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2008年08月31日 未受洗者の独言…

実在物としての神様、というか姿かたちが鮮明なものとして現れる神様を思い描こうと致すから、安易に「神様なんていない」と申し上げられちゃうのではございませんか。元来宗教思想とは斯様にして簡便に抽出できるが如きものではないはず。それに、私は神というとき、まず以てキリスト教のそれを連想するのであるから、余計に斯かることを思うのかもしれん。いえ、イスラムのアッラーにしても日本の八百万の神にしても、夫々その背景に連なる思想は異なっておりますけれど、神をいずれも実体的に(換言すれば、絶対的に確定された一つのものとして)捉えんとする試みは峻拒されていたのではありますまいか。なぜといって、それは人間崇拝、唯物論へと緩やかに至る。
聖書を精読すればそうした意見は通じないぜよ、と仰られるかもしれないのであることは承知の上です。しかしながら、神を具体的に思い描くことは、その時点で神を限定し、その全能性を否定することへと帰着す、と申し上げれば宜しいのかもしれません。その点に関するキリスト教徒の方たちの意見を見聞致した経験はある。神がこの世で実際に天の上に座しておられるはずはない、従って神の存在なんてインチキだ、すなわち宗教そのものが只の夢想に過ぎないやい!と放言するのは実に簡単でありましょう。けれども、それは非常に想像力に乏しく、精神的にも小学生レベルの戯言と思われる。また神の存在を科学的に証明してみろ、というのも同じようなようなもので、科学が絶対であることの証明が可能でなければ、その弁は崩壊せざるを得んのです。神の絶対性は科学の絶対性と同じくらいに明証不可能であれば、最も極限的なハナシを致しますと、畢竟神というの名の精神的享受物を獲得するか、または科学という名の物質的享受物を獲得するか、の二者択一でありまして、すなわち、宗教を精神的な面から重要視したエドマンド・バークに接近するか、宗教を嫌悪し「宗教は阿片である」と断言したマルクスに接近するか、の二つに一つ。然れば、私はバークに寄り添いたい。

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