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2007年12月19日 「再会」のこと

あと一ヶ月と10日で23歳になる。22年と325日の月日を過ごしてきたワケなのでしたが、たった今、私は己の人生についての決定的な瑕疵を発見致した。私は22年と11ヶ月の日々の中で、一度たりとも「再会」というモノを経験していないのであった。或るヒトと別れたらそれが最後、別れたキリでそれ以来二度と出会っていないのであります。モチロン、中学時代や高校時代の幼馴染みとたまに会う機会はあるのだが、ソレはある程度の連絡を取り合っている状態で、「じゃあ、○月×日に△△で会おう」といった約束をしてから会っているのだから、この場合は私の意図する「再会」ではあらぬ。ココで私がいう「再会」とは、<双方が思いがけぬ時に思いがけぬ場所で>出会うようなモノを指しておるのですから、そうすると私のこれまでの生活の中で斯様な経験は一度も存せぬ。それには生まれ育った四国の田舎町から、現在では遠く隔たった地にて生息しておるという理由もあるのかも知れませぬが、しかし漠然とではあったが、今後も私は「再会」を経験せずに終わるのではないかといった不安のようなモノを抱えておるのは、ある程度の本音なのであります。
元来私は人付き合いの悪いタチであるが故に、従って親しいモノの数も多くない以上、自ずと「再会」の可能性も低くなりましょうが、そうであるなら必然的に(?)「俺は徒党を組まないぜ」ってな開き直り具合でどうしようもない諦念を抱え込むのだけれども、ココで私は唐突にも親父のハナシを持ち出そうと思う。というのも、私の親父は「再会」と隣り合わせのような人生を送っておるのであります。<双方が思いがけぬ時に思いがけぬ場所で>出会うといった経験を、私の親父は非常にしばしば体験する。私の幼い頃からつい最近までの記憶を手繰り寄せてみますに、例えば家族でやや遠方の場所に観光的移動をなした時などに、私の親父はおよそ60〜70%くらいの確率で知人と出会う。ホントに信じられないくらいに何処へ赴いても親父は「再会」を経験し過ぎるので、母などは或る時に相当気味悪がったモンで、多分今でも親父に何らかの「再会」があれば、母は気持ち悪がり、いや、むしろ呆れ返るような具合であろうと思われる。
「再会」も経験しすぎると、もはや何の有り難みもあらぬでありましょうが、数年に一度くらいは<双方が思いがけぬ時に思いがけぬ場所で>出会うといったような「再会」の妙味を味わってみたいモノでありまして、私にとって懐かしい誰かが予告も無しにいきなり眼前に一度くらいは現れてみろってんだよ、畜生!

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