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2007年03月30日

2007年03月30日 春の訪れをのらう

統一地方選挙のため、選挙カーが騒がしくてたまらん。
しかし共産党の候補が「税金の無駄遣いを無くすため〜」と言っていたのにはズッコケそうになった。本当に税金の無駄遣いをどうにかしたければ、まずはお前達の所属する党を解体しろ。
それにしてもセブン-イレブンのメロンパンがアホみたいに美味い。もはや行列のできる名店レベルのパンを、さも当然の如く置いているから感服する。
もう暖かくなってきて、桜も三分〜五分咲きくらいかな。場所によって違いはあるでしょうが。花見なんて糞喰らえだ。騒ぎゃ良いってもんじゃない。アレだ、公共の場所で花見をするには免許を必要にしてやれ。無免許で花見をすれば100万円以下の罰金。そうすれば毎年報道されている花見の席でのトラブルやゴミ放置も激減して、治安のためにも良い。私有地は当然無免許でも良いけどね。
雑文乱打にて、ひとまずここらでサヨナラ。

2007年03月27日

2007年03月27日 “総体としての音楽”/フランク・ザッパという存在

フランク・ザッパフランク・ザッパの公式アルバム全部、っていったいどれくらいあるか知らんけれども、とにかく全ての公式アルバムをボックスセットにして出してくれ。勿論一組。小出しはダメよ。値段は十五万でも二十万でも良い、購入するから。借金してでも購入する。そして、それがおそらく私の一生分の音楽になる。


というのも、私は今まで色んな音楽に手を出して、「何かオレの知らないワクワクするような世界があるんじゃないか」と思い続けてきたんだけど、最近になって音楽(民族音楽や伝統芸能に組み込まれるモノ以外の音楽)では感じられるワクワクに限界があるような気がしてきたからだ。確かにプレスリーもビートルズもディランも良いし、プログレやパンクやハードロックやメタルも面白い。マイルスもキース・ジャレットも素晴らしいし、ノイズやサイケや即興モノも楽しい。
でもコレは欠かせないというモノは無い。つまり単体としては面白いけど、“総体としての音楽”という広大な視点を持って見た場合に、私の中で、実はどんな音楽と接するコトにも意義なんて無いんじゃなかろうか、という疑念が生じ始めたのである。この疑念を解消しない限り、ワクワクもハラハラもあったもんじゃない。
しかし思うに、“総体としての音楽”とは、そもそも何ぞや。まずはそれをハッキリさせなければならない。それを確認せずして、面白いも詰まらないも重要も不必要もあったものではない。
だが、それを知るのは実に困難なことだ。五十年間ずーっと音楽を聴き続けても容易に理解できるものではないだろう。事実、私も“総体としての音楽”という観念をまず思い描いてみたものの、その実態をどうやって摑むべきかを苦慮している。けれど、それを朧げながらでも知らない限り、私が抱いた音楽への疑念も払拭できないままでしかない。


そうして、ココに俄然と出てくるのが、必然的にフランク・ザッパという存在である。
化け物のように音楽の大海原を一生航海し続けた狂人・巨匠・天才・気狂い・鬼才、ええーい冠は何でも良い。とりあえず常人では到達不可能な領域を何度かは見たであろう、この偉人(異人)の膨大な作品を一纏めにすれば、私の思う“総体としての音楽”なるものが、かなり明瞭になるのではないかと思うのだ。


フランク・ザッパは一人で音楽の持ち得る可能性のほとんどを暴き出した、と私は思っている。
彼の多額の遺産を無駄にせず、公(これが私のいうボックスセットのこと)にしてくれれば、それだけで“総体としての音楽”というものに接することが出来、私のモヤモヤも吹き飛んで、それがワクワクに変わるかもしれないというコトだ。
そうやって考えれば、結局のトコロ、ザッパの多量の音楽ひとつで全てが賄えてしまうのではないかということにもなる。
彼の音楽はそれだけ懐が広い。言うなればモンゴルの草原のようなものである。広い草原を駆け巡って世界は未知の可能性に溢れていると感動するのか、どこまで行っても同じ光景ばかりじゃないかと呆れ果てるのかは、分からない。しかし、駆け巡るだけの価値は十二分にあるだろう。


その全てに、正解と過ちを、可能性の有無を、希望と絶望を、正解と過ちを、託すことが出来れば、自ずと答えは明確になる。
だからコレは、まずボックスセットを発売して欲しい、というお願いなのであります。衷心からです。

