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2008年05月31日

2008年05月31日 射程圏内?

たいようのマキバオー4巻「たいようのマキバオー」も気付けば4巻、連載開始から一年が経過とのコト。展開は遅いようで、意外と早い。早いようで、意外と遅い。


この4巻では前作「みどりマキバオー」の思い出が登場です。そして文太も強くなりそうな雰囲気を醸し出しておりましょうか。なにせフィールオーライとあのような結びつきを描いた以上、両者が無関係で終わるはずはなかろうってコト。マキバオーとカスケードの如き関係を期待するも、現時点ではザ・たっちときんさんぎんさんの間におけるが如き差異がある。さて、如何に進展するか。


後半は、ジャパンダートダービー。
つの丸の自在性が発揮されたレース展開でして、各馬をシッカリと描いておるのはさすがの技量。出走メンバーのメンコの模様または表情一つをとってみても、ソコに個性が刻みつけられておりますので、馬群の中であってもアノ馬のあんな表情、コノ馬のこんな表情が堪能できる。
そしてアマゾンの「凶弾」 競馬マンガにおいて斯かる直接的な表現は或る意味で新しい。こうしたユニークな描写が生き生きと存在しておるのは、つの丸の築き上げてきたスタイルがあってこそ。
いやぁ、今後が実に楽しみなマンガです。


ちなみに、どうやら表紙が「みどりマキバオー」の各巻と対応している模様でしょうか。すなわち「たいようの〜」の1巻は「みどりの〜」の1巻と、「たいようの〜」の2巻は「みどりの〜」の2巻と…といった具合であって、夫々が同様の構図、或いはパロディ的な絵柄。
こういうトコロの遊び心は、「みどりマキバオー」からのファンにとってはこの上なく嬉しいのでございます。どうか末永く続いて下さいませ。私もチュウ兵衛親分に拝もうかしらん。

2008年05月30日

2008年05月30日 奇跡のエロス

ベレー帽のオジサンがアナタの眼前を横切ったのであれば、彼は幸せの簒奪者なり。身ごもれ! いや、身構えろ!だった…


どーでもいーかもしれぬが、とりあえずは十人十色なる四字熟語を念頭に置かれたい。そして以下のサイトを閲覧されたし。


クローズアップ『鈴木 亜美(スズキアミ)』|エキサイトミュージック(音楽)


このサイトに於かれまして見られます鈴木亜美の写真は凄まじい。とんでもない写真を発見してしまった。コレはほぼ完璧なるエロスの体現であります。斯かるエロスの女神を放置しておくのも無念でありますから、とりあえず私は保存したのであった。(実は私、偶然にもこのページに達した時、「ふーん、鈴木亜美か…」と思っただけですぐに別のリンクへと飛んだのでしたが、瞬く間に「・・・!!? アレ? ちょっと待てよ!?」と思い直し、再度戻ったのです。戻って良かったー!)


顔の角度、頬の質感、髪型、変な花、さりげない手・指、腕の太さ、ふくらはぎ周辺のドレスの透け具合、足の部分、全てに渡りエロス偏差値83を維持してある。コレで彼女が「もう飽きた」と言えば、愈々完璧に成り果てる。なぜ「もう飽きた」であるかと申しますと、ソコには媚態が存せぬからです。
哲学者の九鬼周造は『「いき」の構造』において、広く人口に膾炙している如く「いき」(粋)を構成する要素の一つとして「異姓に対する媚態」をあげたが、私の場合にあってはおよそ軸を異にする。すなわちエロスとは、畢竟マゾヒスティックとサディスティックのせめぎ合いでございますから、この場合、彼女が纏う純白のドレスはマゾヒスティックの象徴であって、変な花は屈折した魔性性を暗示する。この花には葉が付属しておらず、ソレは実直に己の欲求のみを果たしたいとする直線的な願望を表すのです。而して拍車をかける相乗効果として茎は長く若干の湾曲を伴う。ココに至りその希求致すモノのやや世間ズレした感を漂わせますと共に、絶頂への過程の短縮を峻拒する繊細な意思が垣間見れるであった。端的に申せば、マゾヒスティックの中に芽生えるサディスティックへの或るアピール、…言わば自己の内面世界に根付くエロスの欲望を現実の手段で以て達成せんとする豊穣な野心を見出すコトが可能であり、ソレが明らかになるのが、挑発的な開放感を連想させる適度な足の開き具合と、更に敢えて視線を高所に向けたトコロに生ずる「もうソレ興味ないの」と言わんばかりの愛想の打ち消し、次なるモノへの期待であります。後者はマゾヒスティックの貪欲性と能動的に結びつく魅惑を持つ。斯様なワケでして、ココにて漸く拝聴できます媚態なき「もう飽きた」の声。ソレはマゾヒスティックがサディスティックに覆い被さった状態──マゾヒスティックに導かれるサディスティック、という元来ありきたりなエロスに対する逆転現象の確立──なのです。


