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2009年02月06日 「相棒 -劇場版-」は不思議な映画

相棒 -劇場版- 絶体絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソン「相棒」の劇場版です。まったくもって不思議な作品だと思います。ある意味では何度も見たくなる映画なのです。というのは、どうも腑に落ちない点が幾つかあるため、改めて見返したくなってしまうという難点を抱えているからです。
──キーワードはチェス。平幹二朗サンが小泉元首相風のチェス好き元首相役を演じておりまして、全てはこのチェス好きのオッサン(とそのお友達)の作為から始まっているようです。そういう意味では一応全編に渡ってソレらしきモノが散りばめられているコトに意味はある、と言って良いのでしょうか。どうも困ってしまいます。何か中途半端な感じがするのです。この違和感を一言で言ってしまうと、「アンタ、そこまで頑張って壮大なゲームをするコトに意味はあるのかい?」と。コレは犯人に対して。そもそも「ゲーム」、「対戦相手」と言っているのですが、肝心のゲームの行われるコトが容易には気付き難いのではないでしょうか。まずあの幼稚なサイトの管理者用ページの存在とパスワードが分からなければ始まらないのですから。右京サンが分かったから良かったものの… コレではまるで東京に住んでいるヒトが予め茨城の方にまで逃げておいてから、知人に「じゃあ鬼ごっこ開始〜」と言っているようなモンです。卑怯、臆病、準備不足極まりない。いったいどうしたというのでしょう、チェスでマラソンコースを描くよう誘導するコトのできるほど天才的な計画性を持つ犯人にしては、どうも妙な点が見受けられるのです。そして、アソコまで壮大な計画を立てておきながら、その最終目的を果たすための舞台というのが、実はあのようなゲームを用意しなくても良かったのではないかと思われる点もまたオカシイ。マラソン大会は壮大な前フリ、前座のようなものなのですから。


この映画、何も考えずに目で追って行くのなら、間違いなくとても楽しい一作だと思います。動きがあって展開もスムーズに進んで、メリハリだってある。ただし、音楽がムダだ!うるさい!と思われるシーンがあるのが困りモノです。映画故にでしょうか、どうもOPから壮大な感じを出そう出そうと先走ってしまっているような雰囲気を受けてしまうのです。音楽だけでなく映像にしても。「相棒」の良さ、面白さというのは、誤解を恐れずに言ってしまえば、独特の地味な間合いだと思うのですがねぇ〜 コレは映画だぞ!との意気込みが溢れ出てしまって、何か別の作品のようなムードになってしまっているのが、ボクとしては頂けないトコロでしょうか。(かと言って、スクリーンでいつも通りのコトをやられても、観ているヒトは戸惑うのでしょうけど)
おかげで右京サンの推理力はさほど発揮されることもなく、また真の犯人もあっさりと分かってしまうような見せ方になっていて、後半は悪い意味でスムーズに進んでしまった感じがあります(中盤の爆発シーンの辺りなどは、右京サンよりも「刑事貴族」の本城サンが出てきた方が面白くなりそうだ…)。
また、この作品、当然のことながらあくまでもテレビドラマありきのモノでして、序盤は通常版の方でご活躍されている面々を揃わせようと場面の転換が忙しく、ちょっと落ち着きがありません。そして、テレビドラマに大きく依存しているため、おそらく本作単体ではその魅力が伝えきれないものと思われます。つまり、今現在、もしくは二十年後、三十年後に、テレビドラマの方を知らないヒトたちがいきなりこの映画を観たと仮定してみれば良いのですが、彼らには各人物の個性やら相関関係などを理解するコトがとても困難で、それ故に「相棒」における大きな魅力の一つともなっている特命係とそれを取り巻く人々の間に存在する独特の空気感を掴むコトができないように思われるのです。そこにこそこの物語の面白さが詰まっているのに! この映画単体では勝負し切れないように思われます。


以上に挙げた感想をまとめると以下の四点になります。


1.気付き難いゲームの存在、犯人の目的とマラソン大会の間にある微妙なズレ
2.音楽が芳しくない。映像と合わせて懸命に盛り上げようとし過ぎている。
3.流れはスムーズで良い。でも、後半もスムーズなため意外性に欠ける。
4.映画として独り立ちできていないのでは?


そして、コレに五点目を付け加えさせて頂きたく思います。


5.出演者の演技は皆素晴らしい。特に終盤の右京サンと犯人が二人きりで話すシーン、そこでの右京サン、イヤ、水谷さんの表情が秀逸。


物語を通じての印象では、確かに「相棒」というモノの存在、意味合いが明確にされていたと思うのですが、その分、この作品本来の持ち味である意表を突く展開や余韻を残す結末、奇抜な推理といったものが失われていたのは残念です。映画という枠組みを与えられて物語のスケールを拡大するコトで、(あまり良い意味ではなく)これまでのものとは異なった雰囲気になってしまいました。個人的な思いですが、どうして当初から脚本を書いてきた輿水泰弘氏を起用しなかったのかが疑問です。このヒトは「相棒」の節目節目に素晴らしいストーリーを書いてきた実績を残しているのですから、劇場版ともなるとまず真っ先に彼が筆を握るのが“筋”だと思うのですが… はて、「大人の事情」というヤツでしょうか。

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