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2007年01月30日

2007年01月30日 我が祈り

Windows Vistaが発売された旨、「とくダネ」にて知りました。
並んでたなー、秋葉原。


閑話休題。
昨日、JOJO広重氏のblogを発見して、不図ニヤついてしまった。
またあのヒトの奇妙な日記が読めるのかと思うと、実に欣喜雀躍たる思いを抱かずにはおれない。
さっそくPSFの生悦住氏のことを皮肉っぽく書いていて、JOJO広重健在を思わせる。
長期継続を願う次第であります。


参考リンク
JOJO広重 BLOG

2007年01月29日

2007年01月29日 無機質な7665

今日はどうやら私の誕生日であるらしい。
となると…私は・・早生まれだ。
今日で22歳か!?
22年といえば・・・長い。
歴史の上では短いが、日常生活の上では長い。
昨日で21年を終えたことになる。
今日から22年目がスタート。
その割りには軽い人生だ。
365×21=7655
7655日とはスゴい。
どれだけスゴいかといえば、プリンの賞味期限が10日だとして、7655日はその765.5倍だ。
プリンの賞味期限の765倍(四捨五入すれば766倍)の期間を過ごしてきたことになる。
そのくせプリン一個分の感動すら与えられない私はクズだ。
プリン一個でどれだけ感動すると思う?プリンは激ウマですぜぇ〜


自分から自分への誕生日プレゼントとして、トップページに、映画「南京の真実(仮題)」への支持を表明させて貰った。
さすがに近年の日本では、30万人などという気狂(きぐる)いのような数字を出す者は雲散霧消した観があるが、困ったチャンの近隣の方々は、未だに途方も無い数を持ち出してきて、熱心なプロパガンダを展開しておられる。この「南京の真実(仮題)」がどんな風になるかは分からないが、日本からの明確な回答として、困った彼らに向けられて欲しいものである。
決して自慰的・自虐的でなく、また過大な表現でもなく、ありのままに南京事件を伝えたもの、それが現在までどのくらいあっただろうか。
確実な歴史資料に基づいて、真実の南京事件を構築するとともに、困ったチャンを黙らすような立派な映画を制作してもらいたいものです。


それにしても、今年の誕生日も、寒い。

2007年01月27日

2007年01月27日 ホモか!

今年の目標は「いかなる日であっても午前9時までには起床する」ですが、今のトコロ遵守できております。
しかし「9時」というのがミソだね。それ以上に早い時間帯だと、もうどこかで挫折している。特に日曜とかで。


そう考えれば、めざましテレビの大塚さんは凄いなぁ。
でも、彼の場合、もう何年も朝の仕事をやってるから、遅く起きれなくなってるんじゃなかろうか。休日も6時半くらいには起きて、「ああ〜今日は遅いなぁ」などと思ってたりして。


…いや、私は、大塚さんのプライベートが気になっているわけではありませんよ。け、決して気にはなりませんよ。ウヘヘヘ。

2007年01月24日

2007年01月24日 誰が認めるか!

八百長疑惑で朝青龍ら事情聴取へ 協会監察委


同委員長によると、対象は、朝青龍本人と師匠の高砂親方(元大関・朝潮)、昨年九州場所の朝青龍の全勝優勝の際に八百長に絡んだとされた11人、さらに敗退行為の仲介をしたとされた幕下力士1人の計14人。24日までに関脇以下の力士と、高砂親方の聴取を終えたが、全員が疑惑を全面否定しているという。


そりゃ否定するだろぉ〜。
どこに現役バリバリながら八百長を認める阿呆がいるんだ。


まー、アレだ。こういう競技には八百長疑惑が付きまとって当然。
もしかしたら桜庭と秋山の一戦も八百長かもしれんじゃないか。後日に「因縁」とか「疑惑を晴らす」とかいう煽り文句を用いて再戦を盛り上げるための伏線としてね。


