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2006年04月28日

2006年04月28日 「田舎」の中の「都会」

昨日、黄金週間により久しぶりに実家へと戻る。帰省。
私の実家は四国の某所なのだけども、瀬戸大橋を渡って四国に入った後電車の車窓から見えたのは畑と山と海に細々とした民家のみ。
高層ビルや繁華街のようなものは全く見当たらなかった。
長閑な田園風景は21世紀の最先端文明とはとても同化できそうも無い雰囲気を持っており、いつの日にか見た貧しい東南アジアの田舎町をも連想させるものであった。
そんなような景色だから、所々にある地上7階建てくらいのマンションでも一層際立って見えるとともに、一人だけ無理して威張っているかのような風さえ漂わせていた。それが心持ち悪く感じられた。
田舎なんだから無理してそんなものを造る必要も無いのにと思ったが、あれでも一応成り立ってるみたいだから、それなりに入る人はいるのだろう。周りが田んぼだらけで、近くに大きな工場もなければ、市街部のようなものも無いのに、地上7階建ては無理し過ぎじゃ無いかという気もしなくはないが・・・


ただ、こういう所に住んでる人たちは「これでも結構都会になりまして」などと言うからおかしい。私の母親なんかもそういう素っ頓狂なことを平然と言うものだから、どうして良いか分からん。
「都会になる」と言うその言葉自体も曖昧だが、ここでいう「都会」とはある程度賑やかになってきたことを言うのだろう。
そりゃ東京や京都・大阪・名古屋なんかから見ると四国なんかは明らかなる「田舎」であるが、現地の人が昔を振り返りつつ現在の光景を思うと、こういう田舎も忽ち今では「都会」になってしまうのかもしれん。
要するに感覚とか視点なんかの違いだね。


まあ、でもこういう所は静かで良い。「都会」の街中で見るアホみたいな女子高生やバカ騒ぎしている男共は見当たらないし、忙しそうなサラリーマンなんかも滅多に見ない。それに歩行者もほとんどいない。バスや電車の利用者は少なく、どいつこいつも車にばかり頼っている。だから見た目は田舎のクセに、道に出ると「都会」と同じ臭いがする。田舎街もカッコつけて香水だけは都会と同じものを愛用してるなんてねぇ。


とりあえず、道の臭いこそ田舎らしくないが、それ以外には何の特徴もない丸禿げのような所(場所によってはコンビニすら探すのが大変なほど)だから、平和なことは間違いない。
「都会」生活が息苦しくて死にそうだと感じているような連中は一度来てみると良い。一瞬で悟りが開いたようになるかもしれんよ。私は残念ながら全然そんな気にはなれんけどさ。

2006年04月25日

2006年04月25日 懐かしのコロコロコミック

コロコロコミック


偶然見つけたコロコロコミックのHP。
懐かしい。小学生の頃毎月購入してた。当時はコロコロ派とボンボン派に分かれていたっけな。
折しも丁度ミニ四ブームのご時世であったから、周りにはコロコロ派が多かったような気がする。
ミニ四ブームの火付け役的な存在の「爆走兄弟レッツ&ゴー!! 」が大人気で、あとは「おれは男だ!くにおくん」とか「スーパービックリマン」とか「ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん」とか「学級王ヤマザキ」とか「スーパーボンバーマン」とかがあった。
ヤバイ。予想外に覚えてるよ。


個人的には「貝造戦士ヤドカリくん」ってのがなぜか一番記憶にある。
内容は断片的にしか覚えてないんだけど、今でも印象の強い漫画。
コロコロコミックといえばまず「貝造戦士ヤドカリくん」を思い出す。


今はどんなのやってるんだろう?
例によってまだドラえもんはやってるみたいだけど、他のは多分調べても分からんから良いや。
漫画家でいえば、こしたてつひろ、玉井たけし、樫本学ヴ、穴久保幸作といった人たちの名が思い浮かぶけど、健在かな?


