトランペットとギター／ベースの混合や、最終曲「Ursula」の妙にタイトな旋律などは「On the Corner」からの異物的な派生状態の如き面白みがあるように思われて、これらの曲に関しては「哀愁感」というよりは「（秘めたる）勇壮感」とでも形容した方が相応しい様な、──まぁ何とも言い辛いのですけど、確かに聴くものを高揚させるナニモノかがあります。コレは確かです。他方で表題曲に関しては、ああ、なんだこのヴォーカルは。これぞ中年の哀愁感か!?　「Fat Time」、「Ursula」というスラムダンクの流川楓的な雰囲気の曲にサンドイッチされるカタチで、中にこうした曲が混入している点が、このアルバムの奇妙な点であり、また捉えようもなく神秘的でありつつ同時にどこかしら世俗的な態様を示す要因になっているのでしょう。
傑作とか名盤とかそういう枠組みでのみ一枚のアルバムを聴くというコトの無意味さ、空虚さ、儚さ、ロクでもなさ、視野の狭窄、単一の価値観に基づく姿勢の愚劣さ、弱い犬ほどよく吠える的な威勢の空回り……　そういった気持ちを抱かないではありませんが、所詮私などは素人、具体的な作品云々についての総体的評価なぞはソノ筋の専門家が発言すれば良いコトで、素人は素人なりに良いと思うモノを、それだけを選択して、また更に吟味して、自らのなかで己が特有の感慨を発酵させれば良いはずです。


一編の連続した物語よりも、単一の事象の方が何かを変えるコトだってあると思います。単体の、ある一点の極めて突出した素晴らしさが、全体としてのトータル性において平均レベル以上には優れているが、しかし決定的なインパクトに欠けるモノをアッサリと追い落とすコトだって珍しくはありません。私はそう思っています。モチロン、総合力として革新的な魅力を備えているモノが最上なのは申すまでもありませんが、かようなモノはそうそう現れはしない。そうであれば、日常的なハナシ、単一の秀逸的なる存在が、凡百の一貫した完結性ある平均物を打ち破るといった事態は何も珍しくはないのです。イヤ、むしろ、世の中の変化とは、往々にして単体の異常な飛躍が漸進的に拡大してゆくトコロから生じるとすらいえるかもしれません。
私にとって「Fat Time」、「Ursula」は、そのような優れた飛翔する単一の実在として数えられるモノなのです。


※意味ありげなタイトルほど実は意味がない。そして・・・意味ありげな文章ほど実は意味がない。]]>
        
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    <title>お相撲徒然草</title>
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    <published>2008-11-14T16:13:12Z</published>
    <updated>2008-11-14T16:27:30Z</updated>
    
    <summary>琴光喜は誰かを笑わそうと企んで土俵に上がっているのかもしれません。５日目、６日目...</summary>
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            <category term="02大相撲" />
    
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        琴光喜は誰かを笑わそうと企んで土俵に上がっているのかもしれません。５日目、６日目の相撲は無様の一言でした。他方、今場所は高見盛が比較的良い相撲を取っています。立ち合いからサッと差せているのが印象的。また、雅山も勝ちっ放しですけど、彼は今場所、なぜか落ちません。最近はすぐにゴテーンと転がっていたのですが。大関昇進のかかる安馬は、相当慎重な取り組みが続いているけど、コレが果たして今後にどのような影響を及ぼすか。一横綱一大関が休場して「狙い目」の場所なだけに、この後は負けられない。把瑠都…小柄な力士を相手にしたときに見せる例の反則的な上手を引きながら、強引に前へ出て行くパターンはどうなんだろう。最近は「おおっ！」じゃなくて「ええっ！？」
十両では玉鷲が良いんです。幕内で負け越したのが良かった、とは６日目の向正面に解説として登場した同部屋の年寄楯山親方（元玉春日）の弁。──玉春日は私と同郷の四国出身力士でした。四国出身の有力力士というのは非常に少ないものだから、彼はある意味で「希望の星」的な感じだった。７〜８年くらい前は土佐ノ海と共に土俵を湧かせたものです。親方としても頑張って頂きたい。
ところで、今場所の東幕下上位には関取経験者がかなり揃っています。彼らはどうなってしまうのだろう。西の幕下では蒼国来や風斧山、隆の山といった外国人力士がそれなりに上位へ付けていて、中でも（稀勢の里の付き人でよく映る）隆の山がイイ感じです。レスリングの選手みたいな体格がやや気がかりですが、十両で見てみたいと思います。山本山とのアンバランス対決・・・・　おっと！ お相撲さんを相手にする妄想は時に危険で、時に卑猥です。道は過りたくないものです。
        
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    <title>ラブレター講座</title>
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    <published>2008-11-13T14:37:45Z</published>
    <updated>2008-11-13T15:49:07Z</updated>
    
    <summary>理想的なラブレターの書き方を教えます。以下に示すのは例文です。コレを参考にすれば...</summary>
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            <category term="06ほんのささいなこと" />
    
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        理想的なラブレターの書き方を教えます。以下に示すのは例文です。コレを参考にすれば、きっとアノヒトのハートを射止められます。ただし例外はありますので、個人的な苦情には応じかねます。「自己責任」という言葉は便利なものです。


