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2007年04月29日

2007年04月29日 「昭和の日」に思う

今日は「昭和の日」である。
昨年までは「みどりの日」などというよく分からない名称だったが、今年からはいよいよ「昭和の日」になった。言うまでもなく本日四月二十九日は昭和天皇の誕生日である。
昭和天皇は、昭和という紆余曲折の時代を、常に日本国のことを思われながら、国民と共に歩まれた名君である。歴代天皇を見ても、昭和天皇ほどユニークであり、また魅せられる天皇はいないのではないか。


「昭和」という時代、その六十四年間に日本は天国と地獄を見た。
憲法が今と同様機能せず(「統帥権」の干犯とか、総理大臣の無力さとか)軍部が独走した昭和二十年までの時代、敗戦に伴う占領期を経て、本来無効であるはずの占領統治法的なモノを憲法として掲げながらも再出発を果たした時代、高度経済成長による「戦後」からの脱却、と大雑把に見ても、それは一国の興亡史に相応しい側面を持っている。
戦時中の昭和天皇に関しては『昭和天皇独白録』や『杉山メモ』などを始めとした資料によって、容易に、どのような事を思われていたのかを垣間見ることができる。戦後に関しては、全国巡幸や外遊、日常生活の記録がかなり残されており、また侍従の日記なども公開されるなどしているから、そういったものを見れば、その時のご様子を窺うことができる。
そこに見られる昭和天皇のお人柄、これがなんとも言えない魅力を有しているということは、昭和史を見ていれば、誰しもが気付くことかもしれない。私は、昭和天皇のちょっとした言動の中に何度も魅せられた。国家を想い、国民を想った慈悲深い天皇であらせられたと思う。

「昭和の日」である今日は、そういった昭和天皇の存在を改めて見つめ直すと同時に、昭和という時代を問い直す日となれば良い。今生きている人の多くが昭和生まれなのだから、せめて自分が生まれた時代について考える日が年に一度くらいはあっても悪くはないだろう。


昭和という“波乱の”時代、その時に国民と共に歩まれた昭和天皇。
一大転機を迎えようとしている今日の国際情勢の中で、改めて考えずにはいられない「国を想う」ということ。その原風景的なものの一端を、私は昭和天皇の中に見られるような気がしてならないのである。

2007年04月28日

2007年04月28日 雪中梅

昨日(金曜日)、学校に行ったらお世話になっているセンセイが「雪中梅」という日本酒をくれた。新潟の有名なお酒だ、って。そのセンセイは、私は日本酒をあんまり飲まないからねーとか言ってたけど、私だって飲まないよ!
そもそも私が大して飲めないことを知っていて、わざと手渡したとしか思えない。
明らかに誰かからのお土産を私に渡したんだ。お土産用の紙袋に入ったままくれたからね。自分はいらないから、押し付けたんだ。私は押し付けられちゃったのさ。


仕方ないから、冷酒にしてさっき飲んでみた。


旨いじゃねーか。クソー、こりゃ得したなぁ。日本酒なんてワンカップ大関くらいしか知らない、貧乏な私の舌でも旨いと思えたぞぉー。
ネットで「雪中梅」を検索してみたら、なかなか有名なお酒みたいだということは分かった。しかもそれなりの値段で・・・
これは飲みやすくて良いわ。安物のワンカップとは明らかに違う。ワンカップなんて温めれば変な臭いがして、冷やせばただの水みたいになるからな。
勢いにのって、干し椎茸を使って肴まで作ってしまった。


センセイ、有り難う。
また何かください。

2007年04月26日

2007年04月26日 太いけど短いんです

今日、夕方頃から急に背中がチクチクしてきて困った。髪を切った後、シャツに髪の毛が入ったみたいな感じで、痒いやら痛いやらホロ苦いやらで嫌になった。虫にでも刺されたのかと思い、鏡で背中を見てみたら、なんと私の背中に蜂の巣が作られていた。

・・・・って、この話、本当みたいだけど、実は嘘なんです。
信じてしまったヒト、ご免なさい。騙してしまいました。


以前、発泡酒では「極旨」が好きだと書いたけど、アレは間違っていた。アルコールの臭いしかしねーじゃねーか。発泡酒では「円熟」が最高。
今も「円熟」を飲みながらこれを書いている。

