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2008年08月31日

2008年08月31日 未受洗者の独言…

実在物としての神様、というか姿かたちが鮮明なものとして現れる神様を思い描こうと致すから、安易に「神様なんていない」と申し上げられちゃうのではございませんか。元来宗教思想とは斯様にして簡便に抽出できるが如きものではないはず。それに、私は神というとき、まず以てキリスト教のそれを連想するのであるから、余計に斯かることを思うのかもしれん。いえ、イスラムのアッラーにしても日本の八百万の神にしても、夫々その背景に連なる思想は異なっておりますけれど、神をいずれも実体的に(換言すれば、絶対的に確定された一つのものとして)捉えんとする試みは峻拒されていたのではありますまいか。なぜといって、それは人間崇拝、唯物論へと緩やかに至る。
聖書を精読すればそうした意見は通じないぜよ、と仰られるかもしれないのであることは承知の上です。しかしながら、神を具体的に思い描くことは、その時点で神を限定し、その全能性を否定することへと帰着す、と申し上げれば宜しいのかもしれません。その点に関するキリスト教徒の方たちの意見を見聞致した経験はある。神がこの世で実際に天の上に座しておられるはずはない、従って神の存在なんてインチキだ、すなわち宗教そのものが只の夢想に過ぎないやい!と放言するのは実に簡単でありましょう。けれども、それは非常に想像力に乏しく、精神的にも小学生レベルの戯言と思われる。また神の存在を科学的に証明してみろ、というのも同じようなようなもので、科学が絶対であることの証明が可能でなければ、その弁は崩壊せざるを得んのです。神の絶対性は科学の絶対性と同じくらいに明証不可能であれば、最も極限的なハナシを致しますと、畢竟神というの名の精神的享受物を獲得するか、または科学という名の物質的享受物を獲得するか、の二者択一でありまして、すなわち、宗教を精神的な面から重要視したエドマンド・バークに接近するか、宗教を嫌悪し「宗教は阿片である」と断言したマルクスに接近するか、の二つに一つ。然れば、私はバークに寄り添いたい。

2008年08月30日

2008年08月30日 おかしい!おかしい!

東海、関東豪雨 2人死傷3人不明 ゲリラ雨 連日夜襲


日本各地に豪雨が襲来しておる。被害多数。台風シーズン目前において…
然るにコチラは例年の如し。


厚労省が渇水対策本部設置=四国の水不足深刻化


四国で育った私ですが、よく解せぬ。私の実家周辺にあっては、かつて深刻な水不足に陥ったのは一度しかあらぬ。しかもその年は全国的に不足が懸念されたのでありますから、コレは致し方ない。だが、果たして早明浦ダムは毎年の如く枯れ果てておる。阿呆か。毎年「ああ、水が無くなるぅーーー」と嘆いているだけで、一向にまともな解決策の提示されないコトされないコト、甚だしい。ソレでいて節水、断水。嗚呼嗚呼嗚呼。笑止。実におかしな地域であります。──さりげなく新しきダムが建造されておるようですが… 香川は地政的に芳しくないのであろうか。他の地域は水ありまっせ。う〜ん、おかしい!


まげ結わない朝青写真集に“物言い”
朝青龍、写真集でポニーテール姿…再発防止検討委員会で問題視


発売前に朝青龍の写真集を入手したやく委員が問題にしたのは、朝青龍がモンゴルで民族衣装に身を包み、ポニーテールのような髪形で撮影された一枚だ。写真家の野村誠一氏が撮影した。「髪の毛をおろしてまさに、蒼き狼という姿で写っていますがいかがなものか」と物言いをつけた。…(中略)…「そのドアタマに来るのが服装。それなのに写真集で横綱が力士たる姿で写っていない」とやく委員。 【スポーツ報知より】


