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2008年07月07日 駆けずりまわる青春

Dr.スランプ実は私にとって鳥山明といって「ドランゴンボール」より「Dr.スランプ」のイメージが強烈なのであった。小学低学年の時分には、週に二、三回、夕方にアニメ版「Dr.スランプ アラレちゃん」が再放送されていまして、再放送とも知らず連日連夕「アラレちゃんアラレちゃん」と騒ぎ立てながら楽しみに見ておったのです。(ちなみに、私が中一の時にリメイク版が放送されたが、個人的にコチラはイマイチなのであります。)そのようなワケで、(多分)私が一番最初に接した漫画が「Dr.スランプ」であろうコトは確実だ(多分)。しかし、どうしてであろう? クラスに一人くらいは必ず「ドランゴンボール」に詳しいモノがいたにも関わらず、「Dr.スランプ」に詳しいモノとは出会えずに来たのです、私は。・・・ああ、無念なり。斯くなる上は、またもや独り言の如く、何かをポツポツと言い立てるより他に道は残されていないようでございます。


何が印象的といって「ほよよ〜」とか「うんちゃ!!」とか「キーン!!」とか、斯かる一言で見るものを独自の世界に誘う主人公のアラレちゃん、しかもむちゃんこ純粋な笑顔で相手をボコボコにするという、よく思考致せばとんでもない残虐性を覆い隠したその正体に言いようのない魅力を感ずるのです。この漫画をガキの頃に注入されたモノならば一度は必ずマネしたであろう「ほよよ〜」、「うんちゃ!!」、「キーン!!」の三連打、考えれば考えるほど些細な魔術である。而してその周囲にいる登場人物もほとんどがイっている。相棒のガッちゃんは言うまでもなく、鍔北弊(つばぺっぺい)なる村からペンギン村へと来った摘一家、最高のアンチヒーローでありますスッパマン、“愛の頭突き”栗頭先生、ニコチャン大王とその家来、「パパパ パーマ♪」の腐れマセガキ皿田キノコ、凄まじいお顔のお春婆さん、今では集英社の親分的存在にまで出世した鳥嶋和彦氏をモデルにしたDr.マシリト等々、どれもが一流の個性を備えたエンターテイナーの集合体ではございませぬか。


この漫画、私の生誕以前に連載が終了しておるのですが、今日原作を読み返しても実に新鮮である。この時点で鳥山明の世界観が既に確立されているのには驚嘆するのみ。それで何が愉快といってキャラだけではなく、世界全体がギャグ化されておるという事実に他ならぬ。宇宙から眺めた地球が地球儀であったり、夜と昼の転換がカーテンを開けるように移り変わったり、作者自身が作中に浸入しギャグを演じてペンギン村の世界と同化してしまったりと、およそ利用できそうなモノは悉く“道具”として遊ばれてあるのです。
改めて見るに、後に「ドランゴンボール」で採用されたアイデアの萌芽となり得るようなモノも幾つか散見されたりして、私なぞは「なんだ、ココからドラゴンボールまでは紙一重じゃないか。…そりゃそうか、同じ作者だもんなー ハハハー」などと感慨深げでございます。


さて、そういうワケでして、私が最も好ましく思っておりますキャラはと申しますに、原作コミックでは最終18巻に数回登場しただけのオートバイこぞう。ひたすらバイクに乗り続けているだけで、ずっとフルフェイスのヘルメットを着用致しております故に素顔すらも分からず仕舞いで、おまけにバイクから降りると死んでしまいます<オートバイカラオリタラシンジャウ病>に罹患していますから、食事も排泄もバイク上で済ますってな設定が最高にギャグ漫画チックで宜しい。
次いでやはり則巻千兵衛がイイ。何だかんだ言ってもこの男はどうしようもない天才だし、ギャグ漫画における存在としても満点であろうと、勝手に採点させて頂きます。そして、全然注目されないんだけど、妙に記憶に残りますのはアラレと同級生で常に面を被っているナゾの男児──ねじしきクンです。また、パトカーを壊され続ける警官二人組(ガラとパゴス)の上司的存在──パゴスも忘れられない。


アニメ版の方ではオリジナルストーリーも複数製作されており、その中でも忘れられぬ作品が幾つか存す。例えば「きせきの焼き魚定食」などはその一つで、思えばアニメではよく顔を出しておった会話をするコンピューターは原作には登場しないのであって、彼が存分に力を発揮するこの回は、やはりギャグアニメとしては秀逸であろう。内容は原作二巻に所収の「イチゴパンツ大作戦の巻」を下敷きにしているような気も致しますけど、ソレを焼き魚定食をテーマとして焼き直す辺り、誠にこの作品らしい。


先日、久々に原作を読み返しつつ実感したコト。何度も「あ、コレもアニメで見た」との回想が駆け巡り、アニメ→原作の順で「Dr.スランプ」に触れた私は、未だに六〜九歳の齢にあって強烈に叩き込まれた(テレビアニメ版の)アラレちゃん熱から解き放たれてはおらぬって事実。コレは私の中における「Dr.スランプ」の占める比率が如何に見過ごせぬモノであるかを悟らせてくれて、そうした記憶の多きコトは、今なお私がどれほどこの作品を愛好し続けているかの左証でもあるのです。

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