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2008年01月29日

2008年01月29日 理想と現実

誕生日らしい。本日で34歳になるらしい。もはや中年男である。如何ともし難い老化現象。髪の毛は白くなるわ抜けるわ、額に皺が浮き出てくるわ、水虫になるわ、肩こり腰痛は離れないわ、視力・精力は減退するわで、もはや我が人生も残すトコロ五年未満なるか。
同日の生まれには、次のようなモノたちがおるらしい。チェーホフ、ロマン・ロラン、吉野作造、毛利衛、テレサ・テン、岡村孝子、望月峯太郎、hyde、濱口優、宝生舞…
チェーホフと同日の生まれだとは知る由も無かったのです。それにしても宇宙飛行士のヒトやらホテルで死亡した歌手のヒトやら「私待ぁ〜つわぁ〜♩」のヒトやら人気バンドのヴォーカルのヒトやらイイ子のヒトやらで…誠に結構ではありませぬか。


誕生日を迎えるに当たり、此処に34歳の私の目標を闡明す。
「生活習慣病の克服」


…ウソです。
「妥協をしない」
コレを今年の目標にしたい。
出来れば生涯の目標として掲げたいのであったが、人生妥協する必要もあろうから、そうはいかん。せめて今年一年くらいは極力妥協を排そうってモンじゃないか。


最近、改めてトクヴィルの『アメリカの民主政治』を熟読しておる。講談社文庫版の井伊玄太郎氏の翻訳は神業である。その仕事ぶりに感嘆すると同時に、よくもまぁ斯様に意味不明な日本語を選択して翻訳したものであるよと思わずにはおれない。出版社は何故にコレで出すコトをOKしたのであろうか。不可解!


再び誕生日に当って。
誠実でありたい。真面目でありたい。真っ当に過ごしたい。
そういうワケで、スイマセン。34歳ではなく23歳になりました。大ウソをこいてました。
…23歳。若さの限界であろうか。これより上の年齢は若さから遠ざかり始めるのでありましょう。現にAV女優は18〜22,23歳くらいまでが一番華やかであり、もてはやされておるではございませんか。

2008年01月27日

2008年01月27日 大相撲初場所感想08

お相撲のコトを綴り出すと、私は決まってグダグダとスペースを浪費してしまうクセがあるようですから、今回ばかりは日本男児的に単刀直入にグイッと書いて締めよう。


千秋楽の一番。
白鵬対朝青龍。
見事な一番であった。
これぞ横綱同士の対戦でありまして、全ては其処に存してあった。この一番の為に今場所はあった。土俵下の大関よ、汝は眼前で斯様な取り組みがなされたことに対して、如何様に思う。無心ならば辞めてしまえホトトギス。


ホントのコト。ウソではない。仕切りの段階で白鵬に女神の微笑が向けられてあるように感ぜられた。而して私は朝青龍に期待してあった。無上の期待、夢、憧憬。ヒールを好む故に。初めて、初めて朝青龍は白鵬に完敗したのではあらぬか。来場所、彼は如何様に立て直して来るであろう。解説の北の富士サンも申しておったが、朝青龍の負けず嫌いは凄まじい以上、このままグイッと白鵬へ時代を明け渡すワケもなかろうとは思うのだが…それとも今日の一番で流れがグイッと転じたるか。


敢闘賞の豪風も見事でした。思いもかけぬ相撲で星をあげた一番もあれば、彼の持ち味である押し切る相撲もあり、グイッと前に前にとの姿勢が素晴らしかったではありませんかい。
幕下優勝を果たした「山本山」って逆に機転を利かした四股名の力士にも、今後逆に注目である。


最後、ありきたりなコトを申し上げて、幕を下ろす。
来場所、朝青龍がグイッと巻き返しなるか。白鵬が完全にグイッと時代を掌中におさめんとするか。
此処以外に何処を注目し得よう。


白鵬関、優勝御目出度う御座います。

2008年01月26日

2008年01月26日 社会主義の胚芽?

「禁煙ファシズム」なる言葉が存す。
カール・シュミットも真っ青のファシズムです。
ソレはつまり、喫煙を推奨するな、と声高に叫ばれるような風潮に対する皮肉であると受け取っておきましょうか。もはや一国に留まらず、あらゆる場所で喫煙者はゴミの如く扱われ始めておるのです。
確かに「全館禁煙」的な空間が増殖しており、私なぞはタバコを神田うのと同じくらい嫌悪しておるから、この状況は悪いとは思わないのであったが、しなかしながら喫煙者がいう「禁煙ファシズム」なるリアクションについても解せないコトではあらぬ。
現に私のオヤジは結構な喫煙者であるから、そうしたオッサンの具合を見ておれば、昨今の有り様に対して文句を言いたくなる気持ちも多少は理解できるってモンだ。