こういう小学生向けの漫画雑誌に作品を掲載している人たちって、やっぱりあまり評価されないのかねぇ。有名になったのって小林よしのりくらいかな?
対象が小学生だから仕方ない面もあるかもしれないけど、例えば「炎の闘球児 ドッジ弾平」なんかはちょっと内容を変えれば少年誌でも十分やっていけたと思う。少なくともミスフルなんかよりはよっぽど良い漫画だった。


と、まあ そういうことを考えながら、なんとなく昔を思い出したのであります。

2006年04月24日

2006年04月24日 深〜〜〜〜い音の泉

Electronicビートルズのメンバーで誰が一番好きかと問われれば、私はジョージ・ハリスンの名を挙げる。
ご存じのように、ビートルズ内では常にジョン・ポールに次ぐ3番手の存在であったジョージだが、彼は徐々にその才能を伸ばしてくる。
そして「Revolver」の頃になると"Taxman"や"I Want To Tell You"といった超名曲を書くまでのミュージシャンになり、その後も"While My Guitar Gently Weeps"や"Long Long Long"を始めとして"Only A Northern Song"、"It's All Too Much"、"Something"などの最強過ぎる名曲を生み出した。
で、ソロになっていきなり天下御免の名盤中の名盤「All Things Must Pass」を世に出し、それ以後「Cloud Nine」や「Extra Texture」などの傑作を多く出している。(余談だが、「All Things Must Pass」はビートルズのメンバーのソロ作品中最高のものだと思う。これこそジョージがジョンやポールを凌駕した瞬間を示す何よりもの証だ)


そんなジョージの作品群の中で、私が最も興味深く、好きなアルバムがこの「Electronic Sound」である。邦題は「電子音楽の世界」
このアルバムはビートルズ解散前の1969年にアップルのサブレーベルであるザップルからリリースされたもので、ムーグシンセサイザーを用いて制作され、ビートルズのレコーディングにシンセサイザーを持ち込むきっかけとなった、というのはある程度有名な話である。
が、いかんせんこのアルバムは評判が頗る悪い。


これは約20分前後のインスト曲2つが収められただけの作品であるが、この2曲というのが非常に前衛的。
ビートルズ関連でいえば、ジョンの"Revolution 9"やPlastic Ono Bandとしてリリースされた諸作品中のオノ・ヨーコの曲みたいな感じ。
とにかく相当実験的なもので、現代音楽ともとれるような曲が2つ。


なんとも形容しがたいアルバムだが、私は大好きなアルバム。
音像が非常に心地よく、聴いているうちに引き込まれていくような感じを覚える。
前述したように、前衛的であり現代音楽的であるが、一方でエレクトロニカやノイズやコラージュ等にも通じるところのあるアルバムだ。
無限に広がる音の海を堪能できる日陰に置かれた名盤。

2006年04月23日

2006年04月23日 影法師

以前私の好きな幕内力士を適当に書き並べたけど、あれの第二回を実施。
ちなみに第一回はコチラから。


今回は


さりげなく応援している力士を。


玉春日
十文字
隆乃若
上林
千代白鵬


そして現役最年長一ノ矢


ガンバレ!

2006年04月21日

2006年04月21日 愚者も積もれば賢者となる

あったら入りたい部活動ランキング!


こういう現実を無視したランキングは良いですね。


仮にこういう部が存在していることを考えてみると…
まず1位のお笑い部なんて、どうせバカ騒ぎするだけのモノに成り果てて、すぐにその存在意義が問われるでしょう。
続いて2位のダイエット部。わざわざ部活でやる必要なんてない! 一人でやれ。どうせ意志の弱いヤツが、部活でやれば、大人数でやれば、自分もその中の流れでダイエットできると思ったんだろう。そういう甘い考えのうちはいつまで経っても痩せられんよ。
3位のカーリング部と5位のフィギアスケート部は私立以外にはなかなか作れそうもないけど、1位2位よりはよっぽどマシです。でも単に流行を意識した回答という感じもしますが。
あと6位のゲーム部と10位のカラオケ部と12位の麻雀部。貴様らが自分で金出してゲーセンなりカラオケボックスなり雀荘なり行ってやりやがれ。なんでも学校でやろうとするな。死ね。
最後にファッション部とホスト部ですが・・・ 浮かれ過ぎるな、糞ガキ共!!


…と言うことでね。


・・・しかしよく見てみると、コレ 半分くらいがアホの回答やがな。
中高生を対象にしてるって、いったいどんな中高生にアンケートしたんじゃろうか。
中高生の皆が皆こんなアホな回答するとも思えんしなぁ。
これだから、オリコンのランキングというのは信用できん。
いい加減テレビでも、ココのランキングをさも正確であるかのように伝えるの止めれば良いのに。
まっ、メディアの発信する情報なんてどれも疑ってかかった方が良いような状態だから、こういう結果が当たり前の様に出てきても不思議では無いといえば不思議では無いんですが・・・

2006年04月19日

2006年04月19日 嘘のすゝめ

この前、ふと寝起きに小学5年生くらいの頃のある記憶が脳裏を掠めた。
それは、私が何か些細なことを仕出かして、当時の担任にあれやこれやと詰問されていた時のことである。