・・・・私は多分喉頭ガンか肝臓を悪くして死ぬだろうと思う。
元々ほとんど飲めない体質なのに、週に2、3日くらいは飲んでいるから(500mlの缶一本だけど)。
ずっと生命線が短いのも、そういう運命を暗示しているのかもしれん。


小学生の頃に、鑑定家気取りのヤツに手相を見てもらったことがある。ズブの素人のガキだけど、ソイツに「お前は生命線の長さからいって70くらいで死ぬわ」と言われた時に、なぜか妙に納得してしまった。というか70まで生き長らえれば、それだけで幸いだ。どうも私は昔から長生きできるイメージを持てない。80歳の自分など到底想像できない。だから「70くらいで死ぬ」と言われても、嫌な気がしなかったのだろう。ちなみに自称鑑定家の彼は、恐ろしいくらい生命線が長かった。


でも、生命線は長さではなく、太さと形だというヒトもいるしなぁ。私の生命線は太くて綺麗な曲線なんだけど・・・そっちなら困る。だって私は早死にするものだと思い込んでいて、自分の人生プランに70歳以上の自分を想定していないのだから。
ただ、私の場合、少しずつ生命線が短くなっているんだよ。今では50代か40代で死んでもおかしくない状況なんだ。ということは、やっぱり長さで見た方が良いと思う。けれど、私の父親は40代後半くらいから急に生命線が長くなってきたらしく、今では手首の辺りまで伸びている。伸びることもあるのなら、まだまだ気が抜けんよ!
しかし、占いなんて無闇に信じていれば損するとも思っている。だが、私の場合、生命線に関しては当たりそうな気がするから、どうしようもない。
外れれば外れたで、長生きできるーと思えば良いし、当たれば当たったで、私は幼い頃から自らの運命を予感していたと胸を張れる。ちなみに私の母親の旧友で「私はおそらく50くらいで死ぬ」と言い続けていたヒトがいて、そのヒトは本当に50代で死んだというから、予感というのも馬鹿にできんと思う。

2007年04月22日

2007年04月22日 疲れているだけ

理想としては何も考えないのが一番良い。
日々のことも生活のことも、当然政治のことも社会のことも考えずに生活していければ良い。しかし、そんなことは無理である。どれだけお金があっても、やはり何かを考えてしまう。生きている限り考えることは必然であり、それは言葉を持ってしまっている時点で、より確かなものとなる。
何も考えないことを志向していても、常に考える。「何も考えるな、何も考えるな」とか「私は今何も考えていないのか」などと。常に自らの意識と対話している。デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と実に上手いことを言ったものだ。デカルトのいう「我」は、何も考えなくなった時に消えるものなのかどうかはまた少し先の問題だが、そもそも何も考えなくなったとしても、それを認識することは出来ない。だって何も考えなくなっているのだから。
だが、もしも何も考えないで生活できるなら、所謂「本能」的な面だけで生活できるなら、世界はおそらく平和で、それなりに秩序も保たれていたはず。そして、人間はどこかで絶滅していたのではないか。
今、こうやってアホみたいに「理想としては何も考えないのが一番良い」などとほざいている輩がいるのも、それを見て嘲笑っているアナタがいるのも、結局「我思う、ゆえに我あり」に象徴される人間の営みがあったからに他ならない。


要は「何も考えたくない」という考え、これが出て来た時点で、そこには大きな矛盾が形成されているということだ。
しかし一度で良いから、何も考えない人間の世界を見てみたいではないか。だが、その場合でも、客観的に見る側は、何かを考える立場にいないと意味が無い。何も考えない立場に立ってそれを見ていても、何も思わないし、そもそもそんなものを見ていようという考えさえ出ない。結局、何も考えないことが良いなどという理想を持っていても、ちょっと考えれば、それが体をなしていないモノだということに気付かされる。私が「理想としては何も考えないのが一番良い」などということ自体が、そもそも意味が無いことで・・・ということは、今日のは出発点からして成り立っていないということになるのである。
おわり

2007年04月20日

2007年04月20日 話半分

私が通っていた小学校に「プレイルーム」なる部屋が設置されていた。
当時は何も思わず「プレイルーム、プレイルーム」と言っていたが、今になって思えば何とは無しに卑猥な響きがするではないか。しかも、この「プレイルーム」が使われることは滅多に無く、結局何を「プレイ」する目的で作られた部屋なのか解らず終いで卒業してしまった。
噂では、その部屋は現在「本番ルーム」と名称変更されて、不気味に存立しているとかいないとか言われているようだ。全く困ったモノである。