例文
「※これはラブレターです。悪フザケではありません。
僕(私)は○○さんのことが一番好きです。クラスメートを消去法で選んでいった結果、○○さんが一番素敵な人だと思う様になりました。僕(私)は○○さんの恋人です。僕(私)はそう思っています。だから○○さんもそう思った方が無難だと思います。
毎日○○さんの机を雑巾で拭いているのは僕(私)です。いつもキレイでしょ？
先日○○さんが風邪で学校を休んだとき、○○さんの家のポストにその日の給食で出た麻婆豆腐がナイロン袋に入れて置かれてあったと思います。美味しく食べましたか？
○○さんが先生に怒られて泣いた後、先生の車のサイドミラーを壊しておいたのは僕(私)です。
○○さんのお父さんが勤める会社が倒産したとき、クラスメートに「○○の父さんの会社倒産って言うなよ！　絶対言うなよ！」と注意して回ったのも僕です。
僕(私)は○○さんのためなら闘います。○○さんを傷付けるヤツは絶対に許しません。先月、○○さんの家にいるペットの猫が、○○さんを指に噛み付いたのも僕(私)は知っています。その猫は僕(私)が始末しておきました。
改めて○○さんを見ると、毛の無いワニのような顔をしていますが、その点は我慢します。


ということで、なんだかんだありまして、○○さんが好きです。
返事待ってます。返事は以下の口座に３万円を振り込むだけで十分です。


△△銀行 
・□□支店
・ 店番号： ９８８
・普通預金： ０００９９１１
・口座名： ××××　××××
」
        
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    <title>秋の一日</title>
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    <published>2008-11-10T11:16:57Z</published>
    <updated>2008-11-10T11:21:17Z</updated>
    
    <summary>寒い寒い、と思う様になったので不思議に感じていました。寒さとは相性が良いタチです...</summary>
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        <name>キチリン</name>
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            <category term="06ほんのささいなこと" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.jucky29.com/blog/">
        寒い寒い、と思う様になったので不思議に感じていました。寒さとは相性が良いタチですが。原因はどうやら部屋の中で依然としてＴシャツ姿の我が不逞の身なりにある様です。今日になって漸く扇風機を片付けました。本日の最高気温は１５℃です。風は吹きません。風邪はひくかもしれません。今こそ日本男児たる我ら青少年一同は、乾坤一擲、人心を帰一し、以て寒冷前線を追い払おうではありませんか！
秋晴れのなか、浪曲を口ずさみながらの部屋掃除とは、なかなかに哀愁ある午後ではありませんか。誰がそんなコトをするのかは知りません。外からは相変わらずの音が響いて参ります。子供たちの遊ぶ声、トラックのエンジン音、重機の騒音、鳥の鳴き声、馬の蹄の音、戦闘機の爆撃音、審判のホイッスル、百姓一揆に向かう農民たちの世間話、大声でFIELD OF VIEWを歌う中学生たち、チマチョゴリを着てサンマを焼く怪しげな女とその娘の囁き声・・・
誠に日本の秋は情緒豊かで、官能に満ちています。ティッシュが何枚あっても足りそうにないとはこのようなコトを言うのでしょう。さて、友人の五兵衛が鍬を持って我が家を訪れたので、私もちょこっと鋤でも担いで代官所へ突入して来よう思います。
        
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    <title>我が悲劇の世紀末</title>
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    <published>2008-11-09T09:15:33Z</published>
    <updated>2008-11-09T09:57:33Z</updated>
    
    <summary>小学校の校歌は一番だけ歌えるのです。伊達に六年間来る日も来る日も通いに通ったワケ...</summary>
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            <category term="01音楽" />
    
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        小学校の校歌は一番だけ歌えるのです。伊達に六年間来る日も来る日も通いに通ったワケではありません。でも、不甲斐ないコトに、中学と高校の校歌に関しては惨憺たる有り様なのです。コレが全く思い出せない。歌詞もメロディーもその片鱗を表しません。著作権以前の問題です。困りましたねぇ。こうなっては校歌の存在自体を疑わしく思っても仕方無いでしょう。（そうは言っても存在していたのは間違いのないコトなのだから、本当に疑わしいのは私の記憶力の方だ。）
中学の校歌は、音楽の授業で散々練習させられました。特に入学直後、一年生の一学期は何度も何度もうんざりするくらい歌わされた記憶があります。ですが、今となっては全く何も、その面影すら浮んできません。高校においては、音楽の授業が選択制で、私は音楽ではなく美術を選んだため、練習する機会すらありませんでした。…イヤ、正確に言うと、終業式や卒業式の前日とかに、「明日は校歌を歌わなければいけないので練習するぞ！　エイエイエオー！」ってなコトで、朝会か集会の時に幾度か練習した様な気がするのですが、どうもハッキリとは覚えていません。──そんな記憶は大して必要ないのですから、覚えていないのはある意味で理に適ったコトなのかもしれません。が、私は校歌そのものをまったく記憶していないのだから、その意味では理に適っていない。先日逮捕された小室哲哉の作った曲は幾つか覚えているし、実際には口ずさんだコトがないような安室奈美恵の曲だって何となくアタマのなかで再生できます。どんなもんだい！　イヤ、小室だけじゃありません。私が中学に入学した年、すなわち1997年にヒットした曲、つまり KinKi Kidsの「硝子の少年」とか猿岩石の「白い雲のように」とかだってちゃんと覚えているんです（ちなみに97年は、正に小室旋風真っ直中でした）。また、高校に入学した年、2000年のヒット曲、 サザンオールスターズの「TSUNAMI」であるとか福山雅治の「桜坂」、プッチモニの「ちょこっとLOVE」、大泉逸郎の「孫」、蓮井朱夏の「ZOO 〜&amp;#8206;愛をください〜&amp;#8206;」だって忘却してはいません。ソレだのに…オレぁ、実際に何度か歌ったはずの中学・高校の校歌を覚えていないなんて。そんなバカなっ！
「孫ぉという名ぁの〜ぅ宝ぁもぉのぉ〜」を覚えていて、校歌を思い出せない！？
「愛を　くださぁ〜い　うぉううぉう　愛をくぅださぁ〜い」が出てきて、校歌が出てこない！？
「人は誰も愛求めて　闇に彷徨う運命／そして風まかせ　Oh,My destiny／涙枯れるまで」　我が人生にほとんど必要のないこの一節はすぐに出てくるのに、校歌は一節たりとも出てこない！？　恐ろしいコトだ…　コレ、私の世紀末の出来事です。
──ちなみに我が母校の校歌は（私の中で）ポケットビスケッツにも広末涼子の「MajiでKoiする5秒前」にも「慎吾ママのおはロック」にも負けちゃってるんです。そんなバカなっ！
        