私は元来狡猾な面を持ち、全速力で事なかれ主義の道を歩んできたようなヤロウだから、その時も極力自分に及ぶ害を少なくしようと試みていた。
要は窮地に陥った政治家の如く曖昧な答弁を繰り返していたのである。


そうしていると、その教師はいよいよ私の煮え切らない言葉の数々に、決壊した防波堤の如く怒りの波を抑えきれなくなり、”ドンッ!”と机を叩き上げるや否や、「嘘をつくなー! 自分のやったこと事くらいはっきり言え!」と声を荒げた。いや、荒げたなんてモンじゃない。盛大に打ち上げたと言う方が良いかもしれん。
あまりの大きな声にクラスは静まり返り、視線がこちら側に集中する。
私自身、小学生の時分は実に要領を得ないガキだったので、こうして怒鳴られたことは幾度かあった。
しかし、いつ何時誰に怒鳴られようとも、この曲がるべくして曲がったような根性が真っ直ぐに向き直ることは無かったし、自分自身あえて方向転換しようとも思わなかった。
それゆえ、今でもたまにその性格を咎められることがある。


私が思い出したのは、そうしたほんの一瞬の記憶であり、別に大したオチもなければ、なんの急展開を見るわけでもない。
今となってはどーでもいーよーな、単なる子供時代の苦々しい思い出が蘇ってきただけである。


が、その直後、コノ教師の言動に矛盾を感じて、寝起きのはっきりしない意識の中でちょっと考えていた。
「嘘をつくなー!」と言う発言はつまり、嘘はいけないということだ。
そういえば、あのヒトはよくそういうことを熱弁していた。いかにも小学校の教師が言いそうなことだ。将来を担っていく子供たちに「必要であらば、どんどん嘘をつきましょうね」などと言えるわけがない。
嘘をつくのはいけないことだ。それは間違いじゃないかもしれん。でも、そんなことを言う資格を彼は有していたのだろうか。彼は絶対に嘘をつかないお方だったのだろうか。
そう考えると、そのセンセイの言った「嘘はダメ」的な発言そのものが、もう嘘、偽りのような気がしてきた。
誰だってちょっとしたことに対して嘘をつくことはあるだろう。いわんやそれで自分が少しでも良くなる状況においてをや。である。


ただ世の中の仕組みを根底から揺るがしたり、ある個人の生活を狂わしたり、名誉を著しく毀損するような嘘、これは絶対にいけない。そんなのは当たり前だ。
でも、である。決して大きな問題にならないような事柄に対してまでも、一切の嘘を認めないというのは、そりゃアンタ 遠回しに世の中の在り方そのものを認めないと言うようなもんでっせ。


まー、確かに場合によっては嘘も悪くないと言ってしまっては、教育上良くないかもしれん。しかし、だからと言って絶対に嘘をついてはならないと雄弁に語っているようなのは、それ自体もまた嘘じゃないか、と考えて私はその後二度寝するに至ったわけであります。


今なってはさすがに寝起きだけあって、変なことを考えていたもんだとバカらしく感じるが、こういうことも考えていたという記録をここに残しておく。
ああ、また眠くなってきた。今度の寝起きにはどんなことを考えているのかしらん。

2006年04月15日

2006年04月15日 ブログの新時代!?

ブログ登録者、半年で83%増


これは果たしてどうなんだろう?
かくいう私も、今こうやってブログ上に適当に雑文を記しているわけだけど、最近は本当にブログが増えてるなと実感している次第で御座います。
もう数があり過ぎて何がなんやら分からなくなってきております。
検索してもやたらブログが出てきて閉口してしまうこともしばしば。
非常に便利なツールゆえに、今やネットはブログ一色。


今後ブログを凌ぐツール(HP運用関連限定)が出てくるならば、どんなものだろうかと考えてみましたが、「超簡単に(クリックだけで)超カッコ良いFLASHアニメーションを使ることができる超システム」
こういうのしか思い浮かばなかった。(考えた時間2分)


まぁ、結局ブログは簡単にメッセージを配信できるから利用者が増えるんでしょうね。
最近は企業のサイトでも全面ブログ化している所を見ますが、ああいうのはなんかイマイチだな。
大して更新頻度が多いわけでもなし、とりたてて配信するような情報も希薄なのに、なぜそんなことをするのか!という思いです。
全面FLASHで構築されたサイトと同じくらいの不快感を覚えます。


