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2007年12月31日

2007年12月31日 出逢った一年、であった。

今年も終わるでごわす。


今年の私は、進学(ほとんど進級のようなモンであるが…)をするなどして、ソコで幾つかの出会いを体験し、また(元)バイト先等々で幾つかの気狂いと遭遇するなどし、また幾つかの素晴らしき音楽や本と出逢うコトができたものです。もしかすると「出逢い」という観点では、今年ほど恵まれた一年は無かったかもしれません。出逢うというのは何も実際に会うモノだけに限られたコトではないのであった。例えば、感銘を受けた本があれば、私は其の本を媒介にして、ソコで素晴らしき著者と対面しておるのでした。斯かる具合に、私は本年度中に幾つもの宜しき出逢いを経験できたコトを、非常に深く感謝致しておるのです。
と同時に、来年は是非とも誰かに「コイツと知り合えて良かったー、かな?」と思われるようなヤツになってみたい。無理を承知で、そうなってみたい。なれなければ、まぁ仕方ない故に、別の意味で「コイツを知っていて良かったー、よな?」と思われたい次第であります。


来年の私は、まず第一に就活がある。そうすると最低限の出会いはあるだろう、多分… 良い出逢い、悪い出会い、双方を経験しつつ、何らかの成長を遂げていく。そんなモンじゃないかしらん。


最後に、このサイトについて。
多分、来年も惰性で存続していくでしょう。相変わらずどーでもいーことを書き連ねてゆきたいのでした。当サイトを見たモノが、「うわっ、こんなつまんねーコトを考えているバカがいるんだ! なんか俺の不安や悩みなんかどーでも良くなったなぁ」と思われるほどに、ダメ過ぎて逆にポジティヴなパワーを発散できるようになっていきたいと考えております。
ご声援はいりません。毎日のアクセスもいりません。しかし、それでも時々思い出した時に鼻で笑いながら見られるような奇妙なサイト・ブログを目指して、私一人が“奮闘”していきますので、ソレを目撃致した時は是非とも「ケッ」と笑って頂けませんでしょうか?
あと、来年も継続して懲りずに喫煙者はバカにしていきます。


それでは、良いお年をお迎えください。


年の瀬のおまけ。


私(汚)


カーブミラーを撮影致そうとしたら、偶然にも写り込んでしまった私。

2007年12月30日

2007年12月30日 限定され得る想い出・終章

前回の続きにして、懐かしき写真もコレにて終了。
想い出は大切に。
(画像をクリックすると大きな写真が出現するよ)

通学路


コレは通学路である。この坂道を上れば自宅、学校へ赴かんとする時はこの坂道を下りて行った。ああ、もうイヤになるくらい坂ばっかりさ。


池の方へ


上掲の写真と同地点から。これから真ん中に見える山の方へと向かわんとする。何度も行った山。懐かしき山。


再び山


前回の二枚目に掲載した写真と同地点を、異なる場所から撮影。紛うことなき山脈。天狗がいても不思議ではなさそうな光景。私の実家は辛うじて見えぬ。


道標"


四国といえば「お遍路サン」 上掲の山々を二つくらい越えたトコロに、八十八カ所のうちの一つに数えられるお寺がある故に、ソレを指し示す道標であります。「へんろミち ○○(解読不可能)ござる」と記し上げているようだ。実は今回初めてハッキリと見た。


ゲートボール場


少しずつ山に入って来ておる。ココは年寄りが集いてゲートボールをする場所であって、今では「関係者以外立ち入り禁止」となっておった。老人が図々しくも独占しているのである。(十年くらい前は「関係者以外立ち入り禁止」となっておったか否かは心得ぬが)当時、私は何度もココに入って遊んだのです。


廃車


そのゲートボール場に十年以上放置されてある廃車。昔は施錠されておらず、中に侵入するコトが可能であった。さて、今は如何に?


意味不明物体


これまたゲートボール場にずーっと放置されてある意味不明の物体。大型の乗り物の車輪か何かであろうか。何故に斯かるモノが置かれてあるのかは、誰も知らぬ…


「丸池」


山の中腹くらいに達すと池がある。山に入っても、ココより上には滅多に行きませんでした。この池にはかつてブラックバスが生息しておったから、幾人かがココで釣りをしておった。私は釣りをしなかったが、釣りをするヤツに何となく付いて行って、この付近で遊んでおった。円形状の池である故に、皆「丸池」と呼んでおったのですが、実にそのままではないか。


「丸池」・2


「丸池」の写真:其の弐。今はもうブラックバスがいそうな気配はない。そもそもココは「小学生立ち入り禁止」であったが、そんなモノはおかまいなしに、何度も通った。先日この付近に数年ぶりに来てみて実感したのであるが、非常に危険な場所でした。いつ滑り落ちても不思議ではない。子供には斯様な危機意識が希薄であるというコトを痛感す。


神社への道


いよいよ最後の写真です。「丸池」より少しばかり上の地点。この先には神社があって、毎年ゴールデンウィークには祭りが催されておる。ちなみに、夜祭りを終えて、この道を通って帰宅するのは実に恐ろしいコトでした。だから、この道は出来るだけ通らずに帰ったのであった。


最後に。気付かれたモノもあるかもしれんが、「ゲートボール場」と「丸池」の写真には相当手を加えてある。“色付け”し過ぎなのであるが、ソレは此の地が私の記憶と甚だかけ離れたモノとして存在していたからであり、かつ同時に、私の中でコレらの場所は特に強い印象を伴って残っておるからなのでした。それ故に、現在私が抱いておる記憶を現在の様子と合致させ得るには、斯かる具合に<過剰演出>をしなければいけなかった次第なのであった。
時の移ろいを感ずる。彼が変わりたるならば、私も変わりたるはずである。・・・ソレは解っているが、解っているけれども・・・

2007年12月30日 限定され得る想い出・中章

と、いうコトで、近所の写真を撮ってきたのであったから、これから掲載していこうと思います。およそ三十枚ほど撮影してきたのでしたが(そのくせ撮影時間十五分!)、その中から厳選致した十九枚を晒す。(今回と次回の二回に分けて載せようではないか。)
「田舎の風景」、此処に在り!(クリックすると大きな画像が見られるよ)


なお、ココに載せた全ての写真はPhotoshopで加工したモノである。かなり大袈裟に“色付け”を施しましたモノもあれば、写り込んだ電線等を消去するなど編集したモノもあるのであった。コレらの写真に手を加えた由縁は、ソレを私の記憶と一致させるためである。すなわち、此の度、数年ぶりに私はかつて頻繁に訪れておった場所に向かいて、ソコが私の記憶と著しく異なった風になってあるのを、しみじみと実感したのであります。ソレは私の記憶が、月日の経過に伴って実体の有り様と相違したモノとなっておったからに他ならぬでありましょう。または数年の歳月が、私の記憶を上回るほどにソノ場所を風化させたというコトもあり得るのではありませんか。更には私の写真撮影の技術が、眼前の光景を巧みに捉え切れなかったというコトもあろう。そうした諸種の事情を踏まえて、此の度、私は一度撮影した写真と自らの脳内の記憶を能う限り合致させるために、ソレらに手を入れたのであります。従って、ココに掲載致す十九枚の写真は、現在のソレというよりは、私がかつて接したソレ―およそ十年ほど前の光景―と考えて閲覧して頂ければ、それはそれは望外の喜びである。

山とか畑とか


コレは家から四十歩ほど離れた場所より、背後に広がる山々を記録した一枚です。山と畑と…


山の拡大


「田舎に泊まろう!」に出てきそうな、山と接する民家。上掲の写真と同地点より撮影。


古い倉庫


コレも同様の場所から撮影致した場所。おそらく築十五年くらいになる倉庫。誰が使用しておるのかは知らんが、ガキの頃にフと中を覗いたら、恐ろしい顔の爺さんがいて驚いたものである。


集会所


ココは私が最も多く赴いた場所である。公園ではなく、集会所なのだが、小学生の頃はココで鬼ごっこやらかくれんぼやらをやったのであった。


集会所付近の道


コレは集会所付近の道でした。この道を通って集会所に通った数多の記憶… ちなみに集会所はココを真っ直ぐ行くのではあらず、私の背中の方にあります。あと、オッサン邪魔。