2007年03月25日

2007年03月25日 大相撲春場所感想07

大相撲春場所の感想。


まず、幕内は優勝決定戦の末白鵬が優勝。
しかし、千秋楽は横綱が変化。決定戦でも白鵬が変化気味で優勝、そんなので良いんかいな。いや、絶対にダメだ。
なーんかしらける千秋楽でしたなぁ。元はといえば、横綱が千代大海に変化で勝った辺りからおかしかった。


で、思ったのは、白鵬は当分横綱にはなれないんじゃないか、ということ。来場所、朝青龍も白鵬も怪我等をせずに出てくれば、やはり今場所同様この両者の争いになることは必至。けれど、まだ力量は朝青龍の方が上だから、白鵬はハッキリ言って不利。白鵬自身もそれをどこかで理解していたから、決定戦でああいうカタチとなって出たのかもしれん。
白鵬はまだまだ朝青龍を克服できていない。
今がピークの朝青龍を差し置いて優勝・横綱昇進という可能性は、今場所を見る限り高いとは言えない。あと2〜3年は待たなければならないんじゃないか。現段階では綱取りは厳しそうだけど、果たしてどうだろうか。


白鵬以外の大関については面倒だから割愛。


一方で、栃煌山が敢闘賞、豊真将が技能賞。
この両者は良いねぇ。ともにイイ相撲をする。一気に前に出て、相手を土俵の外まで持って行くといったような相撲で、見ていて気持ち良い。栃煌山や豊真将に豊ノ島、今場所は負け越したけど琴奨菊や稀勢の里が奮起してくれば、もっともっと面白くなる。特に栃煌山と豊真将と稀勢の里。栃煌山はこれから上位との対戦も増えて苦戦することが多いと思うけど、将来性はとても有望だと思うので、期待したいところであります。


その他の幕内力士では、若の里の復活や黒海が良かった。あと、安美錦の巧さも光っていた。ある意味、影の技能賞は安美錦。
個人的に注目していた鶴竜も、どうにか勝ち越し。来場所もこの調子で。


十両では里山が優勝ですか。
十両昇進以来期待している若ノ鵬は勝てないなぁ。海鵬も勝てなかった。
ただ豪栄道や寶智山などの活躍は興味深い。
そして皇牙の引退。残念だけど、本人の決断を尊重しましょう。土俵生活に弓取り、お疲れさまでした。引退後も活躍されることを期待しております。


最後に来場所の展望。
まず白鵬vs朝青龍が一番。両者ともとりあえずどうか無事に出てきてくれ。
あと栃東の動向も気になる。
そして上記に名前を挙げた幕内の若手の活躍に加え、十両から新たな新鋭が登場してくれれば良いんですが。
大雑把に言えばそんな感じ。ホンモノの大雑把で申し訳ありませんが、夏場所に期待するトコロは少なくありませんよ。
何かが動きそうな夏場所、そんな気がしています。

2007年03月24日

2007年03月24日 一発で「顰蹙」って書けたら凄い

ビールで一番好きなのはヱビスビール。二番目がKIRINのクラシックラガー。
お酒なんて全然飲めないに等しく、味もロクに分からないけど、上記のビールは好き。
そもそもビールを好きになったキッカケがクラシックラガー。これを飲んで「ビールって旨いジャン」と思った。それ以後定期的にクラシックラガーを飲んでいたけど、ある日ヱビスビールと出逢って、クラシックラガーは転落した。
ちなみに最近は「極旨」というインチキビールも好き。発泡酒だか第三のビールだかよく分からんけど、ああいうのは苦みと、味に深みのようなモノがなくて不味いと思っていたが、「極旨」はそうでもない。インチキビールでも飲めちゃう。しかも安いからよく買っちゃう。
と言っても缶ビールは500ml一本が限界。すぐに顔が赤くなるからどうしようもない。ほぼ下戸。限りなく下戸。日本酒より強い酒は絶対に飲めない。二年くらい前に日本酒を二合飲んだら、全身に蕁麻疹が出て、震えが止まらなくなって、急性アルコール中毒一歩手前のような雰囲気になったことがある。それもこれも私の親父が下戸だから、多分遺伝だろう。でも、親父はヘビースモーカーで、私はタバコを神田うの並に嫌悪している。世界で一番嫌いなタレントが神田うの、それと同じくらいタバコが嫌い。親戚にもタバコを吸っているヒトが多いし、バイト先の男のヒトもほとんどが喫煙者、おまけにお世話になっている教授も喫煙者。で、困る私。最近は女子中学生でも堂々とタバコを吸ってやがる。どうして煙を吸い込んで嬉しがるのかしらん。そういう光景を見ると、タバコを嫌っていて良かったと誇らしくなる。自分のコトを最も誇らしく感じる瞬間が、喫煙者を見て安堵感を得る時。嗚呼、なんという哀れな誇りよ。