困るといえば、一人称である。私は、とココでは「私」という一人称を用いている私であるが、何も年がら年中「私」と言い続けている私ではない。「私」ばかりで文章が荒々しくなってしまったが、普段親しいヤツと話をする時に私が用いる一人称は、主に「オレ」である。おそらく私と同じ二十代前半の者ならば「オレ」という一人称を使うことは珍しくなかろう。そして学校のセンセイや年輩と者と話すような時には「ボク」もしくは「私」と言う。「私」でも、「わたし」が普通であり「わたくし」と言う事はほとんどない。このブログでの私の一人称も「わたし」であって「わたくし」ではない。ココで私が「私」と書いているのを見れば、それは「わたくし」ではなく「わたし」と読んで欲しい。
普段は「オレ」と言う事が多い私だが、こういう不特定多数の者が閲覧できる環境下で、もしも、「オレは、どう考えてもロリコンじゃないかしらんと思う時がよくあるんだ」などと書けば、おそらく読者は「おっ!なんだコイツ。『オレ』なんて言っているぞ。偉そうな勘違い野郎だな!」と思い、もう「オレ」という一人称に釘付けにされてしまい、他の事が目に入らなくなるはずである。だから私はココで「オレ」とは(余程の例外が無い限り)申し上げない。
何故こんなことを書いたかというと、普段使っている一人称が複数あり、それが煩わしい為、どうにか一元化したいと思っているからだ。
もし一元化するならば、「私」意外にはないだろう。「オレ」にしてしまうわけにはいくまい。面接で「オレが御社に採用されました暁には・・・」などと言えば、甚だマズい状態になってしまうことは容易に推測できよう。しかし、そうかといって今からいきなり「私」ばかりで通すのも、これまた違和感がある。今までは「オレ」で通していた友人等に或る日突然「私さぁ、昨日幼い女の子を見て興奮してしまってねぇ〜」等と言えば、突然の一人称の変化に失笑を買うことは必至であり、また親に対しても「私は小さい女の子と手を繋いで一日を過ごしたいんだけど…」などと言えば、これまた急に「私」などと言ってどうしたの!?と言われる事は疑いようが無いのである。
じゃあ、どうすべきか。それは徐々に変えていくという非常に高等な手段を講じるしかないであろう。つまり「オレ」と「私」、そして「ボク」という一人称を意識的に使い分ける。そして「アイツは色んな一人称を駆使するようになって、実に賢くなった」と周囲の連中に思わせることが出来れば、完全にコッチの勝ちである。そこ迄行ければ、その後は徐々に「私」一本に絞っていく。そうして、いずれは「私」だけでも他人から違和感を覚えられなくなる完全体への進化を目指す。
完全体とは、「私の守備範囲は3〜12歳までだよ」などと言っても、誰にも驚かれる事がなくなった日のことだ。

2007年04月18日

2007年04月18日 私の主観ですけど…

私は気付いてしまった。
禿げには、良いヤツと憎たらしいヤツのどちらかしかいないことを。
中間に位置するヤツはいない。
必ず良いか憎たらしいかのどちらかである。
バイト先のおじさんは良い方、学校にいる教授は憎たらしい。
もし私が禿げたら、絶対に良い方に入ってやる。
芸能人とかを思い浮かべても、必ず良さそうなヤツか憎たらしそうなヤツに二分される、はず、
曖昧な立ち位置のヤツはいないだろう。
思い浮かべて下さいよ。


ホラ、ね。

2007年04月17日

2007年04月17日 タイトルなんていらない

関西人に「馬鹿」と「阿呆」ではどちらがより賢くないと思うか、というアンケートをすれば、「馬鹿」を選ぶヒトが多いらしい。というのも、関西人にとって「阿呆」、「アホ」は褒め言葉らしいからだ。
「お前、アホやろ」というのは、すなわち「お前、ホンマオモロイなぁ」というのと同類の意味を持つと考えられるとか。翻って「お前、馬鹿やろ」と言えば、それは「お前は頭が狂っとる、生きんでもエエ(=死ね)」くらいな意味になってしまうのだとか。
こういうコトを言っている者がいた記憶がございます。本当かいな?と思った方、実際に関西人に向かって「お前、馬鹿か?」とでも言ってみて下さい。それで結果が明らかになるはずです。


