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2008年11月28日 落書きと「逃げる」コトについて

『増補 ケインズとハイエク』という本を学校の図書館から借りてきました。ウチへ帰って中を見てみると、なんとアチラコチラに線が引かれまくっている上に、雑な文字で何やら書き込まれているではありませんか。改めて確認しておきますが、古本ではありません。図書館の本です。確かに図書館の本でも線が引かれているモノが稀にあります。しかし文字を書き入れているのはどうしたコトでしょう? 私が不思議に思うのは、次のような理由に因ります。すなわち、図書館の本は(当然のコトながら)期限以内に返却せねばならないのです。そして借りていられる期間なぞせいぜい数週間が限度です。そうなのです、私より以前にコノ本を借りて、熟読して、挙げ句に書き込みを入れるほど熱心なヒト、でもアナタがコノ本を借りていられた期間なんて高が知れているのです。というコトは、この書き込みはすぐ無駄になってしまうのではないでしょうか? そして残るモノといえば、次に読むヒトの不快感だけなのです。要は、たった数週間手元に置いておくだけの本に、御丁寧にもアチラコチラへ線を引き、文字を書き入れたアンタ、それで結局どうなるんだい? その書き込みは何に反映されるんだい? コノ点に私は深い深い不快深い疑念を寄せざるを得ないのです。
上にも記したように、図書館の本であるにも関わらず、線引きがしてある本には稀に出会います。そして、その度に私は消しているのです。学校のコトや図書館のコトや他人のコトを思ってではありません。私自身が、図書館の本に線が引かれているという事実に非常な不快感を覚えるからです。──だってソレはオレのモノでもないし、アンタのモノでもないだろ? 皆の共有物だ。ソコを汚すとは何たる大胆な挑戦であるコトよ! 私は常々そう思いながら、消しゴムをかけるのです。そうであれば、今回の件などはヒステリー沙汰です。発狂しそうになります。ちょっと落書きの一部を晒してやりましょう。173ページの「様々の矛盾や逆説やディレンマに満ちた経済、それが現代の貨幣経済であった。」という一文の下に神をも怖れぬこの冒瀆者は「経済学の脱構築」という書き込みを入れております。私はまだこの本を通読していませんから、踏み込んだ発言は控えたいのですが、それにしてもなかなかユニークな言葉を書き入れてくれます。この本を読み進めれば「経済学の脱構築」の意味も解せるのでしょうか? ちなみにその次のページの下部には「カヘイの二重性」なる文字も見受けられます。はぁ…アッチコッチに落書き、落書き、落書き。まったくコレでは「ストリートアート」などとほざいて、至る所にスプレーで落書きをする連中と同次元ではないか! 呆れます。
重要なコトが記述されている箇所に出会えば、そのページ数をメモ帳などに書き込んでおいて、後でその箇所をコピーしなさい。私はそうしています。だから夜中であってもコンビニへコピーしに行くという涙ぐましい辛酸を・・・


オハナシは変わりますが、ヒトはナゼ「逃げる」というコトに興味を示すのでしょうか。鬼ごっこ、映画「逃亡者」、「夜逃げ屋本舗」、福田和子の逃亡劇・・・ 非常な関心を持ちます。
逃げるというコトには興奮が伴いますが、でも、場合によっては恥辱も伴うと思うのです。逃げると色々なコトを囁かれてしまいます。「意気地なし」、「ヘタレ」、「人間のクズ」、「時価5円にも満たない」、「女心と秋の空」、「ピースな愛のバイブスでポジティブな感じでお願いしますよ」、「それはサイババの勝手なんですよ」・・・
ソレでも逃げちゃうんだなぁ。「逃げるが勝ち」だなどとも言いますし。いけない、情けない、しょうがない、そう思っていても逃げてしまう。でも、逃げる当人からすれば、ソコには地獄に匹敵する苦しみがあるように思われます。となると、こういうコトです。逃げているヒトを見るのが楽しいんだ。他人事だから面白く見えちゃう。捕まるか、もう捕まるか、まだ捕まらんか、いつ捕まる? そう思いながら眺めている時のワクワク感が最高なのでしょう。ソレは逃げているヒトのプレッシャーを裏返しにした面白さかもしれません。逆に逃げるモノを応援する心情──逃げ切れ、ソレ!逃げ切れ、ホラ、敵は近くにいるぞ! 志村、後ろ後ろ!──ならば、彼のプレッシャーを或る程度共有できるという感覚があるのかもしれません。疑似体験。でも、ソレは多分まやかしです。そのドキドキ感は怪しい。結局この場合でも、逃げているヒトの姿とソレを必死で追うヒト、逃げ切って喜んでいるヒトと逃げ切られて地団駄を踏んでいるヒト、そういった連中の対照的な様子を見ているのが楽しいんだ。イイ年した大人が汗かき息切らし必死で追いつ追われつしている光景は何かしら滑稽で、それ故にヒトはついつい興味を示してしまうのではないかと思われます。そうだとすれば、コレはまったく適当なモンです。やっぱり他人の不幸だから面白いというだけ。「逃げる」コトの鑑賞は空前絶後の第三者的視点での娯楽だといえるかもしれません。畢竟、彼が捕まろうが逃げ切ろうが、その結果なんてすぐに日常生活のなかで相対化されてしまう。面白いのはその姿だけ!

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