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2007年12月05日 ココロに咲く花

無い。何処をどう探しても、無い。日本のインターネットの世界にM・オークショットの本、『政治における合理主義』は、無い。古本屋のHPを巡り果てても、無い。当然オークションにも出品されて、無い。私は本で欲しかった。「本で」というのは、すなわちコレはもうどうしようもあらぬので、やむを得ん、私は学校の図書館から借りて、読みたい部分も丸々コピーして保管しておくより他に道が無くなりましたので、実際にそうしたという具合なのであった。およそ二百頁ばかりをコピーさせて頂いた。
しかしねぇ、学校の図書館に於いても、大仰な“書庫”なる<貴重本>を多数保管してあるらしいまるで霊安室の如き陰気な場所にあるのだから、そりゃインターネットの世界にも出回りません。そもそもこの本を借りたのは、私で果たして何人目であろうか。重要な本であるというのに、何たる知名度の低さ!
私は、今、此処にて一つだけ申したいコトがある。学校の図書館に申し上げたいコトがあるのだ。「蔵書数百何十万冊」とかいう宣伝は宜しいから、もうちょっと入れる本を考えなされ。このオークショットの『政治における合理主義』にしろ、その傍にあったマンデヴィルの『蜂の寓話』にしろ、ほぼホコリを身に纏うような雰囲気で安置されておるというのは、あまりにふざけてはおらぬか。ホコリをかぶるべきなのはマルクスやレーニンの本であるべきで、絶対にオークショットの本にホコリを付着させてはならぬ。


ああ、いけない。斯様な文句を言い立てるから、私はヘンな奴だと推定されるのでありまして、フツウにしていても妙な輩と誤解されるのだから堪らない。そうして、私がこんなコトを述べる権利はどうしても保持しておりませんが、やはり私の周りにいるような連中だって、多かれ少なかれ妙な連中ばっかりなのです。そりゃねぇ、俺の人生ギャンブルだぜ!的な感覚で、文系のクセに、就職が不利になるコトを承知の上で、大学院に進学してくるようなのは、なかなかの曲者が多し。HクンもKクンも猪突猛進タイプというのだろうか、周囲を自ら隔絶するような状態に置き―奇妙な<独立心>で己の興味を只管追求致しておる誠に“一途”な学生なのであるが、しかし「世間」たるモノからは相当な距離感を思わせるのは、これまた必然であろうか。而して私も然り!?


おそらく、というか、コレは何らかの条件が一致すればヒトは皆そうなるのかもしれぬが、レベルは低くとも、多少なりとも何かに熱中して「研究」するようになると、およそ彼も彼女も<大衆嫌い>になるような気配がある。如何に現実的な「研究」であれ、やはりどこかにおいて現実の社会と乖離したる部分はあって、その実感(虚無感?)に触れてしまいました瞬間において、彼や彼女が現実を拾い上げずして己の「研究」の過程にこそ理想も可能性も夢も希望も改善も保守も飛躍も優越も満足も存すと見定めたる(見誤りたる?)時点で、<大衆嫌い>なる病魔に浸食されるのではありますまいか。まず大学教授からして斯かる病を持ち合わせておるモノの多いこと、実に多いこと! なんでございましょう、あの“厭世讃歌”は。
KクンもHクンも<大衆嫌い>だと申しておった。あのセンセイも申しておったじゃないか、「大衆はバカなんだ!」と。 ハイハイ、ソレは承知致しております。ソレは重々心得ておりますよ。だが、ココで問題なのは斯かる自明のコトではあらずして、この場合、奇妙なコトに、「大衆なんてバカだから、俺はあんなモン大嫌いだね!」と言うその瞬間に限りて、ソレを申したモノも<大衆>の一員に他ならぬのに、如何なる事態か己の存在が<大衆>の中からスッポリ欠落しておるコトの不可解さを、私は疑わずにはおれないのでした。いや、己の未熟さ、稚拙さを悟りたる上で斯様な発言を致すのなら、ソレは「大衆こそが絶対だ」と思念して疑わないモノよりも、何千倍、何万倍、何億倍と賢明なコトは明らかですが、果たしてそこまで高邁な精神を誰彼構わずに持てるものでありましょうか。理解不能の優越感? ココロで感じても、口に出すと急に枯れてしまう花があるなぁ。


しかしながら大衆の愚かさについては、今更言うまでもなかろう。それはエドマンド・バークに始まり、アレクサンダー・ハミルトン、トクヴィル、ハイエク、オルテガといった歴史的に見ても特筆すべき天才的な哲学者、政治思想家等によってイヤになるほど指摘されてきた事実であるのですから。
ところで、オルテガの名前を出してしまったので、最後に“余計なコト”を言わねばならなくなった。オルテガはスペインの哲学者だが、彼のフルネームは「ホセ・オルテガ・イ・ガセト」である。カッコイイ、カッコ良すぎる名前でありましょう。何かよく分からんが、「イ・ガセト」ってのが最高に高級っぽい響きだとはお思いになれないのですか! 此れが「イガセト」ならダメなんだな。「イ、ガセト」って具合に「イ」と「ガセト」の間で一瞬切れるからイイ。「ホセ・オルテガ・ガセト」と「イ」を抜いてしまってもダメになる。「ホセ・オルテガ・イ・ガセト」と四つの部分に別れている、そのバランス感覚と原因不明の響きに心を抉られるのでした。ちなみに、<大衆>嫌いのあのセンセイも、私のこの主張に納得してくれたのは誠に微笑ましい記憶である。

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