家への道


この道を上って、右折をしたならば、やがて自宅に辿り着くのであるが、こうやって見るとなかなかヘビーな急坂じゃないか。車も通れぬ狭き道であるが、自転車は通れる。「この坂を自転車で上り切れるようになれば一人前」…なんて思ってたモンであります。


家からの道


上掲の坂を上から撮影致したモノ。自転車でこの坂を下る時、スピードが出過ぎるから要注意。


恐怖の橋


上掲の写真の真ん中辺りに見られる橋をクローズアップ。昔はもう少しキレイだったのだけど、それでも非常に危険だった。「肝試し」とか言いながら、この橋を渡り切れるかどうかを試した小学三年生頃の記憶が蘇った。今にして思えば危険過ぎる「肝試し」だ。


川へ


坂の終わりですが、ココでのポイントは「川」。下りられるようになっているのであるが、何度か下りて、この川の中へと入って行った。ちょっとした冒険気分で。 それにしても良い具合で車のナンバーが隠れてくれていたので、コチラで消す手間が省けた次第である。偶然に感謝す。


アホな記憶と隣り合わせの写真ばかりであるが、に続く。

2007年12月28日

2007年12月28日 限定され得る想い出・序章

我が実家より世界中へお届けする「限定され得る想い出」シリーズ、の序章であります。
つまりカッコつけたようなタイトルはさて置き、何のコトはない、私が過ごしてきました土地の写真をココに載せるだけのモノなのであったが、今日は昨日に引き続き一つだけ掲載させて頂こう。
だって、お外が雨だからさ。
今回は私の家から適当に撮影致した一枚の風景写真を披瀝す。窓を開けたれば、其処に展開する光景がすなわちコレである。


お外の風景


能う限りプライバシーに配慮して小さな画像のみとしましたが、万が一、本当に「万」に一つ、奇跡的にも私の実家近辺に住んでおるモノが見れば、私が何処の誰で、如何なるロクデナシかが余裕で判別致すような写真かも知らん。
高層マンションや工場などはおろか、コンビニやスーパーすらも存在しない土地でございます。最寄りのコンビニに至らんとすれば、自動車でおよそ六百秒ほど、すなわち十分ほど行かねばならぬ。自然が豊かであるから、従って空気は新鮮な地であるが、風景自体としては閑散として廃れておるような気がしなくもあるまい。なお、写真に関しては超超超超超素人の私が撮影したのであるから、その技術上の「空虚」さは無視して頂きたいのでした。(ちなみに、この写真はこれから載せて行くであろう諸種の写真に先立つモノである故に、そして私は閲覧者に多少なりとも我が意に沿うよう写真を提示したいという実に“不遜”な野心を抱え持ってあって、従ってコレはそうした野心に閲覧者の心理を合致させるため多少の<印象操作>をしてやろうと、あらかじめPhotoshopで色合いや明暗や画質等を編集した写真であることを、ココに明記させて頂きます。つまり、コレはありのままの風景写真ではなく、<私の解釈が入った風景写真>であると思って頂きたい。以後、この写真をベースにして、幾つかの風景写真をココに留め置かんと欲す。)


最後に、我が個人情報漏洩の危機(?)をも顧みず、何故に斯様な愚行を敢えてなすのか、という点について記しておきたい。


おそらく私は此の地に生涯留まるコトはないであろう。それ故にこそ、私は何らかのカタチで今までの記憶や体験や想いといったモノを、カタチにしておきたいと願いました。これからココに掲載していく写真は、私の想い出の断片でもあるのでした。しかもソレは非常に限られたモノの間でしか共有されていないような断片・・・
例えば東京や名古屋や大阪や神戸といった大きな都市で生まれ育ったモノは、必然的に子供の頃の想い出の地なるモノも、比較的多くの(諸種入り乱れた)モノたちと共有する状態でしか存在していないのではないでしょうか。俺とコイツとアイツしかココでは遊んでいなかった、といったような場所が都市の中にどれほどあるか。例えば田舎の町であれば、山の中なり溜め池の周辺なり枯れ果てた川に架かる橋の下なり廃屋の中なりの様々な場所に、少人数のグループしか足を踏み入れていない<限定され得る想い出>の地というモノがあるのです。今回私はそうした<限定され得る想い出>の写真を幾つか撮りたいと思っている。(枯れ果てた川に架かる橋の下や廃屋へは[実際、近所にはあるけど]行かんよ)
主にこれから撮るであろう写真は、小学生時代に何度か赴いた場所のモノであるが、ソレはとりわけ私の中に“特殊な体験”として根付いているモノであるからに他ならぬのでした。(高校生や大学生になって橋の下や廃屋で遊んでたら、ソレはただの不審者だ)
そうして、ソコには一つの訣別の意を込める。
現在のように時折実家に帰省した時でも、子供の頃に遊んだ場所へは向かわない。ソコはもう自然に私とは離れた場所になってある。ただし、完全にコチラから別れを告げたような場所ではないので、非常に曖昧な状態で、私の記憶に絡み付いているコトも確かなのでありまして、ソコへ今回は訣別の意を伴って、向かわんと欲す。そうして、その地を写真というカタチに変換して、私は自らの手元に留め置きたいのでした。
しかも、斯かる純粋に個人的な試みを、私はサービス精神が旺盛だから、ついでにブログ上に掲載しようとする善意も共に働いておるのだ!


外は雨。別れの予感を感じてすすり泣く空である哉。

2007年12月27日

2007年12月27日 粗雑な我が身辺について

実家にはデジカメが放置されてあった。
試しにデスクの周辺を撮影してみたので、ココに掲載す。
(より大きな画像へのリンク有、いざクリック!)


粗雑な我が周辺


汚らしい。誠に汚れておる。
古いMacにもっと古〜いVALUESTAR(高校生の時に使用していたモノで、今や見るも無惨に置き去りにされているのであった)が存していて、上部に目をやるとこれまた古〜いミニコンポ(今時カセットテープ対応!)に接続されたる古過ぎるターンテーブル(これも現在使われてはいない)と適当に置いた感がしまくりのビートルズの「青盤」LP、PCの隣には一つ前のモデルのiPodとペンケース・消しゴム、のど飴、リップクリームが粗野に投げ置かれてあって、キーボードの上に置いてある本は桶谷秀昭の『昭和精神史』、その下にありますのがハンドクリーム、で、奥に立てられてあるのがなぜか山川出版の『詳説日本史』(言うまでもなく高校の日本史教科書)、VALUESTARの上には怪しげなるコトに必要なティッシュ、手前のふざけたPCには様々に接続されたコード―嗚呼コレこそが最も粗雑! その背後に忍び寄るモニターの影に隠れてあるのがキモチ悪い二組の木彫り人形(こけし)…


今では(普段)誰も使用しない机であるから、まったく生活感が感じられない奇妙な写真でありましょう。
斯かる具合で、近いうちに私が十八年間過ごしたる実家近辺の写真を掲載させて頂くコトにしよう。<超>田舎町の光景、をいずれお目にかけて差し上げるのであった。

2007年12月26日

2007年12月26日 ないものねだり

甚だしき田舎の町より。否、「町」と述べるより「村」と述べたき程の場所であった。
一年ぶりの実家なのですが、どうも閉塞感、疎外感、孤独感が増長されておるような気になる。つまり、単刀直入、<物寂しい>のだ。もう貴様の居場所は此処には存せぬ、と申し渡されたかの如き一種の差別的待遇を無意識裡に受けてあるような、斯様な精神的重圧を受けるのは、何故でありましょうか。家族から虐げられておるワケでは毛頭ございませぬが、かといって万歳三唱を伴って歓迎を受けるワケでもあらず、ソレはまるで宅配業者が荷物をトラックに投げ入れました瞬間を目撃致した時の、あの我が身とは無関係にも関わらず生じる妙な違和感…或いはコレを、あらゆるモノに対して善意を期待し過ぎるあまり、現実の動態にソレを覆されそうになった時に生まれる何ら正当性を持たぬ抵抗意識のようなモノと、それに対置さる現実肯定意識が相互にせめぎ合いの熱闘を演じておるかの如き、精神が自己の内部における安息の地を求め彷徨う過程に発生します能動性と受動性の結合の不一致に似ておると申しても良いのでした。って、何のコトやら解らん。書いた私が30%くらいしか解っておらぬのだから、第三者はもっと解らぬでありましょう。