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    <title>好きな声（後悔先立たず）</title>
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    <published>2008-11-08T13:41:39Z</published>
    <updated>2008-11-08T13:55:18Z</updated>
    
    <summary>さて、前回の終わりに「私の好きな声」について書くなどと予告してしまったばっかりに...</summary>
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        <name>キチリン</name>
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            <category term="06ほんのささいなこと" />
    
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        さて、前回の終わりに「私の好きな声」について書くなどと予告してしまったばっかりに、私は何かを書かなければいけなくなりました。元々はただの思いつきだったのです。正に寝耳に水です。言うなれば、或る映画監督が「次回作はラブ・ロマンスを撮るよ。それもとびきり濃厚なベッドシーンがあるヤツをね。」と予告、翌年キャストもスタッフも決定し、さぁコレからクランクインだというタイミングで、監督が「やぁスマンスマン。実は脚本がまだ出来ていないんだ。っていうか、一字一句として書けてないんだ。そもそも書く気なんてないんだ。だから仕方無いんで、キミら、今からベッドの上でソレっぽいコトをやってくれ。じゃないと、ギャラは出さんよ。」と言う様なモノです。
……監督怖いんで何かやります。何か書きます。ソレっぽいコトを。


「好きな声」とはそも何モノか。私にとってソレは中学時の同級生であるヒノ君の声であって、彼の様な声が理想だ、と宣言しても、残念ながら誰も分からないので困ります。すると、ココで飛び出し気味に「声といえば声優じゃないか」という天の声。おお、ナルホド！　さもありなん。…が、私は声優に詳しくない。じゃあ、声を語る資格なんてないや。ハイ、終わり。


と、この時点で終わるコトができればどれだけ幸せなコトか。だが、ソレは先の映画の件でいうと、主演の女優が「私、処女なんです。だからムリです。そんな卑猥なコト…」と拒否するに等しい。そんなコトは許されません。暴挙です。処女膜破れてしまえ！　どういう映画かは分かっていたはずでしょう。大まかな予告だけはされていたのですから。──不幸にも、私とて大まかな予告をしてしまった以上、具体的な何かを書かなければなりません。困ります。朝、自宅を出る直前にお腹が痛くなってきたときと同じくらい困ります。


それではハッキリと──どういう声が好きか。二つあります。一つ目は「スクールウォーズ」に出てきた“イソップ”君の様な捉えどころのない、ちょっとだけ高い音でフワフワとした中性的な声。上述のヒノ君はこの部類に属します。二つ目は抑揚の効いた程よい低音が響き渡る誠に紳士的な声。コッチは専ら男性に限定されます。具体的な例でいうと、アメリカの野球選手、ニューヨーク・ヤンキースのキャプテン、デレク・ジーター（が坦々と喋っているときの声）に象徴される様な、渋みのあるムーディーな声です。私の知っている限りのスポーツ選手のなかでは、彼が最もダンディな声の持ち主であるといえます。こういったタイプの声を探そうと思えば、ソウルミュージックの界隈を探索すれば良いんです。わんさかと見つかるでしょう。にも関わらず、ココであえてジーターを持ち出したのは、彼が声で勝負する仕事をしていないという事実、それでいてズバ抜けて渋い声を持っているが故です。（その分、髪型に関しては、遠くから杉苔を眺めたときのようなスタイルですけれど…）


ああ！　あと、全然関係無いけど、歌手のYUKIサンの声も好きです。元JUDY AND MARYの。（友達で彼女みたいなのがいると、コッチが神経衰弱になりそうですけれど、）歌手としては素晴らしい声に恵まれた結構なお方だと思います。ソロになってからの歌い方の方が、私好みの声に響いているような気がするのですが。（声だけで選んだ場合、）オススメは「ハミングバード」って曲で、シングルでも出てたと思います。ああ、そういえば「ティンカーベル」って曲のサビ部分の声も良かった様な覚えがあります。加えて「JOY」とかいう曲も多分良かった。イヤイヤ、曲単発ではなく「JOY」ってアルバム全体で良い声だった。ビューティフルじゃなくてキュート。プリティじゃなくてキュート。そんな声。


というワケで、次は「dl-マレイン酸クロルフェニラミン」と「d-マレイン酸クロルフェニラミン」の関係について書きます。「狼少年」ってタイトルで。
        
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    <title>六分の三</title>
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    <published>2008-11-07T13:59:24Z</published>
    <updated>2008-11-07T14:32:49Z</updated>
    
    <summary>珍しくこの一週間の間にコミックを三冊も買いました。何かの間違いかもしれませんが、...</summary>
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        <name>キチリン</name>
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            <category term="03漫画" />
    
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        珍しくこの一週間の間にコミックを三冊も買いました。何かの間違いかもしれませんが、どうやら現実のようです。古本で三冊以上購入するコトはありましても、新刊本で三冊ともなれば、コレはもはやセレブです。