ところで、トルシエさんは今なにをやっているのだろうか。昨年はW杯期間中にテレ東の専属解説員みたいな契約で来日して、大橋未歩アナと面白い絡みをやっていた覚えがある。そして仕事をくれとか言っていたような気もする。今は何をなさっているのだろう。
「白い魔術師」でも自分の仕事をどうこうすることは出来ないのかと思うと、日本にニートやフリーターの数が増大するのもやむを得ない気がします。
内定獲得へのフラットスリー、無職から抜け出すためのオフサイドトラップ。
どれも機能しそうでしないから、将来不安定な人々が増える。
私の将来のオフサイドトラップは是非とも機能して欲しいものです。そのために、先を見据えたフラットスリーを今から完全構築していこうと思います。
それでは準備に入ります。
では、まずサッカーボールを買いに行って来ますね。

2007年04月16日

2007年04月16日 iPhoneの代償でも良いけどさ

Apple、『iPhone』優先で次期 OS『Leopard』の正式リリース延期


Appleは当初、6月初めに開催する開発者イベント『Worldwide Developers Conference』(WWDC) でLeopardをリリースする計画だったが、今回の発表でLeopardの出荷を10月に延期すると述べた。(中略)Appleは短めの声明で次のように述べている。「iPhoneは、これまでのモバイル端末が備えていたどんなものよりも洗練度の高いソフトウェアを搭載しており、スケジュール通りに仕上げるためには、代償が必要だった。すなわち、ソフトウェア エンジニアリングと品質保証を担当する重要な人材の一部を、Mac OS Xチームから借りなければならなくなったため、結果としてLeopardを予定通りにリリースできなくなる」


ずっと2007年春発売と宣伝していたから、いつ出る?もう出る?そろそろ出る?ついに出る?と思い続けていた春。それを返せ。iPhoneは日本でリリースされるのはまだ先、Leopardは蹴飛ばした。・・・やってくれるぜ!Apple


ああ〜、でもiPhoneにも少しだけ興味がある。普通のケータイと同じくらいの値段なら買ってみようと思わないことも無いのだろうけど・・・どうもねぇ。
で、Leopardは10月。そろそろPCも新しいのにしたいと思う今日この頃。Leopardが10月に出るのなら、それから検討しても遅くはない。
ということで、春は無事に過ぎけり。

2007年04月13日

2007年04月13日 蠢動せず

ここ数日は暖かいからTシャツ一枚でウロウロしている。しかし、どうやらまだ私以外にTシャツ一枚の者はいない。学校でもTシャツ一枚のヤツは私だけで、妙な違和感を覚えた。
まぁ、いい。私だけだろうが何だろうが、Tシャツで通してやる。冬でもミニスカートで良い女がいるように、私は3月末くらいからでもTシャツで良い。
Tシャツ協会。
そんなものは無い。


毎年恒例の学校に於ける健康診断を受けて来た。数ヶ月ぶりに体重を計ったら、なんと3キロ減っていた。何もしてないのに。そして身長は三年前くらいと比べて2センチ程伸びていた。計測ミスじゃないかしらん。
でも、最近ヒトを馬鹿にして見下すコトが多くなったので、本当に伸びているのかも。
日本ブラックジョーク愛好会。
そんなものも無い。


「うごめく」を漢字で書くと「蠢く」。春に虫が二匹、まさに蠢いている。この漢字は好きだ。

2007年04月12日

2007年04月12日 薄味〜健康の為に〜

Good God's Urgeペリー・ファレルというヒトは不可解だ。おそらく本人はそれなりにマジメにやっているつもりなんだろうけど、私にはこのヒトの“音楽観”のようなモノがまるで見えない。
特に今回取り上げたいPorno for Pyrosなどは、「何コレ?」と思わず呟いてしまっても不思議ではない。


さて、Porno for Pyrosであるが、私は断然この「Good God's Urge」が好きだ。
このアルバムは何から何まで非常に薄い。
まずジャケット。色合いが全体的に薄い。次にヴォーカル。これも薄い、それまでのペリー・ファレルのモノと比べると相当薄められている。そしてサウンドである。これはもう薄いを通り越して、凝視しないと見えてこない程だ。気を張って見ないといけないので、その分疲れる。
こんなので良いのかと思うけど、これが全体的にはかなりしっかりしたバランスで成り立っているから愉快この上無い。