私は、格闘技的なモノは八百長もガチンコも混ぜ合わせて楽しむべきだと思っているから、こういう事件はあまり気にならないけど、日本相撲協会監察委員会なるものが存在していたことは気になった。
もの凄く怖そうな威圧感のある組織じゃないか。
でも委員長が友綱だからなー、そうでもないか。
そうでもないな。
そうでもない。

2007年01月22日

2007年01月22日 過去との交叉点

宙の淵fra-foaの1st「宙の淵」


非常に思い出深い一枚である。fra-foaは高校時代、かなり思い入れのあったバンドだ。


所謂「青春」時代などというものは、いかにも青臭くて、感傷的で、陰鬱で不安定なのに、そのくせ妙な期待や淡い幻想を抱いているものである。
私にもそのような時期はあったのかと顧みても、どうも思い当たるフシがない。というのも、私の高校生時代はダシを取り忘れたみそ汁のようなモノで、実に味気ないものだったからだ。何かに夢中になる純粋さや青臭さも無ければ、感傷的にさせられるような出来事もなかった。言ってみれば、欠伸ばかりの平凡であった。
しかし、確かに自らの置かれている状況については自覚的だった。それ故に、自分自身のありきたりな日常を怨嗟することもあった。だが、それも「自業自得」という簡素な一言で我が身へと跳ね返ってきたに過ぎない。当然の帰結である。


そしてfra-foa。
彼らは、というより三上ちさ子(ちさこ)は、生と死を逃げることなく捉え、今の自分の位置を確認する強さと、生きる意味を只管に自身に納得させようとする強烈な意志に満ちていた。聴き手を飲み込まんばかりのその圧倒的なエネルギーに、私は自分に全く欠けているものを見た。外見などかなぐり捨てて、一直線に苦痛を吐露するそのスタイルに、ただならぬものを感じ取った。
それはある意味で、私が思い描いたような「青春」の一断面に違いなかった。
だからと言って、典型的な幼さみたいなものを感じられない所が、fra-foaの最大の魅力であった。


fra-foaは結局、アルバム2枚を出しただけで解散してしまったが、私はこのアルバムがあるだけでも良いと思っている。
音楽的には次の「13 leaves」の方が安定感があるのだろうけど、そこからは伝わってくる印象が限られているような気がしてならない。
対して、この「宙の淵」は、三上ちさ子の思いが全てぶつけられたようで、いつ聴いても胸が動く。そして、ダシのないみそ汁に浸っていた頃の感触も蘇ってくるようで、どことなく変な気持ちになる。それは決して心地良いものではない。だからこそ、私はその“変な気持ち”と完全に訣別できる日まで、このアルバムを大切にし続けていかなければならないのだろう。ずっとそういう気がしてならないのである。

2007年01月21日

2007年01月21日 大相撲初場所感想

大相撲初場所の感想。


まずは朝青龍。20回目ですよ。場所前は決して万全ではないと思って、優勝争いは混戦になるだろうと予想したんですが、やはり底力というのか、一番一番の間に自らの調子を上げて行くその能力、改めて感服致しました。この調子だと、順調にいけば、今年中にあと3回は優勝するだろうなぁ。貴乃花の優勝回数は間違いなく抜くでしょう。


以下、上位陣について。と言っても、白鵬の復調を期待するだけで、あとはもう省略しても良い。大関、関脇、彼らについては特に感想もありません。いつも通りでしたね。強いて言えば、千代大海の立ち合い、かな。良くも悪くも大関陣の中では良かった。立ち合いだけは。動きが止められれば、例によってそれまでだけど。


その他の幕内力士では、豊ノ島の活躍は言うまでもないけど、他に印象的だったのは安馬と嘉風。
まず安馬は、何と言うのか、バランスの良い理想的な相撲が取れていたなぁ。変化した時もあったけど、がむしゃらに当たっていく相撲は見ていて楽しかったです、ハイ。
同様に嘉風も。彼は良い時と悪い時がハッキリしているけど、良い時は出足が素晴らしく、一気に前に出られていたのが印象的だった。


