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2008年07月31日

2008年07月31日 社会のオモテ面を知らねば!

溢れ返る空論。
俺は知らぬ。そうだ、知らぬのだ!
「社会のオモテ面」を。
社会に入りてこそ知れるモノがありましょう。
「働くおっさん劇場」に出演しておった野見サンの言葉が重く響く。
「社会のオモテ面」を知らぬモノは、所詮何を申し上げても、ソレ即ち虚妄なり。


ぬぬぬぬ〜
社会のオモテ面、社会のオモテ面、社会のオモテ面、社会のオモテ面・・・
…そもそも「社会」って何やねん。定義付けが超難解やがな。

2008年07月28日

2008年07月28日 大相撲名古屋場所感想08

斯様なご時世に「勝って当たり前」とはなかなか申し上げられませんが、現在の白鵬には何度言い上げても足りぬ。「横綱」の地位は斯くも偉大なるか。はい、誠にその通りで。


大関通過。


三賞を受賞した豊ノ島、豊響、安馬は天晴でしたけれども、私は栃乃洋が印象に残りました。負け越してるんだけども、朝青龍に勝った一番以外にも力を見せましたではないか。栃煌山も良かった。何だろう。あの地味な魅力。本当に日本的な力士であります。把瑠都も数字の上では良いんだけど、あまり印象に無いなぁ。やはり上に定着するには雑であるし、形が限られておるってな雰囲気。もっと覚えなければいけませんかいな。


しかしながら、白鵬が全勝、それに次ぐのが琴光喜の11勝とは!!! そりゃつまらんワケです。朝青龍不在で斯くも堕落! 斯くも停滞! もうこれ以上申し上げるコトはございません。以下省略。


白鵬一強時代到来、とは思いたくもないんですけど、早く朝青龍が復帰して、もう少し、もう少し、両横綱の奮戦を拝みたく感じております。本場所がダメだったから、今回の投稿もダメダメ。最低の責任転嫁。末期症状。来場所に期待。ハイ、コレ、いつも申し上げております。お相撲に関しては未来志向、ポジティブ志向。伝統文化に関してそうした意志の保持なるモノも案外悪くないもんでっせ。

2008年07月27日

2008年07月27日 東京の恋人たちの歌

暑いからブログも熱を上げておるのかもしれぬ。
トップページの方に綴り上げましょうかと企図するも、敢えてココに記しておきたきコト。


サニーデイ・サービスが8年ぶりに再結成。〈RISING SUN ROCK FESTIVAL 2008 in EZO〉に出演


サニーデイ再結成するんだぁ。18,19の時に何も考えずによく拝聴致した思い出。
でも、もう今は聴けないや。悲しくなります。サニーデイの曲は全部。特に「東京」なんて凄まじいのである。見覚えの無い郷愁。曽我部サンは如何にも東京的な音を奏でるヒトではないかと思うのでした。田舎モンのオイラには、やはりどこか合致できぬトコロがある。・・・って、彼も私と同じく四国の出身なのであったが。然るにもう色々と抜けるモノは抜けまして、キッパリと洗練されて新たな味わいが添えられている。
東京の恋人たちの歌、で良いじゃないか。
花電車を聴いた時に、何となく「ああ、コレは80年代の大阪だからこそ…」と思わせるモノがありますように、サニーデイだって90年代の東京の音だ…多分。そんな気がしておる。東京を知らない私には所詮不似合いなモノであったと思いますので、もう聴かない。聴けない。合わない。花電車を聴けるのは、私が大阪の空気なら察知できる故。だけども、だけれども、全部が全部何処かの地の空気感を漂わせていますワケではないのだから、普段は斯様なコトは考えない。が、稀に(サニーデイの如く)強烈なバックグランドが垣間見えたりすると、私は卑屈にも後退するのです。


そうして、こうして、アルバム「24時」は唯一例外的に比較的カラっとした音が多くて、結構聴くコトができたりするのです。でも、どう足掻いても「東京」はムリなんだなぁ。シュンとなるのでございまして、ございます。

