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2007年06月05日 ズボラへの道

「流行色(流行カラー)」の意味が分からん。誰が決めるんだ。誰が気にするんだ。
「今年の流行色は緑ですよ」と言われて、あっ、じゃあ緑のシャツを一枚、とはならんだろう。
そんな感じなら街中緑だらけになるぞ。全国緑化運動か。環境保護か。


私はオシャレという言葉の対義語である(と思っている)“ズボラ”を地で行くような、ホントにどうしようもないヤツだと自己認識する時もあるのだけど、意外と私のようなタイプが、いや私のようにズボラなヤツこそが、流行色という誘い文句に騙されるのかもしれん。
なぜオシャレをするのか、というと、自分をよく見せたいから、自分を輝かせたいから、などそんな感じの意識が少なからずあることだろう。他人があっての自分。他ありきの自。自分だけならオシャレをする必要などは無い。その時点で自分が唯一の“オシャレさん”だ。比較対象があってこそ、オシャレか否かの判別が可能になる。
結局、他人を意識するから、色んなコトに気を遣う。それがオシャレへの道。
それゆえ、それなら流行色なんて気にしてたら意味が無いじゃないか!となる。
流行色に身を包んでいる時点で、自分と他人の区別が曖昧になる。あのヒトも黄色、このヒトも黄色、俺も黄色、じゃダメだろう。あのヒトも黄色、このヒトも黄色、俺は青。これがオシャレってもんだろ。


「オシャレ」という言葉を「個性」という言葉に置き換え可能かは一概に判断し辛いが、自分を巧みに表現するという意味では、それへの置き換えも可能であると思う。
そして私のようにズボラなヤツは、ファッション的な面での自己表現がヘタクソだから、ついつい流行色という甘言に釣られる。「そうか!今年はオレンジを着ていれば良いのか!」などと考えて、オレンジのTシャツを着るだけで、ちょっとオシャレの仲間入りをしたような気になる。
もう落とし穴にハマってまっせー。そうなればもうファッション的なトコロでの個性などは何も無い。


流行色を巧く着こなす、なんてコトを言うのは、半オシャレ(半分オシャレ=中途半端にオシャレの意 自称オシャレの大半が、実は依然として自身が半オシャレに過ぎないというコトに無自覚である)の戯言。“本物のオシャレ”ではない。そもそも本物のオシャレは流行色など眼中に無し、さ。
街に出てみろ。気が狂ったように妙な服装をしているヤツがここぞとばかりに闊歩しているだろう!彼らは、アイツになってはいけない、アイツと同じじゃいけない、アイツの真似ではいけない、アイツを理想にしてはいけない、俺のスタイル、俺の着こなし、俺の雰囲気、を意識しまくっている。盲目的な程に。あれぞ本物のオシャレよ。(って、何も奇抜なファッションを奨励しているワケではない。大事なのは、アレになってはいけない、アレと同じじゃいけない、アレの真似ではいけない、アレを理想にしてはいけない、という意志の所持)


・・・じゃあ、私はやっぱり“ファッションに関しては”(←ココ重要)ズボラで良いや。そっちに向かいたい。本物のオシャレには行けそうもない。
ズボラも貫き通せば立派な個性になると思い続けて。

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