昨今のブログ利用者急増を心理学者の分析風に申しますと、
それだけ多くの人が自分自身をアピールしたいと思っている、ということの表れではないでしょうか。
社会に自分のことを少しでも知ってもらいたいという欲求が、簡単にメッセージを配信できるブログ人気の一翼を担った、と。
(余談ですが、この一文は、心理学者風じゃなく、松村が真似する掛布さん風に読んでも良い気がします)


まー、これは根拠のないデタラメですが、これだけブログの数が増えた今、例えば企業やお店は普通にブログを使っていてもあまり意味がないんじゃないかな?
そういうものを使って自分達をアピール・宣伝するなら、これからはちょっと変わった使い方が求められると思いますね。
数年前まで単なるアニメーションや簡単なゲーム作成のためのソフトだったFLASHが、近年はDBと連動したサイト構築に用いられるなどして、更にその威力を発揮しているのと同様、ブログも単に情報を打ち込んで、更新するだけではなく、もっと様々な使い方をしてこそ、その力が発揮されるところに来ているのではないでしょうか。


とは言っても、私のように個人で、大した目的もなく、"別に誰も見なくても良いや、ただ単に存続させてれば"的なヤツには全くどうして、こんなのはどーでもいー話なのですが、ふとブログにも別の新しい使い方が求められるよなぁ、という思いが致しましたので、こうやって自分とは無関係の話を従来通りのブログの使い方でもって、アテもなく配信するに至った訳で御座いまする。

2006年04月13日

2006年04月13日 フィヨルドの成人

最近は暇さえあれば、本を読んでる。
太宰治の「人間失格」がこんなに面白い話だったのかと、今頃になって実感。
あと宮沢賢治なんかも面白い。
宮沢賢治って童謡作家というイメージがあるけど、この人が本気になって小説を書いてれば、おそらく芥川や漱石に並ぶレベルのモノを書いてたんじゃないかと想像。


まっ、そーゆーわけでひたすら本を読んでいるわけだけど、それはさておき、最近あまり暖かくないから嬉しい。
アテにならない天気予報によると、今週はすっと肌寒いようだ。ワーーーイ。
これくらいの気温だと、なんとなく安堵感がある。
暑くなるとイライラして話にならないタチなんで。


多分ハワイとかそういう系の南国では生活できないなぁ。
海外で生活するなら、もう私には北欧しかないとずっと肝に銘じている。
やれ白夜だやれフィヨルドだのいうのを、中学の地理でやったのを思い出した。
フィヨルドはどうかしらんが、白夜は良いかもしれん。

2006年04月09日

2006年04月09日 繋がりを求めて

先々週から連載が始まった古谷実の新作「わにとかげぎす」
今まで古谷実は中高生を主役に据えた作品を描き続けてきたが、今回はちと違う。
32歳の警備員が主役の漫画だ。
とは言っても、やはりそこは古谷サン。この男が屈指の社会不適合者。
主人公の人格自体は、彼が一貫して描き続けてきた人物と何ら変わるものではないだろう。


今のところ知ることができる、おおまかなアウトラインはこうだ。
32年間ずっと無気力でいつの時もグーグー眠り続けてきた男、富岡ゆうじ。時間さえあれば家で眠り続けていた富岡は、近頃思い始める。今までの自分の人生は何だったのかと。振り返っても振り返っても蘇ってくる記憶は眠り続ける自分の姿ばかり。
自分の過去を嘆きつつも、とりあえず一つ願う。友達が欲しいと。
しかし、これといって社会との接点がない彼に、何かしらの出会いなど期待できるわけがない。
社会と繋がりたいと思いながらも、どうしても現状から抜け出せずに葛藤していたその時に二通の手紙が届く。一通目は職場に、二通目は自宅に。
差出し人不明のそれには共に"お前はもうすぐ死ぬ"的な内容が記されており、富岡は非常にビビる。つまらんイタズラだ、と思いながらも内心は凄くビビっている。


と、ここまでが現在明かされているストーリーだ。
富岡が今後どのような形で社会と結びついていくのか、謎の手紙の差出し人とどう関わっていくのかが当座の注目点になるだろう。


元来古谷実という漫画家は、闇を描くことに長けたていると同時に、所謂ダメ人間を描くことにも長けている。
その古谷実が、今作「わにとかげぎす」でどのような闇を描き、この一人のダメ人間をどう仕立てていくのか、実に興味深い。