兎に角、今、私は<物寂しい>。
かつて暮らしたる此の地は、もはや私の中には在らぬ。ヒドくこの身を離れてしまっておる。再び此処に戻って来られるのでしょうか、そもそも戻ってくるコトなどがあるというのだろうか。意識的に手放さなければならぬモノがあれば、其の時には言いようなき激しき寂しさとの闘いが待ってあるのですが、無意識の裡に手放したもの、また一方的に離れて行ったモノに対しては、ソレが離れたる事実を自覚致しました時に、まず感ずる心情というのは、現在私が晒されておるようなこうした<物寂しさ>なのではありませんか。意識的に手放す瞬間において生ずる寂しさには痛みを伴っていますが、そうではない瞬間における寂しさには悔恨に似たもどかしき寒気があります。


そうすると、私の安息の地はいったい何処にあるのであろうか。

2007年12月25日

2007年12月25日 触らぬ神に祟りなし

部屋の大掃除、いや規模と致しては中掃除くらいのモノを決行す。しかし、中途半端にキッチリとしたる性格が幸いしてか、お掃除道具には不便を来さないのであった。掃除機、雑巾、スポンジといった超基本アイテムから始まり、コロコロやトイレ用洗剤、浴槽用洗剤、フローリング用洗剤、キッチン用洗剤(油汚れに強い!)等を所持しておるのでした。また、油汚れを落すのに特化したスポンジや水を用いないでもホコリを吸着して頂ける紙製の雑巾なども所有してある。およそ男の一人暮らしにしては道具がありすぎる気もするが、無いよりは宜しい。現在、私は、複数の洗剤のニオイが漂う部屋中にてキーボードを叩いておるのであります。お掃除をしたという実感も漂う。全ての汚れを落とし去ったワケではあらぬが、大体七〇%ほどの汚物は洗浄し得た。と自負しているらしい。


今日はクリスマスなので、近所の神社に馳せ参じた。日本語がオカシイか。
閑散としたる神社。おそらく神社を管理しておると思われる家族のような四人組(父母と兄妹)が何やら日曜大工的土木作業をしておるのを傍らに見ながら、神社内をウロつく。彼ら一家からすれば、私は相当怪しきモノと警戒されたかもしらん。
フとするに、「天然記念物」と記されてある石碑が設置されてあるのを発見致したので、よくよく見てみるに、どうやらソコにある巨木が天然記念物に指定されてあるらしい。私の直感からすると全高十二メートル、直径一メートル八十センチほどの巨大な木でごじゃいます。何ていう木かは存じ上げん。
十五分くらい適当に神社の中(主に天然記念物の周辺)を散策してから帰ろうとしたのであったが、このまま帰るのも申し訳ないような気がしましたので、祠(ほこら)の前にあった賽銭箱に「五十円玉」を投入して、手を合わせてみる。だが、手を合わせた瞬間に後ろめたさが生ずる。今まで斯様なコトはせずに来ったモノが、その場凌ぎのような具合で信仰心的なモノを見せつけるのは却って“神様”に対する不信ではあらぬかと感じた故に、すぐさまその場を立ち去らんと決し、実際すぐに立ち去ったのであった。クリスマスだからの口実の元に<にわかクリスチャン>になって祝うのも十分な冒涜行為であると信ずるが、だからといって“逆説的に”神道に歩み寄るのも是また冒涜行為なり。そうして、我が家系は代々真言宗ではないか! チクショー!お寺へ参詣すべきだったか!


・・・あっ! 今気付いた。俺、手叩いてないワ。神社ではパンパンって手を叩いて拝まなければ“神様”がお気付きになられないのよ坊ちゃん、ってガキの頃に何度か両親に言われたはずだ。
…ということは、私の軽薄なアノ行為も“神様”が察知しておらぬというコトで、バチは当たらぬであろうか。…というよりも、バチが当たる当たらないの次元で神社というものと向かい合っておる時点で、十分なバチ当たりではないかと感じますが。まったく気が滅入る。


明日は実家へと帰らんとするのである。
トコロデ、この前記し上げたtexas pandaaなるバンドはやはり素晴らし過ぎるバンドであります。(参照リンク:“texas pandaa”というらしい存在)勢いでファーストアルバムも購入してしまった。あるいは彼らとの出逢いは今年最大の収穫ではありますまいか。コレも“神様”が用意したる巡り逢わせ哉。
(数億人に一人の割合でいるらしい、まだ見ぬ)私と同じような趣味の持ち主に是非とも勧めたいバンド。texas pandaa:「Days」ってアルバムは誠に傑作な一品でございます。宜しければ召し上がれ。

2007年12月24日

2007年12月24日 新たなる日々へと向かおう!

ホントは明日でバイトを終えるはずだったのですが、もう本日で打ち切ることにしてやったのでした。ほぼ十一ヶ月の月日を過ごしたるスーパーのバイト、その日々を回想してみるに、疾風怒濤の如き歳月とは斯様なコトを云うのであろうか。妙な客を沢山目撃出来たのが、最も愉快なる収穫に他ならぬ。結局、最後まで姿を現さなかった「ミキサー」(参照リンク:横暴サディスティック)、ざまぁみろ。お前なんか、お前なんか…
まぁ、バイトは一段落です。ただ、コレで何かが終わったワケではあらぬ。愈々本番を迎える就活戦線。嗚呼、誠に厳しい将来。来年は<最もシビアな>一年になるような気がしなくもない。嗚呼… おっと! 悲観的にはならないでおこう。常に笑みを。・・・だが、一人でニヤニヤしておるのもキモチ悪いものである。私なぞは“頻繁に”一人でオカシナモノを見つけてしまう故に、そうして単独でニヤついておったりするから、ソレを目撃したる他人はおそらく例外無く気持ち悪がっていることでありましょう。もしくは気が狂っていると断定されてあるか。


明日は、一日お部屋の掃除などをして、明後日26日に四国の実家へ帰らんと欲す。およそ一年ぶりの帰省である。帰っても何もありゃしないが、かといって一人で正月を迎えても何もありゃしない。いずれにせよ何もありゃしないのだ。嗚呼… それでも悲観的にはならぬ。笑みを。笑みを。ちょっと大袈裟にニヤついてやろうかしらん。フフフフ……

2007年12月23日

2007年12月23日 未来が怖いのです

本日は楽しい楽しいクリスマス・イヴの前日、イヴイヴなり。
って、ふざけんな死になさい!


本日は天皇誕生日ではないか!
陛下の誕生日をお祝いせずして、いったい何を祝うと申す。


さて、有馬記念の発走直前に、高校時代からの友人某からの連絡を受け、数ヶ月ぶりに会うことに。
有馬の方はマツリダゴッホ、コチラでも陛下の誕生日を祝しておる。


無精なる友人某も、私と同様大学院生であるが、彼の場合は理系であるが故に、私のように就活には苦労しまい。
夕食も兼ねて居酒屋で雑談す。就活の話題や研究室の話題など、互いに「旬」なテーマを持ち寄るに、彼の就活は私より二歩三歩進んでおる模様。彼を前になんとなく気合いが入りたるような気が、しなくもない。


しかし、酒に弱いコト甚だしき私。とは言いつつ、生ビールを中ジョッキ二杯飲み干してしまう賤しさ。とは言いつつ、お酒の席はキライじゃない卑屈さ。色々と考えさせられるような話題や愉快なハナシが出てくるモンである。結婚を前提に同棲生活を送っておるらしい旧友のコトや、トイレでオナニーをしていたという教授のハナシや、なんと40歳子持ちのオバサンと真剣交際しておる同級生の某クンの実態を知らされ、驚愕す。40のオバサンはムリだわね〜


