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2006年05月31日

2006年05月31日 ふと思ったこと。

大東亜戦争時の陸軍に富永恭次中将という最強のヘタレ司令官がいた。この男は陸軍の特攻隊編成の中心人物であったとされている。数えきれない程の若者たちが自らの生命を犠牲にして、守るべきものを守るために散華していったが、富永は時が来ると前線から逃げるように退避したのであった。
単に待避するだけなら、"普通の"ヘタレだが、富永の場合はそれよりもタチが悪い"最強の"ヘタレなのだ。というのも彼は、隊員が出撃する前に「私も後で貴様たちを追っていく」と言いながら、状況がヤバくなると逃げたのだ。当時の軍司令官にはあり得ないような事である。それなら最初からカッコつけたようなことを言うな、ということだ。その点海軍の特攻隊編成の中心人物とされる大西瀧治郎などは見事なものである。しかし、一番見事というか、忘れてはならないのは、その意志がどうであれ、自らを犠牲にしてまで戦った無数の兵士たちだ。
彼等の心境いかなるものであったのか。こういうことを考える時、まず「七生報国」や「八紘一宇」、「悠久の大儀」という言葉が出てくるが、おそらくはそれよりももっと身近で、自分にとって大切なものが、彼らの念頭にはあったのだろう。


自分の生命を投げ出してまで、守るべき、大切なもの。


そういうものがパッと頭に浮かんだアナタはきっと幸せ者。私は・・・・

2006年05月30日

2006年05月30日 「キーチ!!」9巻

「キーチ!!」9巻キーチ9巻。一応本日発売です。私も近所の本屋で見つけました。本棚の隅にこっそりと一冊だけ置いてた。なんちゅう扱いの悪さだ。


ところで「子供編」ってなんじゃ。今までずーーっと子供編だったのか。次は大人編になるのか。しかしよく分からん。とりあえず自然にフェードアウトってのだけは勘弁願いたいものです。


内容については、コレを読んでるヒトの中にまだ9巻を持ってないヒトもいるだろうから善意のある割愛。


まー、一言にいえば相変わらずスゴい。
何が、どこが、どのように、どうなっているから、スゴいのか。具体的な感想を書き出したら3時間くらいかかりそうだから止める。


この9巻は新井英樹の皮肉たっぷりな現実描写漫画と捉えて良いかもしれん。決して責任追求をしようとかいうのではなく、単に、民主主義をはじめとして、自由競争経済または最近良く言われる「格差社会」、及び政府やマスコミ各機関、さらにはマジョリティーに群がる連中、状況によって都合良く変わる現代社会の民意・世論などへの批判などを含みつつ、でも、結局それら全てをシュールにアイロニカルに、第三者的視点から描いているような感じ。言い換えれば、甲斐が言う世の中を動かす「金」「法律」「情報」「暴力」の四つに取り付かれた軽薄な観念への疑問とも言えるのではないか。
時代とその対象こそ違えど、作者である新井英樹自身の中には、宮沢賢治が童話の中で描き出したようなタイプの厭世的思想や純粋な人間性と共鳴し合う部分があるのかもしれない。などと感じました。


それにしても甲斐の台詞回しと、キーチの眼は恐いくらいだ。作中のセリフを引用すれば「あの眼光、ただ者じゃねえぞ…」という意外に、無い。
もし、現実社会に、キーチみたいな少年が降臨すれば、世の中はどんな風に受け止めるんだろうか? ねぇ。

2006年05月28日

2006年05月28日 郷土愛→愛国心の謎

そもそも愛国心なんぞは学校で教えるようなものなのか。どうやって教えるのだ。日本は素晴らしい国ですから、皆さん好きになりませうね。なんていうのか。バカらしい。学校で無理矢理に教わるものでもなかろうに。こんなことを教えなければいけなくなったのは何故だ!日教組がいけないのか! 一体どうなっているんだ!!正しい歴史認識とか出来る限り客観的な思想を学校で教えれば、それがすなわち愛国心形成に至ると思うんだけどなぁ。