古谷実　『ヒメアノ〜ル』１巻
井上雄彦　『リアル』８巻
新井英樹　『キーチVS』２巻


三者三様の顔ぶれで、それぞれに良さがあります。
古谷サンはまた同一のシチュエーション。果たして果たして如何に進展してゆくのか。このヒトは作品でというよりも、作者として何か一つのモノを築き上げようとしているのではないでしょうか。
『リアル』はどうだろう。初めて野宮と戸川と高橋の“リアル”が同一方向に向けられた様な気がします。ココからまた始まるのです。（余談ですが、野宮のナンパした女──山下夏美は井上漫画の中で一番カワイイ少女かもしれない、と思います。）
『キーチVS』は…密度が凄い。ああ、これこそがこのヒトの漫画なんだろう。上記の三つの中では抜群に迫力がありました。全く恐ろしい。マスコミも国家も政治家も、そしてキーチも……（コッチも余談ですが、新井英樹サンのコマ割りはやっぱりスゴいなぁ。今年の春に『RIN』を見て驚いたですが、またまた驚かされました。感嘆、讃嘆。）


ところで、私が現在購入しているコミックは以下の六作品です。


井上雄彦　『リアル』
増田こうすけ　『ギャグマンガ日和』
新井英樹　『RIN』
新井英樹　『キーチVS』
つの丸　『たいようのマキバオー』
ココに此の度から古谷実　『ヒメアノ〜ル』が加わりました。変で偏な組み合わせです。
コレらのうち上から三つに限ってはコミックが年に一冊にしか刊行されません。となると、今週に三冊も購入したのは、何とも奇怪な偶然であると言わざるを得ないでしょう。六分の三にも手を出しやがった！　全く悪いモノです。…主にタイミングとかが。あと、『リアル』がコッソリ10円値上げしているのも悪いモノです。
そのうち、余裕があれば『キーチVS』2巻についての雑記を載せたいの思うのですが、現実はウソと偶然によってできている様なモノですから、アテにはして欲しくないのです。なお、次回は「私の好きな声」について書かせてもらう予定ですが、コレとて怪しいモノです。私の辞書で「有言実行」という言葉を引いてみますと、ソコには「理想の一種。そういうモノが礼賛される傾向にあるらしいコトは知っているが、当人とはあまり関係がない。『虚言癖』の項も参照。」と書かれているのです。
        
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    <title>続かない物語</title>
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    <published>2008-11-06T11:45:18Z</published>
    <updated>2008-11-06T12:22:12Z</updated>
    
    <summary>昨日は実に曖昧な内容の文章を記したものだと思います。自分のコトながらほとほと困惑...</summary>
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        <name>キチリン</name>
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            <category term="06ほんのささいなこと" />
    
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        <![CDATA[昨日は実に曖昧な内容の文章を記したものだと思います。自分のコトながらほとほと困惑致します。力はヒトを解放し、挙げ句彼を傲慢にする。ソレを抑止するための美──様式美、美徳、美意識…ソコに何かしらの期待を寄せてみたいと思ったまでです。エドマンド・バークの言葉が遠方から響いてくる思いです。


<blockquote>それにしても、知恵も美徳も欠いた自由とはそも何ものでしょう。それはおよそあり得るすべての害悪中でも最大のものです。


自由と抑制というこの対立する要素を調合して一つの首尾一貫した作品にするためには、多くの思考と、深い省察と、賢明で力に溢れ総合力ある精神とを必要とします。</blockquote>


<img alt="『蟹工船』" src="http://www.jucky29.com/blog/image/kanikousen.png" width="140" height="140" />今日は午前中に小林多喜二の『蟹工船』を読んでいました。130〜40ページの小説なので意外とすんなり読めます。最近、この本がよく売れて、共産党シンパも増大しているようです。……が、私からは何も申し上げるコトがございません。
『蟹工船』を読んで、思わず笑ってしまいました。純粋なんですねぇ。非常に純粋。換言しますと、彼らは甘っちょろい。所謂「ブルジョワジー」に対してあと一歩、あと一手がない。ソレは彼らの置かれる立場上やむを得ないモノなのかもしれませんが、はからずもソコに戦前の共産主義運動が全くもって大した成果を上げられなかった要因が顔を覗かせているようにも思えます。（ソレを象徴しているのが新潮文庫などでは一緒に所収されている「党生活者」です。コッチはもっと傑作のお笑い話。）然るに作者の小林多喜二は、ご都合主義的にこの物語を一応の成功でもって終わらせているのですから、コレがなおさら厄介なのです。俺たちは狡猾なブルジョワの搾取に対して、一致団結して闘争するぞ！　その心意気は誠に結構です。でも、こうした“立派な”彼らの意志も所詮創作物語の次元に止まっていて、現実との乖離を露呈しています。この小説に描かれているような人々の言動（及びソレを裏で支える背景をも加味して）が、強力なブルジョワ勢力を前にして果たしてどこまでの結果を与えてくれるか。楽観論ではなく現実主義的に考察してみた方が良い。（しかもコレを思い切って現状と重ね合わせてみるならばなおのこと…）　あくまでも小説ですので、こういうコトをいうのはオカシイのかもしれませんが、コレ（『蟹工船』）はもはやただの砂上楼閣に過ぎないといえる。外見はソコソコ取り繕った風な体裁ですが、中に入ろうと扉に手をかけてみると忽ちにして瓦解してしまう。ソ連を楽園のように描いているシーンがあるのも、今となっては砂上楼閣の一端を形成するものであるといえましょうか。
共産主義運動の先には何があるか。──小林多喜二はこの点に関して何かしらの明確なイメージを持てていたのでしょうか。彼の想像力に対しては些か疑問符が付きます。もしかすると彼がこの物語の最終的結末を「附記」としてしか記さなかったのは、その「先」についてのイメージを形成するコトができなかったからではないのか？　コレは私の素朴な疑いです。確かにココでは彼らの「サボ」が成功し、監督に対する抵抗は一応の成果を上げます。しかしながら、ソレをもって「プロレタリアート」の勝利だなどというには、あまりにも楽観的過ぎというものです。極小的な事象を極大的なモノへと拡大していく、そうした共産主義運動（殊に日本におけるソレ）がもたらす具体的かつ善良なる未来というモノを、小林は実体化できなかった。それ故、彼はご都合主義的に「附記」という形式でポジティブな未来を示唆するコトでしか幕を閉じられなかったのではないか。尤も小林が如何なる具象を提示しようとも、今となっては共産主義という制度がもたらした事実によって、ソレらは全て反証される可能性がありますが…
『蟹工船』は、──いや、作者の小林多喜二からして、ソレは八方塞がりの賜物であるといえるかもしれません。ココには如何なる光も射し込みません。共産主義運動の限界を披瀝したという点では、この物語、殊にその結末の書き方ほど微笑ましいモノはないでしょう。ただしソレ以上でもソレ以下でもない貧相な小説。
この本が売れるのは、或いは現在の人々の間に立ち籠める八方塞がりの状況を暗示しているのかもしれません。そしてソコに何らかの意義、論点があるとしても、ココで一つだけ明確にしておきたいコト、ソレはコノ物語が何ら具体的かつ光栄ある未来に対する一助とはならない、という点に尽きると思います。]]>
        
