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2008年12月30日 大相撲'2009

来年のお相撲について、その展望を記したいと思うのです。ホントなら九州場所が終わった時に書くべきだったのですが、如何せん無精モノですのでご寛容のホドを宜しくお願い申し上げます。


さて、何から書きましょう。やはり朝青龍でしょうか。それとも本年巷を賑わせました不祥事を巡る一連の問題についてでしょうか。それとも日馬富士を初めとする若手力士への期待等についてでしょうか。どれも重大な問題ですので、順を追って書いていきましょう。

まずは朝青龍。彼の周囲に生じている問題については人口に膾炙していますので、改めて説明するまでもないコトと捉え、詳細な言及は省きます。初場所は出場してくるのでしょうか。仮に出場したとしても──昨年の初場所のような相撲が取れるのか、横綱としての使命は果たせるのか、品位は、自覚は、などと内舘の婆サンややくみつるの如き気狂いが発狂するのが目に見えているのですから、何ともまぁ苦しい事情です。彼には熱烈な支持者も多いが、熱烈なアンチも多い。ソレが強者の宿命なのかもしれませんが、果たして今の彼を「強者」と呼んで良いのか否か、という問題になりますと、はたと困惑してしまうのです。
しかしながら、そう考えてみると、現在の彼が置かれている状況というモノはスゴく分かりやすいと思います。すなわち、次の場所で勝てなかったらもう終わり。たったコレだけのコトなのです。品位、自覚などの問題を横綱が担う最優先事項とするのであれば、彼などはもうとっくに廃業せざるを得なくなっているはずですので。現在では良くも悪くもお相撲さんは土俵の上での結果がまずあって、その次に広義でのマナーが問われてくる。その点に欠点を見出すのは容易ですが、しかしソレを改善しようとするコトが如何に困難な業か。内舘の老婆やおそよみつる、イヤ違った、やくみつる氏の如き人物が朝青龍を巡って情緒不安定に陥るのも、その辺の問題に関して、相撲界の現実と自身の意識とを巧く咀嚼するコトができていないからなのだ。而して、朝青龍についても、まずは彼が次に残す結果へと注目せねばなりません。ソレはあくまでも彼自身の問題であって、(関係者は別としても)一相撲ファンの方々はただただ見守るより他に仕様のない事態なのです。以上が朝青龍について。


