« 夏、お前、負けたな! | もどる | 周囲、微熱 »

2008年07月18日 良き涙悪しき涙

涙は美しいのか。
そういえば確かにそうかもしれぬ。ナベツネに涙は不適合でしかありません。その時、涙の尊さを見る。ソレは純粋の実体化。端的なる感情の標識。
例えば、高校野球や高校バレーや高校サッカーにあっては、負ければ終わりの強迫観念的なモノが背後に取り憑いていますので、彼らは死に物狂いと化す。そうして敗退の暁には涙が落ちる。一種の美学としての敗北。斯かるモノをプロに求めんとするのは不可能でございましょう。ソレもソノはず。そもそもプロは一年を通してやり抜かねばならないワケでありまして、一試合毎に泣いてはおられん。そのようなプロはイヤなんです。
プロ野球選手・プロサッカー選手、彼らが毎試合、敗北を喫した方のモノが落涙しているのを想像するのは無気味に過ぎる。最初の方は試合が終わる度に泣く大人を見るのは愉快かもしれません。が、すぐに飽きる、コレは必定。「また泣いてんのか」と否応無く思う。その時、涙は邪魔者です。涙は時と場合を弁えろ! テレビ中継の解説者もイヤになりましょう。最初の方は「おっ! ○○選手、今日はイイ泣きっぷりです!」とでも述べられますけど、ソレが連日連夜続けば、申し上げる言葉も失い、萎える。
普段泣かぬモノが泣くから、その涙に価値が出てくるのです。泣いてばかりでは嫌気がさす。当たり前のコトを言った。世の中、美しいモノでも連日眺めていましたら飽きが到来致す。「美人は三日で飽きる」 納得。しかし相も変わらず私は付け加えたいのです。「美人は三日で飽きる? そうか。でもな、ブサイクは見た瞬間にイヤになるんだぜ!」 別の意味での涙、頬を伝う。

« 夏、お前、負けたな! | もどる | 周囲、微熱 »