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2008年01月23日 どんな父親でも童貞ではない

「因島」「放出」「福生」「烏丸通」「太秦」「等々力」「慶良間」
上記に掲げたるモノは比較的有名な土地であるが、非常に持って回った読み方を要求される意地の悪い地名であります。
「福生(ふっさ)」と「慶良間(けらま)」はまだ何とかなりそうですが、「因島(いんのしま)」や「烏丸(からすま)通」などはイタズラとしか思えない読み方であって、「等々力(とどろき)」に関してはなぞなぞのようなモンで、「放出(はなてん)」と「太秦(うずまさ)」に関しては、予備知識無しで読めれば、そのモノは紫綬褒章を頂戴しても不思議ではないレベルの偉人ではないかしらん。けれども、おそらく上記の中では「太秦」が最も知名度の高い地であろうから、これを即座に「うずまさ」と読めるモノは多いコトと信ずるのでしたが、よくよく思案してみるに到底容易に解読可能なモノではあらぬ。そして問題は「放出」である。「放つ」の「はな」は解るが、「出」を「てん」と読めと、ココで無謀な要求をされる。かつての日本語は「いざ、出んと欲す」なんて申し上げておりましたから、そういう事情もあって「出」を無理矢理「てん」と読ましたのかも分からん。斯かる具合に難読な地が日本には無数にあるのであったから、誠に地名は愉快なり。


鳥居みゆきはネタも驚異的だけれども、素顔も相当に驚異的でありませんか。どこまでが本性でどこからが計算された部分であるのかが実に不明瞭であるのは、およそ女芸人の平均点を遥かに上回るあのキレイな顔の故であろうか。彼女にはどんどん壊れて行って欲しい。
それにしてもサンミュージックの芸人は何じゃいったい。


「愛」なる単語はこの世で最も抽象的なモノであると思う故に、私は好まぬ。従って極力この語だけは用いたくないのでした。…というのも、私は卒業論文を書いた時に幾度か「愛」なる語を用いたのであったが、昨年ソレを改めて読み返してみるに、どうも観念的な印象を受けて、その一語では結局何事も論じ切れぬのではないかと痛感したのでありまして、それ以来私は「愛」なる語を用いて何らかのコトへ言及するのは一切止めてあるし、今後も決してそのような暴挙には出ないであろう。それが暴挙で無くなるとき、ソレは「愛」というものがハッキリと確認できたとき、すなわち別の言葉で明瞭に説明可能になるとき、です。
さて、斯様な日が訪れるであろうか。甚だ懐疑的たらざるを得ん。
(ところで、いま「はなはだ(甚だ)」を「はなはな」と誤入力して気付かずに変換したのであるが、そうすると一発で「花*花」となったので驚いた次第です。彼女たちは今?)

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