何故こんなに薄いのかというと、それはおそらく料理と同じ事だろう。
濃い味付けのものばかりを食べていると、そのうち体調に異変を来す。
ならば、出来るだけ薄口料理を食べよう。健康の為には薄口が重要だ。
こんな理由で薄くなったのだろう。おそらく。
ずっと濃いままではやっていけない。そして知る薄さの重要性、である。


本作は明らかに、ペリー・ファレルというミュージシャンの作品群中においては異色作のモノだ。だからこそ面白いと思う。本人が意図してかどうかに関わらず、別の顔を見せた瞬間というのは、常に記憶に残るものである。
これがペリー・ファレルの別の顔。こんなに薄めてもやっていけるのか!と思うと、不図ニヤついてしまった。

2007年04月07日

2007年04月07日 春来たりなば夏遠からじ、嗚呼。

ずっと気になっているコトだけど、性転換手術をしたり、ニューハーフになる為に手術をした時、切り落としたアレはどういう風に処分されるのだろうか。まさかゴミ袋に入れて捨てるワケではないだろう。脳死判定された人がドナーカードを持っていた場合みたいに、すぐさま移植されるコトもないだろうし…非常に謎であります。


相変わらず松坂のニュースが多いけど、思えば野球って無茶苦茶複雑なスポーツですね。野球を知らないヒトにルールを説明する時、果たしてどうすれば良いものか。
攻撃と守備に分かれて、守備側には球を投げる人がいる。攻撃側は投げられる球を打つ。球を投げる人は「ストライク」といわれるコースに投げなければいけない。打つ側は「ストライク」と呼ばれるコースにきた球を打つようにしなければいけない。打たなければ1ポイント球を投げる人に有利になる。これを「1ストライク」という。投げる人は打つ人から3ストライク奪えば1アウトとなる。3アウトで攻撃と守備が入れ替わる、ただしファールというものがあって、2ストライク取られた状態から打つ人がファールを打っても、それはストライクに加算されない。ファールとは・・・
と、こういう具合に果てしなく説明しなければならないし、おそらく言葉で説明しても、そう簡単には理解されないだろう。仮にルールを理解できた所で、最低限ボールとバットとグローブとベースが無ければどうしようもない。貧しい国では容易にプレー出来ないだろう。非常に厄介なスポーツである。そりゃヨーロッパやアフリカでは普及しないわけだ。しかし、そういう複雑なルールを理解できるコトは、ある意味で誇っても良いんじゃないかしらん。こんな面倒な内容のスポーツを理解して楽しめる国民なんて本当に少ない。
そしてまた、ソレに何十億何百億と使うことのできる球団が複数あるアメリカという国は、本当に化け物のような国だと思う。


最後に、私は今コンビニで売られている100円のお菓子にハマっている。クッキーやらチョコレートやらカステラやらドーナツやらが全部100円で売られている。なかなかボリュームもあるし、お得である。ただしカロリーもそれなりにあるので注意を要する。品質も・・・!?

2007年04月04日

2007年04月04日 やりたい放題

そうなのだ。タイトル通り「やりたい放題」なのである。誰がって美容師さんである。
先日、髪を切りに行って来たのだけど、その日は最初から何かがおかしかった。


まず店内。まんまディープ・パープルな日本のハードロックバンド(バンド名も曲名も分からん)の曲が延々と流れている。およそ美容室とは思えない雰囲気の中、その偽ディープ・パープルを鳴り散らすスピーカー付近のテレビにはワイドーショーが映っている。ハードロックと同一進行で「捨て猫の里親探し」とかいう声がテレビから聞こえてくる。そうした状況下で洗髪開始。
髪を洗いながらやたらと話しかけられる。顔にはタオルが乗せられていて、ハッキリ言って話し辛い。そういうことは切る時になってから聞いてくれと思いながらも、一言二言返事をする。