カップ麺で一番好きな種類はカップ焼きそば。一番が俺の塩で、二番目が一平ちゃん 夜店の焼そば。ペヤングも嫌いではない。しかし、とりあえず俺の塩だけは別格。定番のUFOは肝心のソースが激マズで嫌い。アレは後味悪すぎだ。
そして俺の塩は一分で出来るから良い。っていうか、私は焼きそばそのものは好きではない。ただ、カップ焼きそばが好きというだけ。カップ「焼き」そばと称しながら、全然焼いてないあのフニャフニャ感が最高。実際に焼いた麺は好きではない。焼きそば然り焼うどん然り。でもカップ焼きそばはカロリー高いなー。


高校野球なんてほとんど興味が無いけど、何かと注目されている大阪桐蔭の中田君は良い。あの悪そうな顔、その反面、どこか優しさを内包していそうな笑顔。彼みたいな者が仲間にいれば、最高に心強いだろうと思う。「RIN」の石川凛も、多分ああいう雰囲気で、もっと嫌らしい感じなんだろう。中田君には是非とも無邪気に相手の自信を粉砕するような活躍をしてもらいたい。

2007年03月23日

2007年03月23日 宮沢賢治と「社稷」

宮沢賢治は童話作家としての顔に加え、村中にあっては農業指導者として慕われていました。宮沢賢治の農本主義的な側面、そして自然との関わりによって見出したであろう社稷の観念について想いを馳せる時にこそ、彼が見たであろう“原始的な”日本人のアイデンティティーの存在に気付くのです。
以前、農業指導家としての宮沢賢治に焦点を当てた論文を読んだ時に思ったのは、まさにこの点についてでありまして、要は彼に内在する原始的な思想・価値観に関することです。つまり、自然との共生を意識する一方で、無意識のうちに近代文明と同化した自分、それを超克せんとしてやはり文明の壁にぶち当たってしまう自分、「自然な」自分とは何であるのかという葛藤。


「農本主義」という言葉を先に持ち出しましたが、宮沢賢治にはやはりそういう考えがあったように思います。彼は徹底して「社稷」というものに拘り、そこに自らの基礎を確立しようとしたのではないでしょうか。それは彼が東北という地に身を置いたこととも少なからず関連しているように思えてならないのです。
そうして、宮沢賢治の作品に出てくる人物で、純粋過ぎたり、邪心というものを抱いていない人物が少なくないのは、それが彼の理想とした「社稷」に生きる人間を反映させたものであったからだとは考えられないでしょうか。自然との共存を意識し、あくまで純化した“原始”の人間の姿を追い求める宮沢賢治の姿がそこにはあるのです。


宮沢賢治が、夢に見た見た日本人像とは。
宮沢賢治が、指向した人間の生き方とは。
それは従来の「ヒューマニズム」という定義とはまた別物の、より人心の深層にある、普遍的な生の在り方だと、私は思うのです。

2007年03月22日

2007年03月22日 アンパンマンの謎

アンパンマンは大体週二回の頻度でばいきんまんと対決して、その度に顔をやられているから良いんだと思う。もしアンパンマンが強過ぎるか、ばいきんまんが弱過ぎるかしたら、アンパンマンは顔を変える必要が無くなる。ということは、しばらくすると顔が腐ってきて、カビが生えてきたり悪臭を放つようになって大変だ。週に二回、つまり三日か四日に一度ばいきんまんによって顔を変える機会を与えられているんだから、ばいきんまんに感謝しなければならない。そうじゃなければ、バタコさんがジャムおじさんにそっと「アンパンマンの顔が大分臭くなってきました」とか「ジャムおじさん、アンパンマンに(カビが)生えてきました」などと耳打ちしている場面が放送されることになる。だって、そんなこと直接本人、ならぬ本パンには言えないからねぇ。犬のチーズは特に嗅覚が優れているから、自ずと腐りかけたアンパンマンには近付かなくなる。
待てよ、今までほとんど顔を変えていないしょくぱんまんやメロンパンナちゃんはどうなっているんだろう。特にしょくぱんまんは、近くで見るとカビだらけかもしれん。メロンパンナちゃんも可愛い顔してカビだらけなのだろうか。
メロンパンナちゃんは、寝ている時にアリの大群に襲われたりしないのだろうか。夜、突然悲鳴が聞こえて、駆けつけてみると、顔中アリだらけで真っ黒になったメロンパンナちゃんが!