ココで唐突に申せば、このブログ上で展開しておる私の喫煙者に対する誹謗中傷は、半ばお遊びでございます。斯様なコトを本心で述べておれば、ソレは精神に異常があるか、アプリオリな(丸山眞男や橋川文三がよく遣う言葉)気狂いの何れかに他なりませぬ。
ココで再度唐突に申せば、今日的な浮き世において禁煙場所で喫煙する輩は一部の在日朝鮮人と同じくらい横暴で、故に差別されるべき存在であるといえようが、ソレ以外の場所で喫煙するのは何ら悪いコトではあらぬ。どんどん吸ってどんどん病気になって命を落とせば良い。要するに死ねば良いのでしたが、ソレは己が選択した道である以上、如何なる義務があって他人がその連中に対して禁煙を求める必要があるのだろうか。私は未だかつてオヤジを含めて、一切のモノに禁煙を推奨したコトがないのであった。


「禁煙ファシズム」、まさしくその通りである。
私が申したいのは、せいぜい「分煙」処置くらいまでであって、あらゆる空間で禁煙を施す、喫煙を断固として受け入れてはならぬなどというのは、ソレこそ禁煙云々ってなレベルではあらず、ホンモノの「ファシズム」ご到来ではありませぬか。万が一、世の中が斯様な空気(全ての状況下での喫煙排除)になりたれば、その時は私、真っ先に反対しましょう。喫煙者の味方はせぬが、過剰なまでの禁煙推進者には鉄槌を喰らわしたい。ソレはフェミニストと同じくらい迫害されるべき生物。


喫煙者は有害な気体を放出する時点で決して認められぬ物体であるが(個人的感情)、さりとて全面的に締め出す権利を誰が有する。
ゴミは定められたる場所に出さねばならぬ。ナゼか。幼稚園児でも答えられよう。何処にでも投棄致せば、暮らしが汚染されるから。喫煙者は定められたる場所に隔離せねばならぬ。ナゼか。小学生でも答えられよう。害を発散する細胞の集合体であるから。
ゴミを捨てるには定められたる場所に出せば良いのと同じであって、喫煙も定められたる場所に限定すれば良い。それ以上に何が必要か。ゴミ集積所を世から奪取せば、世の中はきっと混乱し、より醜悪になる。斯様なコトは今の五千円札に描かれておる人物が何という小説を書き上げたかを答えられぬバカでも理解できるコトでして、抑制が存する限りソレは一定の範囲内で十分に許容されるべき存在であるってコト。
吸いたければ吸って、肺ガンにでもなって、めでたしめでたし。コレは全く非情な声ではありません。むしろあらゆる喫煙を認可せぬ「禁煙ファシズム」と称される風潮の方が(ソレがこれからどんどん推進されて行けば)、その何十倍、何百倍も非情で無惨な結果を生み出すのではありませんか?

2008年01月25日

2008年01月25日 我が人生最大の自己満足!

全国で冷え込んでおるようであるが、寒さに滅法強い私からすれば、寒がっているヤツ ざまぁみろってな感慨しか湧き起こらぬ。最低気温が氷点下を記録しない間は、寒いうちに入らぬ。入れてはならぬ。ソレは冬として当然であると観念せよ。やせ我慢せよ。やや我慢せよ。見栄を張れ。ウソをつけ。誤摩化せ。開き直れ。呆れ返ってみせろ。逆手にとれ。そして受け入れろ。受容の精神。「抗うな。受け入れろ。すべては繋がっている。」―コレは新井英樹サンの名作「ザ・ワールド・イズ・マイン」(以下「TWIM」と書く)の名台詞でしたが、私はいつか、この作品に関して、ある程度まとまった文章を綴りたいと欲し、仮にソレが達成できた暁においては、このブログ(サイト)を終了しようと思っている。なぜならば、当サイトのタイトルからしてTWIMが発端であり、其れを一応総括し得たとすれば、もはやその先に当サイトが存続する意味は無いと思慮するからです。そうして、常々TWIMを象徴する語を探索し申し上げておるのでしたが、最近は上記の一語(「抗うな。受け入れろ。すべては繋がっている。」)、ココに重点を置いて考えてみようとしてある。
今、興味があるのは「抗うな。受け入れろ。すべては繋がっている。」ってキーワードを手にしてTWIMの全体像を把握し得るか否かという点であり、今日の社会や人々の思想を“連綿”(すべては繋がっている)ってな一語でもって捉えようとする試みの中に、TWIMが提起した問題も照射し得るのではあらぬかという点である。
例えば、西欧で生誕致した保守主義思想について。其れは我々を過去との連携を断っては存続不可能であると思考するものである。一方のモンちゃんのいう「繋がっている」という意識、その内実は何との関係性の上に、どのように「繋がっている」のか。こうした点の比較、考察の段階を踏むことで、ある程度は“現代”の人々の意識を問うことも可能になり得るでしょうし、またそのような彼らの様態が現実社会では如何なる形態となって反映されてあるのかという事情についても、必ずしも踏査不可能ではあらぬ、と考えているのでした。


あー、依然として抽象的な範囲を出ぬ、全てが推論の段階でありますが、まぁ、ゆっくりと時間をかけて答えを見出さんとしておるのです。
ウン、この調子で歩めば、まだ三年くらいの月日を必要としそうだ。


だけど、とりあえず予告だけはしておきたい。ソレは自分自身に対する確認の意味を含んだ、あまりに身勝手な予告でありたるが―このブログの最後は「ザ・ワールド・イズ・マイン」に関する私なりの結論、になるのではないかしらん。とりあえず今年中に書き上げるだろう予定の修士論文も、このブログの最終回の<前座>として書く。その為に今の研究がある。…ソレくらいの気概を伴って、私はいつか、TWIMに関する意見を原稿用紙80枚分くらいにしてまとめ上げたい。我が人生最大の自己満足!