思えば、同級生で仲の良かった連中のうちで、終局、大学院にまで進んだ(進んでしまった?)のは、私とこの友人某のみである。
これからどうなるコトやら。特に俺。
もしかしたら五年後の私は、45歳のオバサンと結婚しておるかもしれぬではないか(相手は再々婚で…)。ああ、恐ろしや恐ろしや。未来ほど無気味で厄介なモノはない。故に人々はソレに対して様々な対策を講じるのでありましょう。貯金然り、色々なる人生計画然り。ヒトにとって最大の敵は未来であろうか。

2007年12月21日

2007年12月21日 “texas pandaa”というらしい存在

Days“texas pandaa”というらしいバンドの「Days」というらしいアルバムがイイらしい。「pandaa」となっておるのは、私の入力ミスではなくて、彼らがワザとこういう風に命名したらしい。このアルバム中にて最も素晴らしき哉ってのは、他でもないがジャケットらしい気も致すのでしたが(現に私はジャケットに惹かれて聴いてみた次第であった)、中身も負けず劣らず上質らしい。彼らについては何も存じ上げないらしい私、ヴォーカル(+ギター)とベースが女で、ギターとドラムのモノが男らしい。「男らしい」と申しても、筋骨隆々、肉体美を誇り、いかなる危機にも率先して立ち向かうような類の「男らしい」ではなく、この場合の「男らしい」とは“どうやら性別は男のようだ”という意味での「男らしい」であるのです。
アルバムのこと。二曲目の表題曲「Days」でいきなり引っかかりを覚ゆ。どこかで味わいたる響き、残音、声・・・思慮を巡らすにSonic Youthの「Sympathy for the Strawberry」の一節を彷彿とさせる構造であるか。斯くしてキム・ゴードンと姿がごく矮小なる一点にて交わらんとするも、やや趣を異にする故に、どうもシックリと来ないのでありまして、ソコがこの“texas pandaa”というらしいバンドらしいバンドの面白みの一つであるらしい。Sonic YouthやらMogwaiやらThe Jesus and Mary Chainやらの有名所を無理矢理引っ張り出してきて、彼らを器の中にて混ぜ合わせ、卵とお醤油をかけてもう一度混ぜ返し、ソレを神棚に供えて二日くらい放置したる後に、火を通して食せば、おそらくこの“texas pandaa”というらしいバンドと瓜二つの味になる。一言付け加える必要があるかもしれぬが、コレは大いなる讃辞でございます。


深い「嬉しさ」が必然的に「喜び」へ推移するに反して、深い「悲しみ」は「歎き」へ開かずにみずからの中に閉じ籠ろうとするのである。(「情緒の系図」)

と斯く申し上げたのは、日本の哲学者九鬼周造であったが、まさに至言である。この“texas pandaa”というらしいバンドに開放性はあまり感ずるトコロがないらしいけれども、その分、光を放つような疑惑的なる殻の中より「悲しみ」にじっと対峙しておるかのような情景を想像させる辺りなどは、まさに一つの表現体としてのバンドというモノの機能が、ある種健全に、ある種中毒的蒙昧さを兼ね備えながらも、自らの欲する軌道に従って回転しておることの左証と見ることができます。


音楽のフィールドにおいて、「憂い」を自家発酵させるコトで体得できる情念は何たるかと云えば、私は真っ先にこの“texas pandaa”というらしいバンドを持ち出して来たいらしい。このアルバムの内部から伝わり来るイメージには、軽薄で浮かれ切って楽観的な享楽精神があまりにも感じられないコトを以て、私は彼らに短命であって欲しくはないと願い、その将来のより偉大なる発展へと思いを馳せるのであった。斯様な響きの集合体を、今の時代は欲せざるか否か。

2007年12月19日

2007年12月19日 「再会」のこと

あと一ヶ月と10日で23歳になる。22年と325日の月日を過ごしてきたワケなのでしたが、たった今、私は己の人生についての決定的な瑕疵を発見致した。私は22年と11ヶ月の日々の中で、一度たりとも「再会」というモノを経験していないのであった。或るヒトと別れたらそれが最後、別れたキリでそれ以来二度と出会っていないのであります。モチロン、中学時代や高校時代の幼馴染みとたまに会う機会はあるのだが、ソレはある程度の連絡を取り合っている状態で、「じゃあ、○月×日に△△で会おう」といった約束をしてから会っているのだから、この場合は私の意図する「再会」ではあらぬ。ココで私がいう「再会」とは、<双方が思いがけぬ時に思いがけぬ場所で>出会うようなモノを指しておるのですから、そうすると私のこれまでの生活の中で斯様な経験は一度も存せぬ。それには生まれ育った四国の田舎町から、現在では遠く隔たった地にて生息しておるという理由もあるのかも知れませぬが、しかし漠然とではあったが、今後も私は「再会」を経験せずに終わるのではないかといった不安のようなモノを抱えておるのは、ある程度の本音なのであります。
元来私は人付き合いの悪いタチであるが故に、従って親しいモノの数も多くない以上、自ずと「再会」の可能性も低くなりましょうが、そうであるなら必然的に(?)「俺は徒党を組まないぜ」ってな開き直り具合でどうしようもない諦念を抱え込むのだけれども、ココで私は唐突にも親父のハナシを持ち出そうと思う。というのも、私の親父は「再会」と隣り合わせのような人生を送っておるのであります。<双方が思いがけぬ時に思いがけぬ場所で>出会うといった経験を、私の親父は非常にしばしば体験する。私の幼い頃からつい最近までの記憶を手繰り寄せてみますに、例えば家族でやや遠方の場所に観光的移動をなした時などに、私の親父はおよそ60〜70%くらいの確率で知人と出会う。ホントに信じられないくらいに何処へ赴いても親父は「再会」を経験し過ぎるので、母などは或る時に相当気味悪がったモンで、多分今でも親父に何らかの「再会」があれば、母は気持ち悪がり、いや、むしろ呆れ返るような具合であろうと思われる。
「再会」も経験しすぎると、もはや何の有り難みもあらぬでありましょうが、数年に一度くらいは<双方が思いがけぬ時に思いがけぬ場所で>出会うといったような「再会」の妙味を味わってみたいモノでありまして、私にとって懐かしい誰かが予告も無しにいきなり眼前に一度くらいは現れてみろってんだよ、畜生!

2007年12月18日

2007年12月18日 利用されただけ?

今日に至る迄、“気持ち”の交換をせずに来ったヒトからの思いがけぬ<配達>には戸惑うモノである。しかしソレは、相手からすれば、単なる“不要物”の私への押しつけかもしれぬ。斯様な思いを巡らしてみると、なるほどなかなか対人関係などというのはイイ加減で都合主義的な面もあるのかもしれません。

2007年12月15日

2007年12月15日 お酒のせい

MUSIC ON! TVにて毎週土曜12:00〜13:53の間に放送されておりますのは「M-ON! Make On The Holiday」ってなプログラムでしたが、パックンマックンと共に番組進行を務めていらっしゃいます岡田茉奈チャンがカワイイから、カワイイから、カワイイからついつい見ちゃう。困ったモンだ。あの朴訥としたような表情が素晴らしい。喋ると全くもって朴訥ではあらぬコトが判明致しますが、黙っておられるとそれだけで何モノかを惹き付ける魅力を有しておる。彼女に笑いながら「キャハハハ、ふざけんなよぉ〜 死んじゃえー」なんて言われたら、私のマゾヒスティックハートは締め付けられて制御不能になるやもしれぬ。真面目に言われるとヘコむが、冗談なら欣喜雀躍してしまうでありましょう。


前回の投稿は、雑な理論展開と落とし穴が幾つか存す内容で、かつ逆説的に反論され得る可能性も大いにあるモノでありましたが、私はなかなか気に入った。Dear 政治家という括弧付きで頼む。Dear 橋本弁護士でも良いかもしれん。ウソ。冗談。そんな大それたコトは私に出来ないのであるが、私なりの誰かへのメッセージ。今年を象徴する漢字が「偽」であるってのも実に良いタイミングでして、どこかしらそういった世相とリンクするトコロがある、と思って頂ければ私は嬉しくて創価学会にでも入会しちゃう。