コレは素晴らしい写真だ! この写真を撮影したモノは天才だ!
エロスの基準も十人十色でありましょうが、私にとってコレほど完璧なエロスの表現はもはやあり得ぬように思念されるのでした。まさしく奇跡の一枚!!

2008年05月27日

2008年05月27日 「人権」は中耳炎になれ!

何かが生ずれば我先にと半裸で荒野を闊歩するが如く「ソレは民主的じゃない」などとほざき立てます思考停止中のコメンテーターは悉く急所を蜂に刺されれば宜しいのです。
嫌いな言葉は「民主主義」なのであったが、しかし現状にてはソレに代わる制度というモノが存せぬのも事実でありますから、或いは好きな言葉も「民主主義」なのかもしれません。ただし、暫定というカッコ付きでのおハナシ。


しかしながら、他方で、中学生の時分から「人権」なるモノには無気味な影を感じておったのですが、最初、新井英樹氏が「ザ・ワールド・イズ・マイン」に於いて以下に見られるセリフを須賀原譲二に発せさせたのを見出して以後は、漸次ソレが胡散臭いモノであるかの如く思われ始めたのである。


人権を差別せよ。
自ら社会を逸脱する者にその生における平等はない。
人命を差別せよ。
社会と個人の命を秤にかけた時、民主主義は迷わず社会を選択せねばならない。
「ヒューマニズム」を差別せよ。
その言葉の響きに酔いしれ 思考を停止した者のみが殺すことをすべて悪とする。
人間とは あまりに不完全な度し難い生き物であるにもかかわらず、
神をも恐れず懸命に守るべき命と葬るべき命を常に選択してきたのだ。
ならば 差別すること 殺すこともヒューマニズムである。
──「141 勝者なし」


その後、“封建主義者”である呉智英氏を始めとする数名の「人権」批判を目にするに及び、矢張りソレは猛毒の魔語ではあらぬかとの疑念を抱く。而してフランス革命に対峙したるエドマンド・バークが「人権」への嫌悪感を表明しましたコトを以て、愈々私の裡にあっても、もっと「人権」は疑われた方が良い、もっと懐疑的眼差しで検討されるべき事柄である、と主張したき今日。
どうも「民主主義」は嫌いであると申し上げるワケにもいきませんが、「人権」だけはキライでしかないんです、と明確に言える。果してソレに依れば「解放」されるらしい、人間が。何からの解放? 知らん。知らないでも宜しいのですヨ、「解放」されるのだから、ってのが「人権」ですかい? なんとまぁ、「人民解放軍」にも負けぬ劣らぬの詐欺的名称ではございませんか。それならば、冒頭に挙げた「民主的」の三文字で以て現状批判した気になっておる愚劣な下等生物にも負けぬノータリン(死語)。「人権」なんて水虫になってしまえ!

