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2007年02月16日 ミックスジュース

Neo Yankee's Holiday春の訪れも差し迫った如月半ば、私は既に春と対面したかのように穏やかな気分で、定期的に迎えるFishmansブームの真っ只中にあります。
何故にFishmansの曲は古くならないのでしょうか。
「Pet Sounds」がいつ聴いても至福のアルバムであるように、Fishmansもそれ自体がいつ聴いても寂寥感漂いながらも、温かみを包容した新鮮な存在であり、而して彼らの中からは溢れんばかりの至福が垣間見えるのです。
此処で私が彼らのサードアルバム「Neo Yankee's Holiday」を邦楽版「Pet Sounds」と申しても宜しいでしょうか。


記憶は時とともに薄れゆくものですが、究極大切なものだけが遺れば良いんです。Fishmansを聴きながら思うこと、思い出す風景はいつも同じです。おそらく自分で気付かない裡、忘却してしまった裡では、他にも無数の事柄が流れ飛んでいるのでしょうが、余分なものは時間がどこかに運んで行ってくれるということです。斯くして思い浮かべるイメージは、自ずと一定のものに帰着するのです。それは過去の繊細な記憶、換言すれば他人には取るに足らない出来事。斯様なものでも何処かでFishmansの音楽と結びついて、今に至るのであります。
想像力がもたらしたものというより、直感的に繋がり得たものなのです。
何かを認識して、それが全く別のものとリンクする瞬間ほど愉快なものはありません。


例えば此の度例に挙げました「Neo Yankee's Holiday」、これほど関係のないものと繋がり合おうとするアルバムは、滅多に御座いません。
つまらない記憶でも、素晴らしいアイテムと重なり合うことによって、至福の瞬間へと変貌することはあるのです。
而して「Pet Sounds」而して「Neo Yankee's Holiday」而して・・・
置き去りにされた日々の再利用。石と真珠に与する歯車。


一つの出会いが出鱈目で退屈な過去に輝きを呉れることもあるでしょう。

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