2008年01月23日

2008年01月23日 どんな父親でも童貞ではない

「因島」「放出」「福生」「烏丸通」「太秦」「等々力」「慶良間」
上記に掲げたるモノは比較的有名な土地であるが、非常に持って回った読み方を要求される意地の悪い地名であります。
「福生(ふっさ)」と「慶良間(けらま)」はまだ何とかなりそうですが、「因島(いんのしま)」や「烏丸(からすま)通」などはイタズラとしか思えない読み方であって、「等々力(とどろき)」に関してはなぞなぞのようなモンで、「放出(はなてん)」と「太秦(うずまさ)」に関しては、予備知識無しで読めれば、そのモノは紫綬褒章を頂戴しても不思議ではないレベルの偉人ではないかしらん。けれども、おそらく上記の中では「太秦」が最も知名度の高い地であろうから、これを即座に「うずまさ」と読めるモノは多いコトと信ずるのでしたが、よくよく思案してみるに到底容易に解読可能なモノではあらぬ。そして問題は「放出」である。「放つ」の「はな」は解るが、「出」を「てん」と読めと、ココで無謀な要求をされる。かつての日本語は「いざ、出んと欲す」なんて申し上げておりましたから、そういう事情もあって「出」を無理矢理「てん」と読ましたのかも分からん。斯かる具合に難読な地が日本には無数にあるのであったから、誠に地名は愉快なり。


鳥居みゆきはネタも驚異的だけれども、素顔も相当に驚異的でありませんか。どこまでが本性でどこからが計算された部分であるのかが実に不明瞭であるのは、およそ女芸人の平均点を遥かに上回るあのキレイな顔の故であろうか。彼女にはどんどん壊れて行って欲しい。
それにしてもサンミュージックの芸人は何じゃいったい。


「愛」なる単語はこの世で最も抽象的なモノであると思う故に、私は好まぬ。従って極力この語だけは用いたくないのでした。…というのも、私は卒業論文を書いた時に幾度か「愛」なる語を用いたのであったが、昨年ソレを改めて読み返してみるに、どうも観念的な印象を受けて、その一語では結局何事も論じ切れぬのではないかと痛感したのでありまして、それ以来私は「愛」なる語を用いて何らかのコトへ言及するのは一切止めてあるし、今後も決してそのような暴挙には出ないであろう。それが暴挙で無くなるとき、ソレは「愛」というものがハッキリと確認できたとき、すなわち別の言葉で明瞭に説明可能になるとき、です。
さて、斯様な日が訪れるであろうか。甚だ懐疑的たらざるを得ん。
(ところで、いま「はなはだ(甚だ)」を「はなはな」と誤入力して気付かずに変換したのであるが、そうすると一発で「花*花」となったので驚いた次第です。彼女たちは今?)

2008年01月22日

2008年01月22日 場違い

白鵬は安馬を苦手としておるのか。愈々朝青龍と白鵬が九勝一敗で並び立った。朝青龍は取り組み後の表情を窺うに、かつての冷めたような、<意識的に>細事への拘泥を拒むかの如き無色の目をしておったから、それを知って、お!戻ってきたな、との感を受ける。もはや「ブランク」など関係無いであろう。これから終盤にかけて優勝争いは俄然面白くなりそうですが、やはり彼がいるのといないのとでは全く雰囲気が異なってくる。