愛国心は、まあ、良いとして、政府はそれと一緒に郷土への愛着も教えたいみたいだけど、このやり方がちょっと気になる。元来郷土への愛着である郷土愛(パトリオティズム)と愛国心とを同じ繋がりで教えることはおかしくないか。郷土愛と愛国心は実は別もんじゃないか? なんか無理矢理に混同させてグチャグチャにしようとしている気がするでごわす。


郷土愛というのは、自分が生まれ育った地、そこにある自然や町並み、使い慣れた方言、その地域だけの伝統や風習など、そういうものに基づき、ヒトにとって凄く根源的なものであり、無意識に形成される。そして非常に限定された狭いものでもある。また一切の政治的思想や政府組織・権力体制とは無縁のものである。
だから、仮に母国の政治や政府組織が崩壊しても、郷土愛は消えるものではないだろう。自分にとっての故郷が存在し続ける限り、郷土愛というものは残り続ける。
一方の愛国心というのは常に外国との意識の上に成り立つ。国という概念が無ければ、愛国なんていう感情は生まれない。
無意識に形成されていくのを常とする郷土愛と、実は母国・外国という意識があって初めて湧き出てくる愛国心。
郷土愛の延長線上に愛国心があるというが、実際はこれら二つのものは、元来異なるものではないか。


もの凄く飛躍した話かもしれないが、こういう考え方もできる。
もし今自分の母国が植民地化されたら、それまで自分が属していた国への愛着を捨てて一気に領主国となった国への愛着心(愛国心)が持てるかどうかという問題。普通は持てないだろう。そうすると植民地化されたら、愛国心というものは無くなってしまうのだろうか。形式上は自分が今まで属していた国が吸収されたような形になるわけだから。愛国心を持とうにも甚だ面倒なことになる。クリリンは18号が好きだったけどセルに吸収されて18号は消えてしまった。それじゃあクリリンはセルを好きになったかということである。むしろ憎んだじゃないか。手も足も出なかったけど。


このような場合、自分が育ってきた郷土への愛着は変わらず持ち続けられるだろう。郷土自体は何も変わって無いのだから。ただ愛国心となると、寸断されてしまうのが普通の感情の帰着する所だ。
必ずしも郷土愛と愛国心が繋がっているとはいえないことの例になりはしないだろうか。まぁ、こんなことは現代の日本ではまずあり得ない極端な例ではあるが。


しかし、いずれにせよ、無意識の内に普遍的に存在するヒトの根源的な感情である郷土愛と、外国との意識の上に成り立ち、国というものの規定のされ方により変化してしまう恐れがある愛国心との繋がりは実に複雑で、それを同一線上に捉えて良いのかどうか、正直まだよく分からん。
けれども、郷土愛を無理矢理に愛国心に結び付けようとする思想は、若干無理のあるもので、そこに民主主義政府の苦しさというか周到さというか、なんか目に見えない外圧的なものの存在が見え隠れしているように思うのは、考え過ぎだろうか。
それに郷土愛と愛国心の間には、何かしらの障害があって、普遍的・根源的な感情である郷土愛が意外とモロい愛国心のことを邪魔だと感じることもあるかもしれない。滅多にないことだろうけど。


とにかくこれはもう厄介な事柄だ!こんな厄介なものをあんなにあっさりと法律に盛り込んで良いものか。


・・・でもアレだ。こんなことを夜中の3時過ぎに考えてても仕方がないので、もう諦めて寝ようと思う。雑文放棄。私の人生諦めばっかり。諦めが肝心という言葉に甘え過ぎているな。

2006年05月27日

2006年05月27日 晴天の霹靂とはこの様な事ですか?

ON今回は独り善がりな気持ちを書きまくったに過ぎないことを予め言っておく必要があるのではないかという気がする。というのも正直Boom Boom Satellitesに対しては1stアルバム以後なんかガッカリというかアレッというかう〜むというか、そういう煮え切らない感想を持つことばっかりだったのだけど、先日出たこの5th「ON」は今までのマイナス感情をある種の驚きを伴って一気にプラスへと変える程凄く良いアルバムだったのだ。