やくは己に髪の毛が不足しておる故に、長髪たる力士への嫉妬心が凄まじい。ソレが歪み果てて、「服装」などと誤魔化す。ハッキリと「こんな風に男が長髪をなびかせるのは不愉快だ」と申せば宜しいものを… 斯様な“いちゃもん”を付けるので精一杯なのであります。コレ、すなわち只の「ルサンチマン」である。そもそもやくみつるは、自身が齢五〇を目前にしながら、金髪であるコトを如何に説明する。そのような身なりであって他人の「服装」を云々するとは! こうした点からも洞察され得る如く、やくみつるなる生物は精神的に粗野で野蛮なトコロが存す。その存在自体が曖昧でしかないんです。そうでなければ「やく(約)みつる」などというハッキリせぬ名前を名乗るはずがなかろう。
朝青龍とて横暴なトコロがあるが、ソレを批難する内館の婆さんに致しましても、自称漫画家で代表作不明のやくにしても、果たして彼らに批判をする“資格”が備わっておるのか否かと疑いたくなるってモンだ。類は友を呼ぶ……か。う〜ん、おかしい!

2008年08月28日

2008年08月28日 地球に優しき夏の涼しさ

地球に優しき夏の涼しさ。


とまで記せば、もう嬉しくなってきたので、ここで擱筆す。

2008年08月25日

2008年08月25日 不可解なり!野球

北京五輪も幕を閉じたワケでして、さぁ、これから再び<残酷と非道の中国>へと世界の目は復帰致し、愈々危機を迎えるのであろうか──日中関係、中台関係、日台関係。そこに交わり来るインド及びASEAN諸国…


結局オリンピックの種目はソフトの決勝とバスケの決勝、そして愉快な星野JAPANの試合を見るとはなしに見た。これ程複数の種目をハッキリとテレビ観戦したのは最初の出来事なのですから、アレだ、暇潰し以上のモノではあり得た。特にバスケの決勝戦、アメリカ対スペインは誠に白熱した模様でございまして、「SLAM DUNK」以上の世界だったに違いない。やはり最後は“王国”アメリカが力で押し切るのだけども、スペインの食らい付きも相当なモノで、「おやおや、コレは最後には勝つんじゃないか!?」と思わせる場面が幾度も存したのです。特に後半の両チームによる3Pの応酬は愉快千万な内容。しかし、それでもスペインに逆転を許さなかったアメリカは見事なモノで、聞くトコロによると、何年も前から本気で金メダルを狙ったチーム編成を致しておったとのコト。そうでなけりゃあねぇ。星野JAPANにもこの辺の事情を聞かせてやった方が宜しいのではありますまいか。
ソレに星野氏は往生際が悪い。「責任はオレに有り」とか何とか宣告しておきながら、

−−力の差は感じたか
 星野「差はないと思っている」

などと強がりを申し上げる。【参照リンク:それでも「日本は弱くない」…星野ジャパン会見、一問一答
ケンカをしでかした後の子供の如き弁であって、真摯に実感したトコロのチーム力の差について言及するのが、指揮官として、また長年野球に携わってきたモノの役目だと思うのですが…(仮に技術に差がなくとも、野球はチームプレイでしょうに。此の度のチームは、集団としての力が不足しておったと認めてみれば良い。)
そもそも野球とは何であるのか。私にはよく解せぬ点がある。いったい何処の国と何処の国では人気があり、何故にヨーロッパでは顧みられないのか(ロンドンには野球場が存在せぬから、五輪種目から外されたのではないかしらん、とすら思えてきます。五輪のためにスタジアムを建造しましても、ありゃ、その後の汎用性が低い、ゼロと申し上げても良い)、如何なる理由で国際試合における使用球と国内におけるソレが異なるのか、またストライクゾーンの違いとやらも不可解の極みでございまして、規準が統一されぬ段階にありながら、ソレへの対応も未熟なまま悠々と北京へと赴き、よくもまぁのうのうと「金メダル獲得」を放言できたモノであるよと思わずにはおられません。
元来、米国から運び込まれて来ったモノであったれば、規準はやはり日本にはないのであって、勝手に変な範疇を設けて、井の中の蛙状態にありながら、国際試合へと参上してみたコトの無理が五輪において露呈したと考えるのが筋というモノではないでしょうか。WBCなるモノも結局は国際試合での規準で開催されるのでしたら、日本もそちらに合流すれば良い。魂を売るワケではないのだから。そうであってこそ、プレイする側も見る側も共に違和感を解消できるのでして、外国を相手にする以上、最低限の共通事項が整っておらなくてはいけない。ボールや審判の規準などはその最低限の部類に属するモノで、ソレを了解した上で日本独自の戦術を駆使しまして、世界と戦えば良いのであります。
柔道の如く勝手に他国にルールを改変(改悪)させられるといった事態ではない故に、その辺の規準に関しては日本がもう少し柔軟な対応を心掛けた方が良い、斯様に思慮するのです。
最後に。星野氏に一言申し上げてみたいのは、確かに勝負の世界は強いものが必ず勝つのではありませぬ。強者であっても敗退する時がある。しかしながら、たった一つ明確であろうコト、すなわち弱者は絶対的に敗北を喫す。弱者が最後まで生きながらえるが如き現象はあり得ぬ。──4勝5敗の負け越し。この成績を前に尚も強者であると見栄を張るか。「孤立した傲慢な思考は白痴に終わる。」(G.K.チェスタトン『正統とは何か』より)

