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2007年11月20日 攻撃は最大の防御なり

元来、この場は、私の思い(想い)、恨み、喜び、落胆、笑い(嗤い)、悲観、嘆き等の感情を無秩序に雑然と列挙致します場に他なりません。ソコで他人の感情を唐突に紹介するようなのは、或る意味で無礼だと思うのでしたが、一度くらいはやっても良いのではないかしらん、というコトで、今日は例外的に他人の文章ばかりを提示(引用)させて頂き、其れについて少しばかり触れておきたい

さて、そういうワケで今日のネタ(?)は、知るヒトぞ知る中川八洋センセイの著書『皇統断絶』である。(皇室典範及び女性・女系天皇に関する本)
保守勢力の暴走機関車的な中川センセイは、その過激な発言が諸種の場にて取り上げられるコトもあるようでしたが、私は今日まで斯様なモノに接近せずに居た。しかしながら、たまたま興味本位で手に取ってみた中川氏の著作がこの『皇統断絶』であったのでして、いやはや正直何度か吹き出した。ココで中川センセイが展開する他人に対する批判若しくは異議申し立ては、もはや常軌を逸するレベルにまで到達してありますので、結局は“誹謗”のレベルに足を踏み入れておるようにも思える。ソレが面白いので、以下に幾つか引用させて頂く。この本はフツウのとは異なる意味で「必読書」です。
それでは、中川センセイの<東大卒、スタンフォード大学大学院修了、現筑波大学教授>という肩書きを記憶に留めてから以下の文章をお読みください。


どうも高森には、学者になれるだけの基礎教養が著しく不足している。四十八歳にもなって定職がなく、「古代史巡りの観光ガイド」にしかなれない理由はこれである。(二十六頁)


高森明勅への攻撃です。職業のコトは放っといてやれよ…


英米では法曹家たらんとする誰でもがもっているコークの『英国法提要』も、ブラックストーンの『イギリス法釈義』も、日本では裁判官ですら、一人として、その表紙すら見たことがない。ちなみに、私事で恐縮だが、私はコークの主著とブラックストーンの主著を、文字通り座右においている。(百三十一頁)


誠に結構ですね。


小堀桂一郎は、森鴎外の研究を除けば、過去三十年に及ぶ著作の多くは「盗作」か「他人の研究の代理執筆」であるように、自分で研究をする能力と知見がほとんどない。(百六十頁)


次!


福田和也の人格とは、“祖国喪失を願う病気”に冒されたそれであり、その「反日」度は、共産党や朝日新聞が「保守」に見えるほどで、戦後日本の六十年史に、前例もないし類似の者がほとんどいない、空前絶後の“超(スーパー)極左”である。(二百三十三頁)


次!


学問の能力を欠き口舌にのみ生きる売文業者の中西輝政は、旧と現の皇室典範も読んだこともない。またその制定過程の法制史についての知見もない。一般教養は無知に近い。八代十名の女性天皇が「男系の血筋が途絶えないようにという目的で即位された」などと、初歩的な歴史事実に関する知見を欠くほど、その歴史知識は中学生以下である。
 しかし中西は、現在の皇室典範をダイナマイトで粉砕して、天皇制廃止を実現しようとする策謀には長けている。(二百五十六頁)


最後の一文は秀逸。およそ国立大学の教授が記した文章とは思えないほどの攻撃性を備え持っておる。


ちなみに私のお気に入りは、
「日本共産党の大塚英志は(二百三十五頁)」
という箇所。大塚英志は共産党関係者だと決めてかかっておりまして、このセンセイにとって「共産党」及び「共産主義者」が最高の罵倒用語であるコトを象徴している。裏を返せば「共産」の一語でもって相手を排除するので、批判がすぐに一定の範囲に収束致す危険性を孕んでおるのですけれども。
ただし本人からすれば、斯様な文章を書き続けてソレが一冊の立派な本になりたるという事実、それだけで愉快で愉快で堪らんであろう。いやいや、羨ましき哉。さて、その印税の用途は如何様に?

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