視界を転換せんと欲す。
前回のセンター試験に関するヤツのコトで、実は或る情けない記憶を持つハメになったので、ココに書き加えておきたいと願う。
ソレは控え室でのコト。私が持参してあった論文に用いる予定の書物に目を通しておった時であった。ソコは横に五人が並んで座るコトのできる典型的な大教室の机であり、私は通路側、つまり五つある椅子の一番端に座っておったのでして、私の斜め後ろ、すなわち対角線側にはどうやら女が座しておるようであった。その女は雑誌のようなモノを開いて、何やら書き込んでいたようですが、私はとりたてて気に止めることもなく読書に励んでいたら、ソコに男がやって来たのです。男は反対の通路側、つまり私が座してある場所から椅子三つ空けた向こう側に座って、後ろの女に対して斯く述べました。
男「コレ好きなんですか? ボクもよくやるんですよ。やりだすと止まらなくなりますよねぇ〜」
女「そうですネ、楽しくて、よく、やります」
この会話、何も妙ではあらぬが、ココで私は分かったコトが二つある。まず一つ目。女は外国人であるというコト。私はその女をハッキリと見ておらぬが、それまでチラチラッと視界に入ってきていた時の感覚で、どうやら東洋人であるコトだけは解っておった。おそらく中国か台湾か韓国からの留学生でしょう。二つ目。雑誌+書き込みという事前の情報と上述の会話から、おそらく女はクロスワードや数独などを集めた雑誌を暇潰しにやっていたのではないかと思われたのです。
まぁ、それでも私は集中して本を読み続けておった。ーしかし、隣から声は聞こえてくる。ソレが少しばかりヘンなのでした。明らかにこの二人、初対面だという感じを受ける。なぜならば、男の方が熱心に彼女の名前を聞き出したり、それはどういう字を書くのかとか、この部屋にいる時間帯は? などと気さくに質問を繰り返してばかりいて、両者に何の接点もないらしいコトが、何となく伝わってくるからでありました。そもそもやり交わす言葉が敬語だ。
けれど、果たしてどうか。だんだん敬語から砕けた言葉に転じて行き、最終的にその男は「あとで名刺を渡すよ」とか何とか言い出す始末。女もまんざらではない様子、受け入れ態勢万全って具合。


「・・・あの〜、こんなトコロでナンパしないで貰えますか、そしてそれに気軽に応じないで貰えますか。」


私はその一言を言えなかった。一応オレたち「試験補助員」ってバイトで集まってるんだぜ… 受験者を補助するのであって、己の異性への関心を補助する場ではあらぬのじゃ。
それを、今、言った。ああ、俺もナンパ用に名刺作ろうかしら。

2008年01月20日

2008年01月20日 パーフェクトに近い堕落

昨日、今日と各地でセンター試験が催されてあったから、私にもかつての記憶が去来す。明日は多くの学校で自己採点をするのでありましょう。私の通っておった学校は翌日の午前中に自己採点が決行された次第で、自己採点なぞはすぐに終わりますから、結局その日は半日を遊んで過ごしたのでした。


さて、そういうワケでセンター試験が行われ、試験会場は大学である故に、私は昨日、今日と「試験補助員」というバイトをし、ずっと試験の模様を見ておった。偶然斯様な役割を引き受けたのであったが、お小遣い稼ぎ感覚で引き受けたのであったが、コレが実に愉快なバイトであった。私に与えられた仕事は、試験会場となる教室が存するフロアの一角に待機し、受験生の案内役を務めるってなモノなのでしたが、思い切って暴露すると、ロクな仕事が無いのでありました。
まず、私たち「補助員」は指定された場所に待機する。ソコにはご丁寧にストーブと椅子が置かれてある。そうして基本的にその場に座っているだけ、なのです。仕事があるとすれば、試験中に便意・尿意を催した受験者に付き添ってトイレの前まで赴く(トイレに入る前にポケットの中を点検するようなコトは絶対的にない! ただ付き添うだけ)とか、受験票を忘れた受験者への対応とか、会場内の案内とか…なのですが、トイレに行く者などは滅多におらず、ましてや受験票を忘れたと申し出る者も存在しなかった故に、ほとんど座っておるだけのバイトであった。初日の朝は、受験者が会場内に不案内であった故に、数名の者を誘導し、やたらとトイレの場所を教えましたが、土曜の午後からはずっと暇な時間でございました(何度「暇だ、退屈だ」と言ったことやら)。ところで、初日の午前中に二十名くらいにトイレの場所を教えたのだが、最近の高校生はトイレも独力で探せぬのか。私は常に斯く申し上げるのみであった。「(正面を指差して)あの階段の手前、左側にあります」と。この言葉の裏には「すぐそこにあるだろ!」という声が潜んでいたのは内緒である。まぁ、時給は安いがコレくらいのコトは丁寧にやらないと、お金を頂く側としても引け目を感ずる。


この「試験補助員」なるモノは、大学院生に割り当てられたバイトで、私は同じ学部の台湾人留学生のKクンと共に仕事をするように決定されてあったのであるが、同学部の者はKクンのみで、あとは他学部の者でしたが、思えば他学部の院生と接するのは初めてでありまして、いやはや何と言うのか、私が申し上げると不自然かもしれぬが、クセのありそうな者の多いコト! 特に理系の院生はクセにクセが折り重なってあるようなモノが少なくないのです。


普段はあまり話さぬKクンとも随分話した。二年分くらいは話したかもしれん。話すにしても、試験中であるから囁くように、声にならぬ声で話すのであるが、それでもよく喋った。今になって思い出すに、アレは「試験補助員」ではあらずして「試験中雑談員」である。
あらかじめ担当フロアと相方(基本的に二人一組で待機する)と二日間のスケジュールは決定されてあって、それに基づくにほぼ一時間交代で指定されたフロアに赴き、それ以外の時は控え室で待機するのであるが、控え室も試験会場の「補助員待機場所」も何ら変わらん。無理して違いを言うならば、控え室は何人にも気兼ねせずに喋れて、飲食も可能なのでした。従ってKクンが「コレはただ一時間ごとに座る場所を変えているだけですね」と笑いながら言ったのは、あまりに正論です。それくらいに無意味な役割であった。たとえばこういうコトもある。私は三階に待機して、エスカレーターのすぐ隣に座しており、ソコから下の様子を窺うに、姿は見えぬが、どうやら女性のペアがおったようで、本日の昼過ぎに寝息と思われるモノが下から聞こえてきたのだから呆れる。昼飯を食ってその後すぐに寝られるのはバイトではなくして、ソレをヒトは「堕落」というのですよ。


