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2007年04月22日 疲れているだけ

理想としては何も考えないのが一番良い。
日々のことも生活のことも、当然政治のことも社会のことも考えずに生活していければ良い。しかし、そんなことは無理である。どれだけお金があっても、やはり何かを考えてしまう。生きている限り考えることは必然であり、それは言葉を持ってしまっている時点で、より確かなものとなる。
何も考えないことを志向していても、常に考える。「何も考えるな、何も考えるな」とか「私は今何も考えていないのか」などと。常に自らの意識と対話している。デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と実に上手いことを言ったものだ。デカルトのいう「我」は、何も考えなくなった時に消えるものなのかどうかはまた少し先の問題だが、そもそも何も考えなくなったとしても、それを認識することは出来ない。だって何も考えなくなっているのだから。
だが、もしも何も考えないで生活できるなら、所謂「本能」的な面だけで生活できるなら、世界はおそらく平和で、それなりに秩序も保たれていたはず。そして、人間はどこかで絶滅していたのではないか。
今、こうやってアホみたいに「理想としては何も考えないのが一番良い」などとほざいている輩がいるのも、それを見て嘲笑っているアナタがいるのも、結局「我思う、ゆえに我あり」に象徴される人間の営みがあったからに他ならない。


要は「何も考えたくない」という考え、これが出て来た時点で、そこには大きな矛盾が形成されているということだ。
しかし一度で良いから、何も考えない人間の世界を見てみたいではないか。だが、その場合でも、客観的に見る側は、何かを考える立場にいないと意味が無い。何も考えない立場に立ってそれを見ていても、何も思わないし、そもそもそんなものを見ていようという考えさえ出ない。結局、何も考えないことが良いなどという理想を持っていても、ちょっと考えれば、それが体をなしていないモノだということに気付かされる。私が「理想としては何も考えないのが一番良い」などということ自体が、そもそも意味が無いことで・・・ということは、今日のは出発点からして成り立っていないということになるのである。
おわり

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