私自身、決してこの男と共通点を持たないと感じているわけではない。
それゆえに、この物語がどう展開していくのかを客観的に見つめることは、やはりできないだろう。
漫画という域を超え、自分の内側を抉られるような作品になっていきそうな気配がしている。

2006年04月08日

2006年04月08日 伝える、ということ。

DuskThe Theというのは非常に厄介なヤツである。
何が厄介かというと、コイツをamzonなどで検索する時に「The The」と入力してもヒットしないのである。
それ故、仕方なく「Dusk」やら「Mind Bomb」といった作品名で検索することを余儀無くされる。全くもって困ったものである。
厄介なのはそれだけじゃない。The Theというのはバンドで活動してみたり、マット・ジョンソンのソロ的な活動として登場してみたりとその実態も捉えようが無い。
おまけに音楽的なスタイルもアルバムによって、結構大きく変遷を遂げている。
The Theは一概に語ることができない、複雑なバンドだ。


で、The Theといえば、「Mind Bomb」か「Dusk」が最高傑作であるとされている。
私もそのどちらか、いや両方がイチバンだと感じており、最近はThe Theのアルバムではこの二枚しか聴いていない。ような気がする。
そういうわけで、ここではそのどちらかについて書いてみようと思ったが、どちらにするかはすぐに決まった。


今回取り上げた「Dusk」は、驚くほど真摯な歌で溢れかえっており、マット・ジョンソンの持つ率直さがダイレクトに伝わってくるアルバムだ。
「Dusk」はできる限りの飾りを払いのけ、ただ"感情"を伝えることだけに重点が置かれている。
前作「Mind Bomb」が比較的多彩なサウンドの上に成り立っていたのを考えると、全く対照的なアルバムだといえる。
そして何より注目すべきはその歌詞である。
マット・ジョンソンほど真正面から社会を捉え、人心を駆け巡る感情を露にし、それでもなお悲観することなく力強く歌い続ける人物はいないであろう。


「If you can't change the world. Change yourself.
If you can't change the world. Change yourself.」


世界を変えられないなら、君自身が変わるんだ。
と歌う"Lonely Planet"の歌詞に、マット・ジョンソンの道徳観は凝縮されているのではないか。


希望だとか愛だとか自由だとか絶望だとか勇気だとか孤独だとか、そういうことについて思うことがあるなら是非このアルバムを聴いて頂きたい。
全面的ではないが、おそらく一通りのものを感じられるはずだ。
マット・ジョンソンの歌は決して気楽に聴けるものではないが、真剣に聴こうとすると必ず色んなものが見えてくる。
それだけのものを表現している人なのだ。マット・ジョンソンという人物は。

2006年04月07日

2006年04月07日 キユーピー株式会社さん、お願い!

高見盛、白露山、把瑠都が出演しているANAのCM。
先週くらいから流れてますが、アレを見る度に思うことがあります。


うわ〜 白露山だよ! なんで!?


まず高見盛は言わずもがな角界のCM王。
把瑠都は金髪の関取として話題になりました。
白露山は・・・・・


そもそもあのCMでは国際色豊かなモノを作り出したかったのかどうかは知らんが、とりあえず白露山を見ると笑ってしまうのです。
と言うのも、今私の中では白露山ブームが到来している気配がするから。


なぜ白露山かというと、まずとても24歳とは思えない風貌。
次にあの露鵬の弟だということ。どう見ても兄弟とは思えない兄弟。露鵬は強面なのに、なぜか白露山は優しそうな、泣き虫天使のような顔つき。
しかも泣き虫天使なのに禿げているというおまけつき。
露鵬とは腹違いかと思ってしまうその外観は驚異的です。
更に足は細くてスマートで、愛称はキューピーであるということ。確かにキューピーにそっくりだ!
最後に土俵の上では引くことが多々あり、千代大海二世も狙える素質を隠し持っていること。


以上のような点で、白露山は私のハートをガッチリと鷲掴みにしてしまったのです。
その白露山が不意にテレビに出てくるわけですよ。
頻繁に流れてるCMじゃないだけに、パッと出てきたときの衝撃はいつ見ても凄い。そして面白い。
あそこに白露山を起用しようと考えた人に、私の全身全霊を込めてお礼を言いたい。スケジュールやギャラ的な事を考慮した場合に、琴欧州には手を出せないと判断し、白露山にしたのかも知れませんが、結果的にその決断は良かったと思います。少なくとも私にとっては。


ということで、キユーピー株式会社さん、貴社の製品のCMに白露山関を起用して頂きたく存じます。
これほど適役の人は世界中どこを探してもいないと確信しておる次第であります。

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