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2009年02月01日 宮本浩という生き様

『定本 宮本から君へ』
新井英樹サンの初連載作品『宮本から君へ』が太田出版より『定本 宮本から君へ』として復刊されました。今月から4月まで毎月一巻ずつ計4巻の予定で順次刊行されてゆくとのコトです。
新井サンといえば、先日『RIN』が幕を下ろしたばかりですが、そういえば『ザ・ワールド・イズ・マイン』が『真説 ザ・ワールド・イズ・マイン』として復刊されたのも『キーチ』が一旦区切りを迎えた直後でした。偶然か必然か、復刊と連載終了のタイミングが重なるかの如く動いています。また、つい数日前には短編集『あまなつ』にデビュー作となる読み切り「8月の光」を加えた『『8月の光』『ひな』その他の短編』も復刊(新刊?)されています。ココにきて過去の作品群が入手し易い状態になっているというのは、素朴なファンとしては嬉しい限りです。


さて、本作『定本 宮本から君へ』ですが、“定本”などという冠を付けられますと、わたしなどはまずもって『定本 柳田國男集』を連想してしまうのですが、コレは余談でした。
『宮本から君へ』はエレファントカシマシのヴォーカル宮本浩次をモジったと思われる名前の宮本浩を主人公とする物語です。彼は文具メーカーの営業担当の新米サラリーマン、熱意に溢れ己の信念に忠実な真っ直ぐな男…
イヤイヤ、そんなに立派なモノではないかもしれません。融通が利かず不器用で我が儘で所謂「大人の世界」などと称される場所で生きるのがヘタな男のストーリー、そういった方が相応しいような気がします。「俺がカッコいいと思ってるものをそうじゃないって言う人間に認めさせたいだけです」と本気の顔で言ってのけられるこの男は、傍から見ると時に痛々しく場違いで未熟で意固地で自分勝手で視野狭窄で疎ましく思われるコトの多い人物なのです。この『宮本から君へ』はまさにそのタイトル通りこうした宮本の姿を捉えた作品であって、彼からのメッセージを含んでいるように思われます。彼はこう叫んでいるのではないでしょうか。「これが俺のカッコいいと思う生き様だ。お前は俺よりカッコいいものを持っているか?」と。だからこれは作者である新井英樹という漫画家が、クソ頑固モノの宮本を通じて売った喧嘩であるようにもみえるのです。──誰に売っているか。都合の良い道徳や倫理、「正論」と称される「大人の世界」における一種の作法……そういったモノ(に依拠する連中)に対して。その意味では今現在彼が『キーチ』、『キーチVS』においてテーマとしている事柄に相通ずるトコロもあるかもしれません。いえ、もっとハッキリと言ってしまおう。漫画家としての新井英樹の描くモノの正体というのは、終始一貫しているのだ。彼は目に見える胸クソ悪いモノに対して、ソレを徹底的に攻撃対象としているため、そこからどうしようもないほどのあの熱烈な圧力が読み手の中へともたらされるコトになるのです。今も昔も同様に。(『ボーイズ・オン・ザ・ラン』を描いた花沢健吾氏もその圧力に絡めとられたのでしょうか!?)
本作は、確かに初の連載作品というコトもあって、現在の作品と比べると(あくまでも素人の見解ですが)非常に荒々しい点が見受けられます。が、ソレがどうしたワケだろう、宮本の熱意を倍加させるが如き演出となっているように思われます。物語はこの後(つまり『定本 宮本から君へ』2巻以降)思いもよらぬ方向へと進展していくコトになりますが、その飛躍ぶりも彼のスタンスが一貫しているコトを明証しているのだと言って良いかもしれません。
いずれにせよ、世の中の胸クソ悪いモノや大人の「正論」のなかで意地を張り通す宮本の青臭くて泥に塗れた姿や、自分勝手でありながらも一本筋の通った姿勢は、読み手の想いを目一杯掻き混ぜるコトでしょう。これは単なるサラリーマン漫画ではない、その範疇から逸脱し(それ故異常な世界観を持つ)、宮本浩の生き様に肉薄する、片意地を張る男を通じた読み手への問いかけなのではないか、そんなコトを思わせる漫画。…暑苦しくて邪魔臭い宮本の言動、だけどそのなかに何かがあるんじゃないか、宮本はダメな男で、ヤツの声をお前はただ無視するだけか。斯様な訴えに答える用意が必要かもしれません。


──この漫画を読んでいて、ふと宮本を己の中でどう位置付けるか、そのコトに思いを巡らしてしまった。宮本とは何か、如何なる意味を持つ如何なる存在か、この点がより明確になった時、『宮本から君へ』が包含する大きな大きな“凄み”が見えてきそうな気がしています。

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