2008年07月23日

2008年07月23日 一抹の不安、去来

大相撲名古屋場所、こんなにつまらない場所は久々。白鵬の独走状態は、朝青龍が欠場致した時点で考えられなくもありませんでしたが、他のモノが斯様に不甲斐ないとは! それでも大関はそんなこんなで無難に勝ち越すのだろうし、三役は本当に純粋な“三役”、役に適った相撲しか取らん。(豊ノ島を除いて)
加えるに、若ノ鵬と露鵬は頭が狂い切っておるのかいな。揃いも揃ってロシア。まともな相撲を取れぬ上に態度まで芳しくないのであれば、容赦せずに出場停止にでもしてしまえ。もしくは破門… 全くロシアはタチが悪い。コミンテルン、稀代の独裁者たるレーニン、スターリン、プーチンを生み出しました国家・民族故にか、悪魔のような振る舞いでございます。負けるコト無きヒョードルがロシア人なのも納得できるってモンだ。ロシア人であればこそ、あのような傍若無人に連戦連勝を重ねられる。民族性ってヤツだ。派手な格闘技は野蛮性の著しいロシア人の独壇場で宜しい。あくまで「ショー」としては、最高のエンターテイナーと化すのであるから。相撲の如き礼儀、作法、様式を伴う競技には、ロシア人が不適合であるといった事実がこの数年で明らかになっております。


話を戻して、白鵬はこの後もよほどの事故でも生じぬ限りは連敗を喫するコトはないだろうが、…となると、以後は全勝優勝達成なるか!ってなトコロに注目が集まるのだろうけれども、今場所のような環境であれば、全盛期へ突入せんとする横綱であれば負けなくて当然。
しかしながら、何たる時勢ですか、本当に後ろから来ませんねぇ。武豊がやっちゃう「仕掛け遅い!仕掛け遅い!」的な騎乗ミスじゃあるまいし。安馬、稀勢の里、琴奨菊等々はこのまま若の里みたいになってしまうのだろうか。一抹の不安、去来。
そもそも世代交代が進まないってのが、一つの大きな問題ではありますまいか。その点、岩佐アナウンサーならどのようにお思いになられるのでしょうねぇ。

2008年07月22日

2008年07月22日 周囲、微熱

暑い。暑い。暑い。何遍言い立てても平穏にはならず。不快度が、不快指数が、上昇致すだけなのです。おっ、今年の7月は涼しいな、と思っておりました。上旬には。ソレが何じゃ、中旬から例年の如き活気を呈して参りまして、気温33℃、34℃、35℃挙げ句には36℃、37℃、あああああー、チクショー 微熱かよ!


どうも近頃は惰性でこのブログを継続しておるような具合であって、ゲスな文字列ばかりを入力致していますコトには、やや罪悪感を抱かぬでもない。バンドだとコレはもう末期だよ。あと一枚アルバム出して解散、そのアルバムも統一感を欠くってな有様。嗚呼、面目ねぇ。曰く音楽性の違い、新たな一歩、それぞれの道・・・なんじゃそりゃ。
このブログも末期かしらん。そろそろ環境を変えた方が賢明でございましょうか。自問自答ならぬ独り言。…思えば、ブログなんてのは孤独なネット上での癒しを欲するモノの壮大な独り言だ。Twitterの如きモノが普及して来ました今、わざわざブログなどで長々と文章を綴り上げておるよりは、一文、一言、一行ずつ思い立つや否や吐き出して行くようなやり方の方が好都合なのかもしれぬ。
ちょっと、このサイトの処遇も含めて、再考せねばならないのかもしれない。
糞だ