最近実に気になっておる疑問。誰か、誰でも宜しいから教えて欲しいのだが、おそらく誰も答えられまい。すなわち私が知りたいことは、「キティちゃんとくまのプーさんは、どちらが美味しいか?」
猫と熊という関係で考えましたならば、おそらく熊になりましょうが、しかしキティちゃんはフツウの猫とは異なるように思われます。アレはアレで甘くて美味しそう。モチロン、プーさんも美味しいかもしれんが、意外と平凡な味がしそうでソレはちょっと失望しちゃうゼ。だが、キティちゃんを食すにしてもプーさんを食すにしても、例えば、丸焼きで出て来たならば、どちらでもショックを受けるのではありませんかいな。けれども、丸焼き姿を視認しました場合、より衝撃的だろうと思われるのは、やはりキティちゃんであろう。
ココまできて、なんとなく判明致した気がする。多分…どっちも美味しくない。キティちゃんなんか食おうと思っても食える部がほとんど無いじゃないか! …となると、結局は無難にプーさんか。それはプーさんですから肉付きは上等だが、そもそも黄色い動物が美味たるか?
じゃあもう申し上げますさ。敢えて選ぶなら、私はキティちゃんを召し上がらんと欲す。ムニエルにでもすればちょっとは宜しく頂けるのではありますまいか。プーさんの有り体に柔らかそうな肉よりも、キティちゃんの珍味的に甘そうな肉に私は賭けたいのであった。
原作者には申し訳ないが、私は<食材としての>キティちゃんなら好きになれそうなのでございました。ただし、どうポジティブに思慮しても、その味のレベルは“野菜ふりかけ”程度であろうが・・・


現在、お酒に滅法弱い私は、缶ビール一本(350ml、ヱビスビールの限定発売の赤いヤツ)と日本酒一合(辛口最高!)を飲みて酔いまくっておる。初めて(!)イイ感じに酔った! 素晴らしくボーッとしておる。意識がヤバい! くだらんコトを書いたのは、間違いなくお酒のせい。

2007年12月13日

2007年12月13日 「絶対」に近似する<仮説>

この世において確かなるコトは一つしか無い、と私は思い続けているのでありました。その一つというのは、「生まれ落ちたモノはやがて肉体的な死を迎える」。唯一コレのみが、この世における言わば<絶対的>な事実であり、それ以外のコトはいずれも「絶対」ではない。
作家の半藤一利さんは、戦時中の体験(米軍の攻撃から俺が助かったのは“偶然”でしかないという思いを獲得した経験)から出発し、この世に「絶対」というモノなどはありゃしないぜベイベー、って信念を以後一貫して持ち続けていると様々な場所で語っておられますが、如何なる出来事にしても、また如何なる思想にしても、「絶対」が適用できるようなコトは、結局<死の到来>以外にはないのではありますまいか。
それ故に私は「平和」も「平等」も「自由」も「友情」も「愛」も、いずれも<絶対的>なモノであるとは思わない。それは人々の“気分”の問題が作り出した<仮説>でしかあらぬ。しかし、この“気分”ってのがなかなかのクセモノで、人々は漠然とではあるが共通した想いを抱くものである。この漠然とした点については、ヴィトゲンシュタインの名言「語りえぬものについては、沈黙せねばならぬ」を持ち出してくる他ないが、人々は「戦争」よりも「平和」を、「束縛」よりも「自由」を欲します。それは「絶対」ではなかろうが、だが“高度に信頼の持てる気分”であるとはいえよう。そうして、その“高度に信頼の持てる気分”が集積致しました結果生誕し来ったモノが、あの「法の支配」における「法」の概念である。斯様な解釈は稚拙で下らんと思われるかもしれんが、私はココで手っ取り早くそう申し上げたいのであります。
話は戻る。この世における如何なる物事も所詮は一つの<仮説>でしかあらぬ、というその考えは何も特異なモノではない。今日まで斯様な考えを抱いた輩は多くいた。「脱構築」に象徴されるポストモダンという学問分野なぞも、少なからず斯かる状態と関係があるってモンだ。吉本隆明がアノ世紀の奇術書、難解書、魔書『共同幻想論』にて出発しようとした地点も―より複雑ではあるが―ココでいう<仮説>と関連する部分もあるのではなかろうか。が、やはりそれではイカンのだよ。この世の全てを<仮説>であると致しますと、やがて勘違いした哲学者や学者や作家などが登場し来たりて、己の手で新たな<仮説>を創作せんとする野望を抱きまして、自らに都合の良いような秩序構築を企図し、世の中を混乱させうるコトも不可能ではない。ソレは確かに極めて行き過ぎた想像でしかないのかもしれませんが、それでも、敢えて問いたい。一代で多くの<仮説>を覆し、それに代わる新たな<仮説>を提示できるとでもお思いで?
けれども、<仮説>は<仮説>かもしれぬが、そうかと言ってソコには見逃せぬ事柄があるのでした。それは「絶対」への距離(<絶対的>らしいモノへの距離)である。<仮説>が「絶対」に転換するコトは、まず無い。が、「絶対」に近似する<仮説>(=人類史の中で脈々と形成されて来った覆し難い<仮説>)は存在するのではなかろうか。


まとめる。
この世に<絶対的>なモノは<死の到来>を除いて見出し難いが、人々の間には<絶対的>と思われるような“気分”(それもやはり<仮説>に過ぎぬのだが)=限りなく「絶対」に近似する<仮説>、というモノがあるはずで、それが「法の支配」の「法」であるコトは信頼に足る<仮説>であると私は考えるのでして、そうして私たちの身近な場所にも「絶対」に近い存在の<仮説>というモノはなかなか多様な具合で置かれてあって、日々の生活の中で人々が申す「絶対に〜」だとか「疑いなく」なんて文句も、その根っこを追い求めてみれば、結局「絶対」に近似する<仮説>に辿り着くはずなんだけども、ソレを私たちは見逃しておらぬか。彼や彼女や、あのゲイやあのレズが、仮に「絶対」という言葉を用いるならば、その裏には堆積された途方も無い数の人々に共通する“気分”が存在しておるのです。ヒトは「絶対」に近似する<仮説>を信頼するコトで、普遍的な概念であるとか制度であるとか思想であるとか、斯様なモノを築きあげてきた。ソレは長い長い期間を経て積み上げられてきた人類の“気分”の代名詞的存在であるというべきなのです。
問う。
誰がその“気分”に反逆できるか、誰がその“気分”を「再構築」できるか、誰にそれだけの力があるか。
信じる。
あらゆるコトは<仮説>かもしれぬが、だから何だと申す。それであるなら、今も、そしてこれからもずっと、私たちに課せられておる役割は、自分たちを支えておる<仮説>を、「絶対」に近似する<仮説>へと押し上げていくという、そのコトに尽きるのではありませんか。そうするコトでしか人間なんてモノは自らの“気分”を健全なモノとしていくコトはできぬのかもしれぬが、だからと言ってそれの何が悪い。無数の重ね上げられた“気分”に思いを馳せる時に、私たちがなすべきコトは、それらの“気分”を裏切らないって一点だけを以て、それ以外に何が必要であろうか、いいえ、もう結構なのです。

2007年12月12日

2007年12月12日 演芸会開催間近!?