1st「Out Loud」以後、どんどん音楽的な幅が広がり、サウンドに関しても、大雑把に言えば「頑丈」になっていくことは実感できていたんだけど、それは私のツボを刺激するものでは、無かった。
一口に言ってしまえば、彼等のアルバムは常にクオリティが高かった。けれど「Out Loud」で抱いた私の期待やらイメージやらは、その後の彼等の作品とは結びつかなかった。だから、私は、どうやら本人たちの志す方向性と私が待っているモノは食い違うものなのだという結論に達していた。
しかし、しかしだ。ここにきて事態は急変! 何だこれは!これは私が当初勝手に彼等に対して抱いていた期待やらイメージやらとは乖離するものである。…にも関わらず、これは!!!
ああ、なんということだろう。今まで私が予期していたものとは全く異なるタイプのモノをBoom Boom Satellitesは教示してくれた。


私は「Out Loud」のようなアルバムばかりを待ち望んでいたのではない。むしろそれとは別のタイプのアルバムを期待していた。そして彼等は常にそういう期待に応えるものを出してきた。ただ、上述のように、それは私のツボを刺激しなかったというだけのことだ。
これは凄く微妙な問題で、一概にどういうモノを私が待っていたかは、非常に形容し難い。というか、し難かった。
しかし今となっては容易なことだ。私が待っていたのは、まさにこのアルバムのようなモノなのだ。
私自身もこのアルバムを聴くまで、自分がこういうモノを待望していたとは気付かなかった。ただ漠然と「Out Loud」を聴いた時に残る、あの昇天せんばかりの高揚感をもって、何かしらの思いを寄せていた。
そして、今回ついにそういう理想と対峙し得たということなのだ。しかし、改めて言うが、まさかこういうタイプの音を自分自身が渇望していたとは、なぜだか気が付かなかったのだ。


・・・今日は、沢山書いたからもう良い。
私が待望していたという「こういうタイプの音」とはどういうものかというのを、私ははっきりと説明できない。文才が無いから。
だから今回はこれで終わりにする。でも、なんかそれで良い気がする。
音楽なんてのは本来、聴いて何らかの感情を刺激できれば良いものだ。そういった意味では万人が異なった趣向を持っているといえるから、あれやこれやと説明する必要なんて、本当は無いのだろう。
だから、感想だけで十分だ。今日はちゃんと感想を書けたから、先生にも怒られないと思う。これで提出しても大丈夫だろう。

2006年05月22日

2006年05月22日 大相撲夏場所の感想

結局白鵬の優勝だった夏場所。
雅山の快進撃は本当に予想外だった。
でも私としては把瑠都に尽きる場所だったなぁ。


以下適当な見解。
まず優勝した白鵬ですが、尻上がりに調子が良くなっていったような感じがします。もう横綱の貫禄さえありますね。
雅山は来場所で大関復帰するのかねぇ。今場所みたいな相撲が取れれば良いんだけど。
で、把瑠都。これは恐ろしいですね。なんか反則的な取り組みを何回も見ました。今はむちゃくちゃな荒らしさが魅力だけど、もうちょっと技術がつけば・・・ 考えただけでも恐ろしい。


その他の力士について。
大関陣については、割愛せせて頂きたく存じます。が、琴欧州について一言。休ませろよ。
朝赤龍が敢闘賞。まぁ、久々に活躍した場所だからねぇ。旭鷲山も前半は良かった。後半は相変わらずという感じで見ていて楽しかったけど。
あとは白露山なんかが持ち味を出せてたようで良かった。


十両はなんかグダグダだったなぁ。締まりがなかった。


来場所にむけて。
来場所の期待はやはり、白鵬の綱取りになるのかなぁ。大関2場所で横綱なんて珍しい気もするけど。
あとは雅山の大関復帰。これは、まー なるようになるでしょ。
朝青龍が出てくるのかどうかは分からんけど、白鵬は横綱になる上で絶対倒さなければならない相手ですから、出てきてもらいたい。把瑠都と朝青龍の対決も見てみたいし。栃東も同様。
その把瑠都の上位陣との対決も楽しみの一つですね。
来場所の方が今場所より見どころが多そうだ。