しかしアンパンマンが顔を変える時、古い顔はどこかに飛んで行くけど、いったいどうなっているのだろう。野原の真ん中に腐った顔が落ちていたりするのだろうか。その光景は中途半端なホラー映画よりもよっぽど怖いと思う。


っていうか、以前にアンパンマンはコップ片手に歯磨きしてたからな。お前濡れたらダメだんだろう。歯磨きした後、そのコップに入っている水で口を濯ぐんだろ?じゃあビショビショになるじゃないか。それで顔を変えることになったりするわけか。
コップ片手に歯磨き→ついうっかり水を口に→顔がビショビショ→ジャムおじさんに新しい顔を焼いてもらう
完全にアホの流れだー。ジャムおじさんに迷惑かけんなよ!いや、その前にアンパンマンに歯は無いだろ。アレに歯があれば相当不気味だ。


それに「大変だ、バタ子、急いで新しい顔を焼くよ!」ってのも、よく考えれば凄いセリフだ。


アンパンマンって、もしかするとホラーの類じゃないだろうか?

2007年03月19日

2007年03月19日 日本人必読書!!

日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略深田匠著『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』


とにかく一人でも多くの方にこの本を読んでもらいたい。
著者である深田氏は、これからの日本が、米国、中国、台湾、ASEAM諸国などを相手としていかなる道を歩むべきかを、明快に論じるとともに、国内に蔓延る河野洋平や福島瑞穂、加藤紘一、筑紫哲也といった売国奴分子の実態、彼らの目指さんとするモノの成れの果ての惨状を、平易な文章で分かり易く述べておられる。


今回は感想というより、単にこの本を紹介するだけにしたい。なぜなら、当ブログをご覧の方は、私のどーでもいー感想を読むより、この本を実際に読んで頂いた方が何百倍も有意義だからである。


深田氏の主張・見解は明確だ。それをサラッと記すとこうなる。
すなわち現在、最悪・最狂の共産主義国である中国(氏は本書の中で一貫して「中共」と呼称されている)こそが、今後日米(この場合の「米」とは共和党政権を指す。詳しくは後述)両国にとっての最大の敵国であるから、日米(そこに台湾、ASEAN諸国も加わり)が共同して、共産主義という独裁的政治を行う中国に対抗せねばならない。
既に水面下では中米両国による冷戦は開始せられており、あと二十年以内にアジアの覇権は決定しているであろう。
中米両国の争いに日本は無関係でいられない。米国と同盟関係を維持し続ける限り、また中国がアジアの覇権を一手に収めようとする争いである限り、日本は否応無く中米の争いに加わる必然性が生じる。その時に日本が何もしないというのは、すなわち日本が甘んじて中国の支配下に入り、アジアの一弱小国になり下がることを意味する。
中国は、日本から得る大量の資金をもって強大な軍事力を形成し、また徹底した反日政策及び上記の日本国内に在る左翼的売国奴分子を都合良く利用することで、自らに都合の良い政策を日本政府に取らせ、アジアにおける日本の立場を弱体化せしめるとともに、日米同盟を解消させることを企図している。


氏は以上のような中国を中心とする国際情勢を前にして、中国のご機嫌ばかりを窺い、本来政治家が最も考慮すべきである“国益”の追求を放棄した「媚中」政治家により、日本が徐々に共産主義国家である中国の属国となりつつあることに警鐘を鳴らすとともに、それを防ぐために日本がなすべきこととして以下の点を挙げる。
まず、国民一人一人が“将来の日本のために活動する政治家”を選び、中国に利権を明け渡そうとする日本国内の売国奴政治家を徹底駆除すべきこと。
次に、中国側から靖國参拝や教科書の記述に関して抗議を受ける度に繰り返される、毎度お馴染みの謝罪外交。こんなものは最早中国の意のままに動くことに他ならない。日本人は自分達の過去に対して卑屈になる必要は無い。「自虐史観」から抜け出し、本当に歴史を捏造しているのはどちらかをはっきりさせ、中国の内政干渉に毅然とした態度で応対すること。
そして親日反中の立場を取り「強い日本」を希求する共和党政権と歩みを共にすること、それは現在何百という核を日本に対して常時発射態勢をとっている中国に対抗できるだけの軍事力の保有、つまり日米同盟強化・憲法改正・自衛隊強化。日米両国でアジア征服を企図する中国の共産政権を薙ぎ倒し、新しい世界秩序再編の先駆けになるべきである、ということ。
なお、本書のタイトルにもなっているが、米国の二大政党制を構成する共和党と民主党では、政策が百八十度異なるという認識を持つことが重要であると、深田氏は再三力説する。上述のように共和党は、伝統的に親日反中の立場を取り、日本と一緒にアジアの大国中国を牽制しようという立場にある。共和党は日本に対して、“自分のことは自分で対処できる大人の国家”になることを望んでいるのだ。現在のブッシュ共和党政権が日本の憲法改正について暗に推奨しているのは、共和党が斯の如き政策を持つからに他ならない。
対して親中反日の立場から、中国に同調した政策をとり、アジアにおける日本の立場を弱めようとし、日本を“管理下”に置いておきたいのが、民主党である。これは例えば、日本が大東亜戦争に踏み切らざるを得なくなった時を思い起こせば良い。民主党のルーズベルト政権は、一貫して支那を援助し、日本へは強行的な政策を取り続けてきた。あの当時野党であった共和党が、ルーズベルト政権の強行姿勢を批判し、日米協調の立場を崩さなかった一方で、である。
そのようであるから米国には「二つのアメリカ」がある、と深田氏は述べる。