如何なるモノであろうとすぐに政治の世界へと向かわんとするのは、コレすなわち有権者が誰でも彼でも当選させてしまうような状況を作りだしておるからではあらぬか。
かつて大阪府民はハゲの漫才師を知事に召還した。そのハゲはハゲに留まるコトなく、後にはエロでもあるコトが明らかになりまりして、無惨にも失脚したことはご存知の通り。今年度、宮崎県民も同様にハゲのお笑い芸人を知事へと迎え入れたのであった。このハゲは、エロでの前科と暴力行為での前科があるものの、もはや今をときめくスターになってあります。ハゲでもエロでもあらぬが、かつて東京都民はタレントを知事へと押し上げたのだった。コノ場合は、やはりハゲでないコトが幸いしたのか、大した実績は残さなかったものの、無難に任期を全う致した。
しかして、此の度の注目は、イケメン風の弁護士である。ハゲではない。子だくさんですが、おそらくエロではない。いや、或いはエロかもしれぬが、少なくとも猥褻ではないでありましょう。何よりも「弁護士」という肩書きが輝いておるではないか。タレント的な要素も大いに含むのでしたけれども、その本分は明らかなる弁護士ですから、人々はコレに騙される。特に日本人の「弁護士」への眼差しは凄まじい故に、大いなる攻撃力を備えておると見て間違い無し。一部には世間からも明瞭に認知される気が狂い切った弁護士(団)もおるが、その連中に対して真正面から立ち向かわんとする彼の姿勢もまた何かにつけて魅惑的に思われるかもしれん。斯くして人柄にも釣られる。そうすると、もはや知事の椅子は目前かもしれん。だが、現知事も前知事に続いて自滅したようなモンであるから、彼も知事になれば自滅する可能性は大いにあり得る。
一部では彼の態度に反発するモノもあるかもしれんが、態度であるとか振る舞いであるとかいう次元よりも本来的に考慮されねばなりませんコトは、その政治家としての資質であるって事実を忘れているから、全国でおかしな現象が生ずる。政治家は誰のために働くか。それは現在生きておるモノだけのためではなく、将来ソコで暮らすモノのコトも想定して働くのである。目先のコトしか考えられませんモノに、政治家としての地位は相応しくない。そして、有権者は(仮にその選択肢が乏しくとも)最もその素質のありそうなモノを選ばねばならぬのであるコトは自明。であるが…その自明が今や危機的状況ではありますまいか。
あの治安の宜しくない都市において「歩行者天国」、「屋台」の活性化を目論むという彼のその威勢は素晴らしきというべきかもしれませんが、その為には解決せねばならぬ、または排除せねばならぬモノが、それこそ<山ほど>あるってのに、それを見ているのか見ておらぬのかは知らぬが、いきなり斯かるモノを増加させたトコロで、治安は益々悪化・混乱するコトは必至。一体全体街を混乱して革命勢力の擡頭でも待とうというのでありましょうかねぇ。


おっと、そうこうしておると、共産党も異なる弁護士の候補を推薦しておるようだから、もはやアソコの知事選は<ふざけた演芸会>の如き様相を呈してきているのではないかしらん。
私には、終局的には関係のない選挙であろうと思うが、いや、しかし成り行きが面白そうなので、対岸の火事。

2007年12月09日

2007年12月09日 “God”基準で。

この世のうちで意味の分からないモノ。
例えばオノ・ヨーコ。
私はこのヒトを大して好ましく思わないのでありましたが、それはキモチ悪いからというよりもむしろ、彼女の世界が私のソレと比するに、あまりに異次元過ぎて如何なる対応を取るべきかを決定できないでおるからなのである。
ジョン・レノンは、私が申し上げるまでも無いほどに、真性の包茎、…いやソレもそうなのだけど(「Unfinished Music No.1: Two Virgins」【邦題:トゥー・ヴァージンズ】のジャケット参照)、彼は真性の天才でありましたが、どのような才能の塊であっても、その生涯の間に二、三のミステークはするものでございます。そうして、そのミステークの一つに、ジョンがヨーコを選択したという事実を数え上げるコトに賛同致してくれる諸兄もおられるのではないか。
周知の通り、オノ・ヨーコと知り合ってから後のジョン・レノンの曲には頻繁に「Yoko」の文字が散見できるのですが、私はそれらの曲を何度聴いても、何故にジョンがヨーコに惹かれたのかが理解できませぬ。ジョンの曲の中に、果たしてリアルなヨーコの姿は秘められているのかどうか。斯かる疑念を持つのでした。と同時に、冒頭にも記しました通り、そもそもオノ・ヨーコについての解釈の仕方に戸惑う。アレは何だと言うのか。奈良の騒音おばさんと同等か或いはそれ以上に不可解なオンナではありますまいか。
やはりジョン・レノンくらいの天才でなければ、オノ・ヨーコのような存在は受容できぬのか。


ジョンは「God」の冒頭でこう歌った。


God is a concept by which we measure our pain


イタいです。イタいです。私の中にある“God”を通じて見るオノ・ヨーコの姿、非常なる痛みを感じずにソレを見ることはできませぬ。


ジョン・レノンの命日から遅れるコト二日、此のような思いを馳せる誠に陳腐なる一人の存在を、“God”を基準として測量致した場合に、ソレはいかなる規模であるか、もはや言う迄もない事柄である。

2007年12月08日

2007年12月08日 本音

前々回の流れが未だ尾を引いているのでしたが、やはりどうして私と関わるモノは変わっておるのかもしらん。私との付き合いを続けたいと思うようなヒトは、なぜか個性の強い人物が数多であって、一方で、すぐに疎遠になるようなヒトは、実にノーマルな人物、言わば真っ当なヒトたちでないでしょうかってコト。私をバロメーターにするなんて烏滸がましいコトをしようというワケではありませぬが、それでも私からすぐに離れて行くようなモノは、本人がどう思っているのかは知りませぬが、スゴく真面目でなかなかの社会適用能力を身につけたモノばかりである。
男女関わらず一年以上私との関係を維持し続けたモノは、それこそ<数える程しか>おらん。その原因は、或いは私の引っ込み思案、出不精、積極性の無さに求められる面もあろうが、しかし斯様な私の性格を前にしても、それでも私との関係に何らかの要素を見出すようなヒトは、どうしても奇妙な連中ではないか。フツウのヒトならば、すぐに切断するであろう関係を、何故アイツやあのヒトが維持し続けるのか。私には解りません。
私が察知できますコトは、彼らが非常に個性の強い人物で、明確なる己の興味関心事項を持っているという事実―つまり自分の世界を見事に構築できておるモノたちでして…そう致せば、彼の世界と私の内面の何処かが接触し合う時に、何らかの刺戟を彼に与えうるというコトも考えられましょうが、果たして私にそこまでの力があるか、否か。解せぬ。どうしても解せぬ。私から離れてゆくモノには、そりゃ、こんなオレだから仕方ないだろう…って諦められる部分もあるのでしたが、片や私にある程度の好意や共感を持続して覚えてくれるヒトには、いつも不可解な戸惑いを覚えるのであった。オレのどこに・・・何時もその思いを回避できぬのは、是すなわち私の自己認識不足であると言ってしまうワケにもいきませんで、どうしてもその由縁は私の内面と彼らの内面世界の連関性にこそあるような気がしてならぬのであって、すなわち彼らの異常な個性対ロクでもない私の内面が生むエネルギーというモノを分析してみたいのだが、未だその方途が解らぬのです。


只、個性の強いヒトが周囲にいてくれるのは、それなりに心強いコトでして、例えそれが最終的に一人であろうと、私と彼・彼女との間に<特異な>、<唯一無二の>エネルギーが生じているのであれば、私は一生ソレを守り続けてゆきたい。そう思うのでありました。


この雑文を、特にTとT氏に捧げる。

2007年12月06日

2007年12月06日 カーライル氏との対話

私「昨日書いた文章を読み直してみたのですが、コレがヒドくつまらない。ここ最近の中じゃ一番くだらないんじゃないかしらん、と思いました」


カーライル氏「尤もだ」


私「上辺だけでしかモノを語れていないからでしょう」


カーライル氏「いや、むしろ問題なのは、大したオチも無いクセにダラダラと焦点の定まらぬ文面を書き連ねて行く、その根性に問題がある」

私「焦点ですか。 確かに明確なる焦点を持っておれば、今頃は真っ当な社会人にでもなっていたのでしょうけれど」


カーライル氏「概してダメ人間は理屈っぽいモンだ。己の不誠実、不見識、不真面目を棚に上げて、常に愚痴を吐き散らす。そうしてあろうことか<大衆>を嫌悪してみせる。己独りが抱え持つ不利をいつの間にか世界全体にまで拡大してしまう斯様な腐敗した精神の元凶は、何よりも自らの確固たるビジョンの欠如に求められるってコトを奴らは決して理解しようとしない」