上述の控え室も奇妙な場所であり、「補助員」は全体でも三十人にも満たぬのに、二百席もある大教室が割り当てられ、ソコは全く自由な空間でして、読書をしても可、新聞を読んでも音楽を聴いてもマンガを読んでも可となりたる場所で、おまけにコーヒー、紅茶、お菓子類まで用意され、防寒用に大量のカイロまで頂けるのだから、まさしく至れり尽くせりでありませんか。それに加えて弁当まで支給されるのでしたが、その弁当もタイやマグロの刺身が入っているような無駄に手の込んだ“それなりの”モノを出して頂けるのだから恐れ入った。初めて学校からの恩恵を受けた気が致しております。
斯くして私は実感した。コレで時給が三倍になれば、天下りをして遊んでいるオッサン連中と同じ待遇になる、と。


難点は朝の七時半から夜も七時前後まで、およそ十二時間も滞在せねばならなかった長時間勤務のコトであり、またスーツでおらねばならなかったコトである。実に一日の半分をスーツで過ごしたのは初めてでありました。而して朝は六時五十分くらいに家を出ねばならぬのだが、私は常々「オレは寒さに強い」と思っておったせいで、コートの類も所持しておらぬのであるが、現にソレがなくても平気であったが、他人からすれば休日の早朝に薄っぺらいスーツ姿の輩がチャリに乗っているのは、甚だバカにしたくなる光景かもしらん。チャリとスーツ…これはウェディングドレスを着用致して原付に乗るのと同じくらい不釣り合いな光景でありましょう。


睡眠時間は短くなるが、斯様な仕事であれば、私は二週間に一度程度の休みであっても、つまり月に26〜28日勤務であっても、喜んでお受けする。コレで月給20万前後頂けるという待遇であれば、私は歓喜する。それはパーフェクトに近い堕落である。

2008年01月17日

2008年01月17日 根無し草

夕刊フジ連載コラム「中川昭一の言わせてもらおう」(11月16日掲載)


哲学者エドモンド・バーグの「真の改革は、保守にしかできない」という言葉もあるが、国や地域の文化や伝統、歴史、誇りを守りながら、国民が本当に幸せになる改革を進めるという保守の理念で、福田康夫首相を全面的に支援していく。


中川サンが執筆致した(らしい)コラム…ってコトであるのでしたが、揚げ足をとるようで甚だ申し訳ないのでしたが、…「エドモンド・バーグ」って誰じゃ。
おそらく、エドマンド・バーク【Edmund Burke】を、「エドモンド・バーグ」と読み間違えておるワケであるが、百歩譲って「Edmund」を「エドモンド」と誤読するのはやむを得ざると解しても、しかしながら、「Burke」を「バーグ」と読み間違えますとは、コレ如何なる事態であるのか。
…そういえば、昨年コノ場にて紹介し申し上げた中川八洋氏の縦横無尽に奇怪千万かつ独創的な書、『皇統断絶』においても、同様のコトが記し上げられておったのを想起致す。すなわち、ソコには次のように書かれてあったのです。(参考リンク:攻撃は最大の防御なり


「われわれ学者は、“近代保守主義の起源”ということで、いつもエドモンド・バーグを取り上げて議論しています」


中西輝政は、実は、バークの著作を一頁も読んだことがない。しかし、平然と「いつも議論しています」と真赤な嘘をつく。学者にあるまじき、その人格には重大な問題がある。Burkeを「バーグ」、Edmundを「エドモンド」と発音する信じ難いミスには眼をつぶってもよいが、バーク保守主義を「どちらかというと大きな潮流に対して塹壕のなかに入って、そういう潮流に飲み込まれまいと必死に踏みとどまっている」などと、逆立ちの嘘解釈をするに至っては、京都大学の“恥さらし”であろう。(二五九頁)


云々、と。
Edmund Burkeの読み方の点に触れて、同じようなコトを書いている。笑止。


エエイ! もー、どーでもいー。
しかし、日本において、曲がりなりにも(?)「保守の理念」を掲げんとする政治家が、あろうことかバークを読み間違えちゃうなんてのは、この国に「保守主義」が如何に根無し草的にしか存在しておらぬかを暗示しているようで、少しばかり物悲しき哉。丸山眞男が『日本の思想』において、日本における諸種の思想が「精神的雑居」性の甚だしきモノであると指摘し、以下のように著したコトに対し、今もって私たちは明確に反駁し得る態勢にあるのか否かとなれば、それは―大袈裟かもしれぬが―誠に恥辱的な惨状を目の当たりにするだけかもしれませんで、どうもスイマセン。