共和党が政権を取るか、民主党が政権を取るか。そのいずれかによって世界情勢は大きく変わる。よって今後の日本が、中国という異常な国の膨張政策に対抗していく為には、共和党と歩みを進めるしかない。もし民主党政権を支持するようなことがあれば、それは自分で自分の首を絞めることに他ならない。
一概にやれ「反米」だ、やれ「親米」だといういうが、共和党を受け入れる「親米」と、民主党を受け入れる「親米」では、全く異なる。同様に共和党批判の「反米」と民主党批判の「反米」も、全く別次元の事柄なのである。つまり「親米」、「反米」論争というものの本質がいかに無意味・無機質なものであるかを意味する。
日本は、日本の“国益”を考えて、共和党を最重要政治パートナーとして選べば良い。そして一刻も早く日本は、共和党が望むような“大人”になるべきである。今まで大人になりきれない“子供”の日本を援護してきたのが、歴代共和党政権である。それに対して歴代民主党政権は、子供を虐め抜いてきた。
それ故に、まだ子供である日本は、どちらの政党が政権を取ろうとも、アメリカに操られているかのように見え、「アメリカの犬」などと揶揄されてきたのだ。日本がこれから米国と対等なレベルで政策決定をしていくためには、日本が共和党政権の望むような大人の国にならなければならない。そのために、大人への成長を阻む国内の売国奴政治家の一掃、そして軍備拡張を施し、共和党が政権をとった米国とともに、世界をリードできる態勢を整えることこそが必要不可欠なのだ。


前述のように米中の争いに日本が巻き込まれることは必至である。その時に、現状のまま自衛隊には何の力も無く、政治家も中国に媚び諂うだけでは、日本に待ち受ける運命はただ一つ、中国の属国化、更に言えば亡国化である。日本が二十一世紀に、大国として先進国として国際社会で生き残っていくために残されている道はもはや限られている。世界のパワー・バランスを考慮しても、日米(共和党)同調しての行動こそ最重要で、共和党のブッシュが政権を担当している今こそ、最大のチャンスだ、その重要性を認識すべきである。


この憂国の熱き想いを、一人でも多くの方に伝わらんことを、私も願って止みません。日本という国を大切にしたい日本人に、是非とも一読して欲しい本であります。

2007年03月18日

2007年03月18日 春に於いて

先週でドラマ「相棒 Season 5」が終わって少し寂しく感じております。
あのドラマは脚本と役者がトップレベルで、毎回非常に安定した出来栄だと思っておりました。
杉下さんみたいな独特のカッコ良さを持ちたいものです。


先日スポーツニュースを見ていたら、アメリカメディアは松坂に対してかなりシビアな見解を呈していました。日本メディアの盲目的な大注目ぶりとは対照的な面がありますね。アメリカのマスコミ(というか欧米全般のマスコミ)が立派だと思うのは、一時的なブームや話題には冷静に対処して、長期的な視野を持って物事を判断しようとする点。日本のマスコミももう少しそういう姿勢を持つようにしてもらいたいものです。熱し易く冷め易いマスコミがどうやって正確な情報を伝達できるというんだ。おまけに意識的偏向報道、嗚呼。


早いものでもう三月も半分が過ぎてしまいました。時の流れに身を任せると、どこまでも流されてしまうような気がします。それならば無理をして抵抗するしかないのだろうか。時に逆らい、逆らい、逆らい続けた者が勝者となるのか? とりあえず、時間に流されるままに過ごす者と、時間を意識して動く者では、その結果は明らかに異なるでしょう。時間は敵なのだ。出来るだけ逆らわなければならない。じゃあ「ゆとり教育」なんてモノは最もいけないコトじゃないか。