逆に露鵬や出島、栃乃花辺りは「どうしたんだろう」と思う相撲が多くて、不安が多い場所でした。


十両では、場所前から注目していた新十両の豊響がまさかの優勝。ただ、内容がイマイチだったねぇ。来場所もう一度、という感じで。
あとは何と言っても栃煌山と寶智山、相撲の巧い海鵬などが面白かった。彼らには来場所も期待。非常に期待。一方で若ノ鵬は残念でした。


さて、来場所は・・・
やはり横綱の独走を誰が止められるか、というか白鵬の活躍ぶり。
稀勢の里や琴奨菊、豊真将、豊ノ島といった若手の活躍。
それだけ。
十両でも、同じように若手の台頭に期待。


最後に、今場所のMVPは、凄く深い相撲話を展開してくれたデーモン小暮閣下と岩佐アナウンサーに。

2007年01月18日

2007年01月18日 ある断面

一下級将校の見た帝国陸軍山本七平著『一下級将校の見た帝国陸軍』


書名の通り下級将校という立場から帝国陸軍の実相を伝えた本。
本書中の中で幾度となく指摘されているのは、いかに帝国陸軍という組織が制度的に矛盾に満ち、虚構に支配されていたかということ。
そこは気魄に溢れ、攻撃精神旺盛な者が支配する世界で、真っ当な「言葉」による秩序は実質的に存在しなかったのだという。当然、合理的な判断や指導ができる体制ではなかった。更には制度上の最高責任者が、実は骨抜きにされた状態にあり、それに代わって支配権を握ったのは、例えば辻政信のような「言って言って言いまくるという形の“気魄誇示”の演技屋」であったとする。
“気魄誇示”を忘れない参謀クラスは、ついに最後まで精神主義というものから脱却することのできなかった帝国陸軍においては、いつしか上官の信頼を無条件で勝ち得ていた。そして彼らの気魄が上からの統制を超える域にまで達した時、「実力者参謀が本当の『発令者』で司令官はその命令文の『代読者』にすぎぬ」という事態に陥ったのである。それは「指揮官が参謀の方に心理的に依存し切ってしまう『上依存下』」という状態、つまり「帝国陸軍とは『下克上の世界』だったとよく言われるが、われわれ内部のものが見ていると、『下が上を克する』というより、『上が下に依存』する世界」であったと一下級将校であった著者をして語らしめるまでに至っていたのである。


本書のおいて端的に指摘される帝国陸軍という組織の欠陥、これらは著者の思想として語られたものというより、むしろ現場に身を置いた当事者としての視点、ありのままの描写である。氏が指摘する数々の帝国陸軍の虚構は、現実にあった事柄を汲み取って書かれている分、明確だ。
昨今、やたらと目にする「ウヨク」や「サヨク」という視点を超えた所にある、歴史の正直な一面。


山本氏の数々の証言は、次代の者が克服せねばならぬものは依然として眼前に横たわっていることを告げる警鐘としての役目も負っているであろう。
歴史を歴史として終わらせるのではなく、次代の者がそれを更に次の世代へと、最も相応しい形に変換して受け継いでいくことが重要なのである。氏が遺した記録は、その一助となるべきものに他ならない。学ばなければならないことが、明確な形で記されている一冊である。

2007年01月16日

2007年01月16日 ミルクティーが好き。

最近ウッチャンナンチャンの番組が無くなったような気がして、調べてみたら、本当に無くなっていた。どちらかが、所謂ピンで出ている番組ばっかりで、コンビとしてのレギュラー番組は、現在0ということらしい。
いったいどうしたことだろう。もう15年から20年くらい、ずっとコンビでレギュラーを持ち続けていたのに。
ココにきて需要がなくなったというわけでもなかろうに。飽きられるならもっと早い段階でそうなってただろう。
…まぁ、個人的にはそれほど大きな問題ではないけど。