2008年05月25日

2008年05月25日 大相撲夏場所感想08

チェスティート! 琴欧洲。お父さんも喜んでおりました。最高の親孝行じゃないか。何たる美談! 亡くなった先代も喜んでいることであろう。
それに引き換え、横綱は…いや、横綱わ! 何という事態でございましょう。今まで鉄板だった両横綱が揃って不甲斐ない結果に終わるとは誰が予測致しましたでしょう。おまけに今日の千秋楽。朝青龍のダメ押しがいけないのだけども、白鵬もカッカしちゃあいけない。土俵上で荒れるのは芳しくない。また内館の婆さんが発狂するじゃないか!
そもそも朝青龍も白鵬も中盤くらいまではそれほど問題無かったのです。終盤に至り、急激に立ち合いで後れるようになり、安易に相手に上手を与えたり、奪われたり。すなわち立ち合いで負けている相撲であった。ナゼかは知らん。白鵬は序盤にやや慎重過ぎる気配もあったのだけど、中日には良い相撲、本来の相撲を取り戻した如くに思われたのですけれども。
その点、琴欧洲が先場所までと決定的に異なっていましたのは、立ち合いから有利に差し手争いをこなせたコト。スピード感がございました。今まで朝青龍が見せつけておったすぐに己有利な体勢へと導き込む機敏さを、今場所は琴欧洲が目一杯発揮したのである。安美錦に破れた一番は、まぁ やむを得ない感もあるのだけど、それでも十四勝──他の大関陣のコトを持ち出してくるのも申し訳ないが、正に<今の大関>らしからぬ成績でありますまいか。今場所の如き相撲を取れるのであったら、確実に横綱になれるものを。
さて、来場所はどうなろうか。実はまだ琴欧洲の実力を確実には信頼しかねておるのです。


殊勲賞に安美錦、琴欧洲に唯一土を付けた一番に見られたように、相変わらず憎い相撲を取りました。


敢闘賞:稀勢の里、豊ノ島
技能賞:安馬


期待され続けています力士が揃って活躍した場所だった。横綱に反比例して。
特に安馬が良かったなぁ。土俵際での柔らかさや、瞬発力では随一のモノを持っているではありませんか。現在、最も大関に近いヒトだ。
あと、幕内では普天王も良かった。徐々に番付を戻してきましたな。


十両。千代白鵬が初優勝。
今まで期待されていたのだけど、朝青龍のハードなしごきがあったりして、怪我に泣かされたりして、大変だったりして、漸く結果が出た。これからも期待して宜しいであろうか。


来場所。一番の注目は、両横綱の立て直しと安馬。琴欧洲はまた無難にまとまりそうな気がして怖い。そして最多角番記録に達した千代大海。正直、組まれたら琴欧洲の親父サンよりも弱いんじゃないかと思うが、まぁ、どうなるコトでしょうか。暑くてイヤになりますが、それではまた名古屋で。

2008年05月23日

2008年05月23日 フーフーする小粋

暑過ぎて沸点に到達致しました上に、部屋の温度が遮二無二下がろうとはせぬから、三十分ばかりエアコンを稼働させたのでした。初エアコン、略して“はエコン”、蠅来ん、と覚えれば吉。
しかし、斯かる暑さの中にあって、実家から新茶が届いた。煎茶であろう。ほうじ茶ではない、疑いなく。祖父が半ば未開人の如く、山中で生活をしておりますから、ソコに存するお茶畑で採取したお茶をコチラに送付してきた次第。ジャパニーズ・グリーン・ティーは普段ペットボトルくらいでしか摂取しません。それ故に急須がないから万事休す。ダジャレを言ったつもりはない。如何したモノかと苦慮して思慮した結果、レンジサーバーにお茶っ葉をぶち込んで、お湯を注げば、見事に急須に成り変わったのでございました。天晴!
元来、非常に小さき何とか焼きの湯呑みは保持しておったから、レンジサーバーから湯呑み(小)へとお茶を注げば、果たして和洋折衷の完成哉。こうして湯呑み(小)で暖かい煎茶を飲み下すってのは、何とも小粋なモンであります。
だが、しかし、これからの季節、暑き茶を飲みまくるのは過剰な努力を要す。それともフーフーしながら汗かき汗かき流し込むのが別段小粋なのでありましょうか。それならば小粋すらをも放棄致したく存じ上げる。