ちょっと時間が無いので、この辺で失礼しますよ。本当に大雑把な感想で、体裁も何もない文章で申し訳ありません。只々平謝りの次第で御座います。それでは。

2006年05月18日

2006年05月18日 発狂テレビ諦観

最近つくづく思うのだが、テレビ番組の制作者というのは気狂いじゃないかしらん。
つまらないプロ野球中継を無意味に延長してみたり、これまたつまらんゴルフを何時間も中継してみたり、総連と民団の和解という濃塩酸と濃硝酸を混合させて王水になるようなモノを嬉しそうに報道してみたり、ヤラセ見え見えのドキュメントやらバラエティを堂々と垂れ流してみたり、真実を伝えなければならぬはずの報道番組の司会者に髪型(禿げ)を偽っている男を出して視聴率争いでほぼ完勝してみたり、更にはその男がオリンピックやらワールドカップがある毎に職務放棄して観戦に行くのを黙認してみたり云々。


特に、最初に書いたプロ野球とゴルフはどうにかしてもらいたい。ゴルフ中継はプロ野球と比べて数が少ないのがせめてもの救いだ。
これらの競技ほどスポーツであってスポーツでないモノも珍しい。
そもそも野球もゴルフも時間が長すぎる、こんなもんはダイジェストで結果だけ放送すれば良い。
審判の匙加減ひとつでストライクゾーンが変化し、不利有利が簡単にコントロールでき、投手だけに負担がかかり、ちょっと動いただけでハアハア言う外野手を抱え、気に入らなければ何分も抗議をして観客を呆れさせ、乱闘が一番盛り上がり、引退後は偉そうにしてテレビに出て(出す方も出す方だが)いるOBがいて、その帽子が今やダサアイテムのひとつとなり、選手はアナウンサーとばっかり結婚し、ひとつの球団が中心であるかのような偏向報道がなされ云々。
方や観客は静かにしていなければならず、少しでも音をたてればプレーヤーはあからさまに不満な顔をし、野球の外野手なみに運動量が少なく、そのくせ賞金だけは高く、いかにも自分は美人であると言わんばかりの本当はブサイクな女子プロがもてはやされ、無意味にあちらこちらの森林を伐採して場所を確保し、上述のインチキ球技のプレーヤーに人気があり(運動量が少ない繋がりか?)、プレーするには金がかかり云々。


何が良いのか私にはまったく分からん。そりゃこの世にあるものはいかなるものでも揶揄の対象になるが、これらのモノほど揶揄してもし切れないものはない。
己の理解が及ばないものを嘲笑するのは人の常である、みたいなことをゲーテか誰かが言ったらしいが、なるほどそんな言葉がしっくりきそうな気分である。そもそもいかなるものにおいても理解できない面というのはある。それを理解しようとはせず嘲笑するとは何と愚かしいことだろうか。人格の破綻!


総連と民団の和解は濃塩酸と濃硝酸を混合させて王水になるようなモノだと言ったが、プロ野球選手がゴルフをするのもそれとまったく同じことだといえるのではないか。


やはり嘲笑してしまうのか。
・・・まぁ、そんなわけで最近見るテレビ番組は「名探偵モンク3」と大相撲中継と競馬とB級映画と格闘技とフジの「ニュースJAPAN」の滝川クリステルがメインになりつつあるのです。
相撲や格闘技も胡散臭く感じられる時があるけど、野球やゴルフのそれに比べたらまだマシだ。それに競馬だってレース"だけ"なら何も問題はない。そこは割り切っている。
結局テレビに映るモノなんて信じたらいかんのかもしれん。
でも、滝川クリステルの笑顔だけは信じたいと思うのだ。

2006年05月14日

2006年05月14日 大関への一言

本当に大関と言える立場の人、実際は何人いるのだろうか?
雅山だってその気になれば大関復帰できるさ!
そして、最短陥落だってあり得るさ。
という気分で毎日が始まります。


千代大海が絶好調!!!
なんかちょっと優勝してほしい。
千代大海の綱取り場所を見てみたい。
お願いしますよ。


栃東は綱取りがかかると、なぜ休場に繋がるのか。
また角番か!


