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2008年08月16日 夏の受容

The Man Who夏の最も暑い盛りになると、このTravisの「The Man Who」というアルバムを聴くようにしている。本作を購入致しましたのが高二の八月十四日若しくは十五日であったろうか。おそらくそうに違いないのです。その時の記憶がダイレクトに継続されたままであって、このアルバムは依然としてかつての<夏の記憶>と親近感を保ち続けております。“アンチ夏”である当方としては、一見不可解なコトであるのだけれども、コレに触れぬまでは夏を実感できないのである。夏への反目に対して夏の受容──その両者の架け橋的存在でありますのが、この「The Man Who」
回想致しますに、私は地元四国の夏は嫌いではなかった。その時、夏への反目は鳴りを潜め、提携のムードすら存してあったのです。而して今日の留まるトコロを知らぬ徹底的な夏へのアンチテーゼ、ソレへの特効薬としてどうやら私はこのアルバムに包含される「夏の受容」的な機能を欲しているとしか捉えようがない。バランサーとしての音。均衡維持の為の音。斯かる観念を抱くのです。


実は、単刀直入に発言させて頂きますと、私はこのアルバム以外のTravisにはさほど興味がない。知識が無い。表面的には初期のRADIOHEADの如き雰囲気を漂わせておりますヴォーカルも演奏も、メランコリックでアンニュイな歌詞の雰囲気も、畢竟するにどうしようもない夏への対抗心と結びついてこそ活き活きと魅力的なモノに感じられるようになるんです。
繊細さと剛健さの両面を織り交ぜながら描き出される歌と音の世界は、意外と涼しい。やたら派手な風鈴の音色の如し。ソレを象徴するかのようなこのアルバムに収められたる名曲(と称されるであろう)3つ、すなわち「Writing to Reach You」「Turn」「Why Does It Always Rain on Me?」、何れも水辺の白鳥を思わせるかのような静謐さの中に程よき熱が籠り、かつモノクロの原風景に接した時のような儚くも淡い郷愁の念に近き感慨がございます。ソレらが看取される時、また倦怠と熱情の双方が入り乱れる時、ソレは反目と受容の見事な表象に思えて仕方ないのですから、私は自ずとこのアルバムに夏への意志を託したくなるってなモンだ。


「Turn」の歌詞で見事に、簡明に、優麗に歌われている意識を忘れないようにありたいのです。


If we turn, turn, turn, turn, turn
And if we turn, turn, turn, turn
Then we might learn
Turn, turn, turn, turn
Turn, turn, turn
And if we turn, turn, turn, turn
Then we might learn
Learn to turn


変わって、変わって、変わり行くうちに、移ろいゆく季節の中で、我々は学ぶ。
変転を遂げる中で、何かを悟り、受容と反目すらいずれは統一されると思えば、少しは心持ちも楽になりましょう。斯かる意識を保持するコトで、感情の均衡へと向うのかもしれなければ、ソレはソレは世界に優しい思想でありますまいか。ポジティブ! 世界を救うはポジティブシンキング! …んっ!? う〜ん…

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