春風に吹かれて、というより最近は春風が強すぎて困っております。吹かれ過ぎるのも良くないなー。

2007年03月17日

2007年03月17日 大相撲観戦雑記

お相撲観戦に行ってきました。
いろいろと印象的なコトはありました。いくつか書いてみようと思います。


まず会館前で入り待ちをしている時。栃東や雅山といった幕内上位陣は付き人を四人くらい従えて入ってきたのに、朝赤龍が一人で入ってきたのは面白かった。そういう位置にいるワケでもあるまいし。でも一人で会場入りってのが似合ってた。そのハマリ具合が良かった。あと豊桜は優しそうだった。


次に高見盛の時の盛り上がり具合はちょっと嫌だった。会場全体が拍手って。まぁ、良い相撲して勝ったからというのもあるんだろうけど、アレじゃあ玉乃島が可哀想だよ。玉乃島本人は平然としてたけど、内心は凄く悔しいだろうなーと思った。


それで魁皇の覇気の無さは異常だった。よく言えば落ち着いているとも言えるが、全然気合いが見受けられなかった。それが今場所の数字に出ているのかどうかは分からないけれども、大関とは思えない姿だった。
若干贔屓目もあるかもしれないけど、朝青龍、白鵬、安馬等の気合いの入り方は印象的だった。全員モンゴルじゃないか!


最後に、朝日山親方の頭はやっぱり凄い!


もっと書くことはあるんだけど、書き過ぎるのは良くない。手の内は隠すのが鉄則じゃないか。
追伸 土産物屋で千代大海の手形等を買ってきたけど、これは千代大海をあまり好いていない父親に送ってやろうと思う。大喜びしてくれるだろう。人の喜びはボクの喜び、人の失望もボクの喜び。

2007年03月14日

2007年03月14日 似非スポーツマン

最近「蒼井優」という名前をよく見ますが、私は先日までてっきり人気急上昇中のAV女優だと思っていました。
だってソレっぽい名前じゃないですか?


さて、三月は怠惰な私にも出費の嵐が到来して、非情に懐具合がよろしくございません。とか言いながら、金曜にお相撲を観戦しに行きます。難波には確か吉本の劇場があったなー。でも、私は府立体育会館に行く。フフフ、なんかスポーツマンみたいでカッコ良いじゃないか。目的地はお笑いの劇場じゃなくて体育会館だ。
金曜に、オレは府立体育会館に行く。まさに汗を流す男という感じだ。そうだ、俺は府立体育会館に行くんだ!フフフ。


表で入り待ちをして、千代大海の写真を撮る予定。シュンとしている千代大海の表情 in Photograph。i wanna see it しかも使い捨てカメラだ。そんな安物のカメラでパシャパシャやられたら堪らんだろうなぁ。しかも場所は府立体育会館だ。私は府立体育会館にいる。
あと魁皇や栃東の写真も出来れば撮りたい。現役時代の写真を撮れるのは今回が最後になるかもしれないからねぇ。場所は府立体育会館。私は褌をして行く。
朝早くから行く。ボーっと序二段の取り組みを見ているかもしれん。どうなるかは分からん。っていうか何時に府立体育会館に到着するかも分からん。まさに毎度お馴染み流浪の番組云々。


さて、それでは色々と準備することもあるので、この辺りでお暇致します。あるスポーツマンが府立体育会館に赴かんと欲す。
いつか機会があれば撮れた写真を掲載したいと思います。今はスキャナを持ってませんから、写真を取り込みようがありません。デジカメも持ってないから使い捨てカメラなの。それは精神的ニートの如し。

2007年03月11日

2007年03月11日 大相撲春場所展望07

そうして気がつけばもう大相撲春場所の季節。
例によって展望を。


まず上位陣はと申しますが、これはもう朝青龍と白鵬、そして琴奨菊のみ。
年配者はダメダメダメダメだねー。だって「5日目までに2勝できなければ、その時点で引退することを明言」するような大関がいる時点で、いったいどこに注目すれば良いのか分からないでしょ。大関の引退争いに注目ですかい?


特に琴奨菊。上位陣相手にどこまで自らの型で相撲を取れるか。それが最大の注目。状態が良ければ9勝くらい出来そうだけどなぁ。


把瑠都の休場が残念な平幕、ここでの注目は地味に戻ってきた若の里と新入幕の栃煌山、あとは若手で活きの良い稀勢の里、豊ノ島、豊真将。
それと個人的に最近気になっている鶴竜。鶴竜はもう少し巧さが欲しいなー。