2008年08月22日

2008年08月22日 夏のこと

今夏は昨夏と比すれば、暑さの強烈具合においては劣る。即ち涼しいとすら思えるのであった。季節の悪戯、ココに極まれり…云々。駄弁。
フレーミング・リップスを今まで勝手なイメージで以て避けておったのですけれども、思い切って聴いてみるに、存分に聴き易く、想像の外の展開に成り果てている。もっとサイケデリックで陰鬱なヒトたちかとイメージを逞しゅうしていたにも関わらず、かなり捻くれてはいますが、愉快・爽快なミュージックでございます…云々。駄弁。
五輪を見る機会を持たぬと申しました私でも、昨日のソフトボールは幸い見るコトができたのですから宜しい。初めてしっかりとソフトボールの試合を見たのでしたが、相当に面白いではありませんか! 「ジャンクスポーツ」でのみお目にかかっていた前監督宇津木さんの解説も熱情の籠ったモノで、解説者としてあの様な雰囲気であったというのは、監督としてグラウンドに出ておった時は、さぞかし評判通りの“熱血漢”であったろうと想像致します。御目出度う御座居ます。
そして其の翌日に完敗した星野JAPANとやらは…云々。駄弁。

2008年08月19日

2008年08月19日 若ノ鵬の件と相撲界の体質改善

若ノ鵬大麻というモノは覚醒剤と比較した場合にあって、人体に及ぼす害は比較的微小であるとも言われるのでしたが、然れども我が国に於いて違法薬物として禁止されている以上、やはり手を出してはならんのです。「麻薬覚せい剤乱用防止センター」なる組合も結成されているようで、彼らは日夜違法ドラッグ防止を声高に叫び続けていらっしゃいます(参考リンク:薬物乱用防止「ダメ。ゼッタイ。」ホームページ)。 ソコのマスコットキャラである<「ダメ。ゼッタイ。」君>なるモノも、世界中から危ないお薬が雲散霧消するコトを祈り、我々にメッセージを発信してきておるようでございます。
さて、そうしたワケで、昨日大麻を吸引していましたコトが発覚し、見事にお縄を頂戴!となり果てた若ノ鵬のために、彼の新しい化粧廻しのアイデアを考えたのです。右上の画像参照。クリックすればより鮮明な画像が見えちゃうよ。若ノ鵬 feat.「ダメ。ゼッタイ。」君──コレで大活躍間違いなし!


