« 2007年01月 | もどる | 2007年03月 »

2007年02月27日

2007年02月27日 川の流れ着く先には

旧日本軍将校ら、吉田首相暗殺を計画…CIA文書


旧日本軍の参謀本部作戦課長を務め、戦後は連合国軍総司令部(GHQ)の秘密工作に関与した服部卓四郎氏らが1952年7月、当時の吉田茂首相の暗殺を企てていたとする報告が解禁された米中央情報局(CIA)の文書から見つかった。


 同年10月31日付のCIA文書によると、服部氏ら旧日本軍将校を中心とする6人のグループは、吉田首相が公職から追放された者や国家主義者に敵対的だとして不満を募らせ、暗殺によって首相を鳩山一郎氏にすげ替える計画を立てた。


 しかし、戦時中からの盟友で、グループの表向きの代表になっていた元陸軍参謀の辻政信氏が「クーデターを起こす時ではない」「敵は保守の吉田ではなく、社会党だ」と説得し、思いとどまらせたという。


服部さん、辻さんがこんなトコロにも出てきたねー。ノモンハン、マレー作戦、ガダルカナルときて、今度は戦後ですか。彼らならまだあと2つ3つはネタを提供してくれるかもしれません。
でも、辻が窘めるとは・・・立ち位置が逆転してるがな。


記事中の「服部氏ら旧日本軍将校を中心とする6人のグループ」というのは、所謂“服部機関”で『大東亜戦争全史』の執筆に関与した連中のことだろうか? それならば杉田一次や原四郎、井本熊男などの名前が浮かんでくるが、如何せん服部機関そのものの内実が明瞭ではないので、今名前を挙げた人々がこの件に関係しているという確証はない(というか、この計画そのものが怪しいけど)。
また当時の服部自体が、実はGHQ参謀第二部(G2)のウイロビー少将の“手下”のような状態にあって動き回っていた。そのウイロビーはGHQにあって日本の再軍備化を強く主張していた勢力の中心的人物(反共←重要なポイント)。
ウイロビーは日本の再軍備の第一段として、服部を長官とする“警察予備隊”の組織を計画し、これに服部機関にいたと思われる人物が呼応して動こうとしたが、ウイロビーと敵対関係にあったGHQ民政局局長(GS)のホイットニーを中心とする勢力(日本の再軍備化に消極的・容共←重要なポイント)が猛反発したといわれている。そして当時首相だった吉田茂も、旧日本軍の上層部にいた連中を徹底的に嫌っており、服部を長官とする再軍備化には反対の立場をとった。そこでGSと吉田は共に、G2のウイロビーや服部と同調する者たちの行動をマッカーサーに訴えたのであるが、これを受けてGHQはウイロビーの示した警察予備隊の構想を認めず、服部たちが警察予備隊と関わることを許さなかったのである。つまりGHQは、大東亜戦争において参謀本部などで力を振るった旧陸軍将校たちの軍組織への再介入をはっきりと斥けたといえる。


吉田茂暗殺計画なるものが出てきた背景として、このような流れを思い浮かべることが、一応はできる。が、それならばこの事件の黒幕として、自身の描いた日本再軍備化計画をGSと吉田側に挫かれたG2のウイロビーという無視することのできない存在が浮かび上がってくるようにも思われる。
まー、しかし、このCIA文章自体の信憑度に相当大きな疑問符が付きますけれども。
ただ、歴史を振り返ってみても、服部・辻という二人ほどお騒がせなヒト達はそうそういるものではない。だからといってこれからの時代がこのお笑いコンビみたいな連中に振り回されてはダメですよ。彼らの無能・無謀ぶりについてはもう歴史家の手に託すべき時が訪れており、今更熱を上げてあれやこれや言い立てても、イタズラに焦点を暈すだけで詮無いことです。


時間は冷酷に流れ去る。其処に身を置いた者はいずれ押し流される運命ならば、何をか言わん。
小さな源泉が下流へと向かって流れ出して行く過程で、幾多の支流を生み、それらが大きな川へと成長を遂げ、最終的には様々な場所の海に通ずるように、時間の川も、流れ行く中で膨大な支流を持ち、それぞれの川がそれぞれの海へと向かっている。
服部卓四郎・辻政信という二つの川も、今では各々の先にある大海へとなだれ込もうとしているではないか。
もし河口を前にして流れが止まるようなことがあれば、整備することの出来る者が海へと繋げてやれば良いし、川を巡る環境が悪化すれば人々が力を合わせて改善してやれば良い。そうしてそれぞれの川は、“歴史”という大きな海と一つになっていくのだ。それは様々な面で私たちにとっての一大基盤となるものである。