そうして、いざ切る時になったら、どういうワケかほとんど話しかけられない。私も何も話さない。
━━沈黙━━。
ドンドン髪の毛を切って行く美容師さん。
私が短くしてくれと注文したものの、やはり黙々と切られると妙な感じだ。十五分、二十分くらい切る、切る。スピーカーからは相変わらず日本語版ディープ・パープル。
漸く会話が出てきたものの、正直どーでもいーことばかりを聞かれるので、会話が続かない。私も続けようとしなかったのが悪いのか、反省すべきか。


暫くして、どうやら一通り切り終わったようで、再び洗髪。しかし、非常に雑な洗髪。切る前はとても丁寧に洗ったのに、ナゼか今度はあっさりとしている。普通、切った後にこそ丁寧に洗うだろう。しかもまたこの時になって、色々と話しかけられる。このヒトは何故、私が話し辛い状況で色々話しかけてくるのだろう、嫌がらせか?と思いつつも、また一言二言の返事。この時に話しかけられたコトは、会話としてはそれなりに長持ちしそうな内容だった。でも残念ながら、私がとても会話を続けられる体勢では無かったので、すぐに打ち切り。スマン。


洗髪のあと、微調整のため、再びチョキリチョキリ。で、お決まりの「ワックスか何か付けときますか」という質問を受けて、私もまたお決まりの「ハイ」という返事を愛想良くする。この時にほとんどの美容師さんが変な風にセットしてくれるので、それを内心楽しみにしている私。今日はどんな奇抜なセットをして頂けるのだろうかと思うも束の間、案の定やってくれております。・・・が、今日は何かおかしい。
アレレ〜、髪の毛が真ん中に集められて立ってるよー。これはモヒカンじゃないか。そう、どうみてもソフトモヒカンなのである。
そういえばどこかで見たことのある髪型だなぁ〜と思っていたら、スピードワゴンの安達祐実と結婚した方みたいな髪型であることが判明。よく見ると、若干トップが長くて、サイドが短く切られてある。これはどうみても普段からソフトモヒカンにしろと言わんばかりの状態だ。誰もそんなコト頼んでないのに、である。「やりたい放題」ここに極めり!


それでカット代3000円。コレはお得だろうか?
安いから行ってる美容室なんだけど、その分リスクを負えってことですか。


で、帰宅して鏡を見たら、洗髪が雑だったせいで、顔に数本切られた毛が付いている。ちょっと頭を触ってみたら、いっぱい毛が付いてきたので、やむを得ず自分で洗髪やり直し。面倒この上無い。


やがて洗髪も終わり、何も付けていない状態の髪型を見てみたら、これが非常にショボい!スポーツ刈り崩れのような奇妙さ。
仕方ないから、ハードに固まるワックスを買って来ました。ここ数日、微妙にトップを立てて、ソフトソフトモヒカンみたいにして誤摩化している私。もうどうしようもないから気にしないコトにしたのです。不自然な無造作ヘアということにしております。
勘違いしている痛い奴みたいでなんかイヤだけど、他人の目は気にしないことにしました。ズバリ「個性」の一言で済まそうと思います。開き直るのは意外と得意なんです。
3000円の代償、髪がまた伸びるまでのガマン。
この勢いで金髪にでもしてやろうか、という半ば悪ノリのようなことも考えましたが、それは自重します。そこまですれば、完全に勘違いしている痛い奴になります。

2007年04月01日

2007年04月01日 事実を厭わず

今日はエイプリルフールということで、何やら力を入れて嘘の記事を掲載しているHPもあるようだけど、私はハンサムで紳士だから嘘を書くつもりは無い。
そもそもエイプリルフールというのは、普段嘘をつかないヒトの為にあるようなものだ。だから私には無関係である。そしてTBSや朝日新聞にもエイプリルフールは無い。というか、アイツらは毎日がエイプリルフールなんだから、逆に今日くらいは本当のコトを報道すべきだ。それにしても私は頭が良い。エイプリルフールだからだろうか。
今日の朝、鏡を見て驚いた。その時の私は今まで以上にハンサムだったからだ。コレは本当のことである。普段嘘をつきまくっている私は、エイプリルフールの今日にこそ真実を述べる。昨日母親がメールで、父親と別居したと伝えてきた。


何が嘘で何がフィクションで何が狂言であるかは知らない。今日のコレは全部が本当で、全部が嘘? 一字一句、名詞から助詞、助動詞に至るまでが嘘で本当なのだ。
初恋の女の子をオカズにした。

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