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2007年03月05日 まだ土壌はあるか?

SIX最近「UKロック」という言葉が何となく陳腐に思えてならないのであるが、それならば「ブリットポップ」などという言葉はもう腐った魚みたいに悪臭を放つ迷惑千万な存在であっても不思議ではなく、現に腐った魚のような認識がやっとなのである。
Radiohead、oasis、blur、Travis、The Charlatans、Supergrass、Ashといったブリットポップの代表格バンドは今でも確固たる地位を築いて健在だが、その一方でブームが去るとともに姿を消したバンドも多い。例えばThe Verveであったり、Suedeであったり、Gay Dadであったり、Elasticaというバンドは既に解散していたり活動停止状態にある。そして今回取り上げるMansunも4年前に解散したブリットポップバンドだ。


Mansunはズバリこの「Six」以外に取り立てて言うべきことのないバンドである。ブームに乗って登場し、そのブームが去った後にこの一大傑作アルバムを世に出したというだけである。
Radioheadが「OK Computer」を、blurが「blur」を出し、ブリットポップなどというつまらないモノから完全に訣別したように、Mansunも意識的に、かどうかは分からないが、そこから離れた音楽を奏でた。それはあまり知られていないし、これからも知られないだろうし、多分あまり知る必要も無い。ただこの「Six」というアルバムが傑作だというコトを知れば良いのである。


本作はおそらくPink Floydの「The Dark Side Of The Moon(狂気)」やMagmaの「Mekanïk Destruktïw Kommandöh」やCANの「Tago Mago」といったプログレの諸作品と同系列のモノであると見た方が良い。
ぶっ飛んだ曲展開と多様な音楽的要素の集合、アルバム一枚を通して一つの世界が完結するその壮大さ、終始続く変態的なバンドのテンション、そして実に巧みな音の繋げ方、一曲の中でも複数の音を見事に繋ぎ合わせるその手腕には驚かざるを得ない。
とてもあのブリットポップの流れに乗って出てきたとは思えない異端のバンドである。彼らは異端であるが故に今日まであまり認識されていないのかどうかは知らないが、兎に角このアルバムに関する限りでは70年代のプログレバンドが90年代に衣替えをして登場してきたかのようである。何と言っても全編に渡るその奇妙さ不可解さが数々のプログレバンドを彷彿とさせている。


しかし残念なのは、このテンションがこれっきりで終わってしまったこと。
Mausunはこのアルバムによって完全に骨抜きにされてしまったかのようである。彼らにとってこの「Six」という一大傑作の代償はあまりに大きなものであったのだろうか。それとも、もしかすると、もう現在では70年代のようにこうしたアルバムを立て続けに世に出せる土壌が失われているのかもしれない。
これがプログレという音楽の最後の足掻きなのか、Mansunという異端バンドの臨界点を突破した究極の状態なのかは判然としないか、いずれにしても聴く者を惹き付け悩まし掻き立て打ちのめすアルバムであることに疑いは無い。
90年代ロックミュージックの遺産の一つであると思う。

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