中村一義の「ショートホープ」、素晴らしい歌詞だ。
「weezerごっこ」をしていたら出来た曲だと説明していたのを覚えている。


中村一義 「ショートホープ」


「つまらねぇ」。そんな気分に呑まれちゃって、
つまんねぇヤローになんないで。


「変わらねぇ」。そればっか、まだ言うだけで、
君も変わらないんだねぇ。まぁ、こっち向いて、


あれがダメだ、これがダメだ、ばっかだったら、もうホント、
オレの全て、今の全て、カラッポさ。

2008年07月18日

2008年07月18日 良き涙悪しき涙

涙は美しいのか。
そういえば確かにそうかもしれぬ。ナベツネに涙は不適合でしかありません。その時、涙の尊さを見る。ソレは純粋の実体化。端的なる感情の標識。
例えば、高校野球や高校バレーや高校サッカーにあっては、負ければ終わりの強迫観念的なモノが背後に取り憑いていますので、彼らは死に物狂いと化す。そうして敗退の暁には涙が落ちる。一種の美学としての敗北。斯かるモノをプロに求めんとするのは不可能でございましょう。ソレもソノはず。そもそもプロは一年を通してやり抜かねばならないワケでありまして、一試合毎に泣いてはおられん。そのようなプロはイヤなんです。
プロ野球選手・プロサッカー選手、彼らが毎試合、敗北を喫した方のモノが落涙しているのを想像するのは無気味に過ぎる。最初の方は試合が終わる度に泣く大人を見るのは愉快かもしれません。が、すぐに飽きる、コレは必定。「また泣いてんのか」と否応無く思う。その時、涙は邪魔者です。涙は時と場合を弁えろ! テレビ中継の解説者もイヤになりましょう。最初の方は「おっ! ○○選手、今日はイイ泣きっぷりです!」とでも述べられますけど、ソレが連日連夜続けば、申し上げる言葉も失い、萎える。
普段泣かぬモノが泣くから、その涙に価値が出てくるのです。泣いてばかりでは嫌気がさす。当たり前のコトを言った。世の中、美しいモノでも連日眺めていましたら飽きが到来致す。「美人は三日で飽きる」 納得。しかし相も変わらず私は付け加えたいのです。「美人は三日で飽きる? そうか。でもな、ブサイクは見た瞬間にイヤになるんだぜ!」 別の意味での涙、頬を伝う。

2008年07月17日

2008年07月17日 夏、お前、負けたな!

朝青龍いけないなー、と思うのです。なんだ もうピーク過ぎたのかってのは早合点であって頂きたい。相撲がダサイ。二年くらい前にあっては、より猛々しくもあり、渋みもあり、溌溂とし、健康優良児。


精神的に寛容でない時期であるというのは了承済みなのでしたが、やはり文句を差しのべようと大胆な振る舞いに出る対象は“夏”の名を冠する小悪魔へと向けられます。来週はお馴染みルパン3世テレビSPの新作だぜぃ。最初で最後のテレビ放映。一年に一度の機会に賭ける製作集団。夏の到来を意味しておる。TBS「愛の劇場」に於いては、コチラも恒例の「大好き!五つ子」が始まっているようだ。結構見ているけどさ、全然「大好き!」ではないんだぜぃ。はっけよ〜い のこった! の「はっけよ」くらいで立ち上がろうとするくらい憎たらしいドラマであると存じ上げます。しかしながら、だが、とりあえず“のんちゃん”だけは頂戴な。


髪の毛が伸びてくる、伸びてきた。伸びてこなくても良いのに。嫌がらせだぜぃ。髪を切りに行くのが、ボロボロと崩れ落ちるアップルパイの皮と同じくらいにイヤ、髪を切りに行くのが、パラパラと滴り落ちるドーナツに付着されておる粉砂糖みたいなヤツと同じくらいにイヤ、髪を切りに行くのが、夏の高気温と同じくらいにイヤ!! グッバイ、梅雨!
何年ぶりかに床屋に行ってみようかしらん。気分的に床屋の方がバッサリ切って頂けるのではないか、との期待。美容師サンは、ちょっと全体のバランスを考え過ぎて守りに入りがちのような感触がございます。対する床屋のオッサンは、「短く頼む!」と申せば、「ハイよ!」ってなノリでガッツリ切り刻んでくれるのではないか。…とはいえ、近所には如何なる謂か、美容室ばかりが立ち並ぶ。理容室も存するにはありますが、古ぼけた小屋の如き建物で、爺さんが単独行動で営んでいらっしゃいます雰囲気、やや危険、「いちげんさん、おことわり」の相を呈している。気のせいだろうか…
“1000円床屋”的なモノ、目と鼻の先にでもあれば良い、が、あらぬ。嗚呼、10分1000円でそれなりにサックリと対処してくれるサービス精神旺盛(考えようによっては、最大級の客冒涜!?)なトコロに、今、執筆者は逃げ込みたいのです。
いずれ切ってやる。7月の終わりから8月にかけて。ざまぁみやがれぃ、髪、伸びてきた髪。