十両では技術は一級品の海鵬、プラス豊響と寶智山。こちらも若い力に期待。


十両の優勝争いは相変わらず混沌としているけれども、幕内はダントツで朝青龍だろうなぁ。
もしかすると今年も年間全場所優勝してしまうんじゃなかろうか。二年前みたいな独走だけは勘弁願いたい。優勝するのは良いけど、もう少し見る側のことを考えて、それこそ八百長でもして星を調整してくれ。
朝青龍を追うのは、というより追えるのは、白鵬だけなんだからメチャクチャ頑張って欲しい。本当にそれしかないんだから。


さて、私は現在春休みということもあり、今場所はぶらっと観光気分で府立体育会館へ観戦に行こうと思う。大阪府立体育会館なんて行ったことあるわけないんだけど、駅から近そうだから迷うなんてことはない、よね? 大阪の街は怖いみたいだけど、もっと怖いのはお相撲観戦のチケット代。一万円くらい払わなきゃそれなりの場所を確保出来ないなんてね。そりゃ名古屋や福岡ではガラガラなわけだ。もうちょっと全体的に安くできないもんですか、北の湖理事長?

2007年03月09日

2007年03月09日 覚醒術

Freedom Bondage普段「ロック」というものが何であるのかなどとは考えもしないが、もしそういう問いかけがなされるのであれば、それはZeni Gevaのこのアルバム、すなわち「Freedom Bondage」において顕著に表現されているようなものであるといえよう。


これぞまさに正真正銘最高のロック、ロックンロール、ヘヴィ・ロック、パンク・ロック等々、兎に角ロックと名の付くもののお手本になるような一枚である。
しかもタイトルがやたらと素晴らしい。何しろ「Freedom Bondage」である。直訳すれば「自由束縛」
思えば世の中などほとんどが「Freedom Bondage」ではないだろうか。表面はどれだけ自由を標榜していようとも、内なる面では種々の束縛を受けている。それが社会秩序というものであれ、道徳というものであれ、信条というものであれ、全ては結局のところ「Freedom Bondage」であることを、我々はふと気付かされることがある。
Zeni Gevaは何も社会的なメッセージを発するバンドというわけではないが、その重厚で凶暴で粗野でいきり立っているかのような暴力的サウンドは、聴き手の感度を究極的に高揚させると同時に、それが醒めた瞬間に思わず“マイナス地点”へと目を向けてしまう程の冷酷さを与える。そしてその白昼夢のような覚醒感こそロックンロールがなせる最高の魔術であり、また世の中が「Freedom Bondage」でしかないことを知らしめる技に他ならないのだ。


Zeni Gevaが不世出のロックンロールを怒鳴り散らせ続けられる所以は、そのような術を駆使できるからである。

2007年03月08日

2007年03月08日 朦朧たる精神の中で

どーでもいーけど、松坂は実際に投げられなくても「ジャイロボールを投げることはできます」と言うべきだ。
アメリカ人も判断できない、できるのは松坂本人だけということになっているんだから、ココは嘘でも投げれるコトにした方が良い。それで相手がビビるなら最高じゃないか。
勝負事には時としてハッタリも必要さ。


だからといって、元従軍慰安婦を名乗る女の強制されたというハッタリは良くない。
そしてアメリカの下院は気狂いか。
ここは安倍さんを筆頭に、日本側は断固とした態度を取るべきだ。ここでアッサリと謝罪してしまうようなのは売国奴同然である。
というか連中はいつまで謝罪と賠償を要求するつもりだ、気狂いども。そもそも1965年の日韓基本条約で両国は戦後補償について あああああーーー もう書くのも面倒だ。書く必要も無いか。気になればGoogleでどうぞ。
謝罪謝罪謝罪謝罪、謝罪治太宰治謝罪治 ん?どっちが正しかったかな? 混乱して分からなくなった。まるでアノ元慰安婦を名乗る女のように混乱してしまった。こりゃもう死ぬまで治らんかもしれんな。

2007年03月06日

2007年03月06日 血出過ぎ

「ギャグマンガ日和」8巻三月初頭にして早くも春の陽気ポカポカ、つい笑みも溢れる今は実にギャグ漫画を読むのが相応しい絶好のギャグ漫画日和。そして「ギャグマンガ日和(8)」
これこそ年に一度のお楽しみである。


この8巻は夢野カケラの活躍ぶりが際立って凄い。だって1ページの最終回ですよ〜。
また芭蕉と曾良が過去最高に面白い。
あと、やっぱり細かい所に仕掛けが多いのが良いわ。何度か見直して気付くものが結構ある。こういう随所に隠された遊び心は魅力的だなぁ。
んで出血量が多過ぎ。最低でも2ページに1回は誰かが血を出したり血を吐いたりしているじゃないか。


それで8巻から個人的なお気に入りを一つ挙げるならば、第142幕の「マンガ専門学校伝説 ハリケーン準」
いったい何をやっとるんじゃ、というムチャクチャな内容が最高。


今回のは今まで以上に何度か読み返すことで面白くなってくるものが多い、気がした。所謂“スルメ”。


相変わらずの台詞やキャラの動きの妙は他の追随を許さない独特で圧倒的な雰囲気であり、間違いなく現時点で最高ランクのギャグ漫画だと思うのだが、いやはや月ジャン休刊とともにこの漫画を打ち切りにしようなどという編集部の方針は、やはり正気の沙汰ではない。


願わくば来年の春にも「ギャグマンガ日和」の続刊が出ますように。

2007年03月05日

2007年03月05日 まだ土壌はあるか?

