« スロベニアに怨みはないけど | もどる | タイトルの不必要な文章 »

2008年12月23日 文章で漫画を説くコトの限界について

文章だけによって漫画の内容を云々するコトはできないんじゃないか、わたしは最近はそのような疑念を抱いているのです。


漫画について何か語ろうとするとき、どのような点を取り上げるでしょうか? ソレはまずもってストーリー、そしてセリフ、登場人物の個性、コマ割り、作者の表現技法、或いは伏線などについてのはずです。このなかで文章によって比較的容易に説き明かすコトができるのはどれでしょう。言うまでもありません。ソレこそストーリーであり、キャラについてでありセリフであって話の伏線です。他方で、コマ割りや表現技法をめぐって云々するコトは非常に難しい。例えば文章のみで或る象徴的なシーンに関して、その表現の仕方を云々しようとするとソレはソレは非常に厄介なコトになってしまうのです。こういう風に。──○○のシーンにおいて作者は△△のペンと□□のトーンを多用し、またこの場面の構図は××であって、そうして主人公の表情を☆☆に描くコトで・・・
このようにして何かしらの説明を試みても、よほど文才のあるヒトでなければ的確な指摘はできますまい。改めて強調するまでもないのですが、漫画とは往々にして少しの文字と豊富な絵によって成立しているモノです。従って、単にストーリーなりセリフなりに関して何かを語っても、ソレはまだ一部に触れただけに過ぎないのです。本当に問題にしなければならないのは、むしろ文章によっては説き難い作者の表現、描き方、構図、使用する道具等々ではないでしょうか。ソコにこそ各々の作品と作者の持つ特徴なり個性なり魅力なりがあるはずで、その点に触れない漫画論評なるモノはさほど意味をなさないのかもしれません。
わたしは滅多に見ないのですが、不定期に放送されている「BSマンガ夜話」においては、出演者の方たちがパネルを用いまして作者の表現手法などについての解説を多々試みていたように記憶しています。コレこそ真に漫画の核心に触れる行為ではないかと思うのです。でも、こういったやり方はテレビという媒体であるからなせる技かもしれません。例えば、コレと同じことを雑誌上で、個人のブログ上で、或いは少しお堅くなって論文・論説等でできるでしょうか。できないコトはないと思いますが、ヘタをすると非常に抽象的なハナシになってしまい、書き手と読み手の間に大きな壁が立ちはだかる事態へと陥ってしまうかもしれません。また相当気を遣って書かないと、すぐに誤解を与えてしまうといった災難に見舞われるだろうと思います。かと言って、直接画像を取り込んで、ソレを参考図として掲載し、ソコに解説を加えようにも、このご時世ですからすぐに出版社側からの「著作権侵害」であるとのクレームを頂いてしまいます。まったく面倒なハメになるのです。
そして、この問題において最も難儀なのが、ある表現技法について何かを語ろうとする場合、フツウのシロウトにはソレが出来やしないという点です。いえ、単純に線が太いとかGペンを使用しているとかパースペクティブが巧みだとか、そうした表面的な内容であれば誰だって述べるコトができましょう。けれど、なぜソレが良いのか、なぜ作者はこの場面をこうした手法を用いて描かざるを得なかったのか、などという点にまで及んで具体的な解説をなせるヒトがどれくらいおられるでしょうか! そのような繊細な事柄を華麗に説いてみせる能力を持っているヒトなど、およそ同業者であるか、少なくとも自らもペンを取って何作品かを描いた経験のあるモノをおいて他にはないと思います。しかし、ソレこそが真の評価であり批評であり賞賛の域に達する解説であるはずなのに……


以上です。この問題に関して、所詮はシロウトのわたしもこれ以上のコトは書けません。漫画においては「絵」という要素が混在しているため、全体を捉えて話すのが難しいというコト、「絵」というモノは我々が日常的に目にする機会はあるものの、自ら積極的にソレを創り出したりするような行いは少なく、ソレ故にその良し悪し、レベルの高低、あるいは適不適、美醜といった点を必ずしも相応の判断でもって評価を下すのが難しいモノであるコト、ソコにこそ決定的な難点があるように思われるのです。従って、もはやそうなると、シロウトが漫画について何を語れるのか、何を問題とすれば良いのか、何をどう見るのかという問題が立ち現れてくるワケですが、う〜ん、コレについては現時点にあっては「語り得ぬことについては、沈黙しなければならない。」と言うより他にはありません。残念です。残念でした。

« スロベニアに怨みはないけど | もどる | タイトルの不必要な文章 »