2008年07月13日

2008年07月13日 アンチテーゼ猛暑

小学生の時だったかなぁ。世界地図などと睨めっこをしていましたら自ずと外国の地名も覚えてくるようになるので、そうした知識の微々たる蓄積によって、私は「万国共通」を「バンコク共通」のコトだと勘違いしておりまして、「ん〜? なんでタイ基準でモノを語るんだ?」と思っておった。「バンコク」知りて「万国」知らず。あの時分の自分の方がよほどボーダレスであった、よほどコスモポリタニズムを信奉致してあった、或いは潜在的にアナルコ・キャピタリズム的性質であった、のかもしれん。ウフフフ、フランクフルト学派が悪くてオーストリア学派は良かった。そんな戯言を言いながら、・・・アラッ、お相撲が始まった。だからワーイワーイ。

2008年07月12日

2008年07月12日 悪いヤツの思考

The old pond
A flag jumps in
The Sound of water


「古池や 蛙飛び込む 水の音」
此の句を英訳してみたのですが、何とも味気ないような気が致しましょう。
日本人はどうであろうか? この有名な句を聞いて、或る風景、或る水の音を思い浮かべるという、斯様な感慨を持ち合わせるか否か。しかしながら、ソレが単に「The Sound of water」に解消されてしまうんじゃあ、なんとも詰まらぬ。俳句はどうしても日本的で、国境を超えられそうにないのでございましょうか。


さて、先日から超絶にアホなストーリを考えついておりますのですが、ソレは“ハレとケ”に関したような紛いモノで、嗚呼、俺に文才がありゃあ、これをテーマに野暮な小説でも綴り上げたのに…と悔やむばかりなのでした。
すなわちこうでしかないんだ。「ハレ」を単に非日常として、また「ケ」を日常のモノであると思考しますれば、またソコに世に蔓延る羞恥・暗黙といったモノを同時に重ね合わせて…主に日常、すなわち「ケ」における秘められた部分に対するあまりにも理不尽な怒りを根源に持つやるせなさ──斯様なモノを描くロクでなしのハナシ。「ケ」を我々の基礎と想定してみて、「ハレ」が畢竟「ケ」に発するモノでありましたら、「ハレ」の優美さを強引に「ケ」へと還元できないかってな愚問。「ハレ」の魔力を「ケ」に引っ張り戻してくる。それも最下層部に。そうして「ケ」における羞恥・暗黙を、「ハレ」の持つ稀少さによって正当化(誤摩化し)せんとする暴論でした。然るにこんな試みは“ハレとケ”に対する攻撃のようなモノでしかないのかもなぁ。で、以下の如きやりとりに集約されるコトになりそうなお笑いモノ。


マトモなヒト:「何でソレを見せるんじゃー!!!」
攻撃者:「何でソレを隠す必要があるんじゃー!!! <祭り>を生み出したヤツだってソレを見せないコトには始まらなかったよぉ!!! 生命の根源を隠すなよー!!!」
マトモなヒト:「…あのね、下品」
攻撃者:「ソレを下品というなら、俺ら全員、魂までも下品じゃー!!!」


