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2008年04月03日 隴を得て蜀を望む

最近いろんなサイトを閲覧しているのですが、本当に色々なタイプのものがありますねぇ。純粋に感動するようなものもあれば、なんでこんなものがあるんだというようなのもあります。理解できないようなサイトを閲覧しているときに、私は「コイツは何を考えてこんなサイトを作ったのだ」と思うわけですよ。それは良い意味でも悪い意味でも。けれど、世の中はまともなヤツとおかしなヤツがいて成り立っているように、サイトだっておかしなサイトとまともなサイトが存在していないとダメなんじゃないのかと思うわけであります。だって世の中のサイト全てがまともってのはつまらないじゃないですか。(中略)私はとびきりおかしなサイトに出くわした時、それにある種の憧れのようなものを持って、俺もこんな変なサイト作ってみたいな、と思うわけであります。サイトなんてのは、そのほとんどが何かしらの情報を提供するものですが、一方でそういったものを完全に無視したモノが存在しているということに、非常に面白みを感じるわけであります。(中略)私はサイトというものは一種の自己表現の場としても使えると思ってます。現実世界とネット上の世界は明らかに別物ゆえに、現実世界では表現できないようなことをネット上の世界で表現するのも一つの手段だと思ったりします。現実の世界とネットの世界、この両者をはっきりと意識した上で、作り上げるおかしなサイト。ネットの世界でのみ作り上げられることが可能な世界。そういうものにいつか挑戦してみたいと思うわけであります。


コレは二〇〇五年の一月二十二日(土)に今は無き旧サイトに私が記し上げた雑文なのです。タイトルは「いつかやってみたいこと」 齢十九の時の羞恥。
先ほど、偶然そのサイトを保存してあるフォルダが発見されましたので、郷愁の念の如き感慨を抱きながら眺めておったのであるが、率直な意見としては…あまりに稚拙過ぎる文章とくだらなさ過ぎるコトしか綴っておらぬのは当時から今に至るまで一貫しておる。而してソレらの中でもコレはどうにか読むに耐える一文であると判断しましたから、あえてこの場に持ち出してきたという展開。もう苦心惨憺やる方無し、なのだ。


十代最終期の文章も今と同じく年齢不相応に雑魚でしたが、それでも実感致した、一応三年の間に多少は上達しておるコトを。良かった。ソレだけが良かった。改めて申し立てるが、前述のフォルダの中に収められてある文章の95%はココに持ち出すことが適わぬレベルでありまして、漸く上記のモノを引っ張って来れたという無惨な状態なのであります。(余談だが、ココでよく用いる「どーでもいー」なる言い回しは三年前から遣っていたコトが分かった!)
必然の如く、涙が溢れ落ちそうになった。己の不甲斐無さで初めて泣きそうになった。いや、正確には小学三年生くらいの時の運動会に於ける障害物競走で、私はダントツの最下位になりまして、やっとのコトでゴールしたら、すぐ後ろに次のグループの先頭のヤツがいた時以来の己への不甲斐無さなのでございます。


それに致しましても、今日まで斯様な文章を記したコトはすっかり忘却しておったのですが、三年後の今、「そういったものを完全に無視したモノ(=全く何の役にも立たず存在意義がゼロに近いサイト)」を運営できている事実に、自らの精神の幼稚さ、下劣さ、未発達具合を思い、また同時に今後もより一層開き直って「そういったものを完全に無視」していこうと決意し申し上げるのであった。


全く何の役にも立たず存在意義がゼロに近いサイトについては以下参照
アイツの日記

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