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2007年12月09日 “God”基準で。

この世のうちで意味の分からないモノ。
例えばオノ・ヨーコ。
私はこのヒトを大して好ましく思わないのでありましたが、それはキモチ悪いからというよりもむしろ、彼女の世界が私のソレと比するに、あまりに異次元過ぎて如何なる対応を取るべきかを決定できないでおるからなのである。
ジョン・レノンは、私が申し上げるまでも無いほどに、真性の包茎、…いやソレもそうなのだけど(「Unfinished Music No.1: Two Virgins」【邦題:トゥー・ヴァージンズ】のジャケット参照)、彼は真性の天才でありましたが、どのような才能の塊であっても、その生涯の間に二、三のミステークはするものでございます。そうして、そのミステークの一つに、ジョンがヨーコを選択したという事実を数え上げるコトに賛同致してくれる諸兄もおられるのではないか。
周知の通り、オノ・ヨーコと知り合ってから後のジョン・レノンの曲には頻繁に「Yoko」の文字が散見できるのですが、私はそれらの曲を何度聴いても、何故にジョンがヨーコに惹かれたのかが理解できませぬ。ジョンの曲の中に、果たしてリアルなヨーコの姿は秘められているのかどうか。斯かる疑念を持つのでした。と同時に、冒頭にも記しました通り、そもそもオノ・ヨーコについての解釈の仕方に戸惑う。アレは何だと言うのか。奈良の騒音おばさんと同等か或いはそれ以上に不可解なオンナではありますまいか。
やはりジョン・レノンくらいの天才でなければ、オノ・ヨーコのような存在は受容できぬのか。


ジョンは「God」の冒頭でこう歌った。


God is a concept by which we measure our pain


イタいです。イタいです。私の中にある“God”を通じて見るオノ・ヨーコの姿、非常なる痛みを感じずにソレを見ることはできませぬ。


ジョン・レノンの命日から遅れるコト二日、此のような思いを馳せる誠に陳腐なる一人の存在を、“God”を基準として測量致した場合に、ソレはいかなる規模であるか、もはや言う迄もない事柄である。

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