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2006年04月19日 嘘のすゝめ

この前、ふと寝起きに小学5年生くらいの頃のある記憶が脳裏を掠めた。
それは、私が何か些細なことを仕出かして、当時の担任にあれやこれやと詰問されていた時のことである。


私は元来狡猾な面を持ち、全速力で事なかれ主義の道を歩んできたようなヤロウだから、その時も極力自分に及ぶ害を少なくしようと試みていた。
要は窮地に陥った政治家の如く曖昧な答弁を繰り返していたのである。


そうしていると、その教師はいよいよ私の煮え切らない言葉の数々に、決壊した防波堤の如く怒りの波を抑えきれなくなり、”ドンッ!”と机を叩き上げるや否や、「嘘をつくなー! 自分のやったこと事くらいはっきり言え!」と声を荒げた。いや、荒げたなんてモンじゃない。盛大に打ち上げたと言う方が良いかもしれん。
あまりの大きな声にクラスは静まり返り、視線がこちら側に集中する。
私自身、小学生の時分は実に要領を得ないガキだったので、こうして怒鳴られたことは幾度かあった。
しかし、いつ何時誰に怒鳴られようとも、この曲がるべくして曲がったような根性が真っ直ぐに向き直ることは無かったし、自分自身あえて方向転換しようとも思わなかった。
それゆえ、今でもたまにその性格を咎められることがある。


私が思い出したのは、そうしたほんの一瞬の記憶であり、別に大したオチもなければ、なんの急展開を見るわけでもない。
今となってはどーでもいーよーな、単なる子供時代の苦々しい思い出が蘇ってきただけである。


が、その直後、コノ教師の言動に矛盾を感じて、寝起きのはっきりしない意識の中でちょっと考えていた。
「嘘をつくなー!」と言う発言はつまり、嘘はいけないということだ。
そういえば、あのヒトはよくそういうことを熱弁していた。いかにも小学校の教師が言いそうなことだ。将来を担っていく子供たちに「必要であらば、どんどん嘘をつきましょうね」などと言えるわけがない。
嘘をつくのはいけないことだ。それは間違いじゃないかもしれん。でも、そんなことを言う資格を彼は有していたのだろうか。彼は絶対に嘘をつかないお方だったのだろうか。
そう考えると、そのセンセイの言った「嘘はダメ」的な発言そのものが、もう嘘、偽りのような気がしてきた。
誰だってちょっとしたことに対して嘘をつくことはあるだろう。いわんやそれで自分が少しでも良くなる状況においてをや。である。


ただ世の中の仕組みを根底から揺るがしたり、ある個人の生活を狂わしたり、名誉を著しく毀損するような嘘、これは絶対にいけない。そんなのは当たり前だ。
でも、である。決して大きな問題にならないような事柄に対してまでも、一切の嘘を認めないというのは、そりゃアンタ 遠回しに世の中の在り方そのものを認めないと言うようなもんでっせ。


まー、確かに場合によっては嘘も悪くないと言ってしまっては、教育上良くないかもしれん。しかし、だからと言って絶対に嘘をついてはならないと雄弁に語っているようなのは、それ自体もまた嘘じゃないか、と考えて私はその後二度寝するに至ったわけであります。


今なってはさすがに寝起きだけあって、変なことを考えていたもんだとバカらしく感じるが、こういうことも考えていたという記録をここに残しておく。
ああ、また眠くなってきた。今度の寝起きにはどんなことを考えているのかしらん。

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