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    <title>大相撲と応援者について</title>
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    <published>2008-11-05T14:40:58Z</published>
    <updated>2008-11-05T16:37:41Z</updated>
    
    <summary>朝青龍、休場へ 朝青龍が帰ってきました。尤も彼の場合、モンゴルに帰国し、日本に来...</summary>
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        <name>キチリン</name>
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            <category term="02大相撲" />
    
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        <![CDATA[<a href="http://www.jiji.com/jc/p?id=20081105203110-7418396">朝青龍、休場へ</a>


朝青龍が帰ってきました。尤も彼の場合、モンゴルに帰国し、日本に来ると表現した方が適切かもしれませんが。
朝青龍に対する風当たりは非常に強いものがあります。土俵上での振る舞い、土俵以外の場所での言動。「敵」を作る要因は多々あります。
ここでまず予め述べておいた方が良いでしょうが、私は朝青龍を全面的には支持致しません。一力士として見た場合、彼の行動は些か大胆過ぎる部分もあるからです。容易に見過ごすコトはできません。しかし、他方では、彼の相撲に対して尋常ならざる期待を寄せてきたのも事実であります。至るトコロで限界説が囁かれています。確かに土俵上で実力を出し切れる、その峠を超えた可能性は大いにあります。明けない夜が無いのと同時に暮れない昼は無いのです。けれども、思い出して欲しいのは、朝青龍という力士が如何に並々ならぬ相撲を披瀝してきたか。２〜３年前、彼がピーク時の迫力は正に「大横綱」の形容が相応しいものでした。現在、もう一人の横綱である白鵬にしても、依然として脂の乗り切っていた時期の朝青龍を超えるコトはできていません。立ち合い前の集中力、あの瞬間の目を一度でも見たコトがあるヒトならば、真実、彼がどれだけ稀有な素質を抱いていたかを、その記憶に刻み込んでいるはずだと思います。
おそらく朝青龍は九州場所を休場するでしょう。その間も彼に対する批難は轟々として止むコトが無いでしょう。横綱としての務めを全うしていないという指摘は誠に正鵠を射たものであると思います。その点に関しては彼も真摯に批判を受け止めなければいけません。その点に関する自覚は無ければなりません。果たして彼がどの様な意識を抱いているのか。残念ながら明確ではありません。
本人は怪我を治して、初場所に進退を賭ける覚悟なのでしょう。言うまでもなく、もはやそうする他にはありません。全てが問われる場所になりそうです。しかし、これは清算の場所ではない。けじめの場所なのです。ここまできたらもう後退はあり得ません。そして──今のトコロ、前進も望めません。もはや留まるか飛び降りるかの二者択一です。モチロン、その結果とて果たしてどうなるものか、全くもって何も分かりません。ここで再度述べておきたいと思います。私は愚鈍で、未練がましい性格ですので、そう易々と反旗を翻すような勇気を持ち合わせてはおりません。現在の朝青龍が如何に醜く、無様であろうとも、私は今日まで彼の相撲に関しては一貫して支持をして参りましたから──来年の話をすると鬼が笑うなどと言いますから、あまり具体的なコトは言えませんが──来年の初場所がどうなろうとも、また朝青龍に対して如何なるバッシングがなされようとも、私は彼に対して背を向けるようなコトだけはしないでおこうと思います。