明日からは大相撲名古屋場所。ああ、名古屋ですか。そうですねぇ。琴欧洲の綱取りがああじゃこうじゃと申されているようですが、なんとまぁ厳しいような気配。白鵬の巻き返し、ありそう。千代大海サンは負け越せば引退、ですよねぇ。多分。 どうなることでしょうかい。
暑くて暑くて暑くてアンチオリンピックにもなり得るかもしれぬが、そこはかとなく押し寄せて来るは良心の大津波。ワッショイ、ワッショイ。

2008年07月08日

2008年07月08日 ショッキングイメージ

秋葉原の事件以来、ダガーナイフが規制の方向へと進んでおりますってな報道を受けて、「ナイフを完全に規制するなんてコトはムリだっぺ。今はネットで色んな種類のナイフが購入致せるのですぅ〜」と思って、ちょっくら探索してみておりましたところ、このような画像を発見して、なんじゃコリャと思うのであった。何を意図しとるんでごわしょう。こんな格好でナイフを持っているヤツを初めて鑑賞したのですが、またナイフの規模が途方も無くワールドワイドなのも不気味。こんな風でございまいして、果たしてナイフの絶妙なる宣伝になると誰が考えるでございましょう。微熱があったにしては冒険し過ぎな魅せ方でありますし、他方で平熱にしては地平が逆転致しておるではないか。斯様なモノを“シュール”と定義するのでしたら、野菜サラダの天ぷらや短いハイソックスをもシュールで。
如何様に熟慮してみても、まずは自明の事柄として、こうした巨大なナイフを持参して街中を闊歩する度胸、ソレは決して認可され得ない。条例に触れる。警官の気も狂れる。しかしながら、よりマズイのは上掲の写真にあるが如き女の衣裳だけでも十分に警官の気に狂れそうだってコトです。
何はともあれ快・不快を壮大に齎すほど踏み込んだ第一印象の提供は避けるに越したコトがない。忖度、コレ重要あるね。


※何故にか当ブログの過去ログが一部消えておりまして、閲覧できなかったようでございますが、一応復旧させました。しばらくの間消えていましたようですから、Googleのような検索エンジンからも当ブログの情報が抹殺されたみたい。ソレはソレで或る意味良かったのかもしれないのだが。だが…

2008年07月07日

2008年07月07日 駆けずりまわる青春

Dr.スランプ実は私にとって鳥山明といって「ドランゴンボール」より「Dr.スランプ」のイメージが強烈なのであった。小学低学年の時分には、週に二、三回、夕方にアニメ版「Dr.スランプ アラレちゃん」が再放送されていまして、再放送とも知らず連日連夕「アラレちゃんアラレちゃん」と騒ぎ立てながら楽しみに見ておったのです。(ちなみに、私が中一の時にリメイク版が放送されたが、個人的にコチラはイマイチなのであります。)そのようなワケで、(多分)私が一番最初に接した漫画が「Dr.スランプ」であろうコトは確実だ(多分)。しかし、どうしてであろう? クラスに一人くらいは必ず「ドランゴンボール」に詳しいモノがいたにも関わらず、「Dr.スランプ」に詳しいモノとは出会えずに来たのです、私は。・・・ああ、無念なり。斯くなる上は、またもや独り言の如く、何かをポツポツと言い立てるより他に道は残されていないようでございます。


何が印象的といって「ほよよ〜」とか「うんちゃ!!」とか「キーン!!」とか、斯かる一言で見るものを独自の世界に誘う主人公のアラレちゃん、しかもむちゃんこ純粋な笑顔で相手をボコボコにするという、よく思考致せばとんでもない残虐性を覆い隠したその正体に言いようのない魅力を感ずるのです。この漫画をガキの頃に注入されたモノならば一度は必ずマネしたであろう「ほよよ〜」、「うんちゃ!!」、「キーン!!」の三連打、考えれば考えるほど些細な魔術である。而してその周囲にいる登場人物もほとんどがイっている。相棒のガッちゃんは言うまでもなく、鍔北弊(つばぺっぺい)なる村からペンギン村へと来った摘一家、最高のアンチヒーローでありますスッパマン、“愛の頭突き”栗頭先生、ニコチャン大王とその家来、「パパパ パーマ♪」の腐れマセガキ皿田キノコ、凄まじいお顔のお春婆さん、今では集英社の親分的存在にまで出世した鳥嶋和彦氏をモデルにしたDr.マシリト等々、どれもが一流の個性を備えたエンターテイナーの集合体ではございませぬか。


