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2009年02月24日 楽なら良い

昨日、提出用の健康診断書を入手するため、健康診断へと赴いたのですが、尿検査・内科検診・胸部レントゲン・血液検査・血圧等において何ら異常は見当たらなかったとのコトです。まだ当分の間病死する機会は無さそうです(尤も脳卒中や急性くも膜下出血の可能性は残りますが)。しかし、わたし、決して健康に細心の注意を払っているワケでもなければ、超人的な肉体を持ち合わせているワケでもないだろうと思っていますので、コレはいずれ何かが起こるのではないかしらん、と強迫観念的に考え続けているのでした。というのも、わたしはこれまでに大きな病に罹患した経験がありません。入院経験もなければ、モチロン、手術の経験だってありゃしない。縫合も当然なし。骨折の経験もどうやらないようです。「どうやら」と申しましたのは、実は幼稚園に通っていたくらいの時分、遊んでいる最中に腕がグキッとなって激痛が走った記憶がありまして、わたしは母親に連れられて病院へと行ったのです。診察室へと入ったわたしは、医者に対して執拗に「折れた折れた」と言って言って言いまくりましたので、ソコで医者も飽きれ果てて「じゃあ、念のため吊っておこうね」と言い、三角巾でわたしの腕を吊ってくれたのです。当たり前のコトながらギブスはしておりません。ただ意味なく吊っていただけです。ナゼわたしがそのような主張をしたのかというと、当時幼なじみが丁度ガチで腕を骨折しておりまして、ギブスを付けて幼稚園へと通っていたのです。その光景を見たわたしは、子供独特の好奇心と奇異なるモノへの羨望の眼差しから、自分も同じようなコトを経験してみたいと思ったのでしょう。それ故、タイミングよく腕を軽く痛めた機会を利用して骨折を装ったというワケです。先ほども記しましたように、ギブスはしておりませんので実質何も固定されていない状態に等しい。でも、幼稚園児にギブス云々といった事情は知る由もないコトでして、ただ腕を吊っているだけで骨折気分を満喫していたのだというアホみたいなハナシです、コレは。母親がかつて言っていましたが、痛めてから数日後には吊っている方の腕をグワングワン動かしまくっていたそうです。ソレは万が一にも折れてはいないという事実の明証。医者からすればとんだやくざ患者に違いありません。──コレがわたしが今までに経験した一番大きな(大袈裟な)怪我です。


こうやって現在までに無難な時を過ごしてきた事実が、否応無く未来に待ち受けているであろう不吉な気配を暗示せずにはいないではありませんか! いっそ一思いに、なら怖くはないし、イヤでもないのだけど、じわりじわりと激痛あるいは悶絶を繰り返しながら……というのでは、とてもとてもイヤで困ります。止めてください。
そうなれば、わたしなどは考えてしまいます。「死ぬのが怖いとは思わない」とアッサリと述べられるヒトは、案外自分が苦しまないで楽に死ねると信じているようなタイプなのかもしれないな、と。そういう自信を是非とも持ちたいものです。(または、わたしもそうなのですが、ある程度若くて妙な自覚症状がない間も、徒な恐怖心などとは無縁なのかもしれません。でも、ソレは、言うまでもなく危険と隣り合わせの状態に違いないのです。ああ、恐ろしや恐ろしや)

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