当然、横綱の品位云々といった議論は確かに無視し得ないものです。その部分に関しては、彼を擁護し切れない部分で溢れ返っています。情けないハナシ、ココに大いなるジレンマがあるのです。整合性が著しく欠けています。私は以前に「相撲というものは土俵の上だけで成立するものではない。普段の生活、稽古、挨拶、習慣…それら全てが交叉したところに初めて真実の相撲といえるものが構築される」といった様なコトをココに記しました。それはモチロン今でも変わらぬ信念です。しかし、ソレも朝青龍を前にした時、途端に曖昧なモノと化してきたのも事実です。土俵上の魅力が全てを後退させた。それは他ならぬ朝青龍自身が演じた失態であるにも関わらず！
既にけじめをつけなければいけない時期がきているようです。
けれど、過去を単純に割り切って洗い流すフリをするのは、実は至極容易なコトではないでしょうか。私はそれ故懲りずに朝青龍を支持する側に立ちます。ジレンマを内包したまま彼に向かいます。向かわざるを得ません。私の場合、コレは土俵上の充実と様式美としての相撲の狭間に横たわる問題ではないかと思っているのです。今まではどちらか一方を選べば、どちらか一方を断念せざるを得なかった。その結果、自己分裂的なカタチとして、相撲を見る姿勢に大きな齟齬が生じてきます。強さと品位の両立。これは歴代横綱にとっても厄介な問題であり続けました。近年においてソレを象徴的に表現してしまったのが、朝青龍と、そして彼を礼賛した私のような応援者ではなかったかと思うのです。
この問題は容易に解決できるような代物ではありません。声に出すコトは容易だが、現実化するには難儀である。その時々に強いモノに対してハナから敵対視していれば、表面上は整合性を維持するコトができるように思われるかもしれません。しかし、実際のトコロ、そうした振る舞いは事の内奥に入り込んでいないように思われます。それでは本当の解答を導き出すコトができないのではないでしょうか。どこまでを支持し、どこからは善意の批判者となるか。そのような境界線がアッサリと発見されれば良いのですが…（結局、こうした問題については、どこかで割り切ろうとしなければいけないのかもしれません。ナイーヴ過ぎると却って混沌たる有り様を迎えてしまう。完璧主義者、潔癖性ではやっていけない。支点の不在という穴を埋め合わせる方途を模索していかねばならないと思います。）


…と、ココまで書きました。ココまで書いて自分自身に対しても、また相撲そのものに対しても、何ら確固たる見解を得られなかったので、とりあえず今回は円満に（!?）擱筆します。
改めて懸念の要点を絞り込んでおきますと、相撲の様式美を乱さぬよう信念を貫きつつ、他方で朝青龍のようなハデな相撲をとる力士の魅力を如何に受容していくか。すなわち、美と力の両立のためには、応援者はまずもって現実に対してどうあるべきか。この点に尽きるのですが…]]>
        
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    <title>「復活のための序曲」</title>
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    <published>2008-11-04T14:56:50Z</published>
    <updated>2008-11-04T15:56:13Z</updated>
    
    <summary>これは『ビルマの竪琴』についての文章です。 『ビルマの竪琴』は文学者である竹山道...</summary>
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        <name>キチリン</name>
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            <category term="08必読書" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.jucky29.com/blog/">
        <![CDATA[<img alt="『ビルマの竪琴』" src="http://www.jucky29.com/blog/image/birumanotategoto.png" width="140" height="140" />これは『ビルマの竪琴』についての文章です。
『ビルマの竪琴』は文学者である竹山道雄氏が子供向けに書いた童話です。でも、二十歳から三年間を無為に見過ごした私が読んでも、心は風に吹かれた蓮花の花の如くサワサワと動きます。これはとても感動的なお話です。これは戦争と音楽のお話です。ビルマ（現ミャンマー）に駐屯する兵隊サンたちを描いたお話です。兵隊サンたちは歌を歌うのです。戦火の下でも、終戦後に捕虜として収容所に収監されても、みんなみんな合唱するのです。「はにゅうの宿」「春らんまん」「庭の千草」といった曲を精一杯、精一杯歌うのです。それが彼らの隊の士気を鼓舞するのです。
主人公の水島上等兵は竪琴を上手に上手に弾きます。他の隊員からの信頼も厚い立派な兵隊さんです。隊長が水島上等兵に寄せる信も殊更強いものがありましたので、彼は水島にある命を託します。それは終戦を告げられてもなおイギリス軍を相手に抗戦する友軍の説得という任務です。隊長の思いはこうです。]]>
        <![CDATA[<blockquote>国は廃墟となり、自分たちの身はこうした万里の外で捕虜となる──。これは考えてみればおどろくべきことだ。それだのに、私は、これはどうしたことだ──、とただ茫然自失するばかりである。それをはっきりと自分の身の上に起こったことだ、と感ずることすらできない。ただ手からも足からも力が抜けてゆくような気がする。……（中略）……そうして、もし万一にも国に帰れる日があったら、一人ももれなく日本へかえって、共に再建のために働こう。いま自分のいえることは、これだけである。</blockquote>


水島上等兵は、依然として頑に抗戦を続けようとする仲間を説得し、「共に再建のために働こう」とのメッセージを伝えるため、仲間の元を外れて単身三角山へと向かいます。他の兵隊サンたちは水島上等兵を信頼していましたから、きっと彼が友軍の者たちを説き伏せて、また我らの前に姿を現すであろうと信じています。信じていました。しかし、水島上等兵は帰って来ません。一月が過ぎて行きましたが、水島上等兵は戻らないのです。さすがに仲間も心配し始めます。まさかあの水島が？　いや、そんなことはない。そうだ、あの水島に限って。──けれども水島上等兵は姿を現しません。水島上等兵の竪琴は響いてきません。
兵隊サンたちは捕虜となっていましたので、収容所に収監されている間、様々の雑務をしなければなりません。ある日、彼らは橋の修繕をしていました。すると、そこに何と水島上等兵とソックリな容姿のお坊さんが現れるのです。ビルマは仏教国ですから、お坊さんは沢山います。しかし、水島上等兵にソックリなお坊さんとはどういうことだろう！　そのお坊さんは何も口を聞きません。隊員たちは相談し合います。あれは何者だ？水島か？　いや、ただのソックリさんだろう。しかしよく似ていたなぁ。そもそもあれが水島だとしたら、なぜアイツが坊主などになるんだ。理不尽甚だしいじゃないか。そうだ！あれが水島ならば、俺たちと面会して無言で通り過ぎるわけがないだろう。


