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2008年08月25日 不可解なり!野球

北京五輪も幕を閉じたワケでして、さぁ、これから再び<残酷と非道の中国>へと世界の目は復帰致し、愈々危機を迎えるのであろうか──日中関係、中台関係、日台関係。そこに交わり来るインド及びASEAN諸国…


結局オリンピックの種目はソフトの決勝とバスケの決勝、そして愉快な星野JAPANの試合を見るとはなしに見た。これ程複数の種目をハッキリとテレビ観戦したのは最初の出来事なのですから、アレだ、暇潰し以上のモノではあり得た。特にバスケの決勝戦、アメリカ対スペインは誠に白熱した模様でございまして、「SLAM DUNK」以上の世界だったに違いない。やはり最後は“王国”アメリカが力で押し切るのだけども、スペインの食らい付きも相当なモノで、「おやおや、コレは最後には勝つんじゃないか!?」と思わせる場面が幾度も存したのです。特に後半の両チームによる3Pの応酬は愉快千万な内容。しかし、それでもスペインに逆転を許さなかったアメリカは見事なモノで、聞くトコロによると、何年も前から本気で金メダルを狙ったチーム編成を致しておったとのコト。そうでなけりゃあねぇ。星野JAPANにもこの辺の事情を聞かせてやった方が宜しいのではありますまいか。
ソレに星野氏は往生際が悪い。「責任はオレに有り」とか何とか宣告しておきながら、

−−力の差は感じたか
 星野「差はないと思っている」

などと強がりを申し上げる。【参照リンク:それでも「日本は弱くない」…星野ジャパン会見、一問一答
ケンカをしでかした後の子供の如き弁であって、真摯に実感したトコロのチーム力の差について言及するのが、指揮官として、また長年野球に携わってきたモノの役目だと思うのですが…(仮に技術に差がなくとも、野球はチームプレイでしょうに。此の度のチームは、集団としての力が不足しておったと認めてみれば良い。)
そもそも野球とは何であるのか。私にはよく解せぬ点がある。いったい何処の国と何処の国では人気があり、何故にヨーロッパでは顧みられないのか(ロンドンには野球場が存在せぬから、五輪種目から外されたのではないかしらん、とすら思えてきます。五輪のためにスタジアムを建造しましても、ありゃ、その後の汎用性が低い、ゼロと申し上げても良い)、如何なる理由で国際試合における使用球と国内におけるソレが異なるのか、またストライクゾーンの違いとやらも不可解の極みでございまして、規準が統一されぬ段階にありながら、ソレへの対応も未熟なまま悠々と北京へと赴き、よくもまぁのうのうと「金メダル獲得」を放言できたモノであるよと思わずにはおられません。
元来、米国から運び込まれて来ったモノであったれば、規準はやはり日本にはないのであって、勝手に変な範疇を設けて、井の中の蛙状態にありながら、国際試合へと参上してみたコトの無理が五輪において露呈したと考えるのが筋というモノではないでしょうか。WBCなるモノも結局は国際試合での規準で開催されるのでしたら、日本もそちらに合流すれば良い。魂を売るワケではないのだから。そうであってこそ、プレイする側も見る側も共に違和感を解消できるのでして、外国を相手にする以上、最低限の共通事項が整っておらなくてはいけない。ボールや審判の規準などはその最低限の部類に属するモノで、ソレを了解した上で日本独自の戦術を駆使しまして、世界と戦えば良いのであります。
柔道の如く勝手に他国にルールを改変(改悪)させられるといった事態ではない故に、その辺の規準に関しては日本がもう少し柔軟な対応を心掛けた方が良い、斯様に思慮するのです。
最後に。星野氏に一言申し上げてみたいのは、確かに勝負の世界は強いものが必ず勝つのではありませぬ。強者であっても敗退する時がある。しかしながら、たった一つ明確であろうコト、すなわち弱者は絶対的に敗北を喫す。弱者が最後まで生きながらえるが如き現象はあり得ぬ。──4勝5敗の負け越し。この成績を前に尚も強者であると見栄を張るか。「孤立した傲慢な思考は白痴に終わる。」(G.K.チェスタトン『正統とは何か』より)

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