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2007年02月08日 現代の中の歴史

インターネットで古書を買うというのは、今日では当たり前のようになされていることである。しかし20〜30年前に出版された後、現在では絶版となっている本を、ネット上の古書店で容易に購入できることには、やはり違和感を感じる。


そういうわけで先日、種村佐孝著『大本営機密日誌』と宇垣纏著『戦藻録』を購入したのである。これら大東亜戦争を知るための第一級資料が、実にあっさりとネットで買えることに、時代の流れを感じるではないか。ということを言いたかったワケだ。


さて宇垣さんの『戦藻録』であるが、これは「超」が付くほど重要な資料(史料)だということを、今、まさに読みながら実感している。相当な分量である故、まだ3分の1くらいまでしか目を通せていないが、連合艦隊司令部の様子や、各司令官・参謀の間で交わされたやり取り、戦時中特有の情報の交錯ぶり等が鮮明に描かれていて、興味をそそる部分が多い。
当然、彼の日記で全てが明らかになるわけではないが、当時の様子を思い描く時に大いなる参考となることは確かである。
若干、他者の言動に対しては辛辣に自らの言動に対しては寛容に、という部分が見受けられるが、まぁ、それはやむを得まい。重要なのは、そこからどれだけ知ることができるかだ。宇垣さんの性格如何よりも、大東亜戦争時における(海軍を中心とした)指揮官連中の言動を窺うことができる点で、『戦藻録』は実に重要な資料である。よくもこれだけ膨大な量の日記を書き残してくれたと言う他ない。これで黒島龜人にイタズラをされていなければ、より良かったんだけどなぁ。


黒島さんの名前を出してしまったから、ついでに言うが、彼はなかなか厄介な人物であったようだ。その活躍ぶりは良くも悪くも、歴史的に実に大きな意味を持っている。
例えば、森本忠夫著『特攻』(光人社 平成十七年)には


黒島は、四四年八月六日に開かれた戦備考査部会議の席上、黒島一流の「突飛意表ノ方策」を提案していた。しかし、この時の黒島の「意表の方策」と言われるものは、必死必殺の戦法としての「戦闘機による衝突撃」、つまり、後日の航空特攻に他ならなかった。黒島こそが、特攻提唱の張本人であり、イニシエイターだったと言うことだ。(一一七頁)


などと書かれているが、この辺りの事情はどれだけ知られているのだろう。


どうだろう、彼の参謀としての能力は。
例えば作案者という観点から見てみると、石原莞爾のような巨視的な視野を持った天才策略家のような人物とは比べ物にならないくらい劣るかもしれない。しかし彼が戦術家として注目すべき点のあったことは疑い得ないだろう。陸軍には天才戦略家の石原莞爾がいて、海軍には秀才戦術家の黒島龜人がいた、ともいえる。黒島さんは戦略家ではなく戦術家だと思うが、陸軍に彼のようなユニークな戦術家はいなかったのではないか。にも関わらず、戦後において彼の存在はいささか軽視されてきた感がある。
黒島さんはその実績に比して、不幸にも歴史の中にハッキリと位置付けられていないのではなかろうか。
黒島龜人という時代の落とし物を、その功罪を、現代人は拾うことが出来ないでいる。それは言い過ぎだろうか。その答えが出るまでには、もう少し時間が必要なのかもしれない。

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