ええと、悪ふざけはこの辺にしておいて、本題へ入らんとするのであった。
大麻を吸いに吸いまくっていたらしい若ノ鵬、解雇濃厚な若ノ鵬。今回の事件によって世間様からは「また相撲界に不祥事か。愈々地に堕ち果てたな!」と思う向きも当然の如く湧出して参りまして、さしずめ針の筵状態。北の湖理事長への非難は轟々として、また間垣親方にも冷ややかな視線は注がれるばかり。加えて、罪なき外国人力士に対しても閉鎖的なモノの声が響き渡る…といった惨状。嗚呼、コレはもう只事じゃ無い。一人や二人の親方・役員が辞任致したトコロでは何ら根本的な解決にはなりませず、遂に本格的に外部のモノが参入してきては、相撲界の組織制度、習慣、仕来りといった伝統への疑念から、本腰を入れて“変革しましょうゼ!”ってな動きが出てきて当然、という流れになるのではないか。斯様な事態になってもやむを得ないトコロにまで達しておる。この場合、勿論、親方衆の閉鎖的な空気が取り上げられるコトが必至なのであろうが、ソレと並んで力士個人の意識問題も俎上に上げられては議論されるでありましょう。しかしながら、コレはコレは実に厄介な問題であって、相撲の世界のような長年の伝統の上に気付き上げられて来った<小社会>を前にして、ソコに存在する複雑多岐に入り乱れた<しがらみ>を安易にコントロールできると過信致して、短時間で組み替えようとしてもソレは絶対的に不可能な業でありまして、いずれ整合が取れぬ事態になるのは必然なのですから、ココはなかなかどうして短期間での“変革”は絶対的にタブー。この点を理解せぬ大馬鹿者が“改革者気取り”でアレもコレもと躍起になった時が相撲界崩壊への序曲となり得るコトは濃厚でして、畢竟、漸進的に、長期間の目処を固持して伝統へと介入していこうとする気概のあるモノが存するか否か。やくみつるの如きモノは相撲界を改良せしめるコトはなく、破壊するだけに他ならぬのに、ああした輩に関与させようとするのが今の「外部」の愚かなトコロでございます。彼奴は大相撲を滅亡へと導く!
再度申し上げるまでもなく、さすがに今回の件はおハナシになりません。斯かる不祥事が発覚した以上、相撲界の体質云々の論議は避けられず、むしろ避けるコトは怠慢に他ならん。而して体質を問うに致しても、性急に答えを欲し、改善策という衣を纏いたる改悪策を駆使する連中が殺到しそうでありますから、私は想像するだに恐ろしくて朝早くベッドから出るコトができない。
私は思うのです。体質を改善するのは果てしない時間と労力を要するはずだと・・・


若ノ鵬の事件に関する記事を二つ。


「あいつはおかしい」予兆はあった…若ノ鵬容疑者逮捕


初土俵から2年あまりで幕内力士となった若ノ鵬容疑者には、複数の親方や力士から「あいつはおかしい」との声が常にささやかれていた。神聖なけいこ場ではいつも無意味にヘラヘラ笑みを浮かべていた。昨年の夏巡業では横綱・白鵬にぶつかりげいこで胸を借りながら「うんこ漏れた」と意味不明な言葉を発し、自らけいこを打ち切る奇行に走った。


何だろうコレは。クスリで逮捕者が出ると必ずこうした類のコメントが出されます。しかしながら「『うんこ漏れた』と意味不明な言葉を発し」ってのはおかしい。コレはちゃんとした日本語ではないか。「意味不明」なのはこの記事を書いた記者。クスリで肛門がユルユルになっておったと想像してみれば、実に見事に辻褄が合うのです!



若ノ鵬容疑者が所属の間垣部屋に大麻吸引具


 大麻を所持していたとして、ロシア出身の大相撲前頭若ノ鵬寿則容疑者(20)が逮捕された事件で、警視庁組織犯罪対策五課が同容疑者の所属する間垣部屋からも大麻の吸引器具を押収したことが19日、分かった。


同課は若ノ鵬容疑者が部屋でも大麻を吸っていた疑いがあるとみて、部屋の関係者らからも事情を聴く方針。


むむむむ〜、もしかすると、コレは他にも芋づる式で・・・
付き人や若い衆は知っておったのではないかとか、同じロシア出身の力士への疑惑すら出て来る。全ては所詮疑惑なのでして、思い違いであって欲しいモンですが、なんかねぇ… 「親方はコレでも知らなかったの?」って声がもう聞こえてきそうではないか。徹底的に調べてみないと、暫くの間は外国人力士への妙な眼差しが注がれるような気がして、ソレも心配なのでございます。思い切って膿みを出すコトも必要だ。全ての相撲がファンが欲している言葉、すなわち「杞憂」 今はソレを願うのみです。