一定の時間的順序で入って来たいろいろな思想が、ただ精神の内面における空間的配置をかえるだけでいわば無時間的に併存する傾向をもつことによって、却ってそれらは歴史的な構造性を失ってしまう。…(略)…新たなもの、本来異質的なものまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから、新たなものの勝利はおどろくほどに早い。過去は過去として自覚的に現在と向き合わずに、傍らにおしやられ、あるいは下に沈降して意識から消え「忘却」されるので、それは時あって突如として「思い出」として噴出することになる。(十一〜十二頁)


「保守の理念」を掲げながら政治を司らんとするモノには、せめてバークの思想だけでも己の体内に取り込もうとするくらいの気概を見せて頂きたいと念ずるばかりです。「バーグ」なんて申している場合ではない!

2008年01月16日

2008年01月16日 一度は言ってみたい○○

私が未だかつて一度たりとも申し上げていないコト。
一度で良いから言いたいコト。


「結婚するのか!オメデトウ」
私と祝福の辞は無縁である。…でも、そんなに言いたいコトではないけど。


「お前の彼女、雨上がりの蛍原に似てるよな?」
コレは是非とも申したい。


「おい! アレ、森繁久彌じゃないか? ウホホホ、ラブホテルから出て来たぞ!」
機会があれば…


「2040年まで待たされるんかい!!」
こういう焦らされ具合が最高。


今日のトコロはコレまで。

2008年01月14日

2008年01月14日 何かが恐ろしい

どうも、最近日本酒を人肌燗で飲むのにハマっておるモノです。日向燗ではモノ足りなく、ぬる燗でも良いのであったが、ソレではやや温まり過ぎ、上燗以上になると恥ずかしながら猫舌なのでキツイ、のでした。
まー、斯かる趣向はどーでもいー。


朝青龍に土がついた。
もしも今場所、彼が全勝優勝でも果たそうものなら、疑いなく天才でございましょう、と思ったが、勝負の世界はそう甘くないってコトである。幾つほど勝ち星を並べられるか、今日の一番を拝見して想像がつかなくなった。今日の相撲は芳しくない。甚だ芳しくないのです。横綱とは思えない負け方、魁皇のようなあっけない転び方をしたので、驚愕致した。誠にブランクは恐ろしい。


本日は各地で成人式が挙行されたらしきハナシを聞く。
私は成人式に馳せ参じておらぬ。同級生の顔を見るに及んで、かつての不愉快な記憶の数々が蘇りますような予感がした故に、絶対的に行くコトを拒んだのであった。
それにしても、近年は荒れる成人式の多きコト、いったい如何なる事態であると申すか。飲酒をしておるような気狂いは立ち入り禁止に致せ。もしくは三万円以上の入場料を支払わす等の処置を施すが宜しい。ソレを拒みて入りたる輩には“不法侵入”等の容疑で逮捕してやるのが良い。または国籍剥奪。
特に沖縄で荒れておるような気がするのですが、気のせいであろうか。イヤ、多分、事実ではないかしらん。沖縄のヤツの精神は怪しきモンである。ソレは環境の由縁であろうか。いずれにせよ、沖縄も恐ろしい。ブランクのある沖縄はもっと恐ろしい。

2008年01月12日

2008年01月12日 平成二十年度の大相撲展望

さて、明日からまた大相撲のはじまりです。平成二十年度の相撲界は果たして如何なるか。昨年は相撲界が揺れに揺れた一年でありましたので、今年は安定への契機となるような年になって頂きたいと願うのであった。
ということで、今回は平成二十年度の大相撲展望を書きたいと思います。


さしあたり、注目点は以下の三つに絞れましょう。
一.両横綱の動向
二.ベテラン大関と有力若手力士
三.組織としての相撲界


まずは最初の「両横綱の動向」から。
やはり注目されるのは朝青龍。(コレは今更言うまでもないコトですが、)彼がどのような結果を残すか、またどのような言動を取るかに今年の大相撲の命運が握られている、と申しても過言ではないくらいに、彼は今年一年のキーパーソンとなる。そうして私が思うに朝青龍に対抗し得る唯一の人物であります白鵬の調子如何によって、直接間接に朝青龍の動きにも変化が生じてくるでありましょうから、朝青龍と白鵬、この頂点に位置する力士が真っ当な機能を果たさずして、本年の相撲界における安定はないものと考えております。是非とも彼らには強い「自覚」を持って、土俵の内外で活躍して頂きたく存じ上げておる。


二つ目の「ベテラン大関と有力若手力士」であるが、コレはずっと言い続けてきたコトであるから、あまり細かくは申しませんけれども、とりあえず進退が危ぶまれる年配大関が多い。そうした彼らに引導を渡すような力士が一人でも多く現れんコトを祈るばかりなのである。安馬、稀勢の里、把瑠都、豪栄道、豊真将、栃煌山…こうした面々の更なる上昇が期待されるのは多言を要しまい。