付け加え。
さて、まさか二日続けて両横綱が破れ、琴欧洲が優勝するであろう流れとは!
正直なハナシ、もはやムリであると思った。琴欧洲は千代大海の偉大な後継者であるとも思った。先代に捧げる優勝か!
それにしても、朝青龍も白鵬も驚くべき失速具合である。立ち会いから完全に相手に形を作られておるようなのが横綱であろうとは、何たる過激なノンフィクションでありましょう!?

2008年05月21日

2008年05月21日 ↓ダウン↓

共和党のマケインさんを徹底無視したくて致し方のない日本メディア。
オバマよりマケイン!


キムタクがカップヌードルのCMでフォークを用いておるのが気がかり。
カップ麺は割り箸!


Matchbox Twentyの「Black & White People」はイイ曲です。

So one more day down
And everybodys changin
One soft sweet sound
Is just enough to clear my head

2008年05月20日

2008年05月20日 バラバラ

レポートを書くので忙しい。隙を見つけてブログを記し上げる。私は短期集中型。小分けにするのが誠に苦手なのでした。だからレポートにしても、二日以内でパッパと綴りたいのであった。修論の素材になりかねないモノなのであるからして、それなりに本気で書きたいのですが、お相撲をテレビジョンにて観戦しながら書きつけた一品に如何程の有効性存す?
それで白鵬が負けた。千秋楽までは負けそうにない予感でありましたけど、まぁ、今日のは内容的にはやむを得ないトコロもありました。而して琴欧洲がまさかの単独トップ。全勝なんて! その勝ち星を千代大海って大関のヒトにも分けてあげれば良いのに。


バレーの最終予選とかいうのをやっている。バレーって日本でばっかり開催されているように思うけど、気のせいかしらん。知らん。


平川地一丁目が解散するらしい。弟がイケメンなのは記憶済みでございます。
しかし、兄弟でやっておったのを解散するってのは、フツウのバンドやユニットの解散とは異なり、いわば別居状態になるが如し、であるのでは!?

2008年05月18日

2008年05月18日 悪魔の判決

間垣親方、豊桜…また暴行発覚で厳重注意


陸奥部屋では今年1月24日、十両豊桜(34)が序ノ口力士を調理器具のお玉で頭を10発程度殴打。力士は8針(約7センチの切り傷)を縫った。(中略)間垣部屋では今月14日の朝、間垣親方(元横綱若乃花)が、序二段力士の両太ももを竹刀で殴打していた。原因は力士が親方の信頼を損ねる問題を起こしたからという。


豊桜はちょっとやり過ぎであろうか。コレは芳しくない。然るに果たして間垣親方の件は、そこまで問題視する必要があるのか否かが分からぬ。「親方の信頼を損ねる問題を起こした」ってのに如何程の信頼性を置くかが問題なのですが、仮にコレを信頼すると致しましょう。そうするのならば、竹刀による行為で以て警告を付与したという意味で、斯かるモノは日本の武道や寺社修行にあって長年是認されて来ったコトに他なりません。而してこの一件を持ち出して殊更に難詰するようなのは、ソレを幼稚な精神と言うより他にない。