琴奨菊が地味だ。
最近急成長を遂げてきて、最注目といっても良いくらいの実力者なんだけど、いかんせんキャラが地味である。でも笑顔が爽やかだから、人気はどんどん上昇していくだろう。
しかし、琴奨菊の相撲は好きだ。若手の中では、白鵬や稀勢の里より魅力的な相撲を取ると感じている。あとは上位と対戦しても安定した成績を残せるようになれば文句なし。大丈夫、そのうち横綱にも勝てるようになる、と思うよ。
彼はがぶりが注目されているけど、それ意外でも良い相撲をする時があるので、頑張ってもらいたい。


なんか眠いからもう良い。惰性、惰性、惰性。それで良いのか、ダセーな。

2007年01月12日

2007年01月12日 スタート→ゴールゲーム

糞暇な時にはwikipediaで「スタート→ゴールゲーム」をやる。これは私が創作したくだらない遊び。


やり方は、まずスタートとなる語句を決める。例として、とりあえず目の前にテレビのリモコンがあったから「リモコン」を選定。それじゃあwikipediaの「リモコン」のページに行く。
次にゴールとなる語句を選定。これも適当に、今、鳩が飛んでいるのを見たから「鳩」にしておこう。


さて、これからどうするか。
wikipediaには、各項目のページ中にも無数のリンクがある。「リモコン」のページなら、「遠隔操作」、「機械」、「電子機器」等、語句一つ一つについてのページへのリンクが貼られている。これを利用する遊びが「スタート→ゴールゲーム」だ。要はwikipedia内のリンクだけを辿って、スタートからゴールの項目へ移動しようという、非常に退屈な遊びなのである。


試しに「リモコン」から「鳩」のページへと行ってみよう。
以下は私がやってみた一つの手順に過ぎない。おそらくもっと簡単にゴールとなる「鳩」のページへ行くことも可能だろう。


まずは「リモコン」ページ内にあるリンクの中から「テレビ」の項目へ移動。
次に、鳩に通じそうなテーマを「テレビ」のページ内から探す。
ここでは「名古屋」のページへのリンクを選択。
今度は「名古屋」のページから「名古屋城」のページへ。
更にそこから「」のページへ。
で、「鯱」のページ内の「動物」のページへのリンクを選択。
「動物」のページから「脊椎動物」へ。
そして「脊椎動物」から「鳥綱」のページへ行くと、もうゴールは目の前。
「鳥綱(鳥類)」のページ内の「ハト」のリンクをクリックしてゴール!!


え〜、以上のような退屈で糞みたいな遊びを、私は糞暇な時にやる。
スタートとゴールに全く無関係な語句を選択すると、その分やりがいがあるはず。今回の「リモコン」から「鳩」への旅は、難度Cくらい。いくらでも難しいのは作れる。でも、たまに難しいと思ったのが、意外とあっさりゴールできたりしてガッカリする時もあるから注意。
また、この遊びをやっている時に、興味ある情報を入手できることもあるのでお得、といえばお得。


以上、あまりお勧めしない遊びについて。

2007年01月10日

2007年01月10日 ハシワタリ

わにとかげぎす2巻古谷実の「わにとかげぎす」2巻。


う〜ん、面白いといえば面白いけど、話の展開が過去の作品とカブっていて、若干マンネリ気味じゃないだろうか。


各登場人物の奇怪な言動や、整然としたコマ割りなどは、前作「シガテラ」よりも更に磨きがかかり、惹き付けられる部分が多い。
そのため、後半部分には良い緊張感が漂っている。