次は2008年度の相撲界に一大旋風を巻き起こした大麻→解雇・暴行→解雇というまさかの解雇ブームについて。およそ今年ほどお相撲の世界及び相撲協会に対して不信の目が寄せられた年もなかったのではありますまいか。前者に関しては、今のトコロ、ロシア人力士のみに限定された問題ですので、ソコを叩けば簡単に片付きそうなコトではあります、一見すると。つまり、外国人力士との間に生じた風習、文化、或いは法律に対する認識の食い違いであると。ロシアと日本との間にある大麻に対する意識の差異、ソレが諸悪の根源であったとして斥けてしまうのは何の雑作もないでしょう。(確かにわたしもタバコと同等の害悪しか無い大麻の如きモノに対して厳罰処分を下す日本の法律には著しい欠陥があると思いますが)ですが、果たしてその程度の問題で終わらせて良いコトなのかというと、どうもそうとは思われない。ここにはもう少し複雑な問題があるのです。
その点を考察するに当たって、もう少し見方を簡略化しておきたいと思います。すなわち、上に記した大麻問題と暴行問題は全く異なる次元のモノなのです。大麻問題というのは相撲の世界対外側の世界の問題、それに対して暴行問題というのはあくまでも相撲の世界のみの問題なのです。畢竟するに、「内」対「外」と「内」の問題。そしてその根本にあるのが相撲の世界という「内」のなかに存在するある種の曖昧さだと思うのです。
この「内」と「外」に対して境界線を引いて、その違いを厳密に定式化するコトは不可能です。大半の力士が「外」の世界で生まれ育って、ソコに馴染んだ身を引っさげて「内」の世界(=相撲の世界)という特殊な空間へと入って来ます。それ故、「内」は常に「外」の情勢、風習、或いは雰囲気や「空気」といった事柄と密接にリンクせざるを得なくなる。だとすれば、「内」の力のみによって「外」から持ち込まれてきたモノを断絶させるなどというのは「およそ不可能なBET(楽しみたいな I think I can)」ですので、柔軟さを欠いた対応をしてしまうと却って「内」の世界は抑圧機構として狂った機能を有してしまうコトすらあります。こういうおハナシをすると甚だ抽象的なようにも思われてしまうかもしれませんが、わたしは大麻の問題も暴行の問題も「内」と「外」との不均衡によって生じた事件、両者の間のズレに起因する事態ではないかと思うのです。ですので、こう言うコトもできましょう。要するに、「内」の構成物質が「外」からの刺激に対して堪え切れずに過って自己を肥大化させてしまい、行き場を喪失した瞬間に、過激に己を拡散するに至った、と。──その点で相撲協会が外部のモノの声を取り入れようとするのは(遅きに失したのは言うまでもありませんが)極めて適切な判断なのです。が、次なる点として、ココにも極めて大きな問題が横たわっています。ソレは外部の声を取り入れたからとて「内」と「外」のバランスが保たれ得るという確証はないという苦悩です。もとより相撲界というのは「外」からは一定の距離を置いた特殊な階層を持つ世界だと思います。平易に言ってしまうと、全くもって非デモクラティックな世界だというワケです。この認識がなければ相撲界は理解できないような気がします。その歴史には多少の歪みを伴う貴族主義的要素(半分朽ち果てたノブレス・オブリージュが支配的)があります。そしてココにこそ大きな陥穽があるのですけれども、しかし相撲界という「内」の世界を維持しているのも他ならぬこの点なのです。ですから、ソレを一気に害悪であるといって放擲してしまおうなどというのでは困ります。コレほどの愚行もありますまい。斯様なコトを企てようとするのは死罪に相当します。というか死んでも良い。重要なのは、その「内」の特殊性と「外」との情勢、風習、或いは雰囲気や「空気」といった事柄をどう適合せしめてゆくかというコト、付かず離れずの状態に維持しておくにはどうすべきかというコトなのです。徒に「内」に閉じこもり固執するのでもなく、かといって無謀にもそれまでの伝統を軽蔑して一気に「外」の世界に擦り寄り、デモクラティックな考え方でもって「内」を統率しようなどというのでもない、「内」と「外」との中和という作業こそ相撲界に突きつけられた喫緊の課題なのだと思います。重要なのは今日までの「内」の伝統のなかに如何にして「外」の芽を植え付けてゆくかです(モチロン、こうした問題は以前からずっと「内」の世界たる相撲界にはあった事項でしょう。けれども、今日ほどその重要性が問われている時も無いと思うのです)。──そして、ソコには当然土俵の上と土俵の下のバランスをどのようにして安定させてゆくべきかという難問が待ち構えています。相撲は単なる勝ち負けで終わるものではなく、「様式美」としての一面をも包含しているのだという意識、コレこそが「内」にある見事な伝統に他ならないのです。この点こそが新たな芽を植え付けるための壮大な土壌になり得るとわたしには思えてならないのです。
外部に設けられた委員会も、果たしてソレがどのような役割を果たし、どれほど機能するのかは依然未知数であります。しかも、ソコに関与するモノがどういった路線で相撲界に言及していこうとしているのかも、未だに判然としていません。また、相撲協会についても理事長が代わり、コレから徐々に「内」全体を新たにしていこうとはしているみたいですけれども、コチラも何か漠然としていて、目処が立っていないように思われます。従って、一相撲ファンとしては伝統のなかにどのような芽を植え付けようとしているのかという点をまず明らかにして欲しいと願う次第なのです。最近の「内」の世界ではもうずっと芽が育っていないばかりか、何かが枯れ始めているのではありますまいか。ソレを象徴しているのが、昨今の大麻問題であり暴行事件だったのかもしれません。わたしには「内」と「外」との混合と分離、それが極端なカタチとなって露呈してしまったようにも思われるのです。
全体的な、詳細な点に立ち入ってのわたしなりの意見を記そうなどという大作業は到底なすことができませんが、ココでは来年以降の相撲界がその新たな一歩を踏み出すには? という観点からわたし個人の願望を勝手に、独り言的なモノとして書かせてもらいました。すなわち、「内」の伝統のなかに「外」と乖離することのないよう如何にして新たな芽を植え付けていこうとするか(=中和)、ソレに尽きると思います。


最後に若手力士について書きます。安馬が大関に昇進し、日馬富士へと発展を遂げたコトでますます活気付けば良い大相撲。やはり若手力士の活躍が来年以降も相撲界の一大焦点ともなってくるでしょう。個性豊かな若手力士も数としては立派に台頭してきているのですが、どうしてもまだあと一歩盛り上がらないというのは、多くの相撲ファンが抱いている悩みの一つかもしれません。ですが、コレも朝青龍の問題と同様、最後は彼ら自身がどうにかせねばならないコト! 願わくば来年は無駄な不祥事等がなく、相撲生活全般に渡って楽しい一年でありますように。 環境さえ整っていれば、あとは彼ら個人の才能と努力如何に関わってくるモノと思われます。相撲ファンとしては、彼らが相撲に集中できるような一年であって欲しいと願うばかりなのです。
日馬富士、把瑠都、豪栄道、稀勢の里、豊ノ島、琴奨菊、こういった若手力士には誰もが期待している通り。彼らと白鵬は同年代です。皆、自分の型を持っていて、ソレが発揮できた時には非常な強さを見せますので、(「外」から言うのは簡単ですが…)是非とも横綱を凌ぐような活躍を!(本当はこの若手力士に関しても、もっと沢山書くはずだったのだけど、二番目の相撲界のコトを書き過ぎたので、これ以上書くことは控えさせて頂きます。体力の限界!)
以上、来年のお相撲をめぐっての私見でした。

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