外部委員の漫画家やくみつる氏は「野球で言えば次はない警告試合の状況の中、相撲界はまた自分たちのやり方を通した。厳しい処分が必要になる」と訴えた。


騒音が生じているのであります。
あまり巧みではない比喩の後に、「相撲界はまた自分たちのやり方を通した。」とは言うが、この男は物事の差異を判別しかねる幼児の如く、あらゆるモノを己の都合に従って処理されねば満足できないとでも述べるつもりなのでしょうか。甚だ不可解。彼の申し上げる「自分たちのやり方」、ソレは即ち相撲界に存する伝統であって、コレは悉く時代錯誤であるから、一端解消してしまえ! そう絶叫しているのだろうか。それで“再発防止検討委員会”などという奇妙で陳腐な連中しか集っておらぬカルト宗教のようなトコロが設定する新たな規則に全面的に服従しろ! このような狂気の沙汰としか思えぬ妄言を吐いているのだろうか。そうではないことを祈願す。
確かに、従来のやり方が暴走してしまい、重大な事件を起こすことがあるし──現実に時津風部屋では発生した。従ってそのやり方は最早通用せぬから、全て破棄すべきだ。…ココにある「従って」は全然意味を成しませぬ。義務教育を受けていれば、ソレくらいは誰でも理解可能。けれども、やくみつるはソレすら解せずに、「従って」に有効性を与えたくて与えたくて仕方のない破壊衝動を兼ね備えておる狂人か!? 「武田」といって武田真治しか認めない狭量、武田信玄が泣いている、武田修宏は相変わらずヘラヘラしている、武田薬品だってCMをしている、モンスターペアレント顔負けの難癖さ。

2008年05月16日

2008年05月16日 一行の偉大さ

暑い。
ビートルズを聴いておる。
早起きをしました。
冷奴に冷酒が美味の季節であることの実感。
酔った。
J・S・ミル『自由論』を通読、やはり不愉快な本であった。
ハイエク『自由の条件』が如何に優れていますコトか。
the band apartのニューアルバム、変わった! バンアパが変わった!
オリジナルがオリジナルへと達する目前。
カール・ポパーを精読致したい。
本日は四時間ばかりの睡眠時間なり。
バカリズムはいと面白き。あのキャラもやうやう好みつ好まれつ。
「エドマンド・バークは絶対に必要だ!」
センセイが斯かるコトを申すのを傾聴致して嬉しくなった。
柳田國男をメインに研究してきたようなセンセイなんだけど。
バークと柳田、コレは正しく橋川文三の影響でありましょう。
決める、ほぼ決意しかけておる。
俺ぁ、自分で確定申告をするような仕事に就く。
サラリーマンはどう考えてもムリだ。
もしくは特殊な世界、特殊な会社に紛れ込むか。


暑い。
ずっと「A Day In The Life」が一番好きな曲なのです。あらゆる曲の中で。

2008年05月12日

2008年05月12日 愚者の選択

松本人志が硫化水素自殺で「放言」 「アホが死んだら別に俺はええねん」


何がいけないのであろう。
「アホが死んだら別に俺はええねん」って日本語はオカシイけど。
誰も擁護する積りはなく、単に自殺を峻拒致す。
こうした発言を問題とする生物の背後には、日教組の思想に共感して堪らない輩の、やれ「人権」だのやれ「平等」だのとほざき立てる頽廃した頭脳と相通ずるモノを感じ取らずにはおれないではありませんか。そういう害毒こそ真っ先に消毒せねばならぬ。と思い続けて・・・
ところで、G.K.チェスタトンがこういうコトを申し上げた。ソレを思い出したので、ココに綴っておきたい心境。


自殺は単に一つの罪であるばかりでなはない。自殺はまさに罪の中の罪である。究極の悪、絶対の悪であって、生命の存在そのものに関心を持とうとせぬ態度にほかならぬ。生命にたいして忠誠の誓いを拒否することにほかならぬ。(中略)象徴的に言って、彼の行為は、どんな婦女暴行よりも、どんな爆弾狂の破壊行為よりも性が悪い。なぜならば、それはあらゆる建物を破壊し、すべての婦女を辱める行為だからである。泥棒ならダイヤモンドで満足する。ところが自殺者はそうではない。そこが自殺者の犯罪たる所以なのだ。(中略)物を盗むということは、盗まれた人のことは大切に思わぬとしても、盗んだ物を大切と思えばこそである。ところが自殺者は、地上から何一つ盗もうとしないことによって、地上のあらゆるものを侮辱するのだ。花のために生きることを拒否することで、あらゆる花をけがすのだ。彼の自殺が嘲りとならぬものは、たとえどんなに小さな生き物であろうと、この宇宙の中にただ一つとしてない。木の枝で人が首をつれば、木の葉は怒って散り、小鳥は憤激して飛び去るだろう。みな、自分に直接個人的な侮辱を受けたからである。(中略)自殺者は、自分以外の何物にもあまりに関心を持たぬ結果、もうこれ以上何も見たくないと思う人のことである。
『正統とは何か-新装版-』 春秋社 一二五〜一二六頁