ただ、変化の無い日常生活からの脱却というのが、この作品の大きなテーマだろうが、それがどういうカタチであれ、殺人、やくざ絡みの事件に関わることになってしまった時点で、もう否応無く“日常”とは大きく脱却してしまった(脱却させられた)ことになる。いきなりこのような展開に持って行ってしまって、後々大丈夫なのだろうかと思う。
人生観や価値観、良心の維持に決定的な影響を及ぼすような出来事に遭遇してしまったことで、主人公である富岡にどのような変化が起きるのか、それが楽しみだといえば楽しみだけど、一歩間違うと目指すべき“日常”を見失った、現実世界と乖離し過ぎた人物を描く安ぅ〜いSFのようなモノになってしまう可能性も無きにしもあらずや。


とはいえ、随所に見られるおかしなセリフや各キャラの妄想は、古谷実独特の世界で楽しい。


しかし「ヒミズ」、「シガテラ」という一連の流れを鑑みると、この「わにとかげぎす」のような作品に結びつくのは、ある意味で必然のことなのかな、とも受け取れる。もしかすると、この辺りが古谷実における一つの到達点なのかもしれん。ま、その辺りの個人的見解は、また機会(暇)があれば書こうかなと思ったり思わなかったり。いずれにせよ本作が完結するまで、ハッキリとしたことは言えませんね。うん、早合点は良くない。

2007年01月07日

2007年01月07日 大相撲初場所の展望

大相撲初場所の展望的ロマンス。


今場所はかなり混沌としそう。本命なし、かな?
朝青龍、白鵬、琴欧洲が軸で、把瑠都、安馬、稀勢の里辺りが続くという展開か。どうも朝青龍が独走しそうではない。その分元気な若手中心になるかも。


十両では、陥落した北勝力、北桜、あとは若の里や隆乃若、栃煌山、豪栄道が勝ち星を重ねるか。
そして個人的に注目しているのが新十両の(門元改め)豊響。
あと忘れてならないのは、新たな怪物候補若ノ鵬。十両になってどこまで勝つか、どういう相撲を取れるか。もしかすると新たな衝撃が生まれるかもしれなくなくない。
十両はやはりベテランと若手の争いで、こっちは幕内より白熱するかも分からんね。


そして、今場所一番の展望的ロマンスは、何と言ってもデーモン小暮閣下の再降臨。
実はコレが一番の楽しみなのだ。
果たして今回はどういうお話を聞かせてくれるのか、そればかりが楽しみなのであります。


それではまた千秋楽後の総括にて。お後が宜しいようで。

2007年01月06日

2007年01月06日 阿呆の愚痴

私は阿呆である。阿呆であるから言う。


加藤ローサは天使だ。何処からどう見ても天使にしか見えないのだ。あの豊穣な笑顔、アレを━━━アレなどと言ってしまっては天使に対して失敬千万であるゆえ、彼女の笑顔は「夕焼け輝く波間に映ずる麗朗たる一等星の清輝」と形容しよう。その「夕焼け輝く波間に映ずる麗朗たる一等星の清輝」を見るだけで、私の心は悶々と、いや轟々と鳴り渡るのである。


夕焼け輝く波間に映ずる麗朗たる一等星の清輝を奉戴する女性がウンコなどをするわけはなく、彼女の体内からは事あるごとに真珠が現出されるそうだ。ただし屁はこくというから、さすがの天使であっても体内で何らかのガスが醸成される模様である。そのガスはたまに超クセーらしいが、彼女の端粛かつ繊麗な容姿と気品溢れる艶麗な性格は、その超クセーのを帳消しにしてしまうと云われている。まさに自然の循環、二酸化炭素を吸い込み酸素に変相させてしまう光合成のようなものではないか。

今更ながら思うことであるが、石原真理子のような大した影響力がない者より、よほど自伝を書かなければならない宿命に置かれている人物がいるであろう。その一人は瀬島龍三氏である。この不誠実で、責任回避と曖昧な態度と、偏狭な固定観念に支配されて生きてきた人物は、その生涯を終える前に自らの体験を具に語るべきではないのか。特に大本営参謀時代(ガダルカナルを巡る電報の件等は特に)、停戦時のソ連との間に交わされた一連のやり取り、抑留時代の体験談、共産主義思想との関わりなど、彼が自らの言葉で明らかにしなければならないことは数多残されているはずだ。