2007年02月25日

2007年02月25日 ごわし・ごわせ・ごわす・ごわさせ

そろそろ花粉症の時期でごわす。
なんて言っても、おいどんは花粉症でないので、何の関係もないでごわすごわす。そもそもおいどんの親戚連中で花粉症を患っている者なんていないでごわすってるので、もしかすると家系的に花粉症とは無縁なごわすかもしれないでごわす。
花粉症っていったいどんな感じになるのか知りたいもんでごわすたい。くしゃみとか鼻水とか涙が人間水道の如く出るのでごわすか?ごわすんか?
然らば自慰を覚えた中学生よりティッシュを消費するにあらずや。


ミツバチはいつも花粉まみれなのに、何故に花粉症に罹らないのでごわしょう?スギ花粉ではないからでごわすか?
おいどんも花粉症というものを一日、いや半日くらいで良いから体験してみたいものでごわす。しかし、アレは一回罹るとその後もずっとなりっ放しだというので、それは困るでごわす。
春が怖くなるのは嫌でごわす。今年の春も愛犬ツンと元気にお外を走り回りたいでごわす。


今、ちょっとホロ酔い気分でごわそう。今晩ほどいい加減な気持ちで文章を書く日は、年間にわずか30回くらいしか無いでごわすんば、ごわす。
西郷どんは不便な話し方をしていたもんだと、つくづく思うのでごわした。

2007年02月22日

2007年02月22日 不運な日

今から何か書こうと思ったのですが、突然鼻血が出てきたので止めることにしました。


2年ぶりくらいに出た。突然だら〜と出てきたらビックリしますね。鼻水かと思ったら赤いし。

2007年02月21日

2007年02月21日 日本男児!

ブリトニー、泣きながらスキンヘッドに


私はスキンヘッドの経験はありませんが、高校生の時に坊主にしたことがあります。
というのは、私の通っていた学校が気狂いみたいに頭髪検査に力を入れており、例えばもみあげが少しでも伸びていたり、後ろが長かったりすると「明日迄に切ってこい」と言いまくられて、短気な私はノイローゼになるくらい気を遣ったり憤慨したりすることが少なくなかったからです。
「この程度でも駄目なのかよ!それじゃあ坊主にすれば誰にも文句を言われることはないだろうな!」と思って、バリカンでやりました。
あと、髪の毛がある程度長ければ寝癖がついたり、変なカタチになったりすることがあって、そういうことを気にする自分が嫌だったという理由もあります。要は、ハゲてもないのに髪の毛を気にしたくはなかったから、坊主にしたのです。


坊主は本当に素晴らしい。

その利点は・・・


  1. 頭を洗う時間が極端に短くなる。

  2. 濡れてもすぐに乾く。

  3. 髪型を気にする必要がない。

  4. 気分的にちょっとマジメになれる。

  5. バリカンさえあれば自分で刈れるからカット代不要。

  6. 髪の中に虫が入らない。

  7. 異性からの注目なんか糞くらえだ、となる。

  8. 男から漢に近付いた気になる。


欠点は・・・


  1. 冬場は頭がスースーする。

  2. 汗が一直線に流れ落ちてくる。

  3. 中途半端に伸びるとダサい。かなりの頻度で刈らなければいけない。

  4. 坊主で始めて登校した時、必ず笑われる。


と、まぁ利点・欠点それぞれありますが、私は坊主にして良かったと思っています。
残念ながら今は坊主ではありませんが…
どうも坊さん以外の大人の坊主は、一般的にあまり印象が良くないというので、やむを得ず伸ばしております。坊主が好印象だというのなら、ずーーーーーっと坊主でいるんですけども。
その分、髪の毛を切るときは毎回相当短く切ります。短く切って3ヶ月半から4ヶ月くらい放置して、大分長くなったなぁと思うと、一気に短く切る、この繰り返しです。本当に髪型に無頓着でスイマセン。行きつけの散髪屋とか美容室もありません。ただ美容室で切ることの方が多いのは事実です。なぜなら近所にある散髪屋と美容室では、尽く美容室の方がカット代が安いのと、毛剃りがないから。毛剃りが無いとそれだけ時間が短縮されます。散髪屋に行くと約一時間くらい“拘束”されますが、美容室だと45分くらいで終わるからねー。勿論カットだけの話。