2008年08月16日

2008年08月16日 夏の受容

The Man Who夏の最も暑い盛りになると、このTravisの「The Man Who」というアルバムを聴くようにしている。本作を購入致しましたのが高二の八月十四日若しくは十五日であったろうか。おそらくそうに違いないのです。その時の記憶がダイレクトに継続されたままであって、このアルバムは依然としてかつての<夏の記憶>と親近感を保ち続けております。“アンチ夏”である当方としては、一見不可解なコトであるのだけれども、コレに触れぬまでは夏を実感できないのである。夏への反目に対して夏の受容──その両者の架け橋的存在でありますのが、この「The Man Who」
回想致しますに、私は地元四国の夏は嫌いではなかった。その時、夏への反目は鳴りを潜め、提携のムードすら存してあったのです。而して今日の留まるトコロを知らぬ徹底的な夏へのアンチテーゼ、ソレへの特効薬としてどうやら私はこのアルバムに包含される「夏の受容」的な機能を欲しているとしか捉えようがない。バランサーとしての音。均衡維持の為の音。斯かる観念を抱くのです。


実は、単刀直入に発言させて頂きますと、私はこのアルバム以外のTravisにはさほど興味がない。知識が無い。表面的には初期のRADIOHEADの如き雰囲気を漂わせておりますヴォーカルも演奏も、メランコリックでアンニュイな歌詞の雰囲気も、畢竟するにどうしようもない夏への対抗心と結びついてこそ活き活きと魅力的なモノに感じられるようになるんです。
繊細さと剛健さの両面を織り交ぜながら描き出される歌と音の世界は、意外と涼しい。やたら派手な風鈴の音色の如し。ソレを象徴するかのようなこのアルバムに収められたる名曲(と称されるであろう)3つ、すなわち「Writing to Reach You」「Turn」「Why Does It Always Rain on Me?」、何れも水辺の白鳥を思わせるかのような静謐さの中に程よき熱が籠り、かつモノクロの原風景に接した時のような儚くも淡い郷愁の念に近き感慨がございます。ソレらが看取される時、また倦怠と熱情の双方が入り乱れる時、ソレは反目と受容の見事な表象に思えて仕方ないのですから、私は自ずとこのアルバムに夏への意志を託したくなるってなモンだ。


「Turn」の歌詞で見事に、簡明に、優麗に歌われている意識を忘れないようにありたいのです。


If we turn, turn, turn, turn, turn
And if we turn, turn, turn, turn
Then we might learn
Turn, turn, turn, turn
Turn, turn, turn
And if we turn, turn, turn, turn
Then we might learn
Learn to turn


変わって、変わって、変わり行くうちに、移ろいゆく季節の中で、我々は学ぶ。
変転を遂げる中で、何かを悟り、受容と反目すらいずれは統一されると思えば、少しは心持ちも楽になりましょう。斯かる意識を保持するコトで、感情の均衡へと向うのかもしれなければ、ソレはソレは世界に優しい思想でありますまいか。ポジティブ! 世界を救うはポジティブシンキング! …んっ!? う〜ん…

2008年08月15日

2008年08月15日 −3でも生存可能

率直に申し上げると私はあまり泳げぬ。北島康介の水泳力を100であると致せば、私は−3に相当する。そもそも私は小学生の頃からプールなるモノに多大なる嫌悪感を示しておりました。アレは汚らわしい。実に実に実に汚らわしい。不浄! 誰が小便・大便を排泄していますかも分からぬままに、何人が唾液を吐きまくっていますかも分からぬままに、飛び込む。強制的に飛び込みを要求される。腹打ち!! 体育教師の低能!今に始まらず。学校の厄介者。日教組的悪魔の群れ…
ビート板、嗚呼、雑菌の隠れ家よ。プール底の滑り、嗚呼、雑菌の溜り場よ。プール周辺のトイレ、嗚呼、何たる臭い。
市民プールともなれば、ソレはもはや地雷地帯であると断言しても宜しくて、如何なる病原菌が水中に徘徊していますかは最早顕微鏡の世界でのみ判明可能であった。
海はより嫌いでございました。海水浴、ソレは終末処理場に飛び込むも同然。而して砂の付着、落しても落しても払いのけても払いのけても尚付着してくる砂の無限連鎖。加うるに海の家の衛生状態は基本的に信用ならぬのでした。そうしてソコに存するシャワールームの実に醜きコト、言語を絶し、常軌を逸しているであろう。壮絶な、壮絶な自暴自棄にでも陥らぬ限り、または生か死かの選択を迫られる機会が訪れない限り、海水に接するなどというのは、狂気の沙汰としか受け取れぬではございませんか。