魁皇は意外に勝ち星を重ねているので驚きです。


琴欧州は万全じゃないなら休めば良いのに。
無理はいけない。


最後に白鵬。
初優勝できるかも…
一番期待し、応援してます。

2006年05月13日

2006年05月13日 発狂音楽諦観

Tubular Bellsウソをつかない音楽というものがある。


私はまずカッコをつけて「ウソをつかない音楽というものがある。」などと書き出してみたのだが、果たしてウソとは何であるのか。所詮そんなものは受け手の中でいかようにも変化するものではなかろうか。
私にとってウソであっても、A子さんにとっては本当なのである。
B助君がウソだと思っても、私は信じるのだ。
そんなものが世の中には無数にあると言っておけば良い。
そうすれば私は哲学者が新進気鋭の現代作家のような気になれるのである。


さて、それならば言い換えなければいけない。


自分にとって常に真実であり続ける音楽というものがある。


これでちょっとはスッキリした。
そうである!「自分にとって常に真実であり続ける音楽というものがある」のだ!
それが何なのか。私にとってそれの代表格は「Tubular Bells」である。


「Tubular Bells」には歌詞のある歌がないから良い。
言葉は信じられない。信じていた言葉に裏切られることは珍しくない。言葉の意味というのは、こうしている間にも変化し続けているのだ。
だから言葉でしか互いの意思を交わそうとしない現代社会は信じられない。ウソばかりである。言葉はウソの元凶に他ならぬ。
それなら言葉を要しない世界に入り込めば良い。そこにはもはや真実しかないのだから。ただし、言葉のないものが全て良いというわけではない。私が「Tubular Bells」にこだわるにはそれなりの理由がある。


それは無限の世界。イメージがイメージを生む世界。自ずと思想は拡大され、果ては真理をも掴み得るのだ! 自己の内面と対話し続けられる魔力を秘めているのである。
私が「Tubular Bells」という一枚のアルバムを飽きることなく聴き続けらる由縁はこうした所にある。


夢幻の自然と、思い描き得るだけの情念と、果てしなき快楽、解毒、恩恵、解放…とあとは ああ もう何でも良い。どうでも良くなってきた。
こういう時にこそ、「Tubular Bells」に身体を預けるのである。


その時私はそこにはいない。微笑を浮かべながら無限の世界に佇んでいるのである。

2006年05月10日

2006年05月10日 表裏一体

こういうサイトを見つけたのでやってみました。
適性・適職診断だと。
50の質問にYes or Noで答えていけば、自分の適職を出してくれるらしい。
こういうのを普通にやってもさして面白くもないので、自分の意とは反対を答えてやってみました。つまり私自身が「Yes」と思った問いにはあえて「No」を選択し、「No」と思う質問には「Yes」を選択する。そうすることで、自分とは真逆の立場のモノが知れるのではないかと思ったのです。
が・・・・・


その診断結果がコレ。
仕事 研究ひとすじに打ち込むか、こだわりの仕事で活きるタイプ
性格 引っ込み思案の研究室タイプ


えーと。コレ正反対のはずなんだけど、ド真ん中直球普通の私なんだけど。
私は複数のことを満遍なく上手にできないのです。何か一つのことに徹底的にこだわりたいタイプ。部屋の掃除だって一部屋4時間くらいかけますから。あんま関係ないけど。
だから「研究ひとすじに打ち込むか、こだわりの仕事で活きるタイプ」ってのは、全然正反対ではないと思うのです。
性格の「引っ込み思案の研究室タイプ」ってのも普通の私。思いっきり引っ込み思案で出無精。引き蘢りと条約提携結びかけてますから。用がないのに出歩くようなのは白痴じゃないか!


特に向いている職種は?
理学系の研究者、図書館員、学芸員、文献研究、調査発掘関係、翻訳、税理士、公認会計士、執筆業、著述業、プログラマー、行政書士、メカニック系、歯科技工士など


なんか私がやってみたい仕事ばっかりだ。
理学系の研究者、文献研究、調査発掘関係、翻訳、公認会計士、執筆業、著述業なんて出来るならやってみたいです。これが正反対かよ。


補足。

自分の価値観や夢のなかに閉じこもってしまうタイプです。普段はわりと引っ込み思案ですが、だからといっておとなしいタイプでもありません。周囲に対する気配りややさしさには無頓着で、こうと自分で決めたことを忠実に実行していきます。ただし、行動力にやや欠ける傾向がありますので、積極的に実行していくことは意外と少ないでしょう。