お話の内容はこの程度にしておきましょう。このお話にはどういった意味があるのか。色々な解釈ができると思います。ココでは私の見解を少しだけ記しておくことにします。
このお話は終戦後間もない昭和２１年から２３年までの間に書かれたものです。戦後三年と経過していません。上に引いた隊長の言葉にある様に「国は廃墟となり」、国民の多くが依然として「手からも足からも力が抜けてゆくような気」から完全に脱し切れてはいない状況のなかでこのお話は書かれました。路頭に迷ったヒトも多くいたはずです。具体的な目的を持てず、将来への目処も立たず、その日その日を生き抜くことで必死なヒトたちも沢山いたはずです。肉親を喪ったヒトもいれば、友人を喪ったヒト、恋人を喪ったヒト、教え子を喪ったヒト、その他無数のものを喪ったヒトで溢れていました。そうした状況のなかで、ある意味では必然的と言るかもしれませんが、戦争に対する怨嗟の故に、人々は非常に過去の記憶を蔑ろにした。政治家を憎み、軍人を憎み、召集された兵隊サンたちまでをも憎んだ。全部ごっちゃにされ、人々の中から死者に対する弔いの想いは稀薄なものとなりかけていた。筆者の竹山道雄氏は後に次のようなことを述べています。


<blockquote>当時は、戦死した人の冥福を祈るような気持は、新聞や雑誌にはさっぱり出ませんでした。人々はそういうことは考えませんでした。それどころか、「戦った人はたれもかれも一律に悪人である」といったような調子でした。日本軍のことは悪口をいうのが流行で、正義派でした。義務を守って命をおとした人たちのせめてもの鎮魂をねがうことが、逆コースであるなどといわれても、私は承服することはできません。逆コースでけっこうです。あの戦争自体の原因の解明やその責任の糾弾と、これとでは、まったく別なことです。何もかもいっしょくたにして罵っていた風潮は、おどろくべく軽薄なものでした。ようやく各地での納骨が行なわれることになったのは、うれしいことだと思います。まことに、若い人があのようにして死ぬということは、いいようなくいたましいことです。（「ビルマの竪琴ができるまで」）</blockquote>


竹山氏はこのお話を書くことで「義務を守って命をおとした人たち」、すなわち無名の兵士たちを鎮魂したかったのだと思います。そして隊長に言わせた様に、死者に少しでも報いることができる様に「共に再建のために働こう」と訴えたかったのだと思います。戦争を遺産とする、と言えば誤解を与えるかもしれませんが、竹山氏は少なくとも次のような想いだけは皆に抱いて欲しいと願いつつ、このお話を書いたのではないかと思うのです。それは──過去を忘れていったいどんな未来がある？　過去を引き受けて、その過去の上に新しい未来を創設していくしかないじゃないか！　過去は切り離せるものではない！　過去は私たちと密接に繋がっているんだ。だとすれば未来だって私たちと無関係にはあり得ないではないか！　過去を忘れたヤツにどんな未来が創れる？　過去を無関係のものとして斥けるヤツは、どうせまたこの先に何かあっても、何食わぬ顔でそこから自己の全てを遊離させるに違いない。責任意識を帰属させようとしない者に、己の仕事を完遂させることはできないだろう。今、私たちは何かをせねばならない。そして本気で何かをするには、全てを引き受ける用意がなければいけない。確かに私たちは多くのものを喪い、そして貴重なものを陵辱したかもしれない。しかし、だからといって、昔を何もかも捨て去れば良いってものではないはずだ。傷跡を直視して欲しい。本当に必要なもの、大切な感情を忘れないで欲しい。そしてそれを胸の奥深くに抱き込んで「共に再建のために働こう」──


このお話は鎮魂の物語であると同時に、同胞に対して向けられた「復活のための序曲」でもあると思います。兵隊さんたちの決意の合唱がここには描かれているのです。その歌が広く国民の間にも拡がることを願わずにはいられない竹山氏の姿を垣間見ることができます。事実、竹山氏はこのお話を次のような一節でもって終わらせています。


<blockquote>船は毎日ゆっくりとすすみました。先へ──。先へ──。そして、われわれははやく日本が見えないかと、朝に、夕に、ゆくての雲の中をじっと見つめました。</blockquote>


戦争が終わって今年で６３年が経過しました。終戦間もない頃に「共に再建のために働こう」と決意した人たちも次々と世を去り始めています。「復活のための序曲」はどうなったのでしょう。難しい問題です。けれども、今現在、唯一確実なことは、私たちは今日も何かの歌を、メロディーを、途絶えることなく奏で続けていかなければならないということです。果たして如何なる旋律を選ぶべきか。それは私たちだけではなく、過去に音を奏でた人たちとも相談をしながら、全体の調和を乱さぬよう慎重に決定付けていかねばならない事柄です。というのは、私たちは過去から現在へ、そして未来へと続いていく組曲のなかの一小節を形成するものなのですから。]]>
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    <title>（無題）</title>
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    <published>2008-11-01T09:54:59Z</published>
    <updated>2008-11-01T10:00:45Z</updated>
    
    <summary>結納したいよぉ...</summary>
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        結納したいよぉ
        
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    <title>イメージを</title>
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    <published>2008-10-27T01:06:51Z</published>
    <updated>2008-10-27T01:12:42Z</updated>
    
    <summary>前回アホなコトを記し上げてしまったばかりに風邪気味に陥る。 日経平均とともに体調...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.jucky29.com/blog/">
        前回アホなコトを記し上げてしまったばかりに風邪気味に陥る。
日経平均とともに体調も下降気味なのでした。
日々精進します。精進、精進、消尽・・・
        
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    <title>オレは外人</title>
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    <published>2008-10-25T12:59:00Z</published>
    <updated>2008-10-25T13:08:19Z</updated>
    
    <summary>……もうイヤだ。日本人なんてイヤだ。外人が良い。外人に生まれたかった… ・・・・...</summary>
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        <name>キチリン</name>
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        ……もうイヤだ。日本人なんてイヤだ。外人が良い。外人に生まれたかった…


・・・・・・・・・んっ！？　待てよ。ポルトガル人からすればオレは「外人」じゃないか。イヤ、ポルトガル人に限らずオランダ人だってイラン人だってキューバ人だってオレを「外人」と言うだろう。


よっしゃぁぁぁあああああー！！！！　オレ「外人」じゃん！！！！
オレって何人？　外人だあああああああ！！！！　Yes,I do.　Yes,I can.