水泳力が−3である私でも、生きながらえるコトはできる。ソコには簡明な事実が横たわるのみ。すなわち用もありませんのに川、池、海に近付かぬコトです。貨幣を消費してまでプールに赴かぬのは言わずもがな。畢竟、水泳などは大して要らん。水泳やむなしとなり果てるが如き危急の秋は、もはや覚悟して死を選ぶってのも、一つの生き方ではありますまいか。斯様な時は大抵のモノが溺死する。毎日報道される水の事故の例を引出して来るまでもないコトよ。危険地帯には近寄らぬが賢明でした。触らぬ神に祟りなし、の最も身近な例。

2008年08月11日

2008年08月11日 いつの間にか五輪

オリンピックだと云う。ワールド・ワイドな盛り上がりでありましょうか。
思うに、私は未だかつてオリンピックをまともに見たコトがないのであった。同様にしてプロ野球の試合もJリーグの試合もまともに見たコトがないんです。サッカーのワールド・カップの試合は幾つか始まりから終わりまでまともに見ておりますけれども、ソレも二、三に留まる。而してオリンピックともなると、柔道にしろ水泳にしろ陸上にしろ諸々の球技にしろ、果ては開会式から閉会式に至るまで、どれも結果をニュースで見るくらいに他ならず、生中継でハッキリと見た記憶がございませぬ。今回のオリンピックとて、ニュースで何とかという男女の柔道選手が夫々金メダルと銅メダルを獲得致しましたコトと、水泳の北島選手が連覇したってな情報、またはサッカーの敗退についてのコトなどを知った程度ですから、やはり生でまともに目撃はしていない。
わざと見ていないのではない。気付けば各選手がメダルを獲っているのであって、私の感知せぬうちに世の中が流れていっているかの如き有り様。
一方、しかし、冬季五輪は結構見ている。ソレは普段あまり目にすることなき、“奇妙な”競技が数多御覧になれるからなのです。この時ばかりは自分で放送時間を調べて見るくらいであるのだけれども、他方の夏期五輪は馴染み深い競技の多いため、あまり意識するコトはない。どうやら私はよく知っている競技にはあまり喰い付かぬようであった。そうして、いつの間にか閉会式になっておるのです。


斯かる具合であるから、およそ此の度の北京五輪にしても、何時何所で如何なる種目が開催されておるのか皆目検討が付かぬ。こうした事態にあって小倉サンならばウィッグもぶっ飛ぶ大惨事であるのかもしれませんけれども、私はウィッグを付けていないので、とりあえずぶっ飛びそうにはないのです。

