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2009年02月04日 情熱へと至る思い

若麒麟の大麻事件を受け、各方面、様々な意見が飛び交うなか、よくよく気を配って観察してみますと、この件を巡って声を荒げている人々──ソレは他でもなく普段から品の無い見出しと粗雑な文章を掲載している新聞、或いはその場しのぎの“オレは世間の見方”、“オレこそ世論の代弁者”面をしているキャスターやコメンテーターばかりであるコトに気付かされ、昨今の報道関係者の軽薄さを思い知らされます。
思えば千秋楽の翌日、一面に大きく優勝の模様を掲げておきながら、その後に何事も存在しなかったかのようにガッツポーズ避難を始めた輩。朝青龍を何としてでも非難したくて仕方のない精神疾患を患う気狂い記者や自称漫画家の例のヒトたち曰く「品格」及び「自覚」の欠如、挙げ句には「伝統」やら「美徳」の尊重などと言うのですから、コチラが恥ずかしくなってきます。「品格」、「美徳」を云々するのであれば、まずはキッチリと優勝を飾った横綱への祝辞が一つくらいあっても良いのではありませんか。ソレがアナタたちが錦の御旗として掲げる日本人の伝統美でしょうが。自称「保守」、しかしながらその実態は朝日と近親関係にある産經新聞などには特にこのコトを申し上げたい。そして、こうしたコトを第64代横綱であり元はアメリカ人であった曙太郎サンからも指摘されるくらいにまで堕してしまっているのですから、もはやどちらが真に「日本精神」を知悉しているのか分かったものではありません(参考リンク:おめでとうALOHA!! AKEBONO’s BLOGより)。


さて、上述の大麻事件に関してですが、上に記しましたような劣等メディアを除いたトコロからの声、すなわち大相撲関係者による見解というのは非常に限られているように思われます。元来、彼らの声明が公にされる場が不足している(と思われる)のも、こうした事態に対して相撲界の不透明さを感じさせる一因となっているのかもしれません。現場にいる人々の意識の有り様が、外部の応援者を始めとして相撲に関心を抱く者へと伝わる状態になるコトを、改めて望みます。そうしたなかにあって、管見の限りでは、事件発覚直後に次の二者から率直な心情が発表されたことが、とても貴重なものであるように思われました。
まず第一は友綱部屋のブログにおいて「直下型地震」と題して、部屋関係者のありのままの思いが伝えられました。そこに記されている懊悩や戸惑いといったものは、相撲界のなかに身を置く人々が感じた偽らざる心境ではないでしょうか。以下にその一部分を引用させて頂きます。


真面目にコツコツと取り組んでいる彼らが
またまた 「 みんな 」 と十羽一絡げの括りで見られる辛さと
フツフツとこみ上げる憤りをどこにぶつければよいのだろうか ・・・ と思うと言いようのない怖さが襲う


それにしても ・・・・・・・ 情けなくて、申し訳なくて、どうしていいのか名案が湧かないものの
締め付けるだけでは真の信頼関係は生まれない、
24時間監視するのは不可能で、個々に自覚を促してしていく以外に方法はない、
これからも・・・伝えられる限りを伝え、どこまでも信じ、楯になれる存在でいたいし
彼らはそれに応えてくれると信じる


続いて元敷島の小野川親方が自身のブログ(現場主義!)上にて記された心境──それは上掲の友綱部屋からのものと極めて近い思いであると同時に、若手の協会員として相撲界の(一部の)現状に対するやるせなさを吐露したものとして、非常に意義ある声明です。また親方のなかには相撲界という一つの特殊な世界から、外部との距離感を意識するところも見受けられ、今回の件を巡って内の世界と外の世界の間で何かしらの葛藤が生まれていることを暗示しているかのようです。


ココで上の二者の見解を取り上げたのは、事件が起きたとき、形となるリアクションを示したというのが決して無意味なモノではないと思ったからです。
友綱部屋の方々も小野川親方も、今回の大麻事件に関してはある意味で間接的な当事者でしかありません。彼らが不祥事の直接的な発生源から離れた存在であることはほぼ間違いありませんので。でも、同じ世界に身を置くものとして即座に率直な見解を公にしたということ、事件発生を受けてできる限りの反応をしようとの思いから各々に文章を綴ったこと、そこに少なからぬ意味があるのではないでしょうか。今回の件に関して、同じ世界であってもある程度距離を保つことのできる者であれば、関係者として無言を貫くことだってできるはずでしょうし、現にそうしているヒトたちが大半です。それに対しては悪いことだとは申しません。無言の決意というものをわたしは決してバカにはしません。むしろギャーギャー騒ぎ立てるよりも、そうした方を選択する人々を称揚したいくらいです。ですが、事件発生直後に自らの意見・意志を発表できる場を持っているヒトたちのなかから、早期に真摯な思いを寄せる者が現れたことに、わたしは一つの大いなる光を見た思いがするのです。モチロン、それで事件の何かが解決するだとか相撲界が良い方向に向い始めるだとかといったことを言うのではありません。そんなことは言えません。安易に過ぎるというものです。けれども、真面目に自分たちの生活のことや相撲界のことを想っている人々の存在があってこそ将来への見通しは立つのであり、またそうした意志をもつ人々の存在を知り、彼らに信を寄せる応援者がいてこそ活力ももたらされるはずです。だから、内部の人々からの強い声というのは決して無意味ではなく、むしろ今こそ必要とされているように思われるのです。わたしがこのちっぽけで安っぽいブログに彼らの声のことを記したのも、そのような(内側からの)情熱へと至る思いの存在を少しでも知って頂きたいと願ったからに他なりません。
そうした声に、そうした思いに、<健全>への種があるのではないでしょうか?

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