日本男児なら坊主、坊主こそ男の生きる道。もっと坊主が認められても良いだろうに。坊主を懐かしむ男、青春の髪型、坊主とともに在りたいと願う軟弱男児。

2007年02月16日

2007年02月16日 ミックスジュース

Neo Yankee's Holiday春の訪れも差し迫った如月半ば、私は既に春と対面したかのように穏やかな気分で、定期的に迎えるFishmansブームの真っ只中にあります。
何故にFishmansの曲は古くならないのでしょうか。
「Pet Sounds」がいつ聴いても至福のアルバムであるように、Fishmansもそれ自体がいつ聴いても寂寥感漂いながらも、温かみを包容した新鮮な存在であり、而して彼らの中からは溢れんばかりの至福が垣間見えるのです。
此処で私が彼らのサードアルバム「Neo Yankee's Holiday」を邦楽版「Pet Sounds」と申しても宜しいでしょうか。


記憶は時とともに薄れゆくものですが、究極大切なものだけが遺れば良いんです。Fishmansを聴きながら思うこと、思い出す風景はいつも同じです。おそらく自分で気付かない裡、忘却してしまった裡では、他にも無数の事柄が流れ飛んでいるのでしょうが、余分なものは時間がどこかに運んで行ってくれるということです。斯くして思い浮かべるイメージは、自ずと一定のものに帰着するのです。それは過去の繊細な記憶、換言すれば他人には取るに足らない出来事。斯様なものでも何処かでFishmansの音楽と結びついて、今に至るのであります。
想像力がもたらしたものというより、直感的に繋がり得たものなのです。
何かを認識して、それが全く別のものとリンクする瞬間ほど愉快なものはありません。


例えば此の度例に挙げました「Neo Yankee's Holiday」、これほど関係のないものと繋がり合おうとするアルバムは、滅多に御座いません。
つまらない記憶でも、素晴らしいアイテムと重なり合うことによって、至福の瞬間へと変貌することはあるのです。
而して「Pet Sounds」而して「Neo Yankee's Holiday」而して・・・
置き去りにされた日々の再利用。石と真珠に与する歯車。


一つの出会いが出鱈目で退屈な過去に輝きを呉れることもあるでしょう。

2007年02月13日

2007年02月13日 夢物語を夢見る

世界平和なんてモノは夢物語なんですよ。
現に今の日本をご覧なさい。
ロシア・中国は日本に対していつでも核を発射できる態勢をとっているワケです。おまけに北朝鮮にまで核武装されてしまったようです。
そして、例の「持たず、作らず、持ち込ませず」の三原則は、もはや破綻しております。残念ながら。


そのようなワケですから、要は、核なんてのは持ったモノ勝ちなわけです。
いつまでも無効化された原則に束縛されてる場合ではない。
そもそも膨大な核を所有しているアメリカが、北朝鮮の核保有は認めないなどということ自体、オカシナ話なんです。自国の安全を守る為に、また外交手段として、核を持つという発想が出てきても不思議ではありません。核保有イコール戦争、憲法9条改正イコール軍国主義などというのは笑止千万。


世界平和を望むのなら、全ての国が核を持てば良い。
それは言い過ぎですか。
しかしそれくらいの“気”が無いと平和なんてモノは訪れない、つまり結局のトコロ夢物語というわけです。


中国・ロシアという核よりも危険で大きな敵を前にして、丸腰も同然で世界平和を希求するとは、のび太がドラえもんの道具なしでジャイアンと戦うといったようなコトでして、やはり全ては持ったモノ勝ち、持つべきは持つという結果に落ち着くワケですよ。いわんや日本のような小さな国においてをや、です。日本がナニナニを持ってはいけない理由など、周辺の状況を概観してみても、どこにも御座いません。
なんかそういう夢物語についてのオハナシ。

2007年02月12日

2007年02月12日 目標:滞在五十ヶ年以上

暇を見つけて当サイトのデザインその他を改めようかと思いましたが、HTMLをかなり強引なカタチでコーディングしており、またCSSも不可解な程グチャグチャになっているのを見て、即座に断念しました。


何の計画性もなく、ただただ作れば良い、という行動第一主義が思いっきり裏目に出ました。
モノを制作する時は、やはり計画第一です。行動は十分な計画が出来上がってからでも宜しい。


このサイトのリデザインを行うことは、実に無駄な労力と果てしない時間を要すと思いましたので、もう何も変えません。変える時はサイト構造そのものを変えます。


変わらないというのは大事なのです。


大滝詠一さんのHPだって、もうずーーーと変わってないじゃありませんか。
残しておくことにも意義はあるんです。それこそ遺跡のように。


ってことで、当サイトは表面的な変化を捨てることを、此処に宣言致します。
外見は変わらなくとも、中身が変わって行けば良いんです。外見がどれだけブサイクでも、中身が良ければもこみちと結婚することだって出来るんです。多分。保証は全くできませんが。ところで‘ENDLICHERI☆ENDLICHERI’ってなんで‘つのだ☆ひろ’みたいに真ん中に「☆」が付いてて、しかも「エンドリケリー・エンドリケリー」って二回繰り返してるんだろう?「エンドリケリー」でイイだろうに。