最後の「組織としての相撲界」ですが、昨年は相撲部屋、相撲協会といったトコロに様々な疑惑の目が向けられました。確かにソコは特殊な組織である故、フツウの人々には解し難い面も存すのは事実なのであろうが、しかし、だからといって頑に部外者に対して閉鎖的な態度を取り続けるのは宜しくない。
急激なる薬物の投与は死の種となるが、そうかといって化膿した傷口を放置しておくこともまた死の種となる。
相撲、その伝統競技に内包する美しさを損なうことなく、今、現存する汚点を取り除くような改善策が練り上げられるコトを、私は強く望みます。具体的には、相撲部屋及び相撲協会の在り方―中でもソコにある上と下の連帯意識、集団意識に関する問題、または各個人の精神面の向上について、そしてこれからの相撲の在り方に関する理想的なヴィジョン構築、など。本年は斯かる点について相撲に携わる人々の間に或る程度一定した見解が共有されるためのはじまりとなる年、そんな一年であって欲しいと願うのであった。


幸い初場所のチケットは売れておるようです。(参考リンク:前売り券、売り切れ続出=大相撲初場所、若貴以来の前人気
土俵の上だけではなく、それ以外のトコロでも相撲が大いに評価される一年とならんコトを願いながら、今回の分を擱筆させて頂こう。

2008年01月10日

2008年01月10日 つまらぬコトを書いております

「水戸黄門 第38部」


この一行は既に38回も旅に出かけているのである。いったいこれ以上何処に赴かんと欲すのか。是非とも“第39部”にはヨーロッパ巡りでも敢行致して、西洋のならず者共を更正させて頂きたい。
ただしその前に重大な問題が立ちはだかる。ソレは「印籠」を英語で何と申せば良いか、です。外人が恐れまくるくらいの迫力と権威を伴って、あの小さな入れ物を説明し得る語が、果たして存すのか否か。この問題を解決せずして、西洋に達するコトは出来まい。


どうも文章を書き連ねておりますと、自ずと長くなってしまいます。しかもソレがつまらぬ文章なのだから、一部には迷惑を及ぼしかねない。サッパリと終わらせたいと思うのに…
サッパリと言えば、実に八ヶ月ぶりに髪の毛を切り落としたのであった(超強引に話題を変えたように思われたのなら、ソレは気のせいです)。妙に<爽やか>な具合になって、鏡を見るに、何だかガキっぽい気もして、情けなく思っております。「就活する」なんて申したから、或いは美容師サンが気を遣ってくれたのかもしれぬ、などと邪推を試みるも、ソレは間違いであろう。単に私の地の表情がいけないのである。締まりのある表情を半永久的に保ち続ける方法があれば、今こそソレを知るべきではないかしらん。
しかし、アレである。どうも髪を切りに行くと、ついついつまらんハナシをしてしまう。「なんでオレ、こんなつまらんハナシをしてるんだろう?」と、今日も二、三回ほど思った。


いや、待てよ。オレァ、いつもつまらないコトしか喋ってないんじゃないか・・・!?

2008年01月07日

2008年01月07日 免許更新、倦怠感、醜悪的己

免許更新のために、「免許センター」へ赴く。
初回更新のために、二時間の講習をせねばならぬ。免許を取得してから今日に至るまで、一度たりともハンドルに触れておらぬ私がしたり顔で講習を受けるといいますのは、やはりどうしても奇妙な様態ではないでしょうか。およそ現在の私の生活パターンを鑑みるに、先ず以て運転をせねばならぬ状況に立たされるコトは、叶姉妹の姉が「アラ、美香サン、私のこのTシャツはユニクロでたったの700円でしたのよ」と暴露するくらいに考えられぬ。
斯かる具合にイヤイヤながらの講習なのでした。


二時間の講習・・・大学の講義より長いではないか!
初回講習死ね、絶対的に死ね!と内心呟きながら受付へと向かう。当然のコトながら「交通安全協会」なるいかがわしいカルト集団に払いますお金はございません。冷徹に拒否させて頂く。NHKの受信料とどちらが不必要であるか。アンケートを実施致せば、愉快千万なる結果が出るかもしれん。
視力検査→写真撮影→講習の順。
視力検査、写真撮影は無難にやり過ごすが、担当熟女の無愛想さに、驚く。この「免許センター」という施設で仕事をする女は、無愛想でなければいけないのですか? 「全日本無愛想大賞・熟女部門」が存すれば、上位にランクインせる輩は悉く「免許センター」におる女で間違いなかろう。


さて、いよいよ講習、であります。
初回講習者専用の狭い部屋に入る。ココがなかなか妙な部屋であって、車のシートの形をしたモノが30席ほど設けられておって、床にも何か細工が施してある。間違いなくシミュレーション体験可能なる部屋であったが、コレが実に窮屈。おまけに平日の午前中にも関わらず受講者は20人ほど存す。席にそれほどゆとりがありません。
胸の内では相も変わらずに「初回講習死ね、絶対的に死ね!」と唱えながら、待ちました。およそ30分。陽気な高校の数学教師的な、齢は還暦前くらいのオッサンがやたらと咳き込みながら入り来りて、開口一番「アノ〜、後から来られる方がおられるかもしれませんから、皆さん右側に詰めて下さい」 このオッサン、ドSである。明らかに窮屈な場所を更に窮屈にして、受講者を虐め抜こうとする魂胆であるのは見え見えでしたので、コレに立腹致した私はやむを得ず立ち上がり、そうして、大人しく右側に詰めました。隣にはキレイなお嬢様。まぁ、宜しい。