SIX最近「UKロック」という言葉が何となく陳腐に思えてならないのであるが、それならば「ブリットポップ」などという言葉はもう腐った魚みたいに悪臭を放つ迷惑千万な存在であっても不思議ではなく、現に腐った魚のような認識がやっとなのである。
Radiohead、oasis、blur、Travis、The Charlatans、Supergrass、Ashといったブリットポップの代表格バンドは今でも確固たる地位を築いて健在だが、その一方でブームが去るとともに姿を消したバンドも多い。例えばThe Verveであったり、Suedeであったり、Gay Dadであったり、Elasticaというバンドは既に解散していたり活動停止状態にある。そして今回取り上げるMansunも4年前に解散したブリットポップバンドだ。


Mansunはズバリこの「Six」以外に取り立てて言うべきことのないバンドである。ブームに乗って登場し、そのブームが去った後にこの一大傑作アルバムを世に出したというだけである。
Radioheadが「OK Computer」を、blurが「blur」を出し、ブリットポップなどというつまらないモノから完全に訣別したように、Mansunも意識的に、かどうかは分からないが、そこから離れた音楽を奏でた。それはあまり知られていないし、これからも知られないだろうし、多分あまり知る必要も無い。ただこの「Six」というアルバムが傑作だというコトを知れば良いのである。


本作はおそらくPink Floydの「The Dark Side Of The Moon(狂気)」やMagmaの「Mekanïk Destruktïw Kommandöh」やCANの「Tago Mago」といったプログレの諸作品と同系列のモノであると見た方が良い。
ぶっ飛んだ曲展開と多様な音楽的要素の集合、アルバム一枚を通して一つの世界が完結するその壮大さ、終始続く変態的なバンドのテンション、そして実に巧みな音の繋げ方、一曲の中でも複数の音を見事に繋ぎ合わせるその手腕には驚かざるを得ない。
とてもあのブリットポップの流れに乗って出てきたとは思えない異端のバンドである。彼らは異端であるが故に今日まであまり認識されていないのかどうかは知らないが、兎に角このアルバムに関する限りでは70年代のプログレバンドが90年代に衣替えをして登場してきたかのようである。何と言っても全編に渡るその奇妙さ不可解さが数々のプログレバンドを彷彿とさせている。


しかし残念なのは、このテンションがこれっきりで終わってしまったこと。
Mausunはこのアルバムによって完全に骨抜きにされてしまったかのようである。彼らにとってこの「Six」という一大傑作の代償はあまりに大きなものであったのだろうか。それとも、もしかすると、もう現在では70年代のようにこうしたアルバムを立て続けに世に出せる土壌が失われているのかもしれない。
これがプログレという音楽の最後の足掻きなのか、Mansunという異端バンドの臨界点を突破した究極の状態なのかは判然としないか、いずれにしても聴く者を惹き付け悩まし掻き立て打ちのめすアルバムであることに疑いは無い。
90年代ロックミュージックの遺産の一つであると思う。

2007年03月03日

2007年03月03日 道鏡の仕業?

「宇佐八幡宮神託事件」


今日、何故かこの言葉が突然頭の中を駆け巡り、以来ずっと離れないので困っている。
不思議なものである。道鏡が乗り移ったのかしらん。それとも和気清麻呂か?
歴史が好きな私だが、正直なところ古代史には何の興味も無い。
興味があるのは江戸時代から昭和前史であり、とりわけ大正〜昭和前期にかけての歴史が大好きなのである。江戸時代は、町人文化・庶民の生活に関して若干の興味を有するだけで、幕府の機構や政治については、これまたほとんど関心が無い。


そこにどういうわけか「宇佐八幡宮神託事件」だ。
ぶっちゃけこの事件の概要なんて教科書レベルのことしか知らないのに。
変な名前の事件だから思い浮かんだのかしら、それとも称徳天皇から何らかのメッセージでも託されつつあるのかしら。なんと畏れ多い。
しかも今日は雛祭りだ。俺に雛人形を飾れってか?

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