2007年02月10日

2007年02月10日 題のある無題

最近眠くて困る。
早くも「春眠暁を覚えず」状態。
でも早起きを心掛けている修行僧みたいな毎日。

2007年02月08日

2007年02月08日 現代の中の歴史

インターネットで古書を買うというのは、今日では当たり前のようになされていることである。しかし20〜30年前に出版された後、現在では絶版となっている本を、ネット上の古書店で容易に購入できることには、やはり違和感を感じる。


そういうわけで先日、種村佐孝著『大本営機密日誌』と宇垣纏著『戦藻録』を購入したのである。これら大東亜戦争を知るための第一級資料が、実にあっさりとネットで買えることに、時代の流れを感じるではないか。ということを言いたかったワケだ。


さて宇垣さんの『戦藻録』であるが、これは「超」が付くほど重要な資料(史料)だということを、今、まさに読みながら実感している。相当な分量である故、まだ3分の1くらいまでしか目を通せていないが、連合艦隊司令部の様子や、各司令官・参謀の間で交わされたやり取り、戦時中特有の情報の交錯ぶり等が鮮明に描かれていて、興味をそそる部分が多い。
当然、彼の日記で全てが明らかになるわけではないが、当時の様子を思い描く時に大いなる参考となることは確かである。
若干、他者の言動に対しては辛辣に自らの言動に対しては寛容に、という部分が見受けられるが、まぁ、それはやむを得まい。重要なのは、そこからどれだけ知ることができるかだ。宇垣さんの性格如何よりも、大東亜戦争時における(海軍を中心とした)指揮官連中の言動を窺うことができる点で、『戦藻録』は実に重要な資料である。よくもこれだけ膨大な量の日記を書き残してくれたと言う他ない。これで黒島龜人にイタズラをされていなければ、より良かったんだけどなぁ。


黒島さんの名前を出してしまったから、ついでに言うが、彼はなかなか厄介な人物であったようだ。その活躍ぶりは良くも悪くも、歴史的に実に大きな意味を持っている。
例えば、森本忠夫著『特攻』(光人社 平成十七年)には


黒島は、四四年八月六日に開かれた戦備考査部会議の席上、黒島一流の「突飛意表ノ方策」を提案していた。しかし、この時の黒島の「意表の方策」と言われるものは、必死必殺の戦法としての「戦闘機による衝突撃」、つまり、後日の航空特攻に他ならなかった。黒島こそが、特攻提唱の張本人であり、イニシエイターだったと言うことだ。(一一七頁)


などと書かれているが、この辺りの事情はどれだけ知られているのだろう。


どうだろう、彼の参謀としての能力は。
例えば作案者という観点から見てみると、石原莞爾のような巨視的な視野を持った天才策略家のような人物とは比べ物にならないくらい劣るかもしれない。しかし彼が戦術家として注目すべき点のあったことは疑い得ないだろう。陸軍には天才戦略家の石原莞爾がいて、海軍には秀才戦術家の黒島龜人がいた、ともいえる。黒島さんは戦略家ではなく戦術家だと思うが、陸軍に彼のようなユニークな戦術家はいなかったのではないか。にも関わらず、戦後において彼の存在はいささか軽視されてきた感がある。
黒島さんはその実績に比して、不幸にも歴史の中にハッキリと位置付けられていないのではなかろうか。
黒島龜人という時代の落とし物を、その功罪を、現代人は拾うことが出来ないでいる。それは言い過ぎだろうか。その答えが出るまでには、もう少し時間が必要なのかもしれない。

2007年02月04日

2007年02月04日 ガチで、ガチで消える。

相撲協会、週刊誌を告訴へ 「八百長疑惑」報道に対し


事情聴取をしたのが相撲協会というのが何とも・・・
こういうのは外部の者が調べなきゃならんだろうに。
相撲協会が調査して、「スイマセン、八百長でした」とは言えないだろう。


そういえば数年前に、大相撲の八百長疑惑を追いかけていた記者が、突然行方不明になったという噂があったなぁ。
今回の記事を書いたヒトは大丈夫だろうか。一年くらい経って、どこに行ったか分からなくなった、などということが起こらないように祈っております。


裏ではガチなのが相撲協会かもしれませんし。

« 2007年01月 | もどる | 2007年03月 »