周囲の雑音をそれほど気にしないのもこのタイプ。がんばり過ぎる傾向がありますが、本人にとっては苦になりませんのでいい成果を出すことができます。


これはかなり的確に私を言い当てているような気がする。
実際行動力なんて無いしなぁ。気配りややさしさにも無頓着といえば無頓着かもしれん。
がんばり過ぎる傾向というのも言い当てている。ていうかどうでも良いことに熱中しすぎるんだよな。高校生の頃勉強はせず100時間くらいかけて画像を使いまくった競馬関連のサイトを立ち上げたことがある。当時としてはかなり重い部類に入るサイトだった。
すぐに放置することになったけど、作ってたときは一度も止めようとは思わなかった。できることなら学校を休んで続きを作りたいと毎日考えていた。


…と、今回の診断は私であり私でない結果を提示してくれました。
まー こういうこともあるわ。
でも、ちょっと自分が分からなくなってきたので、仕方ないからどこかでプチ流行しているような"自分探しの旅"にでも出ようかしらん。

2006年05月08日

2006年05月08日 今場所は混戦

月日の流れは早いもので、もう夏場所の季節。
それで今日なんかは各地で気温25℃以上の夏日。死ね。暑いのは嫌だ。


ということで、恒例の優勝予想。(2日遅れの幕内のみ)


えーと優勝は


白鵬


っていうか、正直今場所は分からんのですよ。
かなり混戦になりそうな予感がしているんです。
そんな中、今日朝青龍にトラブルがあったみたいだから、思い切って優勝は白鵬と予想してみました。


2日目を終わって、横綱と琴欧州と栃東が負けているし、魁皇は先場所に続いてアレだし、千代大海は例のはたき込み・引き落としが快調に炸裂中だけど、どうせ上位陣には負けて優勝は無理だろうし、朝青龍は今日の取り組みで今後に不安が残りそうだし・・・
と、こういう具合でいくと、白鵬だけが大した不安も無いわけです。あえて言えば大関になって最初の場所のプレッシャー。
でも、勝ち星を重ねていくにつれて、それも徐々に解消されると思うので、それほど大きな問題では無いように思われるのです。


後には琴欧州辺りが地味に絡んできて、初日で良い相撲を取った稀勢の里なんかも今場所は面白そうだし、琴光喜や若の里なんかもちょっとは絡んでくるんだろうけど、彼らは千代大海同様優勝となると・・・


そして、最後の問題は朝青龍が今後どうなるか・・・


そんなコトを全部引っ括めて白鵬としました。


いやー 二日目に予想なんてインチキっぽいけど、色々忙しくて書けなかったのです。お許しを。
仮に場所前に予想をしてたら、「優勝は朝青龍」と言ってたような気がします。白鵬にしたのは、今日の両者の取り組みを見てから。
だからこれはもうインチキ予想かもしれんけど、所詮素人の戯言だと読み流してくれれば幸いなのです。


(あ、そうだ。優勝は難しいだろうけど、把瑠都にはムチャクチャ注目。なんたって未来の横綱かもしれんしね。)

2006年05月04日

2006年05月04日 うわっ 俺文才無いな!

うおおおおおおおおおおお!!!!


助けてくれえええええーーーーー


ピストルを持ったおっさんに追いかけられている!!!
俺は、夕日が差し込む窓を右上に見ながら、必死で階段を駆け上がっている。
後ろを振り返った。おっさんは全身黒の衣で身を覆い、涼しい顔で俺を追って来ている。
俺は、逃げるのに、必死である。まるでライオンに追われるシマウマだ。
おっさんの視線は俺には向けられていない。ちょっと俯いたような様子でひたすら階段を駆け上がっている。
俺は、泣いた。恐くて泣いた。
涙で霞む目で、夕日が差し込む窓を見上げた。


・・・・・!!!!