激越です。あまりに激越です。
事前の想定に反して、この文章を引用してしまえば、もう私の記し上げようとするコトなどどーでもいーと観念致した。
自殺するという愚行、それは遺族にまでも恥をもたらすモノであって、あらゆる面において同情する余地なしでもあって、而して同情は偽善であって何でありましょう? 「遺族の感情を逆撫で」云々。ソレでアナタの胸中が満潮になると証言して頂けるのであらば、コレはもう果たして十分誠に結構な仕業だ。
そうして、斯様な時に、或る者は烏合の衆を味方に備えたと決め込みまして、嬉々として安っぽい“ヒューマニズム”を振りかざしながら何やらを絶叫する。──それがマスコミの正体でなくして何であろう。それが日教組の正体でなくして何であろう。それが人権屋の正体でなくして何であろう。斯様な流れで以て、最後にこう言っておきたい─「人権」なる二文字に象徴されるモノは、往々にして“理性”と書かれた衣を纏った酔狂による危険な綱渡りを見るが如し。
世の中には<尊重されなくなる>モノとて確固として実在するというコトを、それとなくココに置いていかんとする行為であった、今日のコレは…

2008年05月10日

2008年05月10日 禁忌

昨日、昭和八年に出版されてある『ジョンソン博士とその群』なる書の一部にエドマンド・バークに関する論考が収められてありますのを知ったので、早速図書館へと赴き、その一部を入手したのであった。そして現在半分程読んでいるのでしたが、何と申しても今から七十五年ばかりも前に世に出されたものであって、およそ現在単発的に出されておるバーク論とは一味も二味も異なるです。そもそも戦前に著された論考、論説、論文等は、現在流通してあるモノと著しく型を異にする場合が間々ある。ソレらの多くが──例えば今日の学者のセンセイが書き上げる論述と比較した場合においては──要点をパッパッと羅列し、それを華麗に連結させるといった具合の業で以て構成されているかの如くに思うです。つまり、今日的なソレは微に入り細に入り適切な例証等を一つ一つ御丁寧に試みんとするのに比し、昔日のソレは、必要なる最小限度の部分だけを適宜準備し、列挙し、そして一気に縫合するといった手合いの構成でありまして、予め読者との間に何らかの意思疎通を前提としておるかのような…そうした“オーソドックス”な、或る意味で潔さとも言える感が存する。而して斯かるモノこそ、元来日本人の<性>に合うのではないでしょうか、などと思うのであって、こうした要素こそ戦後の日本に欠落したモノではあらぬか、左翼の丸山眞男共が勇んで否定しようとしたモノではないか、とは過剰に過ぎる先物取りの暴論ですが…結論─戦後は宙に浮いた空論ばかりであった。故にマルクス、ルソー、ヘーゲルなどが好まれるのに、バークやトクヴィルは数年前までほとんど顧みられるコトが無かったのでありましょう。


と・・・こうした無理早急な見解の後に続くコトは、改めて思うに、論文を記し上げるに際して、幾らルソーやヘーゲルが百害あって一利なしとはいえ、資料として手元に置いておくコトの必要性を日々痛感致していた、ってな事態です。今に至るまで、それらの悪魔の書物を購入するコトは、岩波等の出版社に金を投げ渡すものであるとの罪悪感を抱き、それによる苦悩、葛藤もございました。だが、常にそれらの誤謬を確認してゆくには、わざわざ図書館から借りては返却し、借りては返却しの日々にサヨナラを告げねばならぬ。そうでありまして、とりあえず以下の奇怪なる書物を新品で購入するのです。計おそよ6100円の<壮大なる無駄遣い>。