この漫画、私の生誕以前に連載が終了しておるのですが、今日原作を読み返しても実に新鮮である。この時点で鳥山明の世界観が既に確立されているのには驚嘆するのみ。それで何が愉快といってキャラだけではなく、世界全体がギャグ化されておるという事実に他ならぬ。宇宙から眺めた地球が地球儀であったり、夜と昼の転換がカーテンを開けるように移り変わったり、作者自身が作中に浸入しギャグを演じてペンギン村の世界と同化してしまったりと、およそ利用できそうなモノは悉く“道具”として遊ばれてあるのです。
改めて見るに、後に「ドランゴンボール」で採用されたアイデアの萌芽となり得るようなモノも幾つか散見されたりして、私なぞは「なんだ、ココからドラゴンボールまでは紙一重じゃないか。…そりゃそうか、同じ作者だもんなー ハハハー」などと感慨深げでございます。


さて、そういうワケでして、私が最も好ましく思っておりますキャラはと申しますに、原作コミックでは最終18巻に数回登場しただけのオートバイこぞう。ひたすらバイクに乗り続けているだけで、ずっとフルフェイスのヘルメットを着用致しております故に素顔すらも分からず仕舞いで、おまけにバイクから降りると死んでしまいます<オートバイカラオリタラシンジャウ病>に罹患していますから、食事も排泄もバイク上で済ますってな設定が最高にギャグ漫画チックで宜しい。
次いでやはり則巻千兵衛がイイ。何だかんだ言ってもこの男はどうしようもない天才だし、ギャグ漫画における存在としても満点であろうと、勝手に採点させて頂きます。そして、全然注目されないんだけど、妙に記憶に残りますのはアラレと同級生で常に面を被っているナゾの男児──ねじしきクンです。また、パトカーを壊され続ける警官二人組(ガラとパゴス)の上司的存在──パゴスも忘れられない。


アニメ版の方ではオリジナルストーリーも複数製作されており、その中でも忘れられぬ作品が幾つか存す。例えば「きせきの焼き魚定食」などはその一つで、思えばアニメではよく顔を出しておった会話をするコンピューターは原作には登場しないのであって、彼が存分に力を発揮するこの回は、やはりギャグアニメとしては秀逸であろう。内容は原作二巻に所収の「イチゴパンツ大作戦の巻」を下敷きにしているような気も致しますけど、ソレを焼き魚定食をテーマとして焼き直す辺り、誠にこの作品らしい。


先日、久々に原作を読み返しつつ実感したコト。何度も「あ、コレもアニメで見た」との回想が駆け巡り、アニメ→原作の順で「Dr.スランプ」に触れた私は、未だに六〜九歳の齢にあって強烈に叩き込まれた(テレビアニメ版の)アラレちゃん熱から解き放たれてはおらぬって事実。コレは私の中における「Dr.スランプ」の占める比率が如何に見過ごせぬモノであるかを悟らせてくれて、そうした記憶の多きコトは、今なお私がどれほどこの作品を愛好し続けているかの左証でもあるのです。

2008年07月05日

2008年07月05日 夏の風物詩’08

LEE 30倍さあ、今年もやってきました! この季節です。
LEE30倍(+15倍=45倍)です。今年は例年よりも5倍増しの<45倍>! 私の中では、コレこそが「夏の風物詩」といえるものです。


