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2007年03月23日 宮沢賢治と「社稷」

宮沢賢治は童話作家としての顔に加え、村中にあっては農業指導者として慕われていました。宮沢賢治の農本主義的な側面、そして自然との関わりによって見出したであろう社稷の観念について想いを馳せる時にこそ、彼が見たであろう“原始的な”日本人のアイデンティティーの存在に気付くのです。
以前、農業指導家としての宮沢賢治に焦点を当てた論文を読んだ時に思ったのは、まさにこの点についてでありまして、要は彼に内在する原始的な思想・価値観に関することです。つまり、自然との共生を意識する一方で、無意識のうちに近代文明と同化した自分、それを超克せんとしてやはり文明の壁にぶち当たってしまう自分、「自然な」自分とは何であるのかという葛藤。


「農本主義」という言葉を先に持ち出しましたが、宮沢賢治にはやはりそういう考えがあったように思います。彼は徹底して「社稷」というものに拘り、そこに自らの基礎を確立しようとしたのではないでしょうか。それは彼が東北という地に身を置いたこととも少なからず関連しているように思えてならないのです。
そうして、宮沢賢治の作品に出てくる人物で、純粋過ぎたり、邪心というものを抱いていない人物が少なくないのは、それが彼の理想とした「社稷」に生きる人間を反映させたものであったからだとは考えられないでしょうか。自然との共存を意識し、あくまで純化した“原始”の人間の姿を追い求める宮沢賢治の姿がそこにはあるのです。


宮沢賢治が、夢に見た見た日本人像とは。
宮沢賢治が、指向した人間の生き方とは。
それは従来の「ヒューマニズム」という定義とはまた別物の、より人心の深層にある、普遍的な生の在り方だと、私は思うのです。

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