ルソー:人間不平等起原論・社会契約論
デカルト:方法序説
ホッブズ:リヴァイアサン(2)
ヘーゲル:歴史哲学講義 (上)
ミル:自由論
ロック:統治論


ロックの『統治論』はさほどでもないのでしたが、それ以外の書物はサリンにも匹敵する危険性を備えてある。上のルソーから、読みながら「コイツ、アホやろ!」と突っ込まずにはおれない有毒性を強く包含する順に挙げた。妄想と偏屈の塊。そういうコトであるからして、amazonで購入したのだけど、コレらの本を箱に詰めたヒトは、或いは「とんでもない時代錯誤の哲学(というよりこの場合はただの“虚妄”)愛好者がいるなぁ」と思ったかもしれん。そうです、時代錯誤なんです。愚痴にも遠吠えにもならぬ負け犬。明日からお相撲さんはいつも通り土俵に上がるというのに。

2008年05月08日

2008年05月08日 裸の大将アルバム

The Slip暑さが漫ろに自己主張を開始した初夏。その虚をついてNine Inch Nailsが、と申し上げるよりもトレント・レズナーが、オフィシャルサイト上でニューアルバム(「The Slip」)をタダで解放致した。
参考リンク:nin.com
→アルバムダウンロード:nine inch nails: the slip


最近は斯様な試みの増加しておるコト、タダほど高いモノは無きとやら何とやらではありますが、しかし、こうして一流の人々が野心的にも己の渾身の一撃を普くに平等に問いかけんとする挑戦は、果たして如何なる影響を及ぼしてあるのだろうか。そもそも何たる手段で以てその制作費を回収する予定でございましょう。ライヴだけで達することが出来ようか、いや、よく分からぬ。


と、いうワケで、私もタダの恩恵に与って、ダウンロードさせて頂きましたのでしたが、嗚呼、フツウに立派なアルバムだ。(しかもどうやら曲毎にイメージピクチャー[ジャケット]が異なっておる手の施し具合!)
タダでっせ。
コレで良いんか。
正統なNINの音、シッカリした従来のトレント・レズナーの表現。
真新しさこそ無いモノの、だがタダで世に提供されたる一品にコレ以上の度合いを希求したるなどというのは横暴に過ぎるってモンだ。もしや!彼は何ともマゾヒスティックな… イヤ、ソレは早合点であるか。
だが、何であれ、おそらくタダで配布されてある音源の中では最高峰に位置する作品ではなかろうかと思うのでして、コレを眼前に、コレを以て、さもドラマ「裸の大将放浪記」にて、画伯が旅先に御礼と致して自らの秀逸なる作品を残して颯爽と去り行く様を想起しましたモノも、決して私だけではあらぬと思慮したのです。


…という結論で、コレは「裸の大将アルバム」でした。
だが、果たして本作は全然“Slip”するようなシロモノではなく、むしろ“Jump”しても摩訶不思議と言うには及ばぬ完成度。──強引に過大解釈するならば、コレをタダで受け取った方が驚いて“Slip”するゼ的な、イヤ“Slip”させちゃうゼ的な、斯かるイタズラ心までもが見え隠れのする嬉しい一品、お得な一品。オススメの一枚、裸の大将万歳!

2008年05月07日

2008年05月07日 ストレス掃き溜め場

チッ 届く予定の荷物が届かぬ。大体メール便はいつも遅いんだ。一回国外に出ているのではないかと本気で疑ってしまうのでした。えっ!?何故にこんなに遅延? 何経由? 首都圏発モスクワ経由西日本着とかそーゆーんじゃないよね? 如何なる由縁、如何わしき事態。もしかして飛脚? えっ!?この時代にもしかして飛脚? そんなワケはなかろうに…
メール便なんて役立たずだ。料金をうんと値上げ致して、利用者をして通常宅配便を使用せしめるようにしてしまえ。まさかの「して」三連打である。


夏場、汗をかいてかかぬフリを決め込む夏場。もうすぐだ。本日性急にも蚊を発見致したのであります。死ねば良いんだ、夏なんて。低い部屋にいるのを忘却して、テンションが上がりまくって飛び上がった拍子に頭を強打して死ねば良いんだ。
そして早くメール便よ来れ!!

