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2008年12月10日 外界へは行けない

昨日読んでいた本のなかでこのようなやりとりが紹介されていました。


「一体全体あなたがいつも話してらっしゃるような神さんなど、どこにあるというのです。」
「あゝ、このお方は。神樣方はこの世にはいやしませんよ。神様のなかにこの世があるのですもの。」


「思想とは真理に対する王手である」と言ったのはオルテガですが、この場合、既に王手がかかっています。こう反撃されたのでは、もうどうしようもない。われわれは神様の外に出る能力をもっていないのだから、神を顕在化させるコトなんてできやしないんだぜ、ベイベー!
──「じゃあ、聞くけどさ、いったいどうして私たちが神のなかにいるというコトが分かるんだい?」
この問いに如何に返答するかによって、そのヒトの思想が窺われる。わたしなら如何様に答えましょうか?


Youtubeでスゴい動画を見つけました。



細野さん、TIN PAN ALLEY、年齢不詳、奇妙な雰囲気のライヴ映像、「トロピカルダンディー」の頃でしょう。
初めて聴いたときはあまりピンと来なかったけど、最近はスゴく良いアルバムだと思っています。この奇妙な陽気さが、今の季節には特に効く。
まったく貴重な映像で、非常に有り難いコトです。この映像を発見したときは「南無阿弥陀仏」と言った。仏様に感謝するという意味です。
仏様は私たちの内側か外側か、どちらでありましょう? 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・

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