おそらく瀬島氏は、自ら体験した真実を一切語ることなく、それを墓場まで持って行く決意なのだろう。そのような男が、若者を前に教訓や人生論を語るなど笑止としかいいようがない。
瀬島氏においては、近代日本の中枢にいたという自覚を有しているのかどうかすら定かではない。仮にそのような自覚を持って生きてきたというのなら、過去の時点で自らの体験を包み隠さずに語ることが出来たはずであるし、今後も出来るはずである。
氏と数々の体験を共にした同年代の方々への配慮から、今日まで語ることを避けてきたというのであれば、もうそろそろ語り出しても良い頃ではないか。
しかし、瀬島氏本人にその気はないようである。


瀬島龍三という人は著しく責任感が欠如していると言わざるを得ない。それが大日本帝国陸軍という非常に特殊な組織のド真ん中に身を置いて来たものの性分なのであろうか。もしそうであるというのなら、日本人は未だに大日本帝国陸軍の幻影に足下を摑まれているのかもしれない。
不誠実、責任感の欠如、都合主義。現在の日本の指導者にも蔓延る体質ではないだろうか。


「戦後」というものを捉えようとするならば、まずは戦前の大日本帝国陸軍のような特殊な体質を有するものを徹底的に解剖・究明し、解体し克服せねばならない。それを克服出来ずに、何が民主主義、資本主義、自由主義、反戦、平和、平等、憲法改正、再軍備・核武装、改革、機会均等、男女平等であろうか。
過去を徹底して解明する意気込みなくして、どこに「戦後」社会の土台を見出そうと言うのか。結局は欧米諸国から与えられた乏しい観点の上に成り立っている「戦後」に過ぎないから、60年を過ぎた現在になって種々の問題が欠漏してくるようなことになるのだろう。
今日において真の「戦後」社会を構築しようとするのならば、やはり瀬島氏のような“当事者”としての経験を持つ方の尽力も求められるであろう、と思うのだ。私は、戦後60年が過ぎた今になっても、完全に大日本帝国陸軍のような存在を解体し切れず、未だに過去に振り回されている現状に一抹の悲しさも覚えるのである。


私は阿呆である。阿呆であるから、嗚呼、また色々と無益なことを言ってしまう。

2007年01月04日

2007年01月04日 嘘から始まる一年

お正月も三が日が過ぎればただの日。一発だけヒットした有名人も三年過ぎればただの人、という具合です。


今年最初に買った本は半藤一利著「ノモンハンの夏」でした。これから読み始めます。
今年最初に見たブログはナゼか「しょこたんぶろぐ」でした。見て、この人はアホじゃないかしらんと思いました。でも良い生活しているのは分かりました。まだ21歳なのに。ねぇ。・・・今の所同じ年齢だよ・・・学年は私の方が一つ上だけども。


さて、今年の目標は「いかなる日であっても午前9時までには起床する」です。
今決めました。寝ません。今年は寝ません。今夜僕は寝ないよ〜という歌詞があるB'zの曲を思い出しました。
そうは言っても冬場はやはり眠いものです。だから冬が好きなのですが、その冬も寝ないとなると、私はどの季節を楽しめば良いのでしょうか。
春は憂鬱を誘う、夏は暑いので論外、秋は寂寥感漂う。です。
それじゃあ秋がモアベターよ。


年末からお正月にかけて一番見た局はテレビ東京です。
あの地味な感じの特番が最高でした。なんかやたら温泉巡りティックな番組が多かったのは気のせいですが。


ということで、あけましておめでとうございます。今年も画面越しに一年間宜しくお願い申し上げます。
私にとっては嫌な年でも、アナタにとっては良い年であることを希望致します。
アナタにとっては嫌な年でも、私にとっては良い年であることを 特 に 希望致します。
それでは、左様なら。

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