私「全くその通りでございます」


カーライル氏「童貞が童貞なのは、童貞自身に問題があるからで、世の女に責任は一ミリもない。そうだろう?」


私「全くの正論であります」


カーライル氏「しかし、コレが己の問題を亡失して、世間一般の女に諸悪の根源を見出そうとした時、そのモノの精神は永久に抜け出すことの出来ぬ路地へと迷い込んだも同然だ」


私「ハイ。まさしく仰る通りで」


カーライル氏「最終的に、彼の世の女に向けられた憤りは或る一点に終着する。すなわち己が童貞の原因を、彼を産み下ろしたる母親という一人の女に集めるコトをもって、理不尽にも我が不遇からの解放を得んと企むのだが、それは皮肉にも自己の運命を束縛するだけであって、苦痛は得られども自由は一向に得られぬ。」


私「誠に明瞭なるご意見であります」


カーライル氏「真の自由を得んとして、この世を旅するならば、まず何よりも自らが所持する責任意識、自らの受け持つ仕事を理解するところから始めねばならぬ」


私「畏れ多いコトです」


カーライル氏「自らの立ち位置を知らぬものに幸せが訪れるコトはなかろう。汝は全てを所持するのではないが、全てを放棄してしまうワケにもいかぬ。」


私「・・・それでは、どのようにして己が持つべき役割を知るのですか?」


カーライル氏「とりあえず風俗店に行くことだ。すなわち、まずは女を知る必要がある。そうして新たな世界が拓かれた後に、見えてくるモノがある。ソレこそが、神によって与えられたる貴公の任務に他ならないではないか」


私「仰る通りかもしれません」


カーライル氏「お前の問題点もソコに尽きるのだ。くだらぬ文章を“これでもか!これでもか!”と書き続ける真意は那辺に求められるか?」


私「ソレは・・・文章の持つ可能性を信じているからです」


カーライル氏「そんなモノは浅はかな理想主義に他ならぬ。この世のあらゆるモノに可能性はあるが、その可能性を活かす方法を知らぬモノが大半であるが故に、多くが潜在的な力を発揮するコト無く放擲されて行くのだよ」


私「可能性を活かすためには、努力をするより他に方法がありません。私は一生努力を重ねて」


カーライル氏「黙れ!そんなつまらぬトコロに<真実>は無い!」


私「そ、それではドコに・・・」


カーライル氏「とりあえず風俗に行け。お前はまだ何も知らぬ」


私「それは・・・世界を、いや、視野を開拓しろとのコトでありましょうか?」


カーライル氏「イイヤ、単純に女を抱けってコトだ」


私「承知致しました」


カーライル氏「後ほどお前が行った店の感想を報告するように。あと、値段やシステムや女のレベルについても詳細に説明できるように準備しておきなさい」


私「了解致しました」

2007年12月05日

2007年12月05日 ココロに咲く花

無い。何処をどう探しても、無い。日本のインターネットの世界にM・オークショットの本、『政治における合理主義』は、無い。古本屋のHPを巡り果てても、無い。当然オークションにも出品されて、無い。私は本で欲しかった。「本で」というのは、すなわちコレはもうどうしようもあらぬので、やむを得ん、私は学校の図書館から借りて、読みたい部分も丸々コピーして保管しておくより他に道が無くなりましたので、実際にそうしたという具合なのであった。およそ二百頁ばかりをコピーさせて頂いた。
しかしねぇ、学校の図書館に於いても、大仰な“書庫”なる<貴重本>を多数保管してあるらしいまるで霊安室の如き陰気な場所にあるのだから、そりゃインターネットの世界にも出回りません。そもそもこの本を借りたのは、私で果たして何人目であろうか。重要な本であるというのに、何たる知名度の低さ!
私は、今、此処にて一つだけ申したいコトがある。学校の図書館に申し上げたいコトがあるのだ。「蔵書数百何十万冊」とかいう宣伝は宜しいから、もうちょっと入れる本を考えなされ。このオークショットの『政治における合理主義』にしろ、その傍にあったマンデヴィルの『蜂の寓話』にしろ、ほぼホコリを身に纏うような雰囲気で安置されておるというのは、あまりにふざけてはおらぬか。ホコリをかぶるべきなのはマルクスやレーニンの本であるべきで、絶対にオークショットの本にホコリを付着させてはならぬ。


ああ、いけない。斯様な文句を言い立てるから、私はヘンな奴だと推定されるのでありまして、フツウにしていても妙な輩と誤解されるのだから堪らない。そうして、私がこんなコトを述べる権利はどうしても保持しておりませんが、やはり私の周りにいるような連中だって、多かれ少なかれ妙な連中ばっかりなのです。そりゃねぇ、俺の人生ギャンブルだぜ!的な感覚で、文系のクセに、就職が不利になるコトを承知の上で、大学院に進学してくるようなのは、なかなかの曲者が多し。HクンもKクンも猪突猛進タイプというのだろうか、周囲を自ら隔絶するような状態に置き―奇妙な<独立心>で己の興味を只管追求致しておる誠に“一途”な学生なのであるが、しかし「世間」たるモノからは相当な距離感を思わせるのは、これまた必然であろうか。而して私も然り!?


おそらく、というか、コレは何らかの条件が一致すればヒトは皆そうなるのかもしれぬが、レベルは低くとも、多少なりとも何かに熱中して「研究」するようになると、およそ彼も彼女も<大衆嫌い>になるような気配がある。如何に現実的な「研究」であれ、やはりどこかにおいて現実の社会と乖離したる部分はあって、その実感(虚無感?)に触れてしまいました瞬間において、彼や彼女が現実を拾い上げずして己の「研究」の過程にこそ理想も可能性も夢も希望も改善も保守も飛躍も優越も満足も存すと見定めたる(見誤りたる?)時点で、<大衆嫌い>なる病魔に浸食されるのではありますまいか。まず大学教授からして斯かる病を持ち合わせておるモノの多いこと、実に多いこと! なんでございましょう、あの“厭世讃歌”は。
KクンもHクンも<大衆嫌い>だと申しておった。あのセンセイも申しておったじゃないか、「大衆はバカなんだ!」と。 ハイハイ、ソレは承知致しております。ソレは重々心得ておりますよ。だが、ココで問題なのは斯かる自明のコトではあらずして、この場合、奇妙なコトに、「大衆なんてバカだから、俺はあんなモン大嫌いだね!」と言うその瞬間に限りて、ソレを申したモノも<大衆>の一員に他ならぬのに、如何なる事態か己の存在が<大衆>の中からスッポリ欠落しておるコトの不可解さを、私は疑わずにはおれないのでした。いや、己の未熟さ、稚拙さを悟りたる上で斯様な発言を致すのなら、ソレは「大衆こそが絶対だ」と思念して疑わないモノよりも、何千倍、何万倍、何億倍と賢明なコトは明らかですが、果たしてそこまで高邁な精神を誰彼構わずに持てるものでありましょうか。理解不能の優越感? ココロで感じても、口に出すと急に枯れてしまう花があるなぁ。


しかしながら大衆の愚かさについては、今更言うまでもなかろう。それはエドマンド・バークに始まり、アレクサンダー・ハミルトン、トクヴィル、ハイエク、オルテガといった歴史的に見ても特筆すべき天才的な哲学者、政治思想家等によってイヤになるほど指摘されてきた事実であるのですから。
ところで、オルテガの名前を出してしまったので、最後に“余計なコト”を言わねばならなくなった。オルテガはスペインの哲学者だが、彼のフルネームは「ホセ・オルテガ・イ・ガセト」である。カッコイイ、カッコ良すぎる名前でありましょう。何かよく分からんが、「イ・ガセト」ってのが最高に高級っぽい響きだとはお思いになれないのですか! 此れが「イガセト」ならダメなんだな。「イ、ガセト」って具合に「イ」と「ガセト」の間で一瞬切れるからイイ。「ホセ・オルテガ・ガセト」と「イ」を抜いてしまってもダメになる。「ホセ・オルテガ・イ・ガセト」と四つの部分に別れている、そのバランス感覚と原因不明の響きに心を抉られるのでした。ちなみに、<大衆>嫌いのあのセンセイも、私のこの主張に納得してくれたのは誠に微笑ましい記憶である。