左右両隣のスペースがなくなり、息苦しくなった状態で、受講開始。
が、オッサンのやる気がない。「早く終わりましょう」の連続弾で、最終的には「予定より24分、25分くらい早く終わります」と言い放つ。24分って何やねん! もう「25分早く終わります」でエエやん、とココロの中でくだらないツッコミを入れつつ、ボーッとオッサンのハナシやら映像やらを見ておったら、オッサンが途中で恐ろしく咳き込み出しまして「コレはイカン、咳止め飲みますから、ちょっとスイマセン」などと言いながら中断す。まぁ、ロクでもない講習だ。そしてシミュレーションは体験できず。いったいこの部屋を使用したる理由は如何。そんなこんなで予定より30分くらい早く終わりて、免許を受け取って帰る。―2時間キッチリやらなくてもイイのね。


道交法の改正により“種類”のトコロが「普通」から「中型」に変わっておった。・・・ソレは良い。問題は顔写真である。前回撮影致しました時にも相当に醜い表情で写り込んでおった私であったが、今回も負けず劣らず相当に醜い。この醜さは決して白鳥になれぬ醜さであります。
数人のモノが集いて、「せーの」で免許を出し合ったとして、私の顔写真は<すべらない>のではないか。
おまけに髪の毛が伸びておるから、小汚くもある。写真で我が長髪を見るに及んで「さすがに切らねば」と強く思う。よって来週中には切る。


さてさて、依然として私は実家におるのですが、愈々明日戻ります。滞在期間は十日ほどであったが、果たして此の次に舞い戻って来るのは何時になるであろうか。
免許に於ける醜き顔写真を手土産に、明日、高速バスに乗り込み、私は実家を再度離れるのであります。

2008年01月04日

2008年01月04日 必然の輪

世の中には如何様に考察を試みても「偶然」としか言いようの無い事柄が時として生ずるのですが、しかしソレが発生したという限りにおいて―ソレを過去の或る出来事として捉える限りにおいて―私たちはソレを「偶然」ではなく「必然」と考えねばならぬ時がありましょう。
「相棒」はやはり面白いドラマである。右京サンが天才的なのは、なにも「偶然」が付与したモノではなく、「必然」の結果なのであった。第一の輪は第二の輪へと通じ、第二の輪は第三の輪へと続く。旧約聖書によると! ヒトは元来アダムとイヴなる一対の男女から連綿と生じたモノであるという。さすれば、60億は皆同根ではあらぬか。さすれば、ヒトの起こす事柄が「必然」的に、或る根っこを持って通じ合っていたとしても妙ではないであろう、と斯かるこじつけも可能となるのでした。
何を言わんとしておるのかと申せば、「相棒」の元旦SPに見られた<必然の輪>に私は感動致したのでした(そうなのだ。あの一連の<地続き>は「必然」として見た方がイイ)。或る事件の背後には或る事件の影が忍び寄り、またその影に向かいて新たなる足音が響き渡らんとす… 面識を持たぬ一連のモノが巻き起こす見事な一貫性を伴っております憎悪と復讐の協奏曲に、私は改めて讃辞を贈りたいのです。「劇場版」は果たして如何。
「相棒」に「踊る大捜査線」の如き派手さは無用であるが、或いは予告を見る限り「劇場版」は相当派手な具合に仕上げて来そうですから、一種の“不安感”を抱きつつあるモノも、決して少なくはないのでありますまいか。


今年は是非とも右京サンの「はいぃ〜(⤴)?」って具合の、語尾が心地よく上昇致す“疑問・不信形返答”を試してみたい、就活時の面接で。ああ、間違いなく落されるだろうなぁ。
「はいぃ〜? おかしいですねぇ〜 私が今申し上げましたコトをお聞きになられていなかったというコトになりますねぇ〜 恥を知りなさいッ!!!」(参考リンク:恥を知りなさいッ恥を知りなさいッ!
ハイ、そうです。「相棒」の見過ぎでありました。


今年は是非とも「髭男爵」をもっと見たい。数ヶ月前にYouTubeで彼らを拝見致してより、今日に至るまでアノ<チープさと付け焼き刃的な上品っぽさが同居する>雰囲気を好きになっておったが、昨年末に「爆笑レッドカーペット」に登場して以来、何となくジワジワと前線に昇って来そうではないか。「逆に聞こう」、2008年は「上流階級の洗練されたエレガントな笑い」が世を震撼させても宜しいではありませんか。


参考リンク:髭男爵
キモチ悪いくらいにウケている髭男爵(in大阪)

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