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2008年01月26日 社会主義の胚芽?

「禁煙ファシズム」なる言葉が存す。
カール・シュミットも真っ青のファシズムです。
ソレはつまり、喫煙を推奨するな、と声高に叫ばれるような風潮に対する皮肉であると受け取っておきましょうか。もはや一国に留まらず、あらゆる場所で喫煙者はゴミの如く扱われ始めておるのです。
確かに「全館禁煙」的な空間が増殖しており、私なぞはタバコを神田うのと同じくらい嫌悪しておるから、この状況は悪いとは思わないのであったが、しなかしながら喫煙者がいう「禁煙ファシズム」なるリアクションについても解せないコトではあらぬ。
現に私のオヤジは結構な喫煙者であるから、そうしたオッサンの具合を見ておれば、昨今の有り様に対して文句を言いたくなる気持ちも多少は理解できるってモンだ。


ココで唐突に申せば、このブログ上で展開しておる私の喫煙者に対する誹謗中傷は、半ばお遊びでございます。斯様なコトを本心で述べておれば、ソレは精神に異常があるか、アプリオリな(丸山眞男や橋川文三がよく遣う言葉)気狂いの何れかに他なりませぬ。
ココで再度唐突に申せば、今日的な浮き世において禁煙場所で喫煙する輩は一部の在日朝鮮人と同じくらい横暴で、故に差別されるべき存在であるといえようが、ソレ以外の場所で喫煙するのは何ら悪いコトではあらぬ。どんどん吸ってどんどん病気になって命を落とせば良い。要するに死ねば良いのでしたが、ソレは己が選択した道である以上、如何なる義務があって他人がその連中に対して禁煙を求める必要があるのだろうか。私は未だかつてオヤジを含めて、一切のモノに禁煙を推奨したコトがないのであった。


「禁煙ファシズム」、まさしくその通りである。
私が申したいのは、せいぜい「分煙」処置くらいまでであって、あらゆる空間で禁煙を施す、喫煙を断固として受け入れてはならぬなどというのは、ソレこそ禁煙云々ってなレベルではあらず、ホンモノの「ファシズム」ご到来ではありませぬか。万が一、世の中が斯様な空気(全ての状況下での喫煙排除)になりたれば、その時は私、真っ先に反対しましょう。喫煙者の味方はせぬが、過剰なまでの禁煙推進者には鉄槌を喰らわしたい。ソレはフェミニストと同じくらい迫害されるべき生物。


喫煙者は有害な気体を放出する時点で決して認められぬ物体であるが(個人的感情)、さりとて全面的に締め出す権利を誰が有する。
ゴミは定められたる場所に出さねばならぬ。ナゼか。幼稚園児でも答えられよう。何処にでも投棄致せば、暮らしが汚染されるから。喫煙者は定められたる場所に隔離せねばならぬ。ナゼか。小学生でも答えられよう。害を発散する細胞の集合体であるから。
ゴミを捨てるには定められたる場所に出せば良いのと同じであって、喫煙も定められたる場所に限定すれば良い。それ以上に何が必要か。ゴミ集積所を世から奪取せば、世の中はきっと混乱し、より醜悪になる。斯様なコトは今の五千円札に描かれておる人物が何という小説を書き上げたかを答えられぬバカでも理解できるコトでして、抑制が存する限りソレは一定の範囲内で十分に許容されるべき存在であるってコト。
吸いたければ吸って、肺ガンにでもなって、めでたしめでたし。コレは全く非情な声ではありません。むしろあらゆる喫煙を認可せぬ「禁煙ファシズム」と称される風潮の方が(ソレがこれからどんどん推進されて行けば)、その何十倍、何百倍も非情で無惨な結果を生み出すのではありませんか?

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