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2008年05月02日 ワイルドで行こう!

よし!今日は半袖で行くのだ!と決意したのでして、而して学校へ行ってみれば、見事に半袖野郎は私だけだったのである。何で? 何でじゃ、何でやねん! 何ばしょっと? お外に出る前にいいとも!を見ていたら、さまぁ〜ずもオリエンタルラジオも半袖を着用致しておりましたって事実も存するのですが、斯かる事態は何人たりとも眼中になし? いやはや皆芸人ではないか。いや、しかし、半袖=芸人なる法則は当然毛頭成り立たぬ。むしろ半袖=原始人の方があり得そうなモンではありますまいか。けれども、畢竟ソレも「イイ国作ろう関東大震災」と覚えるくらい甚だしき誤りでございまして、実に片腹痛し。モチロン、決して半袖に着られていたワケではありません。ソコはキッチリと豊穣に万全体制であった。にも関わらず・・・
私は毎年ゴールデンウィークに境界線を、春と夏の峻別を挙行するのであった。ゴールデンウィークを以て扇風機とTシャツがご光臨致す。となれば、私にとっては、「え? 今頃まだ長袖?」となるのでありますから、コレはコレでハチャメチャだろうかしらん? 
―まさかの疑問形でした。誰に尋ねているでもない独り言で疑問形なんて白痴だよ。しかも高々半袖を着た着ないの話題でココまで書き連ねるとは白痴だよ。それに何が「扇風機とTシャツがご光臨致す」だ、白痴だよ。


今週発売された『別冊 ヤングマガジン』に掲載の「RIN」最新話は誠に素晴らしい。試合の描写もさることながら、各登場人物の言動が秀逸。コレは或る種のカタルシスでもあろうか。天才は、偉大な才能は、あらゆる凡人の膨大な努力を笑いながら一瞬で破壊するのです。確かに愉快千万。ヒトは、屢々或る破壊に対しては賞賛に近い感情を伴って歓迎し申し上げる。およそ自己とは無関係の地点において、瞬間的になされた破壊行為は、愈々人々の胸中を掻き混ぜ、カタルシスをもたらすのです。ソレを悲劇の一端であるとも知らずに。いや、悲劇であったればこそ、真に感嘆するのではないか。すなわち、悲しみの裏には歓喜―嘲笑、愚弄、蔑み、諦観に基づく奇怪な歓喜―が存するのではございませんかいな。
分かり易く言おう。かつて曙が(本人にとって)可能な限りの努力をしてリングに上がってはKO負け(見事に無様に)、また(本人にとって)可能な限りのトレーニングをしてリングに上がってはまたKO負け(華麗に無惨に)を繰り返していた日々、あれなぞは或る一面から見れば明らかな悲劇です。しかも、救いようのない、手の施しようがないレベルの悲劇なのであったが、然るにヒトはソレを笑った。コレとて物凄く小さな、異常に小ぃさなカタルシス、重箱の隅を突き回した末に漸く見えて来るか来ぬかといったレベルでの極細のカタルシスであろうことは、およそ見方によっては真実らしく思えるのであります。ただしこの場合、曙自身が己の悲劇性を奪い、喜劇的要素が前面に進出してきたコトにこそ最大の問題がありそうなのだが、ソレはまた別のコト… そうして上記の如きモノは、斯様な性質(=歓喜を大いに伴った悲劇性)をより顕在化したモノであると申し上げるコトにおいて、私は些かも吝かでないのである。


今日のまとめ:ちょっと長く書きすぎた。

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