たまに冬になっても売れ残ってる時がありますが、基本的には、夏季限定商品。


普通のインスタントカレーは「辛口」でも「中辛」くらいの辛さしかないからイヤだ。
そんな中、このLEE30倍こそ真の辛口カレー。オンリーワン。


昨年までは唐辛子を丸ごと一つ投入してたりしたものですが、豈図らんや、ソレはさほど意味をなしておらず…、どうも曖昧路線だった故にか、今夏は原点回帰?
マッシュルームを排し純粋なるビーフカレーへ。味は昨年よりも良くなった気が致す。ビーフカレーの旨味を生かし切れているのではないかい。


で、辛さの方は増強ソースが15倍になるなどしてアップ・・・と思ってたんだけど、アレ? 昨年と同じレベルじゃ!?・・
気のせいか?
いーや、絶対同じくらいじゃ!
5倍くらいの差じゃ大した差異を実感致しかねます。思い切って“25倍”くらいの増強を試みて55倍にしては如何かしら、グリコさん。


・・・まぁ、それでも、他のインスタントカレーよりは、何倍も辛さを楽しめるから良いです。
今年の夏もこのカレーにお世話になりそう。
夏は大嫌いだけど、辛いものは好き。
だからLEEも大好き。
でもやっぱり夏は大嫌い。ぴゅーんって飛んでいけば良いのに。


【二年前の初夏に記し上げたLEE30倍の感想文章(06LEE30倍の感想)があまりにアホ、稚拙、愚の骨頂、大根足ガールでしたので、今回のモノは敢えてソレの自己パロディーへと踏み切らせて頂いたのです! 参考リンク:夏の風物詩

2008年07月04日

2008年07月04日 93.2度だからねぇ…

スポーツをしているヒトが、ミスをした後に無表情で冷めた具合であって、何事も無かったかの如く振る舞い、気持ちを切り替えようとしている時の表情が好きなのであるから致し方ない。この際いっそのコト映像化して頂きたく存じ上げます。「ミスを何事もなかったかのような表情で取り繕おうとする人々」ってな邦題で。DVD、定価1800円なら一つだけ購入する…そのうち。9.1chで鑑賞しましょうぜ。スピーカーこそ所持しておらぬが。無きモノが設置されてある気になって、四方八方から音が雷鳴するが如く…


それにしても暑いのです。昨日などは最高気温が華氏93.2度までも上昇しまして、本年度に突入して以後初めて本格的にエアコンを稼働させるなどという大胆で破廉恥な始末。嗚呼。而して今日も同等の気温の上り方。なんと下品な! 登山家の片隅にもおけぬヤツめ! 馬鹿の一つ覚えのように。あまりの暑さに初めて「Oh,My God!」と呟いてしまいました。アメリカ英語ではあらず、イギリス英語寄りの発音で「Oh,My God!」──わざと“My”の部分を強調して、自己主張を肯定。なぜなら、民主主義の世の中だから。個性個性と力説される世の中にありつつ、然るに社会は強烈な個性の登場に驚異を覚え、ソレらを暗殺するか徹底的に否認するという嫉妬心を抑制した偽善的正義心に満ち溢れておる。強烈な英雄不在の時代、ソレは社会のせい。個性と裏面で敵対する平等謳歌の時代。平等は魔の思想。Oh,My God! 平等こそ真っ先に差別されんことを。Oh,My God! ユートピアはもう目前だな。


…今日は気狂いじみたイイ文章を綴り上げるコトができました。これ以後もずっと斯様なモノが描ければ良いのであるけれども、ソレは不幸な間が継続するか否かによる。ああ、当分の間は不幸そうだから良いかもしらん。思えば高校生以降今日に至るまでの七、八年は相も変わらず不幸の連鎖でございまして、問題はソレの微妙な波動。そうして畢竟不幸が幸福に転換していますので、幸福は窮極的に不幸でしかない、逆説的に申せば。・・・「逆説的」の意味が解せんが。

2008年07月02日

2008年07月02日 冬来たりなば春遠からじ!?

人生、賭けてみようと思うのです。
ハナからオレは<安定>という天使から相手にされてないみたいだから。

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