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2008年01月25日 我が人生最大の自己満足!

全国で冷え込んでおるようであるが、寒さに滅法強い私からすれば、寒がっているヤツ ざまぁみろってな感慨しか湧き起こらぬ。最低気温が氷点下を記録しない間は、寒いうちに入らぬ。入れてはならぬ。ソレは冬として当然であると観念せよ。やせ我慢せよ。やや我慢せよ。見栄を張れ。ウソをつけ。誤摩化せ。開き直れ。呆れ返ってみせろ。逆手にとれ。そして受け入れろ。受容の精神。「抗うな。受け入れろ。すべては繋がっている。」―コレは新井英樹サンの名作「ザ・ワールド・イズ・マイン」(以下「TWIM」と書く)の名台詞でしたが、私はいつか、この作品に関して、ある程度まとまった文章を綴りたいと欲し、仮にソレが達成できた暁においては、このブログ(サイト)を終了しようと思っている。なぜならば、当サイトのタイトルからしてTWIMが発端であり、其れを一応総括し得たとすれば、もはやその先に当サイトが存続する意味は無いと思慮するからです。そうして、常々TWIMを象徴する語を探索し申し上げておるのでしたが、最近は上記の一語(「抗うな。受け入れろ。すべては繋がっている。」)、ココに重点を置いて考えてみようとしてある。
今、興味があるのは「抗うな。受け入れろ。すべては繋がっている。」ってキーワードを手にしてTWIMの全体像を把握し得るか否かという点であり、今日の社会や人々の思想を“連綿”(すべては繋がっている)ってな一語でもって捉えようとする試みの中に、TWIMが提起した問題も照射し得るのではあらぬかという点である。
例えば、西欧で生誕致した保守主義思想について。其れは我々を過去との連携を断っては存続不可能であると思考するものである。一方のモンちゃんのいう「繋がっている」という意識、その内実は何との関係性の上に、どのように「繋がっている」のか。こうした点の比較、考察の段階を踏むことで、ある程度は“現代”の人々の意識を問うことも可能になり得るでしょうし、またそのような彼らの様態が現実社会では如何なる形態となって反映されてあるのかという事情についても、必ずしも踏査不可能ではあらぬ、と考えているのでした。


あー、依然として抽象的な範囲を出ぬ、全てが推論の段階でありますが、まぁ、ゆっくりと時間をかけて答えを見出さんとしておるのです。
ウン、この調子で歩めば、まだ三年くらいの月日を必要としそうだ。


だけど、とりあえず予告だけはしておきたい。ソレは自分自身に対する確認の意味を含んだ、あまりに身勝手な予告でありたるが―このブログの最後は「ザ・ワールド・イズ・マイン」に関する私なりの結論、になるのではないかしらん。とりあえず今年中に書き上げるだろう予定の修士論文も、このブログの最終回の<前座>として書く。その為に今の研究がある。…ソレくらいの気概を伴って、私はいつか、TWIMに関する意見を原稿用紙80枚分くらいにしてまとめ上げたい。我が人生最大の自己満足!

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