2008年08月10日

2008年08月10日 セミからの教訓

セミの共鳴。喧噪。
今更申し上げるまでもないが、セミは凄まじい。約七年ほどの期間、地下に潜伏致しておきながら、突如としてタイミングを窺って地上へと這い上がり、脱皮した後は木から木へと飛び回っては鳴き、鳴き回っては飛びの生活を送った後、数週間で死すのです。よくよく思考してみたならば、この昆虫は阿呆だ。地上にさえ出てこなければ良いものを、わざわざ這い上がり、木によじ登り、ソコに抜け殻を遺棄して旅立つ。──死への飛行。12泊13日程度の自殺旅行でしかございません。彼は大層な野心家なるか。俺がセミならずっと地中で安息の生活を送るぜ。セミの地上への登場はハイリスク・ノーリタンでしかあるまい。己の寿命を削ってまで何故現れるのです。出たがりか? 通常一ヶ月ほどで命を失う昆虫の中におかれまして、彼奴は数年もの寿命を付与されるにもかかわらず、土の奥深くにおればより長期間生きながらえるコトができたものを、突如としてその安逸を放擲しまして、変身致したかと思えば、すぐ死ぬ。もう死ぬ。喧噪だけを残して。阿呆だ。これほど己の命をムダに使う阿呆も滅多におらぬ。ロクでもない親不孝モノでございました。親の英才教育を受けまして東大を主席で卒業するという運命を手にしたにも関わらず、大学卒業後はジンバブエの奥地で自給自足の生活を営むと言い出すくらいの戯けです。
結論と致しまして、セミから学べるコトと言いますと、人生、ムリしてもロクなコトはないぜってな教訓。要するに我々はセミを引き蘢りの味方として見るべきであって、野心的な起業家へのアンチテーゼを彼の無謀な生涯の終わりを通じて感受せねばいけない。往々にして冒険は裏目に出るのです。 そうだ!そうだ! 家にいるのが一番! お盆休み? 海外旅行? オリンピック? ノーノー 家で寝ていなさい。──セミは我々に斯かる教訓をご教授するために、今夏も只管喧噪だけを残し、死に行くのでした。

2008年08月08日

2008年08月08日 妙技見参!

あまりに暑い故に、思い切ってどーでもいーTシャツをびしょ濡れの刑に処して、それを身に纏う。而して扇風機の前に座せば、いと涼しき哉。コレは宜しい。誠に芳しい。一気に体温が低下して行きますような感覚であって、なかなかどうして手放せない夏への対抗策でありました。斯かる技を以てすれば、一日中風呂上がり直後に当たる扇風機の風を受けるが如し。ウヒョー!と言っちゃっても知らねーぜ!! もっと早くに気付いておくべきであった。1999年の七月にこの裏技を発見しておれば、私は間もなく「オイオイ!アンゴルモアの大王見つけたぞ!」と絶叫したかもしれぬ。実家の隣のHサン宅に押し入り、「オジサン、アンゴルモアの大王が来たゼー」と歓喜にむせぶ中三の男がいたかもしれぬ。…が、当時は何も到来しなかった。
それにしてもホントーにコレは素晴らしい策でありまして、五輪サッカー代表の反町監督の思いつく如何なる戦法にも匹敵する、而して五輪野球代表のダルビッシュ有が見せる秀麗なる変化球にも劣らぬ妙技ではございませんか! あまりにも嬉々としたので、もう一度冒頭の歓呼を引っ張ってきてやる。


あまりに暑い故に、思い切ってどーでもいーTシャツをびしょ濡れの刑に処して、それを身に纏う。而して扇風機の前に座せば、いと涼しき哉。コレは宜しい。誠に芳しい。一気に体温が低下して行きますような感覚であって、なかなかどうして手放せない夏への対抗策でありました。斯かる技を以てすれば、一日中風呂上がり直後に当たる扇風機の風を受けるが如し。ウヒョー!と言っちゃっても知らねーぜ!!


我ながら・・・

2008年08月07日

2008年08月07日 思考停止に酔いしれて

「愛している」なるセリフほど気持ちわるいモノもございませんで、そもそも「愛している」とは何であるのか──コレがまず以て疑念の種でありますから、とりあえず考えるのであったが、「愛している」すなわち「愛」を「する」のだと考察してみれば、ますます意味が解らなくなって参りますので、日に日に困惑が募り、「愛をする」のイメージ=SEXくらいなモンであって、ソレも十分イカサマなのでございますけれども、しかしながら単純なる連想が斯かるモノでしかないのは、いやはや三文恋愛ドラマの影響大なるか否か存じ上げぬが、ディープキスからのベッドインが「愛をする」であったれば、もはやAVですら「愛している」の表象か! イヤイヤ「愛をする」のは命がけの覚悟であると思慮致しましたら、これまたイメージが変転を遂げまして、成る程勇敢な連想が生ずるのですが、そうなってくると最早性別の問題を超越したトコロにまで持って行かされてしまうのあるから、もーどーでもいー。畢竟「101回目のプロポーズ」に於ける武田鉄矢の路上にての迷惑行為を「愛している」の限りなく過剰な表現であるなどとは当然考えたくないのでして、然ればハナから斯様なセリフに意味を求めてはならぬのではないか、ソレはあくまでも感覚的に、己のロマンティシズムに負うトコロ大であって、具体性を伴わせてはいけません、とでも考えてしまえば楽になりて良いのでした。思考停止に酔いしれて。夏の暑さに身を任せれば、出てくる一節も斯かる低俗なモンでっせ。ハイ、おしまい。