2008年05月02日

2008年05月02日 ワイルドで行こう!

よし!今日は半袖で行くのだ!と決意したのでして、而して学校へ行ってみれば、見事に半袖野郎は私だけだったのである。何で? 何でじゃ、何でやねん! 何ばしょっと? お外に出る前にいいとも!を見ていたら、さまぁ〜ずもオリエンタルラジオも半袖を着用致しておりましたって事実も存するのですが、斯かる事態は何人たりとも眼中になし? いやはや皆芸人ではないか。いや、しかし、半袖=芸人なる法則は当然毛頭成り立たぬ。むしろ半袖=原始人の方があり得そうなモンではありますまいか。けれども、畢竟ソレも「イイ国作ろう関東大震災」と覚えるくらい甚だしき誤りでございまして、実に片腹痛し。モチロン、決して半袖に着られていたワケではありません。ソコはキッチリと豊穣に万全体制であった。にも関わらず・・・
私は毎年ゴールデンウィークに境界線を、春と夏の峻別を挙行するのであった。ゴールデンウィークを以て扇風機とTシャツがご光臨致す。となれば、私にとっては、「え? 今頃まだ長袖?」となるのでありますから、コレはコレでハチャメチャだろうかしらん? 
―まさかの疑問形でした。誰に尋ねているでもない独り言で疑問形なんて白痴だよ。しかも高々半袖を着た着ないの話題でココまで書き連ねるとは白痴だよ。それに何が「扇風機とTシャツがご光臨致す」だ、白痴だよ。


今週発売された『別冊 ヤングマガジン』に掲載の「RIN」最新話は誠に素晴らしい。試合の描写もさることながら、各登場人物の言動が秀逸。コレは或る種のカタルシスでもあろうか。天才は、偉大な才能は、あらゆる凡人の膨大な努力を笑いながら一瞬で破壊するのです。確かに愉快千万。ヒトは、屢々或る破壊に対しては賞賛に近い感情を伴って歓迎し申し上げる。およそ自己とは無関係の地点において、瞬間的になされた破壊行為は、愈々人々の胸中を掻き混ぜ、カタルシスをもたらすのです。ソレを悲劇の一端であるとも知らずに。いや、悲劇であったればこそ、真に感嘆するのではないか。すなわち、悲しみの裏には歓喜―嘲笑、愚弄、蔑み、諦観に基づく奇怪な歓喜―が存するのではございませんかいな。
分かり易く言おう。かつて曙が(本人にとって)可能な限りの努力をしてリングに上がってはKO負け(見事に無様に)、また(本人にとって)可能な限りのトレーニングをしてリングに上がってはまたKO負け(華麗に無惨に)を繰り返していた日々、あれなぞは或る一面から見れば明らかな悲劇です。しかも、救いようのない、手の施しようがないレベルの悲劇なのであったが、然るにヒトはソレを笑った。コレとて物凄く小さな、異常に小ぃさなカタルシス、重箱の隅を突き回した末に漸く見えて来るか来ぬかといったレベルでの極細のカタルシスであろうことは、およそ見方によっては真実らしく思えるのであります。ただしこの場合、曙自身が己の悲劇性を奪い、喜劇的要素が前面に進出してきたコトにこそ最大の問題がありそうなのだが、ソレはまた別のコト… そうして上記の如きモノは、斯様な性質(=歓喜を大いに伴った悲劇性)をより顕在化したモノであると申し上げるコトにおいて、私は些かも吝かでないのである。


今日のまとめ:ちょっと長く書きすぎた。

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