もう怖いモノなんてねぇぜ〜〜〜
革命でも天変地異でも温暖化でも何でも来いってんだぁぁあああ！！！
だって、オレは、外人だからよ
        
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    <title>「人権イデオロギスト」への勘繰り</title>
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    <published>2008-10-23T01:24:16Z</published>
    <updated>2008-10-26T00:23:13Z</updated>
    
    <summary>愈々「相棒」が始まった。昨日の二時間は、二時間では物足りぬくらいの内容であった。...</summary>
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        <name>キチリン</name>
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        <![CDATA[愈々「相棒」が始まった。昨日の二時間は、二時間では物足りぬくらいの内容であった。──「特命が引っ張ってきたから確度は高いかと」ってセリフにはやられた──
このドラマが開始されると、最早秋であったり冬であったり春であったり、斯かる多様な季節感の包含。それにしても、改めていうまでもなく、何時の間にか、登場人物の多様なコト豊富なコト。映画のヒットもありまして、「大人気ドラマ」の感も否応無く発揮しているのですが、何年か前までは結構地味な雰囲気で放送されていたはず…　それが今や一大刑事ドラマ！
ま、そーゆーコトもあろー


ところで、
本日の産經新聞「断」のコーナーに呉智英氏が立派なコラムを執筆されておられる。


<a href="http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081023/acd0810230342001-n1.htm">職業に「貴賤」あり</a>


<blockquote>職業には好まれる職業と嫌悪される職業がある。とすれば究極的には「職業に貴賤あり」を認めなければならない。この厳然たる事実から目をそむけて良識というイデオロギーが成立している（左右ともに同じ）。「紙の爆弾」（という雑誌があるんです）十一月号で、ルポライターの深笛義也がエロを蔑むエロ業界人を批判している。エロを蔑むエロ業界人のどこがいかんのか、私には理解できない。深笛やその御眷属は、職業に貴賤はなく、むしろ最下層の職業ほど本当は高貴だとする最悪の人権イデオロギストである。


慰安婦が、強制によるにしろ自由意思によるにしろ、救済・支援の対象になるのは、それが最下層の職業だからだ。軍医が、強制による（ないだろうが）にしろ自由意思によるにしろ、救済・支援の対象にならないのは、医者という憧れの最上層の職業だからだ。</blockquote>


後段の一文に対しては、或いは反発があるかもしれぬが、前段については全く以て同意せざるを得ないのでして、むしろこのような当たり前のコトが書かれねばならぬってその事情が奇怪ではないか。ねじ曲がっているのか、“自称”善意のヒューマニストが。果たして呉氏の述べる「人権イデオロギスト」なるモノの跳梁跋扈が如何ほどであるかは存じ上げませんが、仮に（“窮極的”なトコロの）「職業の貴賤」を否定するような連中が存しておるのでしたら、ソレはソレは誠に偽善者という他なく、斯かる見識を保持する輩こそ正に「賤」の立場にある。


コレをバークのいう「（理性折り込み済みの）偏見」と合わせて考えるコトも無理ではない。極端なハナシ、全ての職業が同一地平に置かれるべきだ、平等に扱われるべきだというのならば、待遇の芳しくない肉体労働者は絶対的に改善されねばならぬでしょう。いや、他方で、例えば能書きを垂れて下らぬ論文しか執筆できぬ其処等の大学教授こそ、殊に給料泥棒というべきでして、彼らなぞは月収が二〇万前後に抑えられて当然である。ソレがなされぬのはなぜか。明らかに愚劣な教授でも（イメージの世界で）「貴」の身分に祀り上げられるのはどうしてか。ココに「偏見」が備わる。「偏見」があるからこそ愚劣な教授がのさばる一方で、有能な若い人々が常にその座を追撃す。畢竟こうした事情が職業選択の自由へと結びつき、ソコに競争が発生し、私や彼や貴方や「人権イデオロギスト」の中から何モノかが淘汰される事態へと向かい、而してソレが自由主義経済を根底で維持しておるコトの明証。今日の社会にあっては「偏見」に由来する（“窮極的”もしくは“根源的”な部分における）「職業の貴賤」の意識が存在しているがために、各自に自由な活動が保障される、そしてソレがどこかで発展へと至り、または一定の秩序・性質を保つ。「偏見」なき平等社会（斯様なモノは元来存在し得ないが）では、すべて停滞致しますのです。仮令「職業の貴賤」などはあり得なく、全てが対等なのだと放言致せば、ソレは（極言すると）社会主義への急接近を明らかにしていらっしゃる。「人権イデオロギスト」なるモノがおられるのでしたなら、彼はもしかすると実体不明の「格差」に対する怨嗟の故に、全てを均一にし、各職業が有する機能を相対化し、挙げ句無に帰し、各人の生活が計画的に誘導されるが如き＜強制の下におけるユートピア（＝社会主義）＞を理想として奉戴されているのではないか、などと勘繰らざるを得ないんでした。ソコではもうモラルもマナーも関係ねぇ。全員高貴なんです。ってコトは全員粗野だってコトでもある。皆が金持ちだってのは、その世界では皆がビンボーなんですから。そういう社会は、嗚呼、実に素晴らしいんだと思いたいのでした。]]>
        
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