2008年08月06日

2008年08月06日 夏が悪い

夏は悪い。マジで悪いヤツだ。夏場になりますと、夜な夜な街中をヘンなヤツらがウロチョロ致す。闊歩。アイツらはウロチョロしたいからウロチョロするのではなく、暑い故にいてもたってもおられませんで仕方なくウロチョロします。全部夏が悪い。考えれば考えるほど夏は悪い。名前に「夏」が付く夏川純も年齢詐称をしておりましたので実に悪い。しかしソレも彼女が悪いのではなく、「夏」の付く名字が悪い。悪うござんした。「冬川純」なら良かった。秋川雅史は多分良いヒトだ。でないとあんな美声であるワケがない。「夏川雅史」でありましたならば、きっと長渕剛みたいなしゃがれ声で「私のお腹の上で 出さないでください」レベルの品のない卑猥な歌詞を絶叫しておったことだろう。夏川りみは「夏」のくせに美声だが、別のトコロに問題が生じている。とことん「夏」が悪い。三波春夫は「春」だから国民的な歌手として活躍できたのです。「三波夏夫」なら覚醒剤に窃盗、強姦、放火殺人を犯しておった可能性すら存する。夏は呪う。夏に怪談話が溢れ返るのが何よりもの詐称ではありますまいか。夏目漱石も「冬目漱石」であったれば『明暗』を書き上げることが出来たであろうし、胃の病にも冒されずに済んだ。夏は蝕む。夏目漱石は「夏目」でありましたばかりに精神の病にも冒された。同様の例は夏目雅子の白血病に見て取るコトができるのでした。「秋目雅子」ならば…と思えば思うほど、夏が呪わしくなってきて、いてもたってもおられませんから、コレからちょっとばかり街中をウロチョロして参りましょう。なんせ 夏 でございましてねぇ…

2008年08月02日

2008年08月02日 フーフフ フーフ♪

今週の月〜木曜日までBSで放送されておりました「とことん!ルパン三世」なる番組は誠に素晴らしい出来映えでありました。毎日でも放送して頂きたく存じ上げる。毎日でも鑑賞するつもりである。ルパンは最高だ。広辞苑も「最高」の欄に「(例) ルパン三世」と記し上げちゃいなよ。ウンウン、ルパン三世専門チャンネルとか作っちゃいなよ。
私に時間と金銭の余裕があったれば、2年くらいは引き蘢ってルパン三世のアニメ・劇場版・テレビSPの映像を眺めておれる自信がございます。「ルパぁ〜ン、三世ぇ」ってな山田サンの声が離れなくなっている。本を読んでおりますと、いつの間やらアタマの中でルパンの声が響き渡り、ルパン風に読み上げるのであった。声こそ出さぬが。脳内音読。


高校野球が開幕したんだなぁ。
テーマ曲が好き。フーフフ フーフ フッフッフッフッフッフ フーフッフッフーフ フッフッフッフ フウフフーフ♪ 多分斯様な具合であった。歌詞は知らん。──高校野球に良い思い出はない。


暑いなぁ。そろそろ終戦記念日でございまして、この季節になると比較的読み易いノンフィクション系の戦争を扱った本を読みたくなるのでした。保阪さん辺りの書き方が一番芳しき哉。専門書、研究書とまではいかない程度のモノを黙読す。夏の暑さに難解な本は堪えまして、而してノンフィクションの面白いコト面白いコト。フーフフ フーフ フッフッフッフッフッフ フーフッフッフーフ フッフッフッフ フウフフーフ♪ 多分、斯様な感じだ♪

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