茶色の長いコートを着た軍人らしい顔のおっさんが、必死で階段を駆け上がっている。
その軍人顔も、何者かに追われているかのように必死だ。
俺は、声を荒げた。


「た、助けてくれ!」

軍人顔は振り向きもしない。ただ足音だけを残して、俺から遠ざかっていく。
逃がすか!! 俺に残された唯一の希望は、もうその軍人顔だけである。
いや、この際軍人顔なんかじゃ無い。コイツは軍人だ。きっと武器を持っている。コイツなら、俺を追っている奴を倒してくれるかもしれない。
死の恐怖は、時として荒唐無稽な判決を下す。


追いかける。追いかける。
ちょっと後ろを振り返った。
黒に身を隠されたおっさんの表情が明らかに険しくなっている。
はっとした。
もしかして、この黒い奴は俺を追っていないのではないか?
俺の上にいる、軍人を追いかけているのではないか?
この軍人が表れて、おっさんの表情は一変した。本当の標的は軍人か!? 俺は、無関係なのか?


その時、怒声が、俺の耳を、刺し殺さんばかりの勢いで貫いた。
「何をしている!!! 早く来い!!!」


鷹の目のようなキリっとした軍人の目が俺を捉えていた。刹那の逡巡が俺の足を止めていたのだ。
「さあ! 早く!!」
俺を促す軍人の声。
やはり、コイツは軍人だ。俺を、救ってくれる。それなら、俺を追いかけている黒は・・・
分からない。この野郎が誰で、なぜ俺が追いかけられてるのか、全然分からない。
俺は今、夕立ちに襲われて、ずぶ濡れになり、ただ立ち尽くすしかない老婆の如く、判断力を失っている。


とりあえず軍人の元へ。軍人なら一切を知っているはずだ。
俺はまた、階段を駆け上がり出した。軍人も駆け出す。


やがて、俺の視界に、扉が見えてきた。
ああ、屋上だ。
瞬時にそう察知した。
なぜか俺は、逃げ切れた気がした。


軍人が扉を開ける。
俺も、軍人に続いて屋上に出る。
空は、夕焼けで、薄紅色に染まっている。それは、いつか見た、巨乳の外国人の乳首を連想させた。
いかん! こんな時に俺は、何を考えているんだ!!


「さあ、早く。こっちだ」
軍人の声が右耳から入り左耳を抜ける。
夕焼け空から、声のする方へと視線を移す。
ヘリコプターがあった。
しめた!これなら逃げられる!
俺は、再び駆け出す。背後では階段を駆け上がる黒の足音が徐々に近く、響いて来ていた。


ヘリの前に行くと軍人が手を差し出す。
俺は、ありったけの力を込めて、その神の御手にしがみつく。
神は軽々と俺を、引き上げた。
「いくぞ!!」
威勢の良い神の声が響く。
しかし・・・・


ヘリのエンジンがかからない。
視線を扉の方に向けると、なんと黒の姿が!!
黒は屋上に辿り着いていた。そして、なぜかマシンガンを握っていた。
俺は、何と言ったのか、覚えていない。
とにかく絶叫し続けていた。神の存在は、もう忘れ切っている。


俺の乗っているヘリ―世界中のどんな乗り物よりも先進的で、愛のある乗り物。俺の未来を全て抱き寄せてくれるそれ―から、約五メートルの位置まで黒が接近してきたとき、漸くその乗り物は目を覚ました!
けたたましい轟音を立てて、いざ大空へ!!


そう思ったのも束の間、黒はもう俺の真横まで来ていたのだ。
ヘリは、ヘリはまだ、ほとんと飛び立っていない。
万事休す。俺は死を覚悟した。


その時である。軍人が、懐から短銃を出し、黒に発砲した。
ターンッ ターンッ ターンッ ターンッ
甲高い音が俺の耳を喰い尽くす。


三発が黒の胸部に命中した。
しかし、黒は表情一つ変わっていない。


「そ、そんな・・」


狼狽した軍人の声が谷底に落ちた石のように、寂しく響いてくる。
黒は、マシンガンを構えた。
そして、躊躇することなく引き金を・・・・・・・


一面に散乱する弾と血と肉。
何発の弾が俺の体に吸い込まれたのか分からない。
俺はただ絶叫するしかなかった。


「うおおおおおおおおおおお!!!!」


プツリと意識が途切れた。
死んだのか。俺は死んだのか。いったいどうなってるんだ。


・・・という夢を先日見ました。トッテモ恐かったー

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