2007年12月01日

2007年12月01日 横暴サディスティック

本日バイトに行きて、今月末に辞めたい旨を連絡する。
既に夏前から年内をもって辞する決意を固めておったが、愈々引き際が近づいて来たのでありました。誠に月日の流れは速し。
実際において予想以上にアッサリと“退職願”は承認されたのだが、それは所詮<使い捨て>のバイトだからか。無断欠席しても何も言われないようなトコロだから、やはりバイトなぞの価値はゼロに等しい。ま、宜しい。私が辞める理由は、来年初頭から就活に専念したいコトが最大のモノでして、其れに続いて修論執筆に向けて時間を欲しているコトがあげられよう。
残すトコロ13〜14回通えば、一先ずバイト生活ともお別れである。名残惜しいとは思わんが、辞めれば心持ちも変化するのではないでしょうか。


さて、今日はバイト先にいる(いた?)奇妙なオッサンのハナシをしようではありませんか。
ココでまず最初にこのオッサンの呼称を決めておいた方が以後スムーズに展開出来るのであるから、私はその対象をMサンとしたいのですけれども、それでは味気が無いので、あっ、今テレビに「ミキサー」が映っておるから、Mサンとかけてそのオッサンを「ミキサー」と呼びたい。
今日は「ミキサー」についてのだらしのない記述である。

とは申しましても、「ミキサー」は気狂いだ、とコノ一言を以て全てを完了させてしまう程の乱暴さでも、ソレは「ミキサー」と奇妙な具合に一致するのでありますから、或いは今日に限ってはこの一文で終われそうなのだけれども、それでは<乱暴でない>私の意に反しますし、数少ないこのブログの読者に対しても失礼でありましょうから、もう少し書かせてもらいたい。何がどう気狂いなのか。


私は「ミキサー」の気狂いさ加減について、既に複数の人物を相手に“ネタ”として話し過ぎたキライがあるので、今日は若干抑えめに書いて行きたいのでした。
「ミキサー」は或る日、唐突に姿を現した。ソレは何時の頃かはもはや忘却した。しかし、とりあえず何の前触れも無く現れたのです。詳細に言うなれば、それまでおった具志堅サン(仮名)が退職したるをもって、その後任として来たのであるが、私からすれば具志堅サンが辞するコトを知らなかった故に、「ミキサー」との出会いは実に突発的なモノであった。
「ミキサー」の第一印象は「神経質で大人しそうなオッサン」といったモノでしたが、瞬く間にソレは覆された。およそ「大人しい」という日本語があれほどまでに不適切な野郎もおるまい。私はそう確信しておる。見た目はヒョロヒョロして「ちびまる子ちゃん」に出てくる藤木の如きオッサンなのだが(ただし唇は青くない)、知れば知るほどイヤになる「ミキサー」。何にあぐらをかいておるのかは知らんが、あらゆるモノに対して上から物を言う。要は“横暴サディスティック”なのであります。
おっと、以前にも記したるが、私はスーパーでバイトをしておるから、それを前提として読んで頂きたいのであるが、「ミキサー」は商品を運んでくる業者のオッサンやパートのオバチャンや私のようなバイトの学生など、誰彼構わず説教をし、時には大声で「舐めとんのかぁー!」とか「もう帰れ、帰ってエエよ」とか言う。「ミキサー」は香川出身。同じ四国出身だと知った時には親しみなど無く、むしろ嫌悪感を感じたのであるが、「ミキサー」は「四国のヤツには親しみを覚える」と、その時は優しく言ってくれた。まったく大きなお世話である。
「ミキサー」は怒鳴る。気が狂っているかのように怒鳴る。いや、気狂いだから怒鳴るのでありましょう。私も幾度となく怒鳴られたのであるが、厄介なのは「ミキサー」は己を賢いと思い込み、他人を見下したように怒鳴るから、斯かる状態の精神錯乱者は実に陰湿だ。「ミキサー」のロクでもなさの例をあげよう。私は「ミキサー」から何かを言われたのでしたが、よく聞き取れなかったが故に聞き返したのでありました。「ミキサー」は若干早口で喋るので、うまく聞き取れない時がある。私が「ハイ?」と申し上げると、「ミキサー」は瞬間湯沸かし器の如く急にテンションが上昇し、大声で「牛乳が奥に入っとるから前に出しとけっ!」と、さして重要でないコトを私に言った。私はそんなコトを言う為にこのオッサンは怒鳴ったのかと不思議に感じましたから、「ハイ…それだけですか?」と言ってみたら、今度は「ミキサー」、「ハァー」と大きなため息をついてみせ、「それ以外に何がある!? オマエと話すのは疲れるわ」と嫌みらしいコトを言った。そして「さっさと行け」と邪魔者扱いなのでした。
こういうのを私は多い時に(一日に)二、三回経験したのでして、一週間で換算するとその数は十回近くに迫る時もあった。私も「ミキサー」といるのは<疲れるわ>。ちなみに私なぞはまだマシな方で、同じくバイトの奥野クン(仮名)は<一日に十二回>怒鳴られたと云う。律儀に数えてたんだな。
もう一つ例を。或る日、米屋の爺さんが「ミキサー」に怒鳴られていた。「ミキサー」は自分よりも明らかに年配のその爺さんを相手に「帰れ!帰れって言うてんのが分からんのか!!!」と、香川弁と関西弁の中間のような日本語で怒鳴っておって、年下のモノに怒鳴られ続ける爺さんは半分土下座のような格好であった。異常な光景のSMをまさかスーパーの事務所で見せられるとは誰が予想したであろうか。業者は商品を<お店に置いてもらう>という意識があるからか、スーパーの店員に対しては丁寧な対応を強いられるようだが、それにしてもそういった関係を良いことに、自分より一回り年上の爺さんをあそこまでコケにできる「ミキサー」の“横暴サディスティック”具合はもはや警報レベルであって、注意法では到底対処できん。


だが、ココで厄介な問題が生じざるを得ないのでして、「ミキサー」は“横暴サディスティック”なくせに、仕事は驚くべき勢いでキッチリとしており、私が反論のしようがない状態で命令されたりキレられたりするので、私はなす術が無い。些細なコトで怒鳴るのには目を瞑るとしても、仕事に関するコトで「ミキサー」が誰かに怒鳴る場合において、非はほぼ怒鳴られる側にありますから、この限りでは「ミキサー」はまったくもって善人になってしまうのであります。しかして、「ミキサー」は仕事は出来るが“横暴サディスティック”な気性を持ち合わせておるが故に、やはり私はこのオッサンを気狂いだと断定せざるを得ない。いや、本心はそう断定“したい”だけかもしれませぬが…


しかしながら、幸福なコトに私が「ミキサー」と共にいたのはわずか二ヶ月半くらいの期間であった。
或る日、突然「ミキサー」は姿を消したのであって、今に至るまで音信不通なのでございます。その理由は、「息子が傷害事件を起こして逮捕されたから」だと云う。息子と申しても、もはや三十路越えの立派な大人であるというのだが…
斯かる具合で意味不明なコトに、息子の事件に絡んで「ミキサー」はすっかりフェードアウトしてしまった。風の如く現れ風の如く消え去りたる。今では誰も「ミキサー」のコトを言わない。もう忘れられておる。それで良いのでありますよ。気狂いの存在は即刻忘却するのが宜しい。
だが、私は秘かに思っている。息子(といっても大人)の件で斯様な状態になるワケがない。長期間「ミキサー」と連絡がつかないらしいのは、すなわち息子ではなくして「ミキサー」が逮捕されたからではあらぬか、と。それならそれで素晴らしい。「ミキサー」には更正が必要だから。


私がバイトを終えるまでに「ミキサー」と再び対面するコトはあろうか、おそらく無かろう。今日も気狂いは気狂いで生きて行くのです。世界は一つではない。「ミキサー」はもう別の世界に行ってしまった。さようなら「ミキサー」。ちなみに私がバイトを辞する日は、25日である。言うまでもなくクリスマスの日だ。ヘンッ、そんなモノ糞喰らえ。25日、「ミキサー」ともバイトともクリスマスとも訣別だ! イェイ!

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